月のシズク
mamico



 「地上の星」

祖母とのふたり生活。
大晦日の夜は仲良くこたつに入って、紅白歌合戦を観戦。
「戦い」というよりは、フェスティバルですよね。恒例行事。
アルフレド・カセーロさんが言うように「歌に国境はない」ですし。

富山の黒部ダム第四発電所から中継された、中島みゆきさんの「地上の星」、
ちょっとふるえちゃうくらい感動しました。そうだよね。人は空の星ばかり
見上げて、地上の星たちに気が付かない。こんなにたくさん瞬いているのにね。
などと、女王さまの如き貫禄と圧倒感を画面から漂わせるみゆきちゃんの歌に
小娘は深く納得したのでありました。このトシになって紅白を楽しむアタクシです。

さっき、父のダウンジャケットを拝借して、煙草をすいに外に出た。
雪雲は関東地方に散歩に出たらしく、雲間からオリオンが見えた。
「冬の星座がいちばんきれいだ」と言ったのは誰だったろうか。

駐車場には誰もいなくて、私が吐く青白い煙だけが冷気を揺らす。
誰もいないのに、ふと、大いなる眼に見守られている気がした。
こうして私は、また、年の裂けめを、ひょい、と、飛び越えよう。


2002年12月31日(火)



 冬の公園

今いる家の近くに、城跡がそのまま残った結構おおきな公園がある。
久しぶりに太陽が顔をのぞかせたので、わっせと着込んで散歩に出た。

子どもの頃から慣れ親しんだ公園は、大人の足でもなかなか歩きごたえがあった。
ドーム型の体育館の横にある黒い大きなSLは昔のまんまで、そこから左手に折れて
内堀を見下ろしながら砂利道をじゃくじゃく歩く。すぐに動物のにおいがして、
ケモノたちの鳴き声がする。ピンクのフラミンゴが一本足で寒々しく立っている。
動物園は冬季休園中で訪れるひともなく、所々に雪がつもり閑散としていた。

閉鎖された美術館の前をすぎ、今度は右に折れる。
初詣の客を狙った出店が細々と支度を整えている。ここからは舗装された道。
そのまま真っ直ぐ行くと図書館と市民ホール。どちらもすっごく古いもので、
郊外に新しい文化施設が造られた。図書館の前で立ち止まって見上げる。
わたしが好きだった窓は、くすんだベージュ色のカーテンで閉ざされていた。

図書館を右へ曲がると、また砂利道になっていて、そこからずずーっと真っ直ぐ
突き当たったところに大きな神社がある。だから此処は既に参道。
中学生の頃、剣道の試合前にみんなでよくここにお参りに来た。
神頼み。もしくは気休め。あるいは団結?はたまた自己満足(笑)

誰もいない参道を突き進み、舞いの稽古を少し見てから、100円を賽銭箱に投げ
入れ、二礼二拍。「今年も一年ありがとうございました」と、ぼそぼそ合掌。
参道を戻ってくると散歩中の犬に出会い、なでなでしてから「よいお年を」
と(犬に向かって)云う。雑種で二歳になるレイくんだって。眼のキレイな子だった。

雪で一面覆われた大きな広場の端っこを横切って、起伏の激しい内堀地帯へ。
石畳の階段を下り、朱の御太鼓橋を渡り、堀を見下ろすと、あら、白鳥さんたち。
堀へ降りる階段には「立入禁止」の文字と濡れたロープ。禁止は破りたくなるサガ。
もちろん、テンッ、と乗り越え侵入成功。お堀端で白鳥をマヂカに眺める。

あたりはシーンと静まりかえっていて、白鳥が水を掻く音と、時折啼く細い声、
それに風が樹木を揺らすかさこそという音しか聞こえない。1キロ先で100円が落
ちても、その音が届きそうなくらいの静けさ。あまりに静かすぎて、私がどっかへ
消えちまったかと思った瞬間、頭上からおっさんのダミ声。

「ねーちゃん、入っちゃアカンて。おーい、だいじょーぶかっ?」

白鳥たちは驚いてバタバタと羽をバタつかせ、アタシは、むんっ、とおっさんを
見やる。くわえタバコのゴム長履いたおっさん。心配そうに橋の欄干から身を
乗り出しておる。思わず吹き出しそうになり、だいじょーぶでーす、と手を振る。

冬の公園で、わたしはたくさんの断片を拾い、
私はおっさんのダミ声に拾われた気がした。


2002年12月30日(月)



 祖母との生活

両親がジャマイカに行っちまったので、祖母の待つ実家へ留守番に帰ってきた。
ホームに降り立つとハンッパじゃない雪。寒さでわなわなと震え出す。
そして、あまりの寒さにへらへらとひとりわらい。さぶっ。

私が育った家は古い日本家屋で、無駄に広い。庭も広い。空も・・・まぁ広い。
二晩ひとりぼっちになった祖母は、私の顔を見るなり「こわかった」と言い、
安堵の色をうかべる。小さく「ごめんね」と謝り、私と祖母のつつましやかで
静かな生活が始まった。まさしく隠遁生活の如し。そして小さなオン返し。

私がまだこの家に住んでいた頃、祖母が私にしてくれたことを、今度は私がする。

食事の支度をしてくれたので、私が三度のごはんを作る。
雪かきをしてくれたので、私が私道に降り積もった雪をかく。
正月の花を活けてくれたので、私が玄関に(ソレっぽく)花を活ける。
たくさん買い物をしてくれたので、私が車でびゅんとお買い物に行く。
部屋の中やお布団を暖めてくれたので、私が暖房やら電気シーツを準備する。
迷子になったら迎えに来てくれたので、私が祖母を迎えにゆく。どこへでも。

「ソッチの隠遁生活はどう?」
なんてメイルを頂いたので、「花を活けたり、ごはん作ったりしてる」と返事。
「生け花? もしかしてタイトルは "AMAZON" とか?」という無礼なお言葉も
まぁ、あながち間違えってはいないので(コラッ)許す。松やら千両やら百合
やらでアマゾンを演出できたら、そりゃそれでスゴイわよね。

夕方、祖母とふたりでお正月の支度をした。
玄関にしめ縄を飾り、床の間に花を活け、掛け軸と暖簾と絵を変え、鏡餅を飾る。
父方の祖父母がコレクションした古美術品は、シロウトのアタシには眼識もへった
くりもあったモンじゃなくて、スミマセン、適当に飾らせていただきました。

「なーんだ、ふたりでもちゃんとお正月さんを迎えられるじゃん」
ひととおり片が付き、冷えた玄関に活けられた花を眺めながら、そう祖母に言う。
「お正月にはまみこさんも、お着物を着ましょうかねぇ」
大正生まれで来年、年オンナの祖母は、今でも一年中着物を召される。
私はその小さくなった背中に、ありがとう、とつぶやいた。


2002年12月29日(日)



 These Days

さて、after the Christmas
「ねぇねぇ、クリスマスなにやってたの〜?」
などという好奇心丸出しのお節介な質問をいただきました(笑)
では、返答を。

イヴは午後10時過ぎまで教授の研究室で、ちまちまと仕事をしておりました。
疲れたーと研究室に帰ってきたら、同僚のすがっちが「オレ、今からミサ行くけど
まみちゃんも一緒に行く?」とのお誘い。モチロン下心などという卑しさはナシ。
すがっちも私もクリスチャンじゃないけれど、ま、ナニゴトも経験、と吉祥寺の
教会へ向かい、午後11時からのミサに参加してまいりました。

式次第とキャンドルサービスのちっちちゃいお仏前用(?)の蝋燭を受け取り
いそいそと教会へ乗り込む。このカトリック教会は結構大きくて信者も多い。
司祭によるあぶなっかしい日本語の説教を聞き、イエスの誕生の物語を聞き、
賛美歌をたくさん歌いました。驚いたことにこの司祭、白い衣装の縁取りが
ヒョウ柄。なんとファンキーなこと。

気抜けしたクリスマス当日の夜は(日本ではイヴが本番という傾向ですよね)
両親が上京して、さんにんで酒を酌み交わし、お茶をのみ、うちに泊まっていき
ました。実はこのふたり、今日(26日)からジャマイカへ兄に会いに行くのです。

夜、喫煙所になっているベランダに出て、父とふたり煙草をのむ。
「星が見えるんだなぁ」と、雪雲のない東京の夜空を見上げておりました。
いつまでたっても不良なオトナの父と娘。

そして今朝早く、成田に向かうふたりを見送りに。
今回の旅は兄妹ふたりで計画&手続きをしてあげました。
エアの手配を私が、ホテルの手配を兄が。両親へのちょっとしたプレゼントです。
いかついリュックをかついで、朝日がてらす道ををちょこちょこと歩く母の後ろ姿は
なんだか子供っぽく、背中を丸めてぽこぽこ歩く父もどこか心もとなげで。
ああ、こんなに年とっちゃったんだな、と少しせつなくも感じ。

いつまでも身勝手なコドモたちでごめんね、と心の中でひとりごちる。


2002年12月26日(木)



 奇妙な共同生活?

ひとあし先においとました研究室の忘年会の帰り道、イルミネーションに彩られた
住宅街をぽくぽく歩いていると、ピロロンとメイルの着信音がポケットで響く。

「今日、行ってもいいですか?」
送り主はさっきまで一緒にわいわい飲んでいた妹ちゃん。
電車もまだある時間だったけれど、こっちに帰ってきたいそうな。
ちょっと過保護で心配性で甲斐性ナシの姉、「いいよ」の返事。

午前零時に帰宅すると、シゴト帰りの編集長が今から新刊を届けてくれる
との連絡。その30分後、右側のライトを茶色のガムテープを貼り付けた
神戸ナンバーの深緑の車、ご到着。なんでも木にぶつけたそうな。(苦笑)
久しぶりに会う編集長は、休日返上の仕事続きで疲弊ガオ。眼の下のくまちゃん。

「愚痴は許さんが紅茶は淹れたる」などと、新刊と引き替えに茶を差し出す。
そこに、ピンポーン、と妹ちゃん、ご来店。ご帰宅?いえ、ご到着。(笑)
「ただいまー」と元気よく挨拶し、黒い皮のブーツを脱ぎ、てててと寝室へ
向かってゆく。その後ろ姿を、ぽかんと追う編集長のアホっ面。

「なんかジブンちみたいだね」
編集長が、隣室でコートを脱ぐ妹ちゃんに声をかける。
実は今月号から妹ちゃんも寄稿しているので、編集長への顔合わせは既済。
へへへっ、と笑いながら、妹ちゃんは私たちがお茶をのんでる台所へ入ってくる。
時すでに午前1時をゆうに回っている。なんだか妙なさんにん。

「あ、シャシン、撮ろっか」
おもむろにデジカメを取り出し、ミニサイズの三脚にセッティングするあたし。
そして深夜の台所で、せこせこと寄り集まり、持ち寄りの笑顔を向けるさんにん。
納められた画像は、奇妙なほどしっくりと馴染んでいて、まるで昔からの同居人のよう。

共同生活。
あこがれていないわけでもナイけれど。


2002年12月23日(月)



 「ピンポン、来ちゃった」襲撃

わたしの短い人生経験の中に、この「ピンポン、来ちゃった」襲撃を実行した
ひとは、今までにふたりだけいる。ひとりは、昔付き合っていた年下の恋人。
もうひとりは、妹のように可愛がっている、みっつ下の女の子。

生活の中にこんな不意打ち的要素が侵入すると、ちょっと刺激的だ。
「今からそっちに行っていいですか」とメイルが入った数分後、ピンポーンと呼び
出し音が鳴り、メイルの主がドアの前にへらっとした笑いを浮かべて立っている。
わたしはドアを開き、彼女を部屋の中に招き入れる。

状況によって、紅茶をいれたり、ウィスキーを出したり、お風呂を沸かしたり。
カーディガンを羽織って、ふたり並んでベランダで夜の喫煙を楽しんだり。
相手の緊張がゆっくりと溶けてゆくさまを感じ、私も少し心穏やかになる。
どこか外の雰囲気のよい飲み屋や、居心地のよい喫茶店でなく、この部屋が
そういった「くつろぎ空間」を提供するのだとおもう。親密で開放的な空間。

「落ち着けるんです。心が在る場所に、すとん、と落ちるというか」
妹ちゃんはこの部屋で、よくそんなことを言う。
お化粧を落として、私のパジャマを着た彼女の顔は少し幼くみえる。
わたしは何と応えてよいかわからず、曖昧にわらう。そう、と言いながら。

それは、逃げ場所ではないと思う。逸脱、ともちがう。
誤解を恐れずに言うなら、立ち止まる空間、なのだとおもう。
時間的/物理的な意味ではなく、心理的な側面において、自分にとどまるための空間。
そしてこの部屋から出てゆくとき、彼女はみごとなまでに、いつもの彼女になる。
だからこの「ピンポン、来ちゃった」行為には、実際的な意味があるのかもしれない。

いってらっしゃい。
思わず、彼女の後ろ姿にそんな言葉をかけたくなるほどに。


2002年12月20日(金)



 拒絶反応

胃腸をおかしくして一週間、禁酒、禁煙、おまけに禁コーヒー。
「アルコール、ニコチン、カフェインがなきゃ生きていけぬ」と日々暴言を
吐いていたというのに、やはりカラダは正直ですね。欲さないんですもの。
のみならず、拒絶、ですぜぃ、ネエさん(笑)

おかげさまで、通常食をたべられるようになりました。
痛みもなじんでまいりました。おそらく、もう一息。
週末には例に漏れず、忘年会がいくつか入ってます。オヨヨヨ。

「忘年会」
確かに踏んだり蹴ったりの一年ではあったけれど、努めて忘れるべき
ことはナシ。イヤなことも、ツライこともぜんぶ憶えておきましょう。
という意味でも、「忘年会」はミスネーミングだと思う。

週末は外へ出よう。
キラキラの街も見納めですな。

2002年12月19日(木)



 with SMAP 2002

コンビニの雑誌コーナーに平積みされている、年末年始TV特集雑誌に吸い寄せられる。
五冊中、四冊の表紙がスマップの五人。残る一冊は文字のみで被写体ナシ。

今年もこの国民的アイドルグループが、行く年、来る年にお立ち会いなさる、
ということか。業界の裏側でどんな策略や金が動いているのかは知らぬが
何ともすごいことである。CM、ドラマ、バライティ、テレビをつけて彼らの顔を、
声を見聞きしない日はない。お茶の間にするっと、じわっと溶け込んでしまった
彼らの柔軟さと、ファンが見知る彼らの努力に、ほとほと感動してしまう。

とりあえず、三冊、お買いあげ。
チャリン!

この一年(と、後ろを振り返るのは好きではないが)、本当に激動の日々だった。
その中にこの「smap」という記号やイベントや映像が入り込み、業界のイヤらしい
実体(のごくごく一部)やら、ひとりひとりが持つエネルギー、それが集結したとき
の莫大なパワーを目の当たりにして、「世の中ってオモシロイじゃん」と開き直れた
一年でもあったようにおもう。意味不明ですか?自己完結しすぎですか?ははは。

「いいトシして、なーにやってんの」
とあきれ顔の友人や家族は、こんな「いいこと」を知らないなんてちょっと不幸だと
思ってみたり。何かを真剣に掴まえよう、理解しよう、分析しよう、と思ったら
その「何か」は何でもいいわけで。わたしはそういう作業に注ぐ情熱や愛ってのは
なかなかどうして、ホンモノだと信じております。そういう作業を、身を以て、
そしてわたしの目の前で突き進めていくウチの教授に、とりあえず、感謝してます。

来年もスマップ漬けの日々は続くのかしらん。
あ、もちろん本業の方にも相乗効果、ってことで(ぼそりっ)


2002年12月18日(水)



 嘔吐・2002

ひどいタイトルですみません。でも端的に言って、そういうことです。ハイ。
あまり良い傾向ではないのですが、私は年に数回、体調が突然崩壊することが
ありまして。それも大体において、本人の自覚なしに不意打ちで襲ってくるもの
ですから、まったく、村上春樹的に言って、やれやれです。

金曜の夜のこと。
大学の女ともだちふたりと、四谷の雰囲気のよろしい蕎麦屋でちんまり会合。
上品な味付けの和食は魚料理中心で、〆は手打ち蕎麦。酒は冷やで一杯だけ。
食事も酒も会話も美味しく楽しくいただけたのに、ソレは突然襲ってきた。
単なる食あたりか?と思って後日同席した友に訊くが、至って健康な様子。

まったっく、ひさびさに地獄をみました。
三度にわたって嘔吐し、胃の中のものはキレイさっぱり消滅し(貴重な私の
栄養分がっ!)、胃痛にのたうちまわり、気が付けば発熱しているというありさま。
本気で救急車を呼ぼうかと受話器に手を伸ばしたが、「救急車、かえりは送って
くれないよな」とか、「持ち物は、財布、保険証、携帯でいいよな」とか、「この
マンション、エレベータがないから救急士がストレッチャー運ぶのは大変だよね」
などとあれこれ考えていたら、どうしてもダイヤルすることができず、朝だよ。

這うように休日営業の診療所へ行き、コートを着込んだままぶるぶると震えながら、
診察は3時間待ち。途中何度か気絶しそうになりつつも、どうにか持ちこたえて
診察。なんでもこの病院、午後から社員旅行とやらで明日は休業するらしく、
患者が異常にあふれかえっていた。そしてドクターもてんてこまいの様子。

運悪く、最後から数番目だったので、患者がハケた待合室で倒れていると(苦笑)、
ナースたちの浮き足だった声が響いてくる。「○○先生、お酒強いんですってー。
アタシなんかじゃ落とせないですよねー」とか、「××婦長、今日のメイク、気合い
入りまくりだよね」とか。・・・・そっすか。君らは今宵、宴なのね。おつかれさん。

ロレツも危なっかしいほど激務労働の女医さんに、問診と触診してもらう。
私の胃に聴診器を当てて、「あらー、何も入ってないから、何も聞こえないわ」
などとのたまう。思わず吹き出し笑い。病名は不明なので、とりあえず症状に
見合った薬を処方してもらい、即効性のある筋肉注射を二本。はやく横になりた
かったので、点滴は辞退させてもらった。

・・・で、土曜は半死状態。日曜になってどうにかモノが喰えるようになって
きました。バナナとか、リンゴとか、プッチンプリンとか(笑)
みなさまも年の瀬、胃腸を酷使する時期ですので、お気をつけあそばせ。ね。


2002年12月15日(日)



 同級生ベイビーズ

昨日のこと。
シゴトをちゃっちゃと済ませて、午後の早い時間に田園調布へおもむく。
中学の同級生が産んだ赤ん坊とご対面するのだ。吉祥寺でわさわさと
ベイビーズたちのプレゼントを、まるでサンタのように、あるいは、
お節介オバハンのように買い込んで、やや緊張して駅に降り立つ。

あーーーーーーーーーーーっ、いたっ。
ダンナの転勤で現在愛媛在住のマイ嬢は、母上がココ田園調布に住んでらっしゃる
ので、ちょっくちょく里帰りしてくる。あらまぁ、この界隈って、本当にゴージャス。
生後4ヶ月の風果ちゃんはバギーにのせられてご機嫌。あくまで「マミコおねえちゃん
ですよー」とご挨拶してみる。オバサンとは言わせない(笑)。

もうひとかた、亀戸に嫁入りしたイキコ嬢は、9ヶ月の愛娘和佳子ちゃんと、グッズ
入れを抱いてご登場。ワォ。ショートヘアにスニーカにジーンズではないか!!!
ブランドバックに7センチヒールのブーツ。髪はいつも完璧にブロウしていた数年前。
コドモを産むと、本当に変わるのね。表情も態度もすっかり肝っ玉かぁちゃんしてて、
なんだか以前よりぐっといいオンナになっていた。うんうん。

マイ嬢の母上の城にオジャマして、遅めのランチをご馳走になりつつ、コドモと戯れる。
というか、アタクシ、赤ん坊(生後12ヶ月以内)を抱いたのは初めてかも。
ぐにゃっとしてて、柔らかで、あたたかで、なんとなくいい匂いがした。
姫君たちは、揃いも揃って父親似で、彼女たちをみていると、ダンナ様方の
お顔と重なって可笑しかった。パパ似のムスメは幸せになるんだよー、と言ってみる。

風果ちゃんの手は、ほんとにちっこくて、でも小指にもちゃんと爪が生えていて、
わたしの人差し指にくるっとその手を巻き付けてきた。へへへっ。かわいいね。
5ヶ月だけお姉ちゃんの和佳子ちゃんは、しきりに私の手をがじがじ甘噛みする。
おまけに左腕にはめていた皮の腕輪を上手に外し、それもがじがじがじがじ。オイ。

「いいオンナになるんだよー」と、言語能力も記憶能力も未発達な姫たちに話しかける。
いやはや、アタシがコドモを産むときが来るかどうかは未定ですが、母になるって
とてもスバラシイことなのですね。同級生たちを見てひとしきり感慨深くなりましたとさ。


2002年12月13日(金)



 TOTO 25周年記念ライヴ!

昨日TOTOのライヴに行って来ました。
と宣言したところで、果たしてどれほどの方がTOTOの存在をご存知なのか。
某トイレメーカーでもないし、サッカーくじでもないです。なのに結成25周年。

25周年ですぜ、奥さん。
わたしが生まれちまった頃に世界中をフィーバー(言い回しが古い)させた
不朽のバンドも「スタジオミュージシャンはもうイヤっ!オレたちもステージ
でやるのっ!」(と言ったかどうかは不明)と穴蔵を飛び出して、はや25年の月日。

平日の夜の有楽町、東京国際フォーラムホールAの周辺。背広姿のサラリーマン
やら、廃れたロッカーのような中年男、脂がのりきったいい歳のおっさんたちが、
生き生きとした表情でホールに吸い込まれていく。ディヴィット(key)のピアノ
と共に、うりゃっ!と始まったTOTOのステージは、観客席でも同じく、おりゃっ!
と背広を脱ぎ捨てたおっさんたちが拳を突き上げる。おおっ、かっちょええ。

夏の数ヶ月、通い詰めた某アイドルグループのライヴとはえらい違い。
(と比較することから、すでに間違っているのは承知しております。悪しからず)
まず、ステージが近い。双眼鏡でバードウォッチングもしくはホェールウォッチング
する必要はまるでナシ。肉眼だぜっ。肉声だぜっ。そして巨大液晶モニタもない。
コントもない。ダンスもない(当然ダンサーもいない)。トークもない。ゴンドラ
もない。花火もナイ。その代わりに、歌がある!!(まぁ、歌しかないともいえる)

会場に詰めかけたおっさんたち(モチロン若い子もいました)は、純粋に純然たる
TOTOのオンガクに酔いしれる。スティーヴ(G&Vo)のギター、サイモンのドラムソロ
いかにもアメリカンなディヴィットの太い指で叩かれるキーボードの早いパッセージ、
ぷりぷりのお腹が邪魔っけだけど、相変わらずのハイトーンヴォイスのサイモンは
白いスニーカーがチャーミングで、それでも私はジェフ・ポーカロ(d)亡き後も
黙々とリズムを弾くジェフの弟のマイク・ポーカロ(b)のひたむきさに心打たれる。

・・・とまぁ、こんな具合でして。
80年代の名曲「アフリカ」「ロザーナ」」「ホールド・ユー・バック」あたりは
TOTOキチ(狂い)だった兄の影響で歌えたのですが、新しいものはよーわからん。
なので、おっさんたちが拳突き立てて狂喜乱舞する間、私はくねくねと踊り狂って
おりました。なんか、そうやって熱くなれるサラリーマンって恰好いいよね。

ああ、ストーンズも行きたくなったよ。Rどの。

2002年12月11日(水)



 濡れた合羽ズボン

夏の暑いさかり、クリーニング屋さんが玄関のチャイムを鳴らす。
出てゆくと、店のおばさんが「配達に来ました」と当惑気味な声とともに、
びしょびしょに濡れたグレイの合羽ズボンを差し出す。これは?と訊く前に
「お祖母様がこういう形式にしてくれとおっしゃられたので」と弁解する。

水滴のしたたる合羽ズボンを手に、私は途方に暮れ、そして眼が覚めた。
夢か・・・、とぼんやりベットで微睡んでいたら、けたたましい電話の呼び出し音。
時計を見ると 6:56am。ナニゴト? と受話器を取る。

「カーテン開けてみて」
夜勤明けの友の声は弾んでいた。
「ナニ?」
「いいから開けてみて」

受話器を片手にベランダのガラス戸を引く。ひょえーっ、と奇声をあげる私。
外は東京らしからぬ風景が広がっていた。一面まっ白。音すらも消されている。
昨夜、降り始めの頃は、まさかこんなに積もるとは思っていなかった。
夜通しごんごん降り続いたのだろう。なんだか愉快になってきた。

「雪だるま、つくらなきゃ」
気が付くと、やけにきっぱりした口調でそう言い放っていた。
「コートに合羽ズボンはいて、雪だるまつくらなきゃ」
友は笑いながら、早くシゴトに行きなさい、と促し、電話を切った。
夏の暑いさかりに、濡れた合羽ズボンを手にした夢の話は、
あながち遠からぬ現実に即して予知されたものなのかもしれない。

研究室に着いてベランダから外を見下ろすと、小学校のグラウンドで半ズボンの
少年が、ひとりで巨大な雪だるまを制作中でした。お手伝い、いたしましょうか?


2002年12月09日(月)



 ココロが痛い

ちょっと・・・なことがありました。
悲しいとか、ツライとか、苦しいとか、悔しいとか、そういうことじゃなくて、
ズンッとココロに重くのしかかるようなかんじ。個人的かつ内省的なもの。
その痛みを、ちゃんとその重さぶんだけ受容せよ、ということです。指令。

冬の雨はジリジリ心に凍み入るけれど、それにもめげず、ベランダに出て喫煙。
もくもくと白い煙、それに吐く息も白いから、なんだか機関車になった気分。
それでも、つめたさを感じられるだけ、まだ大丈夫な証拠。

こんなとき、誰かにすがって、頼って、愚痴ってしまえば
少しは楽になれるのかもしれないけれど、そうやって物事を
中途半端に消化してしまうのはイヤなのです。ごめんなさい。

しばらくは痛みの中にとどまりましょう。
そして、何かを掴んだら、ちゃんとふたつのあんよで立ち上がりましょう。
私は、自分の中の、驚くようなエネルギーを信じることにいたします。



2002年12月04日(水)



 タップの魅力

自分の誕生日を自分でセッティングするって、ちと微笑ましい。
ということで、愛すべき男トモダチの誕生日を祝うべく、吉祥寺の
Star Pine's Cafe に Tokyo Y's Club という弦楽カルテッドのライブを
聴きに行く。弦楽とはいえ、クラシックはやらない。ジャズ、ブルース、ソウル
などなどヴァライティに富んだ選曲。その上、本日はスペシャルゲストで、タップ
ダンサーの金子リズムさんが、激しく、楽しく、軽やかに、タップを踏んでくれた。

弦楽の上にタップが乗ると、なんというか、とても愉快になる。
そして、音楽にストーリーができる。言語で語るそれではなく、音が語るストーリー。
メロディやハーモニーからこぼれ落ちたコトバのようである。ヒトの心の中で
ひそひそ、もごもご、ごそごそ、とか、へぇー、ふーん、あれっ?なるほどっ!
とひとりごちたり、相づちを打っているカンジ。だからそれがとってもキュート
なのです。

リズムさん(本名)もすごくキュートで、全身つかってタップを踏む姿に惚れる、
惚れる。上から糸でピンと吊されたように上半身がシャキンと立っていて、
両足と両腕が軽快に振れ、揺れ、弾き、飛び、ひそやかに休止する。ステキだっ。

タップの魅力に深く感動した後は、思わず夜道で踊り出したくなるのでした。
ちなみに、友へのプレゼントは、マルチビタミン剤、檜の芳香剤、歯ブラシセット
でした。「かっこいい大人になろうぜっ」というメッセージと共に、お誕生日おめでと。




2002年12月03日(火)



 白菜とキャベツ畑

喫煙室兼休憩所になっている廊下の端の小部屋に入ると(という説明は
数日前にもしたが・・・)ファブリスくんが「あっ」と小さな声を出す。
どしたの? と、ソファにカラダを投げ出しながら訊く。

「ボクね、マミコの夢をみたの」
ふむふむ、それでそれで、と身を乗り出すあたし。
「スーパーマーケットに行ったらね、自動ドアの前で両手に買い物袋を
 ぶらさげたマミコに会ったの」
へーえ、家庭的じゃん。それで?
「でね、その袋をのぞき込んだら何かいっぱい詰まっていたから、
 "どうしたの?そんなにたくさんキャベツを買い込んで"って訊いたの」
ふーん。ロールキャベツでも作るつもりだったのかな。
「そしたらマミコ、すごーく冷たい口調で "白菜よ"って言った」
は? ハクサイですか。。で?
「それだけ」
ん?
「それでおしまい。でもすごーく冷たかったの。マミコ」

・・・そこでふとギモンが湧く。ファブリスくんは日本語がぺらっぺらだけど、
生粋のフランス人である。果たしてその夢は何語で語られたのか。

「ねぇ、あたしフランス語しゃべってたのかな?」
今度はファブリスくんが「うーん」と考える。うーん、どっちだろう、と。
「たぶんイメージだけ残っていて、眼が覚めてから日本語にあてはめたのかな」
うわっちゃ、さすがバイリンガル。スゴイ技ができるもんだ、と感心する。
「でもね、マミコ、すごーく冷たかったんだよ」
わたしの冷淡さに固着するファブリスくん。ごめんよ、と謝ってみる。

・・・そしたら今朝、広大なキャベツ畑で収穫に励むオンナがひとり。
言うまでもなくそれはあたくしで、ひとりなもんだから言語もなかったさ。
これはファブリスくんの恨みが呼び起こした夢だったのだろうか。不可解ナリ。

---
【豆知識】
仏語でキャベツは「シュー」、白菜は「シュー・シノワ」と言うらしい。
「シュー」は、言わずもがな、シュークリームの「シュー」です。


2002年12月02日(月)
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