月のシズク
mamico



 東京から離れた場所は

朝からじゃぶじゃぶの雨でした。
東京は猛暑続きだったので、湿った冷たい空気が思いのほか気持ちいい。
中学校時代の友人の結婚式(土曜)と、祖父の一周忌(日曜)のため、
帰省しています。大好きなカエルの庭も雨に濡れて一段と美しくなっていました。

しかしジューンブライドが定着しつつあるというけれど、やっぱ梅雨の時期は
じとじと嫌かも。屋外でライスシャワーの予定が、チャペルからホテルの廊下
という色気のない場所になってしまいました。でもやはり、どんなことが
あろうとも、花嫁が美しければそれでオーケーですよね。

いやぁ、実に可憐で愛らしい花嫁さんでしたこと。
帰ったらその模様をアップする予定なのでお楽しみに。
チャオ





2001年06月30日(土)



 手術する夢

明け方、妙な夢を見た。夢なんてどれも妙なものだけど、
それでもちょっと妙なかんじの夢。

左耳の上のあたりにおおきな痼り(しこり)ができたので、病院で検査
してもらった。ナイフでぱっくり開いて、注射で細胞をちゅうちゅうと吸い取った。
数日後、検査の結果を聞くと「オペが必要ですね。7月3日に行います」と言われた。
そこで私は慌てて「いえ、その時期はコン○ックの仕事が忙しくて無理です」
なんて答えていた。そして答えながら、笑えて眼が覚めてしまった。

そう、6月はそのプロジェクトが、あれよあれよとハンドオフされて
現在27本が平行して流れている。毎日あっぷあっぷしながらハンドルして
いたので、ついには夢にまで出てきたのだ。
左耳上の痼りとは、いったい何を象徴するんだろ。ストレスかなぁ。
でも本当にその箇所にガン細胞か何かが埋まっていたりして。。。

ドキドキしながら白みかけた部屋で二度寝したら、案の定、遅刻しかけちゃいました。
やれやれ、今夜はどんな夢を見ることか。
(ここって夢日記のページじゃないけれど。。。)




2001年06月28日(木)



 空っぽの窓

昨日、仕事から帰ってくるときにふと気づいたのだが、隣人が引っ越していた。
何度か顔を合わせたことがあったけれど、気の弱そうなサラリーマンだった。
ずっと前からいなかった気もするし、つい昨日までいた気もする。

とても静かに生活する人で、生活音(洗濯機の音とか、クローゼットを開ける
音など)が全く聞こえなかった。彼が住んでいたのは、ちょうど角部屋だった
ので仕事から帰ってくるとカーテンの開閉や薄明かりが点灯しているかで
在/不在を確認できた。窓から見える部屋はいつも整頓されていた。
でも今見えるのは、空っぽの白い天井だけ。
家主のいない、白い箱。

すごく不思議な気分だった。
こんなふうにして、人はあっけなく存在を消してしまうのだろうか。
元隣人がどこかで幸せにのほほんと暮らしていることを願おう。





2001年06月26日(火)



 イタリアン レストランで

いつ行ってもかるーく1時間待ちで、休日などは2時間近く
待たされることもあるイタリアンレストランがある。
薄焼き巨大ピザとトマトソース系のパスタが身もだえるほどおいしいので、
それだけ待っても食べたい、いや、待つこと自体が効果的な調味料になるので、
じっと待ってしまうリストランテなのだ。

それだけ待たされると、席に通される頃には子牛を一匹食べられるくらい
空腹になっている。だからその勢いで、あれやこれやと一気にオーダーして
しまう一見さんがときどきいる。そしてそんな客が近くのテーブルに付いた
ときには、ちょっとしたドラマがある。

その晩は、中年カップル(夫婦というよりは、これからいい感じになりそうな
40代前後の男女)がその罠にはまっていた。男性はメニューを見るなり、前菜の
サラダを2種、ピザを2枚、パスタを2皿、ワインをボトルで1本読み上げた。
隣りの私たちふたりは、葉っぱがメインのサラダ1種、ピザ1種、パスタ1皿、
願わくば食後のドルチェとコーヒーを考えていた。
経験的に思うのだけれど、これが普通の量なのだ。

中年カップルは運ばれてきたサラダをすごい早さでついばみながら、
小学校の頃の思いでなど話している。(盗み聞いたわけじゃないんです。
男性の声が大きくて耳に入って来ちゃったのです)女性の方も「ほほほほ」と
上品そうに笑い、めもくらむ早さでフォークを動かす。なんだかよい雰囲気を
漂わせているふたりの背後には、楽しげな前奏曲が流れていそうだった。
そうして次々と巨大皿が運ばれてきて、最後のパスタ2種がテーブルに置かれた
頃には、ふたりは無言で、顔を真っ赤にしながら飽満感と格闘していた
(ように見えた)。

そこにはもう女性の花のような「ほほほほ」という笑い声もなかったし、
男性の思い出話もなかった。ふたりはただただ、フォークをくるくると回し、
それを口に運ぶという機械的な動作を繰り返していた。

でもね、こんなテーブルの隣りになっちゃうと、こっちまで食欲が
減退しちゃうんですよ。私はやっとのことでたどり着けたローマ風
ショートケーキ(単なるメロン・ショート)と楽しくやっているのに、
そんな光景が眼の端にあると、こっちまでげっぷが出そうになる。まったく。

その後、このふたりの夜がどうなったかは、もちろん知るよしもないのだが。





2001年06月24日(日)



 予知された夢

とてもご無沙汰していた男性が夢に出てきた。
どこかの画廊のような場所で「えっと、彼女です」と女性を紹介してくれた。
背が高くて、まっすぐの長い髪をした細面の女性だった。

その日、ほぼ一年ぶりにその男性から連絡が入った。
朝見た夢の話をすると、「へえ〜、奇遇だねえ。実は俺、結婚して、最近
いろんなところで「えっと、妻です」と紹介してるんだよ。テレパシーかな??」
と返してくれた。彼が結婚していたなんて、もちろん知らなかったので
驚いてしまった。

私はこの手の夢をよく見る。
デジャ・ヴュの逆だから、予知夢というやつだろうか。
厳密には何かを予知しているわけじゃなくて、あらかじめ流れていた
電波みたいのをつかんでそれを意識のどこかに保存していて、ふとした
きっかけで夢に現れる、と言う方が正しい。

今回のケースも、だいぶ前にその男性が年上の女性と同棲している、
という話を小耳に挟んでいたし、性格的には籍を入れても問題ないような人
だったから、それが繋ぎ合わさったのかもしれない。
とにかく、無の状態から予知的な夢なんて見ない、と私は思っている。
原因があるから結果が出るようなもので、そこには何らかのレッキとした
「きっかけ」が存在するのだと思う。

しかしながら、短編小説のような夢をいちにち何本も見る私の精神は、
正常、と言えるかはギモン。




2001年06月23日(土)



 eclipse

アフリカ上空あたりで、今世紀最初の皆既日蝕があるというので、
午後8時ごろからメディア・プレーヤーでライブ画像を流しながら仕事をしていた。
アフリカ独特の太鼓のリズムが後ろで流れていて、ジンバブエからの画像が
送られていた。

カメラにフィルタをかけているらしく、白く映る太陽にはちゃんと黒点まで
見えた。ゆっくりと下の方がら食されてゆく太陽は、いびつに姿を変えてゆく。
月が太陽を食らうとき。

そのまま放置して仕事を続けていたら、いつのまにやら太陽が三日月の
ようになっていた。完全に月に隠されてしまった空は、黒くなにも見えなかった。
その次の瞬間、強い光が画面に放出され、白い輪郭が現れた。
なんだかあまりに完璧すぎて、仕事そっちのけで画面を見つめてしまった。

すごいよな、ライブでこんなに手軽に日蝕が見られるんだから。
と思いながらも、あの白く強い光がちらちらと瞼をつつく。
古代の人は、日蝕や月蝕は不吉な現象と捉えていたらしいが、
あながち嘘ではないのかもしれない。



2001年06月22日(金)



 明日があるさ

徹夜で仕事をやっつけなきゃ、金曜の納品には間に合わないくらい
切羽詰まっているというのに・・・。8時過ぎに愉快な仲間たちから
ラブコールがかかり、10時には吉祥寺に足が向いていました。

Tシャツにスニーカー、どでかいバックパックを担いで、ほぼすっぴんで
登場したら「なんかメッセンジャーの少年みたいだね。それで会社行ってるの?」
と笑われた。だってクライアントに会うこともないし(全部メールで済んじゃう)
一日中モニタと向き合ってるだけだから、おしゃれする必要性なんて全然ない
もん、と抗議してみた。そういう点では、ほんと楽なんです。うちのカイシャ。

すぐさま2件目(行きつけのバー)に向かい、若いスタッフと歓談。
「オレの夏は今日から始まりました」と宣言する後輩君に、甘酸っぱい若さを
感じてしまった。これは極限状態直前の息抜きなのだろうか。
自分で自分を絞殺してるとしか考えられないんだけど。

ま、明日があるさ、かな。
いや、明日、しかないんだけれど。



2001年06月21日(木)



 叶えられた夢

と言っても、眠っているときに見る夢です。
それはズバリ、「空を飛ぶ」夢でございます。

ずーーーーーーっと、空を飛ぶ夢が見たくって、いつも眠る前に「今日こそは」
とイメトレしたもんです。でもそうやって気合いを入れれば入れるほど、
訳の分からぬ夢ばかり見て睡眠不足が促進されていました。
トモダチが「私、よく見るよー」なんて言うたびに、心底羨ましく思いました。
>たかが夢だちゅーに

うししししし、やっとみれたもんね。
内容は、親友の女の子と手を繋いで「せーの」とジャンプして空に飛び上がる夢。
そのまま電柱くらいの高さをすいすいと飛んで、「もうちょっと高く飛ぼうか」
とビルの高さまで行って来ました。いやぁ、気持ちよかったのなんのって。
夢を見ている間中、「これが夢じゃなきゃいいのに」と何度も思いました
>だから夢だっちゅーに

眼が覚めて、がっかりしたのは言うまでもないわけで。
そして相変わらず、毎晩ベットに入っては空を飛ぶ夢を思い描いて眠るのでした。
あは




2001年06月19日(火)



 ぼろっと落ちたものとは

朝、髪をゆわいていて何かがぼろっと落ちた。
「んん?」と拾い上げると、小豆のような破片。右手を見る。ない。

ぼろっと落ちたものとは、私の皮膚の破片だった。
毎週、液体窒素で焼いてもらっている皮膚が、ついに剥がれ落ちたのだ。
いやん、なんかすごく不思議。だって、汚い紫色の皮膚の下に、ピンクの
つるつるした皮膚がちゃーんと再生してるんだもん。あまりにびっくりして、
しげしげと古い皮膚と新しい皮膚を眺めていたら、遅刻してしまいました。

んー、だけどまだ残りがあるんだな。
これらもいつか前触れもなく「ぼろっ」と落ちるのかしら。
人間の再生力ってやっぱ強いのね。




2001年06月15日(金)



 ネーミング

週明けから私が担当しているプロジェクトがすごいことになっている。
毎日、怒濤のようにファイルが届き、一気に21本のプロジェクトが
平行して流れている。なんだかほんとに目が回ってきて、
夢の中でも仕事をしているありさま。>重症

それにしても、これらのプロジェクト名がおもしろくって、
それだけが救いみたいなもんだ。推測するに、USの担当者が勝手に名前を
付けているようなのだが、最近来たのでは
"Derby"(競馬好き?)、"Roadsters"(車狂?)
"Hingis/Saypras/Chang"(趣味はテニス観戦?)などなど。

だから「ダービーの進行状況どうなってる?」
「今ですね、ロードスターが大変なことになっていて、まだ見てないんですよ」
「それじゃ、こっちはヒンギスを担当するね」なんて会話が交わされています。
周囲からしてみれば「????」だと思われるのですが。

ファイルがサーバーに届くたびに「今度はなに?」と実はちょっとだけ
楽しみだったりする。だがしかし、このままでは忙殺されてしまうようぅぅぅ。
(弱っちいのだ、わたしは)まったく、私の上で連日きっちり仕事を
こなしているM嬢をマジで尊敬しちゃいます。



2001年06月14日(木)



 ええとこのこ

普段、あまり方言とか意識してる方ではないのだが、他人のそれには敏感だと思う。
お昼を食べていたときに、「ああ、ええとこの子なん?」とひとりが言った。
すると向かいにいた子がきょとんとして「ええ、どこの高校?」と聞き返す。
思わずごはん粒を吹き出しそうになった。完全なミス・コミュニケーション。
イントネーションが平坦な上に「え」と「こ」が続くので、そりゃ聞き取りにくい。

「ええとこのこ」とは「良い(家柄)の子」という意味。ちょい関西コトバ。
私の生まれた場所は、イントネーションが完全に関西だったので、
するりと入るコトバも、東京の子には外国語のようなんだと言う。
日本語というよりは、ガイコクゴ。

「そのイントネーションじゃ、あいうえお、って言うのと同じじゃん。
わかるわけないよー」と言われた。

でも「ええとこのこ」ってひらがなで表記しても「エエトコノコ」と
カタカナで表記してもわかりにくいよな。
日本語、あな、むづかし。





2001年06月13日(水)



 パンク

・・・してた。
朝の急いでいるときに、自転車の後輪がぺしゃんこになっていて
笑うに笑えなかった。しょうがないのでバス停に走って、なんとか遅刻を免れる。
まぁ、生きてりゃそういうこともあるさ。

でも帰り道はちょっとみじめ。
夕立の過ぎた路面を、サンダルでぺたぺた歩きながら部屋へ帰る。
今週は激務週間だから帰りは遅く、修理に出せるのは週末まで
待たなければならない。

せめて帰り道を楽しく歩けるように、バックパックとスニーカーを出すとするか。
あと、音楽があれば最高、かもしれない。




2001年06月12日(火)



 イメージ削除

会社の最寄り駅を通り過ぎて、びゅんびゅん飛ばし府中へ。
駅に降りると、まっすぐ競馬場に続く道しかなくて笑ってしまった。

生まれて初めて行った競馬場は、空が広かった。
確かに客層は競馬新聞を片手に、似たり寄ったりのおっさんたちばかり
だったけれど、広い芝生もあったし、子供たちを遊ばせる公園もあって
家族連れも多いのには驚いた。

パドックで次に走る馬たちが闊歩しているのを見た。
金色のたてがみをしたもの、シルバーがかった毛をしたもの、
ホワイトソックスを履いたもの。
筋骨隆々とした大きな馬は、とてもきれいで見ているだけで楽しかった。
芝生でサンドイッチを食べながら、馬が駆けてゆくのをのんびりと眺めた。

なんだ、競馬場ってけっこういいところじゃん。
ということで、私の競馬場の胡散臭いイメージ、削除。(ぽいっ)



2001年06月11日(月)



 雨の匂い

そろそろですかねぇ
憂鬱なシーズン
到来の予感

空気が匂ってますね
偏頭痛も激しくなりますわなぁ
低気圧のバカやろう





2001年06月09日(土)



 みちくさ

会社を休んでしまいました。まぁ、その、体調不良というやつです。
昼過ぎまで死んだように眠って目覚めたら、冷蔵庫の中が空っぽ。
薬を飲んで吉祥寺まで食料の買い出しに行って来ました。

鎮痛剤のせいで頭がぼーっとしていたらしく、手当たり次第
ぽんぽんとカゴに放り込んでゆく。甘エビのお刺身が食べたい!
と生鮮食品コーナーへ行ったら、マグロもうまそやね、とカゴの中へ。
気が付くとカートは食べ物でいっぱい。レジでお会計を済ませてから、
ひとり苦笑してしまった。こんなにたくさん、どうやって持ち帰るねん。
それよか食べる前に腐らせそやわ。

透明なビニール袋に慎重に詰め込み、よいしょと持ち上げる。
あまりの重さにふらり、と足元が揺れる。
エスカレータを上がって蒸し暑い外に出ると、夏の日の祖母を思いだした。

祖母が買い物に出ると、3回に一度くらいはその30分後に電話がかかってきた。
「まみこさん、ちょっとよろしいかしら。お荷物が重くって」
私が彼女を迎えにいくと、彼女はスーパーの出口の日陰のところで、
ライムグリーンの日傘を差して待っていた。私が両手に袋を持ち、
彼女は片手に日傘、片手に軽めの袋を持ってしゃんしゃんと歩き始める。
どんなに暑い日でもお着物を着て(浴衣のことも多かった)、背筋を
ぴんと伸ばして歩く。高く結い上げたうなじに白い粉がはたかれていて、
こんなに暑いのに汗ひとつかかない。

「ねぇ、どうしていつもこんなにたくさん買い込むの?」と私は彼女の
帯あたりを見つめながら聞く。「だってお刺身、好きでしょ?スイカも
おいしそうに冷えていたし。思わず、ねぇ」と笑う。

夏の日差しが、頭のてっぺんに突き刺してくる。
私は汗をだらだらとかきながら歩く。
祖母が歩みを止めて、私にも日傘をさしかけてくれる。
しょうがないなぁ、と思いつつも、私はこうして祖母とふたりで歩くのが好きだった。

・・・ったく、重いってば。
電話したらすっ飛んできてくれるような人、いないかしら、ねぇ。



2001年06月07日(木)



 リトル・スパイス

7時半過ぎに帰れたので、チェロを弾いた。
いつもながら自分でも呆れるほど、へたっぴ。

それでもお声をかけてもらった市民オケの本番にも参加しようかと考え
てるんだから、マジメに音楽している世のチェリストさんたちに向ける顔もない。
ほんと、へたですんません。

でも私がここまでこの楽器と共に生活してこられたのは、
ほんのささいなきっかけからだ。

チェロを始めて一年経とうとした頃、本気でもう辞めようと思った。
ピアノで言うなら蓋を閉める時だと思った。もう、弾くのはやめよう、と。
どれだけ練習しても、私は音符を読むのが遅いし、リズムだってちぐはぐしていた。
こんなの苦しいだけじゃない。楽器にも申しわけない、
こんな私に弾かれたんじゃ申し訳ない、と思った。

そんなとき、あるバイオリン弾きの先輩が言ってくれた。
「オレさぁ、おまえのチェロの音、好きだよ。音程もリズムもひっどいけれど、
音はいい。すげえいいよ」涙が出そうになった。プロ並みのバイオリンを
弾く人で、雲泥の差とはまさに彼と私の差のことだった。
彼は雲の上で光を浴びる人、私は泥の中でゲコゲコ鳴くカエルみたいなもんだ。
そんな人から言われたひとこと「音、いいよ」は私にとっての救いとなった。

それで今まで続いているんだから、言葉の魔力ってすごい。
まさに人生のリトル・スパイスなり。





2001年06月05日(火)



 Hot/Cool!?

土曜の朝に行って来ましたさ。
吉祥寺の街中にある「若い医者がいそうな」皮膚科へ。
実際、先生は30代くらいの若先生で、私の話をふんふん聞いてくれた。

「で、これは尋常性疣贅(じんじょうせいゆうぜい)とやらでしょうか?」
と聞くと、「そうそう、そうです。ま、ウィルス性のもので、治療方法は
少し乱暴なのですが」と言う。「あの、お灸でしょうか?」と恐る恐る聞くと、
「いえ、逆です」と言われた。つまり、液体窒素で傷を零下まで冷やして殺すそうな。
「ああ、とすると熱いか冷たいかの差で、治療方法はそんなに
変わらないんですね」と言うと笑われた。

・・・かなり乱暴でした。はい。
傷は紫色に変色して、触れるのも痛い。空気に触れていることさえ痛い。
痛い。痛い。(涙)ゴム手袋して洗い物をしております。お箸を持つとき
薬指と小指が当たるとちくりと痛む。

ああ、これを週に一度するのね。気の長い治療だわ。(涙)




2001年06月03日(日)
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