月のシズク
mamico



 エール交換

研究室のドアを開くと、明らかに睡眠不足の顔をしたモリカワ氏が立っていた。
「おはよう。だいじょうぶ?」と、少し遠慮がちに声をかけてみた。
モリカワ氏のデスクには、コーヒーの空き缶が並んでいる。

「はい。これ」
モリカワ氏は眠そうな目を細めて、私の手の甲にぺたりと小さなシールを貼り付けた。
ジョージアの缶コーヒーに付いている、あの小さなシールだった。
裏側には「明日へのヒトコト」が書かれている。私はぺろっと裏返し、それを読む。

      「貴女なら 出来る はずだよ 頑張って!!」

私は彼の顔を見つめて、ありがとうを云う。
今わたしたちが置かれている状況を、いちばんよく体感している仲間。
彼も私も今月末締め切りの原稿を抱えていた。残すところ、あと二日。
今週に入って、彼がずっと不眠不休の状態で取り組んでいることは知っていた。
ありがたい、あたたかいメッセージを、私はデスクの横に貼り付ける。

午後、自動販売機であまり飲んだことのない缶コーヒーを買う。
そして、例のシールをぺろりと剥がす。

       「苦しみも 慈しみ さえも 我が肥やし」

私はそのシールを、モリカワ氏のデスクに貼った。
迫られる者たちの、ひそやかな、エール交換。
いつだって、ささやかな優しさが、背中をそっと押してくれる。
私は そんなひとたちの心に 感謝する。


2002年10月29日(火)



 夢のはなし

隣りで規則正しい寝息を立て始めた「妹」が、くるんとカラダをこちらに向けて、
「らみねーと」と発音した。はっきりと「ラミネート」と。
驚いて「どうしたの?」と訊き返す。

「黒い文字で縦書きに、"ラミネート"ってみえたんです」
「夢、みてたの?」
「そう。それと、ケーキの中から中国人の男が出てきた」
「中国人のオトコ?」
「うん。三段重ねのウェディングケーキの、二段目と三段目の間に、
 突然、にょきっと、背広を着て、七三わけした小さな男が出てきた」
「でも、なんで中国人ってわかったの?」
「うーん、なんでだろ。でもあれは中国人の男だった・・・」

そう言い終えて、彼女はふたたびすやすやと眠りに堕ちた。
明け方、今度は私が夢を見た。

サルと薄い灰色のサルーキー(犬)が、揃いの青い首輪につながれていた。
二匹とも、とてもおとなしく、そして青年ほどの年齢だと思われた。
隣りに八百屋の主人のようなエプロンと野球帽を被った男が立っていた。
「二匹で5000円。おねえさん、どうだい?」
と声を掛ける。二匹で五千円でいいの?と聞き返そうとして、そのまま立ち去る。
夕方、再び店の前を通ると、店の主人はサルと犬をひょいと持ち上げて、
アイスクリームが入っている冷凍保存容器に、二匹をぽいと入れた。
中を見ると、サルと犬がごろごろ冷凍されている。容器の右上には、
白い紙が貼られ、豪快な筆遣いで「五千円」と書かれていた。

そんな夢だ。

眼が覚めてから、「妹」にその話をする。
「妹」は、くふくふと笑いながら、「ふたりとも、へんてこな夢をみましたね」と言った。
窓の外は秋の空が美しく、ふたり並んでパジャマのまま煙草をすった。

そんな、ある秋の朝。




すてきな「詩」をいだたきました。ステキすぎて、まだお見せしたくない(笑)

2002年10月28日(月)



 ソレが降りてくるとき

詳細は控えるが、急遽、今月中に原稿を書き上げろとの指令が下り、
「とにかく10枚書いて持ってきて」と言われたのが、おとといの夕方。
こりゃ大変だ、と頭ではわかっているものの、心の方は至って平穏。
だが、見えない触覚がこの短い期間で、ぎゅんぎゅん動いていたらしい。

昨夜、南の空高く、薄雲の向こうに月あかりが見えた頃、
何の前触れもなく、ソレは私の中にすんと降りてきた。
これだっ、と思った瞬間に、私はしかっとそれを掴んだ。
表現できないほどの戦慄と興奮がカラダ中を駆けめぐっていた。
東の空が白み始める頃、冷え切った部屋にペンを置く音が響く。

何かを本気で強く強く求めたときには、必ず向こうからソレがやって来る。
わたしはあらゆる神経と感触と感覚をクリアにして、ソレを見落とさぬように
なるだけ注意深くなり、その瞬間を間違えなくキャッチすればよいのだ。
もちろん「ソレ」とは、私に内在する "something" にすぎないのだが。

その瞬間に何度も出会いたくて、私はこのシゴトを選んだのだろう。
とにかく、そんなこんなで、最近の私の生活リズムは、変拍子を刻んでいる。



2002年10月25日(金)



 移動式硝子実験室

昨夜のこと。
OZONEとキスカフェがコラボレーションして開催中の、ブックマーク・カフェのライブ映像
をみながらシゴトを片す午後7時半。なにやら会場がすごい賑わいをみせていて、
我慢しきれず参入する(仕事場からキスカフェまではチャリで10分の距離なのだ)。

本日のカフェマスターは、TESERRA CAFEのミサキさん。
ガラスの製造過程やら、牛乳色のガラスの作り方、三枚の同じ厚さのガラスを
重ね、中央のガラスをクラッシュさせて美しい幾何学模様を作る実演など。
なごやかなムードのもと、移動型実験室ではガラスにまつわる裏話や、苦労話、
ちょっぴりお泪ほろろな逸話など、職人ならではのトークが続く。

キスカフェはにわかに小学校の実験室になり、わらわらと集まったギャラリーは、
白衣を着たミサキ先生のキュートでウィットに富んだ講義にぐいぐい引き込まれる。
なんだか、今まで他人行儀に接してきたガラスくんたちが、急に愛おしく思えて
くるんだから不思議なもんだ。君らも生きものだったんだね、と指で触れてみる。

そして、締めくくりは、本日作成されたガラス製品の公開オークション!
というか、競売という言葉の方がしっくりいきます。すごい白熱しました。
私は、三枚重ねの肉厚ガラスの中央のガラスが砕かれ、一瞬にして美しい模様が
入ったのを間近で見て、「これはどうしても手に入れなくっちゃ」という根拠の
ない使命感に駆られ、マジ顔で頑張ってしまいました。そして、見事、落札(笑)。

最期まで競り合ったキスカフェのスタッフのみなさま、いつもお世話になっているのに、
オトナゲなくてスミマセン。お譲りいただいてありがとうございました。

・・・と、散々遊んだツケは、やっぱり回ってくるわけで。
10時半に会場を後にして仕事場に戻り、未明までせっせとおちごと。
疲れると、私の子になった重いガラスを取り出して、心ゆくまで愛でてみる。
時間を閉じ込めた、その細かい亀裂に、わたしは自分の時を任す。




サランラップほどの薄さの風船ガラス。ちゃんとしたガラスです。
詳細は今週の「休日の風景」に引き続かせていただく、かも。

2002年10月23日(水)



 逢い引き

ひとところから抜け出したくなったとき、私はためらいもせず、するりと抜け出る。
後を振り向かず、誰かに何かを言付けることもなく、自らの意志でするりと抜け出る。
そうせずにはいられないのだ。個人的な我が侭とは知りつつも。

雨上がりの青い空に起こされ、めずらしく朝からせっせとコトを片付ける。
休憩がてら、ベランダに出て高い高い秋の空を眺めていたら「妹」が隣りにやって来た。

「後で三番地に行こうと思うんです」
すこし意味深な、でも屈託のない笑顔で言う。
「何時ごろ?」
「うーんと、三時すぎ」

それで十分にコト足りてしまう。私はせっせとあれやこれやを片して、
三時半には三番地の重い木のドアを押していた。一番奥の席に「妹」の気配。
私が近づくと、彼女は肩越しに振り返り、にっこりと屈託のない笑顔で迎えてくれる。

店の中には、外の清々しい青々とした気配は持ち込まれず、いつもの静かな空気
が、ひっそりと呼吸している。黄色くなった壁、厚みのある木のテーブル。
壁に掛かった痩身の男の絵。男はどことなく店のカウンターの中の主人に似ている。
深い緑色の厚ぼったいガラスの灰皿に、吸いかけの煙草が一本。

「なんか、あいびき、みたい」
煙草から上がる、白く細い煙を追っていると、「妹」が不意にそんなことを言い出す。
その言葉の色っぽさに、私は中途半端な笑みを作ってしまう。
「ここに来る途中、アベさんの家の黄色い花がきれいだったんです」
「アベさんの家の黄色い花?」
「そう。垣根からせり出していて、ちょっとミモザみたいなかんじの」
「それじゃ、帰りにアベさんのお宅を探してみるよ」
と、答えながら、この子は詩みたいな日本語を話す子だな、と思う。

柿のタルトとふんわりと泡立ったカフェオレをのみながら、きっと「妹」は、私よ
りずっと上手に抜け出ることができるのだろう、と思う。すんなりと。きっぱりと。
そして、たくさんの素敵なものを見付ける感覚を身につけているのだと思う。
本人もきっとまだ、気付いていないかもしれないけれど。ノット・イェット。

「逢い引き」は、きっと、抜け出ることのできる人と人が会うことなのだろう。
そこから抜け出る潔さを持ち合わせていないと、おそらく「逢い引き」は成立しない。





「逢引=互いに語りあってひそかに事をたくらむこと」(広辞苑より)

2002年10月22日(火)



 眠る海

(タイトルは西村和彦さんのCD"What Are You Looking For?"の曲名より)

昨夜から降り続いた雨が止み、東の空から雲がハケてゆくのを眺めています。
西新宿、東京タワー、羽田から離陸した飛行機の輪郭がくっきりしてきました。
薄雲の向こうにまるい月がいるようです。本日のマミゴン、やや廃人気味。

---

■花金?ハナキン?それは喰えるんでしょうか?
 という勢いで、研究室に缶詰の日々。カンヅメならモモ缶がいいなぁ。
 真夜中、眠気を覚ますためにコーヒーと煙草を掴んで、ベランダの軒先へ。
 漆黒の闇が眠るキャンパスを見下ろしていたら、自分の肉体がどこにあるのか
 わからなくなり、精神のみが輪郭を露わに覚醒しはじめた。少々びびった。

■土曜。疲弊した肉体にむち打って、教授の部屋の模様替え。
 デスク、ソファー、本棚を運んだり、テレビや視聴覚機器の配線をしたり。
 これもすべて11月2日のオフ会のため。さて、何のオフ会でしょーうか?(笑)
 真っ赤なエプロンをして腕組みしながら、指示を出す先生ってかわいい。
 そのエプロン、付けている意味、あるんでしょうか?

■今週末は土日の夜ともオケの練習。三週間ぶりに参加する。
 ベートーベンどの、ブラームスさま、ヒンデミットくんの曲。
 作曲者への敬意の度合いは、その呼び方で表現してみました。

■今月はキスカフェがOZONEと組んで、期間限定のサテライト・カフェ営業してます。
 ずっとネットで観察してたのですが、やっぱり現場に行ってみたくなり、
 練習がハネた後、二夜連続で通ってしまった。その期間限定のカフェの名前は
 ブックマーク・カフェです。ウチのサイトからもリンク貼ってあります。
 日替わりでお店のマスターが変わり、いろんなイベントや講義をしてくれます。
 お時間のある方はぜひ遊びにいってみてください。オモシロイですよ。

■サイトのトップページに演奏会のinfoを貼り付けておきました。
 「行ってみたい!」という方はメイルにてお知らせください。
 チケット、差し上げます。代金はいただきません!(笑)

■「眠る海」というタイトル、素敵だと思いませんか?かなり好きなのです。
 ゆらゆらと水面を揺らす、深く濃い碧の色を想像しちゃいます。
 「眠る」という単語も、「海」という単語も、独立して意味を持っているのに、
 それを合わせて言葉にすると、なんだか無限にその感覚を味わえちゃうというか。
 あ、理屈っぽいですか。そうですか。自覚してます。スミマセン。


2002年10月21日(月)



 よーい、ドン!

子供たちの声で眼が覚めた。
窓の外は完全に昼間の光が満ちていて、私はカーテンを開けて部屋の闇を
ベランダから外へ追い出す。はだしのままタイルに立ち、下を見下ろした。

白い帽子をかぶった小さないきものが、うじゃうじゃいる。
マンションの前には、一方通行の狭い道がずずっと真っ直ぐのびていた。
ピンクのエプロンを付けた若い保母さんが、「まぁだだよ。まだ、だよ」
とちょろちょろ動き回る子供たちを制す。電柱が2本ぶんくらい向こうに、
もうひとり、卵色のエプロンを付けた保母さんが立っている。

「よーい、ドン!」
ピンクのエプロンの保母さんが高い声をあげる。
子供たちはいっせいに卵色のエプロンの保母さんめがけて駆けてゆく。
小さな歩幅で、腕をぶんぶん振って、てってってってと、駆けてゆく。

私はベランダの手すりに寄りかかったまま、ぴょこぴょこ動く白い帽子を眺める。
「ほーら、ゆーくん、ドンだよ、ドン。走って、はしって」
振り向くと、ピンクのエプロンの保母さんに背中を押されて、白いひよっこが
ひとり、てくてくと歩いている。ああ、いるいる。道草ばっかり喰ってなかなか
走ろうとしないゆーくんを、子供だったころのわたしに重ねる。

ピンクの保母さんの声が粗くなり、ゆーくんは仕方なく、てってっと走り出す。
ズコン。二三歩駆けたところで、ゆーくんはアタマから転ぶ。泣き声が上がる。
保母さんが駆け寄り、ゆーくんを抱き上げて、向こうでぴょこぴょこ跳ねる
白い帽子の子供たちのところへ寄って行く。女の子がひとり、心配そうにこちら
へ向かってくる。ゆーくんは「おろして」というふうに、もぞもぞと動き、
女の子が差し出す小さな手に、手のひらを重ねて、てってってっと駆け出す。

私は何かを思い出そうとして、自分のてのひらを眺める。
道の向こうでは、子供たちのキャッキャという高い声が、
昼間の白い光に吸い込まれていた。


2002年10月18日(金)



 モールス信号?

4階のベランダから見下ろすと、小学校のグランドの向こうは二階建ての
民家の屋根が、冬の海のようにひっそりと肩を寄せ合って建ち並んでいる。
そのひとつの窓から、不定期にオレンジ色のフラッシュが発光している。
昨夜のことだ。

窓は遮光カーテンか雨戸が途中まで引かれ、縦長の長方形に切り取られている。
東の空をふくらんだ半月がのぼっていく時間帯だとしたら、おそらく7時前
だったと推測できる。UFOと交信でもしてるのか、としばらく見ていた。

パチッ、チッ、チッ、チッ、パチッ、パチッチッ、チッ、パチッ

光に音を与えるとしたら、こんな具合だろうか。
最初は電球切れをおこした蛍光灯かと思っていたが、この不定期な発光は
狂ったネジ撒き時計の針が行きつ戻りつするように、絶えることなく発信される。
見つめているはずの私が、あの小さな窓から観察されているようで、気持ち悪く
なって部屋へ戻った。そして、10時過ぎ、雷鳴が轟き始める。大粒の雨。

窓の側へ忍び寄ると、まだ不気味な発光は続いている。
なんだ、コイツは雷を呼んだのか、などとオノレに戯けて納得させてみる。
雨はじゃんじゃん降ってきて、私は夜の研究室にひとり、閉じ込められる。

あの光は、どんなメッセージを意味するのか? 近所にも発光している窓はないのか? 
誰が何処へ向けて発信しているのか? まさか、わたしに助けを求めているのか?
ひとり、雨の音をききながら、思案にくれる。結局、その光は未明まで続いた。

今夜も、光の正体が知りたくてずっと窓の外を見ているのだが、発光する窓はなく、
夜の民家の海原は、とても静かな灯がちろちろとまたたいているだけである。
あれは幻想だったのだろうか。だとしても、そこに意味を持つ記号があるのなら、
やはり解読してみたい欲に駆られるのが、どうやら私の性らしい。


2002年10月16日(水)



 October Holidays

10月という季節の中に立つと、朝夕の空気の冷たさや、ふとした瞬間に感じるある
種のせつなさのようなもの気付かされる。連れだった親子の会話であったり、喫茶
店でのむ紅茶のきりりとした色合いだったり。世界から切り離された、その世界の
一部で私は何度もわらう。時に何かを受け入れ、時に何かを諦めるために。

---

■ネットの世界はヴァーチャルで嘘っぱちだと思われがちだが、その向こう側に
 いるのはちゃんと血肉の通った人々だということを、もちろん、忘れていたわけ
 ではない。なんて前置きはさておき、初オフ会「三人会」に参加。名付け親は
 ナチュラル・ラブ の響子さん。発起人は So WHAT? のR魚さん。で、会場の
 セッティングがアタクシという役割分担ができていました。
 場所は吉祥寺某所の地下にあるノスタルジックな酒蔵。

 「一番近くに住む奴ほど遅刻する」という定説通り、お店に入ったときには
 すでに二人が奥のソファでくつろいでいる。「はじめまして」という挨拶は
 したものの、他人行儀はそこまでで、とにかく呑み、喰い、吸い、喋り倒す
 Rさんとアタシ。ネタ披露のオンパレードに当意即妙の言葉のピンポン。
 そんな私たちの傍若無人ぶりを、側でにこにこしながら眺めていらっしゃる
 響子さんの、美しく、奥ゆかしく、優しい視線に守られながら、トークは
 上昇気流に乗りあわやチャット・ハイの状態へ。いやはや、思考より先に
 言葉が滑りだしていました。えーっと、楽しかったです。はちゃめちゃに
 オモシロかったです。こちらもシナプスが接続しまくっています。(苦笑)

■今年の秋の学会が東京ということで、日曜の午後から参加。
 くそったれ耄碌ジジイ(某大学名誉教授)の発表に愛想を尽かし(あまりの
 稚拙さにキレそうになった)、若手研究者の熱意ある発表に刺激され、いい
 意味でも悪い意味でも小さな世界の素性を知れました。ま、私はわたしの
 スタンスでやっていきましょう。何十年かかっても譲れないことは変わら
 ないのですし、ね。

■ストレスを溜め込んだまま、吉祥寺サムタイムに逃げ込む夕方。
 「よぉ」と顔を合わせた男トモダチに「なんか先週しんどいことでもあった?」
 と訊かれ首をかしげる。曰く「その口調の荒々しさ、状態が悪い徴候だよ」。
 いや、そんなはずはない、と思いつつも先ほどの学会を思い出し「ああ」と
 納得。1stステージからラストステージまで、Chakaと仲間たちの気持ちのよい
 ライブに治癒される。人間てスゴイよな、と再確認させられる瞬間。
 Chakaのノーメイクの歌いっぷりに、荒れすさんでいた心がカチャリと音を
 立ててリセットされる。音楽、わたしの滋養。

■"Assemble le Souffle 004"(風をあつめて)の小冊子が仕上がってきた。
 今回は秋らしい装丁に仕上がっており、中編が多いので厚みがある。
 昨夜、客がハケた喫茶店で編集長に「はいっ」と手渡されたこの紙束の中には、
 私の初の小説(短編)もまぎれている。やはり自分の活字が印刷されて作品と
 なるのは嬉しい。寄稿している13名の文章をゆっくり、美味しい食事を味わう
 ように読む。言葉の向こうに、まだ会ったことのない人々の生活が立ちのぼる。
 言葉、これも外すことのできない、わたしの滋養。


2002年10月15日(火)



 オリオン

東京の夜空はあかるい。
星を探そうとしてもよほど澄んだ空でないと、
視力の弱いわたしにはぜんぜん探し出せない。

夜遅くなると広いキャンパス内の灯が消えるので、ベランダへ出て空をみる。
東の空に、オリオン座がうすい光を放っていた。遠くに朱色の東京タワー。
いくら眼を凝らしても、星座に疎い私には、それ以上のものは探し出せない。

まだまだ宇宙には、名のない星々がまたたいているはずだ。
それでも、その微光は此処には届かない。
わたしはそれを掴まえることができない。

いつか、長野の山奥で見た夜空を思い出す。
信じられないくらいの星が漆黒の空を覆っていた。
足元がふらふらとおぼつかなくなるほど、見上げていた、あの空。

不意にこの土地を離れたくなった。
夜空ノムコウへ渡ってしまおうか。


2002年10月11日(金)



 ジャンキー体質

果たしてそういう名称があるのかどうか知らないが、
わたしは、おそらく、過度のジャンキー体質だと思う。

ここしばらく、ラムネにハマりこんでいる。
デスクの上にも、鞄の中にも、ベットの隅にも、半透明のプラスティック容器が
転がっている。飲み物のラムネを模した、森永製菓の、あの瓶型のやつだ。
コンビニに入ると必ず、何かのおまじないのように、ラムネをふたつ買う。
おまじない、というよりは習癖になってしまったのかもしれない。

ラムネを買う、習慣。
ラムネを喰う、習性。
ラムネに頼る、習癖。

ところでこの昔ながらのラムネ菓子。
運がいいと、中にフェイス付きのものが混じっている。
ふつう、一瓶(という数え方でいいのか?)に2〜3個まぎれている。
ぜんぜん入ってないものもある。出来心で、顔が付いているものばかりを
取り分けて、ひとつの容器に集めている。それがもうすぐいっぱいになる。

顔詰めの容器をじゃらじゃら振ってみると、いろんな表情の顔たちが振り向く。
死体を収集するペドフィリア(死体愛者)じみていると、言えないこともない。


2002年10月10日(木)



 (久々の)ウィークエンド・リポート

■いやー、実によく歩いた。
 地図上で軌跡を辿ると、ほとんどジグザグ歩きしていました。
 詳しくは「休日の風景」を参照のこと。ド・ピンクの東京タワーは最初
 正直ぎょっとしましたが(エッチというか淫靡というか)帰る頃には
 ラブリーな印象に変わっていました。今日も窓からよく見えます。

■帰りに寄った "THESE" は「テーゼ」と読み、命題、定立、論旨の意味。
 店の男の子たちは皆キュートで、カウンターの中にいたひとりはナカイの髪型。
 「妹」が「さっき吉野屋の前で見たポスターに似てますよね」と指摘。確かに。
 そしてこの「妹」、私よりはるかに酒飲みです。アップルトンをロックでガンガン
 飲んでいました。「おいしぃー」とそんなに可愛い笑顔で言われたら、お姉さん
 はどうすればいいんだよ。コワイ男には気を付けなさい、と少し母ゴコロ。

■地下鉄も終わり、タクシーで渋谷に出て井の頭線のホームへ。
 こちらも吉祥寺へ戻る電車は既に終了。山手線→中央線の最終を乗り継ぎ帰宅。
 なんというタイミングの良さ。というか、ちょっとリスキーよね(苦笑)。
 週末の最終電車の地獄絵図。駅に止まるたび、ホームに突っ伏して吐瀉する
 酔っ払いたち。ああ、日本て本当に幸せな国だわ。彼らはどこで朝を迎える?

■日曜、再び渋谷で用事を済ませ、ついでに本屋へ寄る。
 椿姫の朗読が収録されたCDブックの『ヴォイス』、現代思想10月号「特集・
 アメリカを知れ」、週間読書人のペーパーを購入。あちこちでアメリカが語られ
 はじめている。読書人にはウチの教授も連載中。今週は大江健三郎と渡辺淳一
 の「死体の描き方」を通して「9.11」を見つめています。

■住処の某喫茶店にて『海辺のカフカ(上)』を読み終える。
 オイディプスの「ふたつの予言」やら、カートヴォネガット張りの寓意的分裂型
 証言法などが私の中で喚起される。たくさんの破片を見るのに、それらは全体の
 一部であり、全体はそれらの破片であることを知る。夜、耐えきれずに(下)を
 読み始めた。予測がすべやかに叶えられてゆくのが、怖い。

■ちょうど台風が東京を横断した夜から、すごいことになっている。
 死んだ貝の口のように、永遠に閉ざされてしまったかのような私の思考が、
 突然、何の前触れもなくあふれ出した。これはヤバイ。肉体がぜんぜんついて
 ゆけない。なのにアタマの方からは、とめどなく溢れてくる。少々、疲れた。

■オーストラリアでワーホリの任期を終えた友人から、久しぶりにメイルが届く。
 バリのウブドで疲れた羽を休ませているとのこと。去年の夏、ウブドの目抜き通
 りにあるカフェ・ワヤンで、スイカジュースばかり飲んでいたことを思い出す。
 今はまだ "interlude(幕間)" だという。旅はこれからも続くらしい。
 私はいつか彼と再会することができるのだろうか。東京の街のどこかで。


2002年10月07日(月)



 行き止まりのその先へ

カレルチャペックスイーツ店のお姉さんは、素敵な笑顔を私に向けて確かに言った。
「この先の交番と写真屋さんの間の道を、まっすぐ東急方面に進んでください。」

私は今、交番と写真屋の角を曲がり、まっすぐ歩いてきた。
しかしそこには「この先、行き止まり」の冷淡な表情の看板が、行く手を阻む。
その壁の右手を見ると、ひとがひとり分、なんとか通れるくらいの小道が
塀沿いにひっそりと生息していた。迷わずその小道を行く。
おそらく民家の通用口に続く私道か何かなのだろう。

しかし、私はお姉さんの言葉を信じてずんずん先へ進む。
腕を振って歩くと、半袖から伸びた皮膚がブロック塀にこすれて痛い。
でも、気にせずどんどん進む。と、広い通りへ出た。見知った通り。
ここに、そんな店はない。そのことを私はとうに知っていた。

立ち止まったまま、少し考えて、来た道を戻り、もう一本先の広い道を曲がる。
NTTの看板が見え(お姉さんは、「NTTの向かいの花屋の向かい」と言っていた)
左手を見ると、花屋の「隣り」にカレルチャペック紅茶店があった。
汗ばんだシャツをパタパタさせて空気を送り込みながら、私は小さく息を吐く。

いい匂いのする、紅茶の缶が欲しかったのだ。
スイーツ店はイートインだけで、紅茶の店売はしていないと言われ、私は店員の
お姉さんの道案内を頼りに、紅茶を買いに来た。大筋はそれだけのことである。
親切なお姉さんは、きっと間違えた情報を私に伝えてしまったのだろう。
でも「この先、行き止まり」という看板に直面しても、私はまだお姉さんの言葉
を強く信じていた。だから、行き止まりその先を見たくなったのだ。小さな冒険。

見知った場所でも、行き先を失った瞬間、ひとは旅人になれる。
知らない垣根、見たことのない窓、会ったことのない猫たち。
私はそうやって、日常がくるっくと背中を見せるたびに、旅に出た気分になる。
だから「行き止まりのその先」を教えてくれた、笑顔の素敵なお店のお姉さんに、
実は感謝してるくらいである。ひとの言葉を信じることを、私は強く信じている。

帰り道、夏の終わりのようなとろっとした空気が、
時間までも巻き戻しているかのようだった。

2002年10月04日(金)



 ネオン妖しき風水温泉の巻

昨夜「温泉」で目撃したことを、少しお話しよう。
吉祥寺の住処から少々南下したところに「温泉」なるものが存在すると聞き、
仕事明けの地元トモダチを誘って(とにかく私たちは空腹だったが、それは忘れ
ることにして)調布方面へ車を走らせた。ネットから出力したアバウト極まりない
地図のせいで何度か迷走しながら、目的地にたどり着いたのが午後9時ちょっと前。

神代植物公園を過ぎ、店の灯りを落とした蕎麦屋の集落を抜け、住宅地のド真ん中
にその温泉「ゆかり」はあった。営業は午後10時までなので、在館1時間以内の
「カラスの行水」チケット(1000円)を券売機で購入し、長い廊下の先にある番台
でロッカーの鍵と緑色のタオルセットと交換してもらう。従業員は作務衣を着用
しており、いろんな意味でとてもフレンドリーだった。支度を整え、さて、入浴。

何ごとにおいても、予備知識がないと、未知との遭遇に驚かされるものだ。
まず第一に、温泉の湯が黒かった。第二に、夜の露天風呂(かなり広く敷地が
取られている)は電飾天国だった。風車は豆電球をじゃらじゃら付けて回転し
(いささか目立ちすぎている)、至る所に蛍光グリーンの足元灯が濡れた石畳を
照らし(ここはラブホか?)女性の子宮を模したような「赤銅鈴之助風呂」の内壁
は真っ赤に塗られていた(正直に申し上げてグロテスクである)。

気恥ずかしいを通り越して、呆気に取られ、おかしみがこみ上げてくる。
ひとり女風呂の中でにたにた笑っていても怪しいので、それぞれの風呂にもれなく
付いている「効能云々」看板を黙って読む。適応症。「神経痛、筋肉痛、関節痛、
五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、
冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、きりきず、やけど、慢性皮膚病、
虚弱児童、慢性婦人病など」万病に効果がありそうだ、と感心する。

しかし、そこで気になった数々の記述。
どの説明にも「財を得たいなら」とか「貴女の愛の生活により潤いを」とか、
どこかのヤバイ商法戦術のような文句。どんどん読み進めてゆくうちに、
この温泉は風水に則って作られた「風水温泉」だということが判明。
だから電飾? だから蛍光グリーン? だから子宮型? ふーむ。

モチロン、信じるも信じないも個人の自由な判断と選択に託されているが、
「下半身を鍛えるには」「愛をもたらすには」「夜を楽しむには」など、あから
さまな「教え」を頼りに来る人はいるのだろうか。疑問。でも、そこで再びはたと
気づく。こんなに真剣に看板の文面を読んでいるひとは、ぐるりと見まわしても
私ひとりくらいでした。そうね、そんなこと、どうでもいいわよね。気持ちよけりゃ。

温泉は言うまでもなく心身共に効果的で、黒い湯は白い肌をつるつるすべすべに
してくれましたとさ。近場の温泉、今度は昼間に来て、近隣の蕎麦屋を襲撃しよう。


2002年10月03日(木)



 隠蔽された夢

あまりにも生々しい感触を残した夢だった。
眼が覚めてからも、私はその風景や色合い、肌触りなどをありありと記憶していた。

それはこんな夢だった。
季節は秋で、私は兄と森の中の部屋に住んでいた。
玄関を上がるとすぐ、中央には長方形のダイニングテーブルがあり、椅子が4脚あった。
その背後はキッチン、その正面はテラスになっており、半野外の外風呂になっている。
ダイニングの奥には、独立した内風呂とトイレがある。そんな間取りだ。

そこへ、まだ会ったことのない女が訪ねてくる。
ダイニングでお茶をのみ、気づくと兄が外風呂に入っていた。
振り向くとキッチンには、四角い形をした赤い鍋がぐらぐらと煮えている。
テラスのガラス戸を引き、兄に「あの鍋は何かしら?」と私が訊く。
「ああ、差し湯のために、湯を沸かしているんだよ」と兄がのんびり答える。
そこで、訪問してきた女の姿が見えないことに、私はひどく胸騒ぎを感じた。

恐怖を纏って、内風呂の戸を引く。
脱衣所には女の衣服が脱ぎ散らかされており、グレイのプリーツスカートが
奇妙な形で放置されていた。恐る恐る風呂のドアを開ける。そこで見たもの。

湯が張られた湯船には、黄色い大判の葉が一面に浮いていた。
「入水自殺だ」と私は瞬間的に認識した。この葉の下に女が沈んでいる、と。
私は兄にそれを伝える。兄はしばらく考えた後、「このことは忘れよう」
と言い、女の衣服や女の死体(私はそれを見ていない)をどこかへ埋めた。
恐怖におののいた私はしきりに「警察へ通報しよう」と兄に言うが、兄は
「大丈夫」と答えるばかりだった。ダイニングにひとり立ちつくし、私は
これまでないくらいに混乱していた。私はまだ会ったことのない女の正体を
知っていたからだ。

眼が覚めた。
それから冷静になって、夢の内容を掴もうとした。
いくつかの細部は自分で説明がついた。過去に遭遇したものたちとの関連性。
だが、全体を相対的に見たとき、私は無意識が流した記憶の情報がわからない。
おそらく、夢の意味は、ずっと後になって、ふらりと事後的に襲ってくるだろう。


2002年10月01日(火)
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