いろんなことが噛み合わないときに いくらベストを尽くしても (伝わらない)事態がこの世には、ある。
とくに相手があることには その時の痛みや事情に左右されたら どうしても余裕がなくなってしまう 自分の事情だけならまだしも 相手にも事情がある こればかりは伝えてもらわなくちゃ わかりようがない ところが、自分の複雑な事情を 伝えたくないのも本当のことだ なにしろ最初から余裕がない きちんと伝えられる確信がもてない これまでたくさん揉め事があった そのほとんどの発端が 小さいことから始まっていた
ほとんどがその人にとっての 当たり前
もちろん自分自身もそうだった 自分が当たり前と思っていたことが 当たり前じゃなかったのだ 自分のことわかってもらえているという錯覚 これに気づいたら世界がずいぶん近づいた (自分というのはほとんど大したことができない) (できるのはせいぜいそよ風くらいだろう)
でも、その《そよ風》だ そよ風にいのちがけで挑んでいる
おどりも相手に届くかどうかわからない とくにその時間、その場所で、 そこでしかおどれないものを、そう突き抜けたら いつだって挑戦、としか言いようがない 練習すれば踊れるおどりではない、 その時にしかなれないおどりになりたいのだ そして、いつもおどりが来るとは限らない 来ないときは本当に来ない 本番最中に地を這うような歪な苦しさが伴う ただ、いつもあるのは努力だ これだけはすべての力を使っている イメージやカラダがすすみたい方向へ 感覚にすべてをゆだねる 少なくともこれがおどりの出発点
他には何もないかもしれないが これだけは誰にも奪われない誇りだ
お互いのことは、お互いでしか解決できない 自分の中だけでは一方通行してしまう これまでの人生成果としては 自分のことだけにしか考えが回らないうちは 怒りが巻き起こる 自分自身でもそうだった わからないからお互いで解決したい そうは言っても相手のあること 簡単にはいかない お互いが真に向き合えなきゃ始まらない
誰しもが先回りしてくれるのを待っている 自分のこと全部わかってくれるのを でも、それはただの都合だろう
コロナ禍を通して 自分のしたいことが「完全」に封じられてから、 できることをするに舵を切った わるいところを いたいところを なんとかする (なんとかしたい) ところが、カラダが 膝が なかなか好転できない どの状態を(ヨシ)と捉えればいいかさえ だんだんわからなくなってくる おどりをおどるには おどりになるためには 無理ができるところに居たい もちろん無理を通したいという考えは後 おどりが楽におどれたなら おどりがいつも誰かの心を打つのなら、、 そんなわけがない いつだって簡単にはいかなかった そこになんとか手を伸ばそうとして わたしたちはいつだって ヘトヘトになるまで練習している いつだってここだ ここに努力を使いたい ここを通ってはじめて(おどり)なんだから
出口は漠然と見えているようでいて どうしても抜けられない それでもどうにかしようとして 先月末 友だちにたよった
鍼灸師にたどりつく
そういえば針は、、十年以上していない あの時も本番直前だった (本気でどうしようもない時) (針は、、どうにかなる) そんな最後の手段だと自分では思っている だけど、通っている人にしてみると これがまったく異なる見解となる どんなことも(少しずつ)が真実 しかし針は即時効果が出る 体感としては即時にちかい これはもうなんとも言えない!!
依頼されるおどりがあるかぎり 一歩踏み出すしかない
選択肢はない
うまくいかないことに圧されると 周りのことに気が止められなくなる 何よりも(痛い)が余裕を奪い去る 人の悩み苦悩も推し量れない 何よりも思い通りにいくことがない 自分自身が苦しいんだから こんな時にいつも感じるのは
だからといって 本番ではあからさまにできない
どんな事情があろうと見てくださる人に (実はこうでした)なんて そんな口上は、たとえ死んだって「ない」 どんなに意味のないことか知っています なにしろそれを知ってほしくて おどっていません そういうのじゃない《何か》のために おどっているんだから いつも自分にできることはたったひとつ
ベストを尽くす
どうやらここにあるのかもしれない 土台のような ここからしか動けないような
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