月のシズク
mamico



 あなた好みのチーズケーキ

激しく雨が降る明け方、妙な夢を見た(私はよく妙な夢をみる)。

私は母と駅近くのホテルに泊まっていた。
無性にケーキが食べたくなって、財布だけ掴んで街へ出た。
街路に備え付けられた背の高いアナログ時計の針は(時計は、白い文字盤に
アラビア数字が記されていた)午後九時過ぎを指していた。偶然出会ったトモダチ
に「この時間に開いているケーキ屋さんはない?」と尋ねる。彼女たちは、
「駅ビルにならあるよ」と教えてくれた。私は駅の方へと駆けていった。

駅ビルの店は既に殆どがシャッターを下ろしていた。
地上二階、地下一階建てのその駅ビルを、急ぎ足でケーキ屋を求めて彷徨う。
二階の改札へと続く催事場へ近づくと、床にたくさんの毛糸のようなものが
ばら撒かれているのに気が付いた。くすんだ色めの、寸断された毛糸だった。

その上を通り過ぎようとしたとき、右外腿に鋭い痛みが矢継ぎ早に走った。
何?なんなの?ぎょっとして立ち止まると、床の毛糸がもくもくと立ち上がり
ごわごわとした犬や猫のような形状に変化した。その妙な生きものたちが、
私の両足にまとわりつく。すると、彼らが私の足に触れるたびに、ビリッと
電気のような痛みが走った。指でそれに触れようとすると、またビリリッ。

店員のようなおじさん(まるでダフ屋の服装だった)が、私の側に寄ってくる。
「その動物たちはね、静電気に反応するの。おねえちゃんのそのセーターだよ」
見ると、私はブルージーンズに金糸混じりのセーターを着ていた。
その間にも、私の両足にはビリビリと静電気の痛みが走る。

急いでその空間を離れると、犬のような、猫のような毛糸の動物たちは、
ちれじれの毛糸に戻り、床は毛糸がばら撒かれた元の状態に戻っていた。
痛む足をさすりながら、一階へ下りる。コーナーには水色の店があり、
電気も半分落ちていた。店長のような男がテーブルの上で売上金を数えている。

私はおそるおそるショーケースを覗いた。
そこはチーズケーキ屋で、硝子のケースには売れ残ったケーキがあった。
白い紙に書かれた商品名をひとつひとつ読んでゆく。その瞬間、これだ!と思った。

「あなた好みのチーズケーキ」

それは巾着形の薄い卵色をしたケーキだった。私は勝手にその断面図を想像する。
下層部がしっとりとしたチーズケーキで、巾着が絞ってある部分に生クリーム
とベリー系のソースが混じっている。ぜったいそうだ。そうに違いない、と確信する。

私はレジに急ぎ、「あなた好みのチーズケーキをください」と水色の制服を着た
若い店員に云う。わくわくしながら水色のケーキ箱を受け取ったとき、眼がさめた。
ベットの上の私の手元には、もちろん、チーズケーキが入った箱などない。
私は、とてもとても、それは言葉に表せないくらいに落胆した。

静電気に反応する毛糸の動物たちと、チーズケーキの因果関係はもちろん不明だが、
痛みに耐えた後のご褒美とするなら、「あなた好みのチーズケーキ」なんて最高
なのに、と、いつまでもベットの上で悔しがってしまった。だって、好物ですもの。


2003年08月27日(水)



 Happy Lucky News!

嬉しいニュースが飛び込んできた。
大学時代の女ともだちが入籍して、その上おなかの中にはベイビーがいるという。
経過報告を箇条書きにしたメイルを読んで、まったく、と思い、よかった、と思う。

彼女、みゆきという、は大学時代の語学のクラスで、唯一の女ともだちだった。
ベルギーからの帰国子女で、ひとつ年上だった彼女は、頭が良くて、堪能で、
身軽で奔放で、プレイガールだったけれど、とても心の優しい女性だった。
長い休みになるとすぐにフランスやらオーストラリアに飛んでゆき、休み明け
に大学で顔をあわせると、旅先でのめくるめくアヴァンチュールを話してくれた。

私は、そんな彼女に何度もすくわれた。
グループで群れる女の子たちに馴染めず、気がつくと次第に孤立してゆく
私の傍に、なにげないそぶりでいてくれた。アナタのことなんてこれっぽっちも
気にしてないのよ、といった雰囲気で、愉快な話と高らかな笑い声を響かせて、
彼女は私の傍にいてくれた。そんな彼女を、まるで野生の鹿のようだ、と思った。

大学を卒業してからも、私たちは年に何度か顔を合わせた。
有能な彼女はすぐにバリバリのキャリア組になり、忙しい日々を送っていた。
「結婚ン?そんなの興味ないない」とか、「アタシ、子供って苦手なのよね」
なんて云っていた彼女も、今ではそのどちらも手に入れてしまった。
やれやれ、と思い、おめでとう、と思う。心から、そう思う。

「・・・ってなわけで、どうやら私のほうが結婚も出産も先を越したようね。
 しかし妊娠っつーのは本当に大変。仕事の50倍は大変よ」

長々しい箇条書きの近況報告は、こんな具合に締められていた。
いっしょにPTAができないのは残念だけれど、2月に子供が生まれたら
すぐに会いに行こうと思う。そして、女の子だったら「ママみたいに
いいオンナになりなさいよ」と云い、男の子だったら「ママみたいな
いいオンナをつかまえなさいよ」と云うつもりである。

2003年08月26日(火)



 体内総入れ替え終了

今週はじめから赤週間が始まり、猛烈に体調が悪かった。
さすがに4日目ともなると、普段通りの生活が営めるようになってきたが、
ここ数日間の私は、ヒトとしてまるで役に立たない状態だった。コンスタント
に鎮痛剤を投与しているので始終眠たく、動作も知覚能力も鈍くなっていた。

女性であるこの宿命の辛さを、男子諸君に言葉を尽くして説明してみたところで、
「んー、わからん」と云われるのがオチである。なので、そのテの話題に興味
がない男性は、読み飛ばしてください(でも知っておいて損はないよん)。

多少の前後はあれ、女性は28日周期で生まれ変わる、と思っている。
思っている、というより、感じている、という表現の方が正しいかもしれない。
まずは、PMSで悩まされ(PMS時の女性には要注意!とかく思いつめ、思考は
マイナスにのみ働く)生理が始まったら、今度は身体に直接的な痛みが次々
と襲う。下腹部(子宮)が内側からよじられるような痛み、臀部に鉛を垂ら
されたような重だるさ。全身をくまなく覆う倦怠感に、訳のわからぬ頭痛などなど。

しかし、3日目を過ぎた頃から、とたんに身体が軽くなる。
ある朝を境に、全身にねっとりと張り付いていた倦怠感が、霧が晴れたように
パッと消えてしまうのだ。気分までもが晴れ晴れとして、思考もよく回転する。
「さっきまでの私は何だったの?」といぶかしく感じるほどである。
まるで一晩にして、体内の血液も細胞も、すべて入れ替えられたようなのだ。
(ね? 男子諸君、ぜんっぜんわからないでしょ?)

夜、それを確かめるべく、プールへ行ってきた。
約1ヶ月ぶりのプールで、肢体を水の中にくゆらせ、弾ませ、自在に動かす。
何と身軽なことよ。私の身体は25メートルプールを何度もターンした。
ざぶりと水からあがり、ぽっぽとほてった体をタオルで拭きながら、
「女ってやっぱり生まれ変わるんだわ」と実感したのでした。

2003年08月21日(木)



 お盆をすぎると

夕方、よく冷房の効いたコンビニから出たとき、なまあたたかい風にお線香
の匂いがかすかに混じっていた。その匂いを確かめようと、鼻腔を膨らませ
てみたが、もうそこに香りの所在は消えていた。空を仰ぐと、勢いの弱まった
夏の空に、日が暮れてゆくところだった。

お盆をすぎると、とたんに夏が気配をうすめる。
殊に今年は、雨ばかりで肌寒く、華奢なサンダルも、露出の多い夏服も
あまり登場することはなかった。日焼け止めさえも、まだたっぷり残った
ままである。暑ければ「暑い」と文句を言うくせに、夏という季節の使命感
を放棄したような中途半端さは、余計に苛立たしく感ぜられた。
異常気象などと云う、大義名分を持った言い訳は、この際さしおいて。

子どもたちは、どうしているのだろう?と、してもしょうがない心配を抱き、
向かいの兄弟(小学校高学年くらいの男の子たち)をベランダから観察した。
背丈が同じくらいの彼らは、どっちがお兄さんだか弟だか、はたまた双子
なのかは判らないが、よく一緒に遊んでいる。マンションと彼らの家を挟む
一方通行の細い道路でキャッチボールをしたり、ふたり揃ってどこかへ出か
けていったりする彼らの姿を、私はしばしば目撃していた。

お昼近くに、珈琲カップを片手にぼんやりベランダで煙草をのんでいると、
彼らが何処からか帰ってきた。ふたりともよく日に焼けて、半ズボンを
履いていた。兄とおぼしき方が、お勝手口の上に点きっぱなしになっていた
夜灯をパチンと消して、「ただいまー」と家の中に入っていく。
弟(とおぼしき方が)、兄の後に続き「腹へったー」と叫んでいる。

夏の子供らしい彼らを見て、よしよし、と思った。
学校からも、宿題からも逃れて、退屈そうに遊んでいる彼らの夏やすみを、
よしよしと思う。どこか身をもてあまし気味で、とことん退屈しつくしていた、
あの頃の私と彼らは、さして変わらないように見えた。そして、お盆を過ぎた
頃に突然襲ってくる、学校へ戻らなければならない小さな喜びと、長いお休み
が終わってしまう焦燥感に、何度も愕然としたことを覚えている。
彼らも身体のどこかで、そう感じているのだろうか?


2003年08月20日(水)



 残り香

夕方、妹ちゃんが顔を出した。
8月に入ってから、研究棟は人もまばらで、どこもかしこも閑散としている。
パタパタと忙しそうに雑事を片付けてから、それとなくベランダに誘われた。

「空にふわりとシャーベットみたいな半月。美味しそう」

この子は本当にいい表現をする、と思いながら空を仰ぐ。
闇が降りてくる、一瞬前の青い世界を、ふたりで見渡す。
昼間の熱を含んだ、生ぬるい空気までもが、青に染まっているようだった。

他愛もない近況を交換し合い、「お先に」とドアから消えていった。
部屋の中には、エルメスだかシャネルだかの、彼女の香水の匂いだけが残っていた。

毎年、8月6日は、約束されたように、よく晴れる。
今朝テレビで見たヒロシマの映像も、突き抜けるほどの青空だった。
そして今年も、午前8時15分に、世界の人々と共に一分間の黙祷を捧げた。

2003年08月06日(水)



 じゅげむ、じゅげむ

BBSの方で、NHK教育の「にほんごであそぼう」の話題がやたらとホットになって
いたので、試しに今朝(午前8時)、テレビの前にスタンバってみた。
えーと、正直なところ、ド肝をヌかれて、テレビの前で固まってしまった。

10分間の短い番組(これは番組の対象が子供なので、短いコマなのだろう)の中
では、呪文のようなフレーズ(落語の一*)が、いろんなヴァリエーションで、
延々とリピートされてゆく。ちんまりと座った3歳児や7歳児の前にカメラが
固定され、ただフレーズを暗唱するだけのもの。女子高生たちが自転車に乗り、
横浜の至る場所で歌うように輪唱するもの。ゴスペル調にメロディを付けたもの。

・・・ザッツ オールである。

これには参った。なんとシュールな番組なんだ、とアタマを抱えた。
だって、展示品のような笑顔をまとった女子高生たちが、色ちがいの自転車に
乗って「じゅーげむ、じゅげむ・・・」と唱う(?)んですよ。異様である。
オレンジ鬼の妙な着ぐるみを着たKONISHIKIまで「じゅげむ、じゅげむ」なのだ。

しかし、この番組のテーマ「日本語で遊ぼう」には適っていると思った。
練習用テロップ(というのか?)が表示され、一度目はお手本で暗唱され、二度目
はテレビの前の私たちが練習できる仕組みになっている。そして、小太鼓の音が
読まれる文字のペースに合わせて鳴る。この音だけを拾ったとき、日本語本来の
リズムの躍動感と美しさに、はっとさせられた。頓知が効いたコミカルな節によく合う。
ははん、子どもたちも、大人たちも、これに惹かれたのか、と気が付いた。

他にもどんなヴァリエーションがあるのだろう、と考え始めた私は、もうすでに、
この番組に仕掛けられた罠に、すっかりはまってしまったのであった。

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じゅげむ【寿限無】*
生れた男の子に檀那寺の住職から
「寿限無寿限無、五劫のすり切れ(ず)、海砂利水魚の水行末、雲行末、風来末、
食う寝る所に住む所、やぶら小路ぶら小路(藪柑子とも)、パイポパイポ、パイポの
シューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーの
ポンポコナの長久命の長助」
という長い名をつけてもらい、何かのたびにそれを繰り返すおかしみが狙いの前座ばなし。

『広辞苑』より

2003年08月01日(金)
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