月のシズク
mamico



 言い訳、ひとつ

日記/サイトの更新が滞っていてすみません。
おまけに「休日の風景」9月分、コンテンツが少なくてごめんなさい。
9月って今日までなんですね。明日から10月だなんて、焦ります。(汗)

週末から週明けにかけて、ちょっとバタバタしています。
でも、心もカラダも至って無事で、元気にしております。
書きたいこと、お見せしたい写真、たくさんあります。

ま、秋も深まってゆき、台風も直撃することですし、のんびりいきましょう。
なんて、誰に言い訳してんだか。イクスキューズ ミー、なんて、ね (苦笑)


2002年09月30日(月)



 求む、情報

奇妙なことがふたつあった。

ひとつめ
ポストをのぞくと、展示会のオープニングパーティの招待状が一枚。
差出人の名前はないのに、何やら親しげな文面が直筆で書かれている。
初日パーティ開催日は10/5、場所は東横線の学芸大駅そば。
お心当たりある方は、メイルにてお知らせください。

ふたつめ
携帯の留守電に、見知らぬ電話番号と聞き覚えのない女の声。
「××ですが、今100万円振り込みましたのでご確認ください」
そりゃ驚いて確認しましたさ。勿論、そんな大金は振り込まれていない。
ちょっと切羽詰まった、しどろもどろの女の声が気にかかる。
これは本人に折り返し、知らせるべきなのか。

世界が私の側でずるずるとすべり出しているようで、なんだか気にかかる。
でも正直なところ、その正体はよくわからない。

2002年09月26日(木)



 ささやかな覚悟

難解な言語で論理的に自己を表現したつもりでも、
実のところ、防衛機能的隠蔽策としてしか機能せず、
結局のところ、自同率の不快に悩み続けているだけ。

そんな人間は、何ら魅力的に感じられない。
少なくとも、わたしにとっては。

怒りを怒りとして、悲しみを悲しみとして、痛みを痛みとして、
愛おしさをいとおしさとして、切なさをせつなさとして、
肌で感じ、心で触れたことを、同じ温度の言葉にのせて伝えたい。
もし、それを禁じられるのであれば、わたしはもう、言葉を棄てよう。
くしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱にぽいと、きれいさっぱり、棄ててしまおう。

いつだって、それくらいの覚悟はできている。



2002年09月25日(水)



 夜の片隅で

長い夏休みを終えた学生たちが戻ってきて、昼間はあんなに賑やかだったのに、
夜はいつものように静かで、ひっそりとしています。窓の外に見える街の灯りも
ぽつりぽつりと消えてゆき、ゆっくりじんわり、闇が広がっていきます。

先週、肌寒い日が続いたとき、長袖のシャツの心地よさに秋を感じました。
昼間の空の高さ、つきぬける青の色、夕方のうろこ雲、輪郭をぼかしてゆく夜の月。
季節というのは、眼で捉え、肌で感じた瞬間に、移り変わるものなのですね。
夜の闇にキンモクセイのよい香りがします。

連休中、チェロをしょって、いろんな場所を旅しました。
なんて、都内をうろうろと移動しただけなのですが。久しぶりに電車やバスに
たくさん乗りました。リュックをかついだおチビさんが、ここにも、あそこにも。

私の堅いつやつやしたチェロケースを不思議そうに見つめながら、好奇心丸出しの
眼で「さわってもいい?」なんて訊かれたら、わらって「いいよ」と答えるしかない
じゃないですか。「なかにひとがはいってるの?」って、これは棺桶じゃありません。
おかげで、セクシーな私のチェロケース、小さな手形がここにも、あそこにも。(笑)

子供のあけすけなぶしつけさが苦手だったのに、いつの間にか、わらって応える
ことができるようになっていました。これがこの秋、最初に見付けた私の変化です。


2002年09月24日(火)



 やっぱり、女ともだち

夕方、月をみるために4階のベランダで張り込んでいたら、次々とメールが入った。
そのどれもが女ともだちからで、皆、私のこの状況をどこかから見ているかのように、
どれほど今宵の月が美しいか知らせてくれる。

それでね、はたと気がついてしまいました。
私はそんな彼女たちのメイルの文面と、ふけていく空に浮かぶ月を見ながら、
そのたびに笑っていることを。だから、私のサイト名「わらう月」というのは、
実のところ、月をみてにっこりしているアナタであり、アタシであったのです。
だって、美しいもの、素敵なものに出会うと、自然とホホがゆるむでしょ?

先週から体調不調で、ほとんど食べ物を摂取できない状態だったにもかかわらず、
彼女たちから届く「声」を聴いて、俄然、生きる気力が湧いてきました。ふつふつと。
うだうだ言っている場合じゃないです。本気で。
ありがとね、みんな。

「今だから言わせてもらうけど、その酒、煙草、そんな体調でやめなさい」
なんてストレートなお叱りも、じゅんと心に染み込む。ごめんね。
孤独でもなんでも、人というのは人との関係性でしか生きていけないんだな、と思う。
だから、私はやっぱりひとを愛しているし、信じていきたい。これからも、ずっと。

呑んだくれで、だらしなくて、しょうがないアタクシですが、
今後とも、ずっと叱咤激励してください。
もいっぺん、ありがとね。


2002年09月20日(金)



 椅子とデザイン

昨晩、kiss cafe で建築/デザインに関する「キスカフェ・トークナイト」
が開催されたので、途中から参加した。プレゼンターは数々の名演技を残した
(いや、違うって)ベンさんこと、長岡勉さん。

白い漆喰で塗られた壁に、プロジェクターで作品を映しながら、
2時間に渡って苦労話や工夫したポイントなどを披露していただいた。
私は建築デザインの世界には疎いのですが、そこでもやはり感じるものはありまして。
同じ「椅子」というモノであっても、座りたいモノと座りたくないモノがあるわけで。
どれだけ高い資材や資金を投入したところで、人を寄せ付けないデザインだったら、
結局は誰にも座られない「オブジェとしての椅子」で、椅子的人生を終えてしまう。
そんなの、悲しい。ですよね。椅子の気持ちとして。

という、幼稚な感想を述べながらも、デザインの遊び性ってのはオモシロイな、
と感じました。しかし、このベンさん、ささと描くイラストの上手なこと。
さすがはプロです。横にちりぢじになって書かれた文字の判読しにくいこと(笑)。

と、少しハメをはずして遊んでいたら、完治してない胃痛に襲われ、
明け方に搬送される。じゃなくて、早朝に救急へ寄って来ました。
まだしばらくは安静にしています。カラダが資本だもんね。


2002年09月19日(木)



 「たしなめられる」ということ

もともと「揺れやすい」性質をしているのだ。
未知なものにおののき、衝撃にひるみ、過去にさえおじけづく。
こういうのは繊細だとは言わない。ただ、臆病なのだと思う。

胃痛の原因さえ突き止めることを怖がり、知らないふりをしていたら、
「ちゃんと心の内を見たまえ」と医師に叱られた。しゅんとなる。
きっとそれを見付けてしまったら、私はよけい具合が悪くなるだろう。
だから、見ないふりをする。

そんな状態で、原稿の締切はとうに過ぎ、適当に見繕ったものを送ったら、
編集長に「つまらないよ。どれも。」と一蹴され、ふたたび、しゅんとなる。
「やっぱり今回は無理です」と弱音を吐くと、「明日の夜まで待つから、
ギリギリまで書いてみろ」とハッパをかけられる。
悔しくて、つい「はい」と返事をする。

仕事中、女ともだちにメイルを送り、「ダメだ。揺れてる」と吐露する。
数分後「しゃんとしなさい」と一行だけ、返事がかえってくる。
それを見た瞬間、丸まっていた背筋にピシッと力が入る。

よわっちい私は、ことあるごとに「ダメだ」「無理です」「できません」と、
この世の終わりのように騒ぎ立てるので、わたしの揺れやすい体質に馴らされた
友たちは、まことに効果的に私を律してくれる。どうやら私の弱音というのは、
同時に、「お願い。今すぐ言葉でたしなめて」と強烈に懇願してくるらしい。

嗚呼、皆とうに知っていたのだ、と私は気恥ずかしくなる。
でもね「たしなめられる」、ということは、「守られている」ということでも
あるのです。みなさん、本当にカンシャしています。ありがとう。


2002年09月17日(火)



 雷が鳴る前に

テレビの画面に白い文字が表示された。
「気象警報:埼玉北部に落雷注意報が発令されました」
テレビの電源を消し、ついでに部屋の電気も消してベランダに出る。

北の空、暗い空が光り、雲に反射してオレンジ色が点滅する。
雷雲はまだずいぶん遠くにあるらしく、時折、閃光のみが夜空を照らす。
大地を轟かすような雷鳴が聞こえないぶん、雷光がやけにキレイに夜空を彩る。
ベランダの手すりに寄りかかって、ずっと北の空を眺めていた。
夜風に雨の匂いがうっすら混じっていることに気が付く。
はだしの足がつめたい。もうすぐ、ここにも雨が降るだろうか。

昨夜、日本テレビでやっていた「0911・カメラはビルの中にいた」という番組の、
あるシーンが、いや、ある音が、あれからずっと耳に残って離れない。
ひとが死ぬ音。

カメラは駆けつけた消防士らと共に、WTC1階のロビーにいた。
通信網がやられて指揮官の指示が届かず、うろたえる消防士らの頭上に響く音。
そのとき、旅客機が衝突した上層部は、1000度近くの熱に満たされていたという。
熱さと煙に耐えかねて、ビルの窓から自ら身を投げ出す人々の、弾丸と化した
肉体が屋根に、地面に、叩きつけられる音。人間の命が暴力的に消される音。
消防士たちはその音の正体を知っていた。彼らは音が破裂した瞬間に、怯えた眼をする。
そして、本能的にビルの階段を上り続けた。30kgもの重装備を、ものともせず。

この夏、Ground Zero を目のあたりにしたとき、何も言葉が出なかった。
出てくるのは涙と、失われたものたちへの悲しみばかりで、ただ立ちつくしていた。
番組で北野武が言っていた。この惨事で公表された犠牲者の数は2801人だが、
彼らの家族、恋人、友人、関係する人々みんなもまた犠牲者となってしまった。
だから何万人という人々が、あの日、大切なものを失ってしまったことになる。

私が、駆け込んだ教会で祈りを捧げたのは、犠牲者のみばかりでなく、自分を含め
残された人々への祈りでもあった。死の可能性は誰の中にも在る。だが、それは外
からの暴力で成されるべきではない。断じて。それだけは言葉にしておきたい。

まだ暗い空にはピカピカと、音のない閃光が走っている。
わたしは、久しぶりに母に電話をかけた。

2002年09月12日(木)



 あれから一年

WTCのツインビルに、旅客機がまっすぐ向かってゆく映像が繰り返し流されていたあの日々。
あれから一年という時間は経ったが、未だにその生々しい衝撃はうすれていない。
そのアンリアルなリアルを、どうしても掴みたくてテレビの前から動けなかった。
麻痺した心をひきずって、その週末に出かけた演奏会で聴いたアリア。
ああ、私は祈りたかったのだ、と気づかせてくれたオンガク。

何かに弾かれたように、夏のN.Y旅行の画像を加工に着手したのは、昨夜未明。
白み始めた空をみながら、なんとか完成。ひさしぶりに鳥のうたを聴く。
あのテロは、国家と国家の軋轢が引き金となって起こった。
しかし、国家に属する個々人が犠牲となった無差別殺戮でもある。
ならば、同じ個人である私も、あのテロについて考える必要がある。
と、この一年ずっと抱いたことを、形にしてみました。

かなりやっつけシゴトで恥ずかしいのですが、サイトのSketch内のPhotographの
コーナーに置きました。単なるN.Y紀行とは違う意味を込めたつもりです。
もし今回のテロに少しでも感心がある方で、なお且つ、お時間がある方は、
どうぞ覗いてみてください。別にトクベツなことは、何もナイですが。。。
(その代わり、ちっこいバグがありますが、ご寛恕ください)

チョムスキーも、ジジェクも、サイードも、坂本龍一も、田口ランディも、
みんなみんなそれぞれの形で「9.11」について語ろうとし、語っています。
わたしはそうやって「世界を考えよう」とする人々の姿勢を、とても頼もしく感じます。


2002年09月11日(水)



 イマジネーションの勘違い

週末、仕事をかねた旅行で名古屋に行っていた。
昨晩は最終の新幹線で帰ってきたので、帰宅するとゆうに深夜になっていた。
目覚まし時計をセットせず、惰眠を貪る勢いでベットにへたり込む。

昼過ぎに、メールの着信音で眼が覚めた。
受信すると、送り主は未登録者らしく、11桁の数字が無機質に並んでいる。
その短い内容に目を通して、妙にドギマギしてしまった。彼女は間違えたんだ、と。

「今から買い物にでます。もし明日、来ていただけるのでしたら
 お菓子を買っておきます。寂しいし、よかったらいらしてください。」

ベランダのガラス戸を開けて、すゞやかな風を部屋に呼び入れながら、
私はもう一度、どこかの女が間違えて、送ってきたであろう文章に目を通す。
うすい水色の空に浮かぶ雲は、すっかり夏の勢いを失い、静かにたゆたっている。

きっと、と私は携帯電話を右手に握りしめたまま思う。
きっとこの女は、恋人あるいは妻のある男に、この短い恋文を送ったのだろう。
今日は日曜で、女のすきな男は、家族あるいは彼の彼女のもとにいる。
女はひとり、孤独感を抱え、男のことだけを思いながら週末を過ごす。
だから、月曜になったら、部屋へ顔を見せに来てね。お茶も用意しておくから。

この女も街へ買い物に出掛けながら、このうすい水色の空を見上げているだろうか、
などと勝手に想像力をふくらます。どうしよう、「貴女のあのメールは間違えです」
と教えてやるのが親切だろうか。それとも、このままこの恋文を男に送ったと思わ
せてやるのが適切だろうか、とパジャマのままベランダに寄りかかりながら考える。

念のため、と思い、11桁の電話番号を検索してみる。
小さな液晶画面に登録済みの名前が表示される。・・・・あ、あった。

その送り主とは、隣りの研究室のおじさまだった。
そういえば、この週末あたり彼のご自宅に保管されている膨大な量のLPレコードと
蓄音機を見せてもらいに行く約束をしていた。「また連絡入れますから」と言った
のは私の方で、そのまま約束を放置してしまっていた。それにこのおじさま、まだ
携帯のメールに慣れていらっしゃらなくて、時々妙な言い回しを使う、と有名だった。

ぐふふっ、と私は背中を丸めて笑う。
まったく、想像力とは見事なもんだ。どこかの美しい女の顔に、つるっとした頭を
ぽりぽり掻いているおじさまの顔が重なる。そして「さみしい」という言葉の女性性
に私が囚われていたことに気付く。寂しい、と言葉にできるのは、やはり女の特性
だと思ってしまうのは、私の身勝手な解釈でしかないのだけれど。

2002年09月08日(日)



 こころみ

空調の効きが悪い、でもスパイスの調合は完璧に美味しいカレー屋さんで、
素揚げした夏野菜をふんだんに盛り込んだ季節カレーをたらふく食べた後、
とある冊子の編集者さんに原稿を見てもらった。(このひとはいつも遅刻してくる)

カレー屋ではお互い食べることに真剣だったので、仕事の話などそっちのけで、
大皿に盛られたオクラやら、茄子やら、獅子唐やら、南瓜やらと格闘していた。
なので、原稿はカレー屋の近くの喫茶店で読んでもらうことにした。
二種類の出力紙を渡してしまったら、どうも居心地が悪くなり、私は公園の近くの
自動販売機で煙草を買い、フェンスに寄りかかって一本、喫茶店の隅で一本すった。

頃合いを見計らって、おそるおそる彼に近づき、「いかがでしょう」と訊く。
「うーん」と言った後、「小説を書くのは初めてじゃないでしょ?」と逆に質問される。
私は正直に、はじめてです、と答えた。エッセイや散文はわりによく書いてきた。
でも小説と名の付くフィクションは、これまで一度も書いたことがない。
「初めてにしては、よく書けてると思うよ。でも・・」。やはり「でも」と来た。
私は身体をこわばらせて次の言葉を待つ。「でも、僕らが作っている冊子にこの
テーマは重いと思うんだ。もっと時間をかけて分量ももっと増やして、小説として
ちゃんとした所に応募する方がいい気がしてきた」

そう来ましたか。別にしょげたりはしなかったけれど、「小説」というカテゴリに
私は過剰に拒否反応を起こした。ずっと前から小説は向いていない、と気付いていた。
なんというか、大海原にひとり、小舟でえっこらよっこら漕ぎ出すパワーはないのです。

「いつもみたいな2000字程度の、軽い日常の断片エッセイ、よろしく」
と言われ、すこしほっとした。残念な気持ちもそりゃ耳垢くらいはあったけれど。
文章を書く、ましてや物語を書くというのは、アタマの中のデータを外にアウトプット
するのみならず、果てしない想像力が必要な作業だから、思考や感性に加え、もと
もとの素質も重要なのだろう。私なんかのド素人は、想像するだけでどっぷり途方
に暮れてしまう。そして、編集者をうならせるって、まったく至難の業だこと。
でも、私は、いつかこのひとをうならせてやりたい、と心密かに考えている。


2002年09月04日(水)



 恋の顛末

デスクの上に、うすいピンク色の封筒に入った手紙が置かれていた。
封筒を開くと、A4版の白い用紙にゴシック体の彼女らしい文字が並んでいた。

「昨日、あの恋について、とりあえずの区切りのようなことがありました。
 口で言うと支離滅裂になりそうなので、手紙で書かせてください。」

あの恋、とは、胸がぎゅっとしめつけられるくらいにせつない、正真正銘の恋のことで、
私は彼女から、その恋について時々話を聞いていた。昨日、はじめてふたりきりで
遠くへお出かけした彼女は、一緒にいられることが嬉しくて楽しくて、夢中だった。
たくさん遊んで家の近くの駅まで車で送ってもらって、夕飯は一緒に食べられなかった
けれど、勇気をふりしぼって小さな告白をした。その直後、はっとして「うそです。
訊いてみただけです」と取り繕ってみたけれど、彼はつらそうな、複雑そうな顔をして
沈黙していた。彼女は居たたまれなくなって、今日のお礼と楽しかったことを伝えて
車から降りた。すぐに家に帰れなくて、駅の周りを小一時間もさまよっていたという。

彼には妻がいた。そんなことは、どうでもいい、と私は思いたい。
妻以外の女性に恋心を抱くことはできても、きっと言葉を声にのせてしまったら、
関係に---妻と彼、彼と彼女---揺さぶりをかけることになる、と彼は知っていたのだろう。
だから、言葉をぐっと呑み込んでいることが、彼のせめてもの優しさだったのかもれしれない。

彼女はその夜、家族の住む家に帰ってから、お風呂に入って、パックをして、自分
のベットからベットカバーと布団をひっぺがし、一階の居間にそれを敷いて寝たという。
「すこやかに眠れた、とおもう」という一行に、私は少しだけ安堵した。
そして、これからも自分の感情を閉ざさずに、きちんと自分の足で立って、
丁寧に過ごしていこうと思います、と手紙は締めくくられていた。

なんて素敵な子なんだろう、と私は彼女の強さに惚れてしまった。
恋するものは、身勝手で盲目に陥りやすいというのに、彼女は自分に正直であろう
とする。胸の痛みをそのまま痛みとして受け止め、自分の揺るぎない気持ちから目
を背けず、まっすぐに、ちゃんと向き合おうとする、その想い。素敵な女の子だ。

もはや私がコメントすることは、当然なにもなく、おそらくまだ何かが
起こるであろう恋の行方を、遠くから見守るばかりである。
恋って、女の子を強く、美しくしますね。


2002年09月03日(火)



 週末レポ

9月になったというのに、まだまだ残暑が厳しい。
積乱雲がちれぢれになったような小雲たちが、空を渡ってゆく夕方。

■土曜日はトモダチの母上様のお誕生日でした。
 ランチに誘われ、のこのこと銀座まで出てゆく。妹ちゃんのバイト先のレストラ
 ンは、ムール貝のスープと、デミグラスソースが美味しい西洋料理屋さん。
 プレゼントに小ぶりなブーケと、沼津みあげの和菓子をお渡しする。
 女性に花を贈るのって、個人的に大好きなのです。ふふふ。主役サマにすっかり
 ご馳走になってしまった上に、大好物のリンツのチョコをいただく。恐縮。
 ごちそうさまでした。それと、お誕生日おめでとうございます。

■いつもお世話になっている吉祥寺の kiss cafe で夜の部の日直をしました。
 詳細はサイトの「休日の風景」から。客入りもまずまずで、いつものキスカフェ。
 近くで打ち合わせがあった NC の三人さんも遊びに来てくれました。
 お客さまのくつろいでいる姿を見るのが、いちばん嬉しいですね。

■さて、冬の演奏会に向けてtuttiが始まりました。
 日曜の夜、久しぶりにチェロを担いで電車に乗る。そろそろ調整にも出さないとな。
 「レオノーレ」はベートーベンらしい序曲で、なかなか気分良くビシバシ弾ける。
 ブラームスの三番は、彼の4つのシンフォニーの中ではいちばん地味な曲だが、
 構成は凝っていることが判明。三楽章の冒頭部のチェロの入りは、はっきり
 言ってすごく官能的です。問題は「画家マティス」の三楽章。どーなってんの?

■昨日で夏休みはお終い!と心に決めていたにもかかわらず、筋肉痛で起きれない。
 原因はチェロとの移動。右肩がやばいくらいに重いです。これから3ヶ月は毎週
 のことなのに・・・。肉体を鍛えねば、と小さく決意してみました。

■明け方、東の空に上弦の月を発見。
 先日、kiss のスタッフと月の呼び名についていろいろ調べていたのですが、
 日本人って情緒的なんですね。その名前の多さに一同仰天するやら感心するやら。
 そういえば、秋は月の美しい季節ですね。今年はのんびりお月見でもしたいな。


2002年09月02日(月)
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