| 2002年05月19日(日) |
Le Petit Prince 星の王子さま/サン=テグジュペリ |
とっても著明なこの作品。恥ずかしながら、齢XXにして初めて手にしました。 確かにこれは長く残るだけある、と感じました。読み手に作品を通して、何かを考えさせる作品、そういったものこそが、何かを与える作品よりも受け入れられやすい(個人によって自由に解釈ができるから)のかもしれませんね。 もっと若い頃、というよりも幼い頃に読んでみたかったです。
「たいせつなことはね、目に見えないんだよ……」
サン=テグジュペリ作、内藤濯訳:Le Petit Prince 星の王子さま,p.122,岩波書店.
| 2002年05月14日(火) |
少年計数機 池袋ウエストゲートパーク�供神佚聴疥� |
あの話のシリーズ。今回も連作短編集で、表題作含めて4作が収録。 いちばん好きなのは、最後の「水のなかの目」。他の作品もそうだけど、特にこの作品は読むとやるせなくて辛くなる。けど、そういう痛みな感情も全部抱えて生きていかなきゃいけないんだな、と思いました。自分の感情から目を背けたり、それを押し隠す必要なんてないんだな、と。
おれたちはみんな自分の場所にいることしかできない。他人になることもできない。与えられた場所で、全力でなにか大切なものを守る。それ以外になにができるというのだ。
石田衣良:少年計数機 池袋ウエストゲートパーク�供�p.57,文藝春秋.
| 2002年05月13日(月) |
朽ちる散る落ちる Rot off and Drop away/森博嗣 |
Vシリーズ第9弾です。 研究所の地下密室で発見された死体。他殺も自殺も不可能な状況の中、どのようにして彼は死んだのか。 今回の話は、今までとちょっと違う感じがすごくしましたが、私だけでしょうか。こんなに登場人物が自分の背景とか内面とかを語るのって、森氏の作品では珍しいのでは。こういうことを語らせることもできるのか、と素直に感心してしまいました。このシリーズは人間関係にスポットをあてている、と氏自身が言っているだけあります。どんどん主要人物4人の関係が詰まっていますよ。本当にこのままいくと、次作でこのシリーズ終わってしまうかもしれませんね。 作中で死の価値について語られるのですが、珍しくこの考え方には納得。今までもいろいろな物事の考え方が語られていましたが、どれも「そういうのもありか」と思う程度だったのに、今回は納得。自分の考え方とやや近いかも。 ところで、ずーっと気になっている、紅子さんの息子さん"へっくん"の本名、イニシャルはS.Sらしい。これ見て"へっくん=犀川創平"説が再びかなりの勢いで浮上したのですが…。シリーズ完結までには明かされるのでしょうか。今回が、時系列的には、おそらく「六人の超音波科学者」の後に続く話なだけに、前作「捩れ屋敷の利鈍」の時系列が微妙にトリックっぽいですよね。そう考えるとますます"へっくん=犀川創平"説が怪しいのですが、ちゃんと両シリーズ読み返していけば、真偽の程がわかるのかもしれません(今はできませんが、いつかしてやる)。
「人間なんてね、いつも死にかけているんだよ」(略) 「生きていることが、つまり、死にかけている状態なんだから」
森博嗣:朽ちる散る落ちる Rot off and Drop away,p.41,講談社.
| 2002年05月11日(土) |
月曜日の水玉模様/加納朋子 |
すっきりで気持ちのいい短編集でした。表紙のデザインもよいし、なにより連作短編のタイトルがセンスいい。 「月曜日の水玉模様」に始まって、「火曜日の〜」「水曜日の〜」と「日曜日の〜」まで続く。その〜の部分の頭文字を繋げると”みずたまもよう”になる。はぁ〜センスいいなぁ。 ストーリィも日常のミステリみたいなかんじで読みやすいし、何より一般職(本当はこんなふうに括るのは間違いですが)のいわゆるOLさんたちの日常を垣間見たような気分になりました。
たとえいくつになったところで、人の心が迷いやすいことに変わりはない。 誰もがみな、雑踏の迷子なのだ。
加納朋子:月曜日の水玉模様,p.146,集英社.
| 2002年05月02日(木) |
美しい子ども/石田衣良 |
あまりに重い話で考え込んでしまい、2週間もかけて読みました。薄い文庫なのに。 この話、事件後に焦点を当てているが、その事件の犯人っていうのは最初から読者にもわかっている。本の帯に”弟は、なぜ殺したんだろう?”ってコピーがあるから。そのコピーのとおり、主人公は自分の弟「夜の王子」がなぜ殺人を犯したのかを探っていく。 読んでいるとすぐに気づくのですが、この話はあの神戸の事件をモチーフにしている。5年前のあの事件、私は当然マスコミを通してしかその情報を得ることはできなくて、つまりその情報はマスコミによって、事実に何らかの加工が成されて、良く言えば研磨、悪く言えば歪曲されたもので。そんなことに私は気づくこともなく、踊らされていたってわけです。(まあそんなにこの事件に熱くなっていたわけではありませんでしたが。)マスコミって、何を目的として、情報を伝達しているのでしょうか。その姿勢って、あまり見えませんよね。でも、情報に踊らされているからといって、情報を流すマスコミだけに責任があるのではなく、受ける側にも情報の中から事実を見極め操られない力が必要になるでしょう。 事件がある限り、そこには被害者と加害者だけではなく、それぞれの家族、それぞれの住む地域がある。事件はそれらの広い範囲に、何らかの生活の変化を強いる。でも事件をおこす加害者だけが特別なのではなく、誰の中にも「夜の王子」がいる。その「夜の王子」を自ら見失なったとき、人は加害者になってしまうのかもしれない。本人が理解できなくなった「夜の王子」でも、誰かか本人に代わって、その存在を認めることができたら、理解することができたら、事件はおこらないのかもしれない。 石田氏の本を読むのは2作目ですが、氏の書くものって、決して後味すっきりとは言えない。読後には、やるせなさと無力感を感じてしまう。そして、自分の立っている場所のもろさに気づいてしまうんですよね。
「弟にも誰かがそばにいてやらなきゃいけない。誰かわかってやる人がいなくちゃって思って。殺人犯を相手にそんなことを考えるのはおかしいんでしょうか。だけどあいつはぼくの弟なんです」
石田衣良:美しい子ども,p.138,文藝春秋.
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