月のシズク
mamico



 リベンジin隅田川

7年ぶりに隅田川の花火大会へ行った。
情けないことに、7年前は花火の音だけ聞いて、人混みにもまれ敢えなく
退散してしまったのだ。それまで、隅田川の花火大会といえばテレビ放映
されたのを、飽きもせず眺めてたものだ。田舎の町の花火大会とは明らかに違う、
豪華絢爛の催し物に胸をときめかせた(こともあった、少女時代)。

テレビではあんなに大きく大輪の花を咲かせていたにもかかわらず、
京の建物は無情にもみな高かった。ビルを見上げ、とてもうらめしく思った
7年前の夏の夜を思い出す(なんと小さな空!)。

だがしかし!リベンジの時到来!
浅草、それも隅田川沿いのマンションに住む友人にお招きをいただいてしまった。
8階にのぼると目の前はすぅ〜みぃだぁ〜がぁ〜わ(滝廉太郎「花」)なのだ。
私の視界を遮るものは何もない。広い広い空が当然のごとくいるじゃないか。
こりゃびっくら。

ベランダに出て下を見下ろすと、眼下の隅田公園には人があふれかえっていた。
近くの言問橋にも大勢の人がざわめき立っている模様。ちょっとした優越感。
でも7年前の自分を思いだして、ちょっと心も痛む(ええおもいして、すんまへん)。

丸々1時間半の(夢にまで見た)夜空の祭典を心ゆくまで堪能し、
人の波が引くまでお宅でのんびりとくつろぎ、満足しきって帰ってきた。
快く歓迎してくださったご家族のみなみなさまにも大感謝
(おかげでリベンジが果たせました)。

まったく、日本の花火はなぜにこうまで美しいのだろう。
咲き方、散り方、その姿は潔く、人の心を無条件で魅了する。
花火のような人生も、それはそれでまたよいのかもしれない。





2001年07月29日(日)



 転職をすすめられた理由とは

昨日、昔なじみのトモダチが富士山に登るとメールをくれた。
ひとりで登るというのだから、山岳部出身者でもないのにすごいなーと
感心していたら、今朝方、夢に出てきた。

木造の古い小学校のような山小屋に、数名の友人と休憩していると、
そのトモダチが駆け込んできた。黄色いウィンドブレーカーの色が鮮やかで、
なんだかとても印象的だった。
今日、夢の話をメールすると、「おいおい」と返事が来た。

雨の時のために、母親から黄色いレインウェアを借りて持ってきているという。
かさばるから登山のときには車においておくつもりだったけれど、持っていく
ことにしたと言う。ついでに「(夢では)下は紺色のズボンだったよ」と打つと、
「ぎょぇ〜、紺色のジャージ履いて登るつもりだよ」と返ってきた。

あら、あてちゃった。
じゃ、あの山小屋はなんだったんだろう・・・・(あまり考えないことにしましょう)

メールの最後には「おねーさん、仕事変えた方がいいんじゃない?
睡眠で予知する占い師とか」と言われた。

それはそれで、カラダに悪そうなお仕事だと思うんですけれど。




2001年07月25日(水)



 歯を抜いて気付いたこと

外側に向いて生えてきた左上の親不知が、ここ最近急成長してしまい、
ホホの内側の肉がえぐれてとても痛い思いをしておりました。
こりゃもう耐え切れん!とうことで、午前半休を取り会社の子に薦められた歯科医へ。

超最新式の設備を備えた小奇麗な医院で、先生(院長)も若くて茶ぱつ(笑)。
液晶テレビに映し出された、海の中の映像をぼーっと眺めている間に抜歯終了。
ほとんど痺れを感じない麻酔で、ほんとに効いてるのかな?と不安に思ったほど。
やけに古典的な道具で(ウィーン、キィィィーンの類は一切使わず)すぽんと
抜けた。・・・でかい。歯ってでかいんだ。

虫歯にもなってない歯は、うすい象牙色で、ちゃーんと歯根まで残っていた。
そしてそして、私は久しぶりに、大きく顔を歪めてにかっと笑顔を作れた。
だって、歯が内側から当たるので、笑うときもあくびをするときも、
ほっぺたをつまんでいたのです。相当変な不自然な格好で笑っていたので、
長いことえらい不自由してました。

あーよかった、よかった。(にかっ)



2001年07月24日(火)



 辺境・近況

どっかの誰かの著書名じゃないです(いちおう)

アメリカの大学院に留学して頑張っている女の子からメールが届きました。
彼女との接点は、私の所属していた研究室にちょこちょこ顔を出して授業を
いっしょに受けただけで、大学も違うし住んでいた場所もぜんぜん違っていた。
でも、彼女の素朴な素直さが好きで、私は一緒にいるのがとても愉しかった。
帰国子女だったので、日本語がクリアなのも好感を持てた。

去年の夏から向こうに行っているから、ちょうど一年になる。
「この一年は、いろんな問題が生じては消え、忙しい日々でした」と言う。
離れてからも何度もメールで相談し合って(いや、私、ぜんぜんお役に立てて
なかったんですけど)遠くで暮らす彼女の日常が手に取るように、眼に映るよう
にわかって、メールのありがたさを実感した。そして新天地で伸びやかに生活
している彼女のたくましさが、とても眩しかった。

長い夏休みに入っている彼女は、帰国もせずアメリカをぶらりと旅したりする
という。「明日は生まれて初めての乗馬をします」と言っていた。
そりゃすごい、と「世界不思議発見」という番組を見ながら、私は声に出して
言う。ちょうどアイスランドの乗馬のシーンが流れていたのだ。

季節の変わり目には、こうして方々から近況報告があるのは嬉しい。
わたしに近況報告し忘れている方がいらっしゃいましたら、メールしてくださいな。
レスが遅いって怒らない方、限定ですけれど。





2001年07月21日(土)



 根性のムスメ

学生時代、長くバイトしていた先の同僚たちと会った。

いくつか音楽ホールを転々と経験して、最後に辿り着いたのは芸能を
中心とした催し物をする劇場だった。昭和期にタイムスリップしたような
建物の1Fにある受付で、夕方の6時から夜の11時まで働いた。

働くといっても、職員に(みんなシニア層だった)お茶を出したり、
たまにチケットを発券するだけで、あとはずっと本を読んでいた。
ラジオからは寄席や人生相談などの番組が小さな音で流れていて、
いつも時間が止まっているような空間だった。
私はわりとそこが好きで、結局3年半くらい働いた。

当時、契約社員で働いていた一歳年下のアヤちゃんは、専門学校を卒業して
すぐにその劇場に勤務した。とてもよく気が利く子で、仕事もきっちりやり、
力仕事なんかもテキパキこなした。ただ、社員がその子だけで、あとはゲート
ボールなんかが似合いそうなおじさんばかりだったので、彼女にはバイトの
女の子たち以外には「同僚」と呼ばれる仲間がいなかった。バイトの子だって、
アヤちゃんと入れ替わりの時刻で勤務に入るので、実質彼女は昼間ひとりで
あの昭和時代の空間に身を置いていた。ちょっと苔がむしてきそうな空間だった。

それが、この春から川口に勤務になったという。
彼女が住む八王子から約2時間かけて(朝5時半に起きて!)通っているという。
「どうしてそんなことになったの?」と聞くと、「だって、社長が"君はあの場所
で埋没していくのかね"なんてふざけたことを言ったんですよー。それなら"おう、
どこへでも行ってやろうじゃん"てね。」と真剣に(かなり声を荒げて)話してくれた。

「だから片道2時間かけても、やってやろうじゃん、とタンカを切っただけに
がんばれるんです」と言う。すごい。それってすごい根性じゃないのかぇ!?
と私は心の底から感心してしまう。

朝が苦手で、長時間電車に乗るのが耐えられない、だらしない性格の私には
とうていマネできない。こんな根性のある、肝の据わった若いお嬢さんて
少なくなってますよね。だから妙に嬉しかったな。


2001年07月20日(金)



 スイカ

とにかくだるくて、会社にいてもあまり人間として機能していなかった
(おまけに胃腸の具合が悪かった)。5時過ぎに足早に退社し、珍しく
寄り道せずに家へ帰る(私は寄り道をこの上なく好んでいる)。

自転車をこいでいると、次第に喉が渇き、どうしてもスイカが食べたくなる。
こういうとき、水でもジュースでもかき氷でもなく、スイカといったら
スイカなのだ。近所の八百屋で、切り分けられた1/6カットのみずみずしい
スイカを買う。お店のおじさんは「さんびゃくえんでいいよ」と消費税を
おまけしてくれた。嬉しい。

部屋に戻り、スイカを冷蔵庫にしまうと、もう立っていることも
ままならぬ状態で、カラスの行水を済ませてから、倒れ込むように
ベットに横たわる。眠った。

そして、ついさっき、夜中の1時近くに目を覚まし、冷蔵庫から
真っ赤なスイカを取り出して食べる。ぽたぽたと甘い汁が手を濡らし、
もうろうとした意識の中で、スイカをしゃくしゃくと食べ続けた。

そんな、少し奇妙な夏の夜。





2001年07月18日(水)



 ブラームス・チクルス

7月、梅雨も明け、夏空の美しい月曜日、会社を休んで自分のための
休暇を取りました。なぜか突然ブラームスが聴きたくなって、洗濯をしながら
1番を、料理をしながら4番を。そして、午後には近くの図書館でLDを借りて、
交響曲第1番から4番まで聴き通すというありさま。

小沢征爾指揮、サイトウ・キネン・オーケストラのヨーロッパ公演のLD
(合計約4時間)は、ブラームスの味わい深いフレーズを完璧に表現して
くれていた(と思う)。ヘッドフォンから流れる音の波と、揺れ動くステージ
の画像を見ていたら、私の魂までフワッと持って行かれてしまい、骨の髄まで
感動してしまった。チャイコフスキーコンクールで優勝したての諏訪内晶子
(当時18歳)も参加していて、見応え、聴き応え満載でございました。
小沢征爾も若い!(1989-1890の記録)

・・・という具合に一日を過ごし、
今日という日はブラームスに染められましたとさ。





2001年07月16日(月)



 グロテスクな愛のカタチ

先週末の話になるけど、レイトショーで『A.I』を観てきた。
今年の夏の最高傑作と銘打たれていたとおり、劇場にも観客がびっしり。
そして始まった物語とは・・・・

近未来の話を扱っているわりには、原始的でグロテスクな愛の形が強くて
胸が詰まった。愛というものの本質が、エゴであることを改めて証明して
いるようなもんだ。真実の愛とは、エゴを持ってのみ語れる、てか??

トモダチに語らせると、万人の心の琴線に触れる、最大公約数的なエンディング
は「こうすればお涙ちょうだいできるでしょ?」と観客を見下しているようで
姑息。スピルバーグお得意の、『シンドラーのリスト』的な作りがみえみえ、
だそうだ。まぁ、確かに。

いちばん心に響いたのは、ジュード・ロウのキャラと"I am. I was"という言葉。
どの場面かは実際に劇場で確認してみてください。その言葉の意味もね。
アイ・ワズ、アイ・アム



2001年07月13日(金)



 宣言!

されたそうな、気象台予報部から正式に「梅雨明け」宣言。
「明けた」と言われても、ここ1週間くらい、雨粒ひとつみていない。
だからいまいちピンとこないけれど、晴れ晴れとした気分なのは確かだ。
例年の1/3程度の降水量だったらしいが、プールの水が干上がらないよう祈ろう。

帰り道、見上げると青い空に、水彩画のような白く淡い雲が模様を描いていた。
昨日は大きく真っ赤な夕日が、民家の屋根を染めてゆく様を見た。
空の表情が刻一刻と変化して、道行く人も足を止める。
そして、さっき、ベランダのカーテンを開けたら白い半月が見えた。
雨のない空。

いっちょ私も晴れ晴れとした毎日を送ってやろうじゃいか。
リンパ腺が腫れてひどい声だし、抗生物質漬けなのは変わりないけれど。




2001年07月12日(木)



 夏風邪

なんでだろ、最近よく風邪をひく。
まず喉がやられて、呑み込むのが辛くなる。
そして鼻水が滝のように流れ出す。
しまいには、発熱。

今は鼻水とろとろの状態。
このまま完治したいもの。
ということで早めに、おやすみなさい。





2001年07月09日(月)



 よくあること

視力が悪いせいか、ぼーっと考え事をしていることが多いせいか
(何も考えていないことも多い)よくアホなことやらかしています。
記憶力と集中力がないのか、初期老化が激しいだけなのか。

今朝はシャワーを浴びながら、シャンプーを3回もしてしまいました。
ボトルの色だってちがうし、文字も「シャンプー」と確認したというのに、
私の手は二度、三度とシャンプーのボトルに伸び、髪がぶくぶくになるまで
気付かなかった。あまりに呆れて、このままコンディショナーを止めたろか
とも思ったのですが、髪がバサバサになるだけで、何の特にもならないので、
しぶしぶトリートメントしました。

あと、免許の書き換えに府中に行ったのですが、武蔵小金井と東小金井を
間違えて、ぜんぜん違う場所でバスを待とうとしていた。
それも人に聞くまで気づかず。
これで優良ドライバー(金ベルト!)だなんて、まったく申し訳ない。

エレベータの6Fを自分で押しておきながら、エレベータガールを気取って
6Fに着いても「どながか降りられませんか?」と声をかけ、連れに
「あたしたちよ」と背中を押される。
閉じた扉からは笑い声が漏れていた。

書き始めるときりがないので止めますね。
こんなこと、人様に披露するまでもないのですが・・・
誰だってひとつやふたつ、こんなこと、ありますよね?



2001年07月08日(日)



 白い麻の日傘

セールが大盛り上がりで、女の子たちはショッピングに忙しい。
個人的にセールの賑わいは苦手だが、良いものが安価で手に入るのは嬉しい。
今年の夏はどうしても買いたいものがあった。それが日傘。

気のせいかもしれないが、年々、夏の光が鋭さを持ってきたように感じる。
太陽の下を歩くと、さらけ出した肌がチリチリと傷むみたいだ。
これが紫外線というやつか、と実感できちゃうとこがすごい。
よく欧米人はステータス・シンボルとして肌を焼くが、肌の弱い私には
とてもマネできない。ヴァカンスに行かなかった証拠の、モヤシみたい
なよなよした肌でもかまやしない。

ということで、やっと日傘を購入しました。
それもぜんぜんセール品じゃないやつ。(苦笑)
祖母が持っているような、麻地に透かし模様が入ったのが欲しくて
いろいろ探し歩いて見つけた一本。嬉しくて部屋の中でさしてみました。
アホですね・・・

でも、関東地方は明日から天気が崩れるらしい。
先週末からずーっと夏日続きだったのに、間に合わなかったらしい。
はやくこの白い日傘をさしたいので、どうか梅雨よ、さっさと明けておくれ。



2001年07月06日(金)



 静けさの秘密

いつもどことなく賑やかしい実家なのだが、なんだかとても静かに感じた。
ただよう空気にたくさん隙間があって、そこにぽわんとした空白があるかんじ。
なんだかのんびりしていたのですが、ふとみんなが気づいたこと。

「何かが足りない」
そして皆がいっせいにはたと気付いた。
「電話が鳴っていない」

私が帰ったのが金曜の深夜なのだが、その前夜はひどい雷雨が降ったそうだ。
30分から1時間くらい、「ピカッ、ごろごろごろごろ。ピカッ、ごろごろごろごろ」
が続いていたという。もしかして雷の影響で電話が故障してしまったのかも
しれない、と丸二日経ってから気付いた。必要な連絡は個々人の携帯電話に
かかってくるし、ネットも繋がっていたので、電話が故障しているなど
考えには全く及ばなかった。なにはともあれNTTに苦情を申し立てる。

暑い日曜の昼下がりに、NTTの名札を付けて緑色のユニフォームを着た、
頭の禿げたおじさんがやってきた。額に粒状の汗を浮かべながら、そそくさと
2階の親機をみてくれる。そしてとても困ったような顔をして
「すみません。この機種はもう修理できないのです」と言う。
確かに10年以上使ってきて、留守電機能も何もないシンプルな電話は
もう見かけなくなっていた。「他の子機電話とインターフォンもダメですね。
すみませんがそちらも買い換えて頂くことになります」

別に田舎の家が広いと自慢しているわけではないが、ウチには何故か
電話が5台もあった。部屋に備え付けのコード付き電話なので、
「人間が移動するのが面倒くさい」と次々と増設したのだ。
今では住人よりも電話の数が多くなっていた。
まったく、ものぐさというか、節操がないというか。。。

それが、超現代式ばりばりデジタル機能満載の機種になるという。
保留+転送機能をやっとマスターした祖母に、この手の操作は対応できるのか、
いちばん気がかり。

それにしても、このNTTのおじさん、雷の翌朝から夜もほとんど寝ずに
「500件近く」修理に行ったという。よほどお疲れらしく、「50件」と「500件」
を言い間違えているようだった。いや、彼にしてみれば「500件近く回った
くらいに、しんどい作業」だったのだろう。同情しちゃうな。

だって、疲労でろくすっぽ呂律(ろれつ)も回らない舌で「すみません」
を連発してるんだもん。電話の故障は君のせいじゃなくって、雷さんの
せいなのにさ。

とんだ災難を受けたのは、彼のようなNTTの修理工さんなのかもね。
だって、実家の面々は至って平然な顔で「あ、いいですよ。全部買い換えます」
とさらりと言ってたし。

電話の呼び出し音が聞こえないだけで、家の中はこんなにも
ひっそりとしてるんですね。私は別にぜんぜん不便さは感じなかったんだけど。




2001年07月02日(月)
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