月のシズク
mamico



 うつぶせ寝する子猫

会社の向かいにある豪邸(辺り一帯の地主さん宅)の、
入り口の柵の向こうに猫がいるよ、と同期の子が教えてくれた。
どうやら地主さん宅で飼っている外猫が、この春に子供を数匹産んだらしい。
「一匹だけね、いつもボーっとしてる子がいるんだよ」とのコメント。
どれどれと、帰りにのぞいてみた。

そしたら、いました、いました。
紫陽花の鉢植えの隣りに、うつぶせになって眠っている子が一匹。
まだ生後1ヶ月くらいらしく、全身の毛がウズラの子みたいに逆立っている。
私たちがのぞき込んでいるのに気づき、ちょっと顔をあげたが、眠そうに
また眼をつぶる。小雨が降ってきて体温が奪われてしまいそう。
母猫はこの子のこと、忘れちゃったのかしら。

手のひらに乗りそうなくらい、ちいちゃな子猫。
でもどうして、ひとりであんなとこで眠っているんだろう。
もしかして「みにくいあひるの子」ばりに、いぢめられてるのかしらん。
そしたらちょっとかわいそうだな。猫の子は白鳥にはなれないし。。。




2001年05月30日(水)



 そらにのる

会社の人が突然「君んとこの方言のサイトを見つけたよ」と送ってくれた。
ほとんどわからない訛ばかりで、ちょっと愕然としてしまったのですが、
これは懐かしかった!「そらにのる」ってご存知ですか?

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「そら」は「凍りついた雪野原」を意味するが、気温が0℃よりも下がった
冬の朝または夕方、雪の降り積もった田んぼの中を縦横無尽に歩き回れるので、
子供たちにとっては楽しくてならない歩きであった。1メートル以上積もって
いても、その中にけっしてうずまることなく、さくっさくっと小気味よい音を
立てて白一色の中を歩いて登校したときなど、随分と早く学校に着いた
思いをしたものである。まさに雲にでも乗っている気分になるのであるから。
「そらにのる(空に乗る)」とはまことに当を得た表現と言いたい。

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実際のところ、あの行為がこう呼ばれていたとは知りませんでした。
でも、雪の上を(踏みしめたものじゃなく)沈むことなく歩けたのはすごく
楽しかった。朝早くに小学校へ向かうころはまだ気温が低いのでよかったけれど、
日が差してくるとずぼっと容赦なく足を取られ、長靴が雪の奥深くにはまったり
してリスキーな遊びだったな。

雪国の冬は耐えがたいものだったけれど、楽しい遊びもいっぱいあった。
なんだか懐かしい気分にさせてくれた。




2001年05月29日(火)



 恋人が帰る日

「恋人」といっても、ダーリンのことやありません。
東京駅に親友を見送りに行ってきました。

今朝はふたりして10時半過ぎまで遅寝して、2時間近くかけて朝食を摂り、
小雨の中そとへ出る。「どうせ東京へ来たんやから、お買いものしよっ」
と誘われ、荷物を東京駅のロッカーに預けて銀座へ。

アサヒ・スーパードライの試飲をして、気分が良くなったところで
三越の1階から3階までくまなく見て回る。夏物のサンダルやワンピースを
ガンガン試着する。(とある店員さんは彼女を「12chの深夜のキャスターさん
ですか?」と聞いてきた。)手足が長く、人目を惹く顔立ちをしているので
(あと、化粧も関西風かな)いろんな人が振り返る。
いやん、なんかこっちまでドキドキするわ。

「あのモンブランがまた食べたい!」と言われ、プランタンの1Fに行く。
確か2年前のゴールデンウィークにも連れていたっけ。
「関西のラジオでおねえちゃんが言ってた。銀座のモンブランって」
小雨はまだ降り続いていて、ふたりしてぼーっとウィンドウの外を眺めながら
日が暮れてゆくの見ていた。

東京駅で「キティちゃんクッキー」と「キティちゃん人形焼き」を買い
(看護婦さんが喜ぶらしい)改札の手前でしっかり2度、
きつくハグを交わして手を振る。

私は毎回のように、ちょっと淋しい気分になる。
「またおいで」と叫ぶと、キスを投げてかえしてくれた。
ああ、なんだか恋人を見送るみたいで、センチメンタルになりながら
中央線に乗って帰ってきました。




2001年05月27日(日)



 奇襲

えー、親友が来ています。
お台場で結婚式があるとかで2泊3日していきます。
初夜(?)からめっちゃよろしいテンションで弾けています。

さっそく指にできた異物を診てもらう。
彼女の診断では「尋常性ユウ贅」(ユウが変換できない!)というやつらしい。
ウィルス性のもので、ドライアイスで焼けばぼろりと落ちるという。
以前、近所の皮膚科のおじいちゃん先生に診断してもらったときは、
藻草でお灸を据えろと言われた。

その話をすると「もっと若い医者のところへ行け」と笑いながら忠告を受けた。
やっぱ医者の親友は心強いわぁ。





2001年05月26日(土)



 Discrimination

連日の報道でご存知の方も多いと思うが、ハンセン病患者が起こした訴訟で
国が敗訴した。私たちの目に付かない場所に追いやられた人々が、
やっと白日の元に帰ってくることができた。
お気づきですか、この一件が含んでいた重大な差別を。

日本における人種隔離政策がひそやかに現在まで行われていたこと。
ハンセン病患者の感染を防止するため、種の絶滅を強制されていたこと。
そして、平等に造られたはずの人間の尊厳も奪われたこと。
個人のすべてを取り去られたということ。

ある意味、ナチのホロコーストとなんら変わりはない。
病気が感染すると疑われたのが原因なのだが、それがすべてではないはずだ。
顔が崩れ、指先や足先がもげてしまうことへの恐怖。
「恐怖」が感染して差別を産み、個人の意志も生命もすべてが揉み消されたのだ。

「これでやっと家族に会えます」と収容先の病院で語っていた患者が笑っていた。
いわれもないレッテルを貼られた人々が、今後どうやって立ち上がってゆくのかを
見守っていきたい。



2001年05月24日(木)



 テレビジィオン

ひさしぶりにテレビをつけています。
この時間帯はNHKで多重音声放送をしてくれているので、
ほんのたまに流しています。天気予報をやっていて、
明日も東京は雨だそうです。天気予報の英語だけは得意なんだよね。

部屋に遊びに来る人はよくご存知だと思うのですが、
私はほとんどテレビを見ません。映像と音がどっと雪崩れてくるのが
苦手なのです。すごくイライラしてしまう。

だからウチのテレビはほとんど飾り物で、
メモが書かれた付箋が張り付けてあることもある。
役目をほとんど果たせない、とっても気の毒なテレビなのです。

あ、でもCMは好きなんだけどね。





2001年05月23日(水)



 お医者さん

この春から医者になった親友から送られてきたメール。
人の生と死の一番近くにいるからこそ、感じられることも多いのだとおもう。
以下、本人の了承を得て、全文掲載させてもらいました。

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お医者さんになって初めて嬉しかったこと。
「先生に会えて良かった。」と、患者さんに言われこと。

2回目に嬉しかったこと。
「女医先生優しいから好きになっちゃたよ。」と、頑固おやじに言われたこと。

お医者さんになって初めていやだったこと。
6時間のオペを終えて患者さんを部屋に送り届けると、
娘が何も言わずにいやな顔をしたこと。
生きることさえ望まれてない患者さんも居るのね。

お医者さんになって初めて寂しかったこと。
さっきの頑固おやじが、そう言い残して、次の日に、息を引き取ったこと。

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2001年05月22日(火)



 サマーフレグランス

昨日の話なんですけれど、目白で学会に参加した後、
トモダチと待ち合わせて新宿伊勢丹へ。
目指すは1Fの化粧品コーナーに隣接する香水カウンター。
前々からどーしてもくんくんしてみたかった Issay Miyake の
新作をテスターするためだ。

ミヤケの代表作といえば、L'eau D'issey(イッセーの水)なのだが、
去年あたりからこの香りを基本とした夏限定のフレグランスを発表していた。
今年のは2本立てで、"Soleil D'issey" と "Lune D'issey"。
つまり「太陽と月」なんですの。

太陽のはオレンジ色のボトル、月のは青色のボトルで
仲良く円錐型のが2本、突っ立っている。

カウンターのお姉さんに「これはお肌の潤いを保つ成分が入っているんですよ」
と説明され、バシャバシャと腕に豪快に振りまいてもらう。
太陽の方はヒマワリの成分から、月の方には夜桜草から抽出されたエッセンス
が成分が入っているそうな。「じゃぁフロアをひとまわりしてから考えます」
と一旦香水コーナーから離れて、ふらふら化粧品を見て回る。

でも、この月の香りがずーーーーっと私にまとわりついていて、自分でも
うっとりするくらいにいい匂い。一緒にいた女トモダチも「後ろ歩いてたら
匂うよ。すんごくいい」と絶賛してくれた。
もちろんその後、私が"Lune D'issey"を購入したことは言うまでもない。

いやー、久々にヤられてしまいました。完全に私のココロ、持っていかれました。
ノックアウトです。同時期に発売されたランコムのミラクルもいいけれど、
あれはちょっと私には甘すぎかな。
ということで、2001年の夏の香り、ゲットです。






2001年05月20日(日)



 ザ・熱帯

来月の16日に大学の演奏会のエキストラに出る関係で、
今日は仕事を早めにきりあげて参加しました。

周囲の住宅にご迷惑がかからないようにと、窓を閉め切っての演奏は、
みるみる室温が上がって熱帯状態。ガラスは熱気でくもるし、
指揮者の先生は水に浸かったように汗まみれで濡れておられました。
クーラーがまだなんだよね。いやー、運動したみたいにいい汗かきましたわ。

私はオーケストラを退団してから、やっと音楽のおもしろさを知りました。
音符の読み方や音の作り方、呼吸の仕方まで。
何事においてもそうなんだけれど、人より一歩遅れているんですね、きっと。
恋愛だって相手が冷めた頃に、勝手に盛りあがりはじめちゃうし。(苦笑)

気持ちいい疲労感です。
これって健康な証拠だわ。



2001年05月17日(木)



 眠り

雨音で眼がさめた。
正しくは、濡れた路面を車が走り去る音で、外は雨だと気が付いた。
低気圧が来ると気象の法則に従って、いつも軽い頭痛がする。
来月には梅雨が来るのかと思うと少々憂鬱になってしまう。

そういえば昨夜、ひとりでベットに入り暗くした部屋でひどくそわそわした。
何かが部屋の中にいる気配がしたのだ。それもはっきりと。
子供の頃、暗い部屋の中でよく空気が流れる残像を見た。
白い粒子になった空気が、動物やら幾何学やらの模様になって部屋の中を
右から左に漂うのだ。あれは子供特有の能力とか想像力だったのかもしれない。
昨夜はそれに似た体感だった。

私にとって眠りはいちばん死に近い快楽だ。




2001年05月16日(水)



 Rose Garden

会社の側に、その辺り一帯の土地を所有している大地主が住んでいる。
家も豪邸さることながら、邸宅の隣りにある広大なお庭がすばらしい。
ゴージャスな日本庭園というのじゃなくて、毎日手入れしている
野菜畑とお花畑がある。

このところ色とりどりのバラが咲き乱れ、甘い香りを漂わせている。
黒い柵の間から顔を覗かせている花がかわいらしくて、お昼休みに
こっそりデジカメで撮影。

「バラは深紅よ」というイメージがあるけれど、個人的には黄色のが好き。
「黄色いバラは嫉妬を象徴する」と何かで読んだことがあるけれど、
そんなことは別にどうでもいい。深い緑色の葉っぱに黄色はよく似合う。
それに元気になりそうな色だし。

それにしても、家賃収入でお花を育てながら優雅に老後を過ごすのもいいな。
お昼には、庭の中央にある休憩スペースで手作りのサンドイッチなんて食べながら。
というか、そもそもそんな広大な土地はどうやって持てばいいんでしょうかねぇ。





2001年05月15日(火)



 Thanks Call from...

電話が鳴る。
受話器を取る。
「もしもし」と言った瞬間に、「ごほっごほっ」と聞こえる。

もう一度「もしもし」と言うと、「あ、あたし。(ごほっごほっ)
お花(げほっげほっ)ありがとね。(うぐっ)」
どうやら数日前にネットで注文したカーネーションの鉢植えが届いたらしい。
それでもって、母はゴールデンウィーク時のわたし並に風邪をひいていたらしい。
「だいじょうぶ?」と聞くと「あとは咳だけなの(げっほっ、ごほっ)」と答えた。

すさまじいハスキーボイスは数年後の彼女の地声になっていそうなほど、
意外に板に付いていた。

それにしても会話の半分がつぶれてしまうくらいなら、
メールの方がよかったのじゃないかと思うのだが。
吉祥寺の花屋も今日はてんやわんやのご様子でした。



2001年05月14日(月)



 料理は科学である

どうか笑わないでくださいな。
今月から月に一度、お料理教室に通うことになり、今日がその初日。

一人暮らしが長かったし、入門クラスからじゃなくてもいいかなとタカをくくり、
「おそうざいの会」に入会。そしたら周囲は何年も受講している奥様方ばかりで
唖然。だって、その手際の良さといったら目を見張るものがあります。
とにかく早く、そつなく、きれい。

本日のメニューは
■厚揚げのいんろう煮
■鰹のたたき
■ささみと三ツ葉とわさび和え

すごいでしょ?おいしそうでしょ?本格的っぽいでしょ?難しそうでしょ?
(そのとおり!)「料理は気合い、調味料は目分量、味付けは日々変化」の
私にとって、計量カップやスプーンは無縁でした。

だがしかし、砂糖や塩は計量スプーン(大小あり)で、ちゃーんと1/3やら
3/4やらにより分ける。三ツ葉やいんげんは、熱湯に5秒間ひたし、
さっとあげて冷水でまた5秒間、という具合に数字の出番が多いこと。

いただいたテキストには「料理は科学である。きちんと計れば、誰でも名シェフ」
と言い切ってあるし。いやはや、ちょっと心を入れ替えて買ってみました、
計量器具を。これで私の料理の腕前があがれば安いもんです。

とはいえ、二日酔いの胃袋にこれだけの料理を詰め込むのは一苦労でした。
おまけに鰹にかけた「にんにく臭」の強烈なこと。
ドリステンのような味のブレスケア(消臭グミ)も牛乳も
無駄に終わりましたとさ。



2001年05月13日(日)



 Grown Up Christmas List

恒例になりつつある、月に一度のSometimeでのライブ
(チャカ(Vo)with西村和彦(P))に出かけた。

元PSY'S(サイズ)のチャカさんも、今年で41歳になるという。
(ちなみに私とお誕生日がおなじ)中学生の頃、何度もCDで聴いた
野太いハイトーンヴォイスは今も健在で、大阪弁のトークもお馴染みだ。

2ndステージで唄ってくれた古いクリスマスソングは、
なんだか妙に心打たれてしまった。

「子供の頃、お人形が欲しい、ゲームが欲しいとサンタさんにお願い
(クリスマス・リスト)を書いたでしょ?この歌詞は、"私はもう大人に
なりました。あれが欲しい、これが欲しいとは言いませんが、願い事は
ただひとつ。むやみに人々の命が引き裂かれてしまいませんように"
という大人のクリスマスソングなんです。」

その願い事は、私が毎年(ほぼ)無駄に、新年に神社でお賽銭を投げて
祈る内容と似ていた。私は毎年、毎年同じ願い事をする。それは今もまだ
叶えられることはない。

「世界のみんなが、幸せに暮らせますように」
この願いはいったい誰が、いつ、叶えてくれるのだろうか。
もはや、他力本願は無意味な世の中なのに。




2001年05月12日(土)



 麻疹のような5月病

眠っても眠っても寝足りない。
起きてもだるくてだるくて歩くのも億劫。
ましてや会社へ行ってパソコンに向かって仕事するのなんて、
ベットの中で羊を1000匹数えるくらい面倒でした。昨日まで。

でも、あれよあれよ不思議なもんで、今朝起きたらなんだかすっきりしている。
昨日までの体内細胞がすっかりぜんぶ入れ替わったようなんです。
身体も頭もシャキシャキ動くし、減退していた食欲も湧いてきました。
なんだったんだろ、昨日までの私。麻疹のような5月病だったのかしら。






2001年05月10日(木)



 雨じゃぶじゃぶ

久しぶりのまとまった雨ですね。
久しぶりに濡れて帰ってきました。
緑がいちだんと美しくなるんでしょうね。






2001年05月08日(火)



 依然として・・・

だらだらと微熱が続いています。
が、ゴールデン ウィークも終わっちゃったし
Back to Work, Stick to the Reality です。

まったく咳のしすぎで胸筋がおかしくなちゃいました。
ゴホッゴホッとやると、「ヒューヒュー」と嫌な音がします。

これはどういう症状なのでしょうね。
調べるのも怖いので、おとくいの「知らないフリ」をすることにしました。
だって会社の子が「それは肋骨にひびが入ってるんだよー」なんて言うんだもん。
ちなみにその子、「肋骨(ろっこつ)」を「じょこつ」と読んでいた。
どこにあるねん、その骨?




2001年05月07日(月)



 青空

ひさしぶりの青空は気持ちいい。
微熱はだらだら続いているものの、やっぱり外に出たくてうずうず。
大学時代のトモダチと会うために代官山へ向かう。

なんだかすっかりスタイリッシュな街になってしまって、
私はおのぼりさんのような気分でした。
それにしても、くしゃみと熱の次は流れ続ける鼻水と激しい咳。
「ゴホゴホ」を通り越して「ケトン、ケトン」という音を出す。
ノドが腫れてしまって、唾を飲むのもつらいっす。
日頃の行い、とか言われても、ひいちゃった風邪はしょーがないよねぇ。




2001年05月04日(金)



 悪夢、ふたたび

眼がさめたら頭の裏側が重だるい。それにノドのあたりが痛む。
それでもだましだまし会社へ行き、騙し騙し働く。
関節の痛み、発熱の息苦しさ、眼のうるみ、いちねん前といっしょ。

去年のゴールデンウィークは風邪で眠込んでいた。せっかくの休みも
うらめしくベットの中。それに今日は友人と食事して、新幹線通勤で翌日も
仕事の彼女とそのまま帰宅する予定だったのに。密室で眠るのは、
彼女にとってもリスキーなので、その旨をメールし、おとなしく食事だけする。

長い畳の廊下をしずしずと歩き、個室でいただくお豆腐の懐石料理。
鼻がほとんど利かないので、匂いの類はわからねど、舌触りのよろしい
逸品ぞろい。もちろんお酒はアウトなので、冷たいお茶を飲む。
身体が水分を欲している。

雨の中、バスを待つのもしんどくて彼女にタクシーを止めてもらう。
朦朧とした意識のまま、コンビニで巨大なポカリスエットを2本買って、
ひとりで帰宅。なんか一年前を思い出す。熱がぐんぐんあがっているようだ。

あーあ、水族館、行きたかったのに。
おとなしく缶ビールを抱いて(解熱のため)眠ります。(ぐすん)




2001年05月02日(水)



 地雷zeroムーブメント

というTBSの番組を見ていました。
地雷という武器はとても簡単な仕組みで、安価な材料で作れるわりには、
ご存知の通り除去作業には莫大な人員、費用、そしてリスクを伴う。

貧しいとされる土地に集中して地雷が埋められ、人々は生活のために
そこで暮らしている。地雷は人を殺すためでなく、兵士を負傷させ
(足や手を吹っ飛ばして)動けなくするために造られている。
それが何とも憎たらしいやり方だ。戦場は移動しても、悲劇は毎日起きている。

日本も地雷を造らないという条約に同意しているが(今は亡き小渕さん)、
アメリカなどはサインしていない。地雷を撤去する装置を開発しつつも、
相変わらずせっせと地雷を作り埋める大国たち。

あんたがたは遺伝子組み替えを研究する前に、もっとやることがあるだろ。
いたちごっこを続ける世界の未来に、絶望するのはまだ早いのだろうか。
坂本龍一という人は音楽的センスはともかく、やることはデカイし
メディアへの影響力も絶大のようだ。




2001年05月01日(火)
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