月のシズク
mamico



 私のコスモポリタン

肝心なことは、メモも取らず、すぐに忘れてしまうのに
どうでも良いことばかり、いろんな場所に書き留めてしまう。

引き出しの中や、本棚をごそごそとやっていたら、ルーズリーフやレシートの裏、
紙の切れっ端に、ペンで走り書きしたものをたくさん見つけた。誰かの電話番号、
カタカナの人名、幾何学模様を幾重にも重ねた図柄(きっと電話の最中に書いた
ものだろう)、本からの引用、あるいは突飛なメッセージなど。

中には、「いいジョークは、何度も云わない方がいい」
とか、「常識とは、18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことをいう」
など、誰の文句かもわからない代物まである。

暇に任せて、それらのメモをノートに並べてみた。
脈絡のない記号たちは、私のコスモポリタンのように奇妙に思える。
実質的な用途のない記号は、後になってみると、そちらの方が、ずっと
重要な意味を含んでいるのかもしれない。私が読み解くのではなく、これは、
私がいなくなった後に、他の誰かに読み解いてもらうべきものなのかもしれない。


2003年12月30日(火)



 絵筆をにぎって・・・年賀状!?

お年玉付き年賀状を買ってしまった。

ここ数年は、いただいた方だけにお返事していたのだが(なんと失礼な!)、
電飾ぴかぴかで、赤と緑に彩られた街角で、はっぴを着た郵便局員の
おじさんが(推定50歳前後)、寒そうに背中を丸めて「年賀状いかがですかー」
なんて細い声を上げておられたら、そりゃ、人情あふれる私ですもの、
立ち止まってしまいますわ(笑)

たったの15枚なのに、深々とお辞儀をされては、買ったこちらが恥ずかしくもあり。
にっこりと極上スマイルで、「ありがとう」とお礼を言うくらいしかできない。
でも、あのおじさん、場違いな処に出された子どものようでちょっと可哀相だった。

さて、まっさらな年賀状を買ったからには、それ相応な絵柄も必要。
うーむ、としばし沈思黙考する。と、ぽんっ、と膝をたたいて、そのまま
帰宅。おもむろに水筆を出し、絵の具を溶かして、さらり、さらーり。

大胆にも、一枚一枚サルらしき動物の絵を描く。
だが、出来上がった絵は、どれもこれもお寺の和尚さんのような横顔。
まったく、自分の絵心のなさに苦笑するしかない。でもね、この和尚ザル、
とても安らかなお顔なのです。頬をぽっと朱に染めちゃったりして。

昨今のカラープリンタの普及で、今じゃどれもこれも美しいんでしょうね。
気がつけばプリントゴッコも廃頽の一途を辿っているようですし。
なので、群を抜いて粗末な年賀状が届いた方々、笑ってやってください。
「なんじゃ、こりゃー」と頭を掻いて下さい。心だけはこもってますので。

2003年12月25日(木)



 飛ばされた風船のように

昼間、ラジオを聴いていたらゲストの松本英子さんのお話に、思わず泣いてしまった。
風船に結ばれた一通のお手紙をめぐる、小さく あたたかなお話。

それは、こんな話だった。
秋田に住む8歳の少女だった英子さんは、本で「風船を飛ばしたら、遠くに
住む誰かとお友達になれる」という話を読んだ。そして、自分も手紙を付けた
風船(驚いたことに、ヘリウムガスではなく、自分で息を吹き込んだ風船)
を、小高い丘から飛ばした。小さな期待を込めて。

「わたしと ともだちに なってね
   8さい Oがた ふたござ ひつじどし
                 まつもと えいこ」

50キロも離れた場所に住んでいたおじいさんが、その手紙を拾った。
風船はしゅわしゅわにしぼんで、手紙は泥だらけだった。それでも、
おじいさんは、おばあさんと相談して、英子さんに手紙を送った。

それからふたりの文通が始まった。何度も取り交わされた手紙や年賀状。
でもある日、おじいさんの手紙は来なくなった。英子さんが中学生に
あがる頃だった。そして、初めておばあさんから手紙が届いた。
それは、おじいさんが亡くなったという悲しい知らせだった。

英子さんは、はじめて人が死ぬという悲しみを知った。
おばあさんは、受験勉強で忙しくなる英子さんを思って、だんだんと手紙を
送る回数が減ってしまった。そして月日が経ち、英子さんは、東京で歌手と
してデビューした。おばあさんは新聞でそれを知り、ファンレターを書いた。

番組では、英子さんが実際におばあさんに会いに秋田へ行った「声のレポ」
が流された。空港に降り立ったときの、きりっとした空気感。おばあさんの
家のあたたかさ。そして、16年前、英子さんが飛ばしたしゅわしゅわの手紙。

英子さんは、ア・カペラでおばあさんに歌をうたってあげる。
澄んだ美しい歌声だった。「おじいさんに、聞こえたかな?」と。

風船が届けた一通の手紙が、知らない誰かの手に渡り、ふたりは知り合う。
知り合う、ということは、誰かの生活に、その人の心の中に入ってゆくこと。
おじいさんは英子さんの生に立会い、英子さんはおじいさんの死に立ち会った。
人が生きてゆくことは、そういう偶然の重なり合いで成り立っているのかもしれない。

・・・遅くなってしまったけれど、私も、大切な人たちへ季節のカードを書き、
私の風船であるところの、赤いポストに投函した。小さな祈りを込めて。

2003年12月23日(火)



 クリスマス・ホリディ

週末と23日の休日が近いせいか、街は幸福そうな人々であふれかえって
いた。クリスマス直前のショッピングをする人たち、イルミネーション
楽しむ人たち、一様に幸福そうなのは、見ていてそう悪くない。

とはいえ、私は人ごみが苦手だ。おそらく、極端なまでに苦手。
だから、用がない限りこの時期は外を出歩かないようにしているのだが、
午後「ほんの一時間だけ」と吉祥寺の街に出て、たちまち人の多さに
おじけづいてしまった。それに、人々から発散される、眼に見えない
幸福パワーが、余計に圧迫感を与える。いえ、ひがみとかでなく。

でも、ちょっとおもしろい光景に遭遇した。

ある通りを曲がると、店の前には子どもたちとその父親が何組か、所在
なさげに立っている。ふと見ると、店内には買い物に熱中する母君たち。
ああ、若いパパたちは、子どもたちのお守りなのね、と、少し気の毒に思う。

「ねぇ、君たち。そんなところに座っていて、つめたくないのかな?」

店の前の縁石にぺたりと座る、小さな兄妹を見下ろして、若いパパが云った。
叱るでもなく、諭すでもなく、まるで大人に話しかけるみたいに、ただそう訊いた。
通り過ぎる瞬間、それまで一文字に結ばれていた私の口許は、きっと微笑んで
いたと思う。その言葉の素直さとやわらかさに、私の心までがほどけてしまった。

週末だけ、にわかパパを演ずる彼らに、若かりし頃の父を重ねる。
子どもに不慣れで、幼い自分の娘にも敬語で話した父は、とても不器用な
ひとだった。それでも、父が話す言葉は、丁寧で子供心にも美しく感じた。

すこし懐かしい気持ちにさせられた、週末のひとこまでした。

2003年12月21日(日)



 ゆず湯

(柚子湯。平仮名で書くと、ゆずゆ。回文ぽくて、ちょっとおもしろい)

「うちの庭にたくさんなったので、使ってください」
後輩の女の子が手渡してくれたのは、葉っぱの付いた大ぶりな柚子だった。
もうすぐ冬至だから、と、風情ある表情を作ってみせてくれる。
ごつごつした果実を手に取ると、ふっとよい香りが鼻腔をかすめた。

気の早い私は、湯船にそれを入れ、ちゃぽんと一緒に入った。
湯でふやけた厚い皮を指で押して、匂いの果汁をしみ出させる。
柑橘系の強い匂いは、湯にとけ、まろやかな香りとなり浴室を満たした。

以前住んでいたところの近くに、銭湯があった。
端午の節句の頃は「菖蒲湯」、冬至には「柚子湯」、それとは別に、月に
一度ほど「アロエ湯」や「みかん湯」、「りんご湯」など特別日が設けられて
いた。残念ながら、私はそのどの日にも行ったことはないが、大きなお風呂
の中に、みかんやりんごが浮いていたら、心愉しいだろうなと思った。

湯船に浮く柚子をつかまえて、ごしごしと肌にこすり付けてみる。
ビタミンCを直接投入、なんてことはムリですが、湯上りの体から
柚子のよい香りが立ち上り、贅沢でくつろいだ気分になりました。

冬至は22日。
カボチャを食べて、ゆず湯に入って、寒い冬を健康にすごしましょうね。

2003年12月19日(金)



 自転車泥棒

考えてみたら、私があの自転車に乗り始めてから、7年くらいになる。
それまで乗っていた白いマウンテンバイクが壊れ、あれを街の商店街で買った。
濃いシルバーで、これといった特徴もなく、どこまでもシンプルな自転車だった。

ひとつきほど前、その自転車が盗まれた。
もう相当ボロボロになっていたし、備え付けの鍵が壊れていたので黄色いチェーン
をしていた。自転車泥棒は、その細いチェーンを、刃物か何かでゴリゴリと切った
のだろう。それは、古さといいい、設備といい、盗まれるには恰好の標的だった。

タイヤを二度交換した。ここ2、3年はよくパンクをして、10回近く修理した。
チェーンも錆びて、ペダルを漕ぐとギシギシと哀しく軋んだし、ライトも
壊れていた。それでも、自転車的仕事はちゃんとこなしてくれていた。
晩年の生活は、しんどそうではあったが、よくやってくれたと思う。

とにかく、ひとつき待っても、警察の盗難課から連絡はなかった。
自転車なんて高いものではないし、消耗品であり代替可能物なんだろう。
それでも、何にでも愛着を持ってしまう私からすれば、やはり淋しい結果だった。

昨日、思いあらため、新しい自転車を買った。
何もかも揃ったぴかぴかの赤い自転車は、驚くほど安かった。
自転車屋の主人は、「今では、どんな品もだいたいこんな値段で手に入りますよ」
と言っていたが、安価なのと持ち主の心情は、必ずしも結びつかない。

今朝、マンションの下で涼しい顔をしながら私を待っていた赤い自転車は、
きれいでちょっと高飛車な少女のようだった。たかが自転車、なんだけれど
私はこの子とうまくやっていけるのか、少しだけ心配だったりする。

2003年12月18日(木)



 オレンジ色のトレンチコート

贅沢なことに眼がない私だけど、所有することは苦手だ。
日々の生活の中で、本当に必要なものは、思いのほか少ない。
大人になり、歳を重ねるにしたがって、そう感じるようになった。

先日、某有名アパレルメーカーのファミリーセールへ行ってきた。
学生時代からの男トモダチが、スーツを買いたいというのでお供したのだ。
会場は、男性衣料品と女性のものとが別会場になっていた。音楽業界に
勤務する友は、それなりに身なりに気を遣う必要性もあり、いつ会っても
きっちりとした服装をしている。そして、スーツを二着、お買い上げ。

友の買い物が終わってから、申し訳程度に女性の会場にも入ってみた。
ゴージャスなファーの付いたコート。めまぐるしい数のセーターやスカート。
ブーツや鞄などの小物もある。けれど、私は何も必要がなかった。美しい
布地の、すべらかな肌触りを楽しむだけで十分。

「むかしは、よく、こんな恰好していたのにね」
私の学生時代を知っている友は、お洒落なスーツを着たマネキンを見てそう云う。
そう。あの頃の私は、今よりぜんぜん大人っぽかった。いつも踵のある靴を
履き、仕立ての良い服をまとっていた。虚勢を張りたかっただけかもしれない。
大人の女に見せかけたかっただけかもしれない。と、今になって思う。
高価なスカーフやジャケットは、あの頃の私には不釣合いだったはずだ。

会場をぐるっと見回すと、鮮やかなイタリアン・オレンジが目に付いた。
細身のトレンチコートは、眼を細めたくなるほど、強く主張していた。
私はそれを手にとって「着てみるだけ」と云い、袖を通す。

鏡をのぞくと、子どもじみた顔が、どこかしら気障に映った。
こういう服は、40か50代になったとき、本当に似合うようになるだろう。
イタリアやパリで見たマダムたちのように、歳を重ね、服に負けない迫力が
ついたときに初めて、洋服と自身が馴染むのだ。そう思うと、年齢の重ね方
も少し楽しみになる。たった、それだけのことなんだけどね。

2003年12月15日(月)



 愉快な夜に

今年の春先に「私もルクセンブルクへ行くかも」と告白され、
戸惑ったのは彼女の方ではなく、確実に、私の方だったと思う。

妹ちゃん(血縁関係はナイ)の恋人くんが、夏から向こう四年間、ルクセンブルク勤務
に決まったとき、そして、彼女もそこへ行くと決意したとき、嬉しかったけれど、なんだか
置いてけぼりをくらうようで、すこし淋しかった。ほんと、しがない姉。

彼女の出発が、いよいよ来週に迫り、私たちは姉妹だけで小さな送別会を開く。
場所は私たちの隠れ家、秘密結社的地下カフェ。若きてんちょさん(店長)
夫婦とも仲が良いので、なんというか、じぶんちの居間のようにくつろげるのだ。

八時過ぎに待ち合わせたカフェに入ると、すでに彼女のソファの隣には、てんちょ
さんが嬉しそうに腰掛けている。あらら、お仕事はどないしたんですか?と、笑い
ながら挨拶を交わす。てんちょさん、先月、新婚旅行でイタリーを縦断してきた
とかで、とにかく嬉しそうに、楽しそうに、旅の報告をしてくれる。

「でねでねっ。ほら、ボクぜんぜん英語とか喋れないじゃん。でもね、ぜーんぶ
 わかっちゃうの。身振り手振りで、日本語オンリーで。なのに、英語も伊語も
 カンペキわかっちゃうの。ンもー、楽しかったぁ」

新しいお客さんが入ってきても、横目でちらりと一瞥をくれて、「でねでねっ」と、
話に興じるてんちょさん、かわいらしくて素敵。でもさ、職務怠慢じゃなーい?(笑)

「あっ、グラス空いちゃったね。次、何にします?ラム?ジン?オーケー、
 ジンね。すっごい珍しいのが入ったの。飲んでみる?ちょっと待ってて」
両手いっぱいにジンの瓶を抱えて、「これはね、これはねっ」と説明してくれる
てんちょさん。オレンジの香りがするジンに、火をつけたオレンジピールを落として
くれる。すごくいい匂いが空中に広がり、私たちもご満悦。

「元気で帰ってきてねー」と、ウィンクを送られ、私たちは冷たい夜の街に出る。
ずっとずっとわらってばかりいたので、ふたりとも、ほっぺたの筋肉がふるふると
震えるくらい筋肉痛。部屋へ戻ってからも、エロ・サンタお衣裳に着替えて、珈琲
を淹れてくれた妹ちゃん。すっごくかわいい。すっごく愛してる(笑)

まゆちん、欧州社交界で正統マナーを学んで、素敵な淑女になってきてね。
ルク滞在記も待ってます。どうかそれ以上、体張って笑いをとらないように。

2003年12月12日(金)



 エル・グレコの描く夜の風景

F.S.フィッツ・ジェラルドの『ザ・グレイト・ギャッツビー』は、巨万の富を誇った
亡きジェイ・ギャッツビー氏を、友人ニックが語り直すという構成の作品である。

と、別にここで文学批評をぶつわけではないが、テキストを読んでいたら、ふと
「エル・グレコ」という文字が飛び込んできたので、そのことについて、すこし。

作品自体は、N.Yを中心とする東部の、「ロスト・ジェネレーション(失われた世代)」
と呼ばれる1920年代の乱痴気騒ぎを描きつつ、ひとつの恋の終わりを描いている。
その時代を語り手ニックが回想し、「僕にとって東部には、歪められたものがある」
と評し、「まるでエル・グレコの描く夜の風景を見るようだ」と言う。

ギリシャのクレタ島出身の宗教画家、エル・グレコが描いた絵。
テキストにタイトルは載っていなかったが、すぐに16世紀末のスペインを描いた
「トレドの風景」を思い出した。私はこの絵を、N.Yのメトロポリタン美術館で見た。

学生時代の夏休みを利用して、私はその夏をマンハッタン島の東にある、
ロングアイランドで過ごしていた。ちょうど、『ザ・グレイト・ギャッツビー』の
舞台になった土地である。そして週末になると、ロングアイランド鉄道に乗って、
N.Yへ遊びに出た。お金がなくて、一日美術館にこもったり、セントラルパークを
散歩したりしていた、あの夏の日々。私はこの「トレドの風景」を見た。

中央階段を上がり、二階の奥まった部屋にひっそりと、それでいて強烈な存在感を
放っていた。身動きが取れなかった。不気味な空が丘を覆い、見る者の視点をも
歪めさせる構図。紺色の雲間から漏れる、光沢のない月光。宗教画家が見た俗世は、
こんなにも陰鬱が蠢いているのかと驚いた。未来が見えない、そう思った。

1920年代を狂乱の時代だと、後の人々は評す。しかし、どの時代であれ、後になって
みれば、そのグロテスクさに目を背ける。イラクへの自衛隊派遣が決まり、我々は
見慣れたはずのグロテスクな光景を、再び眼にするのだろうか。

2003年12月10日(水)



 PMS週間のヒステリー女

どうしてコントロールできないんだろう、と、毎月 思う。
思うんだけど、どうしてもコントロールできず、私は毎月、数日間だけ
ヒステリー女になってしまう。Premenstrual Syndrome(生理前症候群)のせい。

今回は、ばっちり京都旅行と重なってしまった。
(そして今、必死の思いで下腹部鈍痛に耐えている)

天気も気候もまずまずで、静かに紅葉の残りも見ることができた。
旅の道連れさんは、毎シーズン京都に繰り出すほどの京都通で、優秀なガイドを
務めてくれたというのに、私は終始イライライライラ...。 歩みはのろく、反応は愚鈍。
せっかくあれこれ教えてくれるのに、どんどん足手まといになるばかり。
本当に、本当に無礼なことをしたと思う。ごめんなさい。最悪この上なし。

でも、PMSは一般にどういう症状が出るのだろう?(某製薬会社HPより)
---------------------------------------------------------------------
月経の始まる2-14日前に現れる、身体的な不快、精神的な乱れの症状のこと。
身体的には食欲増進または減退、下腹部痛、頭痛、めまい、乳房が張る、肩こり、
便秘、下痢、にきび、疲労感など。精神的にはいらいら、攻撃的になる、涙もろく
なる、憂鬱になる、無気力になる、性欲の高まりまたは低下、集中力の欠如など。
副次的に、物事が面倒になる、他人と口論する、人付き合いが悪くなる、
仕事ができない、などの社会的なマイナス面 も現れてきます。
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女性の方、思い当たる項目はございませんか?
私はバッチリ当てはまります。ほとんど全部。特に「攻撃的になる、口論する」
とか、「涙もろくなる」など、普段は見られない性質が飛び出してきて、自分
でも驚きます。驚くことはできるんだけど、止めることができない。
なんか、情けないですよね。でも、しょうがないんだな、これが(苦笑)

身体を冷やさないようにして、PMSに続く赤週間の痛みに耐えます。
乙女たちよ、旅行は、自分の体内周期と相談して決めましょうね。

 >>「小さき手 つなぎあうかな 濡れ紅葉」(東福寺にて)

2003年12月07日(日)



 遠足前夜のような

新しい場所に訪れることは、馴染んだ日常の外へ出ること。
旅というのは、心身共に非日常へと入ってゆく行為。

子どもの頃、遠足の前の日はなんだか浮き足立ってしまい、ごはんもうまく
食べられず、早くベットに入ってもなかなか寝付けず、余計緊張してしまった。
嬉しいんだけど、もうどうにでもなれっ!という宙ぶらりんな気持ち。

大人になった今でも、(おそらく緊張感漂う)宙ぶらりんさは消えない。
電車や飛行機に乗って見知らぬ土地におもむき、ストレンジャーになった
私は、地図を片手に街を彷徨う。想像もつかない料理を食べたり、お酒をのむ。
こんなにいろんな場所を旅しているというのに、まだ慣れないのだ。

それにしても、と大人になってしまった私は思う。
それにしても、よく旅をするな、と。本当は根っからの出不精で、東京に
住んでいるというのに、都会や人の多い場所は苦手。電車に乗るのも嫌で、
よほどの理由がない限り、愛するワガマチ吉祥寺から出たがらない。

なのに、いざ旅に出ようと決めたら、行動は早い。
さっさとチケットを取り、宿を決め、私は自分の日常を、しばし捨てる決心をする。
戻ってくる場所があるという安心感が、私を旅へと送り出すのかもしれない。

どこへでも行ける身軽さに憧れ、実際、私は身軽に旅へ出てゆく。
でも本当は、子どもの頃とぜんぜん変わらず、前の晩はうまく眠れない。
明朝7時半に東京を出発する。行き先は、冬の京都。なんだか家出みたい。
朝に弱い私が、5時半に起きられるのか、今はそれだけが心配(苦笑)


 >>"Cafe 茶飯事"のnazmeさんからのプレゼント!
ココ+バディ(猫にゃん)のカレンダーとポスカ、直筆お手紙もありがとうございました。


2003年12月04日(木)



 「怒りの理由」について

私は普段から、滅多に人に対して怒りをぶつけるようなことはしない。
もともと鈍感なのか、周囲に無関心なのか、怒りを感じる場面も少ない。
ただ漠然と不快を感じることはあるけれど、よほどの理由がない限り、
それが「怒り」へと姿を変えることはない。

よほどの理由。
それはたとえば、実質的な被害を被ったり、理屈の通らない言動をなすりつけ
られたりする場面。中でも責務放棄して逃げられることに関しては、ひどく怒る。

私の本業というのは、大部分が社会の経済活動の枠組みの外に位置している。
つまり、労働の対価が発生しないことが多い。なので全ては自己管理と責任
の基に営まれる。でもそれでは生活できないので、副業としての労働も兼業
している。私の場合、両者があるからバランス良く生きていられるのだ。

ところで、怒りの理由。
私は本業の仲間とチームを組んで仕事(副業)をしている。
でもその相手が、今週のアタマから突然姿をくらました。
本業の原稿の〆切が過ぎても現れず、仕事の時間帯になっても来ない。
連絡を入れても返答がない。逃げられた、と思った。

今回の原稿に関しては、私たちの懐に原稿料が入ってくるわけではなく、
本になることで業績に追加されるだけのことだ。それは個人の問題に属すので
辞退するのは一向に構わない。早い話、そんなの私の知ったことではない。

問題は(同業者の甘えか何なのか)、連絡もなく今週前半の仕事をすっぽかされた
ことだ。私はふたり分の作業を、ひとり分の報酬でやり抜いた。実質的被害。
そんなわけで、週も半ばというのに、私はひどく疲弊している。
労働そのものより、怒ることで消耗してしまったのだ。やれやれ。

せめて、「ごめんなさい」と「ありがとう」の言葉が欲しい。
それさえもできないような人間に、私はもはや言葉すらかけたくない。

2003年12月03日(水)



 あらっ、んまっ、師走

(と、これを書いているのは12/1未明ですが・・・)

日付が変わったとき、私はまだ仕事場にいた(原稿の〆切は明日!)
喫煙室兼お茶室でぐったりしていたら、同僚の「クリスマス月間だ!」
という声で気がついた。あら、先生も走る12月に突入(苦笑)

落ち着いて日々のことを書きたいし、「休日の風景」の11月分も更新したい。
神戸で撮りだめた画像もまとめてアップしたいのに、余裕ナシ子ちゃんの私。
どうか叱らないでください。ええ、ちゃんとやりますわよ。
誰のためにって、もちろん、アタクシのために(天邪鬼)

そうそう、昨日、E.クラプトンのライブ@武道館に行ってまいりました。
妹ちゃんの台詞を借りれば、あの「ウッヂュノーマィネエェム♪」の
クラプトンさん。座席はアリーナの最後尾ながら、列にシートは二席のみ。
お客さんは、立ち上がり、髪を振り乱したりコブシを振り上げることもなく、
とてもお行儀良く観賞していらっしゃる。こんなライブ初めてですわっ。

いつもは超エンターテナー系のお祭りライブ(それも巨大箱のスタジアム)
ばかり行っていたので、双眼鏡を用意していった私がバカみたいでした。

エリック氏は、観客など気にせず自分のペースで歌う、歌う。
期待したトークなどなく、「どうも、センキュ」と云う程度のもの(変な言葉)。
私が生まれる以前の曲も大半演奏したのに、予習を怠った私は、「なんかさ、
ウィスキーを飲みたくなる雰囲気」だね、と罰当たりなことをのたまう。
恋人さんは眠りそうになるし(笑)。ふたりそろってバチ当たりなこと。

彼が「クラプトンは、ながらオンガク」と称したのには深く同意しました。
飲み「ながら」音楽、読み「ながら」音楽、眠り「ながら」音楽。

2003年12月01日(月)
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