月のシズク
mamico



 ヒトコト

いくらジブンに誠実に生きていても
そのジブンに対して責任を取れないと
エレガントで カッコイイ オトナとは 
云えませんな


・・・・・・

いえ、モチロン、ヒトゴトではなく、自戒を込めた ヒトコトなり


2003年01月28日(火)



 ネパールのホテル、青い服、トルソー

嬉しいような、なつかしいような、儚い夢をみた。
季節はクリスマスで、ネパールにあるオランダ風の背の高いホテルにいた。

ネパールにそんな立派なホテルがあるかなんて知らないけれど、ともかくそこは
ネパールで、バルコニーに出ると、眼下の広い石畳の広場で、クリスマスの催しが
開かれていた。部屋の真下では舞踏会が開かれ、丸いワイヤー入りのドレスを着た
女たちが音楽に合わせてくるくる回っていた。右下では黒い衣装をきたオーケストラ
がワルツを演奏していた。舞踏と音楽がちぐはぐで、燕尾服の指揮者はおたおた
しながら白い指揮棒でリズムを刻んでいた。

そして、目の前には、この部屋と同じ高さくらいの(7階ぐらいだった)人間
クリスマスツリーができあがっていた。人が何人も積み重なって、ツリーになる
のだ。なんだか危なかしくて、でも愉快で、私はきっと笑いながらそれを見ていた。

東南アジア特有のなまあたたかい風が吹き、カーテンが揺れていた。
「お待たせしました。アナタへの贈り物です」
と、メイドがトルソーを部屋に運び入れた。
胸元にドレープがある白い袖無しのブラウスと、青いスカート。
「まずは、このお手紙をお読みください」
メイドは私に、巻きたばこのような小さな紙筒を手渡した。

私はそれを受け取り、茶色の麻紐をほどき、くるくると広げる。
トレーシングペーパーのような薄い水色の紙に、見覚えのある癖のある文字。

「この服は私がつくりました。遅くなったけれど、誕生日プレゼントです。
 アナタとこうして一緒に旅に出られて、とても嬉しく思います」

手紙を読み終えて顔をあげると、そこにはユキコがいた。
もうずっと昔に、私の前から消えてしまったユキコが、にっこりわらっていた。
「いきましょう」と彼女は私の手を取り、絨毯が敷かれた廊下に出た。
私はユキコが創ってくれた白いブラウスと青いスカートを着ていた。

そこで眼が覚めた。
雨の音がして、低気圧通過に伴う偏頭痛が私の前頭葉を襲ったけれど、それでも、
なんだか久しぶりに幸福な夢をみたようで、私はいつまでもベッドで微睡んでいた。


2003年01月27日(月)



 Piano Nightly

今週末は、大学のアシスタントの仕事を持ち帰っている。
学生さんの試験&レポート提出が重なったので、えらい数の採点が回ってきた。

せっかく一生懸命書いてきたレポートだもの。全部読もうじゃないか、と腕まくり
したはいいが、本の後ろの解説を丸写ししたものだとか、作品解説に終始している
ものとか、まぁ、いろいろあるわけで。そんなのまでちびちび読んでいると、
夜もふけてくるわけで。脳味噌をマヒさせるために、酒瓶に手が伸びちゃう
わけで・・・って、オイ! だってその数、三桁ですぜぃ(泪)

まぁ、ともかく、「うっひゃ、もうダメ。これ以上読めない」というときには、
気分転換にピアノの音が効果的だったりする。素人さんがネット配信している
ものでも、かなり結構すごいのがあったりして。最近のお気に入りはさんの
自作集です。曲のタイトルと楽曲が巧くリンクしてます。時折レポートの束から
顔をあげて(背けて?)、放心状態で聴いております。癒し、というよりは、刺激。

さて、そろそろお風呂に入って眠ります。
草津温泉の入浴剤なんぞ入れて。
おやすみん。

2003年01月25日(土)



 B.Oなんてブッ飛ばせ!

日テレさんでやっていた『千と千尋の神隠し』を観た。
親切なトモダチが「緊急連絡」と銘打って、「8時半から拡大版でやるって!
急いで帰るべしっ」とメイルをくれ、すっかりその気になってスタンバイ。

・・・いやはや(何がだっ!)
これ、めちゃくちゃオモシロイじゃん。
いやはや(失語症気味)

宮崎駿作品は、映像も台詞も(どんなにグロテスクな容姿の)登場人物も、
いつのまにか好きにならされてしまいますね。観る者は、千の通過してきた
時空に連れて行かれ、同じ体験をし、同じ痛みや、喜びを体感する。
そして、最後に訪れる、ある種、ノスタルジックな味わい。

その理由は、宮崎作品はあくまで東洋的な精神世界を扱っているからだろう。
特に今回の『千と千尋〜』ではそう感じた。この作品は、善/悪、敵/味方、
白/黒、天国/地獄、のどちらかに荷担するという西洋的な思考の基盤である
二項対立(Binary Opposition)の法則に当てはまらない。

意地悪ばかりする「ゆばばあ」も、最後には千に父母を返してやる。
味方だと思っていたハクが、実は盗みを働かしていたことが発覚する。
皆、自分の心に善しきものと、悪しきものが内在していることを知っている。
それらは「在るモノ」として対処してゆく。つまり、皆、人間ぽいのだ。
その人間ぽさに、私たちは郷愁を憶えるのかもしれない。

神様の温泉宿、という発想が気に入った。
それも一神教でなく、あらゆる形相の、あらゆる種類の万物の神。
神様はたくさんいるのに、誰も千を助けない。助けないどころか、「カオナシ」
が暴威を振るっても、温泉宿の従業員たちと同様に、「触らぬ神にたたりなし」
という顔をしている。救い主としての西洋的な神ではないのだ。

さてさて、宮崎駿監督。次回作を制作中だとか。
こりゃまた楽しみですね。ジブリ美術館、ご近所だし一度伺わねば。

2003年01月24日(金)



 燃やせないゴミ

自治体で配られる「ゴミ出し曜日表」なるものを眺めていた。
私はどうしても「燃えるゴミ」の日しかアタマに入っていないので、
その他のゴミは一体いつ出せばいいのか、今一度、確かめようとしていた。

月:燃えるゴミ
火:プラスティック、ペットボトル
水:燃やせないゴミ
木:燃えるゴミ
金:缶、布、段ボール、ビン、有害ゴミ

遊びに来ていたトモダチが「どーしたの」と絡んでくる。
「あのさぁ、今日って水曜じゃん。燃やせないゴミ、って何だろう」
私が眺めている分別表を見て、友は「へぇ〜?」と気のない声で答える。
「だってさ、プラスティック類は火曜じゃん。その他の細々したのは金曜。
 じゃさ、水曜には何を出せばいいのかな」

友は、むーん、としばし考える。
ふたり腕組みして、冷蔵庫の横に貼り付けてある紙っぺらを眺める。

「きっとさ、手紙とか、写真とか、重要書類とか、ぬいぐるみとかじゃん」
はへっ?と、私はきょとんとした顔で友を見る。
「だから、自分じゃどうしても燃やせないものを捨てる日なんじゃないかな」
友はひどく真面目な顔でそう答える。
「昔の恋人との思い出とか、嫌いな奴からもらったいらないプレゼントを
 ばばーって捨てるんだよ。うん。きっとそうだ」

その答えが、なんだかとってもリアルで、「あっ、そっか」と素直に納得しそうに
なった。「だから水曜には、ゴミ捨て場にいろんなもんが並ぶんだよ。きっと」
と友は続け、「あるんじゃん?マミコなんてけっこういろんなモンが」などと
失礼なことを言いなさる。私はへらへらと笑ってみた。

「燃やせないゴミ」の実状はともかく、友の言うことが本当であったならば、
自治体もいろんなモンをしょってくれちゃったりするんだな。親切なモンだね。


2003年01月22日(水)



 あるある!?

研究室の内線が鳴り「もしもし」と出ると、うちのセンセ。
「時間ある?ちょっとサイトの更新して欲しいんだけど。
 で、(草なぎ@smap)ツヨシはどーだったの?」とすごい勢い。
「今いきますから、ちょっと待っててください」とノートPC抱えてセンセの部屋へ。

まずは、「ツヨシはどーだったの?」の内情から。
実は土曜日、有楽町での『黄泉がえり』の初日舞台挨拶に行ったのです。
というか、心優しい方が抽選ハガキを譲ってくださって、まぁその、権利譲渡という
わけですけど。映画自体はファンタジー的要素(つまり、ありえないことが多すぎ)
だが、いろんな家族の形があって、いろんな愛の形があって、またいろんな死の
形があるわけで。それらひとつひとつを丁寧に取り上げていたと思います。
92歳の北林谷栄さんの名演技を、もっと突っ込んで欲しかったかな。
ツヨシは・・・・(笑)。激情する場面や、走る場面が良かった。
くぐもった、低く、響きのある声も。ツヨシの声は心に響きます。

さて、センセのサイトを更新して、やれ木村の新しいドラマがどーの、先週の
スマスマと今週の緊急生放送の繋ぎはどーの、あーだ、こーだと論議していると、
「あ、5時から関西テレビのひとが来るのよ」と、突然部屋を片付け始めた。
「またスマップの取材ですか?」と訊くと、「ト・ラ・ウ・マ、だって(苦笑)」

それも『あるある●●●!』の番組のためのネタ収集目的らしい。
あの番組は一度の番組内で、テーマ→問題提起→実証→結論、までの流れが軸と
なっている。そこにトラウマ?ですか。ちょっとそりゃ無理難題でしょう、と私も
苦笑する。第一、番組の趣旨に添わないと思います、ハイ、と素直に意見した。

「まっ、トラウマというのは、言葉に出せるほど安直なモンじゃないってことを
 語るくらいしか私にはできないわね。だって"忘れていることを、忘れている"
 んですもの。トラウマ、っちゅーものは」
と、始まったところで、コンコンと遠慮がちにドアをノックする音。

コンニチハ、と現れたのは、私くらいの(推定)年齢の男女ふたり組。
どうやらプロダクションのひとたちらしい。お茶を淹れている間、耳をそば立てて
様子をうかがう。・・・くすりっ。始まってます。濁流の如き精神分析講義が(笑)

「お先に失礼します」と部屋を出るとき、プロダクションの若い男の方が、
当惑気味の顔をあげて「ああっ」と返事にもならない声を漏らす。
びっしりとメモされたノート、その姿はまるで試験前の大学生さんのようでした。

2003年01月20日(月)



 トラックの不運

昼下がり、自宅のベランダに出てブレイクタイムの一コマ。
ベランダの眼下、地元民の抜け道になっている一方通行の道路が何やら渋滞している。

身を乗り出してその先を見てみると、引っ越し作業中のトラックが行く手を
阻んでいるらしい。青い繋ぎ服を着たアルバイトのお兄ちゃん。
ててて、と駆けてきて、道沿いの駐車場にバックでトラックを誘導し、
後続車の運転手ひとりひとりに、深々とアタマを下げて謝る。

トラックが道に戻り、作業を続けようとすると、また一台。
トラックはバックで避難、青い繋ぎのお兄ちゃん、謝る、また一台、
トラックはバックで避難、青い繋ぎのお兄ちゃん、謝る、謝る、また一台。
・・・

バイトのお兄ちゃんの丁寧さと働きっぷりはスバラシイが、いったい何時になったら
荷物の積み卸し作業が終わるんじゃー!と、いささか心配になる近隣住民たち。
だって、斜向かいの家のおばちゃんも、犬を散歩途中のおっちゃんも、
学校帰りのコドモたちも、みーんな、好奇心と同情を織り交ぜた視線で、
コトの成り行きを見守る。って、単なる野次馬じゃんか(笑)

後続車が来ると、ねばり強く同じ動作を繰り返す、青い繋ぎのお兄ちゃん。
長い時間をかけて作業を終え、トラックに乗り込むと思いきや、くるりと
後ろを振り返り「どーも、ごめーわくを おかけいたしましたっ」と
後続車のいない道に向かってペコリとお辞儀する。

ベランダから、そろりそろりとのぞき見してた近隣住民、肩をすくめながら、
くすっとわらい、それぞれの日常に戻ってゆきましたとさ。


2003年01月17日(金)



 星はまたたく

先生の部屋で音楽再生機をセッティングして、「試しに何か流してみて」
と渡されたCDの束の中から、敢えて、ブラームスのシンフォニーを選んだ。
重層的な音の波や渦を聴きたかったのではない。敢えて、それを選んだのだ。

なのにそのCDが終わったら、先生はすくっと立ち上がって、ルビン・シュタイン
のピアノを流し始めた。強いタッチのショパン。どれもこれも好きな曲。
私は最初、そのCDを、束の中に見なかったふりをした。避けるように。
だけど、音として再生してしまったからには、あがなうことは不可能だった。
眼を閉じても、仕事に没頭したフリをしても、音は私の中に染み込んできた。

部屋に戻ってから、ホコリのかぶったMDを流した。
パンドラの箱。竜宮城からのおみやげ。そして、私は浦島太郎になった。敢えて。

雑音がたくさん入ったピアノの音は、でも、すぐに私の部屋に馴染んだ。
ぜんぜんみじめなんかじゃなかった。むしろ、部屋の空気はやわらかなとろみ
を増し、私はヴォリユームを上げた。雑音は大きくなったけれど、そのぶん、
ピアノの音が、とても、とてもリアルに感じられた。私の閉じられた過去。

先生は「言語という音楽記号の中からエモーショナルなものを引き出す効果」
として、ある種の音楽について語ってくれた。原稿を読みながら、然り、と
思った。それは実体験を共にした私だから、すぐさま「然り」と共感できた
のかもしれない。私にとって、このピアノがそうだったから。

自暴自棄でも、感傷趣味があるわけでもない。きっと誰にだってあること。
ルビン・シュタインのピアノが流れる部屋で、学生のレポートをチェックして
いて、はっとさせられた。記憶は、トラウマ記憶として封じ込めておいても
どこかでその「よみがえり」を夢見るものである。そういった意味のことが
書かれていた。蘇りを求めているのなら、それをそうさせてあげよう。
はっきりと、そう思った。

誰の中にも、思い出したくない、あるいはもう思い出せない記憶がある。
でもそれが何かの拍子に、不意に、ひょこっと、やって来たのならば、
私はそれを引き上げて、汲み取ってあげようと思おう。
過去の記憶は必ず、未来に向かっているものなのだから。


2003年01月15日(水)



 スイーツ、スイーツDay

なんというか、こんなところにこんなことを書くのもアレなんですが(小声)
女性って Women's Period の前後って、やたら甘いものが欲しくなりません?
と、コレを読んで世の男性たちは「はてさて?何のことやら?」と小首を
かしげていてください。どうぜ理解不能なオンナの世界のお話ですので。

私の場合、やったらチョコレートが欲しくなる。
いや、チョコレートは大好物なので普段から食べるけれど、この時期は特に。
そればかりでなく、いつもなら寄りつかないようベタなスイーツが欲しくなる。
べっとり生クリームのケーキや、ごてごてのおはぎ、砂糖入りの激甘ココアなど。

もうそうなっちゃったら、自分でもブレーキが効かないわけでして。
「アタシのカラダが欲してるんだもん。しょーがないじゃない」
などと、誰に言い訳するでもなく自分に言い聞かせて、せっせと摂取しちまう。
その結果、翌朝あたしのほっぺにはプツンと赤い吹き出物なんか出現しちゃうわけで。

おまけに、コトが始まると、それはもう身悶えんばかりの痛み、鈍痛よ。
腰に温湿布を貼り、鎮静剤をのみ、顔面蒼白のまま這うようにしてシゴトへ。
そんなアタシの惨めな姿をチャカし「どうしたの?」と男トモダチがまとわりつく。
「腹、痛ーんだよっ(かまわんでくれ)」と、低い声でうなるように答えるアタシ。
「ナニ?お腹のドコが痛むの?」などと追い打ちをかける友。
「シキュウ」
「・・・・」

無言で部屋を出ていき、しばらくして戻ってきた友の手にはチョコレートの箱が。
あら、アタクシの普段からの教育が行き届いているようで(笑)
つまり、まぁ、今はそんな状態でして。ええ、かまわんでくれ。頼む。


2003年01月14日(火)



 さてさて、クジラ時間

連休。
ヒトに会ったなー、と、堕落生活してたなー、の二言に尽きる。
私の地味な日常では(いえ、普段はホント静かに暮らしております)
異色とも言われるメンツが日替わりで。中華にイタリアンにフレンチに多国籍料理。
実際に喰らったというのではなく、これほど多種多様なひとびとに出くわした、
ということ。呑んだ、喋った、考えた、笑った。ええ、笑いましたよ。日々。

その反動、ということでもないけれど、おうちに帰ると妙に脱力してしまい、
狭い部屋にもかかわらず、行動範囲を最小限にとどめる自称カメ族。
のたのた、わたわた、ごそごそ、ふにゅふにゅ、と堕落生活。
冬ですもの。寒いとセンチ(死語)になっちゃうわ。なーんて。

そうそう、吉祥寺のLOFTにガチャガチャ・コーナーがありましてですね、
何やらマニアックなガチャガチャが勢揃いしておりまして。そこで私が
飛び跳ねるほど喜んだマシーンが。その名も「世界のクジラ」。
好きなのです。クジラ。コロリと出てきた丸いプラスティックの容器には、
我が愛する美形の背美鯨くんが。ちなみにメルビルの白鯨は抹香鯨ね(笑)

クジラという生き物は、人間に無関心なところがいい。
あの巨大な体と巨大な脳で何を考えていることやら。
きっと奴らはヒト時間とは全く異質のクジラ時間で生きているのだろう。
そういう理解を超えた未知なるものに、あこがれる。クジラ時間。

・・・かといって、この私の自堕落生活は、アタシ時間、と名付ける気もないが。


2003年01月13日(月)



 夜話

気が付いたら、暖房も音もない部屋でぼんやりしていた。
時折、アスファルトを蹴散らすタイヤの音がベランダの外から聞こえる。
どれくらいこうしていたのだろう、と考え、そして考えるのをやめた。

最近、煙草の銘柄を変えた。
「新年から禁煙」の決意は「新年から節煙」になり、「もらいタバコ」を
モットーにしてみた。モチロン、そんなヤワな反復楽句は軽く打ち破られ、
今でもベランダに出ては、とろとろと麻薬的乾燥草を摂取している。

部屋の電気を消し、コンポにjazzmastersのCDを突っ込んでベランダに出た。
音は、闇の中でこそ、その形状が露わになる。触れらないのに、確かにあるもの。
どこかへ向かう乾いたタイヤの音が、夜の空気を細かく震わせ、カーテン越しに
女性ヴォーカルのやわらかな声が、くぐもって伝わってきた。
夜の音。馴染みきったその音の破片たち。

なかなか心がしっかりしなくて、それはもう新作ドラマ「僕の生きる道」の
つよぽんのように「とほほ」な状態なのだ。ベランダのガラスに見事なまでの
とほほ顔がうつる。あまりヒトとして機能していないときのアタシの顔だ。

「それはつまり、よくあるマミコ的状況なわけでしょ?」
気の知れた男トモダチは、昔そういっていた。励ましたつもりだったのだろう。
不器用な奴だ、と思い、いい奴だ、とも思う。

空は曇っていて、うすぼんやりとした夜だ。ためしに「宵待草」をうたってみる。
「待てどくらせど 来ぬひとを 宵待草のやるせなさ 今宵は月も 出ぬそうな」
まったく、月ぐらい出ていてくれよと空を仰ぐ。

そんなアタシを、ほっそいお月さんがわらっておった。


2003年01月09日(木)



 正月ボケ?

お久しぶりです、コンニチハ
などと、自分のニッキに書いたところで、単なるひとりごとですね。
ジャマイカでド派手にヴァカンスしてきた両親と入れ替わりに、
東京の我が家に戻ってまいりました(1/3)。ただいま(遅っ)。

さて、以前のプロバイダさんのページ、ついに消滅してしまいましたね。
ひどくあっけないもので、だからといって路頭に迷うヴィジターさんも
さほどいないだろうとタカをくくっていたら、「どこにいっちゃったの?(当惑)」
というメイルもいただき、恐縮しております。ごめんなさい。まだ仮住まい中デス。

ADSLも開通し、プロバイダ契約も交わし、ファイルを移行したところでハタと
気付いた。「CGIが使えないじゃーん(泪)」。アホアホですね。今更ながら。
そこには「CGI使用可(制限付き)」と書かれておりました。(制限付き)を無視
しておりました。自作のものは×らしく、泣く泣く他のプロバイダさんと契りを
交わしたところです。週末の連休明けには(今度こそ)新装開店いたします。
もうしばらく待たれたし。ご迷惑をおかけいたしております。

で、新年を迎え、東京の生活に戻ったアタクシ。
どうしているかというと、しばらく惚けておりました。正直に申し上げて、
パソコンも触りたくない、活字も読みたくない、オンガクも聞きたくない、
という状態でして。年賀ハガキをいただいたみなさま、申し訳ない。
そろそろお返事いたします(遅っ)。成人の日には届く予定です。

冬のセールで賑わう街の片隅で、ぼそぼそと喫茶店に入り浸り、電器屋さんで
パソコンやDVD+HDRなどを物色し、来月末のお休みにはイタリアなんぞへ行こうか
と無謀な計画を企て、ひたすら眠る、という日々。デスクにはホコリが積もって
おりました(マジで)。これぞ正月ボケでしょうか。

そうそう、ポンポン付きのニット帽を買いました(セール除外品)。
やはりみなさま、このポンポンが気になるようで、会うひと会うひと、ぽんぽん、
とやっていきます。揃いも揃って、みな嬉しそうに、ぽんぽん、と。他人を幸せに
する帽子ということでしょうか。新年早々、喜んでいただけるなら、私もまたシアワセ。


2003年01月08日(水)



 思い立ったが吉日

毎年、元旦の朝には約束されたように雪が降る。
・・・がっ! 今年は目覚めたらナント青い青い空が広がっていた。

祖母とふたり、新年のご挨拶を終え、お節をいただき、雑煮を食べ、
ほろっと酔ったついでに、コーヒーカップを片手に外へ出てみる。
新しい朝の新鮮な空気を吸い込みつつ、いっぷく、ぷくぷく。

近所をふらふら歩いていると、西の方角に白い立山連邦が切り絵のように、
はっきり、くっきり、どっしりと、凛々しく連なっているのが見えた。近いっ。
尾根の先っぽまで見える。ありふれた古い住宅街の向こう、神々しい山々が迫る。
私はダウンのポケットをまさぐり、友に電話をかける。

「明けまして、おめでとう。あのさぁ、すごいんだよ、山っ」
「はぁ? どーしたの?」
「めちゃくちゃキレイなんだよ、山っ。でさぁ、ドライブしない?
 海まで。海岸線から見ようよ、山っ。こりゃめでたいよ、ぜったい」

ヂモトにずっと住まっている友には、たいして珍しくも何ともない光景なのかも
しれない。でも、元旦の朝、一年の始まりが、自然の雄大なチカラによって、
幕が明けられたかと思うと、何が何でもその光景をこのふたつの眼で
キチンと確認して、キチンと対峙したくなったのだ。これもサガ。

「あいよ。今むかえに行くわ」
合点承知した友は、言葉短に電話を切る。
冬の日本海は深い青をたたえ、その向こうに、白い神々の山が新年を祝福していた。




こんなかんじです。白い峰が美しい。

2003年01月02日(木)
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