月のシズク
mamico



 雷が鳴る前に

思えば、空ばかり見ていた。

と、やおら認識したのは、南から北へと吹き払われてゆく雨雲を眺めていたときだ。
梅雨明け宣言が延ばし延ばしになってしまった東京上空には、夕暮の刻にもまだ
灰色がかった薄雲が空を覆っていた。かなり強い風が吹いているのだろう。
沈みかけ太陽の光を浴びながら、雲は次々と形状を変えて流れてゆく。

雷はまだだろうか、と思い、そして去年のあの日のことを思い出した。

気象庁が東京上空に雷雨警報を出した、夏の終わりのある夕方。
いかにも暗雲立ちこめる空を、ベランダに出てみんなで見上げながら、
それでも、これから始まる非日常的自然現象を心待ちにしていた。

「電車が止まると帰れないから」と、仲間たちはそわそわと、でもこのイヴェントを
皆で見届けることができない心残りな表情をして、次々と研究室を後にしていった。
気象庁のサイトを覗いて、積乱雲の位置やら気象速報をチェックしては、「今、
どこそこの地区が豪雨らしいよ」と、不謹慎にも声が小躍りしていた、あの日の夕方。

「雨が来ないうちに帰りまーす」という妹ちゃんの声に振り返ると、さっきまで
履いていた華奢なサンダルはスニーカーに履き替えられ、小ぶりなバックの代わり
に、机の下に放置されていたバックパックという出で立ちで、傘を手に立っていた。
「どうしたの、その恰好?」と訊くと、「だって、今から雨ですもの。立ち向かわねば」
と、勇ましいふりをしてみせてくれた。可愛い子だ、と思ったことを憶えている。

気が付けば、研究棟には誰も残っておらず、窓の外には、はるか遠くに閃光が
雲に反射していた。ほどなくして、バケツをひっくり返したような雨が空から落ちて
きて、ガラス窓を振るわすほどの雷鳴が、間髪入れず轟いていた。
私は、ただただ呆気に取られて、ぽつねんと、その光景を眺めていたっけ。

今年は、雷が鳴る前に、私もどこかへ帰ってゆきたい。

2003年07月29日(火)



 Silent Night

夜が闇にとけてゆくのをみるのが好きだ。

研究棟に人の気配はなく(ただし、愛すべき後輩のコザルくんは、パソコンルーム
で天下泰平のいびきをかいて眠っている)、誰かがひねり忘れた水道の蛇口から、
水がしたたり落ちる音が、廊下に、小さく、しかしはっきりと響いている。

さっきまでベランダに出ていた。
家々の窓から漏れ出す光や、遠くのビルの光が闇を際立たせている。
たっぷりと湿気を含んだ空気に、音という音がすべて吸い込まれてしまった夜。
そんな、とても静かな夜の中に立って、私は一日を締めくくる儀式のように
煙草に火をつけた。青白い煙が、ゆるい弧を描く。

午後はずっと、教授から頼まれた急ぎの仕事をしていた。
膨大な書籍とネットの網の目から、必要な情報を汲み取る作業。
まるで、ネズミの針の穴に鯨の髭を通すような、ちぐはぐで救いのない作業。

夜、先週結婚したのり(彼女は現在、札幌で妻をしている)から電話があった。
私がまだ仕事中だと云うと、「たいへんなのね」と、しみじみとした口調で
ねぎらってくれた。「どうしたの?こっちが恋しくなった?」とふざけて訊く。

「そんなんじゃなくて。さっきね、嫌な夢をみたの。まみことケンカした夢。
 なんか気になって電話しちゃった」

私は「だいじょうぶ。怒ってないから」と、彼女を安心させる。
仲の良い彼女とケンカする理由など見つからないけれど、彼女の夢の責任は
私にもあるような気がした。嫌な夢を見させてしまった、何らかの責任が。
「また連絡する」と云うと、ほっとしたように回線を切った。

静かな夜は、必要以上に内省的にさせられる。
けれど、そのぶん、世界にすこし優しくなれる気がする。

2003年07月24日(木)



 夏月間開始にあたって

突然の雨に降られて駆け込んだデパートで、水着を買った。
華やかで、カラフルで、装飾の多い、夏の風物詩的なソレではなく、
機能的で、シックで、美しい、流線型のソレ、つまり競泳用のものだ。

広い水着売り場の片隅に、申し訳程度に備え付けられたスポーツ水着の
コーナーは、それでも、品揃えだけは十分すぎるほどにあった。
付属のショートパンツも、パレオも、分厚い胸のパットもない、
スマートな競泳用水着のフォルムを、私は昔からとても気に入っている。

子どもの頃から泳ぐことが好きだった。
プールに行き水に身体を沈めると、意識せずとも、壁を蹴ってしまう。
両の腕で交互に前の水を掻き、大腿から足を動かし、前に進む。
とても自然な流れとして。

「今年の夏は、規則正しく、美しく」

なんて、大胆かつ大真面目な目標を立ててしまったからには、きっかけが
必要だった。物事にカタチから入るのは、実は嫌いではない。もちろん、
脅迫にならない程度のカタチなのだが。それが、競泳用の水着であっても
誰も文句は言わないだろう。背中がくり貫かれたその水着は、きっと、
泳いだときに、すべやかに水を切り裂いてくれるだろう。まぁ、希望的に。

真新しい水着を手に、なんだか小学生の一日刻み、あるいは一週間刻みの
「夏休みの計画」を立てているようで、少々気恥ずかしくもあるのだが。

2003年07月21日(月)



 ありがとう

7月は、まぁお誕生日月でもあるのですが、好きな時期のひとつです。
七夕があるし、じめりじめりとした梅雨から脱出する瞬間があるし、
心浮き立つ夏休みの始まりがこの月だし、海の日という響きも好きだし。

ということで、水曜日はお誕生日でした(笑)
もうこれが、例年になく愉快で、私は朝からずっと笑いっぱなし。

朝は、親友の女医さんからの小包(彼女とは12年以上お祝い品を送り合っている)
で起こされ、一日がスタート。研究室の仲間たちは、まったく以て非実用的な
ガラクタグッズを、袋の中から次々と取り出してくれた。ベトナム風麦わら帽子
(今、チェロがかぶっています)、ガーデニングの柵(うちに庭はない)、
男性用の白ブリーフ(??)、名前の違う印鑑(名字縮小型)、巨大電球
(「いつも明るくいられるように」ですって)、ラスカルの絵皿(実は好き)、
そして何故か婚姻届けと離婚届のセット!(使う予定は今のところナイ/笑)
でもね、市役所へもらいに行ったコザルくんの勇気に拍手しちゃいました。

妹ちゃんは、ハワイから戻ってきたその足で寄ってくれて、花束を「はいっ」と
手渡してくれた。外国煙草、葉巻、チョコレート、ステキなメッセージカード。
ドイツ人留学生のクリストフくんからは、展示会の写真にサイン付きで。
その他、もろもろ、たくさんの人たちからのプレゼントに笑顔がたえなかった。

廊下ですれ違うひとは、みんな一様に「おめでとう」と声をかけてくれるし、
友人たちからも次々と祝福メイルが届く。本当に嬉しくて、感謝のキモチいっぱいで、
「愛されてるなー」、と終始笑顔の一日を送ることができました。

みなさま、本当に、本当にどうもありがとう。
なんかね、今更ながら、この世に生まれ落ちたことに感謝してます。
Thank you very much, PaPa & Mama!

2003年07月18日(金)



 音がなくても、聞こえるもの

ホテルのロビーの喫煙所に設置されたソファには、先客が座っていた。
女性が三人と男性がひとり。ロゴTシャツを着た女性がいたから、彼らも
先ほどのライブの観客だったのだろう。ソファにぐったり身を沈めている。

座る場所を占拠されていたので、私は立ったまま煙草を箱から取り出し、
火をつけた。フロントでは、ライブの興奮を纏った女性客がはしゃいだ声を
あげながら自動ドアを通り、鍵を受け取ってエレベーターホールへと消えてゆく。
外は雨で、コンクリートに雨粒が激しく叩きつけられていた。

ガラスに青白い煙が映り、それとなく視線を動かすと、Tシャツの女性の手が動いた。
その動きに応ずるかのように、男性の手も動く。ほかのふたりの女性が笑顔を
作った。ああ、手で喋っているのか、と私は彼らの優雅でキレのよい会話を
盗み見る。もちろん、内容まではわからないけれど。

女性のひとりが煙草に火をつけたので、私は、贔屓のメンバーの缶バッチを付けた
彼女の鞄をこつこつと叩いた。笑顔を纏ったままの彼女の視線が、私を見上げる。

「いい写真ですね。彼のファンなんですか?」
サムアップ・ジェスチャーをまじえ、なるだけゆっくり口を動かして彼女に話しかけた。
彼女が嬉しそうに笑い、頷く。そして「あなたは?」と私に人差し指を向ける。
「わたしも」私は自分の胸を親指で叩き、もう一度サムアップを作る。

「彼のどこが好き?」と訊くと、小さく躍ってみせてくれた。
ああ、ダンスね。アナタは?と、向こう側の女性に訊く。
「ツヨシ」「優しいとこ」彼女の手がそう喋り、音声の不確かな音がこぼれる。
そうか、そうだよね、優しいよね。私は、うんうんと頷く。

そうやって、私たちは音のない会話を、ゆっくりと交わす。
「おやすみ」と彼女たちが立ち上がり、喋っていた手のひらを私に差し出す。
喋れない私の手を彼女たちの上に重ねる。きっと彼女たちの目には、さまざまな
音が見えたのだろう。そう思うと、なんだか心が温まっていくのを感じた。

気が付くと、騒々しい女性客はみな客室へ引き上げてしまっていた。
ロビーには雨の音と、私たちが交わした会話の余韻だけが響いていた。
そんな、博多での、ある雨の夜の小話。

2003年07月15日(火)



 傷んだ桃のような

夜の便でご家族とハワイ旅行へ行く妹ちゃんが、午後に顔を出した。
「はいっ、これおみやげ。いい匂いがしてたから」
勢いよく手渡されたビニル袋には、熟れた桃がよっつ入っていた。

これから旅に出るのに、おみやげだなんて可笑しいと思いながらも
私はずっしりと重みのある袋を受け取る。妹ちゃんは夏らしいスカートを履いて、
ベージュのやわらかな帽子をかぶり、薄茶のサングラスをかけていた。
「いってらっしゃい」のハグを二回、それに髪にキスをしてあげる。
足取りも軽く、彼女はドアの外へ消えてゆき、部屋には桃のよい匂いが残った。

おやつがわりに、廊下に設置された洗面所で桃を洗い、その場で皮を剥く。
きっと彼女は、袋をぶんぶん振りながらここまできたのだろう。あちこちが
傷み、表面がぐにゅっと茶色く波打っていた。私はかまわず、立ったまま
べろりと皮を剥ぎ、白い果実があらわれたさきから、歯を立ててかぶりつく。
甘いしずくが指からこぼれ、手の甲をたどり、肘先へと流れていった。

薄いスカートから突き出た膝小僧が目に入り、私は思わず苦笑する。
傷んだ桃と同じ色をした、私の膝小僧。それにフリスビーのときに付けた青あざも。

「おねぇちゃん、いくつになるんだよ、まったく」
昨日、雨に濡れたタイルの上を駆けて、すっ転び、反射的に着いた右膝には、
予想以上に大きな赤痣が出来ていた。写真展のパネルを手にしたまま、コザル*
と、年甲斐もなく追い駆けっこしていたのだ。先を走っていた彼が振り向き、
しょーがないなという顔で手をかしてくれた。私は、「幾つになっても、
走り出したくなるときがあるのよ」と云おうとして、代わりに笑ってみた。

腐る寸前の果実は、ほとんど官能的と云ってよいほど、甘美な匂いを放つ。
私は赤く腫れた膝小僧を見ながら、「まだまだっ」と声に出して言っていた。

---
*【コザル】隣室の後輩くん。私の良き遊び相手。せめてヒトになってくれ。

2003年07月11日(金)



 梅雨とはいえ・・・夏の記憶

ひがな一日よく降る雨に、半分あきれ、半分感心してしまう。
今年はざぶざぶと、やぶれかぶれに降る雨よりも、
ミスト状の細かい霧のような雨ばかりが多い気がする。

傘をさすべきか、ささぬべきか、ちょっと悩んでしまうような雨なのだ。
そして、私はいつも後者を選ぶ。これくらいの雨ならば、不自由に傘を
広げるよりも、霧雨の中を濡れて歩く方が気持ちがよい。
上等の服や靴を纏っているわけでもないことだし。

気晴らしに、夏の予定を手帳に書き込んでみた。
「ライブ/太宰府@福岡」「結婚式@台場」「避暑@箱根」「オーラス@宮城」...etc
その他、もろもろ。週末ごとに、東京(つまり現実)を離れることになり、
想像しただけでわくわくするような高揚感に包まれる。

ヨーロッパやアメリカなどは、「夏=ヴァカンス」という略式が成立しているけれど、
日本の夏というと(私くらいの年代ではまだ)、脳天気に遊び回るというよりは
ちょっと過去を振り返る季節、だと感じている。カラダのどこかで。

原爆記念日や終戦記念日、お盆という伝統行事も、過去や故人を振り返らせる。
そこには深い悲しみというより、乾いた痛みのような感触が残っている。
「風化させない」という言葉が刻まれた石碑やスローガンを眼にするたびに、
私は乾ききってしまった、つまり、我々からは到達不可能な何かを感じる。

それと、夏にはお葬式が多い。
私の祖父が亡くなったのも、暑い夏の日のことだった。
むせかえるような暑さの中、弔鐘のクラクションが、青い空に突き抜けていった
こと。その彼方に、夏の入道雲が地平から起きあがったこと。黒いジャケットを
脱ぎ、それを見ながらハンカチで汗をぬぐったこと。今でもよく憶えている。

「わたしも夏に死ぬだろう」
そう思ったことも、よく、憶えている。

---
■後日談
 この日記を書いた後に思い出したのですが、7/10は祖父の命日でした。

2003年07月10日(木)



 農耕民族と狩猟民族(日本vs.イングランド戦)

「マミゴン、今度の日曜ヒマ?ラグビーのチケあるんだけど、いく?」
元ラガーマンの友人Mの誘いに、一も二もなく承知して、生まれて初めて、
ラグビーの試合を生で観てきた。それも、ラグビーW杯の壮行試合を。
(今までスタジアム関連は、smapのライヴ以外で入ったことがナイ。。。)

去年の今頃は、青の旋風に包まれたあの国立競技場に足を踏み入れる。
私は木更津にちょうど2週間パックされて、音楽祭の通訳のシゴトをしていた。
FIFAのレフェリーと同じホテルに缶詰だったので、彼らのことはよく憶えている。

が、さておき、初めてのラグビー観戦。すっごくおもしろかった(笑)
何というか、ルールもろくずっぽ知らない私にとって、あれは、フィールド上での
格闘技みたいなものでした。殴るわ、蹴るわ、倒すわ、引っ張るわ。しかも故意に。

スローイン(というのか?)するときに、ボールを取るため、何人かが、一人の
ひとをタワーのように持ち上げる。まるで、チアリーダーが立体を作るときに
組み立てるポーズのようなものを、一瞬に作り、ボールをキャッチするのだ。

しかし、いくら男手とはいえ、100キロ近くの大男を持ち上げるのは、
華奢な女の子を持ち上げるのとはえらい違いなわけで(しかも軽々と)。
広いフィールドに、3メートル近くの高さ(と大きさ)が浮き上がると、
視覚的にも美しい立体にうつり、私は何度も溜息をもらした。

強豪イングランドとの試合結果は、20vs.55 の大敗(苦笑)。
後半はイングランド勢にもてあそばれ気味の日本チームに向け、観客席からは
おもしろいほどに野次が飛ぶ(彼らだって一生懸命にゲームしてるのにねぇ)。
「しっかりパス回せよ」とか、「オラっ!走れ、走れ、この野郎ー!」とかは
まだいい方で、そのうち、

「オマエら、所詮、農耕民族なんだよっ!!!!」

という、おっさんのドスの利いた台詞には、周辺一帯が苦笑させられました。
そーだよな。何千年前から牛や虎や鳥を追っていた狩猟民族の猛々しさと比べたら、
同じく何千年も、せっせと地道に農耕してた我々だもの。しょーがねーよな。
なんて、同情的に思ってしまったわけで。そんなこと、云われても、ねぇ。

ラグビー、おもしろいですよ。今度は大学ラグビーの試合を観に来ようと思う。
双眼鏡もスタジアムも、スマ以外でも使用しようっと。(つまり、本来の使用方法)

2003年07月06日(日)



 Independence Day

"We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal,
that they are endowed by their Creator with certain unalienable rights,
that among these are life, liberty and the pursuit of happiness."

【訳】
「われわれは、次の真理を自明のことと考えている。
 つまり、すべての人間は神により平等に造られ、一定の譲渡できない権利を
 与えられており、その権利には、生命、自由、幸福の追求が含まれている」

(アメリカ独立宣言、1776年7月4日、原案起草者:トマス・ジェファソン)

今でこそ July 4th は、アメリカ国家あげての壮大な乱痴気騒ぎ的お誕生日
だと思われがちだが、(それは昨今の、帝国主義的行為に裏打ちされた
トゥーマッチな世論も要因になっている)、実際には、戦争を起こした日でも
爆弾を落とした日でもなく、「祖国イギリスのやり方にはガマンならんのじゃ!」
とキレたアメリカ植民地が、切り札として提示した【コトバ】である。

なんだかんだと云いながらも、私はこの独立宣言が気に入っている。
イギリス哲学者ジョンロックらの、合理主義に基づいて書かれたこの宣言文が、
唯一原書と違う箇所は、"the pursuit of happiness(幸福の追求)"である。
ロックが唱えたのは、"〜life ,liberty, and Property(財産/所有物)"だった。
何故ジェファソンは86回も修正して、「幸福の追求」を宣言文に入れたのだろうか?

それは、時間感覚の違いである。
ロックは現状維持できる「モノ」として、物質的な利潤を求めた。
それに対しアメリカは、「コト」に置き換え、未来への可能性を求めた。
われわれが幸福になるために、前へ前へ進みましょう、という、
未来を切り拓くコトバなのである。ね、ちょっと格好いいでしょ?

「幸せになるために頑張っちゃうからね」と唱え、突き進んできたアメリカの現在は、
世界的に見て少々やりすぎなきらいはある。それでも、壁が見えない広いプールを、
ぐんぐん水をかき分けstruggleするアメリカの姿は、私にはとてもいぢらしく思える。


2003年07月04日(金)



 Encounter

日頃、仕事場と自宅を往復するくらいの、とてもとても地味な生活を営んで
いるので、この数週間はまさしく、めまぐるしい日々だった。おそらく。
という言い訳をしていると、ほら、7月(ナナガツ)です。

煙草が値上げされて、弱々しくも、昨夜、近くのたばこ屋で2カートン購入。
たかだか20円といえども、スモーカーの私にとっては小さくも切実な問題で。
「節煙しようかな」と思いつつ、ストックがある安心感が拍車をかける。
これでも日本はまだ安い方だからいいけれど、外国で煙草を買うと、
重宝したくなりますよね。去年N.Yでは、一箱5ドル(700円)でした。

午前中、市ヶ谷へお使い(小間使い)に出て、帰りに吉祥寺でお昼ごはんを
食べてきた。伊万里を扱うお店のカフェ、というか、カフェで伊万里屋?
ランチタイムを過ぎていたので、客はまばらながらも、スノッブなおじさまや
奥さま方が食後の珈琲をいただいている、小さなお店。カウンターで(食器に
似合わず)ホットなカレーをいただき、水をごくごく飲む。雨の気配がぐっしょり
染みついているような壁に、煙草の白いけむりがきれいに渦巻いていた。

雨の日にはジャズが似合う。
ごくごくヴォリュームを絞ったジャズ・ピアノが、疲れた耳に心地よい。
紺の絵付けをされた伊万里の珈琲茶碗で、酸味が利きすぎたそれをいただく。

不思議な遭遇だった、と、先週末の渋谷駅を思い出す。
乗り換えのため、急ぎ足で階段をのぼっていると、後ろから呼び止められた。
振り返ると、かつての恋人くんがチェロを抱えて立っていた。そのたたずまいは、
かつての姿と(笑ってしまうほど)ぜんぜん変わってなくて、私たちは、階段の
隅に寄って言葉を交わす。「どこ行くの?」とか、「元気だった?」とか。

「じゃね」と手を振り、何ごともなかったように、それぞれの時間に戻ってゆく。
時は確実に流れ、私はその流れに逆らって拮抗する理由など、もはやない。

2003年07月01日(火)
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