月のシズク
mamico



 アサコさんのお店

8年間、同じ美容室に通い続けた理由は、惰性とか無精とかではなくて、
髪を扱ってくれる私の担当の美容師さんを、深く信頼していたからだと思う。
その美容師さん、アサコさんが夏前にお店を辞めて、今月、代官山に新しい
美容室をオープンさせた。昔のお店のアシスタントふたりを引き連れて。

先月いただいたお知らせには「静かな住宅街の二階建ての家を全面改装しました」
と書かれていた。地図に従って恵比寿寄りの路地をてくてく歩く。あ、あった。

白い外壁。二重扉を開き、階段をあがったところに玄関がある。ご家庭の玄関。
ドアを開くと、玄関を一段高くした場所にカウンター、右手にサロン、奥に階段。
元々の家をうまく利用したデザインで、梁や剥き出しの柱は黒く塗られていた。
採光性が高く、空気はやわらかで、ごく小さな音でジャズが流れている。

夏の間、1ヶ月のお休みをもらってパリに滞在していたというアサコさんは、
以前と変わらぬ細やかな心遣いと、以前にも増してはきはきと喋り、笑った。
アシスタントの女の子たちも、顔見知りの子たちだったので、ほっとする。
小さな店内だけど、お客さんはいっぱいで、スタイリストはアサコさんひとり
だから、少々待たされてたりする。あの人柄だもの。とにかく人気なのだ。

全体にアッシュ系のハイライトを入れてもらい、毛先は揃える程度にして、
髪のボリュームを徹底的に調整してもらう。アサコさんのハサミ使いは素敵だ。
私のくすんだ色の髪が光に透けて、艶感を持ったまま、サラサラ切られてゆく。
側のテーブルに用意されたボトルのエビアンと、外国のキャンディを舐めながら、
私は、アサコさんに髪を切られる鏡の中の私を見る。ちょっと幸せそうだ。

結局のところ、わたしはひとが好きなのだと思う。
私に相対する人が、ちゃんと気持ちを私と同じ場所に置いて接してくれるなら、
私はその人がいる場所におもむくし、何度でも訪れる。ひとを信じている、のだ。

「お時間、長く取らせちゃってごめんなさいね」
玄関まで見送りに来てくれたアサコさんが、少しすまなさそうな顔をする。
私はにっこり笑って、切り立ての髪を振りながら、「また来ます」と言う。
そうして、シャンプーのいい匂いをさせながら、私はアサコさんの店を後にする。

2002年11月28日(木)



 菩提樹色の靴

「その靴、新しいの? いい色だね」
喫茶室のソファに座っていたファブリスくんに声をかけた。
「うん。菩提樹色なんだ」
「ん? ボダイジュ色?」

日本文学専攻のファブリスくん(仏)は、私なんかよりぜんぜん日本語が巧い。
漢字もたくさん読めるし、言葉の使い方だって美しい。はっとさせられる。
菩提樹といえば、釈尊がこの樹下に座して悟りを開いたと伝えられている。
花は黄褐色の五弁花で芳香があり、球形の実を結ぶ。つまり、そんな色なのだ。

周囲にいた日本人たちが、うーんと考えながら、負けじとぴったりの色の名前
を探そうとする。芥子色、抹茶に黄味がかった色、黄色のカーキ、などなど。
誰かが、あ、と言った。

「それさ、芋羊羹の色だよ」

皆、そうだ、そうだと一斉に同意する。
でもファブリスくんは、にこにこしながら、「菩提樹色っ」と繰り返す。
芋羊羹色に比べたら、菩提樹色の靴なんて、確かに美しい響きだこと。
でも私にとっては、やはり芋羊羹色の方がイメージしやすい。ごめん(笑)

ちなみに、シューベルト作曲の歌曲集「冬の旅」の第五曲のタイトルも
「菩提樹(Der Lindenbaum)」です。ネーミングって大切ですね。



2002年11月27日(水)



 天候に左右される女

「調子が出ないのを、雨のせいにするのはどうかと思うよ」
と言われたとしても、やはり、私は天候に左右されてしまう。
だって自然界に属しているんだもの。それはある意味ナチュラルなことでしょ?

なんて、言い訳をしつつ、今朝は8日ぶりの晴天に出会う。
とするとたとえ深夜に寝ても、これまた自然に早起きできてしまうわけで。

洗濯機をぐるぐる回し(全自動だから全部機械がやってくれるが)、
シンクにたまった汚れ物をジャブジャブと洗い、拭き、食器棚にしまう。
りんご(蜜がたっぷり入った長野産のふじりんご)を剥き、珈琲で朝食。
ベランダの手すりの雨で吹き溜まった土埃をゴシゴシ拭き取って、
青空を見上げながら、朝の一服。ああ、至福の時。

朝にラジオの音はよく似合う。
J-WAVEから流れてくる交通情報なぞ聞きながら、ああ生きてるってスバラシイ!
なんて極楽観的なコメントを声に出して言ってみる。ああ、それもスバラシイ!
心に溜まった老廃物や澱もすべてザブザブ洗い流し、さっ外へ出よう。



2002年11月26日(火)



 冬の花火

終末、学園祭だったようで、周囲および下界は騒々しいばかり。
便乗して、模擬店で買ったお好み焼きやら鯛焼きやらビールやらで
夕食を済ませてしまうのはどうかと思う。騒音でシゴトができない!
と言い訳しつつ、まったりダラダラ。これってやはり、言い訳だな。

祭の終わりには、花火があがる。
ドドン、ババンという音に驚いて、そそくさとベランダに寄ると、
冬の澄み切った空に、色とりどりの花火が打ち上げられていた。
ほんの20〜30発程度だったけれど、それはそれは美しくて。

花火は夏の風物詩にたとえられるけれど、冬の空にも悪くない。
だって空がこんなに澄んで、冷たくて、きれいなんですもの。
ディズニーランドだけなんて、もったいない。

でも、冬の花火はせつなさを際立たせる効果がある。
昼の熱が残った夏の夜なら、それほどでもないけれど。
花火が消えた空をみながら、ふと、そう思った。



2002年11月24日(日)



 嘘と秘密とウィスキー

誰かの秘密を持つということは、その誰か以外の人たちには嘘をつくということで、
その両者の立場やら気持ちやらを痛いほど知ってしまっているアタクシには、
この状況がどうにもこうにも、そう、ツライのです。

体内に抱え持たなければならないことがツライのではなく、
それを隠さなければならないことが辛さを生む、ということ。
それでも私は、作られた秘密と嘘を守ることにします。はい。

昨日、やっと原稿を出し終えて、身も心も極限のヨレヨレ状態に。
でもこれで、ひとつの区切りだっ、ということとで、宴じゃっ!(苦笑)
女ともだちを引っ張り出して、渇いた喉に冷たいビールを流し込み、
旨い料理に日本酒を舐め舐めし、まだ足りなくてバーへ転がり込む。

前回の演奏会に来ていただいたお客様が、まったくもって嬉しいことに
「吉祥寺の××××××というバーに、ハーパーのボトルを取り置いてあるので、
 よろしければ好きなだけお召し上がりください」などと仰ってくださる。
もちろんお言葉に甘えて、お店が終わる時間までウィスキーを呑むオンナふたり。

そして、更に嬉しいことに、なんとそのバー。マスターがピアノを弾いてくれる。
のみならず、昨日はクラリネットを吹くおじさまと、ジャズを唱うお姐さまが。
お客はわたしたちふたりのみ。ひとの声にも似た音の波にとろりと呑み込まれ、
渇いたカラダに温かな液体が満たされてゆくような気分。丸みのある幸福。

疲弊したココロとカラダに浸み渡るオンガクは、何にも代え難い治癒となる。
気が付けば、嘘も秘密も苦しみさえも、すべて体内に溶け込んでいた。


2002年11月21日(木)



 

ひとりで生活していると、朝おきてから職場やコンビニで誰かと会話するまで
ほとんど声を出すことがない。ので、大体において、その日初めて出す声は、
起きたての声になってしまう。

起きたての声。
わたしの場合、かなりかすれて、ハスキーどころかドスの利いた声になる。
自分の生活時間帯に合わせて電話をしてくる母などは、私がベットからやおら
手を伸ばして取り上げた受話器から伝わる声を聞き、「どこのばぁさまかと
思った」と、酷な第一声を放つ。ばぁさまですか。そうですか。

睡眠不足と深酒とヘヴィ・スモークが重なると、私の声は破滅的になる(らしい)。
まぁ、これだけの悪条件が揃えば、誰だって声帯のひとつやふたつ破壊するか。
とにかく、ヒドイ声なのだ。自分でも耳障りに響く、ザラザラした音声。

で、だ。
今朝、会ったひとに「あ、その声。どっかで聞いたことあるよ」と言われた。
うーん、と考えておられる。ほほう。こんなダミ声に似た声のひとがいるのか、
と私は彼の答えを待つ。「ああ、思い出した。AV女優の××××だっ」

なぬっ? AV女優ですと? しかもAVのウリである、映像方面でなくて音声ですか。
えっ? 音声って・・・・と、しばし絶句。だってあの類のビデオで流れる音声
って、その、あの、会話とか語りとかじゃなくって「うふん」とか「あはん」でしょ?

・・・笑えない。ぜんぜん、笑えない。つか、センスないよ、そのコメント。
と、私はダミダミの声で言う。「ああ、その声、その声」と、そ奴は嬉しそうに笑う。
でもさ、そのオンナ、ぜったい色気ないね。

ああ、朝からダツリョク気味。
Oh! Somebody Help me!


2002年11月19日(火)



 飛行機雲

すばらしく美しい、飛行機雲を見た。

夕方の水色の空に、白い筆でまっすぐに「一」を書いたような、
尾びれの長い飛行機雲が、低くなった太陽の光に照らされて
よりいっそう、白く、白く輝いていた。

コンビニにカシミアのスコッティ(鼻にやさしいティッシュ)を買いに出て、
あまりにも空が美しかったので、その白い箱を小脇に抱えて(袋に入れて
もらわず、シールだけ貼ってもらった)、空が広くひらける場所を探して
うろうろと、住宅街を彷徨ってしまった。

道路の真ん中に、ティッシュの箱を抱えて立ちつくすオンナは、
そりゃ傍目から見れば相当に奇妙な光景だったろうけれど、
私が阿呆の如く空を見上げている姿を捉えた通行人たちは、
なぜか皆、つられて空を見上げていった。
そして皆、その理由を知る。にやり。

風、水蒸気、飛行機の行路、光、空の色、時刻、その場に居合わせたアタシ。
幾層にも重なった偶然に、感謝せずにはいられぬ瞬間。
そんな時、わけもなく、何かを信じたい気持ちにさせられる。


2002年11月14日(木)



 生命の気配

業務上、ある種の必然性を伴って、たびたび書庫に降りる。
図書館のカウンターの裏手、司書さんたちの休憩所兼作業所を通過して、
重い鉄の扉を開くと、そこはもう、さっきまで私がいた場所ではなくなる。

薄暗く、天井は低く、空気は停滞し、音が閉じ込められている。
巨大な図書館に隣接する、巨大な書庫という、ひとつの空間において、
そこはまるで異界としか呼びようのない場所なのだ。まったくのところ。

タイルの上に靴音を響かせながら(それさえも不気味に響く)、鉄の階段を
昇ったり降りたりして、天井まで届く本棚の間を行き来する。他人に出会う
ことは少なく、収納された本ばかりが、奇妙な生命感(ときにそれは威圧的
ですらある)を持って私というひとりの人間を俯瞰する。

ある種の恐怖と畏怖の念を抱きながら、私は「すんません。おじゃましてます」
と小声でこそこそひとりごちながら、偉大な歴史家たちの前をちょこまかと
動き回る。黴臭い空気が肺の中に充満し、息苦しくなる。そんな場所。

階段を上り、廊下を足早に駆け、鉄の扉を押して書庫へ出ると、
情けないほど、ほっとしてしまう。そして、深々と呼吸をする。
図書館も本も好きだ。しかし、書庫のあの陰鬱で威圧的な雰囲気には、
まだまだ馴染めそうにない。


2002年11月13日(水)



 放心にココア

告白してしまうと、ちょっとした放心状態がつづいている。
原稿提出、ツアーのファイナル終了(とても切ない終わり方だった)、
久方ぶりの風邪っぴき、オーケストラの演奏会、それらの隙間に挟まれた
細々とした、しかし、とても重大な会話たち(言葉には責任がある)。

どうしたことか、と自問し、どうもできぬ、と自答する。
次の原稿の資料だけは、わさわさと集めてあるが、思考も筆もまったく進まぬ。
おまけに声変わりした少年のような、中途半端なダミ声だけが耳障りに響く。

本番後の打ち上げの後、吉祥寺に戻ってきて、いつもの秘密結社カフェに潜る。
髪をばっさりと切った店長さんが「あれぇ、そんなヒドイ風邪で大丈夫でした?」
と、右側に抱え持ったチェロと、左手に持った鞄に突っ込まれた花束を見る。
深夜1時閉店で、ラストオーダーもとっくに終了してしまっているというのに、
「一杯だけ、いいかな?」と訊くと、「もちろん」とチェロを預かってくれた。

「死ぬほど甘いココア」をリクエストすると、「死なない程度に甘いココア」
を持ってきてくれた。瀬戸物の茶碗に入った甘くて熱いココアには、ミントの
葉がのっていた。私はまずそれを、何かの儀式のようにむしゃりと食べる。

冷えた指先で茶碗をくるむと、不思議に心が落ち着いてきた。
店の中は、地元の若者たちのグループが一組、カップルが二組、
そしてくたびれたオンナがひとり。カウンターの中の店長と眼が合ったので
「おいしいよ」と伝えた。音楽が大きかった上に、私の声は周囲の雑音に
紛れやすいので、きっと店長は私の唇を読んでくれたのだろう。
わらって小さく頷いてくれた。

生きる、という行為はとても激しく過酷なので、たびたび鎮静剤が必要になる。
それは本物の薬ではなく、音楽であったり、言葉であったり、食べ物であったり、
ココアであったりする。とりあえず、今の私の症状には、ココアが特効薬である。


2002年11月11日(月)



 子供の強さ

夕方のこの時刻が、ちょうど下校時間に重なることを、私はすっかり忘れていた。
太田さんのところから調整を終えたチェロを引き取って、私はバスに乗っていた。
大泉学園から吉祥寺へ、東京の南北を走る路線バスは、小学校の前で停車する。
ランドセルをしょった子供たちが、わやわやと勢いよく乗り込んできた。

バスの中は子供たちで埋め尽くされ、買い物帰りのおばさんたちは「弱ったな」
という表情を作る。如何せん、子供たちの声は高くてよく響き、ちょろちょろと
頻繁に車内を動き回る。後方の座席に座っていた私も、瞬間的に身構えてた。

退院したばかりの私のチェロは、頑丈なハードケースに入れられていたけれど、
万一子供がぶつかってきたら、その衝撃でまた不具合が出てしまうかもしれない
と不安だった。予想通り、子供が意味もなくうろうろと通路を行ったり来たりする。
私はそのたびにチェロの敏感な部分を手でガードするものだから、彼らのランドセル
がこすれて、白いすり傷をいくつも作ってしまった。そのことに、また苛立つ。

バスの運転手さんも、苛立っていたのかもしれない。
停留所に止まるたびに、客がステップを降りきる前に、ドアを閉めようとする。
客は、あの低いブザーの音で急かされている気になる。お年寄りだっているのに。
もし転んでしまったら、それこそ事故になりかねないというのに。
やさしさ不足の運転手さんに、私は軽い怒りを感じた。

バスが止まり、客は小学生をかきわけて降車口へ急ぐ。
しかし、彼女(かなりの歳のおばあさんだった)がドアへたどり着く前に、
無情にもバスのドアが閉められた。バスにいた客全員がはっとした瞬間、
「まって! 降りるひとがいまーす」と、子供たちが甲高い声で叫ぶ。

運転手さんは、まるで叱られた子供のように、すごすご扉を開く。
おばあさんは子供たちに「ありがとう、ありがとう」と言いながら降りていった。
子供たちは大して気にする様子もなく、再び、彼らの会話へ戻ってゆく。
でも、彼らが反射的に叫んだあの瞬間、私を含めた大人たちは彼らが成した
事の正しさに、敬意すら感じていた。子供の強さ、子供の正しさ、子供の素直さ。

ふたたび動き出したバスの車内は、ほっと、空気がゆるんだような気がした。




でもやっぱり、スクールバスがあってもいいじゃないか。

2002年11月08日(金)



 チェロのいない部屋

在るものが、在るべき場所にないというのは、
なんと居心地の悪いものなのだろうか。

と、私はこれを書きながらも(風邪っぴきの私は、ベットにPCを持ち込んでいる)
部屋の隅に視線を投げかけ、居ないことを、半ば強制的に、何度も確認している。

この部屋の壁はこんなに白かったのか、とか、クローゼットの開閉が難なくできて
しまうことや(そのくせ、クローゼットの扉を閉めるときは、奴が反動で倒れて
しまわないように、いつものように反射的に手を差し延べてしまったりする)、
フローリングの隅に吹きだめられたホコリなんかを片付けながら、女々しくも、
ここには居ないことを何度も、何度も、あきれるくらい何度も確かめてしまう。

そして、私のチョコレート色のチェロケースの、艶っぽい曲線美を思い描いたり、
九つの金具をパチンパチンと外す音を、耳の中で響かせてみたり、ケースを開いた
ときに現れる、イタリアの太陽のような陽気な赤いボディを思い出してみたり(でも、
アイツは純正たる日本製だ)、錆びかかったエンドピンを伸ばすときに、指にあたる
微妙な引っかかり具合を想像してみたり。まったく、突然恋人を失ってしまった
そこいらの男のような女々しさである。

夕方、池袋の先に住む太田さんに、チェロを預けてきた。
太田さんは楽器の修理にかけては、神様のような指をもった方で、彼にかかると
たちまち楽器が生き返ってしまうのだ。私の子も少々具合が悪くなっており、
演奏会前に急遽、一晩だけ入院することになった。

何度も「太田さんなら安心だよ」と自分に言い聞かせながら、
やけに身軽な右肩に不自由さを覚えつつ、ひとりで帰ってきた。
あの子を置いてきてしまったことに対する不安なんかじゃなくって、
実のところ、私がチェロにおいてけぼりにされてしまったみたいで、
どうにも、こうにも、落ち着かないのである。



ああ、恋しい!

2002年11月07日(木)



 診療所という場所

心を決めて、午前中のうちに地元の診療所へ行く。
それなりに病院がたくさんある場所に住んでいるのだが、私はゆるりとした、
庶民的なざわめきを持ち、ひだまりの匂いがする、そしてちょっとヤブな
診療所を好んでいる。聴診もしない。採血もしない。叱責もしない。

リタイア寸前の老医師が、ゆっくり問診し(時々、同じ質問を何度も繰り返す)、
カルテにこりこりを黒いペンで症状を書き込んでゆく。老医師はその仕事のペース
を決して崩そうとしないので、患者たちは長い時間、待たされることになる。
それでも、誰も待たされることにあまり頓着しない。ま、そういう場所なのだ。此処は。

私も例に漏れず長い時間待たされ、名前を呼ばれて診察室へ入る頃には、
たくさんの老人たちをかきわけて進まなければならなかった。
老医師がいつものように問診する。私はそれに、出来る限り正確に答える。

「喉に焼けるような痛みを感じたのは昨日の朝。それからくしゃみが出て、
 夜に発熱しました。37.5℃くらい。今は少し鼻が出ます。それと、発熱
 する前に感じる頭痛がします。これからもっと熱が出るのかも知れません」

老医師は、「喉をみせて」と木べらで私の舌をぎゅっと押さえる。
「ああ、腫れてますね。お薬を塗りましょう」
そう言われ、私は身構える。喉に塗られる苦酸っぱ辛い薬が私は苦手だった。
長い銀の棒の先に脱脂綿をくるくる巻き、茶色の液体をつけられたそれが、
私の喉ふかく挿入される。そして、老医師は力を加減することなく、ぐりぐり
とそれを塗りたくる。私は苦しくて、いつも涙眼になってしまう。

「はい、おしまい」
そう言って、老医師は銀の棒を私の喉から抜き、しげしげと私を眺める。
「ああ、つらかったね。ごめんごめん」
老医師は私の背中を、ぽんぽん、と二回たたいた。
老医師の手はあたたかく、私は涙がこぼれそうになるのを我慢する。

それから隣りの処置室で注射を二本受け、受付で処方箋をもらって薬局に寄った。
風邪ひきで、熱っぽいアタマを持てあましながら、私はこれからすべきことを
考える。研究室のデスクには、みんなからのお見舞い品が積まれ、私は老医師の
あたたかな手を思い出す。




みんなからの慰め品。ありがとう。早く直しますね。

2002年11月06日(水)



 ひきかけ、かきかけ、よびかけ中

午後、コーヒーと本をお供にベランダへ出る。
膝掛けをぐるぐると腰に巻き付けて、皮のコートまで着込んで完全武装をキメる。
しばらくして、部屋の女の子ふたりがベランダのドアを開け、私の姿をみてわらう。

「どうぞ、ごいっしょに」
コーヒーカップと本を横にずらし、彼女たちの場所をあける。
「風邪ひきました?」と聞かれ、「ああ、そうかも」と答える。
朝起きてから、あまりの酷い声に我ながら驚いた。喉が焼けるように痛む。
「なんだか、違うひとと喋ってるみたい」
私は熱っぽい喉の奥で、ひひゃひゃひゃ、と音にならない笑い声を立てる。

部屋に入ると、私のデスクに次々と貢ぎ物が届けられる。
喉の腫れ/痛みに効くという風邪薬、いい香りのする小ぶりのみかん、龍角散のど飴。
私はみかんを食べ、薬を呑み、飴を舐め、大きなくしゃみを立て続けに三回する。

「まだまだ今月は大変なんですから、あったかくして、ビタミンたくさん摂って
 ゆっくり休養してくださいよ。今週末は本番だってあるんですから」
そんな有り難い忠告をいただきながら、私はばぁさまのようにしゃがれた声で、
「どうもありがとう」とお礼を言う。そうなのだ。風邪をひいている場合じゃない。

20日までに原稿の締切が二本、今週の土曜にオケの本番が一本。
目下、風邪をひきかけ、原稿は書きかけで、コンサートのご案内を呼びかけ中です。
同じ「〜かけ中」でも、意味は全部ちがうのね。日本語って摩訶不思議。


2002年11月05日(火)



 スターダスト

駅前でバスを降り、夜の空気の冷たさに身震いして、通りに面したバーガーショップ
の灯りに吸い寄せられるように足を踏み入れた。店内は明るくて、あたたかくて、
5つのテーブル席は、近所のカップルや仕事帰りのサラリーマンで占拠されていた。

クラムチャウダーのスープを注文し、丸いカウンターの椅子に座る。
スープは想像していたよりもぬるくて、ちょっとしょっぱかった。
プラスティックのスプーンでくるくるかき回しながらのむ。
そして、今日のできごとを思い返してみる。

眼が覚めてすぐにのんだ「エキゾチック・ティ」という名前の紅茶や、
パジャマのまま顔も洗わずにせっせと刻んだ野菜たちのこと。
にんじんときゅうりとセロリとアスパラガス。
にんじんとアスパラガスは軽く茹でて、ぜんぶ野菜スティックにした。
それと、実験のようにして作ったディップ。マスタード味と味噌味の二種類。

それから、昨夜泊まっていった「妹」が急に財布だけ掴んで部屋を飛び出し、
ぷりぷりとした白い実を付けた枝と、薄ピンク色のガーベラを三本抱えて
帰ってきたこと。彼女はグレイの丈の長い、私のカーディガンを着ていた。

午後に教授の研究室で行われた奇妙なパーティのこと。
ビデオとDVDの配線がうまくいってほっとした。私はいつの間に「繋ぎ屋」に
なったのだろう。久しぶりに食べたピザが思いの外おいしかった。
そして、今年初めて、白い薄手のダウンコートに袖を通した。皮の手袋も。
「スポーツ観戦に行くみたいですね」と笑ったトモダチの、優しい目元のこと。

あと、スタジアムのくりぬかれた丸天井の夜空に、すっと光が流れたこと。
六万人近い人々が振るペンライトの海も、もちろん、息をのむほど美しかったけれど、
ステージをそっちのけで、見上げた空に流れ星を見付けてしまったこと。
なんとなく嬉しくもあり、そして、しんみりと寂しくも感じた。東京の夜空。

そんないちにち。


2002年11月02日(土)
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