月のシズク
mamico



 ヒルトンホテルに結ばれた黄色いリボン

「外、ホノルルのような朝だよ」と電話で起こされた。
なんと、この時期になって夏日ですって。

勢いよくベランダのガラス戸を引くと、スコールが通過した後のように草木が濡れ、
朝の強い光が雨の跡を乾かし始めていた。南から吹く風が気持ちの良いこと。
ささっと朝ごはんを食べて、ベランダで一服した後、手早く身支度を整えた。
教授の代わりに、アシスタントの私が、朝一の授業を担当することになっている。

本日のテーマは"Symbolic Support"(象徴的な心の支え)。
70年代に流行した"Tony Orland and Dawn"の"Tie A Yellow Ribbon Round
The Old Oak Tree"(二重母音だらけで発音が難しいですね)の曲にまつわる
アメリカの社会文化背景を紹介するというもの。日本では77年に、この歌詞に
物語を付けて「幸福の黄色いハンカチ」(山田洋次監督)という映画ができました。

刑期を終えた男が、バスに揺られ家へ帰るのですが、3年振りですし、奥さんが
まだ僕のことを心から待っていてくれる分からない。だから、刑務所から予め手紙を
出しておいて「僕のことをまだ好きでいてくれるなら、庭の樫の木に黄色いリボン
を結んでおいておくれよ」と賭けに出たわけです。(歌詞より訳出)

家に近づいて、ドキドキしながら庭を見ると、たくさんの黄色いリボンがはためいて
いました。男は無事「ただいま」と家に帰ることができた(めでたし、めでたし)という、
ハッピー・ラブソングでした。それから、黄色いリボンが幸福の象徴となったのです。

その後、1979年にイスラム革命が起き、反米意識の強い学生たちにより、アメリカ
大使館の職員が一年間、人質として取られたときも、アメリカ国民は黄色いリボン
を結んで彼らの安否と帰還を待ちました。そして、1991の湾岸戦争の時、多国籍軍
の勝利を祈り、アメリカ国民は木や郵便受け、車のアンテナ、街灯、ホテルやビル
にまで黄色いリボンを巻いたという流れになります。

お気づきですか?
ハッピー・ラブソングだったはずの「黄色いリボン」の意味がズレっていったこと?
もちろん根底には、家族の帰りを待つ家族愛が流れています。しかし、「黄色いリボン」
がある象徴として意味を背負うことになったとき、政治的なプロパガンダとしての役割を
担うことになったのです。対イスラム社会との軋轢には、長い歴史があるのです。

テクストには、ヒルトンホテルの建物に巻き付かれた黄色いリボンの絵があります。
何に対しても、物質的な巨大さでアピールするアメリカの姿が見られるとともに、
ハワイの青い空に美しく映える、チャーミングなモニュメントにも見えました。

2003年10月29日(水)



 顔をあげて、遠くをみて

「常識」という言葉は、英語で"Common Sense"という。
書いて字の如く、「社会一般に通用する感覚」のことである。

私には、ある分野において、その定義が決定的に抜け落ちている。
なので「普通はこうするんだよ」と教えられたときは、仰天すると同時に
深く深く恥じ入ってしまう。それはもう、奈落の底に落ちてゆくように。

それはきっと「生きる」ということにおいて、近道ばかりを歩いてきたせい
だろう。楽な方へとするすると流れて、手足を汚す労働を避けてきたから。
それが今になって、数々の悲惨な結果を生み出している。

ズバッと核心を突く指摘をされたとき、心臓がパックリ割れて血が流れるほ
ど痛みを感じた。足元がぐらぐら揺れて、ココロがふるふると震えた。
そして、自責の念に駆られた。情けなくてしょうがなかった。

そんなときは、歩き方も そんなカンジになるわけで。(苦笑)
気がつくと、足元ばかり見ていた。足先2メートル以内の視界。

「顔をあげて、遠くをみて」

ジョグ・トレーニングを受けているとき、何度もそう言われる。
苦しいときは、つい、うつむきがちになる。世界がどんどん狭くなり、
息は詰まり苦しくなる。でも、顔をあげた瞬間、世界が広がっている
ことに気づく。空も、木立も、サッカー少年たちも、広場の隅でバーベ
キューをしている家族づれも、みんな視界に入ってくる。

その言葉を思い出し、えいっ、と顔をあげて歩く。
両方の肺に新鮮な空気が入り込み、頬に秋の冷気が触れた。夕暮れの空も。
今からでも遅くない。奈落の底から這い上がったら、もう一度やってみよう。

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■ムサ芸・メンバーへ(私信)
いろんなサプライズがあり、私まで幸福をおすそわけしてもらいました。
結婚おめでとう。それと順番が狂ったキミ!元気なベイビーを生んでね。
黒猫ジジにもおよろしく(以上、三名へ)



2003年10月27日(月)



 音楽マンション

昨日の天気予報では「台風接近中」などと、物々しいニュースだったのに、
目が覚めると、極上の晴天が東京上空を、我が物顔で覆っていた。
してやられたり、と、ベランダを全開にして、秋の空気を呼び入れる。

お客様用の布団を干しつつ、ぐるぐると洗濯機を回していたら、
外からいろんな音楽がミックスされて、流れ込んでくる。

右隣さんはミスチル、左隣さんはアフリカン・ミュージック。
三階さんのどこかからはJ-WAVE、下からはカラオケの音が(苦笑)。
(物好きな大家さんが1階に個人用のカラオケルームを設置している)
私は、というと、休日の朝に最適!(と自負している)ジャズ・ピアノで、
軽快なお目覚めでございます。ワッツ・ア・ビューティフル・デイ!

今日はこれからジョグ・トレーニングです。
たくましいオンナは、筋肉疲労なぞに怯えてはイカンのです。
なんて、明日の朝がちょっぴり不安だったりするのですが。

音楽のある生活って、いいですね。やっぱり。
ということで、(ムリな流れはさておき)[Rhapsody in Blue]をドゾ。


2003年10月26日(日)



 星はまたたく

煙草を吸うためにベランダに出て、驚いてしまった。
東京の夜空にしては、平均値を遥かに超す星の数。夜に旅立つ飛行機が
一斉に私の頭上を通過しているのかと、一瞬、目を疑ったほどである。

きっと、夕立のせいだ。
大気に混ざった塵や埃が洗い流され、風が、空を掃除してくれたのだろう。

先日の山梨の夜空にはかなわないけれど、オリオン座も、冬の大三角形も
はっきりと肉眼で確認できた。驚きと感動に打ちひしがれ、しばらくその場
を動けなくなった。気がつくと、火がついた煙草は、ほとんど灰になっていた。

「星はまたたく」というピアノ曲がある。
フィンランドのパノレムグレンという作曲家が作った、3分ほどの短い曲だ。
高い音域でポロンポロンとメロディを刻むさまが、北欧の冷たく透明な空気
を伝う、星の光のように聴こえる。ちょうど今日のように、風が星の光を
ちらちらと揺らし、絶えずウィンクを送っているような、そんな曲なのである。

たまりかねて、MDに録音されたその曲を、寝室のコンポから流した。
ベランダのガラス戸を空けて、外にピアノの音を流しだす。
どこまでも透明で、静謐なその響きに、つかのまの安堵を感じた。

2003年10月23日(木)



 Intermezzo(幕間劇)

東京は朝から、久しぶりにちゃんとした雨が降っています。

昨晩、仕事帰りの妹ちゃんが、スコーンを焼いて持ってきてくれました。
朝起きたら、私の腕の中で眠っていました(つまり、腕枕してました)。
寒い夜は自然と距離が縮まるようです(セクシャルな可能性は含みません)。
今朝は、スコーンとミルクティで、さながら英国風喫茶時間なり。

ところで、週末のこと。

三年後に向けて一大決心をし、昼間から恋人兼専任トレーナーの指導の元、
トレーニングを始めました。ナイキのウェアなぞ買い込み(形から入るタイプ)、
小雨の中、汗をだらだら流して、芝生の上をジョギング。数日間は、階段の登り
下りはおろか、ゆるい坂道もアップアップ状態の筋肉痛。でも、走ることの爽快感
は、ちょっと癖になりそうです。マゾヒスティックな快感、でしょうか(笑)。

筋肉をほぐすためにお風呂で丹念にマッサージを施し、ベットの中で微睡んでいた
午後9時過ぎ、けたたましく鳴る携帯を取ると「あと5分後で(マンションの)下です。
覚悟してください」と、愉快な仲間たちの声。15分後、私は中央高速をひた走る車の
後部座席に、チェロと共に積み込まれておりました。

人生における、予定外の予定は、興奮と神秘を孕むもの。(ん?)
たった半日でしたが、八ヶ岳の森の中にある音楽ホールでチェロを弾いてきました。
いえ、私はほとんど楽器も弾かず、信じられないくらいの星空を見上げたり、みんな
のアンサンブルやピアノの調べを聴いたり、ペンション付近の森の中を散策して
いただけですが。空気がぴりりと冷えていて、体内細胞が活発化しました。

都会の雑踏が吐き出すノイズが入らない場所で、心静かに物思うのもいいですね。
かなり強引な誘致でしたが、連れ出してくれた仲間に感謝しています。


2003年10月22日(水)



 一日の終わりに、お味噌汁

味噌くさい女や、糠漬けくさい女は好きじゃない。
男たちが憧れるような、心から安堵してしまうような、やわらかな女。
家庭の匂いをぷんぷんさせて、エプロン姿で出迎えるような、そんな女。

私が女だからかもしれない。
だから、女たちの小狡賢いたくらみが、ぷんぷん臭うようで我慢ならない。
違う匂いを持った、同じヒト科のオンナたちに、私は軽い嫌悪と嫉妬を覚える。

それはそれとして、最近、夜にお味噌汁を作る。
具材は、大根と厚揚げだったり、葱とお豆腐だったり、溶き卵だったり。
冷蔵庫の残り物から適当にチョイスして、深夜と言われる時間帯に台所
に立つ。エプロンもせず、はだしのままで、鍋にお湯をわかす。

「味が濃かったら、椀にうつしてからお湯を差せばいいし、
 味が薄かったら、椀にうつしてからお醤油をまわせばいい」

なんとも家庭的な裏技を教えてくれたのは、恋人さんだった。
ヒト科のオトコである彼は、私よりずっと料理がうまい。
彼が手際よく作る豪快な料理は、繊細で豊満な味がする。
うちの小さな台所用に、自前のエプロンや中華鍋まで持ち込んだほどだ。

私は彼のために味噌汁を作らない。
自分で作ってもらった方がずっと美味しいだろうし、満足がいくと思っていた。
それでも時々ねだられて台所に立つ。彼は自分の椀に、お湯かお醤油を回す。
私が自分のために作る味噌汁には、なにも足さず、なにも引かないことにしている。


2003年10月15日(水)



 名古屋、She、雨やどり、ロングボード

10月の、予定がつまった三連休。それと、小さな決意。
この日記は備忘録にもならない、足跡(即席?)メモ。

■週末は名古屋で秋の学会。
 ちょうどF1開催期間と重なり、名古屋市内のホテルはどこも満室。
 午後の長いセッションを終了し、みんなと軽くお茶をしてから別れる。
 隣県の市民病院に勤務している親友の「医者村」へ転がり込む。
 
■「お祝い、お祝い。飲みなー、飲みな。今夜は倒れても大丈夫。
  責任持って診てあげるから」って(笑)。そりゃ病院敷地内だし、
 ドクターはここにいるから安心なんだけど。と、ふたりで赤を空ける。

■しかし、医者って重度の肉体労働者ですね。
 夜中でもファースト・コールで呼び出されるし、常に病院から携帯に
 電話がかかってくるし。どんなに疲れていても、テキパキと指示を出す
 親友に、もちろん惚れ直しました(笑)。あっこ、忙しいのにサンクス。

■みなさん、ヌートリアという生物をご存知ですか?
 知らない方は、ネットで検索へGO!(リンクなんて貼らないので、ご自由に)
 実は私も初めて知りました。日本での生息地域は東海地方。見たい!

■連休最終日は鎌倉へワンデイ・トリップ。
 朝から雲行きが怪しかったのですが、お昼頃に大豪雨に遭遇。
 すぐに近くの食事処へ避難して、窓を伝う、水道のような雨を見てました。
 
■北鎌倉の明月院から御朱印帖を始めました。浄智寺、建長寺のみっつ。
 スマップを始めてから(全国ツアーめぐり)、大宰府天満宮(福岡)、
 伊勢神宮(三重)、厳島神社(広島)など、ちゃんと参拝に行ったのに
 何で早く御朱印帖(全国神社スタンプ・ラリー!)の存在に気がつかな
 かったかな。心も新たに、一から出直しです。

■やはりどうしても海が見たくて、日も暮れかけた材木座へ。
 たっぷり波を楽しんだサーファーたちが、ボードを愛車(車、バイク、自転車)
 にくくりつけ、ウエットスーツを着たまま帰ってゆく姿が素敵でした。

 >> kamakura zaimokuza beach at 18:29

2003年10月13日(月)



 レシートとともに、言葉を受け取る

階段を三階までのぼると、開かれた木のドアから優しい光がもれていた。
古いお宅を訪ねた来客のように「こんにちは」と挨拶をして店の中に入る。
板の間にブーツの踵が響きすぎて、音を立てぬよう、つま先で歩いた。

アサコさんのお店で髪を切ってもらった後に、ここへ来ようと決めていた。
代官山の駅を挟んで、恵比寿方面にアサコさんのお店、アドレス方面に
このカフェがあった。駅から伸びる立体歩道橋を通るとき、夕暮れをみた。

午後6時という時間は、お茶の時間には遅すぎるし、夕食の時間には少々
早いのかもしれない。私のほかに、初老の男性がひとりしかいなかった。
洋梨のタルトと濃い珈琲を注文する。「それと、灰皿を」と言うと、店員の
女の子はふんわり笑って「はい」と良い返事をし、すぐに持ってきてくれた。
ひとの目をまっすぐ見て受け答えする姿が、とても気持ちよく感じられた。

話には聞いていたが、ずいぶんといろんな椅子を集めた店だった。
丁寧に使い古された椅子たちは、見合ったテーブルに寄せられていた。
それに、(蓋の閉まった)赤茶色のアップライト・ピアノがある。

三方が窓で、背後からは電車の音が聞こえた。私は雑多に押し込まれた
本棚から適当に一冊引き抜いて、椅子に座り、開いた。珈琲はお世辞にも
美味しいとは云えなかったが、洋梨のタルトは香ばしく、いい歯ざわりだった。

小一時間ほど本を読み、時折、本棚に積まれた本を物色する。
私が席を立つ頃には、初老の紳士の姿は既になく、新しい客もいなかった。
レジに立ち、「ごちそうさま」と、さきほどの女の子に代金を渡す。

「本とか、お好きなんですか」
お釣とレシートを差し出して、彼女は私に訊いた。
「ずいぶん熱心に本棚をのぞいてらしたから」
目元にかわいらしい笑みをたたえながら、まっすぐ私を見て言った。
「本とか? ええ、好きですね」
ほのかに笑いを含んだ声で、私はこたえた。

玄関に向かう私の背後から、「またいらしてください」と声がする。
階段を降りながら、本棚の中に、以前連載させてもらった薄っぺらい
冊子があるんですよ、と、云うつもりのなかった言葉を、心にしまった。


 >> eau cafe at 18:40

2003年10月10日(金)



 カレー屋の女主人

昨日みんなで近所にできたカレー屋に行ったんですよ、という話を
教授としていたら、「あそこ、私も気に入ってるのよね。清潔で、手ごろで」
なんて、新しいものに敏感な彼女が言った。

「それに比べて、駅へ行く通り沿いを二階にのぼっていくカレー屋。
 無愛想な女主人が・・・」と続いて、驚いてしまった。
その店は私もよく知っている。もちろん店を仕切っている女主人のことも。
無愛想な女主人、という台詞に、私は思わず小さくわらってしまう。

急な階段をのぼった先にある、青や黄色のペンキで塗られた店。
カウンター席だけで、南イタリアのさびれた海岸沿いにあるような店だ。
「いらっしゃいませ」も「こんにちは」の挨拶もなく、カウンターの椅子に座ると、
無言でメニューと水が出される。メニューを読み上げると、女主人は小さく
うなずき、調理にとりかかる。スパイスをたくさん使った、複雑な味のカレー。

いつ行ってもあまり客はおらず、たまに休日に足を運ぶと、ちらちらと
カップルや近所のひとらしき姿をみかける。店が忙しいときには、若い
男のひとがカウンターの中に入って手伝っている。恋人にしては若すぎる
気がするし、息子にしては歳を取りすぎる気もする。顔つきが似ているか
と思えば、そうも見えるし、でも、ぜんぜん他人にも見える。
ふたりの関係は謎めいていて、私には見当がつかない。

さておき、私は一時期、この店によく男のひとを連れていった。
理解のある男ともだちだったり、恋人になりかけの誰かだったり、同僚だったり。
私の顔をちらりとも見ない女主人だけれど、彼女は絶対判っていた、という
確信がある。どの男が友だちで、どの男が恋人かを。そして私自身のことも。

まだ会社勤めをしていた頃、残業に追われ終電間際で帰ってきたときのこと。
駅からの帰り道、ひとりとぼとぼ歩いていたら、夜道で彼女とすれちがった。
きっと店を閉めた後なのだろう。カウンターの中にいる若い男と一緒だった。

「見覚えのある顔だな」と、頭の中のデーターベースを探っている最中に、
彼女と眼が合った。そして、軽く会釈された。にこりともせず。無表情のままで。
はたと、彼女がカレー屋の女主人だという事実を知る。理由もなく嬉しかった。

教授が言うところの「無愛想な女主人」は、私にとって、秘密を共有しあう、
かつ、信頼のおける(心の中の)女ともだちのような存在である。

 << ひとりで行くこともしばしばありますが

2003年10月08日(水)



 がまぐち君

今月から再び家計簿を付け始めた。
再び、と言ったのは、Luka(旧マシン)がクラッシュしてから、Marco(新マシン)
にソフトをインストールしていなかっただけのことだ。余白、四ヶ月(苦笑)

家計簿を付けているからといって、特に財布の紐が固くなったりはしないのだが、
小さな流通経済の動向を把握するのは、ちょっとした安心材料だ。毎月の煙草代
とか、外食費とか、通信費がどれくらい生活費を圧迫しているかを知るだけでも、
他の雑費とのやりくりをシュミレーションするのに役立つ。
数字はそこんとこが明確なので、何かと便利な記号だと思う。

さておき、家計簿の習慣を付けてくれたのは兄だった。
東京に住み始めた最初の二年間、私は先に都民になっていた兄と同居していた。

4月のある日、「今日から家計簿をつけよう」と、彼は一冊のノートを広げた。
ズボラな私と違い、絵に描いたような几帳面さを持つ兄は(尊敬に値する)
毎晩レシートを広げながら、鉛筆でコリコリと家計簿に数字を記入していった。
彼はまた計算を得意とする系統の人間なので、電卓を使わずにパパッと
暗算し、空欄に合計金額を書いた。まるで算数の問題集を解いているかの
ように。楽しそうに、やすやすと。

今の私は、パソコンのソフトに頼りっきりなので、クリックひとつで数字が
はじき出される。その計算が間違っているはずはない、という根拠のない
信頼を置きながら。でもたまに、紙と鉛筆で(兄がしていたように)数字
を組み合わせて暗算をしてみる。数字を出す行為は、ちょとした快感を伴う。
脳味噌の柔軟体操のようで、理数音痴の私でも、わりと好きです。

2003年10月06日(月)



 お買い物、衣替え

朝起きて、ベットの中で、一日の行動目標を立てることがある。
厳しい規制のない生活をしているので、これはわりにいい習慣だと思っている。

そして、今日の目標。
1. 昼間に買い物に出かける
2. 自転車を使わない
3. 新幹線のチケットを取る
4. 夏物を仕舞い、冬物を出す
5. 納品をひとつ済ませる
6. 映画(ビデオ)を一本観る

ということで、10月の太陽が中天高くのぼった頃に、てくてくと買い物へ出た。
自分でも飽きれるのだが、私は根っからの出不精で、ヒッキー体質なのだ。
とにかく、目標を立てたからには速やかに事を済ますべし、とばかりに、
駅のみどりの窓口に並び(秋の旅行客でいっぱいだった)、百貨店の化粧
カウンターとドラッグストアをはしごし、全部終了したところで、自販機の
りんごジュースを買い、カフェのウッドデッキの縁に座って一息つく。

年に二度する衣替えは、わりと好きな作業だ。
同年代の世の女の人と比べると、手持ちの服は少ない方だと思っているが、
それでも、冬物はかさばるものが多い。夏物の薄手の服をぺちゃんこにして
衣装ケースに仕舞うと、クローゼットは重量感のある眺めになっていた。

すべらかなカシミアのセーター、見るからに暖かいウールのニット帽、
かさこそと動くたびに音のするダウンのロングジャケット(伊仏旅行で
大活躍した)。黒、グレー、紺、ベージュ、白の基本色ばかりが並べられた
衣装棚はもうすっかり冬の装いに変身している。うん、達成感(笑)

そうそう、いつも愛用している資生堂の「ザ・スキンケア」シリーズ。
サイトの方でも紹介しましたが、今回は化粧水の他に(店員さんが熱烈
に薦めてくれた)美容液も購入。ナント、今だけの特典付きで、旅行用の
ミニボトルがフル装備されていた(別料金で3000円は下らないと思う)。
ああ、太っ腹なこと。

秋冬の暖房+乾燥襲撃に備えるべく、今のうちにしっかりケアしておこう。
すっぴんで威張れる年齢でもないのですし・・・(しかし、素顔の時も多い)


  

2003年10月04日(土)



 秋ごはん

先日、久しぶりに妹ちゃんがうちに泊まりにきた。どれくらい久しぶりかと言うと
「桜ぶり」である。4月にうちの近所の夜桜を一緒に見に行って以来だった。
なぜか恋人さんがそれを憶えていて、「桜ぶりなんじゃん?」と指摘してくれたのだ。
嗚呼、季節は確実にめぐっている(そしてその間、お互い、いろいろあった)。

仕事が残っていたので、家の鍵を渡して「先に帰っていて」と云うと、
「じゃぁ、秋ごはん作っておきます」なんて、嬉しいじゃない。
そういえば、この間は「春野菜しましょ」と、盛りだくさんの野菜料理を
作って待っていてくれた。彼女は(未婚だが)妻がよく似合う、とおもう。

秋刀魚が食べたい、という私のリクエスト通り、食卓にはしっとり味わい深い
秋の味覚が並んでいた。手を洗ってから、大根下ろしを作る(私がした唯一のシゴト)。
彼女はさっさと手際よく食卓を整え(そして驚いたことに、うちの中をよく把握
している)、冷蔵庫から冷えたビールを出してくれた。私は夫のように目尻を下げる。

「いただきまーす」と、ごくごく喉を鳴らしながら旨そうにビールをのむ彼女を見て、
つくずく気持ちのいい子だなと思う。しっかりしていなさそうで、しっかりしていて、
強くみえなさそうで、強い子。この表現は、恋人さんが彼女をみて云った台詞だ。

「しっかりしている」という基準は、社会と自分との関係性の中で推し量れる。
責任感があるとか、約束を守るとか、几帳面であるとか、他人と気持ちよく生きる
ために必要なルールを、きちんと実行できる能力如何だと思っている。

「強い」というのはやや抽象的な表現だが、個人に帰結する物事すべてに関わる。
心の在処を把握しているとか、二本の足で立っているかとか、孤独と和解できるとか。
自分という(精神を含む)肉体を、つまり、人ひとりぶんの重みをわかっていること。

で、私はどう表現されたかというと、しっかりしてなくて、強い、んだそうだ。
この場合の「しっかり」度とは、「だなしない」度の裏返しで、私のズボラな
性格を見越した判断らしい。冷蔵庫に賞味期限切れのマヨネーズが5本も放置され
ていたり、燃えないゴミの日をいつまでたっても憶えなかったり、(以下省略)。

美味しく焼けた秋刀魚を、お箸できれいに食べている彼女を見て、
今度は、冬の海鮮鍋でもしましょうかね、と心の中で思った。

2003年10月03日(金)
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