月のシズク
mamico
■
■
■
■
■
■
季節外れの花火
晩ごはんの支度をしていたら、ドーン、ドドーンと大きな音がした。
ベランダに駆け寄ると、たくさんの建物に邪魔されながらも、北の空に、
花火が見える。デジカメを手に戻り、ベランダから身を乗り出して眺める。
そういえば、毎年この時期に花火が上がった。
近所にある高校の後夜祭だと知ったのは、つい数年前のことだ。
そうしている間にも、あちこちからガラス戸を開ける派手な音がして、
「た〜まや〜」なんて陽気な声も飛び交う。ベランダ越しに、隣人さんと
「なかなかいいもんですよね」と、ふふふとテレ笑いしながらご挨拶する。
花火は間隔を置きながら10数発あがり、ぱたりと終わった。
仕事場からの帰り道、キンモクセイの匂いをかいだ。
九月の終わり、空気がピリッと冷えだす頃、約束されたようにこの花が咲く。
小ぶりな白い花に似合わず、官能的な香りを闇にふりまく。
鼻の穴をふくらませて、甘い匂いを吸い込んだ。
(何度も言うようですが)私はこの花の、
そんなしたたかさが結構好きだったりする。
2003年09月28日(日)
■
■
■
■
■
■
メランコリーの色合い
朝目覚めたとき、私はわさわさした羽毛布団にしっかりくるまっていた。
フローリングの床に触れた足が瞬時に冷やされるのを感じ、季節のうつろいを知る。
お湯をわかしているガス台のそばに立ち、夏は行ってしまったんだ、と実感した。
そのままお湯が沸くまで、赤いやかんのおしりを熱する炎を見ていた。
台所から見えるベランダの空は、メランコリックな灰色をしている。
暦には月日を表す数字が書かれているし、天気予報は気温だの降水確率
だのを毎日教えてくれるけれど、「季節」という曖昧なものに線引きをするとき、
私は自分の肌感覚の方をだんぜん信頼している。そして今日、秋になった。
この秋初めてブーツを履いた。それに、あたたかいカーデガンも。
つい先週まで素足にサンダルを履いていたのに、今週はくるぶしもすっぽり
包み込む、黒くしなやかな革のブーツ。靴下を履くとき、親指のペディキュア
が剥がれているのに気がついた。ちょっとためらったけれど、季節の名残を
ひきずっているようでいたたまれなくなり、除光液で十本ぶんすべて落とした。
未練がましさは嫌いだ。思い出に縛られるのも、鬱陶しく感じてしまう。
過ぎたことはそれとして、すべて記憶の引き出しに仕舞っておけばいい。
ひとつひとつ丁寧にたとう紙に包み、いつでも取り出せるようにして。
もちろん、時折それを取り出して眺めるのも自由だ。でも、女々しい男みたいに、
ずるずる引きずられるのはごめんだ、と思っている(勝手な女です)。
「姉さま、秋の夜の空気だっ」
久々に顔を出した妹ちゃんが、隣で嬉しそうにストールを巻きつけている。
さっきまで変な音程の歌を(大真面目に)歌っていた彼女も、季節の移ろい
に敏感で、自分の肌感覚に正直な女の子だ。そして、ひとつひとつの季節を
ちゃんと楽しむ。それは、生きていく上で、とても喜ばしい素質だと思う。
そうそう、秋の夜空にもオレンジ色の火星がまたたいていますね。
*寒くなると分け合いたくなるもの。ココアとか肉まんとか、体温とか (mamigon)
2003年09月23日(火)
■
■
■
■
■
■
夜
もうすぐ午前三時になる。
煌々と蛍光灯がついた台所で、繋ぎっぱなしにしていたパソコンを前に、
赤く丸っこいマウスでブラウザの上を何度も何度もクリックする。
リンクからリンクへ、そして、そのリンクからまた次のリンクへと。
どこにもたどり着けないと知っているのに、あてどもなく彷徨ってしまう。
いっそのこと、パチンと、電源を落としてしまえばいい、と分かっているのに。
電源を落としたら、と、パソコンの前の私は想像する。
きっと換気扇の下で、立ったまま、煙草を一本すうだろう。
(今夜はやたらと冷え込んでいるので、ベランダに出る勇気はない)
それから、洗面所で手を洗って、いつものようにきっちり歯を磨こう。
寝室へ移動して、ベットの上で、ちぢこまった腕の筋肉のストレッチ
(今日教えてもらったばかりだ)を、時間をかけてゆっくり行うだろう。
寝室に闇を作ったら、ささやかな祈りをささげよう。
あたたかな布団にくるまって、美しいもの、楽しいことを想像しよう。
今夜こそ、やさしい夢が私の中におりてくるように。
ちょっと未来を想像し、その行為者になるべく、キーボードから指を離す。
この時間の先にいるわたしに、先に「おやすみなさい」を云ってしまおうか。
2003年09月22日(月)
■
■
■
■
■
■
遠くに、かすかに
夏のシーズンは、白いライトに衣替えしているという東京タワーを、
妹ちゃんは「らしくない」と叱咤する。すこし、傷ついた顔をして。
それでも、空気が澄んだ夜、はるか遠くにマッチ棒ほどのソレを見つけると、
理由もなく励まされた気分になる。なぐさみではない。勇気づけられるのだ。
昼間みるとただの鉄塔なのに、夜みる東京タワーはなぜもこんなに美しい
のだろう。嫌なことがあったときや、心がさざなみ立っているときには、
いつもより頻繁にベランダに出て、その小さな赤い光を探す。
「なんでもいいから、励まして」
理由も原因も、それらに付随する説明も、何もかも抜いて、友にメイルする。
乱暴な要求だと知りつつも、どうしても言葉が必要だった。
飢えていた。渇望していた。たまに私は、自分に手がおえないと思う。
しっかり、きっちりコントロールしているように見えて、実情は、移動式の
舞台装置のようにころころと心が乱れる。揺れやすい体質、なのだろう。
遠くに、かすかに光る東京タワーをじっと見つめながら、返事を待った。
私のすっ頓狂な性格に慣らされた友は、「何を云っても無駄だ」と飽きれ、
眠ってしまったのかもしれない。
どれほど待っただろう。メイルの受信音が、かすかに鳴る。
タイトルはない。おそるおそる携帯を開くと、強い一文。
「人生は続く」
私は携帯を握り締め、くくくっ、と声を殺してわらう。
早く東京タワーが赤い色に衣替えすればいいな、と思った。
<<これは秋冬ヴァージョン(デフォルト)です
2003年09月18日(木)
■
■
■
■
■
■
週末レポ(もどき)
まとまったもの(たとえば「休日の風景」なんか)を、きっちり書き上げたい
キモチはあるのですが、思考も筆(キーボードね)も進まず、やはり断念。
ざらざらした感触の雑念に、思い悩まされることもあるのです。
基本的に「ケ・セラ・セラ」な楽天家ではありますが。
■Marco(新Dynabook)のタッチパットが、どうにもこうにも煩わしく
(Lukaのトラックポイントは使いやすいのに)、思い切って
マウス
を購入。
省スペースDT-PC(最近はノートPCをこう呼ぶらしい)を、最小スペースで
使用するという省エネな私だったのですが、最近のマウスの操作性の高さに
驚きの連続。いや〜、快適快適♪>いつの時代のヒトですか・・・(汗)
■ところで、うちのマシンはMarco(マルコ)と云うのですが、どうせなら
この赤くて高性能のマウスちゃんにもぜひ名前を!などと、余計なことを
考えて「Bitch(ビッチ)なんていかがでしょ」と、ハシタナイひとこと。
ええ、マルコ→ビッチ、という流れでして(汗)。もうひとつ周辺機器を
接続させたら「noana(の穴)」なんて、ね。スミマセン、失礼いたしました。
■週末、ワガマチ吉祥寺は秋祭りでした。
町のあちこちの地区から神輿が担ぎ出され、町のあちこちが通行止めになり
町のあちこちにビジターが溢れかえっておりました。お囃子の音が風にのって
聞こえてくると、不思議に嬉しくなりますね。この町の季節行事でございます。
■夕方、縁日に顔を出してみました。
境内に所狭しと並べられた屋台から、赤みがかった光がもれだし、情緒的。
せっかくだから、とお宮参りして(チャリン)、ふらふらと屋台を冷やかす。
妙に威勢のいいおやっさんの「やきそば」屋さんからは、笑い声が沸き立つ。
「えー、もうこんなに入れちゃう。ほ〜ら、もっと入れちゃう。味はマズイが、
量だけはどこにも負けねぇよ。ほれ、輪ゴム。カタチだけね(ぱちん)」
・・・好きですね。こんな名物オヤジ。
2003年09月16日(火)
■
■
■
■
■
■
ナスがママ、キュウリがパパ
思い出したように、夏もどきの暑さがぶりかえしてきて、
昼はセミの声、夜は虫たちの合唱に、なんだか励まされているみたい。
私は非常にしばしば、妙に暗示めいた夢をみるのだけれども、
ここのところ毎日そんなものばかり見て、太陽の光で目覚めても、
どろっとした夢の感触から、なかなか抜け出せずにいる。
たとえ私がどんな状態であれ、時間というものは詐欺師のように
すべらかに、巧妙に、つるっと流れてしまうものなので、しょうもない
気持ちを、どっこらしょと背負って、まぁ、成すがまま、成されるがまま。
そう。そういえば、おもしろいことば遊びを教えてもらった。
「成すがまま」と声に出して言ったら、隣から「きゅうりがぱぱ」と続いた。
ナスがママ、キュウリがパパ、とな。
私はこの手の駄洒落に滅法弱く、気に入ったものは忘れないために
いつも使うようにしている。(そして周囲から白い目で見られる)。
たとえば、玄関を空けたら「ただいマンゴー」。それに対して
「おかえりんごろう」とか。「ありがとう」には「どう板橋区」とか。
(いいです。つまらないのは重々承知してますので。無理に笑わないで)
とにかく、私の今の心情は、「なすがまま、きゅうりがぱぱ」なのですから。
9.11の遺族の方に哀悼の意味を込めて。ゴミ箱のkeep から読んでね。
2003年09月12日(金)
■
■
■
■
■
■
月のしずく
朝のラジオで「月と火星が大接近します」と云っていたのを思い出し、
辺りが暗くなった頃、ベランダから東の空を見上げてみた。
ほぼ満月にふくらんだ月の、七時四十分の方角に、赤く光る点があった。
目視だと、ほんの数センチほどの距離。「アゴの下のほくろみたい」と思った。
歩いて15分ほどの、遅くまで開いているスーパーマーケットに食材を買いに行く。
昼間の熱がわずかに残ったアスファルトを歩いていると、無性に喉が乾いてしまい、
スーパーの手前のマクドナルドで、氷の入ったのみものを買った。
再び外に出た頃には、月が火星をすっぽり隠していた。
通りを隔てた中華屋さんの若い兄ちゃんたちが、白い上っ張りと長靴を履いたまま、
ふたり並んで月の方向を眺めている。その光景がちょっと面白くて、私は、
月と兄さんたちを交互に眺める。彼らは二言三言交わしてから、ひとりは厨房に、
もうひとりは配達のバイクに、それぞれの業務に戻っていった。
買い物から戻り、遅めの食事(肉野菜炒めと杏仁豆腐)を終え、煙草を持って再び
ベランダに出ると、今度は月の四時二十分の方角に、火星が顔を覗かせていた。
あまりに月と近づいているので、その大きな方(月)を主体としての表現が次々
に浮かんでくる。「月のヨダレ」とか、「月のほくろ」とか、「月のハナクソ」とか。
こんなに美しい夜景を前に、出てくるのはどれもが美しくない表現ばかなので
我ながら日本語能力のなさにあきれる(苦笑)
夜中にメイルの着信音で眼がさめる。
「マミゴン。月のしずくみたいだね」
その完璧な表現が、この日記のタイトルだと気が付いたのは、
月も火星も消えた、まっさらな朝になってからだった。
2003年09月09日(火)
■
■
■
■
■
■
稲妻の下を歩く
昨日の夕方、関東地方に属している人はご存知だと思われるが、帯状の雷雲が
わたしたちの頭上を通過していった。そして、そのひとつが、偶然にも、私の
真上(視覚的には真横)で炸裂したのだ。まったく、爆弾が落ちたのかと思った。
「雲行きがあやしい」という言葉には、全面的に信頼できる何かがある。
低くたれ込めた分厚い灰色の乱雲には、不吉なものの予兆が存分に含まれている。
その先に待ちかまえている、不穏なサムシング。怖れおののくものではなく、
ちょっとした非現実世界を体験させてくれる、束の間の何か、というところか。
何はともあれ、昨日のその頃、私は駅から家路を急いでいた。
空はもう充分すぎるほど、不穏な雲に覆われていたし、遠くの空に稲妻が反射する
姿が確認できた。雷鳴はどんどん近づいてくるし、身体にまとわりつく風には、
明らかに過分な湿気が含まれていた。
ピカッと光る稲妻とゴロゴロうなる雷鳴の時差が、みるみる狭まってゆく。
雷雲が接近してくる現実に肌をふるわせた(私は雷があまり得意ではない)。
ピカッ・・・ゴロゴロゴロ、ピカリ・・ゴトゴトゴト、シャッ・ダダダダッ。
角を曲がり、マンションが見えてきて「ああ、もう少しだ」と、ほっとした瞬間
「バチッ、ダダダダダンンンン」、光と音が同時に炸裂した。
恐怖する、というより、あまりに驚愕し、思わず首をすくめた。
おそらく頭上の電線にでも落ちたのだろう。視界に赤い火の玉が浮かんだ。
ひょえ〜、と声に出し、五体満足に動いていることに、ひとまず安心する。
青いイナズマ(by Smap)は知っているけど、稲妻って赤いのか、などとバカな
ことを考えながら部屋に駆け込む。後は高みの見物とばかりに、ベランダから
東に流れてゆく乱雲と、新宿方面で暴れている雷さまの派手な稲妻を眺めていた。
いよいよ夏が終わるのですね。
2003年09月04日(木)
≪
≫
前説
NEW!
INDEX
MAIL
HOME
My追加