月のシズク
mamico



 秋の夜に似合うもの

それはズバリ(ただし、私の場合)矢野晶子と紅茶である。
あの特徴的な、なかば語りかけているようなとろんとした歌とピアノは、
夜の部屋に驚くほどぴったり似合う。ピアノだけでも素敵だけれど、
彼女の歌声は冷えた空気をうまくかき混ぜてくれるよう。
なんというか、ひとりでいても孤独感がそれほどなくなる。

紅茶は、色も香りもはっとするほど美しくなる。
もう少し寒くなると、ココアの方を断然飲みたくなるのだけれど。

今日飲んでいたのは、以前貸しを作ったトモダチが「あの借りを返すよ」
と無造作にくれたものだ。パリびいきなだけあって、Marina De Bourbon の
品で、"Menuet" と名前が付いていた。「メヌエット!なんと気障な」と笑って
はみたものの、上品なフルーツ系の香りがしておいしい。
紅茶をいれた後は、しばらくその香りにうっとりしてしまった。

さ、更新も終わったし、夜も更けてきたし、お風呂に入って眠りましょ。



2001年09月30日(日)



 強さとは

来月早々、オーストラリアに渡る友人から電話があった。
労働ビザを取得できたので、最低でも半年、向こうにとどまって働きたい
と話してくれた。まっすぐに目標を見据えた彼の言葉に迷いはなく、
溢れるほどの自信に満ちていた。
夢を現実に変えようとする人の言葉は、どれも力強い。

妊娠8ヶ月を迎えた友人に電話した。
おなかも相当ふくらんできて、胃が圧迫されて気持ち悪くなるのと話してくれた。
今は週に2度ほどプールに通い、あとはのんびりとおなかの中のベイビーと
過ごしているという。母になる女性の気持ちは、とても優雅でやはり強い。

わたしの強さはなんだろうと考えてみる。
とりあえず、思考することができて、他人を思いやる心があって、
二本の足でちゃんと立てていることかな。
というか、それだけしか今のわたしにはないのだけど。


2001年09月26日(水)



 なんだかなぁ

人の気持ちなんて、些細なことですぐに傷付いたり、楽になったり。
取り扱いは要注意なんだけれど、ついがさつに扱ってしまう。
哀しいときに作る笑顔は、やはりどこか痛々しいもの。

ココロの底から、毎日あははと笑って暮らしたい








2001年09月25日(火)



 紺色のセーター

連休に入ってから、空気がきりりと冷え込んできた。
衣替えをしなくっちゃ、とクローゼット用の防虫剤やら湿気取りなんかを買いに行った。
ジャケットを着込んだというのに、日陰に入ると身震いしてしまうほど寒い。

せっかくなので、いつもひいきにしているNOLLEY'Sに立ち寄る。
店内はすっかり秋冬物になり、カシミヤ混のカーディガンやライナー付きの
コートなどが並んでいる。隅から隅まで秋の色、秋の匂い、秋の気配がする洋服たち。

こっくりとした紺色のセーターに指で触れてみる。
細かく織られたウール100%のセーター。襟が後方だけタートルネックのように
なっている。なじみの店員さんが「こんにちは」と近寄ってきたので、試着
させてもらう。鳥肌を立てていた肌が毛糸に包まれてほっくりしている。
即決、即買い。

夜、衣替えをしていて気付いたのだけど、私のワードローブはほとんどが、
白、ベージュ、黒、グレイ、紺で構成されている。中でも紺色のセーターは
どれも似通っていて、自分でも呆れてしまった。

よく母は「もっときれいな色の服を着なさい」と小言を言ったけれど、
私は紺色を着ているときがいちばん落ち着く。
精神状態がほどよく安定してくるのだ。

私にとって紺色の服というのは、秋の夜に聴くピアノのような
心の鎮静作用があるのだと思う。



2001年09月23日(日)



 色を落とす

先週末めかしこんで、ネイルサロンで爪を磨き色を塗ってもらった。
私はお料理もするし楽器も弾くので、普段は爪をとても短く切り揃えている。
それにキーボードを指の腹で打つ派(?)なので、短いに越したことはない。
確かに色気はないけれど。

それでもマニキュアを塗るには、すらりと長い爪の方が似合うし断然セクシーだ。
気持ち悪いのを我慢して、しばらく爪を伸ばし、美しく色づけしてもらった。
光のある薄紅色で美しいのだけれど、これはとても不便。

コンタクトを入れるとき、眼球を爪で刺しそうになるし、キーボードを打つと
カチカチとうるさい。それに爪ばかりがやたら艶っぽくて、自分でも気になって
しょうがない。(苦笑)昨晩、お風呂に入る前に除光液をたっぷり含ませた
コットンできれいに拭き取ってしまった。そして爪切りとヤスリでいつもの
ように短く切り揃える。普段通りのシンプルな手にもどって、ほっと一息つく。

今日からの三連休は、ひとりチェロ強化練習をいたします。
12月の本番の譜面が届いたというのに、さっぱりですの。
誰か私に変拍子の数え方を教えてください(涙)



2001年09月22日(土)



 No Water!

ジャマイカに住む兄からぽこぽことメールが届く。
なんでも電話代がとても安いらしく、夜はほとんどオンライン状態らしい。
それに、部屋の電気が裸電球ふたつぽっちなので、パソコンの光で本を読んで
いるという。

そして毎回「水!まだ水が出ない」と半ば諦め気味の雄叫びが聞こえる。
貯水タンクに水はあるらしいが、バルブをひねっても出てこないらしい。
修理工たちはとても気まぐれなので、なかなか直らないと嘆いていた。
水のない生活って、相当原始的である。
というか、食事は?お風呂は?トイレは?と「???」だらけになってしまう。

聞くと、水が出ないのは彼の住まいだけらしく隣家も勤務先の学校も蛇口を
ひねれば水は出るらしい。他人の家でお風呂を借り、トイレは公共の場で
もしくはおソト、野菜は洗わず炒める!?

私の兄はこの地球のどこかで、ずいぶんとたくましく生きているようだ。




2001年09月21日(金)



 その後ってやつは・・・

結婚式で慣れない着物なんぞを着たもんで、
かなり無理のある姿勢に悲鳴をあげた私のカラダ、
ここ二日間はひどい筋肉痛でした。

堅座りしていたせいか、おシリの筋肉まで痛いんだもん。まいりました。
さておき、結婚式で再会した大学時代の女友達もがんばってるなーというかんじ。
フジ系の情報サイトでカラダ張ってレポ&ライトをしていました。
鴨川シーワールドでイルカと泳いだり、ボクシングやお料理したり、
冷凍されたり、と(笑)

極上OL目指してがんばれよん、まさとみ☆ちゃん♪
(これでバレちゃったかな?みなさんも応援してあげてください)




2001年09月18日(火)



 マリアちゃんの結婚

大学時代の友人が結婚しました。
チャペル挙式から二次会まで列席させていただいたのですが、すごく楽しかった。
花嫁さんが終始にこやかで、見ているだけで幸せになれそうな、そんな結婚式。

ちなみに彼女の中高時代の呼び名は「マリアちゃん」
名は体を表す、とはまさにこのことですね。
いい夜でした。




2001年09月17日(月)



 アリア

心がざらざらしていた。
原因はわかっている。
連日のアメリカ同時テロのせいだ。

最初の衝撃的な映像を眼にしてから、ビデオの再生ボタンを押し続ける
かのように繰り返し繰り返しテロの映像を追った。
半年分くらいのテレビ視聴量と頻繁なネット接続。異常だとわかっていた。
でも、とにかく絶対量を送り込まないと、私には現実が入ってこなかったのだ。
「これは本当ですよ」という信号を脳に送り続けなければ、自分が破綻しそうだった。
現実界でのキャパシティーオーバー。

ビル崩壊の映像、瓦礫の山に踏み入るレスキュー隊、生還者たちの証言、
被害家族の嘆き。見れば見るほど、私の心はざらついていった。
悲しみとか怒りとは、明らかに異質のものだった。

午後、ブラウン管から逃げるように演奏会に足を運んだ。
開演に先立って、オーケストラが即興でアリアを奏でた。
白い糸のような旋律が天上から降りてきて、私の視界が水っぽく歪んだ。

ああ、そうか。
私は祈りたがっていたのだ。
映像からも活字からも離れて、純然な音とともに、祈りをささげたかったのだ。

弦楽が奏でる白糸のようなアリアに守られながら、私は一曲ぶん、たっぷりと祈った。
右手の手のひらを心臓の上に載せ、そのあたたかさを感じながら、心から祈った。
神はキリストでも万物の神でもなく、私自身の中にある、そう信じながら。




2001年09月16日(日)



 アンリアルなリアル

昨日の夜から延々と流される映像は、まるでアメリカ産の大衆映画のよう。
近くのレンタルショップで借りてきた映画を再生しているみたい。
ある種、見慣れた映像、なのに、これが、現実。

飛行機がビルを突き破る。
高層ビルから人が降ってくる。
そして、ビルが垂直に崩壊する。

今朝の会見で、小泉首相が「強い憤(いきどお)りを感じる」と演説した。
憤りはすぐに怒りとなり、このまま報復に繋がるのだろうか。
アメリカの神話が崩壊する。世界が固唾を呑んで見守っているのを感じる。

思い出してアルバムを開くと、自由の女神が君臨するエリス島から望む、
世界貿易センタービルのツインタワーが堂々とそびえ立っていた。
私の手の中にある、過去の断片。


2001年09月12日(水)



 年中行事

毎年恒例の秋祭りがありました。
吉祥寺はわりと年中行事の多い街で、5月GWのジャズフェスティバル、
7月の夏祭り、9月の秋祭りと続く。商店街の通りごとや、町内ごとに立派な
御神輿や揃いの半被(はっぴ)なんかがあって、それはそれは賑やかになる。

このときばかりは、老いも若きも大張り切り(そのほとんどが男性)。
各所にテントが設けられ、ミコシが通る時間や場所が記録されたマップも
作成される。テント内には冷たいお茶が用意されていたり、寄付金の札が
並べられていたり。「町内会」という呼び名がふさわしいコミュニティが、
やおら再現される。

でも、今年は午後からあいにくの雨模様。
テント内で清酒をあおる赤ら顔のおっさんたちが、やたら目につきました。



2001年09月09日(日)



 

親友のお誕生日でした。
今年のプレゼントはバリで見つけた「祈る乙女」の木彫り(笑)
私たちもいい歳になって、まさに旬なんだよねー、と笑い合う。

ところで、お誕生日ではない私のところにも今日プレゼントの小包が届いた。
中はとれたてのみずみずしい野菜たち。トマトの赤、ピーマンの緑、
茄子の紫が眼に鮮やか。小ぶりのかぼちゃ、トウモロコシ、じゃがいもに玉葱。
次から次へと出てくる。送り主は長野の佐久に住む叔父から。

山で収穫したという松茸も、鼻孔をくすぐるせつない香りを漂わせている。
さっそくスライスしホイル焼きにして、お醤油を少したらしていただく。
・・・んんんんんん、んまい!

ひとり雄叫び、ひとり感涙、ひとり鼓舞(笑)
なんという贅沢なんだろ(涙)
山神サマに感謝いたします

とれたての旬の食材を目の前に、今週末は秋の味覚パーティでも開こうかしらん、
とメニューを考える秋の夜かな(字余りどころの騒ぎではない、失敬)



2001年09月07日(金)



 初秋の午後

午後にいつもの診療所へ行って診察してもらう。
「風邪ですね。漢方薬も処方しておきますよ」といつものお医者さまが言う。
はぁ、いつもいつもすみません、と私はぺこりと頭を下げる
(ずきゅんとこめかみが痛む)。

帰り道、東急裏のスターバックスでバニラシロップ入りの甘いラテをすする。
テラスは午後のゆるいひだまりに包まれ、うすくオレンジ色に色付いていた。
私は夏休みの最終日を迎えた子供のように、ちょっと倦んだ身体を持てあます。
通りの向こう側にある、ブティックのガラスに映る自分の顔に気付いて、
眼を背けたくなった。ついさっき墓場から掘り起こされたばかりの死体みたいな顔。
無表情、無感情、無気力さが漂っている。

いかんいかん、夏休みはもう終わったのだ。
一年中で私がいちばん苦手とする時期、夏の終わり。
早く秋が来ればいい、と思った。




2001年09月06日(木)



 電話の向こう側

ひさしぶりに親友から電話が来た。
なんでもパソコンが完全にクラッシュして使い物にならないらしい。
お医者さんなので病院にいるときは携帯の電源を切っていることが多く、
なかなか繋がらない。バリから元気に(ふやけて)帰ってきました、
との連絡もまだできていなかった。

「で、さぁ・・」といざ本題に入ろうとしたとき、「ちょっと待って」
と声が返ってくる。当直室の電話にコールが入ったようだ。
「はい、えっ、どの部屋の患者さん?わかりました、すぐ行きます」
電話口に戻ってきた彼女の声がやや緊迫気味になる。
「まだ話したいことも、聞きたいことも聞いてへんから明日改めるわ。
ほなちょっと行って来る」と回線は切られた。

電話の向こう側にいる彼女を想像して、私はなんだか嬉しくなる。
もう立派なお医者さんだ。すごくかっこいい、と人ごとながら自慢に思ってしまう。

・・・そして今夜、私は彼女からの電話を待っているのだが。。。。



2001年09月02日(日)
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