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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2005年10月22日(土)
Vol.622 秘境の温泉

おはようございます。りょうちんです。

大学4年の秋、ふいに日本海が見たくなった。九十九里の海は毎年見るのに、それまで日本海を見たことが実はなかったのだ。突然の思いつきから簡単な荷物だけを車に積めこむと、俺は17号線を北へ北へと進んでいった。早朝に家を出た俺の車は途中何度かの休憩を取りながら、すっかり日も暮れた頃に新潟県の柏崎に着いた。漆黒の闇に広がる夜の日本海はその時はよくわからなかったのだが、一夜明けると朝日に照らされて眩しく輝いていた。遥か向こうには佐渡島も見える。気持ちのいい海風の中、ひとりで俺は朝の海岸で穏やかな波の音を静かに聞いていた。
さて。目標を達成した俺は、帰り道はどのルートを取ろうかと考えた。同じ道を辿るのはつまらない。時間はまだたっぷりある。急ぐ必要はないのだ。せっかくの遠出を存分に楽しみたい。それなら温泉巡りをしながら帰ることにしよう。そう決めた俺は日本海沿いの国道を離れ、次の目標を点在するいくつかの山あいの温泉地に定めて、今度はゆっくりと南下することにした。やがて山間部に進むにつれ標高が上がってくると、次第に窓の外の木々たちは色づきはじめた。まさにちょうど、秋の紅葉シーズン。車を止めて思わず見入ってしまうほど鮮やかに色づいた景色が、カーブを切るたびに目に入ってくる。来る時に通った三国峠の紅葉もすばらしかったけれど、山奥でひとり占めできる絶景にはかなわないと思った。
いくつめの温泉地だったろうか。車を止めて数十分も歩かなければ辿り着かない秘境に、その温泉はひっそりとあった。そこから見る景色は、すばらしすぎて思わずコトバを失った。見渡す限り赤や黄色に彩った木々は、遠くの麓まできれいなグラデーションで広がっている。誰もいない露天風呂はかなりぬるく、長時間絶景を眺めるのに最適だった。あとで調べると、雪が降るとそこは閉鎖してしまう温泉だそうで、俺が訪れた時は冬が来る前の最後のシーズンだったことが判明した。
またあの紅葉を見に秘境の温泉を訪れたい。10月の終わりになると、毎年そう思うのだが。今年も夢は叶わないまま、あの温泉地は雪の季節を迎えてしまうようだ。



2005年10月21日(金)
Vol.621 チケットゲット大作戦

おはようございます。りょうちんです。

先週、リーグ優勝を賭けたホークスとの決戦をパブリックビューイングで応援した俺は、その後さらにマリーンズ熱が上がってしまった。そしてまさに今、リーグ優勝を決めて千葉全体がマリーンズカラー一色に染められている中で、ヒートアップした俺の気持ちもけして冷めることを知らず、なおも熱は上がるばかりである。
ここまで来たら、日本シリーズもぜひ生で観戦したい。しかも対戦相手はタイガースなのだ。なんとも魅力的な敵陣ではないか。マリーンズもタイガースも、ともに両リーグの最弱チームなんて言われた時代もあったあの頃、誰がこの戦いを予測できただろう。ゲームの行方はもちろん、最もコアで熱狂的なファンがいると言われている両チームの応援も、絶対にはずせないところだ。しかも決戦の場所は、すぐ近くのマリンスタジアム。これはもう、仕事を放ってでも観戦する価値がある。
しかし残念なことに、チケットの先行販売はすでに終わっている。一般販売は、きっとものすごい倍率になるに違いない。でも仕方ない。相方にも手伝ってもらい、俺のパソコンとケータイ、相方のパソコンとケータイ、それに家の電話の計5つのアイテムをフルに使って、いよいよチケットゲット大作戦は繰り広げられた。
早起きして、販売開始数分前からアクセススタート。すでにパソコンは繋がりにくくなってるし、電話も回線が混み合っているとの音声が流れてくる。それでもあきらめず何度もアクセス。繋がることを祈りながら、イライラした気持ちを抑えつつ手だけは忙しく動かしていた。だけどやっぱり繋がらない。きっと数え切れない多くの人が俺らと同じことを、今同時におこなっているんだ。負けてられない。「ただ今混み合っております。しばらくたってからお掛け直しください」のアナウンスに、「しばらくたってからじゃ売りきれちゃうんだよー」なんてツッコミをいれつつも、格闘は1時間続いた。そして、「すべての販売を終了致しました…」のひとことで、俺らの敗北があえなく決定。撃沈。チケットゲット大作戦は、見事に失敗に終わった。あーもう、明日から始まる日本シリーズ、見に行きたかったのにな!



2005年10月17日(月)
Vol.620 激しく転倒

おはようございます。りょうちんです。

朝から降り続いている雨が激しさを増した真夜中過ぎ。残っていた仕事をどうにか終わらせて、一刻も早く帰路に着こうと俺は急いでいた。とにかく早く帰りたかった。日付はもうとっくに変わっている。疲れだって限界を超えていたし、おなかもすっかりへってしまった。
誰もいない店に鍵をかけ、店の前にある数段の階段を下りきったところで事件は起きた。最後の段を踏み込んだ時、俺のカラダが勢いよく宙に舞った。雨でぬれてたせいで、滑ってしまったのだ。「危ない!」と思った時にはもう遅かった。勢いをつけて階段を下りていったところで足元をすくわれた俺は、そのまま激しく転倒。見事に転ぶとはこういうことを言うのだろう。絵に描いたように転倒した俺は、幸い頭は打たずに済んだのだが、左の腕は擦りむいて血がにじみ、階段の段差に背中と腰をこれでもかというほど強く打ちつけたのだ。あまりの痛みに、しばらく身動きが取れない俺。どういうわけか声も出ない。そのまま真夜中の階段で仰向けに倒れている間、落ちてくる10月の冷たい雨は容赦なく俺のカラダに降り注いだ。
やっとのことで家に着いてからも、痛みはすぐには消えなかった。左腕の擦り傷は大したことはなかったが、強打した背中と腰の痛みはむしろ時間がたつほどに増していった。打ち身とはそういうものだ。カラダを動かすだけで激しい痛みが走り、寝ている時もちょっと寝返りを打つだけで痛かった。「いてててて!」と、無意識のうちにそんなコトバが出てきてしまったが、もうどうすることもできなかった。
もしかしたら骨でも折れたかと大げさに考えたのだが、牛乳好きな俺の骨は案外頑丈だったようで、骨折はしていなかったようだ。青あざくらいできるだろうという覚悟もしていたが、それもないまま3日もすれば次第に痛みからも開放された。
今、ヘルニアを患ってとてつもない痛みと毎日戦っている友人がいる。七転八倒する彼の苦痛に比べたら、俺の痛みなんてなんでもないのかもしれない。だけど、痛みを感じている本人しか、その本当の痛みはわからないものなのだ。



2005年10月15日(土)
Vol.619 パブリックビューイング

おはようございます。りょうちんです。

地元千葉をこよなく愛する俺であるからして、ロッテマリーンズが31年ぶりの優勝に王手をかけたなんてニュースを聞きつけたら、もうじっとしてはいられない。高校野球にはバカがつくくらいのめりこんでいる俺なのに、その一方でプロ野球にはあんまり興味がなかったけれど。でもここで地元チームを応援せずにいたら、バチが当たる。長い間熱狂的にマリーンズを応援し続けているコアなファンには申し訳ないが、この際俺も優勝した時の喜びを分かち合いたい。
パ・リーグプレーオフ第2ステージは、リーグ優勝をかけてマリーンズとホークスが連日福岡ドームで熱い戦いを繰り広げている真っ最中。その第3戦が今日おこなわれた。福岡まではさすがに行けないが、マリンスタジアムではバブリックビューイングが開催されるとのことで、仕事の休みを利用してさっそく俺も参加してみることにした。
昼過ぎには幕張入りして、遅目のランチを済ませたあとでマリンスタジアムに到着。試合開始まではまだたっぷり時間があるのに、すでにスタジアムに入るのに長蛇ができていた。試合開始とともに降り始めた雨の中、大きなビジョンに映し出された福岡からの中継を見ながら、俺らの応援は大騒ぎ。実際生で試合観戦ってわけじゃないけれど、DJの演出とかマリーンズキャラクターやチアリーダーのダンスがあったりして、ショー的な要素が盛りだくさん。やっぱりそこは高校野球とは全然違うところ。雨でぬれちゃったけれど、参加できたことがすごく楽しかった。
さて試合の行方は。2連勝しているマリーンズの勢いは止まらず、最初から負ける気のしない展開。打線好調で3回と8回にそれぞれ2点を入れ、9回表終わって4-0でリード。誰もが勝利を確信したんだけれど。しかしその裏、一気に4点を入れられ同点に。そして延長10回でまさかの逆転負け。気持ちはすでにすっかり勝ったつもりでいたのに、世の中そうすべて上手くはいかないみたい。
でも明日か明後日のどちらか勝てばいいんだし。幕張で優勝パレード、見たいな。



2005年10月11日(火)
Vol.618 残されたもの

おはようございます。りょうちんです。

中学時代の同級生、Kくんのお父さんが亡くなった。亡くなる前日までは全然元気でいたのに、突然倒れてそのまま帰らぬ人になったらしい。50代半ばで命を終えるにはまだ早過ぎると、誰もが彼の死を悲しんだそうだ。父の死の知らせを聞いて、今は都内でコックさんとして一人前に働いているKくんもあわてて千葉に戻ってきた。同じく今は家を出て暮らしているKくんの弟とともに、悲しみに暮れる母親を支えながらひっそりと告別式はおこなわれたそうだ。
と、ここまでならよくある話だ。幸い俺の両親はまだ生きているが、すでに親を失った友達はたくさんいる。しかし俺が気になったのは、Kくんのお父さんはものすごいものを残して亡くなってしまったということなのだ。
Kくんの家は、牧場を営んでいた。乳牛として飼育している牛がKくんの家には何十頭もいて、毎日牛たちの面倒を見るのがKくんのお父さんの仕事だった。だがこの仕事というのがえらく大変で、一日たりとも休めないんだそうだ。だから泊りがけで旅行に行くのも無理らしいのだ。飼っている牛はペットじゃない。生活していくために必要な道具なのだ。それゆえに手を抜くなんてできなかったのだろう。牛にしてみれば、毎日ちゃんと世話を焼いてくれなくては生きていけないのだから。
しかし、その世話をしてくれる人が突然亡くなってしまった。息子のKくんもKくんの弟も父のあとを継ぐ意志はなかったようで、すでに県外で別の仕事をしながら暮らしている。残されたものは何十頭もの牛。でも牛の面倒を見る人は、もういない。さて、これらの牛をどうすべきか。結局、牛たちは知り合いの別の牧場へと告別式も早々にもらわれていったそうだ。どうにか一件落着には収まったが、残された方もどうしていいか途方に暮れたに違いない。
もしも。もしも俺の父が突然死んだら。父が死んでも、さすがに俺らの元に牛は残らないけれど。父がいつも念入りに手入れしているハサミなどの商売道具は、いったいどうしたらいいのだろうかと、ちょっとだけ不安になった。



2005年10月10日(月)
Vol.617 否定しない男

おはようございます。りょうちんです。

一大決心をココロに決めた友人が、最後の最後で迷っていた。ホントにこの選択は正しいのか、自分で決めた道を貫いてやっていけるのか。そんな不安でどうしようもない内心を、俺に相談してきた。俺は、「正しいも何もそこまで考えて出した決断なら、あとは一生懸命やるしかない。がんばれ!」と、彼の決断にエールを送った。しかし、彼は言った。「りょうちんさんは、いつも否定しないですよね…」。
そのコトバを聞いて、俺は一瞬はっとした。確かに振り返ってみると、俺は人の意見を否定したことがあまりない。意識して否定してこなかったわけじゃないが、否定しないということは相手の意見に賛同して「がんばれ」とか「応援するよ」とか言ってるだけで、自分の意見をぶつけていないことになる。否定するよりも賛同する方がラクだから、極端にいえば相談事を聞いているふりをしながら本当はあまり考えもしないで逃げていると思われても仕方ない。そんな考えが、俺の頭をよぎったのだが。でもよく考えてみると、そうじゃないことがすぐに説明できた。
そもそも相談をするということは、悩み迷いさんざん考えた末にするはずだ。そしてそこまで考えて決めた決断なら、答えはすでに出ているに違いない。だから相談された段階で俺にできるのは、その選択が正しいか正しくないかの判断じゃなく、決断を実行に移すための最後の後押し。「がんばれ!」と背中を押してあげることしか、もう俺にはできないのだ。たとえその段階で俺が否定したとして決断が揺らぐようなら、まだまだ悩み迷いもっと考えるべきだと思う。決めるのも実行するのも、最終的には本人次第なのだ。また仮に決断をした理由がくだらない理由だとしたら。「なんとなく」とか「みんなそうだから」とかいう理由で決断をしたのなら、俺も最初から否定するだろう。自分の意志をしっかり持った上での決断でなければ、俺だってけして賛同はしないし簡単に「がんばれ!」なんて言わない。
だから俺はこれからも、相談されても今までのように自信を持って否定しない男でいたいと思う。ただし、上に書いたような条件が整った場合のみの話ではあるが。



2005年10月09日(日)
Vol.616 俺に合わない街

おはようございます。りょうちんです。

千葉に生まれ千葉に育った俺だが、2回ほど千葉県外に住んだことがある。どちらも関東圏ではあるが、大学入学時と就職時に俺は長年住んだ千葉を離れて、それぞれ2年という短い期間だったが、地元とは違う街で過ごした。
移り住んだ街はずっと住み慣れた地元の環境とは違い、それぞれにそれぞれの特色があったのだけれど。正直言って、俺に合わない街もあった。上手くは説明できないのだが、居心地が良くないというか、なんだか住んでいてしっくりこない街だった。家は駅からも近かったし、都内に出るのも乗り換えはいらなかったし、近くには公園や大きなデパートもあって、世間一般的には生活するにはとても便利な街だと言われているのだが。俺はいつだってその街の中でお呼ばれをしたお客様のような存在で、街からひとりだけ浮いている気がしていた。たぶん、その街の波長と俺の波長が合わなかったのだろう。街になじもうと努力はしてみるのだけれど、それでも空回りばかりが続き、いつのまにか変な気疲れを覚えてしまう街だった。
それでも2年も住めば知らずにその街に自分がとけこんでいっていたようで、どうにかだんだんと「住めば都」と思えるくらいにはなってきたのだが。人生の流れの中で再び俺は千葉に帰ることになり、地元に戻ってからあの街のことを改めて思い出すと、やっぱりあの街は俺には合わなかったんだなとつくづく思えるのだった。
横浜に住んでいた俺の友人が、訳あって今月から遠方に住むことになった。引っ越しが多い彼はすでに全国各地いろんなところに住んだ経験があるらしいのだが、なんだか今回の引っ越しはあんまり気が乗らないようだった。今まで住んでいたところがとても気に入った街だったらしく、そこを離れるのが残念でならないという。新しい街もきっと住めば都だからと俺は彼を送ったが、すでに先週から新しい生活を始めた彼にとって、新しい街が住みやすい街であることを願う。



2005年10月07日(金)
Vol.615 ニュースを見極めて

おはようございます。りょうちんです。

過去10日間で起こったニュース、あなたはいくつ思い出せますか?
ペルーから帰国した相方を空港まで迎えに行った帰り道、車の中でされた質問。「で、日本にいなかった10日間、どんなニュースがあったの?」。そんなとっさの質問に、即答できなかった俺。今朝のトップニュースはすぐに出てきたけれど、それ以外ですぐに頭に浮かんだのは、ワイドショーで取り上げそうなくだらない芸能ネタやどうでもいいような小さなニュースばかり。忙しかった日々の中でもそれなりに世間のニュースはちゃんと追っていたつもりだったのに、最近どんなニュースがあったのかといざ聞かれると、なかなか思い出すことができなかった。
運転しながら、時間がたつにつれて次第に過去のニュースを思い出してはきたのだが。俺の場合、社会・芸能・スポーツの分野においてはそれなりに思い出せた半面、政治・経済の分野ではあんまり思い出せないことが判明した。俺の得意分野と不得意分野があきらかになったわけだ。
それにしても。毎日数えきれないほどのいろんなニュースが俺のまわりを通りすぎていき、そのほとんどの命は本当にはかないものなんだとつくづく思った。一生懸命世間から取り残されないようにあらゆるニュースを追っているつもりでいても、必要な時にすぐに必要な情報を思い出せないということは、やっぱり情報としてのニュースが多すぎて、自分の中で取捨選択が上手にできていないということなのかもしれない。それだけ今の日本は情報量が多すぎて、俺もいらない情報まで過剰に取り入れてしまっている傾向にあるのだ。
俺の知らないことはまだまだたくさんある。いろんなことを知りたいのは山々だけど、でも知っておかなくちゃいけないこともまだまだたくさんある。たくさんの情報の中、インチキな情報には躍らされないで、どれが自分に本当に必要な情報なのかをしっかりセレクトしながら、じっくりニュースを見極めていきたい。そうすれば、自分がしなくてはならないことが自ずと見えてくるに違いないと、俺は思う。



2005年10月04日(火)
Vol.614 寝る子は育つ

おはようございます。りょうちんです。

先週末はめちゃめちゃハードだった。仕事はただでさえ人手不足な上に大きな予約が入ったりしてとてつもなく忙しかったし、その合間を縫って高校野球観戦に行ったりペルーから帰国する相方を空港まで迎えに行ったり。そんなこんなで、睡眠時間が3時間ちょっとしか取れない日が数日間続いた。おかげで、日曜日は仕事中にもかかわらず油断すると何度も意識が遠のくほどだった。
へとへとで帰宅した俺は、空腹だったのだがもう何も作る気にはなれず、非常食として冷凍してあったお餅をオーブンに入れた。そしてお餅が焼けるまで、5分だけ横になろうと思ったのが最後だった。横になった俺は、瞬く間に深い眠りに落ちた。もともと食欲よりも睡眠欲を優先する俺である。どんなにおなかがすいていたって、睡魔にはかなわない体質なのだ。そのまま俺はオーブンのタイマーの音にも、相方が仕事から帰ってきた気配にも気づかずに眠り続けた。
気がついた時は、すでに翌日の昼過ぎ。相方は仕事に行ってもういなかった。途中一度も起きることなく、トイレに行くことも何かを食べることもないまま、延々と俺は眠り続けた。時間にして16時間。ケータイの目覚ましでやっと意識を取り戻した俺は、それでもまだ眠くて仕方なかったのだが、仕事に行く時間が迫っていたのでやむなく起きるしかなかった。
久しぶりにこんなに眠った。でもそのあとに仕事の予定がなければ、きっともっと眠ってたに違いない。疲れ切っていた俺は、眠っても眠っても眠り足りない状態だったのだ。でも俺がまだ学生だった頃、27時間眠り続けた経験がある。若気の至りというのだろうか、バイトやら遊びやらでほとんど徹夜で行動したあと、その反動でそれから一気に眠り続けた俺だった。むちゃくちゃやってたあの頃はそんなことをする時間もたっぷりあったんだなとうらやましく思う反面、もうその記録を塗り替えることもないだろうと思う。それにしても。「寝る子は育つ」とは言うが、あんなに眠り続けた俺なのに、実際はあんまり育たなかった事実が腑に落ちない。