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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2011年08月22日(月)
Vol.782 あの夏の恩返し

おはようございます。りょうちんです。

俺が初めてのひとり旅をするにあたって東北一周を選んだ理由は、気仙沼に里帰り中の友人Jちゃんの実家に立ち寄らせてもらうためというのもあったからだ。今から19年前の8月、ちょうど二十歳だった俺は気仙沼にいた。
ケータイ電話もなかった当時、不安だらけの俺が気仙沼の駅を降りると、Jちゃんと彼女のお母さんが車で迎えに来てくれていた。すでに到着していた他の友人とともにそれからの2日間、俺らは盛大なおもてなしを受ける。新鮮なお刺身などの豪華な夕食のあと、小さな居酒屋を営んでいる彼女のお母さんに閉店後のお店に招待してもらい貸し切りでカラオケパーティー。翌日はJちゃんや彼女の妹と一緒に気仙沼大島の観光も堪能して、夜は浜辺で地元の方々とともにBBQ。ご好意で2泊も彼女のご実家に宿泊させてもらったにもかかわらず、帰りは仙台までの長距離を車で送っていただいた。気仙沼で最高のスタートを切った俺は、だからこそ最後まで順調に初めてのみちのくひとり旅ができたのだと確信している。それからも何度か俺の自宅に新鮮な魚介類を郵送してもらったりして、Jちゃんのご家族や気仙沼の方々にはココロの底から本当にお世話になった。
だから、俺にとって気仙沼という街はその時たった一度しか訪れたことはないが、ちょっと思い入れのある場所だったりする。東日本大震災で、気仙沼も津波や大規模な火災で大きな被害を受けたとニュースを聞いた。Jちゃんのご家族やあの時お世話になった方々がどうだったのかずっと心配していたが、久しぶりに彼女たちの近況が入ってきた。気仙沼にひとりで住んでいたJちゃんのお母さんと連絡が取れたのは、震災から4日後。幸い命は無事だったが、自宅は津波で壊滅。今では仮設住宅で暮らしているそうだ。上京したJちゃんも彼女の妹も片付けや諸々の手続きのため何度も気仙沼に戻り、大変なのはこれからも当分続くだろうとのことだ。
2度目の災害ボランティアから帰ってきた相方が、まだまだ瓦礫の山が残ってたと話してくれた。お世話になったあの夏の恩返しを、俺も今こそしたいと強く思う。



2011年08月19日(金)
Vol.781 タフなカラダで

おはようございます。りょうちんです。

夏になると山に登る。恒例となった夏登山も、気づけば今年で7回目を迎えた。富士山や八ヶ岳や日光男体山とかに登ったよと言うと、結構本格的な登山なんだねなんて返されるから、もう胸を張って趣味と言えるだろう。そして今年のターゲットは尾瀬の最高峰である燧ケ岳。ちなみに福島県に位置する燧ケ岳は東北地方の最高峰でもあるので、ここを制すれば東北地方を制したと言っても過言ではない。
8月最初の週末。無理矢理連休を取って、ほとんど寝ないで尾瀬へと向かう。初日はあまり高低差のない尾瀬の湿地帯を歩き体力温存。それでも一日で20Km近くを歩き、結構疲労感を感じて夕方着いた山小屋で一泊。でも本当の戦いは2日目。早朝に山小屋を出発し、目指すは朝霧の中にそびえる標高2356mの燧ケ岳。午前中いっぱい使って、ひたすら山道を登る。先日の大雨で荒れた道なき道は静かに続き、カラダよりも大きな岩がごろごろと転がる。悪戦苦闘しながらひとつひとつ岩を越えること5時間、汗と泥にまみれてやっとのことで800mの壁を登りきり頂上に着いた。頂上での滞在時間はわずか45分。おにぎりを食べて下界を見下ろして、一瞬の至福を味わう。別ルートを選んだ下山道も岩だらけの道。1100mを7時間かけて下り、駐車場に着いた時はすでに夕闇だった。
2日間で約40Kmの距離を歩き、かつ2日目は800m登り、1100m下る。そしてそのまま帰路につき、翌日はわずかな睡眠のあと仕事に向かう。言わずもがな疲労困憊満身創痍で、カラダのいたる部分が痛くてたまらない。仕事中は涼しい顔して「山登りは楽しかったよ!」なんて笑ってみせるけど、本当は一刻も早くカラダを休めたい気持ちなのだ。タフなカラダでなきゃ、正直やってられないと自分でも思う。
でもこんなこと、7年も続けて毎年やっている俺がいる。登山中は苦しくてくじけそうになる時もあるし、帰ってくれば過度な疲労を感じながら仕事に励む。登山なんて何が楽しいのか上手く説明できないけれど、こればかりはやった者しかわからないと思う。過酷な山登りだと承知の上で、来年登る山を俺らは探し始めている。