月のシズク
mamico



 『東京ビーチ』

友に熱烈にすすめられ、『Cut』を買ってしまった。
ヴィンセント・ギャロ×中谷美紀の誌上ムービー、『東京ビーチ』。


   ひとけのないフェリー乗り場。
   ギターを携えたひとりの男と、行く先知れずのひとりの女。
   ふたりが出会った瞬間、その魂は共鳴し、刹那な愛は東京の海を震わせた
                      
                            (『Cut』2002 March より)


音のない、言葉のない、動きのない、すべてを閉じ込めた瞬間画像に弱い。
男と女の表情、しぐさ、眼差し。笑い声も躊躇いも諦観もすべて知ることが出来る。
光の感触、水面に波紋を描く風。寒々としながらも、高く突き抜ける青い空。
そのまっさらな刹那。

空の青さと海の青さ。
青の色には、精神の鎮静作用があるように思える。
ギャロのブルー・アイズ。中谷のざっくりした白いセーター。
そして、光。

私は、彼が自身を解き放ったように、
わたしを青の静寂の中に沈める。



2002年02月28日(木)



 電波の予感

珍しく電話の多い日だった。

3月の連休に越前カニを食べに行くプランを母と相談し、
貸していたMDとCDの返却を迫る連絡をいただき(長いあいだ、ありがと)、
「今から会えますか?」と、泣き出しそうな後輩ちゃんの声に、慌てて走った。

ポケットの中で携帯がふるえるたびに、電波を感じた。
誰かが何処かで私を呼ぶ、声にならないその電波。

夕ごはんを食べて地下からあがると、留守電が数件。
最後の用件を聞くためにボタンを押すと、懐かしい友の、少しかすれた声。
「この留守電を聞いたら折り返し電話をください。何時でもいいから。」

嫌な予感が走った。
私の予感はよく当たる。

電話口に出た友の口から、同級生の死の知らせを聞いた。
わたしが、かつて、ずっと昔に、好きだったひとが死んだ。
死因など詳細は不明。喪主は兄の名前が掲載されていたという。


寡黙だった彼の、
少しはにかんだ笑顔を思い出した。
そんな、淋しい満月の夜




2002年02月27日(水)



 うしろ向きの現在進行形

「50年後、何してるかな?」
と、骨皮だけになった塩鮭の残骸を、箸で器用に皿の隅に寄せながら友は言う。
夜は飲み屋になる小料理店のランチは、仕込みに手間をかけていて美味しい。

そのとき私たちは、つつがなく流された時間の距離に唖然としていたのだ。
日々の労働をし、ごはんを食べ、風呂に入って、眠る。
単調に繰り返される日常は、目をつぶっても前へ押し流される動く歩道だ。
50年という時間は、けして長いわけではない。不意に危機感を感じた。

子供の頃、時間は流れるものではなく、居座るものだった。
たった数時間でも、それは複雑に重なり、どろっと密度が濃く、何倍にも感じた。
それはなぜか?

それは「初体験」がたくさんあったからだ(さっきやってたドラマのタイトルみたい)。
はじめての道、はじめての場所、はじめての風景、はじめてのトモダチ。
見るもの、聞くもの、触れるもの、そんなものにいちいち立ち止まり、感動して、
いっしょうけんめい記憶に登録してゆく。一瞬たりとも同じ時は感じなかった。

これだ。
大人になると「時間がない」と言い訳をし、立ち止まることを忘れる。
これも知ってる、あれも知ってる、という気になって、はじめてのことでも
とっくに「体験済み」だと思い込んでいる。そして、さっさと進もうとする。
時計の針を自分の指でぐるぐると回して、気が付くと空虚感を抱いている。
そんな歩き方をしていたら、どんどん空っぽになってしまう。

危機的状況

生きてるうちは、いつだって現在進行形だ。
勝手に過去完了形にしてしまうのは、もうやめようよ。



2002年02月26日(火)



 沈丁花の咲く夜道

今週は残業ウィークらしい。とりあえず第一日目終了。
シゴトの高揚感を残したまま、友と夜道を家路に着く。

夜の冷気にふわっとしたぬるさが混入して、さながら春の夜のよう。
そういえば短い2月ももう終わる。行く1月、逃げる2月、去る3月。
一年でいちばん短い月が、するっと手のひらを返して逃げてゆく。

「あっ」と言って、友とふたり、立ち止まる。
この匂い、なんだっけ?と尋ねると「じんちょうげの花だよ」と彼女は
緑の茂みに近づいてゆく。「ほら」とふり向くと、よい香りが漂った。
白っぽい、とても地味な花のわりに、沈丁花の花は清涼感のある香りを放つ。

そんな時期なんだね、と言い合いながら、ぽくぽくと駅へ向かう。
去年の今頃もずっっと残業つづきだったよね、と笑いながら夜道を行く。
季節の皮膚感覚はいろんなことを思い出させる。

もうすぐ桜の花が咲く。

駅前の、街灯の外れに立つ、無骨な黒い幹の桜の木が
不意に色めき立ったようにみえた。




2002年02月25日(月)



 覚え書き

■金曜の夜に開かれたささやかで盛大なパーティ。
 たくさんの方々がお祝いに、感謝の気持ちを伝えに、駆けつけてくださった。
 淡々と司会を務めながら、実は何度か涙ぐみそうになってしまいました。
 オンガクの言葉を、魔法の左手を、ありがとう。マスダ先生。

■少し早い春の陽気に誘われて散歩していたら、見事な白梅・紅梅を見つけた。
 椿も山茶花も見頃ですね。ちなみに椿+山茶花=カキツバキって本当?

■フジの新機種デジカメ FinePixF601、狙っています。
 光学3倍ズーム以上、マクロ撮影、動画撮影可能という個人的条件をクリア。
 しかし、クレードル別売ってどーいうことよ。

■ひとを傷つけるのは簡単だ。怒らせ、悲しませ、失望させる。
 あまりにも簡単すぎるので、普段は細心の注意を払っているというのに。
 自分自身は傷付くことにも、憤慨することにも、どんどん鈍感になっている。
 もしかして、ワタシは嫌悪されることを望んでいるのだろうか。
 ゴメンナサイ。

■横浜市をぐるりと演奏旅行。
 いえ、実際には午前午後と練習会場が違ったので、大幅に移動しただけですが。
 横浜市営地下鉄に初めて乗りました。地下鉄なのに頻繁に地上を走る。
 郊外型の古っぽく新しい感じの街が多い。都筑市のことも初めて知った。

■アシュケナージのラヴェルはいい。
 「夜のガスパール」「亡き王女のためのパヴァーヌ」「優雅で感傷的なワルツ」
 特にパヴァーヌは傑作。泣ける。

■ひとひとりぶんの重さ、その身軽さ、その不自由さ。
 さて、これからどうしようか。
 まずは、お風呂をぴかぴかに磨きあげることから始めよう。


 

2002年02月24日(日)



 「明日に架ける橋」

ひさしぶりにsometimeへ恒例のチャカ・ライブを聴きに行く。
今日はいつものトリオ(Vo、Bass、P)にドラムスが参加。
リズムのキレの良さに、思わず身を乗り出してしまった。

音楽は私にとってエネルギーであり、活力である(あれ、同じことだ)。
言葉よりも先にすとんと染み込んでくるので、あれこれ解釈する必要もない。
歌い上げられる肉声が、ピアノの和音が、ベースの心拍音が、ドラムのビートが、
わたしを越えてやってくる。そして、砂漠に染みる水のように、私の中に入ってくる。

「明日に架ける橋」という有名なスタンダード・ナンバーがある。
"I can bridge over the troubled watre."というフレーズにいつもヤられる。
素直に励まされる。明日も生きてみよう、と前向きになれる。

人生は辛く厳しいことも多いけれど、同じぶんだけ、
楽しく素晴らしいこともあるんだよ、ってね(笑)。
あ、今のわたし、スゴク前向きだ。


2002年02月20日(水)



 苺狩りへの渇望

ふと、唐突に、もうどうしようもないくらい、苺狩りに行きたくなった。
緑の葉っぱの間にひっそりと実る赤い苺。
広がるスロトベリー・フィールド。

縦一列に走る苺畑のはじっこから、右手と左手でもぎ取っては口の中へ放り込む。
さりっと新鮮な音がして、甘酸っぱい汁が口の端からしたたり落ちる。
次から次へと休むことなくもぎ取り、むしゃむしゃと食べてはもぎ取る。
じゅっぽんの指は苺の汁で、口の中と同じくらい赤く染まる。

そして、おもむろに銀色のボールを取り出し、しゃかしゃかと生クリームを作る。
わたしは、苺畑の真ん中に立ち、出来たての生クリームを苺ですくって喰らう。
透明なビニールに覆われた、温室の広い苺畑で、狂ったように苺を食い続ける。

なんてシュールな甘やかさ。
ああ、苺畑がわたしを誘惑する。




2002年02月19日(火)



 くっつき包帯

ひさしぶりに外傷的な痛手を負い、うちの薬箱には、
その手の応急処置物が不足していたことに気づく。
消毒スプレー、バンドエイド、それとムヒのみ。

しょうがないので、近くのコンビニをのぞいてみる。
湿布薬は熱冷シートで代用して(同じ臭いがするので、効果は
変わらないですよね)それを止める包帯かネットがないかと探す。
すると、おもしろいものを発見。

「巻いた面がくっつくので、留め金も必要ありません」と文句が書かれた包帯。
包帯同士が付くだけで、毛にも付かないのでペットの傷にも使えます、だそうだ。
よし、これがいい、と即購入、即実践。

おおっ!収縮性がある上に、本当にぴたりと付く。
なのに、服や紙には付かない。どういう粘着剤を使っているのだろう。
これはなかなか便利だこと。やるね、コンビニ(薬局行けよ、こら)

ところで、お風呂に入ると、色がうすくなったと思っていた火傷の痕が、
みるみる赤く色づきズキズキ痛むのはナゼ。やはり血行が良くなるから?
びっくりするくらい、くっきりと赤い地図が浮かび上がる。
まるで、あぶり焼きをしているようだ。

そして、左手を湯につけられないので、右手だけで身体を洗い、髪を洗う。
一番困るのは右腕を洗うとき。苦肉の策として、左腕を石鹸でゴシゴシと泡立て、
そこに右腕を擦り合わせる。一応、洗えたつもりにはなれる。
髪を洗うときは濡れないよう、左手はずっと上にあげている(サルか?オマエは)。


想像されたくもない図です。
なので、どうかイマジネーションはお控えください。




2002年02月18日(月)



 火傷には「熱冷シート」

インスタントのお吸い物を作ろうとして、お椀に熱湯を注ぎ、
テーブルに運ぼうとしたとき、寒さで手が震えていたことに気づいた。

ぐらっとお椀の中身が揺れ、ほんの数滴、手の甲に飛んだ。
「まずい、置かなきゃ」と思った直後に、痛いような熱さを感じ
「こぼれる」と思った次の瞬間に、ざばっと左の甲に流れた。
意識された後に行為が反復される、ということなのか。

床に転がったお椀をそのままにして、シンクの蛇口をひねり、
真っ赤に腫れ上がった箇所めがけて、ざばざばと流水をあてる。
「痕にならないためには、何よりも先に水で冷やし続けること」
と、祖母が言っていたことを思い出す。それにしても、冷たい。

そもそも、温まろうと思ってお吸い物を作ったくらいだから、
身体は最初から冷えていたし、手先だってギンギンになっていた。
その状態で冷水をあて続けるのだから、嫌でも冷える。心底、冷える。

シンクの縁に両肘をのせ、前屈するようにアタマを垂らす。
冷やしているという行為を忘れようと、青いキッチンマットを見つめながら
でたらめに歌を歌ってみる。片手だけ冷やされているのは、アンバランス
なのではと急に思い立ち、火傷していない右手も一緒に流水の中に入れてみる。
とにかく、耐えうるまで冷やし続けた。

その続きは、冷凍庫にある保冷剤にしよう、と蛇口をしめ冷蔵庫のドアをあける。
あるじゃーん、いいもの。と、取り出したのは解熱のときに使う「熱冷シート」。
ぴらっとシートを剥がし、赤く腫れて、でも氷のように冷たい甲に貼る。
今も貼り続けているのですが、なんとなく熱が吸収されているみたい。
お願いだから、痕になってくれるなよー、と祈ってみる。

しかし、片手が使えないと不便ですね。
お化粧を落とすのも、お皿を洗うのも一苦労です。



2002年02月16日(土)



 朝の電車で歌う女

いくつめかの駅で、その女は飛び込むように乗り込んできた。
どしん、と隣りの隣りにお尻を投げ出し、息をはずませている。
その勢いに驚いて、私も、隣りの女子高生も、彼女の方を見た。
白い頬が寒さでピンク色に燃え、黒いセルの眼鏡が鼻先までずり落ちていた。

そして

彼女は歌い始めた。
それは、朝の、人がたくさん詰め込まれた、不機嫌な電車の中では
とても不釣り合いな行為だった。歌をうたう?ここで?なぜ?

彼女の歌には、言葉が抜け落ちていた。
ルルル、とも、ラララ、ともつかぬ、記号的音声が高みに向かって上昇し、
極みの手前でくるりと落下してくる。音の方向がまったく定まっていない。
そして驚いたことに、その流れのなかには歌とは何の脈絡も持たない、
狂気じみたカン高い嗤い声が不規則に挟み込まれた。魔女的な嗤い声。

駅に止まるたびに車両はどんどん込み合ってくる。
しかし、彼女の前はコンパスで描いたような半円形に空間ができていた。
正気を保とうとする人が、耳を塞ぎ、新聞に目を落とす。
隣りの女子高生は私の方に身をよじった。小刻みに震えていた。

わたしは、読んでいた本を閉じた。
彼女の歌声は私の集中力を拡散させる。気が散る、というのではない。
すいと気を惹き付ける力があるのだ。磁力のように。引力のように。

音楽的規則がめちゃくちゃに打ち破られて、嗤い声が恐怖を喚起するのに、
居心地のよさを感じてしまったのは、たぶん、彼女の放つ音が
パーフェクト・ピッチにぴたりとはまっていたからだ。12個の音の定点。
剥き出しのワイルド感と均整のとれた繊細さ。
聞き慣れた、ひとの声からは遠く離れている。

彼女は明大前で電車を降りても、まだ歌っていた。
相変わらず、不規則に狂気な嗤いを挟みながら、不思議な歌を歌っていた。
どこへいくのだろう、と思いながら、階段を上り始めたとき、
わたしも彼女の歌を、ちいさな声でくちずさんでいることに気付いた。



2002年02月15日(金)



 チョコレート味のちんすこう

3ヶ月半ぶりに髪を切った。
パサパサの毛先を細い指でつまんで、担当のアサコさんはすこし困った顔をする。
「もっと早くきてくださいよ」と言われ、すみません、と私は言い訳をひっこめた。

洗髪中も断髪中も、わたしは話しかけられるのが好きではないことを、
この店のスタッフはよく知っている、ので、作業は無言で進められていく。

たっぷり髪をしめらせて、ぶくぶくのシャンプーを2回。
ハイライトのカラーリングを入れるので、トリートメントはなし。
泡を洗い流した後、念入りに頭皮マッサージをしてくれる。
以前「これ、気持ちいいですね」と言ったことがあり、シャンプー担当の
女の子は、ほかの人よりも念入りに、心をこめてマッサージしてくれる。
強めの指圧が頭皮を心地よく刺激する。ありがとう、を言う。

結局、10センチくらい切った。
アサコさんと相談して、いつものように前髪は作らず、レイヤーを
長めに入れて、アッシュ系のハイライトを細かく入れてもらう。
シュッシュッシュッと、耳元で切れの良い音がする。
手際がよく、それでいてとても丁寧。信頼を感じる。

できあがった髪は、顔つきを少しだけ幼くみせた。
かつて、どこかで会ったことのあるような私みたいだった。

帰り際、ドアの外の階段まで見送ってくれたアサコさんが、
「これ、おみやげです」と、チョコレート味のちんすこうをひとつくれた。
昨日まで社員旅行で沖縄へ行って来たという。寒かった、とも。
「期間限定なのでおいしいかわからないですけど」と、はにかんで笑う。
ありがとう、を言い、今度は早めに来ます、と約束する。

帰りの電車のホームには、今年もたくさんのハートマークが飛び交っていました。




2002年02月14日(木)



 「笑い」の細胞活性術

同僚がダウンタウンの「ガキの使いやあらへんで!!」の収録観覧に当選したので、
お供させてもらった。会場や時間も前日極秘に電話で告知。ツゥっぽい。

身分証明を済ませて、ランダムに配られた座席表を見るとなんとニ列目!
かれこれ10回以上覧に来ている彼女に言わせると、「ぎゃいぎゃい騒がなさ
そうな人が前になる確率が高い」らしい。たしかに私ら、無難ぽいし(笑)
前説はライセンスで、約30分。まぁまぁ、おもしろく、ツラもよいふたり組。

初めてお目にかかるナマ浜ちゃんとナマまっちゃんはテレビのまんまだった。
差し引きゼロ。いきなり登場して、いきなり話し始め、いきなり笑わせる。
底抜けにおもしろい。

ま「最近オリンピック始まりましたでしょ。アレ、今年はよー見てんねん」
浜「何みてん?」
ま「あの、アゴ膝で打つ!アゴ膝で打つ!アゴ膝で打つ!ってやつとか」
浜「なんやねん、その競技」
ま「いや、ありますやろ。スキー履いて、アゴ膝で打つ!って」

もちろんこれはモーグルのことなのですが、あの競技をこんなふうに表現して
しまうなんて、ちょっと通常のアタマじゃ思いつきませんよね。右脳の柔軟さ。
表現の明快さと、奇想天外さ。スゴイ!と思い、でも笑う。

考えてみれば奇妙なもので、舞台にふたり組がつつと出てきて、目の前の観客と
コミュニケーションを取るわけじゃなく、突然ふたりで喋り始める。
でも観客はふたりのやり取りを見て笑う。お腹の底からあははと笑い、
手をぱちんぱちん叩いて笑う。身をよじって笑い、涙を浮かべて笑う。

笑うたびに肩と首の凝りがほぐれ、笑うたびに脱力し、笑うたびに浄化される。
きっと体内の血の巡りも良くなっただろうし、筋肉も弛緩しただろう。
笑うたびに、どんどんエネルギーが蓄積されてゆくみたいだった。

笑いは人を救う

ハイロウズ(元ブルー・ハーツ)の甲本ヒロトさんの歌に「日曜日よりの使者」
というのがある。現在、ホンダのCMで流れている曲なのでご存知の方も多いかな。
彼がこの曲を書くきっかけとなったのは「ガキの〜」の前身の「ごっつ〜」を見た
ときだった、という。どん底まで落ち込んでいて、もう死のうか、とすら思ったとき、
日曜の夜にテレビをつけたら、ダウンタウンのふたりが映っていた。

最悪の精神状態だったけれど、30分間番組を見終わったら、自分が笑っていたこと
に気が付いた。あはは、と大声をあげて笑っていた。そしたら、さっきまでの
「死にたい」という気持ちが、見る影もなく消えていたという。
それを「あのとき、ボクを救ってくれてありがとう」という気持ちを歌にした。
だから、曲のタイトルの「日曜」にも「使者」にもちゃんと意味がある。


     このまま 何処か遠くへ連れてってくれないか
     君は、君こそが 日曜日よりの使者
     例えば世界中がどしゃ降りのあめだろうと
     げらげら笑える日曜日よりの使者
     ながれぼしが たどりついたのは
     悲しみが しずむにしのそら
     迎えにゆくんだろう、日曜日よりの使者

                 (ハイロウズ「日曜日よりの使者」より)

人を悲しませることや、怒らせることは、しごく簡単なのに、
誰かをおもいっきり笑わせることは、とても難しいですよね。
底抜けにおもしろいダウンタウンのふたりを見て、笑いながら尊敬しました。
なにせ、底がすとんと抜けているんだもん。底がみえない可笑しさってスバラシイ。


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■収録された番組のオンエアは今週日曜(2/17)夜10時55分からです。
■浜ちゃんが嫌いな芸能人の名前を暴露していた。本来ピーが流れる箇所。ふふ。
■まっちゃんの身体表現と言葉のリピートが絶妙だった。天才的。
■個人的連絡:ラナンキュラスはキミ!のサイトを見て思い出せたのです。サンクス




2002年02月13日(水)



 ラナンキュラスがプルチネルラ

私は名前を覚えるのが不得意だ。苦手、ともいう。
特に音だけで言われても、空気の振動と共に消えてなくなる。
で、「あなたさん、どなたさまでしたっけ?」と耄碌ジジイのようになってしまう。
まだ、文字認識で記憶する方が易い。カタカナ<平仮名<漢字の順かな。

近所の花屋に行くと、名前の複雑さと多様さに驚かされる。
撫子、女郎花、沈丁花なんてそっけなく記されていても、私は全然読めない。
だから、「これ2本、あれ3つ」なんて指示語に頼ることになる。
(ちなみに、なでしこ、おみなえし、じんちょうげ、と読みます。)

原産地が外国の場合、ほとんどがカタカナで記される。
さすがにこれは読める。読めるのだが、今度はぜんぜん憶えられない。
ロベリア、ムスカリ、デンドロビウム、スターチス、さて、最初の名前は?
もう言えない。それでも、私は名の知らぬ花をひとつ買って帰る。

週末の朝、洗い立ての顔に化粧水だけつけて、コートと帽子を深々とかぶって
花屋へ行った。卸したての切り花がたくさんバケツに突っ込まれている。
そこで、私の目をひいたもの、ラナンキュラスの固く結ばれた蕾。
赤、オレンジ、黄色、ピンク、色とりどりの蕾がすらっと天を仰いでいる。
強めのピンク色のを二本買った。

花屋からマンションまでの100メートル、私は「ラナンキュラス、ラナンキュラス」
と呪文のように唱えながら歩く。まるでおつかいを頼まれた子供が「ぎゅーにゅう、
トマト、ぎゅーにゅう、トマト」と必死に使命を果たそうとするみたいに。
問題は、その100メートルの間に、食料を扱う商店やらコンビニやらあって、
私はそこに寄り道しなければならないこと。ペットボトルの水を買って、
おつりをもらう頃には、「ラナンキュラス」が危うくなっていた。

それでも何とか部屋にたどり着き、メモ帳にでも書き込んでおこうとマシンを
立ち上げる。メールを数通受信。「アレクセイと泉」「カフェタッセのチョコ」
「プルチネルラのお誘い」。私の眼が文字認識をし終え、はたと我に返る。
で、この花の名はなんだっけ。プル、チ、ネル、ラ?

やってしまった。

「牛乳とトマト」が「ラーメンとナス」になってしまった。
スーパーに着いて、途方に暮れる子供のように、私はモニタを虚しくにらむ。
それでもこの花の名前は、プルチネルラ、では、もちろん、ない。




2002年02月12日(火)



 ひと、ひとりぶんの重み

けっこう好きな言葉である。

昨夜、アンサンブルの練習を終え、東京のはじっこから帰還したら、
無性にビールが飲みたくなってしまった。で、「融合」で買ってきた好物の
生春巻きと、パパッと簡単おつまみを作ってひとりで部屋で飲んでました。
こういうときに、ちょっと感じるんですよね。

ひと、ひとりぶんの重み、ってやつを。

たしかに孤独なんだけど、「さみしいよう」とか「こわいよう」という孤独感
ではなく、(孤独と孤独感は、その意味において、まったく異質である)
妙に居心地のよい孤独。静かで、さっぱりしてて、肌ざわりがよい。

ま、ふたりで居たところで、ふたりぶんの重みは、つまるところ
ひとりぶんの重みがふたつ一緒になっただけで、本質的には何ら変化がない。

だから、わたしは孤独をこよなく愛するのだし、
孤独感をよく理解している(つもりだ)。
だから、キミ、めくらめっぽう孤独を嫌っちゃ失礼だよ。


---------

■2001年2、3月分の過去ニッキアップしました。これで過去の痕跡はすべてです。
 にしても、去年の今頃って仕事に忙殺され、やたら風邪をひいていたんだな。
■どなたか都内近郊の公私の施設で、音楽練習に使える場所を教えてください。
 2月24日の会場がおさえられなくて困っています。4名でアンサンブル練習です。
■レポートを書いたりしてアタマを使うとチョコが食べたくなる。あとココアも。





2002年02月11日(月)



 塩湖街オリンピック開幕!

(バカ丸出しのサブジェクトですね・・・苦笑)

ニュースで開幕式の様子をちょっと見ただけですが、めぇーちゃめちゃ寒そうですね。
冬季オリンピックだし、だいいち雪が降らなきゃ競技にならないので、
寒冷地で開催するのは当然なんですけど。応援に出向こうという気にはなれない。
ので、あたたかくしたお部屋で観戦する予定。>アンタ、国外逃亡企ててたのか!?

ところで。
「この映像を見たら瞬時に涙を流せる」という企画(があったとしたら)、
ベスト3にノミネートされるのが、前回の長野オリンピックでのジャンプ団体の決勝。
最後の舟木選手の飛翔記録で、金メダルが決まるかどうか、というNHKのあの映像。

いや、正確には、あの映像とアナウンサーの声、です。
着地する瞬間に、NHKのアナウンサーらしからぬ情熱的な声(ほとんど叫びだった)
で、「立て、立て、立ってくれーーーーーーーーーーーーーぇ!!!!!」と。

きっと会場の、テレビの前の、そして選手たちみんなが祈った言葉を、
よくもあれだけ生々しく叫んでくれたもんだ。わたしはソレにヤられた。
剥き出しになったプリミティブな感情に、とことんヤられてしまったのだ。

その後、繰り返し流される録画場面を、見るたび、見るたびですよ、
条件反射的にぶわーっと涙が流れてしまうという厄介な状態になってしまった。
この間も、長野オリンピックの回想シーンで、律儀に涙するあたし。

今年も期待してるぜNHK
ぜひわたしを泣かせてくれ




2002年02月09日(土)



 からまわる回転寿司

お寿司が好きなので、回転寿司にはわりとよく行く。
回転する鮨屋のいいところは、ネタの名前を知らなくても目の前を回る皿を
ひょいつかんで食らえる手軽さと、明朗会計なところ。ムダがなくて実にいい。

ところで、ある友はちょっと変わった回転寿司へ行ったことがあるという。
聞けば、ベルトコンベアに回るのは、皿の上に立った寿司ネタの写真で、
客はそれを見て板さんに注文するというもの。確かにネタは傷まないし、
写真で品物と名前を確認できるので便利なのかもしれない。
でもそれって、客入りの良くない店だと宣伝してるようなものですよね。
それにベルトコンベアを使う意味が私にはよくわからない。

あと、私が出会った妙な回転寿司屋。
オープンの3日間は一律100円!という広告に呼び寄せられてのれんをくぐると、
びっちりの客。驚いたことに黒いベルトコンベアーには何も乗っていない。
どうやら握りが追いつかないらしく、仕方なく客は口々に注文している。
でも、店側が明らかにパニック状態なので、客もどこか遠慮がち。

ま、せっかく来たのだし、と思って「すいません、甘エビください」と声をあげる。
すると、ベルトの内側で汗をしたたらせながら握っていたおやっさん。
「あっ、エビ、むりっす」

むり?って、無理ってこと??
それはネタがないとか、そういう次元ではないの?と目が点になってしまった。
でも、ま、そりゃ無理だよね。と空回るベルトコンベアを見つめて、おもった。
結局わたしは何も食べないでのれんの外へ出た。
なんだか気の毒で見るに耐えられなかったのだ。

その一ヶ月後、回転寿司屋は「海鮮ちらし寿司屋」に名前が変わっていた。
さらにその3ヶ月後、海鮮ちらし寿司屋の看板に「店舗募集」の貼り紙。
それから2年近く経つが、店舗は定着していないようである。

ダメ出しされたのはショックだったけれど、
この寿司屋の運命は、これでよかったのかもしれない。



2002年02月08日(金)



 窓の外の季節

けっこう真剣に作業してて、ふと窓の外を見るとまだ明るいことに驚いてしまった。
モニタの下のデジタル時計は、もう5時を過ぎていて、すっかり夕方の時間。
いつの間にか、日がのびていたのですね。

2月はこの国がいちばん寒い時期なので、昼の時間も短いものだと
勝手に思いこんでいました。寒さと日の長さは無関係でないはずだけど、
季節と日の長さの方が関係が深いみたい。
2月って、春いっぽ手前ってかんじ。

お向かいさんの、梅のつぼみも心なしかゆるんできているようだし。
週末は梅ヶ丘へ散歩に行こうかしら。
なんだかお外を歩きたい気分です。




2002年02月07日(木)



 パンケーキを焼く

銀色のボウルに、小麦粉、上質糖、ベーキングパウダー、牛乳、そして卵を落とす。
それを左腕にかかえ、泡立て器でぐるぐるかき混ぜる。

白い粉の中にミルクが溶け込み、黄身の色がうすくのびてゆく。
紺色のセーターに白い粉が飛び散ったけれど、気にせずぐるぐるかき混ぜる。
ボールの中身は次第に粘力を持ち、泡立て器を握る右手が重だるくなる。
ぼこぼこしただまだまが消え、とろりとしたパンケーキの種ができあがった。

ホットプレートはないので、フライパンに薄く油をしいて、弱火で温める。
お玉にふたすくい分、フライパンにまあるく落とす。
ごくごく弱火で3分半、裏返して2分半焼く。
のんびりと待つと、きれいな焼き色が付くのです。

焼き上がったパンケーキを大皿にのせ、バターを塗り、はちみつを落とす。
ナイフを入れると、さくっといい音がした。それにあまい湯気。
急いで食べようとすると、必ず喉につまらせてしまう。
ひとくち分ずつ切り分け、苦いコーヒーといっしょにいただく。

ボウルの中の白い種は、4枚の大きなパンケーキになった。
食べきれないので、残りの3枚を冷凍庫にしまう。

「太陽とひまわりとパンケーキは似ている」とナイフを入れながら思う。
温度が高くて、強い意志があって、角がなくて、元気がある。
わたしは、元気の種をひとくちずつ食べて生きる。


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■過去日記、2001年4月分アップしてあります(4/7 わらえました)。
■論文のお礼に白ワインのフルボディいただきました。ありがとう。
■左腕、正常にあがるようになりました。すこし腫れてますが打撲みたいです。
■原稿とレポート、今夜中にどちらか書き上げたい。がんばれアタシ。



2002年02月06日(水)



 Slipping the Reality

けたたましくコールが鳴り響いているとき、私はベットで夢をみていた。

友達の挙式まで時間がないというのに、私は着ていく服がなかった。
それでも髪は結い上げてあって、まだジーンズをはいている。
着付けをする時間などないのに、どうしよう、とおたおたしている夢。

目覚めの水面に近づいたとき、激しく鳴るコールは、目覚まし代わりにしている
電話の呼び出し音だと思っていた。手探りで解除ボタンを何度も押す。
コールは鳴りやまない。はたと眼を開き、それがインターフォンの音だと気づく。
来客の時間?

慌ててデジタルの数字を読むと、10時ちょうどだった。
寝過ごしたことを理解できず、鳴り響くコール音を放置したまま
ベットの中で丸くうずくまっていた。どうしたんだろう、と考えながら。

仕事や約束のある朝は、まず寝過ごすことはない。
几帳面ではないけれど、野太い神経の持ち主ではないので、必ず目覚める。
ずっとそういうふうに心身と生活を訓練してきた。
なのに、まったく記憶がない。いろいろなことを忘れている。
いったいどうしたんだろう、私は。


ここ最近、私の生活に、いや、正確に言えば私自身に少し違和感を感じる。
現実がわたしのすぐ近くで、ちょっとずつ、ずるずると滑っているみたいだ。
注意力が散漫で、ある時間のかたまりをぽっかりと喪失している。
反省も自己嫌悪も自責の念も浮かんでこない。
まったく、いったいどうしてしまったんだろう。

こういうときは、目をつぶり、耳をふさぎ、静かに呼吸しながら周囲をやりすごそう。
逃げるのではない。この手で捕まえることのできないモノどもを、やりすごすのだ。
そう、現実からすべり落ちないように。



2002年02月05日(火)



 反射神経の勘違い

確かに疲れていたし、注意力は散漫だった。
それは認める。

でもさ、自動改札機の挿入口で、キーケースから鍵を抜き出したり
部屋の前でなんのためらいもなく、鞄から定期を取り出すのはどうかと思う。
そりゃ誰も見てなかったとはいえ、あまりの無防備さに恥ずかしくなる。

それに、場違いなものを握ってしまった右手。
もちろんその右手に罪はないよ。
そんなにしげしげと右手を眺めたって、
右手は君に謝罪しないことぐらい知ってるだろ?

無意識に組み込まれた反射神経だって、ときには勘違いをするよ。
・・・って、私は誰に言い訳をしようとしているのだろう。





2002年02月04日(月)



 どうやら鎖骨負傷中

冬になって電気カーペットを敷いているんですよ。
で、楽器弾くときには、それをがばっとはぐって場所を作るんですけれど、
どうやらフローリングがカーペットの熱で極度につるつるになっていたらしく、
ブラックホール(ゴム製のチェロのエンドピン止め)がちゃんと床に張り付かな
かったようで、弾いてる途中にずるっ、とやっちゃいました。

ブラックホールが前方に滑って、チェロの糸巻きの部分が鎖骨に直撃。
すごい激痛。なんか今、左腕あげると鈍い痛みを感じるのよ。
まさかヒビとか入ってないよね・・・ただの打撲だよね・・・(涙)。

ツイてない。
まったく、ツイてない。
イタイようぅぅぅ、ぐすん(涙涙)

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日記、2001年5月分アップしてあります。
気晴らしにドーゾ。




2002年02月03日(日)



 こっぱみじんの身体感覚

昨夜のこと
うすっぺらい甘皮に、かろうじて保護されていた私のカラダ。
細いヒビからダムが決壊するように、ついに粉々に砕け散った。
あっちに指が吹き飛び、むこうに首が転がっている。

ぽっかりと宙に浮かんだ精神は、拾い集めなきゃと逼迫しつつも
どうやら身体に指令を出せぬようだ。ふわりふわりと漂っている。
なんでこんなにバラバラになっちまったんだ、と頭を抱えようとして
頭部の場所を見失う。破片を拾いに行こうとして、踏み出す足がない。
途方に暮れる精神だけが、相変わらずふわふわ宙を漂う。

夕方、歯科医に行った後、そんな状態で六本木に出る。
フライハイトのマーラー(交響曲第一番「巨人」)を聴きに。

そしたら、砕け散った私の身体の破片が、磁石に吸い寄せられるように
ぴたっと精神の枠内に戻ってきた。ティンパニーのロールのせいかもしれない。
とびきり巧い演奏というわけじゃなかったけれど、きっと、マーラーのせいだ。
いや、マーラーのシンフォニーのおかげで、私はわたしに戻ってこられた。

ふぅ、危ないところだった、と肩をなでおろす。
よかった、今度はちゃんと、なでおろす肩もあった。




2002年02月02日(土)



 東京タワー

わたしは現場作業員なので、ほとんど会社から外には出ない。
年にほんの数回ほど、打ち合わせなどでクライアントに出向くことがある。
午後、一年ぶりくらいにモノレールに乗って天王洲に行った。
ソフトウールのスーツを着て、カカトのある靴なんぞ履いて。

2時に入って5時までみっちり3時間、休憩ナシで撮影に打ち込む。
と言ってもイラストにする新製品のパーツをあれこれ激写するというもの。
ケーブルやコネクタをマクロ撮影したり、本体をバラしてドライブの着脱を
コマ撮りしたり。ジャケットなんかぽいっと脱ぎ捨てて専念してました。
できることなら靴も脱ぎ捨てたかったほど。

その後、資料や画像を確認しながら、イラストのラフを描いてゆく。
ほんちゃんのイラストはプロに頼むんですが、そのためのレイアウト作り。
私は絵が得意でない上に、立体物を描くのが下手くそなのでひどいもんでした。

それでも、こうやってコツコツと取材したものが製品化されてゆくのは嬉しい。
どこにも制作者の名前がプリントされていなくても、やっぱり嬉しい。
何かに自分がちゃんとコミットできたという事実が、私を喜ばせるのかもしれない。
だって月曜からの作業は、忍耐、忍耐、忍耐、なんですもの。

それにしても、夜みる東京タワーはなぜにこうも美しいのでしょう。
昼間はただの鉄屑なのにね。




2002年02月01日(金)
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