月のシズク
mamico



 金曜だけど、月曜の朝

眠りの水面下で、奇妙にねじれた感じの夢を何本か見て、
眼がさめたら、今日はすっかり月曜だと信じ込んでいた。
これから一週間、また生き抜かねば、と考えながらベットから出る。

それはまさしく、月曜日の疲労感だった。
週末、たくさん遊んで、歩いて、笑った、楽しい時間のすぐ後に来る朝。
ほんの数時間前の出来事が、むしょうに恋しく、せつなく感じる月曜の朝。
そして、やおら今日が金曜(週末!)だと気づき、軽く混乱した。

昨日の夕方、兄が実家に帰っていった。
日曜の夜にキャッチしてから、5日間、彼は私の部屋の同居人だった。
ひどい時差ボケのせいで、早朝5時に一緒に起こされたり(彼はジャマイカの
習慣が抜けてないからだ、と言い張っていたが、どう考えても時差ボケだよ)、
毎晩のようにビールの缶を空けて、夜更かししたり(猛烈な睡眠不足)。
私の日常の中に、彼の日常が混ざり込み、高揚感と疲弊感が順番に私を襲う。

日曜の夜はみんなそれぞれの場所に帰ってしまう。
翌日から始まる、生活のための日常に順応するため、早々に楽しき空間から
身を引く。バイバイ、またね、と、手を振りながら、どこかへ帰ってしまう。
取り残されたような気持ちを抱えて、私はきょろきょろと辺りを見回し、
仕方なく私の小さな部屋へ帰ってゆく。

だから、月曜の朝はいつだって少しせつないのかもしれない。

2003年06月27日(金)



 兄妹という関係性

兄が帰ってきた(From JAMICA)
ただ単純に、その事実を嬉しくおもう。
彼のジャマイカ行きが決まったときと同じくらい、その事実を嬉しく思った。

私は妹なので、生まれたときから兄がいた。
彼がいたことを恨めしく思ったり、疎ましく感じたことは、ただの一度もない。
長男体質の責任感を持ち、少々要領が悪く、でも女にはとことん優しい兄。
あの両親から生まれてきたのが、私ひとりじゃないことを、いつも心強く思っている。

「ちょっと早いけれど、誕生日プレゼント」
バックパックの中をがさごそとまさぐり、オレンジ色の小箱を渡された。
茶色のリボンをほどくと、レンガ色に白のステッチが入った腕輪が出てきた。
私は、妹らしく、小さな嬌声をあげる(少し前にお気に入りの腕輪を失った
ばかりだった。しかし、兄はもちろん、そんな私の過去を知らない)

寝室も台所もひっちゃかめっちゃかにして荷物を広げ、一通り片付けが済むと
もう深夜一時近かった。「ビールのみたいな」と、バスタオルで濡れた髪を拭き
ながら云う兄に、「コンビニは、出て、左」と答える妹。「やっぱりね」と目尻に
やわらかな皺を刻んで、彼は濡れ髪のままサンダルをつっかけて外にでた。

ふたり並んでベランダで立ったまま、ぐいと、缶ビールをのむ。
外は細かい雨が降っていて、彼は「東京は寒いな」とひとりごちる。
(そりゃジャマイカと比べたら、ねぇ/苦笑)
ビールが空になるまで、私たちはベランダで梅雨の夜空を見ながらひっきりなしに
喋る(兄の日本語はスロウになっていた)。10年前にふたりで住んだいた頃も、
私が帰省してみんなが寝静まった静かな夜も、去年ふたりでN.Yを旅したときも、
いつもこうやって並んでビールをのんでいたような気がする。

【きょうだい】というものは、底抜けの信頼によって成り立っているのかもしれない。
許す/許さない、だとか、疑う/信じる、とか、そういう観念を必要としない関係。
どちらかが行為したり、言葉にしたりした時点で、互いにオーケーを出し合う
関係。最強にして、最適な味方。もはや、何かを隠すなんてバカげている。

つまり、だ。私は、兄がいて、本当によかったとおもっている。
(兄は、妹の存在を喜んでいるかは疑問。そんなこと、恐ろしくて訊けやしないよ)

2003年06月23日(月)



 週末ガイド/「カエルはかえる」

先週末、二泊三日で実家に帰ってきた。
アメリカ人の女性を一週間、ウチでホームステイに預かっていたのです。
「アナタもちょっと来なさいよ」との母の電話に、すごすご出向く優しい娘(笑)

なんというか、久しぶりの田舎生活、楽しかったです。
外国人の方と過ごすと、好奇心旺盛な彼女の視点から眺められた我が故郷を、
同じ視点で見つめ直すことができるわけで。すると当然、発見、感動も多いわけで。

パーティで母、娘、ムスメ(sisiter)で(音痴にもかかわらず)輪唱したり、
山里の菖蒲園に連れて行ったり(突如として出現した巨大アイリス畑!)、
日本の伝統芸能を鑑賞したり、海までドライブしてビーチを散歩したり。

縁側に座って、祖父の庭をふたりで眺めていたとき。
母が「なんでここにカメやカエルの石像があるとおもう?」と、枯山水にちょこん
と置かれた静物たちを指さした。わたしが子どものときからいる、小さな生き物。
苔がむして、本物みたいな甲羅を持っているカメくん、緑のカエルくん。

「カメはね、日本ではトクベツな意味を持つ生きものでね。
 鶴は千年、亀は万年生きるという、長寿の象徴なのよ」
「カエルは?」と、彼女が訊く。
「カエルはかえる」母は日本語でつぶやき、私に(訳せっ!)と視線を流す。

私はしぶしぶ、口を開き、母国語でない言葉を声にのせる。
「日本語のカエルという言葉には、名詞と動詞でそれぞれの意味があるの。
 名詞はフロッグ、生き物の、あのカエルね」と、庭のそれを指さす。

「動詞のカエルは、リターンの意味。カムバックの意味。ここに帰ってきますよ、
 という意味。だからね、アナタもここに、いつでも帰ってきていいのよ」

きっと、私の翻訳は間違っていたのかもしれない。
でも彼女はひと呼吸置いて、大きなグリーンの目を見開き、
「私もここに帰ってくるから」と、ぎゅっと私を抱きしめてくれた。

彼女にとって初めての日本、初めての空間。
この土地で、この庭で感じたことを、ずっとずっと憶えていて欲しい。


2003年06月18日(水)



 シンパシー

一週間前に突然マシンが息絶えて、その直後にわたしも風邪で体調を
崩しておりました。今は新しいマシン(なれないXP)で、なんとかこうして
ものを書くことができるようになりました。スミマセン。

「忙しい」だの「疲れた」だのという言葉は、言った矢先からそのコトバに
とらわれてしまう気がして、日頃なるべく使わないようにしていたのですが、
ここ数日は常にへなへな状態。忙しいわけでも、疲れているわけでもないのに。

そんな情けない私の状態を、傍で観察していた教授がひとこと。
「アナタのパソコンが、主人をみかねてドクターストップかけたのよ」
なんたること。その証拠に、新しいマシン(Marco)を購入して、あれこれと
設定が終わった頃、旧パソ(Luka)も再び立ち上がるようになりました。
かんなり青息吐息だけど(苦笑)

Lukaと私は結構長い付き合いで、それなりに意気投合していた場面も多かった
のですが、「そろそろ次へお行きなさい」とストライキを起こしたフリを演じて
くれていたのかも。指先にいつもシンパシー、感じていました。

・・・しかし、パソコンがないと、まともな生活が営めなくなる私。
気がつけば、仕事もプライベートもすっかりPCに頼りきっていたのね。
今後はバックアップを忘れずに、Marcoともいい関係を築きたいです。

Luka* Think Pad600
Marco* DynaBook P8/X28PDE
(マシンに名前を付けてるひと、私のほかにもいますよね?)


2003年06月11日(水)
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