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りょうちんのひとりごと
りょうちん
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2005年09月29日(木)
Vol.613 俺がどんなに心配したって

おはようございます。りょうちんです。

ペルーという国で、今、初めての海外ひとり旅をしている相方は、強がっていてもホントは不安だらけに違いない。でも俺だって、そんな相方が心配だったりする。
出発の直前まで、相方はばたばたしていた。もちろん突然決めた旅行だから仕方ないのかもしれないが、旅立つまでにやらなくちゃならない大事なことがあったようで、荷物をまとめるのも出発当日だった。朝からせわしない相方を横目に、数日前まではのんびりしていたんだから早く準備しとけばいいのに、と俺は思っていた。
口にはしなかったけど、相方の不安は俺には良くわかった。だから俺は車で成田まで送ってあげることにしたのだが。家を出てからも、上着のパーカーを忘れただのガイドブックを忘れただの言い出して、俺は相方を空港で降ろしたあと再度家まで忘れ物を取りに行くことになり、仕事前なのに成田まで2往復する羽目になった。再び訪れた空港ロビーで忘れ物を渡し、俺は不機嫌なまま別れたのだけれど。やっぱり心配になってこっそり相方を見ていた。雑踏の中、タイムリミットギリギリで搭乗ゲートに駆け込む相方の背中越しに、「行ってらっしゃい!」と声をかけたけど、すでにいっぱいいっぱいの相方の耳には届いてなかったんだろうな。
ペルーについてまもなく、相方から国際電話があった。日本語も英語もまったく通じなくて、テレホンカードを買うのに半日かかったと泣きそうになっていた。おまけに長袖シャツも忘れていったらしい。振り返ると、ソファーの上に長袖シャツが置いてあった。明け方には0℃近くまで冷え込むらしいのに、忘れそうになりながらもかろうじて持っていったパーカーだけで大丈夫なのかと、また心配になった。
その後も何度か国際電話で話をしたのだが、そのたびに声も明るくなり、それなりに旅を楽しめてるようだ。結局はなんとかなっちゃうもんなんだよな。俺がどんなに心配したって、今さら地球の裏側にいる相方のことをどうすることもできないんだし。だから俺は俺で俺の時間を有意義に使おうと思ってはいるんだけど、仕事が忙しくてあんまり楽しめてないのが実情だったりする。



2005年09月27日(火)
Vol.612 アルバイト急募

おはようございます。りょうちんです。

今、俺の最大の悩みは、店のアルバイトが不足しているということである。ついこの前までは、ここまで深刻にアルバイトが不足するなんて思ってもなかったのに。急遽就職が決まったフリーターや、夏休みが終わったら実家に帰らなきゃならなくなった大学生や、交通事故に遭ってしまったパートさんなど、今まで主力メンバーとして活躍していた人たちが、立て続けに店を離れなければならなくなったのだ。
今までの経験上、アルバイト不足は春に起こることが多い。進学や就職や引っ越しを春に控えた人たちが辞める時期と、春から新生活に入った人たちが仕事を始める時期が、微妙にずれるからだ。だから通常、3月から5月にかけてがアルバイト不足に陥りやすい季節になる。しかし今年の春は、どういうわけかこの現象に悩まされることはまったくなかった。卒業式を終えた高校生もそのままアルバイトを続けたいと言ってくれたし、春だからといって辞める予定のアルバイトは皆無に等しかった。なのに、その時のツケが今になってやってくるなんて。
そういうわけで、ここのところずっと求人なんて本気でしたことがなかった。求人しなくても、働いているアルバイトくんが知り合いや友達を紹介してきてくれて、いわばクチコミだけで必要なアルバイトの数はずっと確保できていた。時給は平均よりもかなり安いし、待遇だって良いとは言えない。でも、働きやすい職場なんだと思う。今いるアルバイトくんたちがなかなか辞めないで、もう何年も働き続けてくれている現状がその証拠。俺にしてみれば、ホントにうれしいことなんだけど。
今月に入って、もう2回もフリーペーパーによる求人募集をした。店頭にはポスターも貼ってある。それなのに、あまり良い手応えがない。その理由は、時給が安く待遇も良くないからだと察しはついているのだが。時給や待遇ではないもっと違う魅力がうちにはあって、それはやってみなきゃわからないのに。世間には就職したくてもなかなかできない人や、不景気で仕事を失った人がかなりいると聞くけど、上手くいかないものなんだなぁと思う。アルバイト急募は、まだまだ続きそうだ。



2005年09月25日(日)
Vol.611 自然の叡智

おはようございます。りょうちんです。

愛・地球博が今日閉幕した。最終日の今日は華々しいセレモニーが大々的におこなわれ、開催期間中の総入場者数も2200万人を超えて予測を大幅に上回り、大成功で幕を閉じたとニュースで報じていた。そして明日から会場では解体作業が始まり、各パビリオンは撤収されるとのこと。なんだかちょっと寂しい気がする。
俺らがあの場所を訪れたのは、梅雨入り直前の6月上旬。早いもので、もう3ヶ月半が過ぎる。できることならもう一度行ってみたかったし、全部のパビリオンを回り切れなかったことが心残りだ。でも俺をこんな気持ちにさせるのは、あの日愛・地球博の会場で、俺の胸を打つ何かにたくさん出会ったからである。正直言って、訪れる前はお祭りごときの万博なんてまったく興味がなかったし、期間限定のテーマパークみたいなもんだろなんて感覚でいた俺だった。しかし、「自然の叡智」をテーマに各パビリオンで訴えていたメッセージは、俺が愛・地球博から帰ってきてからもことあるごとに考えさせられる問題であった。
「叡智」という難しいコトバを、辞書で引いてみる。そこには、「優れた知恵」と意味が書かれていた。自然には、まさに優れた知恵がたくさん隠されている。地球温暖化を防ぐために企業がおこなっていることや、地球にやさしい各国の取り組みなど、その一例を教えてくれたのが愛・地球博だったと思う。偶然にも、今年の俺の目標は「CLEAN」である。ゴミを減らすとか地球をきれいにしようとか、いろんなエコロジーを心がける俺のモチベーションをあげるのには、愛・地球博はもってこいだった。今、愛・地球博に参加できたことを、ココロからうれしく思う。
この愛・地球博がきっかけで、エコロジーを意識する人がひとりでも増えればと願う。モリゾーとキッコロを思い出すたびに、地球にやさしくなれる人が増えればと願う。そしてやがていつの日か「自然の叡智」の意味を誰もが理解できた時、この愛・地球博が本当に大成功で幕を閉じたと言えるだろうと、俺は思っている。



2005年09月23日(金)
Vol.610 前途多難な旅

おはようございます。りょうちんです。

この前の「ひとりごと」で、もしも自由にできる長期の時間が俺にあったら四国で霊場巡りをしたいと書いた。でも、俺にはそんな長い自由な時間を確保できないことも書いた。しかし俺のそばに、この条件をクリアできる人がいた。相方である。
夏が終わる頃から、相方は自由な時間を確保できる状態にあった。まぁそれなりにやらなきゃならないことはたくさんあったようだが、こんなにも長い時間を自由にできる状態にある相方に、俺は「せっかくなんだからどこか遠いところでも行けばいいのに!」と、他人事のように話していた。しかし、なかなか重い腰を上げそうもなかったので、「こりゃきっとどこにも行かないな…」と内心思っていた矢先。「明日から旅行に行く!」と、相方は突如旅立っていった。行き先は、ペルー。
ペルーという国をご存知だろうか? 正直言って、俺はよく知らない。知っているのは南米にあるアンデスの高地で、「コンドルは飛んでいく」が有名なことくらいか。でも、知らないからこそ行ってみたい国ではある。相方がペルーのどこに魅力を感じ、ペルーに何を求めて旅立ったのかはわからないが、ナスカの地上絵を見たりマチュピチュの遺跡を訪れたりすると話していた。そんな相方を見て、できることなら俺も一緒にペルーへ行きたいとうらやましく思った。
昨日の午後に成田を出発した相方は、アトランタを経由してリマ国際空港に着いたはずだ。きっと今頃は、アンデスの空の下でこの旅のスタートを切る頃かもしれない。潔く大胆に出た相方ではあるが、30代も半ばにして初めてのひとりぼっちの海外旅行らしい。そのアクティブな決断と行動に、自分の相方ながらすごいと思う。前途多難な旅だからこそ、きっとたくましくなって帰ってくることだろう。心配ではあるが、相方ならなんとかなるに違いない。気をつけて、旅を楽しんできてね。
さて。ひとり取り残された俺。相方のことをうらやましがってばかりいてもはじまらない。俺は俺で、久しぶりのひとりの時間を満喫しようと思う。



2005年09月20日(火)
Vol.609 墓参りに行く

おはようございます。りょうちんです。

今日は彼岸の入り。実家の墓参りはお盆や彼岸のたびに行くように心がけているのだが、母方の田舎の墓参りにはもう何年も行ってないことがずっと気がかりだった俺。特別信仰深いわけじゃないけれど、両親を誘って久しぶりに母の生まれた田舎へと墓参りに行くことにした。
母の田舎と言っても、同じ市内にある。車で20分ほどの隣の市との境にある辺鄙な場所なのだが、こっちに来る用事があまりないため最近はずっと訪れることはなかった。稲刈りも終わった田んぼの中のカーブの多い農道を進むと、昔とまったく変わっていないのどかな集落がそこにはあった。T字路を曲がり緩い坂を上ると、畑の中に墓地が見えてくる。久しぶりに来た、祖父と祖母が眠っている場所。
夏の間ずっと放置しっぱなしだった墓地は、鋭いひざしを十分に浴びた雑草が見事に茂っていた。俺と父は持ってきた鎌を使って、片っ端からきれいに刈っていく。使い慣れない鎌ではちゃんときれいにならないところは、手で引っこ抜いた方が早い。学生時代は校庭の草むしりなんて大嫌いだったけど、なんだか今日は楽しかった。夏に取り残された遠くの蝉の声と秋の虫の声しか聞こえない中で、気がつけば夢中で草むしりをして汗をかいている俺がいた。
俺と父が草むしりをしている間、母は線香や仏花の準備をしていた。ひととおりきれいになったあと、花を飾りお供えをして線香に火をつける。手を合わせ、俺は今は亡き祖父と祖母に向かってココロの中でつぶやいた。「ずっと会いに来てあげられなくて、ごめんね…」。
どんな宗教も俺は信じない。でも時々こうやって亡くなった人を思い出し、偲ぶことは忘れないでいたい。それがお盆やお彼岸に墓参りをしたり、仏壇に手を合わせることがきっかけでもかまわないと思う。懐かしい風景の中で大好きだった祖父と祖母のことを思い出した俺は、なんだか少しだけ優しい気持ちになれた気がした。



2005年09月19日(月)
Vol.608 お遍路さんになって

おはようございます。りょうちんです。

大学4年の冬、就職を目前に控え卒業旅行と称して俺が友人たちと訪れたのは、オーストラリアだった。俺にとっては初の海外旅行だったし、異国文化を経験できたり日本語が通じない非日常を過ごせたりで、今になってみればすべてがとても楽しかった思い出なのだが。友人のひとりが持ちかけてくれたこの企画に、最初俺は全然乗り気じゃなかった。今でこそ海外旅行も楽しいものだとココロから思えるけれど、当時の俺は日本国内にも行ったことがない場所がたくさんあるのに、海外なんてもってのほかだという固定観念にとらわれていた。
胸の奥で密かに企んでいた俺だけの卒業旅行は、四国八十八ヶ所霊場巡り。別に悟りを開きたかったわけでも宗教に目覚めたわけでもなかったのだけれど、1200kmもの長い道のりを2ヶ月かけて歩きながら、これからはじまる新しい世界に向けて俺は自分自身を改めて見つめてみたいと思ったのだ。結局、どうしてもはずせないアルバイトや大学の卒業式とかもあって日程的にも厳しかったり、貧乏学生の俺が長期の旅費を工面することもなかなか難しかったりで、友人から誘われたオーストラリアに行くことにしちゃったんだけれど。その時から、四国霊場巡りはいつの日か実現したい夢へと変わった。
そして俺は社会人になり、もうずいぶんたった。しかし今になってわかったのは、四国霊場巡りができるほどの時間が今の俺にはないということである。健脚な人でも40日はかかると言われるが、3連休を取ることさえままならない今の俺が、どうして40日間も休めよう。何度かに分けて霊場を巡る方法もあるのだが、せっかくやるならここは一気にすべてを回りたいと思うのだ。しかも早いうちに夢を実現させないと、年を取ってからだと体力的にも厳しくなってきてしまう。
もしも。今の俺に40日以上もの自由な時間が確保できたとしたら。すぐにでも四国へ向かってしまうかもしれない。いつかはお遍路さんになって四国を制覇することが、俺の捨てきれない遥かな夢のひとつなのだ。



2005年09月17日(土)
Vol.607 したたかに生きる彼女

おはようございます。りょうちんです。

「えー、わたしですか? 実は、付き合ってからもうすぐ1年になる彼氏がいるんですよ!」。ひょんなことから彼女の恋愛話になった。普段はそんな素振りを見せない彼女の口から、彼氏がいた事実を教えられてびっくりした俺。「へぇ、知らなかったよ。で、彼氏はいくつ? どんな人?」。俺の質問に、彼女は涼しい顔で答える。「同い年なんですけど、見た目は最悪。全然かっこよくないし。デブでキモいし。性格もあんまり…」。「でも、ルックスや性格を上回る魅力が彼には何かあるんでしょ?」。そしてこの会話のあと、俺は驚愕の事実を知ることになる。
「彼の魅力? 実は彼、すごくお金持ちなんですよ!」。そう言って彼女は急に目を輝かせた。なんでもその彼はすごく羽振りが良く、彼女のためにいろんなものを買ったりおごったりしてくれるんだそうだ。この前はブランドもののバッグを買ってくれたし、今度は彼のおごりでディズニーランドにも行くと言う。
「でもさぁ、ほら、一応お付き合いしてるんだから、ラブラブな雰囲気になったり彼からそういうオーラを感じたりとか、しないの?」。俺は男としての素朴な疑問を彼女にぶつけてみた。すると彼女は、「そのへんは上手くかわしますよ。手を握られそうになっても何気に拒んだり、チュウなんてもってのほかですよ!」とあっけらかんと答えてくれた。驚きを隠せない俺に、「これって、良くないですか?」と最後にちょっとだけ不安げな表情を見せた彼女が、せめてもの救いだった。
いや、良くないとは言わない。人の価値観なんてそれぞれだし、ルックスや性格よりもお金持ちだということを重視する人がいてもいいと思う。でも、彼女はまだ高校生なのだ。この先、人をココロから本当に好きになったら、彼女にももっと大切なものが見えてくるに違いない。彼女はまだそれを知らないだけだ。
そうやって、今はまだしたたかに生きる彼女ではあるが。もう10年もしたら、きっと彼女もそんなにお金持ちではないごく普通の人と、ごく普通に結婚していくんだろうな、と俺は思った。



2005年09月12日(月)
Vol.606 俺と高校野球

おはようございます。りょうちんです。

この夏、やっぱり俺は高校野球に盛り上がった。7月の地区予選にはじまり、8月の甲子園。熱戦が繰り広げられる中、何度も球場へ足を運びTV中継にかじりついた。しかし、そんなヒートアップした俺の高校野球熱に水を差した不祥事事件。今だってそのことについて言いたいことは山ほどあるし、問題を起こした関係者に非があるのは当然のことだが、これほどまでに暴力だ喫煙だと騒ぎ立てて大事になってしまった事実に、俺はココロから幻滅した。渦中、あんなに熱を上げていた高校野球の話題をするのもいやだったし、考えたくもなかった。しらけてしまった気持ちは、甲子園が終わったら見ようと録画しておいたビデオもそのままにさせた。俺の今まで考えていた高校野球の誠実さが、音も立てずに崩れた瞬間だった。
重い気持ちのまま、9月。秋季大会の地区予選がはじまった。観戦に行こうか行くまいか、ちょっと躊躇をしたのだが。母校の応援も含めて、俺は球場へ向かった。そこには、新チームでがんばる球児くんが試合をしていた。試合慣れしていない球児くんは荒削りなプレーが目立ち、何度もエラーをしていたけれど。一生懸命野球をする姿に、いつのまにか俺は夢中になっていた。偶然にも俺のうしろに座って応援していたのは、この夏に引退したばかりの3年生。彼らは後輩たちに声援をあげながら、突然思い出したかのように負けてしまった引退試合のことを話し始めた。
みんな野球が大好きなんだな、と俺は思った。暴力だ喫煙だ不祥事だとマスコミに踊らされて勝手に幻滅していた俺が、なんだかバカらしく思えてきた。事実から目をそむけるのは良くないけれど、問題を起こしたのはごく一部であって、高校野球そのものは相変わらずおもしろいってことは何も変わってないのだ。
実は、ずっと前から俺は「ひとりごと」では高校野球のネタは書かないよう意識していた。理由はいろいろあるのだが、でもそんなのもうやめた。俺と高校野球は切っても切れないものだし、こんなにも執着している俺がそのことに触れないなんて不自然だからだ。俺はやっぱり、高校野球に魅せられてしまった人間なのだ。



2005年09月08日(木)
Vol.605 社会科な一日

おはようございます。りょうちんです。

台風一過の青空の下、早起きして車を出した。今日のテーマは「社会科な一日」。
1時限目、地図と測量の科学館。地図の歴史年表や測量に使う機材が展示される中、地形図を取り出して俺の住む街を探したり、パソコンを使って地図や測量に関するクイズをしたり。俺、一応大学時代に地図の勉強もしていたのでそれなりに予備知識もあったつもりだったんだけど、でもやっぱりどれもこれもが新鮮で興味を惹きつけられるものばかりだった。特に20万分の1地勢図をたくさん並べて作った球体模型には、ひどく感動。地球が丸いってことがすごく良くわかった。
2時限目、キューピー株式会社五霞工場。工場見学が大好きな俺ら。今回はマヨネーズとドレッシングを作る工場を見学した。材料の酢まで独自で作っているこだわりや、毎分600個の卵を割る機械を見てびっくり。徹底された衛生管理の中で作られる工場では、いろいろな工程を重ね完成した製品が次々と袋詰めされ梱包されていく。最後には十数種類のドレッシングを味見できるサラダバーがあり、絶品のドレッシングとサラダが食べ放題。おみやげと記念写真も撮ってもらって、大満足。
3時限目、株式会社ヤクルト本社茨城工場。工場見学第2弾は、誰もが一度は飲んだことのあるヤクルト。ぞくぞくとコンベアに乗せられできあがっていく製品を見ていると、おもしろくて全然飽きない。ヤクルトって何が原料でできてるのかとかなぜ小さな容器でしか売られていないのかとか、ガイドのお姉さんに質問ばかりしていた俺ら。ここでもおみやげまでしっかりもらって、笑顔で工場をあとにした。
4時限目、明々後日の選挙について大討論。帰りの車の中では、楽しかった思い出も振り返りつつ、間近に迫った選挙はどうするかの討論会。郵政民営化の問題点や賛否について考えたり、それぞれの政党の打ち出す政策について意見を言い合ったり。最後まで投票する政党や候補者は絞りきれなかったけれど、これからの日本をリードする政治家を決める大切な選挙と真剣に向き合う良い機会になった。
俺の過ごした「社会科な一日」、少しは賢くなったかな。



2005年09月01日(木)
Vol.604 竹林へ逃げろ

おはようございます。りょうちんです。

実家の向かいのAちゃんの家は、裏手に広い竹林がある。小学生だった時、「地震が来たらここに逃げれば大丈夫だね!」と言った俺のコトバの意味を、Aちゃんは理解していたのだろうか。
関東大震災が起こったのは1923年。もちろん俺は生まれてないが、俺の祖母はこの大地震に遭遇した。残暑が厳しかったその日、祖母は台所で昼食に食べる予定の天ぷらを揚げていた。そこへ前兆もなく突然襲った激しい揺れ。グラッと来た瞬間、祖母はいちもくさんに勝手口から外へ出て、すぐ裏の竹林に逃げ込んだ。いちばん手前の太い竹の幹につかまりながら揺れが収まるのを待つ間に、祖母は勝手口から見える火にかけたままの天ぷら油が激しい揺れのせいでばしゃばしゃこぼれているのを見ていたんだそうだ。「暑い日だったしね、天ぷらの火のそばにいたからなおさら暑くて、だから勝手口を開けっ放しにしておいたのが良かったんだよ。あのまま火のそばにいたら天ぷらの熱い油がカラダに飛び散って、大ヤケドするところだったよ。」と、今は亡き祖母はちょっと大きな地震が来るたびにその話をした。
そして、「地震が来たら竹林に逃げるんだよ。竹の根っこは見えないけれど、地面の中ではあっちこっちに網の目のようにびっしりと生え渡っているから、地震が来てどんなに激しく揺れても大丈夫なんだよ。わたしがあの時ケガひとつせずに済んだのも、竹林に逃げ込んだおかげなんだから!」と、祖母の体験した関東大震災の話は毎回こうして締めくくられるのだった。年老いた祖母の話がどこまで本当で信憑性があるものなのかはわからないが、子どもの頃から地震が来たら竹林へ逃げろというのが俺の中では常識だったし、だから家の裏が竹林だったAちゃんがちょっとだけうらやましかったりもしたのだった。
今年の夏が本番を迎えた頃、震度5弱を記録する地震があった。電信柱がメトロノームみたいに揺れているのを見て、ついに大地震がやってきたとその時俺は思ったのだが。考えてみたら、この家の近くには竹林がないことに気がついた。