月のシズク
mamico



 青と白のチューブ

ぶにゅっとチューブをひねり、歯ブラシを口に入れたとたん、おえっ、と
吐き出してしまった。なんだ、この不味さは、と、左手ににぎられた
青と白のチューブを見る。あああ、これは洗顔フォームさまじゃないですか。
口の中の不快感と情けなさで、涙がでそうになった。

で、ふと思い出したこと。

むかし、仲間うちである男の子の部屋に泊まったときのこと。
「顔、洗わせて」とひとりの男の子がユニットバスに入ってゆく。
さっぱりとした顔で戻ってきて、みんなでしばしの団欒。
次に家主の子が「ちょっとトイレ」とユニットバスに消え、次の瞬間飛び出してきた。

「おまえさ、もしかしてコレで顔洗った?」と手に握られていたもの。
それは白いボトル。「コレさ、お風呂洗いの洗剤なんだけど」という。
賑わいでいた部屋の中がしんと静まりかえる。(ゲネラル・パウゼ)

「あ、でも、オレの顔、なんともないよー。つっぱってもないし」
と例の男の子は声色ひとつ変えずに返事する。「・・・あ、それならいいけど」
と家主の子は再びトイレに消えていった。わたし、抱腹絶倒しましたさ。
なんというナチュラルな生き方よ。君のツラの皮はさぞ厚いことでしょうに。

それを思い出したら、歯磨き粉のチューブと洗顔フォームのチューブを
許してあげることにしました。別に奴らに罪はないのだけれど、ただ、なんとなく。




2002年01月31日(木)



 髪を切るとき

気がついたら、ずいぶんと髪が伸びほうだいになっていた。
友曰く、「鎖骨より上はセミロング、下ならロング」らしいので、
どうやらすでに私はロングに分類されるらしい。ただのボサボサ髪なのに。

髪を切るタイミングは難しい。
個人的にはカットしたてよりも、いくらか時間がたち頭蓋に馴染んだ頃が好きだ。
だからいつまでもその「馴染んだ頃」から脱さないと、なかなか美容院に
足が向かない。ものぐさなオンナの言い訳なのかもしれないが。

で、髪を切るタイミング。
たぶん今なんだろうとおもう。
できれば、首筋が見えるほどにハサミを入れてもらいたい。
頭を振ると、カラカラと乾いた音がしそうなくらい、さっぱりと。
剥がれた首筋に、2月の冷気を感じてみたい、と思った。

・・・なんでだろ、なかなか勇気がわいてこない。
しっかりしろ、ワレ。


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2001年6月から9月までのニッキをアップしました。
夏の頃の記録を読んでいたら、一刻も早く脱皮したい気分。
再現された時ってのは、ちょっと厄介なものですね(苦笑)




2002年01月30日(水)



 椿の木、山茶花の木

近所の花屋(新鮮な切り花が揃っていて、しかも安い!)に寄り、
白玉椿の枝と淡い色めのポピーを買って部屋に帰ってきた。

椿といえば、赤い花のものをすぐにイメージしてしまうが、桃色系のものや、
班入りのものなどの品種も多い。白い椿はどこか高潔そうな雰囲気がある。
つやつやした葉をいくらか削いで寝室のテーブルに、ポピーは洗面台に置いた。

実家の庭には、椿の木と山茶花の木があった。
どちらも同じ季節に似通った赤い花を付けるので、名前をよく言い間違えた。
「山茶花は花びらを散らすけれど、椿は花ごと、ぽとり、と落ちるのよ」
そう祖母に教えてもらったことを思い出す。椿の花の潔い去り方が好きだ。
だらしなくいつまでも花びらを残す山茶花より、よっぽど気持ちいい。
子供の頃、しょっちゅう庭に出て、私は祖父母に花や木の名前を教えてもらった。

つやつやした濃い緑の葉に、白い雪をつもらせ、凛と咲く赤い椿の花。
なにもかもが白い雪に閉ざされ、寒々としたあの庭に、椿の赤が印象的だった。
いのちの色、そう祖父が言ったことを、いま、ふと思い出した。



2002年01月29日(火)



 他人の仕事

去年の殺人的なスケジュールが嘘のように、今年に入ってから仕事が穏やかだ。
一年間に某大手コンピュータメーカーのPC付属マニュアルを100冊以上作った。

ひゃくさつ、ですよ。自分で驚きます。
だって、平均して3.6日に1冊を、場合によっては100ページ近くあるものを
翻訳・レビューして、せっせとFramMakerを使ってDTPしていたなんて。。
ああ、あんな疲弊した大量消費社会的日々、思い出したくない。
(ま、翻訳はほとんどが有能な下請けさんたちがこなしてくれたのだが)

で、最近はというと、とても長閑である。つまり、ヒマ。
しょうがないので、時間稼ぎに他人の仕事をお手伝いしたりする。
ヒトの仕事は楽ですねー。なんせ最終責任を負わなくていいから、
事務的・機械的にばしばしやれる。できないことも「できません」と宣言できる。

なんだかこう書くと、自分がものっすごいに無能人間に思えてきた。
実際、脳味噌はスカスカしてるみたいですけど。
本音を言うと、「楽」よりも「楽しい」シゴトがしたいっ。
「シゴト」と名の付くもの、やっぱり楽しみが優先してはいけないかしら。
適度な労働と、適度な喜び、そして適度な収入、かーぁっ!?

ふぅーむ>悩むなっ!


2002年01月28日(月)



 夕暮れの月


暮れてゆく太陽が、南の空に残った雲を、燃えるような赤色に染めあげている。
胸騒ぎがするようなその赤は、地平を低く覆っていた影色の雲たちも染めてゆく。
腰のあたりがうずうずして、ベランダに出てずっと暮れてゆく空を眺めていた。

すると、
東の空に、ぽっかりとあかるい白い月
そしらぬ顔をして夕暮れを眺めているではないか
冷たいあたたかさを持った表情

夕方の月のような女になりたい、と思った




2002年01月27日(日)



 近未来都市ヨコハマ

チェロ・アンサンブルの練習で横浜まで行って来た。
特に用事がなければ、わざわざ電車に乗ってどこかへ出向くという習性がない
ので、横浜へ行くのもずいぶんと久しぶりだった。ちょっとした旅行気分。

桜木町の駅を降りて、動く歩道(恵比寿のとどっちが長いかしら)で運ばれて、
ランドマークプラザへ。そのままクイーンズ・スクエアを東へずんずん突き進み、
パンパシフィック・ホテルの向かい、横浜みなとみらいホールの練習室へ。

海のすぐそばなのに、ぜんぜん潮のかおりがしないのは雨のせいだろうか。
練習室は完璧な防音箱なので、外で殺人が起こっても気づけないほどの静寂。
それに、駅からここまで、見事なまでの建築美。つややかで隙がない空間。

「隙がない」とは、「無駄を作らない」というのではない。
至る所に、贅沢な吹き抜けや、空中庭園、休憩所が設けられている。

「はい、ここは休む場所。コーヒーでもテイクアウトしてお飲みください」
「はい、ここは風景を眺める場所。彼女の肩を引き寄せてプロポーズをどうぞ」
「はい、ここのベンチにお座りください。ただし、ジーンズの方はご遠慮ください」

みたいな雰囲気が濃く匂っていて、なんだか近づきがたい。
触れた手すりの側から、ごしごし汚れを拭き取られるようで緊張する。

横浜みなとみらいは、とても素敵な場所だ。
完璧な美観、配慮のある設計、どこを切り取っても絵になる。
でも、どうも呼吸がしずらい。空気清浄も完璧だというのに。

やはり私は、泥くさく潮くさい場所を歩いてゆきたい。



2002年01月26日(土)



 「でもお前ら、ゆく川だよ」

ある雑誌で、解剖学者で作家の養老孟司さんが「私の五冊」というタイトルで、
お気に入りの本の紹介していた。その一冊に鴨長明の『方丈記』があった。

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ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人とすみかと、またかくにごとし。

------

そこで養老氏は学生にいつもこう言っているらしい。
「お前ら、自分は自分だと思っているだろう。でもお前ら、ゆく川だよ」と。
去年の分子なんか残ってないだろうと。物質代謝なんか知らなくても、
鴨長明は川と自分がそれほど違わないものだと知っていた。
だから、お前ら、ゆく川だよ、と。

はっとした。
誰もがみんな、自分をとどめようと遮二無二なっている。
ドットの上に存在を固定したり、映像や音声にデジタル加工したり。
でも、わたしたちは生きている限り、その「生」を固定することはできない。
それでいいのだ。流れにあがなうのは、時間を逆回転させることと同義だ。

わたしも、ゆく川だよ。
その刹那を感じつつ、心がふっとかるくなった気がした。




2002年01月25日(金)



 父娘、MoMAへ行く

仕事で東京に滞在している父上をムリヤリ誘って上野の森美術館へ。

平日だというのに団体客もいて、遊園地の人気アトラクションばりの待ち時間。
入り口でのセキュリティ・チェック、館内には5メートルおきに意地悪な警備員が
眼を光らせている。なんか鉄の枠に押し込まれたような窮屈な雰囲気でがっかり。
ニューヨークのMoMAはもっとぜんぜんお気楽でイージーだった。
フラッシュなしなら写真も撮らせてもらえたし。

それは別として、本物をナマで見るのは興奮しますね。
画集や映像などとは感動が違し、意外な絵との出会いがあったります。
私は絵を見るとき、必ずその色彩に引き寄せられます。
今回の発見は、マティスの青、セザンヌのオレンジ、シャガールの赤、かな。
個人的に気に入った作品をすこし紹介。

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■ピエール・ボナール「朝食の部屋」
いちばんのお目当ての作品でした。二階に上がった展示室の一番隅にあった
ボナールの絵はやはり素敵でした。手前にテーブル、正面には窓が大きく取
られた構図で、うすい水色と白のストライプのテーブルクロスの上には、
石榴のような果物、使い込んである雰囲気の食器が親密に置かれている。

窓から見える風景は、数種類の緑色の中に木々が溶け込んでいる森で、
窓の左側の壁には、影に隠れるように少女がコーヒーカップとソーサーを
手に沈黙している。まるで、私がテーブルのこちらがわで朝食を摂ってい
るような気にさせる。つつがない日常をそのまま描き出すボナールの絵は、
愛さずにはいられない。


■アンリ・マティス「金魚と彫刻」
金魚というよりは、紅鮭の切り身のような朱赤の金魚が三匹、のんびり手足を
伸ばす裸の女、そして後ろにアイビーのような小ぶりのグリーンの葉が散らして
ある。背景のうすい青がそれらぜんぶを自由に閉じ込めているようだ。


■マルク・シャガール「誕生日」
子供の頃、美術の教科書で見たものだった。
赤い絨毯の部屋で、花を持った黒いワンピースの女(恋人ベラ)が、首の
ねじれた男(シャガール)に背後から接吻されているというあの絵だ。
子供のときは、その男の青白い顔や両腕のない肢体を不気味に思った。
なのに、なぜあんなに明るい赤やオレンジ、黄色を使っているのか不思議だった。

もしかしたら、死んだ恋人が幽霊になって彼女のお祝い駆けつけたのかもしれな
い、とも思ったが、実際はシャガールからプレゼントされた花を飾る花瓶を探し
ている恋人に、シャガールが思わず背後からキスをした、という
かわいらしい絵だそうだ。


■ポール・セザンヌ「モンジュルーの曲がり道」
セザンヌの描く風景画は彼のきまじめさがよくうかがえる。
躊躇いのない線や筆のタッチが、見る者を心強くさせる。のぼりつめた場所
にあるオレンジ色の屋根の建物、あそこに行ってみたいと思わせられた。


■ジャクソン・ポロック「8のなかに7があった」
ずっと見つめていたのだが、「7」を見つけることができなかった敗北感のみ。。。
ボロックはタイトルのつけ方が哲学者の如し。ちなみに「速記のような人物」
という絵は、人物の観念的な図式が絵で表現されている。


■ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「オリーブの木」
そしてゴッホ。子供の頃から彼の絵が好きだった。
ゴッホの選ぶ黄色と青の色使いが、狂気と冷静の間を行き来させる。
風景に「風」を閉じ込められる画家だ、と聴いたことがある。確かにうねる
ような筆づかいは、絵に生気を与える。サックスブルーの空と群青色の山脈、
オリーブ畑に人影はないが、人間を排除しながら同時に受け入れる場所にも思える。

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ちなみに私の台所には、むかしMoMAで購入したゴッホの"The Starry Night"
(星月夜)のポスターが今も変わらず貼られている。
ここにも夜の風が閉じ込められていた。





2002年01月24日(木)



 いったりきたり

秋頃から週に一度、電車に乗って歯科医に行く生活が続いている。
違う歯科医での荒治療がキバを向き、歯茎が化膿していたのを、
時間をかけて薬を入れ替え治療してゆくというものだ。
膿も完全に抜けたようなので、やっと型を取ってもらった。
「来月中には治療も終わりますよ」と言われほっとした。

・・・その矢先
帰りの電車を待ちながら、ガムを噛む。
吉祥寺の駅に着いても、くちゃくちゃさせていたら「ガリッ」という嫌な音。
恐る恐るガムをつまみ出すと、そこには白い被せモノが。。。
舌で口の中を捜査すると、右上の詰め物が取れていた。

がっくし、と肩を落とし、また電車に乗る。
30分前に出た受付に再び立って、ことの成り行きを話す。
とりあえず詰め直してもらったけれど、「今度はここの治療をしましょうね」
と、たしなめられた。まだまだ私の通院生活は続きそう。

ちなみに、前歯も痛み始めている気がする。
歯磨きが好きでも、虫歯はできるらしい。
しっぽが槍の形をした黒いイキモノが、口の中をうようよしているのだろうか。
なんともおぞましい。




2002年01月23日(水)



 やじろべいのバランス感覚

「シーソーのような恋」というものがある。
片方が背中を向けると、もう片方が追いかけ、
片方がふり向くと、もう片方が後ずさる。

これは「永遠の片思い」にも似ていて、ふたりの行き着く場所がない。
あちらに傾けばこちらが浮く。こちらが沈めばあちらが浮かぶ。
まったく、能率が悪い、というか、性質(タチ)が悪い。

こういう奴らには「せめて、やじろべいくらいになりなさい」と言いたい。

とりあえず自分の足で立って、好きなだけゆらゆら揺れていなさい、と。
ぎっこんばったんと、終わりのない遊びを繰り返しているくらいなら、
相手の指の上でゆらゆらしている方が、よっぽどかわいい、と私は思っている。




2002年01月22日(火)



 「お風呂が呼んでいます」の謎

昨日に引き続き、うちのお風呂のエピソードをもひとつ。

浴室の操作機には「呼び出し」という赤いボタンが付いている。
これをぷちっと押すと「ポロロロ〜ン、ポロロ〜ン、お風呂が呼んでいます」
と音声が流れる。これでお風呂で溺れてもだいじょうぶ、と心強く思ったもんだ。

ある晩、しこたま遊んで終電を逃した女トモダチが泊まりに来た。
お風呂からあがり、つるんとした素顔を上気させた彼女が、「ねぇ」と
すごく真面目な声で言う。「なぁに?」と聞き返す。

「あの"呼び出し"ってボタンを押すとどうなるの?」と真顔で聞く。
私は「ちょっと待ってて」と浴室に駆け込んで、ぷちっとボタンを押す。
すると例の音声が部屋の中に流れた。得意満面で「すごいでしょ」と言うわたし。
「うん」と彼女は素直にうなずき「で」と切り出した。
「で、これはどこに通じているの?」と。

えっ、と今度はわたしが真顔で聞き返した。どこって、部屋じゃない、と。
彼女は首を振り「警備会社とか、ガス会社じゃないの?」と注意深く聞く。
ちがう。そんな場所には通じてない。この部屋にしか通じてない。

「でも」と、彼女は少し気の毒そうに続ける。
「このマンションって、ひとり暮らしの人が多いんでしょ。誰が助けてくれるの?」
その瞬間、わたしは軽い眩暈を感じた。そうだよ、私がお風呂に入ったら、
部屋には誰もいなくなる。お風呂で呼び出しボタンを押したところで、
誰も来やしない。ああ、なんで今まで気がつかなかったのだろう、と。

それからというもの、あそびで赤いボタンを押すこともしなくなった。
だって、からっぽの部屋に「ぽろろ〜ん、ぽろろ〜ん、お風呂が呼んでいます」
という声が空しく響き、私はバスタブで溺死してる、という図なんて
考えただけでぞっとするじゃない。




2002年01月21日(月)



 契約更新

今借りている部屋の契約更新の書類、および更新料の振り込み要請書が届いた。
1月31日で丸々2年間、この部屋に住んでいたことになる。

修士論文の追い込みの最中、たまたまネットで物件を見ていて、
たまたま予約を入れたら、満室だった新築マンションに
たまたまキャンセルが出て、修論を出し終えたその足で
ボーイフレンドのバイクの後ろにくくりつけられて
不動産屋さんで入居の手続きをしたんだっけ。

徹夜続きでぼーっとしていて、契約書の読み合わせ(禿げたおっさんが
呪文のようにごにょごにょと難しい内容を読み上げていた)で、
わたしは眠ってしまい、「ちょっとアンタ、だいじょうぶかい?」
と怪訝なカオで叱られたっけ。あれからもう2年か・・・しみじみ。

しかし、この部屋はさいしょから気に入っていたし、すぐに馴染んだ。
お風呂と台所が広く(システムキッチン!)、ベランダの窓も大きい。
それに、鉄筋コンクリートなので楽器を弾いても誰も殴り込みに来ない。

そうそう、それと自動風呂沸かし機能が付いていて、
お湯張りボタンを押すと「お湯張りをしますっ」、
お湯がたまるちょっと前に「もうすぐお風呂が沸きます」、
いっぱいになると、ちゃらちゃんと曲が流れて「お風呂がわきましたっ!」
と報告してくれる。どう、おもしろいでしょ?

その機械音声に、2年間律儀に「はぁい、今いきまーす」
と返事していた私も、奇妙と言えば、確かに奇妙なのだが。




2002年01月20日(日)



 お先にどうぞ

考えてみると、去年の9月頃からずっと泳いでいない。
ばたばたと楽器をしまい、水着とタオルをバックに詰めて市民プールへ。
バリで2週間、水びたし生活を送っていたことなど、遠い過去ね。

遊泳者専用レーンで泳いでいてふと感じたのですが、追い越しをかけようと
めっくらめっぽうに飛沫をあげて横に並んだり、追い抜こうとるす人、いますよね。
私はこういう人が近づくと、わざとスピードを落として先に行かせてあげます。
血の気の多い若造のように、張り合おうなんてハナから思いません。

たぶんね、自分のペースを乱したくないのです。
競争となると、追い抜く方も追い抜かれる方もダメージを受けやすい。
肉体的なダメージと、精神的な、つまりプライド的なダメージ。
だから「これはレースじゃないんだよ」と思いながら泳ぎます。

確かに私の方がいいスピードで、するりと追い抜ける遊泳者さんもいます。
そういうときは、わざと距離を置いてからスタートします。
自分のペースを保ちつつ、相手のペースも乱さない、そういう心持ち。
なんてったって、泳ぐことは、私の唯一の快楽スポーツなのですから、ね。


そういえば車を運転しているときも、後ろからぐんぐん迫ってくる車には、
すんなり道をゆずります。「どーぞ、どーぞ、お先にどーぞ」と。
もちろんコレには、露払い(お先にパトちゃんに捕獲されてね)
という意味もあるのですが。




2002年01月19日(土)



 ふうふのうふふ

この数年で何人かの女ともだちが結婚した。
パーティではみな美しく、彼女たちが歩くたびに白いスカートの裾からきらきら
した幸福の結晶がこぼれ落ちた。愛らしい花嫁のしぐさが、私たちまでも笑顔に
させた。その笑顔が浮かぶ薄い皮膚の下で私は考えた。
ところで夫婦ってなんだろう、と。

だからときどき彼女たちに、妻となった彼女たちにわざと質問する。
「ねぇ、結婚てどんなかんじ?夫婦ってどういう関係?」
すごくいいものよ、とうっとり答える女から、付き合ってたころとさほど変わり
はないわ、とさらりと流す女。私のぶしつけな問いに対する彼女たちの答えは、
もちろん一様じゃなくて、余計に私はわからなくなる。

好き合った他人同士が同じ部屋で暮らす。
おなじたべものを食べ、おなじ風景を見て、おなじ音楽を聞く。
おなじシャンプーを使って、おなじタオルで顔を拭いて、おなじベットで眠る。

でもふたりはきっと、ちがう夢を見るだろう。
同様に、同じものを食べても違う味覚であじわったり、同じ風景を見ても、
彼は道路標識を、彼女は白い月を見ていたかもしれない。
それでも、夫婦はいっしょに生活し、ちがう夢を見続ける。
それを素敵だと感じるか、せつないと感じるかは、それぞれにしかわからない。
夫の現実、妻の夢。

私は意地悪く「結婚って酔狂だとおもわない?」と妻となった彼女に聞いてみる。
「まぁ、そうとも言えるかしら」とテーブルの角に視線を落として彼女は答える。
でも、と彼女は顔をあげる「でもあの人といっしょにいて、ほっとできる、
一緒にいるのが自然と感じるのがいまのわたしよ」と言う。

「前より好きになった?」と私はさらに突っ込む。
「 いえいえ、今までどおり、愛おしい大切な人という感じですわ」
と言ってふふふと笑った。


愛おしい、大切なひと、か。
いいね、と素直に彼女のしあわせを喜ぶ。彼ら夫婦の幸福を喜ぶ。


わたしは、適度に甘やかされ、適度にほっておかれ、
適度に相手にされ、適度に愛されていたい、と願った。
でもそれは、夫婦にとって絶望的な関係だ、とある友に言われた。
恋人関係なら悪夢でしかない、やめた方がいい、とも。


もちろん、その「適度」という匙加減が、どうにもムズカシイのだけれど。







2002年01月18日(金)



 低気圧と頭痛のメカニズム

目覚めると部屋の中はうす暗くて雨の気配がした。
まぶたを開こうとして、目頭のあたりに重だるい痛みを感じる。
身体をよじると、ブリキの錆びれたような関節部がギシギシと鳴る。
ちょうど電磁波を浴びすぎたときの頭痛に似ている。
ううっ、低気圧め・・・と、私は何かを呪いたい気分になった。

低気圧、あるいは前線が通過するときに身体の不調を訴える人は少なくないと聞く。
どうやら寒冷前線が通過するときの、気圧・気温の急激な変化に生体の機能が
順応できないために起こるようだ。頭痛以外にも、天気の影響を受ける病気、
たとえば気管支ぜんそくの発作、リウマチの痛み、神経痛などがあるという。
こういう疾病を総称して「気象病」とも言うらしい。
いろんな病名があるもんだ。人の数だけ病名が付きそうだ。
それもまたオリジナリティとか呼ばれかねない。
モノは言いよう、ですかね。

(私が個人的に好きな病名は「もやもや病」。シリアスな病気のわりには
 名前がかわいい。四六時中もやもやしている私のための病名かと思った。)

気象の変化と発病とのメカニズムについては明らかではないが、
低気圧や前線の通過する際に、体内にヒスタミンなどの物質が増大し、
これが自律神経に作用を及ぼし発作を起こしたり痛みを感ずるといわれている。
人間って外部からも内部からも、ストレスには弱い動物なのね。
繊細な神経、脆弱な肉体。哀しいかな、わたしもそのひとり。

作家の五木寛之さんも、低気圧の類が接近すると必ず頭痛が起こるらしい。
彼は天気図を見て、「明日あたりがやばい」と判断すると、それまでに
キッチリと仕事を済ませて、低気圧の通過中は一切の仕事を放棄し
のんびり体調不良を享受するという。大作家は肝の据え方が違う。
それとも単なる小心者なのか??

しかし、それで成り立つ職業もまた羨ましい。






2002年01月17日(木)



 気分はジプシー

またまたレンタル日記のお引っ越しです。
しばらく定住できるように(苦笑)、サイト運営がしっかりしている「エンピツ」
さんにお世話になることに決めました。この数日間、いろいろご迷惑をおかけして
スミマセンでした。

私が日々徒然なるものを公開しはじめてもうすぐ一年。
「大塚日記プロジェクト」さんも、ほんの1ヶ月半しか在籍できなかった
"everydiary"さんも、バナー広告が入ってないという特権で選択したのですが、
無念にも相次ぐ倒産(あははは)。この「エンピツ」さんは、年会費を支払えば
バナー広告はとっぱらってくれるとのこと。ふーむ。
この件については、少し様子をみてから考えます。

そして、残念なことに"everydiary"さんでの日記は、ほぼ消滅。
ま、コトバなんて所詮「消えモノ」なので今更しょーがないのですが、
わたしのハキダメ、消えたことで消化されたわけじゃないし、なんかやるせなし。
昨年の2月から12月分はバックアップが取ってあったので(よしよし)
いずれ暇をみてこちらに移行いたします。しばしお待ちを。

しっかし、ほんの2、3日、言いたいことを呑み込んだままにしておくと、
消化不良を起こしますね。お顔にはプツプツと吹き出物まで出現。
(コドモの頃、「吹き出物」を「吹き出し物」と読んでいた・・・)
いや確かに紙にコリコリとえんぴつで書けばいいのかもしれないけれど、
サイトに公開して誰かに読んでもらって、スッキリ気分よくしてるあたくし。
アホちゃうか、と思ったアナタ、ご寛恕してくださいませ。

ま、そんなわけで、どたっばたっして存命の危機にさらされた「月のシズク」
改めまして、どうぞよろしくお願いいたします。


はぁ




2002年01月16日(水)



 覚え書き

■昼過ぎ、電話が鳴り「休日に診察してくれる病院を知らないか」と聞かれる。
「オレ、タウンページとかないから」と少々慌てている様子。
私も自分の住む地区のものしか持っていない。
ネットで調べて、奴が住んでいる麻布界隈の救急病院をいくつか紹介した。
平熱が35℃しかない彼の彼女が38℃の高熱で苦しんでいるらしい。
心配したりされたりする相手がいるのはいいことだ。羨ましい。
私が倒れたら、どなたか心ある方が介護してくれるのだろうか。


■成人の集いの帰りらしき振袖姿のおねーちゃんが、ぼくぼくと草履で闊歩
しながら歩き煙草をしていた。見苦しい。ニュースでみた各地の成人の集い
の様子は、イニシエーションへの子供じみた抵抗に思える。情けない。
成人式に参加しなかった私が言えることではないのかもしれないが。


■今夜の生スマスマでごろちゃんがカムバックした。
送り手側も「どのような形での稲垣の登場が、視聴者にも当人たちにも納得が
いくだろうか」と相当悩んだのだろう。そこで彼らが選んだ策とは「すべてを
見せよう」という演出だった。番組の冒頭では、8月24日事件発生直後から、
今日1月14日までの143日間を遡及的に振り返っていた。そこには「稲垣吾郎
逮捕」や「メンバー4人緊急ミーティング」の禍禍しい文字から、逮捕翌日の
名古屋ドームでのコンサートでのメンバーの謝罪映像まで包み隠すことなく
露呈されていた。

スマップの新たな5人体制での歴史を進めるためには、この143日間ずっと抑圧
していた情報や感情を、一旦外に出してあげる必要があったのかもしれない。
メンバーとファンが事件に立ち戻り、事実をしっかりと受容することでスマップ
としての新たな時間を進めることができる。

たとえそれが全て演技であったとしても、そんなスタンスが彼らと社会との
関係性なのかもしれない。





2002年01月14日(月)
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