月のシズク
mamico



 ソファという中間地帯

平日身動きが取れるひとびと5名が「引っ越し手伝い隊」を結成して、友の引っ越し
に借り出された夏の朝、気温はすでに33℃で汗とゴミと漂白剤の臭いをまき散らし
ながら労働に精を出す。ケーススタディ「4年間掃除を怠るとこういう事態になります」
の例証物が幾つ発掘されたことか。ヘドロ化した換気扇、緑の水がほとばしる衣装箱、
遠い過去が刻まれた賞味期限切れの調味料群、触れると指が灰色になるレースのカーテン。

ゴミ箱と化した部屋の中でひときわ異彩を放っていたもの。
二人掛けの黄色い合皮ソファ。

早々とがらくたの中から救出され、新居へ運び込まれていたそのソファを目撃した
とき、ずるいっ!と思った。窓辺に設置されたソファの周辺には、「メキシコへ」
などと銘打った大判の雑誌が積み重ねられ、ポスターフレームにポートレートやカ
ードがに無造作に飾られている。明らかにその一角だけが、スロウな雰囲気なのだ。

大まかな片付けが終わり、黄色のソファに両膝を折って腰を沈めたとき
「やっぱりずるい」と声に出して言ってしまった。別に新居の主がずるいのではなくて、
ソファがある部屋のムードに対して(半ば憧れを込めて)ずるいと評したのである。
ソファに身を投げ出したときの脱力感は、そのまま無防備へとシフトしてしまう。
思わず「ここで何人女の子を口説いたの?」と質問したくなった。

わたしの部屋にソファはない。
台所にダイニングテーブルと椅子が2脚あるだけで、寝室にはベットしかない。
別に置き場所がない訳ではないのだが、何もない空間というのが気に入っているので、
寝室の半分は空っぽにしてある。友達が泊まるときは、そこに布団を敷いてあげる。
でも、こうして友の黄色いソファにカラダをあずけていたら、ふと気が付いてしまった。

椅子に坐る、という行為はとても理性的である。食事をしたり、ものを書いたり、
楽器を弾いたり、誰かと話しをしたり、すべてのものに対し一定の距離を保てる。
ベットはとてもプライベートな空間なので、誰かをそこに招き寄せると、自ずと
セクシャルな可能性を孕んでしまう。なので不用心にひとを近づけない。

そこでソファは、というと、椅子とベットの中間地帯として機能する。
個人的に読書や音楽を聴くこともできるし、誰かを隣りに座らせ共にくつろぎ、
ぐんと親密さをつのらせることも可能である。(なんだか少しエッチですね/苦笑)
ことごとく リラックス アワ マインド、なのである。

・・・という説明を熱を込めてしていたら、「それならソファ買えばいいじゃん」
と言われてしまった。まぁ、そうなのだけど。私は他人と親密になりすぎるのは
やや苦手である。現に今欲しているのは、オットマン付きのひとり掛けソファ。
「じゃ、さ、やっぱ無理だよ」と突き放す友。別に何の魂胆があるわけでもないが、
ソファのある部屋に帰るのは、にわかに、あこがれています。


2002年08月29日(木)



 夏休み最終週

大人になっても「夏休み」という甘美な響きには弱いわけでして。
休日も平日も、朝も夜もあまり関係のない日常ですが、8月いっぱいは夏気分が
抜けないですね。気が付けば8月最終週に突入。気分は消えかけた線香花火。

■金曜の夜(雨が降っていた)に、音楽祭の打ち上げ(飲み会)があり、1ヶ月半
 ぶりにMMCKのスタッフと首都圏在住の受講生たちに再会。赤坂のジムショを
 解放してナント5時から延々宴が繰り広げられていました。私は6時半から参加。

 舞台さんのひとりは音楽祭終了直後から、南アフリカの子供合唱団の全国ツアー
 に付き添っていた関係で、実に丸1ヶ月巡業の日々だったそうな。その他、ス
 タッフはそれぞれの夏の仕事に明け暮れていた模様。受講生たちも、各々のリハ
 と本番に追われる夏だったとの報告。私がジャマイカ+N.Yを旅していたと報告
 するとブーイングの嵐。いや、君らの輝かしい将来を考えると、私の貧乏旅行
 なんてどってことないでしょ。やっとギャラを現金支給される。当初の契約の5割
 増し。額面を見て、へっ?と驚くと「嫌なら返せよ」と社長。これは感謝の心
 付けなのか、はたまた来年は来るな、という手切れ金なのか。とにかく感謝。

■深夜に帰宅したにもかかわらず、その深夜に友が襲来。
 冷やしトマトを酒の肴にビールとラム酒をがんがんあおるが、妙に落ち着いた
 テンションで文学と建築と精神病の話をだらだらと語る。私は一応、文学畑の
 出身者だけれど、日本文学も世界文学もあまり詳しくないことに気付かされる。
 
 明恵上人やら、夏目漱石前期/後期三部作やら、ポール・オースター代表三部作
 やら、『グレイト・ギャツビー』の翻訳の冒頭部がどんなに格好いいやらを、
 蕩々と語られると、なんだか自分の無知さ加減に腹が立ってきた。私って何も
 知らないんだな、と反省させられること然り。二日酔いのアタマを抱え翌朝には
 図書館で片っ端から本を借りてくる勢いだけはあるのですが・・・とりあえずは
 漱石の『行人』から始めます。

■日曜はヒッキーを決め込んで自宅で仕事していたところ、夕方に友達から電話。
 同郷の友がスクーリングのため上京しているので「ごはんでも」という誘い。
 渋谷は嫌いなので青山で待ち合わせて野外で食事。半地下のオープンテラスで
 食事だが気分はビアガーデン。「子供が欲しいから見合いでもして結婚しようか」
 などと抜かすので、私は全力で反対してしまった。早まるな、恋せよ乙女。

■真夜中、それも丑三つ時に寝室の暗い天井をぼんやり眺めていると、何かがいる
 ような気配がして恐ろしくなった。私はド近眼なので、眼鏡もコンタクトも外し
 てしまうと何も見えないはずなのに、何かが見えるような気がして仕方なかった。
 「考えると霊は呼ばれるものだ」と言われているので、なるだけ考えないように
 努めたのだが、余計気になってしまう。えいやっ、と部屋の電気を付けて追っ払
 った気分になってみる。これも夏の風物詩だっけ。ソコニイルノハ誰?

 

2002年08月26日(月)



 夜のお茶会/洗濯槽の裏側

日が暮れると蝉の声が、虫の声に取って代わられる。
お盆を過ぎると途端に秋の気配が染み込んできて、なんだか物哀しい。
なんてひとりセンチメンタルになっていたら「お茶しません?」と後輩くんからの電話。
シゴトが残っているから8時頃になるけどいい?と尋ねると「キチジョウジでしょ?
何時でもオッケーです」の返答。あそっか、この子も吉祥寺住人だったわ。

夜風が涼しすぎることに驚き、「あったかいもの飲もうよ」と深夜営業のカフェ
引きずり込む。「オレ、この店すげぇタイプです」と気に入ってもらえたご様子。
空腹の私はビールとレタス&卵の炒飯(お茶じゃない)を頼み、後輩くんは凝った
名前のアイスティ(透明な赤色がとてもきれい)をオーダーする。
「なんか学生の頃よりカジュアルになりましたね」と痛い指摘を受けつつ、
「そーいうアメリカン・ガールみたいな恰好も似合いますよ」とフォローされる。

心配性の彼の彼女は、彼が女のひととふたりで会うことを固く禁じているが、
「マミコさんならいいよ」と許可が出ているらしい。ちなみに私は彼女の方とも
時々ふたりでデートする。女ではなく、ひとりの人として信頼されているようで
嬉しく思う。そんな私のぬるい感性に「それって恋愛対象外ってことでしょ」と
鋭いコメントをくれる女ともだちは、まぁ、さておき。

ひとと向き合って話をすると、というか話を聞くと、ボロボロとオモシロイこと
がこぼれおちてくる。後輩くんはアレルギー体質でアトピーも持っているのだが、
とある通販雑誌で「洗濯槽クリーナー」を発見しLOFTで購入して試してみたらしい。
「もぅねぇ、すんげぇんですよ。ラーメンに浸した海苔ってわかります?カノジョ
とふたりで見ていたんですけど、あの黒くてどろどろしたものがいっぱい出てきて
気持ちわりぃの。お陰で洗濯物も心なしかキレイになってる気がします。」

はははっ、と声をあげて笑ってしまった。
いつもはちょっとシリアスなヴァイオリンの達人でジーンズマニアでAB型体質の彼
が、実は潔癖性で小動物愛好家で深夜の通販番組が大好きな少年だったとは。
人とはわからぬものである。「洗濯槽の裏側って怖いんですから。マジで」と
真剣にレクチャーしてくれる後輩くんに気おされて、私も試してみるよ、と答えた。

気が付くと、ラストオーダーも終わりプロジェクタに映し出された時計は、
深夜の1時近くを指していた。なんと5時間も話し込んでいたことになる。
「久しぶりにひとといっぱい喋っておもしろかったよ」と言うと、「なんか今、
聞いちゃいけない淋しいコメントを聞いちゃったような」と同情を受けてしまった。

結局のところ、私はひとが好きなんだな、と思う。
言葉の温度とか、空気の流れとか、声の響きとか、心の動きなんかが。
確かにエネルギーも使うけれど、これからもなるだけ誠実にひとと付き合っていこう。


2002年08月21日(水)



 ヒロシマ

週末、土曜から月曜まで広島へ行って来ました。
台風13号が日本列島に接近していた模様ですが、広島は終日ピーカンの青空。
宮島まで足をのばして、のんびり観光してまいりました。

中学校の修学旅行以来、久方ぶりに平和記念公園へ訪れたのですが、
やはりこの地は夏の青空が似合います。突き抜けるような空をバックに、
世界遺産に登録された原爆ドームが映えます。なんというか、あの悲劇の歴史的
瞬間を感じるには、風景の近似値に立つことが必要だと思います。夏の青空が哀
しみを増幅させますね。近くの太田川のせせらぎや、鳥の歌、さわさわと葉が風
に揺らされる音が、生命の在処をそれとなく私たちに知らせているようです。

原爆資料館にある記録は、あくまでも客観的な資料データとして展示されています。
戦争体験者の証言が歴史を語り、戦後の科学者が核兵器の威力についてのデータを
提供する。そしてやっと非戦争体験者である我々が思考し、言葉を発することができる。
資料館の展示品や言葉は、決して押しつけがましいものではないのが印象的でした。
しかし、今年の広島市長の平和宣言は気持ちよかったですね。

「アメリカ政府は、「パックス・アメリカーナ」を押し付けたり世界の運命を
 決定する権利を与えられている訳ではありません。「人類を絶滅させる権限
 をあなたに与えてはいない」と主張する権利を私たち世界の市民が持ってい
 るからです。」         (以上、2002年「平和宣言」より抜粋)

ブッシュよ、聞こえたかい?
アナタはエイハブ船長になってはいけないのだよ。
乗組員の命はアナタのものではない。アナタこそ、わたしたちのモノなのだから。


2002年08月20日(火)



 隔離室

前にも少しお話したのですが、後期から大学の語学教材をデジタル化するとかで、
今週からせっせと打ち込み作業に入りました。折しも大学は夏期休業真っ最中
なので、事務所関係者もゆるゆると出勤し、4時になるとさっさと帰ってゆく。
そんなことも関係なく、わたしたちはメディアルームの片隅でカタカタと作業。
大学職員って暇じゃないのかな。(ぼそっ)

しかしこのメディアルームは、いわばテレビ局のようなものでして、壁一面に
モニタが埋め込まれ、ドデカイ機材がごろごろしている。一応スタジオもある
のだが、ここは物置と化している。ま、どれもこれもあまり使用されている
形跡は見えませんが。で、問題は機材の排出熱を冷やすためにいつも室温が
23℃に設定されていること。始めは「涼しいっ。気持ちいいー」と感じるの
ですが、すぐに冷却されて手先足先が冷え冷え。なので季節錯誤的に厚手の
ソックスとフリースを着込んで作業しております。傍目から見るとブサイク。

こんな生活があと1ヶ月続く。
浦島太郎のように、気が付けば季節は変わっているんだろうな。
あ、浦島さんは時代が変わってしまったんだっけ。
しかし、学生がいないがらんとした大学のキャンパスって好きだな。
芝生の緑が光を浴びて、のびのびと美しく見えます。

---
月曜まで広島へ行って来ます。
ライブとヒロシマを観る旅。
いってきます。


2002年08月16日(金)



 タイミングのいい男

本人は何の狙いもないのかもしれないが、タイミングのいい男がいる。
めちゃくちゃ落ち込んでいるとき、または「ちょっと誰か聞いてー!」という
マシンガントーク・モードのときにふらっと連絡をしてくる奴。
まさに飛んで火に入る夏のムシ。

お昼頃、夕食の約束をしていたトモダチからキャンセルの電話が入る。
ちょっとお外でごはんを食べたい気分だったから気持ちが萎えたのは確かだ。
ま、先方にも仕事なり緊急事態なり女なり、いろいろとあるのだろう。
「また今度」と約束を遠くへ追いやる。

夜になり「何か作りますかね、いや待てよ、吉祥寺へ買い物に行こう」と
立ちあがり、鏡に向かった瞬間に携帯がふるえた。「もしもし」と出ると
「今現在、なんか忙しかったり予定あったりする?」と遠回しな探りが入る。
同じ吉祥寺住人で生粋の男トモダチ。「ごはん?」と聞くと「イエース」との返事。

久しぶりなのに、「ひさしぶり。元気だった?」の挨拶もナシ。
互いがパッパとリクエストし合うので、食事する場所もさっさと決まる。
ひたすらうまいもんを喰い、飲み、好きなことを喋り倒し、気が済むとバイバイ
とそれぞれの住処へ帰ってゆく。たぶんこれからもずっとこんな調子なんだろう。

タイミングは、偶然と同義なんかじゃなくて、ちゃんと推し量られるものだ。
状況と場を読み、相手を知っているからこそ、ベストな時宜を得られる。
ヒッキーになりがちなわたしには、なんとも有り難い存在である。

2002年08月15日(木)



 「お暑ございます」

まだ実家で祖父母と暮らしていた頃、いよいよ暑さが厳しくなってくると
祖母は電話口で「もしもし」の代わりに「お暑ございます」と挨拶した。
初めての方が電話をかけてきたときなどは、聞き慣れない挨拶に少々
戸惑われているご様子だった。

私はごく個人的に言って、この祖母の「お暑ございます」という挨拶が好きだった。
この一言には、「毎日暑い日が続きますが、ご無事でいらっしゃいましたか」
という祖母のさりげない心遣いが込められているようで、とても美しいと思う。
べつに電話の挨拶は一様にする必要はない、でしょ?

食後の箸を置いて「ごちそうさま」と言ったお返しに、「お粗末さま」と応える
慣わしがある。でもいただくお食事は、これっぽっちも粗末ではなく、栄養が十分
に行き届いたとても美味しいものである。もちろん謙遜の意味も込められた「お粗
末さま」なのだろうけれど、これではいくらなんでも作ってくれた方に申し訳ない。

ということで、「ごちそうさま」のお返しには「ごじょうぶに」と言うことにしている。
「ごじょうぶ」は「ご丈夫」という意味で、「たくさん食べて健康でいてください」
という願いが込められている。もっとも最近では、この手の挨拶の受け応えが
ほとんど成されていないので、「ごじょうぶに」と返したところで、ぽかんと
なさる方が多いのが残念ではあるけれど。

なんだか、おばあちゃんの知恵袋みたいですね。
今朝はおばあちゃん並に、4時半に起床です。
ちょっと切羽詰まっていて。(苦笑)さ、お仕事です。

---
追記:サイトの「休日の風景」近日中に更新しますので、少々お待ちください。



2002年08月14日(水)



 セキュリティ・チェック

週末、世間サマより一足早く帰省してきました。
日本全国津々浦々、どこもかしこも暑いのね。

さて、帰りの空港での話。
最終便で羽田に戻ってきたのですが、地元の空港も満席状態で込み合っていました。
手荷物のセキュリティ・チェックを受ける列に並ぶと、なにやら前方の一団が
賑やかしい。聞くと、地方公演を終えたばかりの劇団員たちだった。
声も身振りも図体もデカイ。おそらく平服なのだろうが、ややもすると
ステージ衣装のような派手さ加減。嫌が応でも目立つ彼らの存在よ。

私の小型トランクをX線チェックに通そうと、荷物に手をかけ、止まってしまった。
なんと目の前のコンベアに流れているのは、藁縄でくくられた巨大スイカ!
どうやらファンの方がお土産にプレゼントされたそうだ。さすが田舎だわ。
係員のお姉さんも戸惑いながら、「こちらにチェック済みのシールを貼らせて
いただいてもよろしいでしょうか」と笑いをこらえて聞いている。
「ええ、ドーゾ。正真正銘アヤシイ西瓜ではないですからね」と劇団員。

X線に通され、オレンジ色の"secured"シールをぺたりと貼られた巨大西瓜。
空港係員の手により、機内積み込み荷物としてバックステージに消えていった。
田舎ってスゴイ。なんだか楽しい帰りの飛行機でした。

(羽田でもちゃんと黒いベルトコンベアの上を西瓜が回ってきました。
 羽田の係員。それを見て目がテンになっていた。だよな。西瓜まんまだもん)



2002年08月11日(日)



 青いぜ、空っ

カーテンを開くと真っ青な空。東京ではめずらしく鮮やかな青空です。
昨日は「光化学スモッグ発令注意」の黄色い看板が出ていたのに、
今日はそよそよと風も噴いていて、排気ガスはちりぢりになっている模様。

午後、後期から大学に新しい教材システムを導入するとかで開発した企業さんが
β版のプレゼンに来た。とりあえず、我らアシスタント連中も参加せよとの指令。
巨大スクリーンやマシンが設置されたプレゼンテーション・ルームに通されて
ひるんだ。うわっちゃ、めっちゃ場違い。。。

このクソ暑い中、びしっとスーツを着込んだ企業側プレゼンター。
フロアには分厚い取説を手にした教授陣たち。皆、顔が怖いんですが。。
で、我々アシスタント4人はというと、男の子ふたりはTシャツ+半ズボン、
女の子もぴらぴらのスカートにノースリ、足元は当然ぺたぺたサンダル。
おまけにアタシはすっぴんだよ。とほほ。

サラリーマンをしていたときも、わたしは室内作業員(笑)だったので、
今とさして変わらない恰好をして通勤していたけれど、さすがにお客さん
のところへ出向くときはスーツなんぞに袖を通してみたりもした。
それが、この数ヶ月ですっかり堕落してしまったんですね。ちょい反省。

しかし、久しぶりにキッチリしたプレゼンを聴けておもしろかった。
会社で学んだことが知識として、頭脳のどこかに格納されていたことに驚く。
悪いが、私はそんじょそこらのアタマでっかち教授陣たちよか使えまっせ。
とはいえ、いいように利用されないよう、用心しようっと。
とある教授の対応に、腹の底からムカついた夕方。ああ、気分わるっ。



2002年08月08日(木)



 住民票コード通知票

ポストをのぞくと市役所から<<親展>>と書かれた封書が一通。
やっぱり本当に届くんだ、となかば諦め気味に手に取り、ミシン目をぴりぴりと破る。
氏名、生年月日、性別、そして11桁の住民票コード番号。
そっけない。ま、こういう書面がデコラティブに飾られていても困るが。

そこでふと思い出してしまった。
昔見た悪夢を、まざまざと思い出してしまった。フラッシュバック?
「間引かれる国民」(「わらう月」の「休日の風景」2001年1月17日のコンテンツに飛びます)
ある日、役所と名の付くところから茶いろの封筒が届けられ、死の宣告をされる。
国民はその司令を受諾せしめられる法律により、死へ向かう選別を受ける。
「近い将来に起こるであろうシステムを予期したのか・・・」という一文が、
生気を持って迫ってきたように思える。なんという夢をみていたのだろう。

これで「武力攻撃事態対処関連三法案」が成立なんぞしようものなら、
私の夢は正夢になる可能性もある。つまり「自治体が住居および存在を不要と
みなした故に、汝は速やかに処理させらるる」などという通知が届かないとも
限らない。ちょっとこれは乱暴で飛躍したコメントですけれど。

行政のシステム化はいずれ成されることだろう。
ただし、この国家は思い切りは悪くないが、緊急の対処法にとことん弱い。
おまけに、自らの言語に振り回されて、意味が文面を滑ってしまう傾向にある。
つまりだ。皆、理解できとらんのだよ。法律もシステムも、そしてオノレ自身も。

これ以上、悪夢が叶えられることがありませんように。
さりげなく祈る今日という日は、ヒロシマに原爆が投下された日だった。


2002年08月06日(火)



 ■□覚え書き/業務連絡■□

■昨日、今日と少し涼しかったですね。猛暑の中休み、でしょうか。
 日中は常時ヒッキー(自宅ひきこもり状態)なのですが、今日はクーラーなし
 でもなんとか過ごすことができました。風が吹くと暑さも散々するようです。

■箱根に避暑に出向く直前の教授(箱根は避暑地に成り得るのか?)と、
 そそくさと夏のシゴトの打ち合わせ。大量の採点物とデータ入力。
 それと、大学のサイトからリンクを貼って教授のページを作ってあげる
 ことにした。主にデータベースとしての業績一覧なのだが、これまた大量。
 「シノハラサリ」の隠しページも作る予定。誰だそれ?(笑)

■金曜の夜に「ペパカフェ・フォレスト」のオープニング・パーティに潜入
 してきました。詳細はサイトの「休日の風景」にアップしてあります。
 雷雨の後の水蒸気が立ちこめる、アヤシゲな井の頭公園の一角にあります。
 吉祥寺在住のあらゆる種類の人々が終結した、という印象のパーティでした。
 そして、女の子ばかりをナンパしまくるアタシ。。。

■すっごく遅くなりましたが、沖縄のジャーナル最終版「本島編」アップしました。
 首里城なる観光名所も行ったのですが、敢えてオキナワの夜をフィーチャー。
 相変わらずオンガクと酒びたしのレポで申し訳ないのですが。

■ジャマイカで買ってきたラム(銘柄はアップルトン!)にハマっております。
 現地ではあまりの暑さに、うっすいビールばかり飲んでいましたが、やはり
 名産のラムはうまし。ドデカいクラッシュアイスをぶち込んでロックで。
 はたまた軟弱にコーラー割りなどしてみて。脳味噌がちりちり痺れる感じがいい。

■えー、突然ですが禁煙します。宣言します。ここで(苦笑)
 節煙期間を経て音楽祭の期間とか、旅行中とか成功していたにもかかわらず、
 ここにきて喫煙衝動再発。やっぱりよろしくないです。女の子の喫煙癖。
 無意識にタバコに手が伸びそうになっていたら、遠慮なく叱ってください。

■ひさしぶりに部屋に花を飾りました。
 寝室に桔梗を。浴室にピンク色の小さな花を。
 こう暑いと、お花もすぐにダメになちゃうんですよね。
 暑さに強い朝顔の鉢植えが欲しい。色は群青色がいいな。



2002年08月04日(日)



 月はじめ

さて8月。

例年と比べものにならないくらい、先月(7月)は真夏日が続いたそうだ。
いや本当に暑かった。あまりに暑いのでジーンズも履かず、ノースリブしか着ず、
しまいにはお化粧するのも止めてしまった。朝起きて、顔を洗って、UV効果の
ある乳液を付けて、眉を整えておしまい。オンナを棄てていますか?そうですね。

実は昨日までちょっと大きな研究発表を控えていて、サイトの方も日記の方も
滞りがちでした。すみません。反省しています。おまけに6月末頃から、とにかく
いろんなことをしまくった。音楽祭の通訳やら、国内外への遠征(?)やら。
めまぐるしい日々に、これでもかっ!という程の移動距離。
二十数年間の人生の中で、いちばん激しく日常が揺れた時期でした。
ま、暑いことだし、今月は少し落ち着いてヒッキーになってます。

N.Y+ジャマイカ報告もさることながら、GWの沖縄ネタで制作途中のもあるし、
マトモな文章も書いていないので、じっくり筆ならしをしてゆくつもり。
なんかこれって言い訳がましい「初心表明」みたいですね。
ということで、暑中お見舞い申し上げます。



2002年08月01日(木)
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