月のシズク
mamico



 思い出アルバム

思い返してみれば、あれから10年、いや、それ以上経っていた。
年度が変わるちょうどこの時期、高校一年生だった私たちはアメリカに行った。
とある基金のバックアップで、中西部の小さな町に降り立った日、空港は氷の
ような雪に包まれていた。16歳のアメリカは、それぞれの小さなきっかけとなった。

あのころのメンバーで、東京在住の4人が新宿の片隅に集結した。
7人中の4人だから、過半数以上が、生まれ育った町を離れて暮らしている。
同じ高校出身のカズシは、外資系の商社でアナリストをしている。珠算日本一
にもなったトモは、靴下のデザイナーだそうだ。そして、5年半ゴールドコースト
に住んでいたミホコは、昨年夏に帰国し、今は商社で貿易担当をしている。

挨拶もそこそこに、すぐに打ち解けた雰囲気に包まれる。
「ピアス開けたの、あの時だよね」というミホコの台詞から、私たちの
思い出アルバムは、次々と、暴力的なまでに解き開かれる。

セント・パトリックス・デイに緑色のデコレーションケーキを食べたこと(この日は
みな、緑色の衣服を身につける)。それに、裏ビデオなる代物を初めて見たのも、
あの頃だった。シカゴのホテルで、カズシとトモの部屋に全員が集まり、ソファや
床に座り込んで「うわっ」とか「ぎょえー」とか奇声を上げながら画面に食い入る
ように見ていたっけ(苦笑)。

そんな幼い私たちだったが、トモがこの9月に結婚するという。
「もーね、先週、彼女の家に挨拶に行ったんだけど、大変だったよ」
女性陣のミホコと私が身を乗り出して、「で、で?」と話を先に急かす。

「前日にクシャミしてギックリ腰やっちゃってさー。先方のお宅に着いて、
 座布団にも触れず、『結婚させてください』って云ったんだよ。で、痛い
 腰を我慢して床にオデコをこすりつけて、もういいかな、と顔を上げたら、
 お父様がどわーって泣いていて、彼女もぐしゅぐしゅでさ。お母様が、
 『もー、この人たち涙もろくって』って一番肝が据わってんの」

こんなトモだが、当初アメリカ行きメンバーには加わっていなかった。
予定されていた子の喫煙が見つかり、急遽、メンバー交代で参加だったのだ。
何度目かの事前打ち合わせに、突然トモが現れた。そのときスタッフさんが
「××くんは、胃潰瘍のため参加できません」と告げた。その瞬間、私たちは、
笑いをこらえるのに必死だった。高校生の情報網を侮るなかれ、と。

話していると、脳のいろんな回線が開いて、一気に過去の記憶が映像と
なってよみがえってくる。シナプスが繋がりまくってゆくというかんじ。
結局4時間近く居座って、新宿駅で別れた。「じゃねー」と手を振りながら、
それぞれの方向に歩いてゆく三人の笑顔が、16歳の私たちと重なった。


2004年02月28日(土)



 グッバイ、ブラザー

すこし早い、旅立ちの季節。
弟くんが、明日ドイツに立つ。

パーティは大盛りあがりだった。たくさんの人が、忙しい中、時間を割いて
集まってくれた。弟くんに用意したサプライズ・プレゼントは、ポラ(チェキ)
で撮った写真。ひとりひとりが好き勝手なポーズを取って、メッセージを書き
込んだ小さなアルバムは、思いのほか、厚みができてしまった。

幹事さんというには大袈裟すぎるが、企画は私がやらせてもらった。
午後、いろいろ写真を撮った。謎めいた空間の女子トイレ(!)や、
私たちがよく煙草を吸ったベランダ、入り口に設置されたセキュリティ装置。
設置当初、使い方がわからずよく守衛さんに助けてもらった場所だ。

どれも思い出深いものばかり。忘れないでね、というよりは、
憶えていてね、という思いを込めて、何度もシャッターを切った。

なんだかんだとこの一年、弟くんには世話になった。
もちろん世話もしたけれど、根本的な部分で、私はやはり世話をかけていた
のだと思う。深夜のビリヤード場で大騒ぎしたり、夜明け近くまで与太話に
付き合ってもらったり。いつだったか、風邪で寝込んでいたとき、苺のパック
を配達してもらったこともある。「しょーがねーな、ねーちゃん」と云われながら。

二次会も済み、誰かが「ラーメン喰いに行こうぜ」と提案した。
賛同したメンバーは、北風が強い夜の街へ出る。不意に両側から肩を組まれた。
左側に弟くん、右側にコザルくん。私はふたりの長身オトコに挟まれ、よろめき
ながらも果敢に歩いた。「オリジナル・メンバーだよな」と、コザルくんが云う。
そう、私たち三人は、悪ガキのようにつるんで、よくじゃれていた。

ただただ楽しかった日々は、遅れてやって来た青春日記のようだった。
笑ってばかりいたような気がする。プライベートも本業も、何の関係も
ない場所で、私たち三人は、笑って、寄り添って、励まし合っていたのだ。

「明日からさみしくなるなー」と、コザルくんが叫んだ。
「まったくだよぉー」と、私も叫んだ。
弟くんは、ただわらって「じゃな」と手を振った。

2004年02月26日(木)



 創作夜話

「マミゴンが文章を書くときって、どういうふうに書き始めるの?」
ncカイノショウさんが、不意に、そう訊いてきた。

ちょっとしたご縁があって、音楽方面の活動家であるkosechさんの作品に、
文筆方面で参加させていただくことになった。そのきっかけを作ってくれたのは、
人の特質を見抜く臭覚にかけて人一倍敏感な、凄腕プロデューサーのカイノ
ショウ氏である。kosech氏からCDが送られてきて以来、私の日常には、彼の
音楽がじゅわじゅわ浸透してしまった。人生、何が起こるかわからない。

「ソレ、当てましょうか? ふふ〜ん♪って、しばらくは全然関係ない
 ことをしていて、突然、ばばばっと書き始めるんでしょ? 」

kosech氏がそう云って、にやりと笑う。ビンゴだ。まさしく、その通りである。
「僕が音楽作るときも、そんな感じですよ。突然、イメージが沸くんです」
そう、そうなのだ。もちろん、うんうん唸り、パソコンの前で固まってしまう
こともある。でも、大概の場合、ソレは突然やってくる。意識の底に沈んでいた
沈殿物が、何かの拍子に急浮上してくるかんじ。降って来る、という表現の
方が正しいかもしれない。後は、そのイメージに近づける作業のみである。

「じゃ、さ。今デジカメ持っているよね?この辺りを適当に撮って、
 後で送ってみてくれないかな?」
まったく、これは何のテストなのかな?と苦笑しながら、鞄からデジカメを
取り出して、適当にシャッターを切る。ろくずっぽファインダーも覗かずに。

打ち合わせも、四方山話も終わり、さて、お開きにしまよう、というときに、
「マミゴンは『日常の冒険者』なんだよね」と、不意打ちのような言葉を差し
込まれた。ははは。その答えはおそらく、「イエス、アイ アム」なのだろう。



カイノショウ氏に送ったテスト画像は↑じゃありません(ムフフ)。
場所はいつもの「秘密結社カフェ(=A.B.Cafe@吉祥寺)」で。
今回の件の詳細に関しては、時期が来たらお知らせしますね。お楽しみに。

2004年02月25日(水)



 Windy Days

早起きして仕事場にゆき、珈琲片手にベランダに出た。
風の強い日に空を見るのは、もう習慣になってしまっている。
昨晩の雨風で塵や埃が洗い流され、クリアな青い空には、雲の大群が泳いでいた。

「風、すごかったですね。台風みたいにゴーゴーいって」
教材データの打ち込みに来ていた同僚が、隣に並んで眩しそうに目を細めた。
「うちなんて、犬小屋の屋根が吹き飛ばされましたもん」
にこにこ笑ってそう云う彼女に、「犬くんたちは大丈夫だったの?」と訊くと、
「はい。屋根のない犬小屋で、シッポ振って出迎えてくれました」だって。

昨晩は、さぞ心細かったでしょうに。あの轟音だもの、と同情する。
もちろん、勇敢な犬くんたちに。囲いがないというのは、とても不安なことだ。
自分を守るものがない、という不安。ちょっと居たたまれない。

強風もおさまってきた夕方、黒い空にオレンジ色の光がまたたく。
一番星かと思って外に出ると、ベランダで煙草を吸っていた弟くんがいた。

「あれさぁ、金星かな、それとも、火星かな?」と、はしゃいで云ったら
「ヘリコプターだよ。ほら、移動してるじゃん」と冷たく言い放たれた。
それでも「火星だよー」と言い張っていたら、オレンジ色の光はどんどん
近づいてきて、頭上をあっけなく通過していった。

しょぼくれて光を見上げていたら、「低速移動の流れ星だよ」と云ってくれた
弟くん。コイツも金曜にはドイツへ出国だ。ベランダの夜風は、まだまだ冷たく
思わずストールを身体にきつく巻きつける。夜間飛行のジェット機も、やはり
流星に似ているのだろうか。オレンジ色の光が消えた空の下で、ふと、そう思った。



2004年02月23日(月)



 インスタントカメラの中身

ベットサイドに放置されたままのインスタントカメラを現像に出した。
散歩の途中に立ちよった公園の側のカフェで、仕上がった写真をチェックする。

最近のものから重ねられた写真は、妹ちゃんとのツーショットから始まった。
私が無邪気に裏チョキ(手の甲を向けてピースサインをするポーズ)をしている横で、
楽しそうに笑う妹ちゃん。次々めくってゆくと、研究室の同僚や、7月に参列した
友人の結婚式のものまである。みんな半袖姿で、日焼けして、インスタントカメラ
特有のざらっとした質感が、たった半年前を、ひどく懐かしく思わせた。

次に現れたのが、どこか外国の風景だった。
ハイウェイから、市街地へ入り、ポスターやら、建築物やらが、車の目線で
切り取られている。私が見知らぬ風景は、しかし、私がよく知っているN.Yの
風景だった。横に並んだイエローキャブの鮮やかな黄色の車体。どう考えても
これらは、車の中から撮ったものだ。しかし、この半年間、私は海外に出ていない。

ゆっくりと記憶をたぐり寄せる。一体このカメラは誰の手にあったのかを。
そうして、ふと思い出した。ジャマイカで勤務していた兄が、帰国の途に着く際、
トランジットでN.Yに立ち寄っている。とすると、この日本製インスタントカメラ
は、兄の持ち物だったわけだ。なーんだ、と思い、そっか、と納得する。

兄が撮ったN.Yは、いったい何を標的としてシャッターを切ったのか、皆目分からな
かった。おそらく、私なら素通りしてしまう風景ばかりを追っている(だって普通、
光量の少ないトンネルで、フラッシュまで使って写すかね?) 私にとっては
意味不明な写真も、きっと兄にとっては、意味があるのだろう。あの時、あの場所
に立った、という過去の一点と結びつく、物証的な記録。



見覚えのない写真を手に、ぐるぐると考えをめぐらせていたら、なんだか束の間の
タイムトリップに出た気分だった。他人が旅した土地を、一瞬、自分も旅して
しまったかのような感覚。そのスピード感と、春のような陽気が、私をけしかける。

カフェを後に、公園で梅の花を愛で、通りすがりの教会で出くわした結婚式
の撮影を眺め、まだ飽き足らずに、へとへとになるまでプールで泳いだ午後。
そうそう、プールから眺めた夕暮れ空は、紅梅のように濃く、とても美しかった。

2004年02月21日(土)



 Weekend Travelers



私が瀬戸内海の海岸線を西へ走っていた頃、わが妹ちゃんは、ブリュージュを
車で旅していた。気候も風景も違う場所なのに、海を見ると、ひどくなつかしさを
感じるのは、どうしてだろう。彼女もヨーロッパの静かな海岸で、そう思った。

きっと、私たちの細胞は、生まれた場所の匂いを憶えているからだろう。
意識からすべり落ちた記憶は、忘れていても、ちゃんと肌が憶えている。
だからこんなにも、情けないくらい、心がとけだしてしまうのだろう。
しゅわしゅわっ と 耳には届かない、音を立てながら。


(Photo by Nori-S / Included Words by Sister-Mayu)

2004年02月19日(木)



 チャレンジ一年生!

この歳になっても、「初めての挑戦」もあるもんだ。
そりゃ、(うまくゆけば)長い人生、初めてだらけのものだけれど、
そういうフォア・ザ・ファースト・タイムは、やっぱり新鮮。

私はどちらかというと、根性もないし、我慢弱い性質の持ち主だけど、
きっかけさえあれば「おりゃ」と、どこへでも、何にでも、飛び込んでゆく。
その勇気の源がどこにあるのか、自分でもときどき驚くのだけれど。

お菓子作りは、私が最も敬遠していたことだ。
普段の食事を作るのは苦にならないが、お菓子となると、ちょっと腰が引ける。
女の子オーラを振りまいているみたいで、厭味にすら感じられた。そんなわけで、
生まれてこの方、ヴァレンタインというイヴェントにも退き気味だった。

なのに、だ。
片手に湯銭のボウル、片手にレシピを抱え、チョコレート作りに挑戦。
リハーサルまでして、同僚に片っ端から試食してもらい、再び試行錯誤。
真夜中(明け方近く)に、甘ったるい匂いが充満した台所で、孤軍奮闘。
弟くんには「ねーちゃん、10年おそいって」といびられながらも、真剣勝負。

妥協って言葉は好きじゃない。故に、妥協という行為も嫌悪している。
「まったく、世の中の乙女らは、毎年こんなことしてるんかい!?」と
ぶつくさ文句を垂れつつも、何とか納得のゆく作品が出来上がった。
けっこう面白いじゃん、なんて、ひっちゃかめっちゃかの真夜中の台所で。

安易な方法なんて、いくらでもある。有名店のチョコや、ショコラシエなる職人
たちの味にはかなわない。でも、結局のところ、どれだけ手が尽くされたか
というプロセス自体が大切なのかもしれない。なんて、ちょっと言い訳かな。



使用したラムは、もちろん常飲してる「アップルトン」(ジャマイカ産)
*明日からしばらく東京を不在にします*

2004年02月13日(金)



 信じること

夕闇に、ふと梅の香りが匂った。
自転車を止め、眼を凝らすと、薄桃色の梅花が佇んでいた。
眼をつむり、その儚げな匂いを吸い込む。すると、眼を開いていたときより、
その花そのものが、ありありと認識できるのは、どうしたことだろうか。

こういうとき、私は自身を深く信じることができる。
米国思想の父エマソン(Ralph Waldo Emerson)は、有名な古典的随筆
"Self-Reliance" (『自己信頼』1841年)で、心の高潔さが、ある意味、
宗教を越えて重要なものだと語った。神聖さ、とは自己への誠実さに通じる。

他者との関係性のみならず、万物と関わりを持つということは、すべて
自己信頼に基づいていると思う。「私はアナタを信じています」という言葉には、
「私はアナタを信じている、私を信じています」ということに帰結する。

祖父が生前、よく口にしていた言葉がある。
「仏さんに手を合わせても、神社に参拝しても、結局のところ、わたしは
 自分の中の神さんを信じているんだ。それは、祖先に対する信頼と同義だ」

まだ子どもだった私は、神さまなんていないじゃん、と反駁していたきらい
があったが、今ならその意味を体感できる。一神教の神ではない、その神聖
なものは、誰の中にでもあるということを。強い力で気づかされる。

暗闇で感じた梅の花の香りは、忘れていることを忘れてしまっている、その
現実をよみがえらせてくれる。それがたとえ、ファンタジーであったとしても、
頭の片隅の冷静な部分が稼動している限り、私は強く、信じて生きてゆける。

2004年02月10日(火)



 パリの週末

ルクセンブルクにいる妹ちゃんが、週末、パリに小旅行に出たという。

メイルに添付された画像には、懐かしいルーブル美術館のピラミッド型
ゲートや、「ひとくち食べてめろめろになった」というジャン・ポール・
エヴァンのチョコレートケーキの写真などがコラージュされていた。

黒い帽子をかぶった彼女が、何かを云おうとして振り返った顔。
おそらくは一緒に行った恋人くんか、弟のリョウくんが撮ったものだろう。
親しいひとだけに見せる無邪気な笑顔に、私の肩もふっと力が抜ける。
メイルの文面も、心躍る様子が連綿と綴られていて、「幸福」という二文字が
あちらこちらに散りばめられていた。画像のタイトルは"Weekend in Paris"

去年の今頃は、私もパリにいたなと、懐かしく思い出す。
たった一年なのに、私の周囲はガラリと変化してしまい、ヨーロッパの石畳は、
今の私にとって、遥かなる憧れでしかない。それでも、セーヌ川沿いの道端
で売られていた焼き栗の香ばしい匂いや、サン・ラザーロ駅近くで見た夕焼け
は、身体の細胞がちゃんと記憶しているから、可笑しい。

そもそも「週末」という言葉だけでも甘やかな響きがあるのに、「パリ」なんて
魅惑的な都市が結び付けられたら、もう気がおかしくなっちゃいそうだ。
ついでに「恋人たち」なんて付加したら、もうパーフェクトだ。肩を寄せ合う
恋人たちを、モノトーンのフィルムで撮った写真みたいな、定型文。

憧れもするし、羨みもするけれど、今の私はここが現実。
そして喜ばしいことに、この現実の場で、身体の奥底からエネルギーが
ふつふつと湧き出るようなパワーを感じた、この週末。東京という街と、
冬の温度と、孤独になれたことが、今の私を奮い立たせてくれている。
自分を信じたくなるときは、いつだって、偶然が複雑に重なり合う瞬間だ。



花屋「三匹のねこ」の看板犬。この花屋はパリの花屋によく似ている。

2004年02月08日(日)



 定点観測

夕方の刻、仕事場の大きな窓から外を見ると、空が藤色に染まっていた。
膝掛けをからだに巻き付けてベランダへ出る。煙草一本ぶん吸い終える
間にも、空はどんどん表情を変え、夕闇の気配が端からそっとしのび寄る。

空をいちばん美しく感じるのは、いつも夕方だ。
春には春の、夏には夏の、秋には秋の、そして冬には冬にしか見せない顔。
刻々とその表情が移ろってゆくので、私はいつも眼が離せなくなる。
これはもう、定点観測だ。ベランダで、夕暮れどきの、定点観測。

不意に光を感じ、北東の空をみやる。
紫雲の雲間から、白い満月がのぼってゆくところだった。
空の色がくすんでゆくにつれ、月はますますその白さを増す。

むかしから、夕方の月のような女になりたいと思っていた。
氷砂糖のような昼間の月でもなく、温度のない太陽のような夜の月でもなく。
夕方の月は、意志を持っている。国境線に立つ、俊敏な雌鹿のように。
すばしっこく、狡猾で、透徹した眼を持ち、ただひたすら美しい。

宵闇が空を覆い、夕方の月は、夜の月へと姿を変える。
ただひたすら優しい、夜の月へと。

2004年02月05日(木)



 黄色い封筒の「侵入者」たち

出がけにポストをのぞくと、厚みのある黄色い封筒が入っていた。
最近、黄色い封筒に縁がある。先週は、大ぶりの黄色い封筒を開くと
本が二冊入っていた。歩きながら手袋を外し、そのまま封筒を破る。
今度は、CDが二枚入っている。こちらも、手紙はない。

仕事場に着いてから、すぐにパソコンにセットして再生する。
ざらっとした感触のイントロに続き、のびやかな声にのった言葉が放出された。
思わず手を止めて、耳を澄ます。いや、音に集中しようと意識する以前に、
すでに私の両方の耳は、その正体を掴もうと試みていた。

このCDの送り主であり、この音楽の創り主は、kosechさんという人である。
数日前、ncのカイノショウさんが、興奮したようにメイルをくれた。「突然だけど、
凄いのがいるよ。音源を送りたいので、支障が無ければ送り先を教えて」
もちろん、私はそうした。すると、kosechさん本人からCDが届いたのだ。

CD二枚をたっぷり三度聴く。そして、ふと気づいた。
彼の音楽には、扇情的な要素が巧みにプログラムされているのだ。

まるで、黒い尻尾を持つ動物みたいだ。その尻尾の先っちょを掴もうと
追いかけているうちに、ずぶずぶとのめりこんで行き、いつしか自分も
"trickster(侵入者)"の一味だったことを思い出す。遠い記憶を手繰り
よせられるみたいな感覚。だからだろうか、懐かしく耳に染み込む。

私は新たな「侵入者」に、両手を広げて「ウェルカム」と云った。



カイノショウさん、kosechさん、どうもありがとう。今度はライヴでぜひ。

2004年02月03日(火)



 ハワイの匂い

寝室のベットの足元にある、スピーカーの上には、いつのまにかCDが
タワーのように積み重なっていた。ジェンガという積み木遊びのように、
中ほどに重なった一枚を、注意深く、しかし、無造作に選んで引っこ抜く。
暗がりで再生ボタンを押すと、キース・ジャレットのピアノが流れてきた。

最近、夜になるとうまく眠れない。
どんどん夜は更けてゆくのに、私の頭は覚醒し続ける。

眠ろうと努力しても眠れないとき、きっぱり諦めることにしている。
本を読むこともあるし、お酒を舐めることもあるけれど、最近の私は、
テレビをつけて深夜放送を流している。暗い寝室に、テレビの猥雑な
色が反射するのは、見ていておもしろい。音は消して、かわりにCDを流す。

さっき、二度目のお風呂に入った。
一度目に入ったときに、湯船の栓を抜いてしまったので、もう一度
バスタブにお湯をためた。半透明のプラスティックの容器に入った
乳白色の粉を入れる。恋人にすすめられて買った、無印良品のミルクバス。

お湯に溶かすと、ココナッツの甘い匂いがする。
曰く、朝風呂にこれを入れて、浴室の窓の外に青空が見えたりすると、
まるでハワイの朝のような気分、なのだそうだ。でも残念なことに、
うちの浴室に窓はないし、あったとしても真夜中に青空は望めない。

ちゃぷん、と乳白色のお湯からのぞいた膝小僧を眺める。
ハワイの夜もこんな甘い匂いがしていた。夕方のスコールが過ぎ去って
濡れたアスファルトを散歩していると、夜風にのってやはり甘い匂いがした。
私は眼を閉じて、ハワイの夜を思い出す。オレンジ色の電飾や、遠くから聞こ
える潮騒の音、ワンピースから剥き出しになったサンダル履きの足なんかを。

不意に、眠りが訪れる。私は慌ててハワイの匂いがする浴室を出て、
よい香りをさせたままベットにもぐりこんだ。そんな二月の夜のこと。

2004年02月02日(月)



 台所の隅で、膝を抱えて

「ねーちゃん、おやつ。はい、ヴィタミン入りジュースも」

休日だというのに、ぱりっとしたワイシャツを着て、弟くん(*血縁関係ナシ)
が部屋に入ってきた。コンビニの袋をかしゃかしゃとテーブルに置き、自分は
どすんと茶色い革張りのひとり掛けソファに身体をうずめる。
私は、顔半分を覆った白いマスクの下で「なんだかなぁ」とわらう。

金曜の夜から今朝まで昏々と眠り続けた。久しぶりにひいた風邪は、早めに
対処したおかげで、思ったより悪化はしなかった。今朝から抗生物質は抜いて
薬は三種類だけにしている。それでも、油断するとぶり返しそうなので、
大きなマスクを着用して仕事にきた。実は、ぬけぬけと休んでいる暇など
なかった週末。一日半のロスは痛かった。

どこぞの大学教授とのインタヴューの帰りだという弟くんは、ちょっとしょげて
いた。思いつめたように黙り込んだかと思うと、「はいはい、質問っ!」と
元気に手を上げて、私の仕事を中断させ、鳴らない携帯を取り出しては、
じっと睨み合っている。ははん、恋路に躓いたわけだ、と意地悪を云うと、
恨めしそうに上目遣いに視線をよこした。

「疲れているのなら、さっさと家に帰って休みなさい」とか、
「待ってもダメなら、キミから連絡入れればいいでしょ」とか、
「あのね、何事も諦めが肝心、て言葉知ってる?」など、言葉をかけても
「うーん」というもどかしい返事しか返ってこない。極力省エネを心がけて
仕事に来たので、打っても響かない奴には、手も足も出してやらない。

結局、弟くんは、私が帰るまで大人しくソファに座っていた。
「アーモンドチョコたべる?」とか、「アクエリアスのむ?」とか、彼なりに
気を遣ってくれているようだった。まるで、台所の隅に膝を抱えて動こうと
しない子どもみたいだ、と思う。母親に叱られて、それでも、そこから出て
行こうとしない、小さな子ども。いや、コイツは図体のデカい大人だけれど。

大人だって、心細いときはたくさんあるんだよな、と思ってしまう。
荷物を片付けて帰宅の支度をしていると、「かえっちゃうのー?」と捨てられた
犬みたいな声をあげる。それでも気を取り直して「おだいじに」と声をかけて
くれた弟くん。「かっこいいオトナになりなよー」とマスクの下でもごもご
云うと、「ねーちゃんもな」といっちょ前に返してきた。大きな子ども。

2004年02月01日(日)
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