月のシズク
mamico



 季節外れの花火

晩ごはんの支度をしていたら、ドーン、ドドーンと大きな音がした。
ベランダに駆け寄ると、たくさんの建物に邪魔されながらも、北の空に、
花火が見える。デジカメを手に戻り、ベランダから身を乗り出して眺める。

そういえば、毎年この時期に花火が上がった。
近所にある高校の後夜祭だと知ったのは、つい数年前のことだ。
そうしている間にも、あちこちからガラス戸を開ける派手な音がして、
「た〜まや〜」なんて陽気な声も飛び交う。ベランダ越しに、隣人さんと
「なかなかいいもんですよね」と、ふふふとテレ笑いしながらご挨拶する。
花火は間隔を置きながら10数発あがり、ぱたりと終わった。

仕事場からの帰り道、キンモクセイの匂いをかいだ。
九月の終わり、空気がピリッと冷えだす頃、約束されたようにこの花が咲く。
小ぶりな白い花に似合わず、官能的な香りを闇にふりまく。
鼻の穴をふくらませて、甘い匂いを吸い込んだ。

(何度も言うようですが)私はこの花の、
そんなしたたかさが結構好きだったりする。




2003年09月28日(日)



 メランコリーの色合い

朝目覚めたとき、私はわさわさした羽毛布団にしっかりくるまっていた。
フローリングの床に触れた足が瞬時に冷やされるのを感じ、季節のうつろいを知る。

お湯をわかしているガス台のそばに立ち、夏は行ってしまったんだ、と実感した。
そのままお湯が沸くまで、赤いやかんのおしりを熱する炎を見ていた。
台所から見えるベランダの空は、メランコリックな灰色をしている。

暦には月日を表す数字が書かれているし、天気予報は気温だの降水確率
だのを毎日教えてくれるけれど、「季節」という曖昧なものに線引きをするとき、
私は自分の肌感覚の方をだんぜん信頼している。そして今日、秋になった。

この秋初めてブーツを履いた。それに、あたたかいカーデガンも。
つい先週まで素足にサンダルを履いていたのに、今週はくるぶしもすっぽり
包み込む、黒くしなやかな革のブーツ。靴下を履くとき、親指のペディキュア
が剥がれているのに気がついた。ちょっとためらったけれど、季節の名残を
ひきずっているようでいたたまれなくなり、除光液で十本ぶんすべて落とした。

未練がましさは嫌いだ。思い出に縛られるのも、鬱陶しく感じてしまう。
過ぎたことはそれとして、すべて記憶の引き出しに仕舞っておけばいい。
ひとつひとつ丁寧にたとう紙に包み、いつでも取り出せるようにして。
もちろん、時折それを取り出して眺めるのも自由だ。でも、女々しい男みたいに、
ずるずる引きずられるのはごめんだ、と思っている(勝手な女です)。

「姉さま、秋の夜の空気だっ」

久々に顔を出した妹ちゃんが、隣で嬉しそうにストールを巻きつけている。
さっきまで変な音程の歌を(大真面目に)歌っていた彼女も、季節の移ろい
に敏感で、自分の肌感覚に正直な女の子だ。そして、ひとつひとつの季節を
ちゃんと楽しむ。それは、生きていく上で、とても喜ばしい素質だと思う。

そうそう、秋の夜空にもオレンジ色の火星がまたたいていますね。


  

*寒くなると分け合いたくなるもの。ココアとか肉まんとか、体温とか (mamigon)

2003年09月23日(火)



 

もうすぐ午前三時になる。

煌々と蛍光灯がついた台所で、繋ぎっぱなしにしていたパソコンを前に、
赤く丸っこいマウスでブラウザの上を何度も何度もクリックする。
リンクからリンクへ、そして、そのリンクからまた次のリンクへと。

どこにもたどり着けないと知っているのに、あてどもなく彷徨ってしまう。
いっそのこと、パチンと、電源を落としてしまえばいい、と分かっているのに。

電源を落としたら、と、パソコンの前の私は想像する。
きっと換気扇の下で、立ったまま、煙草を一本すうだろう。
(今夜はやたらと冷え込んでいるので、ベランダに出る勇気はない)
それから、洗面所で手を洗って、いつものようにきっちり歯を磨こう。
寝室へ移動して、ベットの上で、ちぢこまった腕の筋肉のストレッチ
(今日教えてもらったばかりだ)を、時間をかけてゆっくり行うだろう。

寝室に闇を作ったら、ささやかな祈りをささげよう。
あたたかな布団にくるまって、美しいもの、楽しいことを想像しよう。
今夜こそ、やさしい夢が私の中におりてくるように。

ちょっと未来を想像し、その行為者になるべく、キーボードから指を離す。
この時間の先にいるわたしに、先に「おやすみなさい」を云ってしまおうか。


2003年09月22日(月)



 遠くに、かすかに

夏のシーズンは、白いライトに衣替えしているという東京タワーを、
妹ちゃんは「らしくない」と叱咤する。すこし、傷ついた顔をして。

それでも、空気が澄んだ夜、はるか遠くにマッチ棒ほどのソレを見つけると、
理由もなく励まされた気分になる。なぐさみではない。勇気づけられるのだ。

昼間みるとただの鉄塔なのに、夜みる東京タワーはなぜもこんなに美しい
のだろう。嫌なことがあったときや、心がさざなみ立っているときには、
いつもより頻繁にベランダに出て、その小さな赤い光を探す。

「なんでもいいから、励まして」

理由も原因も、それらに付随する説明も、何もかも抜いて、友にメイルする。
乱暴な要求だと知りつつも、どうしても言葉が必要だった。
飢えていた。渇望していた。たまに私は、自分に手がおえないと思う。
しっかり、きっちりコントロールしているように見えて、実情は、移動式の
舞台装置のようにころころと心が乱れる。揺れやすい体質、なのだろう。

遠くに、かすかに光る東京タワーをじっと見つめながら、返事を待った。
私のすっ頓狂な性格に慣らされた友は、「何を云っても無駄だ」と飽きれ、
眠ってしまったのかもしれない。

どれほど待っただろう。メイルの受信音が、かすかに鳴る。
タイトルはない。おそるおそる携帯を開くと、強い一文。

「人生は続く」

私は携帯を握り締め、くくくっ、と声を殺してわらう。
早く東京タワーが赤い色に衣替えすればいいな、と思った。


 <<これは秋冬ヴァージョン(デフォルト)です


2003年09月18日(木)



 週末レポ(もどき)

まとまったもの(たとえば「休日の風景」なんか)を、きっちり書き上げたい
キモチはあるのですが、思考も筆(キーボードね)も進まず、やはり断念。
ざらざらした感触の雑念に、思い悩まされることもあるのです。
基本的に「ケ・セラ・セラ」な楽天家ではありますが。

■Marco(新Dynabook)のタッチパットが、どうにもこうにも煩わしく
(Lukaのトラックポイントは使いやすいのに)、思い切ってマウスを購入。
 省スペースDT-PC(最近はノートPCをこう呼ぶらしい)を、最小スペースで
 使用するという省エネな私だったのですが、最近のマウスの操作性の高さに
 驚きの連続。いや〜、快適快適♪>いつの時代のヒトですか・・・(汗)

■ところで、うちのマシンはMarco(マルコ)と云うのですが、どうせなら
 この赤くて高性能のマウスちゃんにもぜひ名前を!などと、余計なことを
 考えて「Bitch(ビッチ)なんていかがでしょ」と、ハシタナイひとこと。
 ええ、マルコ→ビッチ、という流れでして(汗)。もうひとつ周辺機器を
 接続させたら「noana(の穴)」なんて、ね。スミマセン、失礼いたしました。

■週末、ワガマチ吉祥寺は秋祭りでした。
 町のあちこちの地区から神輿が担ぎ出され、町のあちこちが通行止めになり
 町のあちこちにビジターが溢れかえっておりました。お囃子の音が風にのって
 聞こえてくると、不思議に嬉しくなりますね。この町の季節行事でございます。

■夕方、縁日に顔を出してみました。
 境内に所狭しと並べられた屋台から、赤みがかった光がもれだし、情緒的。
 せっかくだから、とお宮参りして(チャリン)、ふらふらと屋台を冷やかす。
 妙に威勢のいいおやっさんの「やきそば」屋さんからは、笑い声が沸き立つ。
 「えー、もうこんなに入れちゃう。ほ〜ら、もっと入れちゃう。味はマズイが、
  量だけはどこにも負けねぇよ。ほれ、輪ゴム。カタチだけね(ぱちん)」
 ・・・好きですね。こんな名物オヤジ。



2003年09月16日(火)



 ナスがママ、キュウリがパパ

思い出したように、夏もどきの暑さがぶりかえしてきて、
昼はセミの声、夜は虫たちの合唱に、なんだか励まされているみたい。

私は非常にしばしば、妙に暗示めいた夢をみるのだけれども、
ここのところ毎日そんなものばかり見て、太陽の光で目覚めても、
どろっとした夢の感触から、なかなか抜け出せずにいる。

たとえ私がどんな状態であれ、時間というものは詐欺師のように
すべらかに、巧妙に、つるっと流れてしまうものなので、しょうもない
気持ちを、どっこらしょと背負って、まぁ、成すがまま、成されるがまま。

そう。そういえば、おもしろいことば遊びを教えてもらった。
「成すがまま」と声に出して言ったら、隣から「きゅうりがぱぱ」と続いた。
ナスがママ、キュウリがパパ、とな。

私はこの手の駄洒落に滅法弱く、気に入ったものは忘れないために
いつも使うようにしている。(そして周囲から白い目で見られる)。
たとえば、玄関を空けたら「ただいマンゴー」。それに対して
「おかえりんごろう」とか。「ありがとう」には「どう板橋区」とか。
(いいです。つまらないのは重々承知してますので。無理に笑わないで)

とにかく、私の今の心情は、「なすがまま、きゅうりがぱぱ」なのですから。




9.11の遺族の方に哀悼の意味を込めて。ゴミ箱のkeep から読んでね。

2003年09月12日(金)



 月のしずく

朝のラジオで「月と火星が大接近します」と云っていたのを思い出し、
辺りが暗くなった頃、ベランダから東の空を見上げてみた。

ほぼ満月にふくらんだ月の、七時四十分の方角に、赤く光る点があった。
目視だと、ほんの数センチほどの距離。「アゴの下のほくろみたい」と思った。
歩いて15分ほどの、遅くまで開いているスーパーマーケットに食材を買いに行く。
昼間の熱がわずかに残ったアスファルトを歩いていると、無性に喉が乾いてしまい、
スーパーの手前のマクドナルドで、氷の入ったのみものを買った。

再び外に出た頃には、月が火星をすっぽり隠していた。
通りを隔てた中華屋さんの若い兄ちゃんたちが、白い上っ張りと長靴を履いたまま、
ふたり並んで月の方向を眺めている。その光景がちょっと面白くて、私は、
月と兄さんたちを交互に眺める。彼らは二言三言交わしてから、ひとりは厨房に、
もうひとりは配達のバイクに、それぞれの業務に戻っていった。

買い物から戻り、遅めの食事(肉野菜炒めと杏仁豆腐)を終え、煙草を持って再び
ベランダに出ると、今度は月の四時二十分の方角に、火星が顔を覗かせていた。
あまりに月と近づいているので、その大きな方(月)を主体としての表現が次々
に浮かんでくる。「月のヨダレ」とか、「月のほくろ」とか、「月のハナクソ」とか。
こんなに美しい夜景を前に、出てくるのはどれもが美しくない表現ばかなので
我ながら日本語能力のなさにあきれる(苦笑)

夜中にメイルの着信音で眼がさめる。
「マミゴン。月のしずくみたいだね」

その完璧な表現が、この日記のタイトルだと気が付いたのは、
月も火星も消えた、まっさらな朝になってからだった。

2003年09月09日(火)



 稲妻の下を歩く

昨日の夕方、関東地方に属している人はご存知だと思われるが、帯状の雷雲が
わたしたちの頭上を通過していった。そして、そのひとつが、偶然にも、私の
真上(視覚的には真横)で炸裂したのだ。まったく、爆弾が落ちたのかと思った。

「雲行きがあやしい」という言葉には、全面的に信頼できる何かがある。
低くたれ込めた分厚い灰色の乱雲には、不吉なものの予兆が存分に含まれている。
その先に待ちかまえている、不穏なサムシング。怖れおののくものではなく、
ちょっとした非現実世界を体験させてくれる、束の間の何か、というところか。

何はともあれ、昨日のその頃、私は駅から家路を急いでいた。
空はもう充分すぎるほど、不穏な雲に覆われていたし、遠くの空に稲妻が反射する
姿が確認できた。雷鳴はどんどん近づいてくるし、身体にまとわりつく風には、
明らかに過分な湿気が含まれていた。

ピカッと光る稲妻とゴロゴロうなる雷鳴の時差が、みるみる狭まってゆく。
雷雲が接近してくる現実に肌をふるわせた(私は雷があまり得意ではない)。
ピカッ・・・ゴロゴロゴロ、ピカリ・・ゴトゴトゴト、シャッ・ダダダダッ。
角を曲がり、マンションが見えてきて「ああ、もう少しだ」と、ほっとした瞬間
「バチッ、ダダダダダンンンン」、光と音が同時に炸裂した。

恐怖する、というより、あまりに驚愕し、思わず首をすくめた。
おそらく頭上の電線にでも落ちたのだろう。視界に赤い火の玉が浮かんだ。
ひょえ〜、と声に出し、五体満足に動いていることに、ひとまず安心する。
青いイナズマ(by Smap)は知っているけど、稲妻って赤いのか、などとバカな
ことを考えながら部屋に駆け込む。後は高みの見物とばかりに、ベランダから
東に流れてゆく乱雲と、新宿方面で暴れている雷さまの派手な稲妻を眺めていた。

いよいよ夏が終わるのですね。

2003年09月04日(木)
前説 NEW! INDEX MAIL HOME


My追加