ぶつ草



ちょっとぐちぐち

まともな更新が滞っております。
が。
生きていますのでご報告まで。

言い訳じゃないですけれども、ここ数日まともにPCの前に座ってない状況で。
「ぶつ草」で富士・箱根の旅をアップしようと思ったら、一体この3日で何処に行ったのか全然分からなかったり。
あれも、これも、それも。
なんて思っていたらどこから手を付けたらよいのか分からなくなっております。
まー。
仕事でも最近、いろいろとありましてね…(遠い目)
もうええ加減やめたろか、なんて思い出しまして。
今度こそ我慢の限界かなー。
お願いやから、主任手当てだけでもつけてくれたらやる気上がるのに、とか。
最近仕事に関しての評価がなにもないのに不満で。
一応肩書きは事務員ですが、ホントのところは事務ではくくりきれないほどの仕事をしておる自負がありますので。(人事もするぜ、蛍光灯も交換するぜ)
ない時間をしぼって職場のサイトも更新していて。
散々「(サイトを)作れ」「インターネットつなげろ」って言われて、インターネットのプロバイダ契約からサイトの作成まで日常の業務の傍ら、家に帰ってからも全部一人で頑張ったのに、感想のひとつもないのってすごく寂しくて。
…そんなもんなのかな…と思うと、懸命に頑張った自分が莫迦らしく思えてきまして。
話は変わりますが同期がね、この年末から年度末にかけて結構退職する見通しで。
私も、そろそろ身の振り方考えたいなー、とか。
もっと違うことをやりたいなー、とか。刺激が欲しいなー、とか。
その前にもっと転職に役に立つような資格をいくつか持っておきたいな、とか。
パソコンの資格もしかり、福祉関係の資格もしかり。
あれも、これも、それも。
やっぱりどこから手をつけたらよいのか分からない状態で。

とてもじゃないけれども趣味の妄想(…)にまで精神的に向かない、というか。
こんな状態で書いたコバナシは、物書きのはしくれとしてお見せするわけには行かないと。
そう考えておる次第でございます。

でもやっちゃうと宣言しちゃいました「物書きさんの祭典」は必ず、絶対に開催して見せます。
そして、その場ではきちんと皆様にお披露目できるような一本を書き上げて見せます。
(あ、言うてしもたよ)

ちょっと私信になるかもしれませんが。
「100題」も、そういうことなので今にも増して更新ペースが遅くなると思います。
本当にごめんなさい。

ああ、今日は本当にグチになってしまいました。
言いたい放題してしまって申し訳ありませんでした。

↑安価(投票ボタン)


2004年09月29日(水)

世の中は狭い

毎週金曜日は大阪市営地下鉄ノーマイカーフリーチケットの発売日です。
この日は大阪の市営地下鉄やニュートラムが600円で乗り放題。
貧乏性の双葉。さんはこのチケットを手にすると、たった一駅だけでも地下鉄に乗ります。
心斎橋から難波まで歩いたほうが早くても、わざわざ地下にもぐります。
そんなところだけ、マメだったりします。

で。

なんでそんなことを言い出したかのかと言いますと。

今日は仕事が休みだったので、腰の重い私にしては珍しくこのチケットを手に梅田まで出向きました。
奇跡ですよ、奇跡。
仕事で月1回梅田に出向くことはあっても、滅多なことでは出て行きませんよ梅田なんか。
(あ、シアタードラマシティには出向きますが)
だってー、家から一時間かかるんだもーん。
遠いんだもーん。

で。

だから何かと言いますと。
阪急梅田店のミュージアムで、丁度私好みの展覧会があったからなのです。
卒論のテーマにもしましたあの人の。
いやー、学生時代以来ですねぇ…ウィリアム・モリスに触れたのは。
今までは作品集や本でしか触れた事がなかったので、言わば私にとっての初生モリス(なんか変な言い方…)。
あのデザインが、あの作品が目の前で見ることが出来たのにはものすごく感激。
やっぱりタペストリーだなぁ…
初版の本を見ることが出来たのに、また感激。
一通り見終わると、お約束のお土産ショップがあるわけですが…
デザインものも多数あるのですが、やっぱり彼は作家でもあったわけなのでその著書や解説書もあるわけですよ。
で。
並んだその著書を見てびっくりしたのですが。


↑見覚えがあると思ったら。(投票ボタン)


私の読書量が凄かったのか、はたまた代表的な参考文献が少ないのか。
とっても微妙なところではありますが。
世の中は狭いものですね。
まあいい。
参考文献にして、作品集も兼ねた本を購入できたし(あれ?中身違うなと思ったら2004年版だった)
勢い余ってはがきも買っちゃったし。
うーん。
至福のひと時。


↑一日一回の習慣です。(投票ボタン)


2004年09月24日(金)

恐るべし、よさこい


まず私信。
にじゅうごわめは待ってください。ほんまに(TT)

なにかぼへぼへーっとしているうちに野球はストにはいっちゃうし
「トキテン」ははじまっちゃうし、「祭典」もやっちゃうし。
暫くは(色々な意味で)休めないですねー。
はりきっちゃいます。久方ぶりに。
今のうちにお日様にあたって光合成しておきます。

職場で、初めて「よさこいソーラン」を体験しました。
先日ちっちゃいコ達がわらわらと踊ってるのを見て、
「あーあー、これやったらウチにもいけるわ」とタカをくくっていたのが大間違い。
教材用ビデオを見ながらやっていたのですが(便利なものがあるものだ)
前奏部分は2、3回でなんとか覚えたものの、そこから後が出来ないの(涙)
途中で右と左が分からなくなる有様で…
いやー、今更ながらちびっこ達の飲み込みや大会なんかで踊ってらっしゃる皆様の素晴らしさに感服しております。
めちゃくちゃスローなよさこいソーランは側から見ているとかなり滑稽。
しかしやってる当人は至極真剣、筋肉痛覚悟。
しかし20分でいきなり「よさこい班」脱落。無理、ほんま無理。
勘弁して下さい、明日も仕事なんです(いや、皆仕事だが)。
でもなぁ…
去年の「琉球舞踊班」には残れたから、今年も頑張るか…?
ちょっとかじっておいたら、いつか何かで役に立つかもしれないしなぁ…

なんて悶々と悩む今日この頃。



↑真剣にやってるんやけど。(投票ボタン)







しかも相当飲んでるっぽいその動き。
さすが演劇部(←誰も褒めていない)


2004年09月21日(火)

富士箱根・五湖めぐりの旅 その3

朝、やっと富士山を望むことが出来ました。
傘は被っていましたけれども。
母、大はしゃぎ。
道路に飛び出し、危うく交通事故に遭うところでした。

今日は朝から本栖湖、精進湖を巡って富士五湖完全制覇。
湖ばっかりでしたが、こうやって制覇すると感動もひとしお。
とりあえず、午前中で「五湖めぐりの旅」はひとまず終了。

ぼちぼちと帰宅の方向に。
途中、白糸の滝に寄りました。
ざあっ、と「白糸のように落ちる滝」には感動。
途中で食べた焼きとうもろこしにも感動。

さらにさらに。
朝霧高原付近の「道の駅」で「朝霧高原直送の牛乳で出来たソフトクリーム」(長!)を食べてご満悦。
こういう時は、やっぱりバニラに限りますね。
その傍ら、うちの母は朝市で「巨大なめこ」に大興奮。
…こんなん味噌汁に入らへんって…
本当は、焼いたりして食べるそうなんです。
ご近所のお土産に、と大量にご購入。
車のトランク、なめこだらけ…
うーん、夢に出てきそうだ…

これにて全行程が本当に終了。
またまた爆睡をかまし、おかげでやっぱり「浜名湖花博」が言えなかったぞおい。
(そしてやっぱり今でも言えない)
でも、この2日間腐るほど眠ったので、言うほど眠ることはなく。
車の窓から終始、遠い視線を投げてゆらゆらと大阪への岐路へついたのでした…


富士箱根の旅、結論

↑肌で感じた。(投票ボタン)


2004年09月19日(日)

富士箱根・五湖めぐりの旅 その2

今日も早起きです。
仕事に行くのと大して変わらない時間です。

どうも父にとって宿屋は「基地」らしい。
泊まれれば、それでよし。
ううっ。温泉とか楽しみにしとる私はどうするんだー
しかも今回は温泉ないんかーい(涙)

というわけで本日まず足を運んだのは山中湖、そして忍野八海。
うーん、あまり記憶になし(…)
忍野八海の水の綺麗さにめちゃくちゃ感動はしましたな…
だって水深10メートルでも、底が見えるんですよー。ありえなーい。
その後は富士五合までドライブ。
富士急ハイランド(だっけ?)や富士モーターウェイ(だったっけ?)の「横を通る」。
霧が深くて、やっぱり富士山は拝めませんでした。
一応、富士山にはいるのですが、山頂が霧で霞んでおりました。
うーん、残念。
この季節は、中々晴れる日が少ないそうなので仕方がないと言えば仕方がないのですが…
ここでゴテる双葉。の母。

「見たいー、富士山みたいー」

結局その願いと叫びは、最後まで聞き入れられることはありませんでした…

そしてやってきたのは河口湖を通って鳴沢氷穴。
大きな洞窟なのですが、少し中に入れば夏の暑さを忘れるくらいの冷気。
軽く氷点下、だそうです。
奥に行けば行くほどその寒さは、芯を持ってじわじわと体に染みてきて。
昔、ここから氷を切り出して献上していたそうです。
決して溶けることがない天然の冷凍庫。
地上に戻ってきたら、その蒸し暑さにむっとするほど。
続いて富岳風穴。
風が強いのかと思ったら、氷穴と同じ感じ。
ひんやりとした万年氷が続いていました。
その中にひとつ、ぽっかりと大きな穴が。
立ち入り禁止の札とがっしりとした柵で覆われているそこは、底なし穴らしく。
危ないから立ち入らないでください、とのこと。
そこからひょう、と風が吹き抜けてきてちょっと怖くなって。

地上に戻ってきた双葉。父の眼鏡が凍っておりました。そのくらいの寒さ、冷たさ。
ひと時の涼を求めるには、恐ろしいくらいにもってこいでございます。
冬は、絶対にオススメできません。
その後は西湖のほとりにある蝙蝠穴。
なぜか穴が続きますが…
蝙蝠が沢山いる穴、だそうですが昼間のせいなのか蝙蝠のコの字も見当たらず。
穴まで続く森の道、その踏み心地のよさに感動。
(どうもかなりの量、木チップを撒いていたようですね)

そして本日は山中湖のほとりで宿泊。

↑ま、まぢっすか?(投票ボタン)




ああ、でっかい風呂の楽しみが…


2004年09月18日(土)

富士箱根・五湖めぐりの旅 その1

どうも、今回は富士箱根に行く模様です。
知らなかった、なんて言えないわ。

とにかく、恒例の家族旅行。
朝5時に起きて、6時には家を出た覚えがあるのです。
多賀で起きた覚えがあるのです。
富士川で昼を食べた覚えがあるのです。
うどんのダシが真っ黒で、眠気がふっとんだのです。こんなん体に悪いんちゃうかしら、ほんまに…
寝ぼけていたせいで「浜名湖花博」って3回言えなかった覚えがあるのです。
…あ、今も言えない。
その浜名湖ICで男子便所につっこんでいった覚えが鮮烈にあるのです。
しかも親子3人して。
「うなぎパイ」をガバ食いして、その後爆睡しておりました。
あかんやん、夜のお菓子やで、と後から自分でツッコむ。

やっと覚醒したのは、丁度おやつの時間でした。

箱根を走っていました。
ぐるんぐるん回っていました(←車で山道)

起きていきなり車酔い。

「ここあたり、駅伝で走るんやで」と言われて妙にテンションが上がる。
芦ノ湖近くに「箱根駅伝」のモニュメントが立っていましたが、まさかそこがゴール(スタート)地点だとは思いませんでしたよ。
だってテレビで見てたらめっちゃ広くておっきい場所に見えたんやけどなぁ…
若干のショックを受ける。
ショックで芦ノ湖が霞んで見えないよ……
(注:実際天気が悪くて芦ノ湖は霧で覆われておりました)
晴れていれば、富士山が見えるはずなんですが…富士山どころか数メートル先も危うかったり。
遊覧船に乗っていて、中国からの観光団体さんの雄叫び(?)だけが湖に響く……
その後、大涌谷へ。
夕方5時に閉まります、というところへ4時50分到着。
55分から大涌谷に足を踏み入れるという強行策。
まさかこんなところでマラソン大会を開くとは思ってもいなかったよぅ。
駆け上って、大涌谷のふつふつと湧き上がる蒸気と強い硫黄の匂いを肺いっぱいにつめこんで。
名物黒たまご……の殻を拝んで、駆け下りる。
寿命が7年延びるどころか7年縮んだぞ、おい。
そんなわけでこの日は小涌谷で夕食後、芦ノ湖湖尻付近にて終了。

↑凄く関心。凄く納得。(投票ボタン)


2004年09月17日(金)

サボリ魔の逃避予告

気がつけば、こんなに日にちが経っていました。
いやいや、サボリグセって怖いですね。

Web拍手にて「TOK10」の読み方を教えてくださった皆様、ありがとうございました。
これからは迷わず「トキオ」と呼ばせていただきます。
現在朝のお目覚めヘヴィーローテーション中。
でも、最近聞きながら眠っちゃうのはココだけの話。
ほんといいよなぁ、このアルバム…久々のヒットだ。

さて、明日から日曜日まで双葉。さんはお留守します。
若干行方不明になります。

戻って来たら「例」のテーマを発表できたら、と思っています。

↑荷物だけはまとめたものの。(投票ボタン)

















明日は5時起きらしいんやけど…


2004年09月16日(木)

10年目の浮気

どうでも良いかもしれませんが、TOKIOさんのアルバム「TOK10」は一体どう読むのでしょうか。
まんま「ときお」なのかな…「ときじゅう」?それとも「ときてん」かな?
ああ、そうだ。「ときてん」といえば

こちら→10th Anniversary!! TOKIO STORY'S(略称「トキテン」)

「S2P」のはれるやさん主催で今月21日から23日まで開催されますよ。
私もちゃっかり参加予定。
先月末にやっとこさ原稿も提出できました。ほっ。
こうやってみると、なかなか私もTOKIOファンなんだと気づかされます。
でも、書いてみるのは別。
キャラクターとか、まだまだ分からないのできっと見る人が見たらおかしいんだと思います。
…だからと言ってVさんでちゃんと出来ているのか?と言われると、それも怪しい。かなり怪しい。
ま。
どうなのか、は今月21日に是非ご評価いただければ、と。
「いぶし銀」でエントリーしております。

そしてまたどうでも良いこと、かも、しれませんが。
ちょっと奥さん。
来年Vさんも10周年ですぜ。
今年こんだけ派手にトキさんやってるからなぁ…来年は結構地味になりそうだな…
海外進出とか、そーゆーのんを除くと、ね。
アルバムはもちろんだけど、どうですか。
いっそ剛様の舞台とか。いっそ6人で舞台とか。
誰かいないのかしら、太一さんみたいに10周年で30歳とか。
この際どぅんいちさんが30歳でも、健さまが20歳でも良いので(あかんやろ)

ついでだからもひとつ、どーでも良いことを。
ぼちぼち「あれ」から半年が経とうとしているので、やるかなーとかうすぼんやりと
考えているのですが。
どーしよっかなー。

うちのへっぽこサイトの3周年ももうすぐなので、もっと何か違うものもやりたいなー、とか思いますし。


↑一日一回の習慣です。(投票ボタン)














こんな私にご意見、よろしくお願いします。

2004年09月04日(土)

やりきれない現実

こんな記事がありました。


夫婦心中「ずっと一緒にいたかった」77歳と76歳 (毎日新聞)


凄く凄く、切なくなりました。
実際現場に関わってはいないのですが、介護保険施設に勤めて3年目になります。
その間にいろいろな方の相談を受けてきました。
親の介護が大変で、介護している本人が体を壊してしまいどうしたらいいかと相談に来る人。
兄弟間で誰も世話をしたがらないので「仕方なく引き取った」けど、自分も嫌だから一日も早く手放したいという人。
親が痴呆になってしまい、家に居たら何をするか分からないし自分も安心して働けないからどうにかしてくれという人。
お金はいくらでも出すから優先的に施設に入れて頂戴と言う人。
家族が凄く良く自分に尽くしてくれる。それが大変申し訳なく思い、自分から迷惑かけないように家を出たいので受け入れてほしいという人。
自分の親は最後まで看るつもりですが、将来が心配になってるんです、という人。
絶対施設の世話になんかなりません、と言う人。

ほんとに本当にもうたくさんの人の、沢山の思いを電話で、面接で受けてきました。

最初は介護の現実を目の当たりにして、ショックなことも多かったです。
最近あまりそう思わなくなってきたのは、慣れてしまったのでしょうか。

介護保険というものが始まって、負担が軽減された方も多いと思います。
利用者さんやその家族さんに「ありがとう」「これからもお願いします」と言われると、それを実感します。
他人事のようでも、いつかは必ず来る道。
自分の親だって、そして将来は自分だって、間違いなく通ることになる道。

しかし、それは必ずしもすべての人を救うわけではないのです。
施設のベッド数にも限りがある、なので満床だとそれ以上を受け入れることが出来ない。
例えそれが、緊急を要するものでも。
酷く近いところで、限界を目の当たりにしています。

制度ということで割り切っていく部分も多々あります。
そんな中、こんな風に互いが互いをつよく想っていたこの素晴らしい夫婦に、手を差し伸べられなかったことがとても辛く思えるのです。
もしかして、近所の人が、ケアマネが少しでも気を向けていたなら。
もしかして、この悲劇はなかったのかもしれません。

……あくまでも理想論です。

一人で何十人ものケアプランを抱えるケアマネさんに、ひとりひとりにじっくり向き合う時間というのは本当にないものです。
それもまた、悲しい現実です。

↑傍から見ていると、そう思う(投票ボタン)


2004年09月02日(木)




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