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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2008年04月24日(木)
Vol.718 ドクロの呪い

おはようございます。りょうちんです。

科学で解明できないことは世の中にたくさんある。だがそれを簡単に霊現象だのスピリチュアルだので片付けるのもどうかと思う。いつだったか、4人に3人が前世の存在を信じているなんてデータを知って、相方とともにひどく驚いたが。よく考えてみたら、夜中に口笛を吹くと蛇が来るとか、霊柩車を見たら親指を隠さないと親の死に目に会えないとか、赤で自分の名前を書くと悪いことが起こるとか、そんな根拠のないくだらない迷信を俺も疑いながらも信じて守っていたりするのだ。
パートのSさんが、店にたくさんのボールペンを寄贈してくれた。なんでも知り合いにボールペン集めが趣味だという人がいるんだそうで、いただいたボールペンは宇宙人の形をしていたりノックするところが妖精だったり、そのすべてがちょっと変わったキャラクターボールペンなのだ。たしかに実用的なものばかりではないのだが、善意で持ってきてくれたものなのでありがたく使わせてもらうことにした。
その中のひとつに、グリップの部分がミイラのものがあった。首から上の顔の部分がガイコツになっていて見るからに気持ちの良い代物ではなかったが、転がりにくく書き味も良かったので俺はミイラのボールペンをかなり気に入って使っていた。ところが先日、そのボールペンをうっかり床に落としてしまった。すると首から上の部分だけ、つまりガイコツの部分だけがきれいにぽっきり折れてしまったのだ。もっと簡単に折れそうな部分は他にもあるのに、どうして首の部分だけがこんなにきれいに折れてしまったのか。手のひらに乗せたガイコツを一生懸命首につなごうと努力したが、一度折れてしまったガイコツはもう元には戻らなかった。
首から先がないミイラと不気味に微笑むガイコツを見たMさんは、「なんか良くないことが起こるんじゃないですか〜?」なんて笑いながら言う。たしかにものがものだけに、やっぱり縁起が悪いよなぁと俺も思う。もしも俺が事故に巻き込まれたり不吉なことが身に降りかかってきたら、このドクロの呪いだと確信しよう。そんなことを考えつつ、今日も俺は幸せな一日を終えようとしている。



2008年04月18日(金)
Vol.717 ひと肌脱ごう

おはようございます。りょうちんです。

俺は父のあとを継いで床屋になるという道を選ばなかった。でももしも資格と技術を持っていたならば、今すぐにでも転職して理容師として父と同じ仕事をして生きていきたい。去年、我が家の店の歴史を調べていくにつれて、俺はそんな思いがどんどん強くなっていった。俺が床屋ならこんなアイデアを取り入れたいとかこんなやり方で店を繁盛させたいとかさまざまな夢が膨らむ一方で、だがそんな簡単な話でないことは百も承知だった。まったくの素人が理容師の資格と一人前の技術を手にするだけでも少なくとも数年間という時間が必要で、「まだ遅くはないよ!」なんて助言してくれる人もいたが、今の俺にはすでに厳しい選択肢に違いなかった。
この春、離れて暮らしていたすぐ下の弟が戻ってきて、実家を拠点に新しいビジネスを始めることになった。そう言うと聞こえは良いが、簡単に言えば理容師として新たな事業をスタートしたのだ。元来弟は、父の背中を追って実家の跡取りとなる予定だった。理容師の資格もとっくの昔に持っているし、専門学校卒業後は修行の身として何年も他の店で働いていた。しかし、過疎が進み高齢者ばかり集まる田舎の実家に戻ってきてしまうと、自分の腕も上達しなければ将来的に商売として見通しが明るいとは思えない。そんな理由から弟は理容師の道は選んだが、実家であとを継ぐことは頑なに拒んでいたのだ。残念だが、弟の言い分はわかる。俺が弟でも同じ考え方だろう。だからこそ弟の代わりに長男である俺が父のあとを継いで、実家で床屋をやっていかなきゃという使命感を感じていたのだ。
ところがひょんなことに、その弟が戻ってきて実家で床屋を営むことになった。話を聞くと、俺が漠然と考えていたさまざまなアイデアを100倍も緻密に練りこんだプランをすでに持っていて、徐々に実行もしている。自分なりのやり方で新しいビジネスとしてこの仕事をしていきたいと、熱く信念を語った。これは本気だ。想像だけで夢を描いていた俺と違い、弟は生きていく手段としてこの道を選んだのだ。
気がつけば、なんだか怖いくらい上手く話が進んでいる。これからいくつも壁が待ち受けているに違いないが、弟の一念発起に俺もひと肌脱ごうとココロに決めた。



2008年04月17日(木)
Vol.716 72歳の未来予想図

おはようございます。りょうちんです。

今月の初め、俺は誕生日を迎えた。おめでとう、俺。36歳なんてもう手放しで喜べる歳じゃないけど。俺の誕生日を忘れないでちゃんとお祝いのメールをくれた人たちも、誕生会をサプライズで開いて俺を驚かせてくれた人たちも。みんなみんな、ココロからどうもありがとう! この場を借りて感謝します。だから誕生日って、やっぱりいくつになってもうれしいんだよな。
さて、俺、36歳になったわけだが。来年も今年と同じように穏やかな誕生日を迎えられているかどうかは、正直わからない。世の中はめまぐるしく変わっているし、俺自身も常に変化をし続けている。明日の自分さえどういう状況か予測不可能なのに、来年の自分なんてどうなっていることやら。将来のビジョンが全然ないわけじゃないが、例えば10年前の俺が今の俺をまったく想像できなかったように、10年先の未来ともなるとほとんど絵空事なのだ。だったら。今の歳の倍、もう36年たった72歳になった俺を無理やり想像してみよう思う。2044年、72歳の俺はどんな俺か?
まず、思ったよりも結構元気だろうな。ちょっと前までは俺は早死にしちゃうだろうなんて考えてたけど、高齢化社会がさらに進み元気なお年寄りがたくさん存在する中で、俺もそこそこ丈夫なカラダで元気でやってると思う。ひとつふたつの持病くらいはあるかもしれないけど。さすがに仕事はもうやってないかな。でも家でじっとしてはいないと思うので、何かボランティア的なことをやって活動しているかも。趣味は今以上に増えちゃうのは仕方ない。この性格はもう直せないだろうからね。今はまったく興味ないことに熱中している可能性は大だな。相方とのふたり暮らしは続けているとは思うけど、今住んでいるこの家にはいないな。でも地元の千葉は離れたくないからこの近くにはいたいけど、相方の実家ってことも考えられるなぁ。まぁなんだかんだ言っても、ハッピーな72歳であってほしいと願いたい。
さぁ、36歳の俺が描いた72歳の未来予想図は、どれだけ実現しているのだろうか。72歳になった俺が笑いながらこのひとりごとを眺めている姿が、目に浮かぶ。



2008年04月16日(水)
Vol.715 はじまりの季節

おはようございます。りょうちんです。

なんだか最近、俺のまわりがざわついている。それはけして悪い意味ではなく、いろんなことやものや人がそれぞれ何かを新しく始めつつあるのを、なんとなく感じるのだ。冬の間は寒さをこらえてじっとしていた木々が、春の暖かなひざしを浴びて一気に芽吹き花が咲くように。俺のまわりでも、あらゆることがここ最近で急激に変わりつつあるように思えてしまう。そうだ、春ははじまりの季節なのだ。
考えてみれば、今月に入ってから俺は一時的に仕事が忙しくなった。おまけに寒い時には引かなかった風邪を、桜が咲く頃に見事に引いてしまった。自分自身があわただしかったせいで、本来は外に目を向ける余裕なんてなかったかもしれないのに。気がつけば、いろんな変化が俺のココロを刺激した。
学生生活にピリオドを打ち、新社会人として働き出した人。生まれて初めての本当の恋に出会い、毎日ドキドキが止まらない人。新たな資格を取るために、問題集を買って勉強し始めた人。専業主婦を卒業して、久しぶりにパートとして働くことを決めた人。新しいビジネスをスタートするために、休みなく奔走する人。カタチや方法は違っても、彼ら全部が俺の身近に存在するこの春に何かを始めようとしている人たちだ。ベランダのドアを開けると、プランターにはイチゴの新芽がところ狭しと風に揺れている。高校野球も春季大会がスタートした。俺のまわりに訪れているいろんな変化に影響されて、俺も何かをはじめたくてどうしようもない。そんな衝動に今、俺はかられている。
やりたいことは山のようにある。以前に比べれば、時間的にも余裕が持てるようになった。モチベーションの高さは問題ない。あとは何をはじめるかを良く吟味して、タイミングを見極めるだけのことだ。不安や心配がないわけじゃないけれど、そんなこと今は考えなくていい。この春に蒔いた種がどんなふうに大きく育ちどんな花が咲き実を結ぶのか、今はまだわからないが。その答えがいつかわかる時まで、この胸のざわめきは止まらないのだ。