| 2018年11月30日(金) |
冗談でも聞きたくなかった |
半年に1度の定期検査以外で通院しない、と そう心に決めて1年。 ダンスに《専心》してきました。 自身の再復帰公演を皮切りに、 ようやく自分の居場所に戻ってこれたんです!
(それでも “1年” でした)
痛みが現れてからはそれをなんとかしようと、 乗り越えようと、いろんな人たちの力を借りて
【最優先順位】病院に戻らない
病院で過ごすのは、、これ以上ない苦痛です ですが、レッスンに行けないこの状況では… 医者に診てもらうしかもう選択肢がない。。 どうしたらいいのか、できることはあるのか それがわからない 不本意です めちゃくちゃ不本意
リハビリ室には約1年間 足を踏み入れていません
そんな今。 病院の廊下で担当理学療法士とバッタリ遭遇する! どうしてこういうときにドンピシャなんだ… いいことも悪いことも。 そのときにかけられた第一声がこれです
「また切れました?」
それも 笑顔でw え、笑顔で言う台詞じゃ、、ないだろ…!! 瞬間(心の中では殴りかかっていた) ええ、ええ、もちろん冗談なのはわかっています それでも、わかっていても― これまでの自分の努力だけでは届かなかった、 通じなかった踊りつづけたい現実が、、 言葉にならないほどに苦しい 見下された気持ちになったのかもしれません
ちょっと考えれば、そんな第一声になるのも、 この病院では《また切れた》なんてのは そう。《あるある》なんだ
それにしても自分の中に殴りかかるほどの 一瞬が、一瞬の何かがあった これは、これだけは本当のことだ 何気ない一言は 人によっては何気ない一言にならない これがいつだって《生きてる》を自覚させてくれる
まだまだ、負けてない
| 2018年11月29日(木) |
いいことはいいはずだ |
クラシックレッスンを続けながら、 コンテンポラリーの練習を続けながら、 シュツットガルトを終えながら、 プールでバタ足をし続けながら、 パーソナルトレーニングを受けながら、 自主トレを続けていました。 できることすべてやっている自負のもとで 11月。さらにピラティスに手を出します。 なんとしても早くよくなりたい!! おどりたいおどりがある!! 少しでも調子が上がるなら何だってやってやる!! 10回券を購入して、、その3回目。 悲劇が起きた 起きてしまった
施術中に激痛が走って 膝がまったく伸ばせなくなってしまった
今の自分にその動きは、、無理だったか… ピラティスのことを悪くいうつもりはないの ですが、、この日を境に
レッスンに行けなくなりました
脚部外旋しようとすると冷や汗が止まらない カラダの防衛本能 痛みを圧し切れなくなりました 圧せるうちは「いける」にしてきましたが、 後になってわかるのは
圧している時点で「アウト」です
カラダはとても繊細です 痛みがある時点で使い方を誤っています 重要ですので、逆の言い方も残します
カラダの使い方が間違っていなければ 痛みは出ません
長くリハビリを続けてはじめてわかる事実です ここにたどり着くまで、、 これから長い時間を要することになります―
(カラダにいいことをやれば治る)
この日、その考えが瓦解した
| 2018年11月24日(土) |
「ゴブリンスレイヤー」 |
『ゴブリンスレイヤー』 辺境のギルドには、ゴブリン討伐だけで 銀等級序列三位にまで上り詰めた、 稀有な存在がいた― 冒険者になってはじめて挑んだ洞窟で 絶体絶命のピンチに陥る女神官。 それを助けたの者こそ、、 ゴブリンスレイヤーと呼ばれる男だった!
原作はオンライン小説およびライトノベル。 アニメ化されて2018年10月から放送開始。 2021年。第2期の制作が決定します。 この時間軸じゃ未来視ですw (現在2021年)
感想が… ありません。 なにしろ なんの手記も残っていませんでしたw
なんと、残っていたのはキャッチコピー(爆)
そのキャッチコピーが、、 自分の実情とあべこべに脳内合致していた!! この時の自分が? この時の自分の? こころの加減をとくとご覧あれ!! 笑笑
これはゴブリンを狩る男の物語 俺は世界を救わない ゴブリンを殺すだけだ
圧倒的人気のダークファンタジー
変異を遂げました☆
これはリハビリに励む男の物語 俺は泳ぎたいわけじゃない バタ足をするだけだ
絶望的に退屈な自主トレーニング
何ということでしょう… 自虐過ぎて上手いなあ 笑笑 っていうか… 作品という観点で、、残してたのこれだけ!? 内容どうだったか何もないの?! いいや、、物語さえ思い出せない。。
ほんとうにこれだけかッッ(爆)
自分の中で笑いに変えないと持ちこたえられない そんな毎日だった、、気がします
気がついたら涙がぼたぼた落ちていた
「Spark」 家入レオ
この曲は(あなたのヒーローは誰ですか)で 知られているかもしれません。 でもN◎K見ない人には遠い彼方でしょうw N◎Kしか見てない自分には直撃でした―
アニ×パラ あなたのヒーローは誰ですか
episode.3 車いすテニス
平たく言えば、 さまざまなアーティストをコラボさせて 東京2020パラリンピックを盛り上げる☆ なにしろパラリンピックまで 観戦しないのが普通です。 今まですべてを見た人どれくらいいますか? どうやって見てもらえるようにするか これは大いなる課題ですよね? その走りです! アニ×パラでは、とにかく認知度の高い アーティストにこれでもかとコラボさせてます。 もう見え見えの魂胆ですw Tvつければ嫌でも差し込んでくるのがこの局w さあそんな中でも (素晴らしいうたは本当に素晴らしい) それを思い知らされました 与えられてはじめて新しいものが生まれるのも 想像力と体験の為せるワザでしょうね☆
車いすテニス界のレジェンド国枝慎吾。 彼のドキュメントもいくつか見ましたが、 特筆すべきはその根源です。
《世界最強は俺だ!!》
もうこれがすべてじゃないか、ってくらいでした☆ テニス界 現役最強のレジェンド、 フェデラーの逸話があります。 何でも、日本人の記者が質問したそうです。
「どうしたらあなたのように勝てるのですか? それが可能な日本人が現れると思いますか?」
フェデラー 「あなたの国には国枝がいるじゃないですか」
この発言には驚かされました パラ選手を全く分け隔てていなかったんですよ!! フェデラー、、すごいなあ… フェデラーにとっては愚問だったんですねw
わたしたちが知らないこと それは自分のダンスについても同じこと
知ってもらう努力 その為になら何でもする
この気持ちは同じものかもしれません。 すべては知ってもらうことから、です☆
「Spark」は(今)を特に意識させられます
明日の僕が 頑張ればいいか、って投げ出せない
とても(今)に勇気が湧いたのをおぼえています
◎是非ともアニ×パラで検索してみてください◎
2018年11月20日
「タイスケさん… 仏像が好きなんですね☆」
本日はこのメモを読み解くぞ(爆)
それを言ったのは、スタジオの男子生徒。 たしか… 小学生のセリフです。 思い出すとちょっと怖くなった。 なぜならその時の、男の子が まるで《絶対の存在》だったんです!!
おそろしく澄んだ目 なんにも疑問がない声 曇りが一切ない表情
一体なぜそのセリフになったのかというと、、 わたしのバレエシューズ入れを見られたのが 原因だったと思われる。。 バレエシューズを入れているのは、、
国宝 阿修羅像 展で購入したポーチ
表は完膚無きまでに阿修羅像シルエットw どこからどう見られても逃げられない。 そりゃあ「好きなんですね」来るよ… しかし。 しかし、だ! わたしは《仏像が好き》なのだろうか 笑笑 その阿修羅像シルエットポーチは 単純にその時に面白かったグッズのひとつ 好きか嫌いか問われたら好きと言わざるを得ないが 徹底的に好きか、と問われたらそうでもない!
問題はここです
あのセリフが来たとき。 わたしは「いやいや、そうでもないよ」って 言おうとした!! 訂正しようとした!! ところが。 ところが、だ! わたしは男の子を見据えた時、、 何も言えなかった いや、何も言えなくなった
その姿が、その声が、そのすべてが、、 あまりにもイノセントそのものだった
わたしは基本的に言葉を呑みこまない。 自分の言いたいことしたいことを貫く人間だ。
それがどうしちゃったの―
あ、あり得ない!!! 思い出すと、、どう思い返しても、、おかしい これは明らかに打ち負かされている ぐうの音も出ないくらいに こんなのは人生ではじめてのことだ そう。
少年が(少年だったこと)に打ち負かされていた
| 2018年11月21日(水) |
夢を見ていれば いつか叶う |
2018年11月20日 どうやらこの日 ドキュメンタリーを見たらしい
Fuzjko Hemming
この日のメモは、、以下だけだった―
夢を見ていれば いつか叶う
人生は何て短いんだろう
フジ子・ヘミング
先に断罪しておこう☆ フジコであってフジ子じゃなかった(爆) 急いでメモったのが原因だw
自分にとって感動がないかぎり メモが残ったためしはない
しかしどうだ この日の内容 イメージが 全然出てこない
ここから足がかりを得ようと努力が始まる 2020年の演奏ダイジェストに行き当たる この年、フジコ・ヘミング87歳。 一体何が、どこに感動をおぼえたのか それを突き止めたい あらためて突き止めなおしたい
「人生は何て短いんだろう」
映像を、演奏を見ると そのコメントとは裏腹にまったくの現役です 現役でありながら 《何て短いんだろう》と言い放っているのか この人にとっての時間は 時間とは どんな感覚なんだろうか
それにしても演奏が度肝にやさしい タッチが、、音が、、(まるい)!! (かど)をまったく感じませんッッ これは涙がでる でてしまう 間違いない。
この感じは、、《音になる》だ
これまで少なくない舞台を見てきました その体験、経験から導き出される実態 舞台人には大きくふたつに分けられる
オレオレ自己顕示自己実現タイプ
行為そのものになる芸術家タイプ
この二手には決定的な違いがあります 何者にもないエネルギーが満ち溢れているのは前者 決してオレオレを悪く言っているのではありません そのエネルギーが尋常じゃないからです 何よりも前に「俺を見ろ」があり わたし「が」演奏する・おどる、の「が」 世界の中心が演奏やおどりではなく「わたし」で わたしのために行為があるのだ 度を超えたものがないとこれで渡っていけない 悪い方面で言えば、 自分らしく、を誇張しすぎる人が多い 自分「が」の人は どうしても見せ方や音に色をつけたくなる それが ある種のいやらしさを現出させてしまう その色を《自分らしさ》だと肯定しかねない 色をつけすぎてキツいのが若さです でもその若さも その時にしかできないことかもしれません なにしろそのエネルギーは本物です だから良い悪いではおさまりません
さあ その直後に辻井伸行の演奏を聴きました 曲目は同じ「ラ・カンパネラ」リスト ロンドン ロイヤル アルバート・ホール 驚きました まったくもって超絶技巧路線だったのです いいや、そもそもこの曲自体が超絶技巧です それにしても 弾き方、音が、、まるでちがう
(ここまでちがうのか…)
一生懸命さにおいては見え方は 圧倒的に、辻井伸行です ホールが揺れるくらいの拍手でした たしかに凄い でもどうだ フジコ・ヘミングは―
これはもう聴いてもらえたらうれしい どちらも凄い なにしろ《中身》がまったくちがう!! もし もしもフジコ・ヘミングのタッチを 若い人間がやったらどうなるんだろうか 同じ演奏ができる人間もいるはずだ だけど、、 こんな情緒が、人生が、音に乗るのだろうか これこそが舞台永遠の謎です 真似と本物は、決定的にちがう ある意味で真似を本物にするのが技術、 プロの技とも言えます 観客に《本物だ》と思ってもらえるか 「その時・その空間」に関しては「あり」です 人それぞれ違う捉え方、感動の在り処 わたしたちはそれに対峙します わたしはフジコ・ヘミングの演奏を聴いて、 そこにたどり着くには 《その人》が不可欠なんじゃないか 本物の感動には、不可欠なんじゃないか そう感じました
その音色に《その人》を感じずにいられないんです
なんてこった ひとつの到達点に至ってしまっています 凄い この人は凄い きっと生で、会場で聴いたら 聴いてしまったら、、 涙が、止まらない気がします
音… 音が !!!
その人の過ごした時間を わたしたちは見ることができるのかもしれません
そう思える時点でもう技術を超えています
わたしは映像では足りないことを知っています これまで自分の目で空間を見てきたからです この体験を体感をもっともっと共有したい みんなと共有できたらなあ
そう思いながらおどっています
フジコ・ヘミングのモーツァルト 「ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467第2楽章」 でんきがはしりました からだがおどりだそうとして どうしてもうごきだしてしまいます
フジコ・ヘミングのピアノには譜面がありません もうさいしょから おと なのかもしれませんね
| 2018年11月20日(火) |
「LA DANZA DE LA REALIDAD」 |
先日の投稿後、、当時の手記が発見された 出てきてしまったーーー マジかよ(涙) どうやらタイトルのメモは覚書だったらしいw 映画を見た日付が 2018年 12月 20日 ってある… まだあと1ヶ月も後のことじゃないか(爆) とはいえもう投稿しちゃってるし、 発見されたのも本当です。。 あんなに頑張って記憶をたどったのに!! でも自分の記憶と当時の手記を突き合わせるなんて これまでガチで試したことがありません。 ここまで来たらやってみようw いいや やるしか、、ない☆
『LA DANZA DE LA REALIDAD』 リアリティのダンス
人生は絶え間ない奇跡の連続。 世界に耳を澄ますことで、 日々は魔法のようなダンスに変わる。 ホドロフスキー 23年ぶりの新作は、 残酷で美しい人間賛歌。
軍事政権下のチリで生きる少年は どんな夢を見るのか? 息子の死を乗り越え、ホドロフスキー監督が 自身の少年時代と家族の絆の再生を描いた、 魂を癒す物語。
1920年代、幼少のアレハンドロ・ホドロフスキーは、ウクライナから移民してきた両親と軍事政権下のチリ、トコピージャで暮らしていた。 権威的で暴力的な共産主義者の父と、アレハンドロを父の生まれ変わりと信じる母に愛されたいと願いつつも大きなプレッシャーを感じ、また、ロシア系ユダヤ人であるアレハンドロは肌が白く鼻が高かったため、学校でも「ピノキオ」といじめられ、世界と自分のはざまで苦しんでいた… 青い空と黒い砂浜、サーカス、波が運んだ魚の群れ、青い服に赤い靴。 監督自身の少年時代と家族への思いを、チリの鮮やかな景色の中で、現実と空想を瑞々しく交差させファンタスティックに描く。 1995年に事故で息子を亡くして以来、アートを作る理由を考え続けてきたというホドロフスキー監督はこう語る。 「これは人々の魂を癒す映画であり、映画の中で家族を再生することで、私の魂を癒す映画でもあった」
クラスメイトは霊魂になってしまった 永遠にほこらの中に入れられ奇跡を起こすのだ 苦しみの後になぐさめ なぐさめの後に苦しみ その鎖に終わりはない
未来の君は すでに君自身だ 探し物は自分の中にある 苦しみに感謝しなさい そのおかげで いつか私になる
20年後の私はどうなる? 100年後 1万年後は? 意識はまだ肉体を必要としてる? 君に私はまだ存在せず 私に君はもう存在しない 時の終わり 物資が起源へと戻る道を始めたとき 君と私は決して現実ではない思い出になるだろう 私たちは何かの夢 幻想に身を委ねなさい 生きるのだ
過去との訣別を感じ 大人の体に着陸し つらい年月の重さに耐えても 心の中にはまだ少年がいる まるで聖体のように 白いカナリアのように 開かれたドアと窓から風が通り抜ける ただ風が 風だけが通り過ぎる
圧倒された映画です 物凄い映画 ほんとうに凄いものを見たら 「凄い」しか、、言えない それ以外に感想が、ことばが浮かばない― ただ、最後まで気が抜けない映画でした いつ何が起きるかわからない恐怖がありました 登場人物たちに何が起きてもおかしくなかった 《恐怖感が常にある》 もしかしたら 取り返しのつかない そのことが そのこと自体が 《リアリティのダンス》かもしれない 実は、実のところは いつもいつでも わたしたちはその中にいる そういった映画なのかもしれません なんだかわかりませんが どう伝えればいいのかもわからないまでの とんでもない映画でした 混沌と理不尽と希望と神さまといのち いきる、って何なのか 答えが無いようで それでいて答えそのもののような気がします
以上が当時の草稿です― この草稿で、《記憶》で昇華されている自分に 衝撃をおぼえました… 記憶からつくった文章は 伝えられる、伝えたい、内容になっています なんだよ、、当時は掴んでないじゃないか!! いいや、待てよ。。 これが年月のチカラかもしれない。 もしかすると記憶の改変があるかもですが、、 たとえそうでも たとえ別物になっているのだとしても これは間違いない
間違いなく《自分になっている》
なんてこった
当時の手記は映画詳細の説明と 劇中のセリフを残したもののようです あの抽象的な台詞はダンス言語あるあるです 特に京都にいた頃は おどる前にあんな文言がやたらありました おどりまでの入口、導入部みたいなことば ダンスの舞台に行くとたまに書かれてますね 個人的にはなるべく省きたいやつです ダンスよりもことばが意味を持ちかねません このあたりのバランスは特に神経を払います なにしろダンスにはことばがありません 映画で特に思い出せたのはそのひとつでした
未来の君は すでに君自身だ 探し物は自分の中にある 苦しみに感謝しなさい そのおかげで いつか私になる
た、たしかにその通りだ!! その通りじゃないか この台詞、、ヨガスートラレベルだぞ☆ 自分なりに『リアリティのダンス』を3年を要して 記憶をたよりにしたその結果が直前の投稿です!! あれを《成長》と呼んでいいのかわかりません わからないけれど 自分はどうやら間違っていなかった!! そう思えました よかったw まさか自分のBlogで自分を学ばされるなんて、、 思わなかった… すごいなあww
| 2018年11月19日(月) |
「リアリティのダンス」 |
それは、かつて見に行きたかった映画でした― なんだよ!レンタルあるじゃんッッ 記憶が一気に押し寄せる!!
『リアリティのダンス』 その時 少年は、世界を見た。
世界を熱狂させた巨匠、 アレハンドロ・ホドロフスキー、85歳。 23年ぶりに作り上げた、 残酷で美しい人間賛歌。
シネコンで放映されないようなマイナー映画です。 しかし、《ダンス》というのが目に入る。 職業的に目に入って、引き返せなくなる。
いったい《どんなダンス》なんだろう
しかし、、あの頃 劇場に足が運べなかった。 忙しかったのか、足が動かなかったのか… 劇場公開されていたのはたしか2014年。 その時から頭の片隅に残っているのだから 我ながらすごい これは避けられない
3年か4年!?
その期間を楽しめるようになったのは 年月の力だと思えます。 わたしはいつまででも(その時)を待てる。 そしてその時出来なかったことは今やろうとする。 できないことは増えていく一方かもしれないが、 できることに関しては片っ端から潰していける。 これは《大人のチカラ》かもしれない。 正直、こうして3年前のことを書いているのも 特殊能力なのかもしれない 友人に「お前すごいよ異次元だよ」と 言われてそれを知りましたw あまりにも自分にとって当たり前のことで。。 毎度書きますが、これは幾たびも苦しい場面を 通り抜けてきた副産物です。
憶えていたい、そう心底思っています
今回のメモはなんとタイトルしか残っていません! もうこれは行くしかないw 行くのは「自分の記憶の在り処」です 笑笑 さあ今が(その時)だ!!
『リアリティのダンス』では、、 登場人物、全員の頭がおかしいみたいだった。 とにかく行動が全部あやしい。 全員が全員、極度の一本気。 熟考なんてしませんしてませんw 考えてるような「間」がまるでないんです! 思い立ったら気がついたら即、行動です。 悩む前に行動してる感じです。 そしてその行動がガンガン不幸を呼び寄せます。 主人公の父は度を超えた信念の男でしたし、 母は自らを聖母と思い込んでおり、 その会話ぜんぶが歌でした 一人だけミュージカルです 周囲のツッコミは一切ありません 当たり前のように全員が奇行です みんながみんなキチガイの喜劇のようでした… なんだよこの世界 全員こんなんかよ― リアリティの困難でしたw 現実とは程遠い度を過ぎたキワモノ しかし、これがかなり興味深い。 中盤くらいまで進んで、、気づきました 映画を舞台として見るとこれが成立しています なるほど、現実も、現実でも わたしたちの行動は見ようによっちゃあ すべて奇行です 映画ではそれが突き抜けていますが、現実に わたしたちもそれぞれが道化のように生きている ふしがありますよね?
もしかしたら現実も《そうかもしれない》
現実を極端に取り出したらこうなるかもしれない 登場人物の行動と言動は 一般人のそれを軽く突き抜けています もっとも凄惨なシーンでは 主人公の母がおしっこを《聖水》と言って 夫にぶちまけるシーン あれには、、目を疑いました 狂乱の中の最大の奇行でした でも、、その場面に至るまでには 彼らが道化ではないことに気づいています 奇行ではなく0か100の100なだけでした 《全員が生きていた》んです
なんてこった
《生きている》というのは◎★※と紙一重かよ 序盤から終盤まで人はバンバン死にます それも呆気なく無意味に そして意味ありげに死んでいきます そのうちに、もう考えざるを得なくなります なぜ人はいとも簡単に死んでしまうのか 神はいないのか 主人公はホドロフスキー自身のようです どんなに残酷な世界だとしても その登場人物たちは《生きていた》 決定的に《生きようとした》 その生きようとする姿が、、
その凄みが 美しかった
美しい映画なんて口が裂けても言えない映像に 美しさが現出しています!! 美しさの意味が、中身が、違うッッ カオスが混沌の映像でしたが これは人間が人間であるからだ、と感じてしまう! わたしたちはそれぞれ奇行をしています それも毎日それぞれがしているわけです ただ問題なのは《生きようと》しているのか ここに直視せざるを得なくなりました
登場人物が奇行を全力でやっているからです
リアリティのダンスにはチカラが漲っていました それは生きるチカラのような気がします もしかしたらほとんどの人が 「何なの?この映画??気持ち悪い」 なんて言いそうな気がしなくもありませんw でも、この(気持ちわるい)というのは (生きてる)とほとんど同じ気がするのです だって、、わたしたちが知る《天才》とやらの 全員に 気持ちわるい、行き過ぎた何か、を 感じるじゃないですかw 気持ちわるい 度を超えた何か それは見え方・印象の違いなだけかもしれません 生きるなら、、道化はごめんです☆
この映画の冒頭には監督の独白が入ります。
「自分がよそ者に感じる現実の世界では、 苦しみと喜びの横糸ですべてが繋がっている」
そして原作の自伝書籍 『リアリティのダンス』はこう終わっています。
「愛とはなにか知らない。 そして、私は君の存在に打ち震える。 衝撃を避けることはできない。 だが、どうやって耐えるかは知っている。 何をしているのかわからない。 だが、私の行為が私を創る。 自分が何か、私は知らない。 だが、自分がなにも知らないなどとは、 私は言わない」
この映画はたしかに《ダンス》でした 何かを受け取らないわけにいかないんです この映画は自分のつくりたい、 おどりたいダンスとほとんど同じだった
何が何でも生きる
この映画は衝撃的すぎてオススメできません ですが、この衝撃というのは これまでの世界の見方が変わってしまうような そんな衝撃です 「その時 少年は、世界を見た」 監督が見た《世界》とは、、 《人間讃歌》そのものなんじゃないか 最後まで突き抜けた先にそれにぶち当たったんです 物凄い映画でした 感動と言って差し支えない 見ることができて よかった 劇場で観られたら もっとよかった
3年間 片隅にあった記憶に感謝しよう☆
| 2018年11月18日(日) |
鬼にするトレーニング |
2018年11月16日 シュツットガルトの仕事が終わるまでは、、と おごそかに頑張ってきましたが、 いよいよ左膝の痛みがとれなくなった。。 ようやく行動に移すときが来た 来てしまった
パーソナルトレーニング
トレーナーを雇って行うトレーニングです。 自主トレを続けていて、痛みがとれない。 特にダンス練習後の違和感がまずい どうにかしたい これまでも自主トレで自身と向き合ってきたけれど どうやら自分でやっているその自主トレが、、 うまくいってない。。 うまくいってたらとっくに良くなってるだろ! こうなると(自分では自分のことがわからない)と いうことになります… わからないんだったら見てもらうしか、ない。
《痛みさえとれたら》
通うスポーツクラブでトレーナーを人選する。 トレーナーは誰でもいいわけじゃありません。
トレーニングはトレーニングでも 今必要なのはメディカル方面
運動療法は筋トレとはわけが違います。 単純に筋力をあげる、内容じゃないからです。 正直言ってトレーナーの力量が必須。 通うスポーツクラブでもともとトレーナーを していた内藤くんに術後を頼んだ経緯ですが、 (この時期、内藤くんはBリーグ某チームの 専属トレーナーに就いていた) あのときに聞いていた話から、 山村くんにお願いすることにした!
山村トレーニングの開始だ
内藤くんにはトレーナーのいろんなことを 聞いている。 不祥事とか不祥事とか不祥事?(爆) なにしろカラダのことだ いろんなことが起こりうる 妙な不祥事は別にしても カラダのことは「不祥事」では済まない。
山村くんはわたしが通う病院のことも知っていた。 彼らも勉強会でたくさんのことを学んでいる。 「知らない」と言われたらお願いしないところだ。 リハビリを突き詰めていくと 必ずたどり着く病院のひとつだからだ。 山村くんはスポーツクラブ最古参のトレーナー。 色々な場所でトレーナー業務をしています。 そんな山村くんは決して笑顔を絶やさない。 どんなに筋力が貧相でも嫌な顔をしないw わたしが関わってきた人間に、 そんな人、、一人もいなかったよww 大概は「これも出来ないの?ゴミね」だった(爆)
なんだよ山村くん カミかよ 笑笑
カミ笑顔はカミ笑顔でも方面はホトケタイプw すがすがしく流されると意志力が弱体化しそうだ。 もしかすると、それは老若男女誰がきても 完璧な営業スマイルかもしれない。 だが自分は芸術家の端くれだ。 方角がアスリートのわたしは《優しすぎても困る》 なんたって… 為したいダンスがあるのだ!! そういうわけで、、
た「俺のときは罵声で頼むよ」
や「ええっ」
山村くんを鬼にするトレーニングの開始だ
もしかしたら、、俺って鬼舞辻無惨かもなw
| 2018年11月17日(土) |
実録!世界の舞台裏 オマケ |
(※このページはシリーズ最後に見てね)
シュツットガルト・バレエ団 『Swan Lake』 振付 ジョン・クランコ(古典版に基づく) 初演 1963年11月14日
そこには凄まG衝撃が巻き起こりました☆ 最初で最後の機会です。 特別に記しておきましょう。
ロットバルトです!! オデットを白鳥に変えた張本人。 邪悪な魔術師! 白鳥の湖はこの人なしに始まらない。 王子の恋路、最大の敵。 その頭上に照り返す光に誰もが目を疑った―
ロットバルトが、、ハゲだったのだ
完全なるハゲ設定だったのである。 (しかもスキンヘッドでないハゲ) なんだろう、、この幻想が破れる感じ。。 その光は、インパクトがありすぎた 現代のロットバルト役というと… もはやめっちゃかっこいい悪魔のような風貌です! 禍々しい奇怪な魔術師でもハゲは見たことがない! だから、、凝視でもって二度見しまいましたッッ きっとみんな思ったはず―
「そんな バカな」
そして更に思ったはずです そんなハゲ役を、、イケメンが演じている。 どこからどう見ても大いなる矛盾です 手足は長いし下手すりゃ王子を食ってる!!
邪悪さ、、どこ行った―
カツラの時点でイケメン選択に疑念がよぎります。 もっと邪悪さで寄せていかないと、 カツラが台無しだろッッ!! ハゲなのに完膚なきまでのイケメンです。 心の中に渦巻く混沌(爆) この混沌は最後の最後まで尾を引きましたw ええ、現代の悲哀を感じます 今が現代じゃなかったら… よかった のか!? 初演の1963年にしかその答えはない。 古典版に基づいたら混沌が訪れたんです 時代が違いすぎる これは、こればかりは、、ツライ
必殺技(思考の一時停止)を突き抜けた
舞台上は、舞台上だけは嘘でも本当です 客席でどんな受け取り方が生まれようとも。 これが舞台の真実 わたしたちは嘘を本当にするお仕事とも言えます。 なにしろ物語に全力を注いでいます 言い換えれば 舞台は夢が叶う場所です どんな夢も叶ってしまう場所です 舞台は… 特別な場所ですよね
人前に立つ、というのは 誰でも、というわけにいかない
終演後、シュツットガルト・バレエ団の わたしたちを統括したバレエマスターに Fくんと挨拶に訪ねました。 ちなみにこんなことするのもわたしたちだけだ。 Fくんは大臣の役だったから役割も重かった。 正直言ってFくんの当日は気が気じゃなかった。 今にも死にそうな顔だったもんなw 所作、タイミング、決して失敗は許されない。 どんなに小さな仕事だとしても、 我々には団員たちとは違う重圧がある。 正直言って《一発勝負》に限りなく近いのだ。 わたしは、というと特別なことは何もなかったが、 これも人生で最初で最後のことだ。 挨拶くらいしてもバチは当たるまい。 こんな日本の辺境にまで 世界最高のバレエ団の一つが来てくれたのであるw 舞台裏を覗かせてもらった経験と共に 出演までさせてもらったことには感謝しかない。 何よりも世界で活躍する集団です。 バレエをかじっていれば 嫌でもその名を知らぬ者はいない。
主催のTv会社の女性に最後の挨拶したあとに とんでもない事実が発覚した
た「お疲れ様でした」
主「タイスケさんたち、、帯剣してたでしょ? あの剣なんですが、警察に届け出だすの、、 忘れてたんですよw 銃刀法違反でしたね」
最後の最後にとんでもない事実知ってしまいました
何それ、、俺、犯罪者かーーーーい☆
後日。 わたしが出演していたのを知っている子供達に遭遇 舞台上のわたしを見つけることに成功したらしいw 特殊メイクもしていたのによくもわかったな… いや、待てよ? それ俺じゃないかもじゃん?? ちゃんと確かめてみるか
た「どこにいたか わかった?」
こ「お城のねえ、、二階の下手側っっ」
「おお、よくわかったねーーー どうしてわかったの??」
「目が大きかったから!!」
「えっ
こんな小さな子供にもわかるなんて、、 もしかすると、、 俺は目だけで出来ているんじゃないか!? 笑笑
『Swan Lake』を見に来た子達… その日だけは みんな優しかったなあ(超実話)
| 2018年11月16日(金) |
実録!世界の舞台裏 最終話 |
本番のベルが鳴る。 いよいよ本番の時間が来た。 一幕の準備は完璧だ。 しかし、リハーサルは全部削られていた… 統括バレエマスターによれば、 すべて重要なシーンの時間に取られたらしい。 従って、、わたしたちは、なんと一発勝負だw エキストラとはいえ、ありえない。。
俺たち どんだけ どうでもいいんだ―
とはいえ間違いなど決して起こせない。 なにしろ世界のバレエ団だぞ!! それこそ失敗など「絶対に」ありえない。 不思議な話だが、どうでもいいような役でも 本番の重みは同じだ。 プレッシャーはかかる。 リハーサルさえやっていないのだ。 緊張しないわけがないw これは、客席には決して届かないだろう。 だからこそ、文章にしよう☆ これこそが、大冒険の話そのものです 笑笑
たとえどうでもよくても 舞台に立つ以上 どんな舞台も同じ
わたしたちには、当日の 団員バーレッスン見学の許可が下りていた。 世界で活躍する団員たちのレッスンを眼前で見た。 むしろレッスンの方が貴重だ。 目の前で見れる機会なんて未来永劫ない。 しかし本番直前だからだろうか バーレッスンはほとんど「流す」だけだった 目に見えるテンションをまったく感じない わたしにはそう「見えた」だけかもしれないが 気迫がない それだけ本番が「当たり前」なんだろうか テンションがなくても確かにフツーに凄い。 そのフツーが既に凄いのだ。 でも、本番はこれじゃないのが見たいよな 自分の本意はこれだろうな いつだってこれだ 湖畔のリハーサルも見ることができた 場当たりとキッカケの最終確認らしい これが… 始まった瞬間に鳥肌がたった 白鳥群舞、、白鳥が一斉に並んだ瞬間だった 楽屋入りしてたくさんの団員とすれ違ったが
とにかく脚が細い 《細すぎる》
自分よりちょっと低いくらいの身長なのに 足のほそ、細さが、、、尋常じゃあない。。 こんな細さでスタミナがあるとは到底思えない!! なんなんだこの細さ!? 人体おかしいぞ この感じは、、ルリさん以来だろう 「片手で完全に掴めるくらいに細い」 そんな団員たちが並んだ たったそれだけで、 ゾッとする美しさが現出した、してしまった。。 ある意味で、これは技術でもテンションでもない ただ、、それだけで、ものすごかった
なんてこった
これがひとつのバレエの到達点だろう こんなのは日本人には到達できまい なにしろ、カラダのつくりが… まるで違う 空気感がまったく違うのだ 特別な者たちの集団というだけですごい 彼らを眼前にしてあらためて痛感した リハーサルはこの場面しか見ることができなかった 自分たちも衣装合わせ等、準備の時間だ それでも 大きな発見をすることができた もし出来るなら舞台裏を見た上で、 本番を客席から見たい それができたらもっと何かがわかるはずだ
一幕 王子の城近く 王侯貴族一行は上手から出現。 下手前方へ斜めに歩く。 バレエマスターにバレエ歩きは禁じられている。 「フツーに歩いてね」 そのフツーが一番難しいんだけどね 王妃にお目通りする。 上手へ歩いて帰る。 おわり
三幕 玉座の間 つくられた居城セットの二階でスタンバイ。 賑やかな所作が求められた。 王妃の前で数々の踊りが披露される。 現れた王子や黒鳥に対してリアクションする。 王子が黒鳥にだまされる。 「なんてこった」 おわり
いやぁおわった あっという間におわったw 一体なんだったんだろう 本当にわたしたちは《必要》だったのか まったくもって理解できない 世界一流のバレエ団だからこそ理解に苦しむ 自分が見に来たとしても そんなのは省いてくれればいい、と思うはずだ この答えは観客として来ていた大先生によって 後日もたらされることになる
「いやータイスケくんたち… 要らなかったわ」
バレエマスターの大先生に言われるんだから 本当に要らなかったんだろう。。 これがわたしたちエキストラの仕事だ。 そんなものに本気で挑んでいる これは事実だ 直前まで王侯貴族の歩き方のことを考えたし、 帯剣してかっこよく歩くのも正直熟考を重ねた。 刀剣を所持すると壁なんかに当ててしまうのだ。 当ててしまうと「カチン」と音が鳴ってしまう。 少しでも本番を良くしたい 出来ることは少ないが 舞台人として全力を尽くすなんて まったく当たり前のことだ
今日、この日のために見に来た人たち その人たちに最高のものを見てもらいたい
この気持ちがなかったら舞台になんて立てない。 さあ、この日の世界最高のバレエ団の本番は、 どうだったんだろう?? 実は、、あまり良い話は聞けなかった。 同業者先輩たち先生たち結構いたんだけど、、 どうやら物足りなかったらしい… 観客ならきっと実力以上のものを期待するはずだ なんたって31年ぶりにやってきたバレエ団。 客席で見ることはできなかったけど、 舞台裏は至って「フツー」だった。 言葉にすると舞台人特有の気迫がなかった。 ここからは憶測だが、 きっと実力以上のものはアウェイでは来ない。 彼らは《毎週本番》なのだ。 プロとしてまずは《怪我しない》ことだろう。 アウェイでは事故が起こり得る。 劇場の勝手がまったく違うのに、 リスクを超えて実力以上なんて、、 失礼で期待しちゃいけない気さえするのだ。 それほどまでの技術を持っていて、 初めての劇場でなお失敗は許されない。
わたし自身もパリ・オペラ座に足を運んで 度肝を抜かれた人間です 本物の、本当の、彼らの実力が見られるのは 本拠地以外にはあり得ません クラシックバレエは劇場も含んでいる気がします もしかしたらこれもバレエの本懐かもしれない 毎週のように当たり前に本番が行われるのと、 わたしたちが準備に準備を重ねているのとは、 比べられないのも道理です
どちらが、というよりも 見せるものが違うのかもしれない
技術はすべてを肯定させるかもしれません それでも技術を超えたものが見たい
わたしは《ダンス》が見たいんでしょう☆
| 2018年11月15日(木) |
実録!世界の舞台裏2 |
「おはようございます」
当日会場楽屋入り。 エキストラではわたしが一番乗りだった☆ 早すぎたか 笑笑 でも、だからこそ面白いものも見れる。
団員たちが次々とタクシーでやって来る
早速 格差社会を思い知るw 滞在場所、それぞれ違うんだろうな。
THE STUTTGART BALLET JAPAN TOUR 2018 《EXTRAS》
BACKSTAGE PASSを受け取る。 しかし、、この首掛けPASSの紐ッッ ピンク!!なんでピンク!? ピンクは…さすがになくないかな?! 首から掛けたくない衝動の後に思い至る。 この色は、どう考えてもあれだろう… 日本舞台芸術振興会の趣味。。 笑笑 舞台芸術振興会のおばさまたちの姿を見ると なんか、、めちゃくちゃ納得がいったw それは 心の中で絶対の決着だった(完)
さあ楽屋へ進む。 わたしたちの楽屋は2階、衣装部屋の片隅にある。
衣装部屋にはあらゆる衣装が吊り下がっていた―
す、、凄いな。。 これは凄い。 衣装部屋の大部屋は部屋割りをつくるために 天井には木組みがあった。 わざわざ柱を吊るして黒幕で部屋割りされている! こんなのは初めて見たッッ ともあれ衣装の数が尋常じゃあない。 スタッフもまだ誰もいなかったので探検できたw 衣装部屋を兼ねる大部屋はそんな風に区分けされ、 中にはマッサージルームまである。 からだが資本の踊りの舞台。 マッサージルームが常設されているのは格だ。 レベルが下がるほどそんな部屋はない。 ダンサーの大事さなしにこんな部屋は作られない。 これが世界ツアーなのだ。 一目瞭然だ わたしも海外で踊っているけれど、 クラシックバレエは全く次元がちがう。 選ばれなければ決して舞台には立てない。 もちろんこれがすべてじゃない。 そうじゃなきゃ踊ってない。 ただ、この世界は、 ここを目指さなければ踊ることはできないだろう。
つづく。
| 2018年11月14日(水) |
実録!世界の舞台裏1 |
オーディションみたいなのが行われた日 《役柄》が決定します。 それとともに《衣装》が決定する。 わたしたちはそれぞれの身長に応じて試着。
人生で初めてあの襟を着た 襞襟(ひだえり) さすがは王侯貴族役!! キリシタンや南蛮貿易の描写でよくある あの、、無駄にビラビラな襟ッッ なにこれ もう… 超ダサい☆ いくらダサくてもこれは楽しまなきゃ損だ なにしろ どんな時間も二度はない。
世界のバレエ団には専属の衣装班が従事、 丈の長さや袖の長さをそれぞれに合わせます。 最後に靴まで。 思い出すと、特に靴がぶかぶかだった。。 (当日は中にめちゃ詰められてた) 衣装の人に身長体格の見立てで 「これは合ってる、これはダメだね」と 最速で指示されます。 なんか、、おそろしく劣等感が湧いたw こんなに骨格違うのか…
これが黄色人種のsagaか―
衣服っておそろしい。。 体格が一瞬でわかってしまう!! 舞台人としての見栄えに天と地の差がある。 これが現実だ。 舞台に立つ娯楽というのは 舞台が大きくなればなるほど 舞台に立てる人物が決まってくる。 そのステージにふさわしい全てを 持っていなければ舞台には立てない。 だが、見栄え、実力が備わっていても それ以上の何かが現出するかは、、わからない。 《ダンス》の観点から言えば、 踊りを踊ればダンスになるとは限らない。 ダンスは見栄えや実力の先にあるはずだ。 あらためて言えばこれは《バレエ》だ。 もしかしたらダンスじゃないかもしれない。 バレエにも、究極のバレエがあるのだ
衣装合わせは超短時間で終了。 当日には完璧に調整がなされたいた。 世界の一流とはこういうことだと思い知らされる。
当日はさらにカツラと口髭にあご髭までつける。 これがまた特殊で一切の手抜きがない。 舞台用特別接着剤なんて初めて肌につけた。 そして帯剣までする。 この帯剣がまた細部まで凄い。 思わず何度も抜刀してしまった(爆) 当たり前と言えば当たり前だが、、
《その当たり前がすごい》
どんな世界もここに帰結するのかもしれない
つづく。
| 2018年11月13日(火) |
「THE STUTTGART BALLET 2018」 |
シュツットガルト・バレエ団 それは 世界最強のバレエ団のひとつ
『Swan Lake』 全四幕
ジョン・クランコによるバレエ 振付:ジョン・クランコ(古典版に基づく) 世界初演:1963年11月14日 シュツットガルト・バレエ団
演目は、バレエ究極の古典。 1877年に初演されて以来、数々の振付家に よって細かい筋書きや構成が異なる改訂版が つくられている。 シュツットガルト・バレエ団ではそれが 1963年なのだろう。 年月の重みがすごい。 ダンサーなら人生で一度は出演したい。 なにしろ、、全幕です!! 第一幕 二幕18:30〜 第三幕20:10〜 第四幕21:05〜21:25 3時間… こんな演目そうそう出来やしません そんな白鳥の湖に そんな世界のバレエ団に なんとエキストラ出演することになった―
ことの元は あのバレリーナからのメッセージ。
「今度シュツットガルトバレエ団が 来るんですけど、 タイスケさんならどうかと思って 連絡しました☆」
世界最強のバレエ団です。 間違っても人生で一度は間違ってもみたい! わたしはバレエダンサーではないので 自信も何もびた一文ありません。 バレエダンサーではないので、 妙な《地位ステータス》なんてのもない。 わたしのダンスはヒエラルキーとは無縁ですw さらに言えば、、 死ぬような目にもあって若くしてオマケ人生です。 そういうわけで失うものは何もない
楽しめるものには首を突っ込もう☆ (穴があったら入りたいですね)
面接を通過した してしまった
面接は某テレビ局の女性。主催の放送会社です。 バレエ団が世界のバレエ団ですので、 出演者に巡り会えず相当苦労していました。 ダンス界… ぜんぜん知ってそうにないしねw 「他に出てくれそうな方 知りませんか?」 なんて逆に尋ねられたくらいです
どうしようもない
次の面接は直接シュツットガルトバレエ団。 本番2日前に本番会場の大練習室に集合。 エキストラを束ねる偉い女性バレエマスターが 役柄オーディションも兼ねてわたしたちを見定めた 特にエキストラの中でも一人だけ突出して重要な役 《大臣》に選ばれるとリハーサルが増える。 王子や王妃とのやりとりもある。 出来るなら是非とも狙いたい。 わたしもそのオーディションさせられたが、 「歩きながらお芝居してください」 「はい!怒ってください」 などなど しかし、実態はこうだ。
身長が高い者のみ
わたしでも海外からすればぜんぜん低い。 実際、ダンサーとしての身長最低限クラスだった。 わたしより低い身長の男性団員は一人もいない。 だから、、選択の余地は多分ない。
身長が一番高い者が選ばれた 完
まあ、、「ですよねー」って話だw 技術や年季じゃあないのだw 選ばれた、身長が高いFくんは知り合いだ。 かつてわたしと共に草刈民代さんの舞台に 同じ会場で同じエキストラ出演を果たしている。
またかよw
実のところ、これは運命でもなんでもない。 エキストラができる人間がろくにいないからだ。 なにしろ今回は世界最強のバレエ団。 正直、そんな裏方が直視で見れてしまう。 あんなものやこんなものまで見れてしまうかも?!
次回 「潜入!世界のバレエ団の舞台裏」
潜入、、っていうか出るんですけどw
つづく。
| 2018年11月12日(月) |
コフレ?えっまさか! |
〜季節はもうすぐX'mas〜 2018年 11月7日 美容室にて
自分にとって美容室は 数少ない《今の流行》を学ぶ場所です。 なにしろ…
Tvを見ないので知り得ようがないのだ
特にバラエティに関してはまるで歯が立たない。 まったく話題についていけないのである。 美容室なので基本的には流行ファッションから。 以前からも載せてきましたが、 それには女性誌を見るのが最も簡単だ。 女性誌が手に取れるのも美容室の特権と言えよう。 本日のキャッチコピーはこれです☆
【コフレ】
わかりますか? 女性の皆さんならお分かりでしょう! わからなくても大丈夫。もう3年も前だから 現在使われなくなっていてもおかしくありません。 それが《流行》ッッ 笑笑 さあそういうわけでコフレです。
わたしはこの件で大失敗を遂げてしまいました
そう。ついあの言葉が浮かんでしまったのだ
「コフレ? え〜っと…セフレの友だち?」
あかんやつでしたw でも、でもですよ?? 似てますよね?ね? 同じ3文字だよ?? ぜんぜん友だちでしょ!? 最初の一文字違いなだけじゃないですか!!
この発言はスタイリストに激しく注意されました―
「タイスケさんが使っちゃアウト発言です ここじゃない場所で、 つい口走ったりしたら即死ですよ」
き、、厳しすぎやしないか!? そ、即死って、、そこまでの発言なのか!?
いやぁ、、コフレって何なんだろう 笑笑
【コフレ】とは 「箱」 宝石など綺麗な煌びやかなものを入れる箱 フランス語 coffret が語源 一般的には複数の化粧品をポーチなどに 詰め合わせたもののことをいう。 コスメブランドから発売される、 クリスマスコフレが女性に人気。
またひとつしにちかづ… おとなになれました!! まいにちはまなびです☆ まいにちはぼうけんです☆
| 2018年11月11日(日) |
意外と真面目なんですよ |
2018年 11月 5日 今日もクラシックに通っている。 大先生のレッスンだ。 今日もわからなかった部分を小先生に尋ねる。 ここの生徒は本当に勤勉で、 みんな個々人でノートを作っているレベルだ。 逆を言えばノートを持っていない生徒はいない。 小先生は言った
「気分かな」
わたしが尋ねた部分は、大先生にとって 《気分レベル》だったことがわかった。。 わたしは気分レベルに迷走していたのだ
気分かーーーーーい 笑笑
どんな世界も知らないとはおそろしいもので 合わせなきゃいけないところは 合わせなければなりません。 なにしろクラシックは美を追求しています。 特に群舞においての荘厳さは度を超えている。 《みんな違ってみんないい》なんてことには、、 決して、決して、ならない!! その上で機械的ではないところに到達する。 そもそも違うカラダを持つ人間が、、 合わせようとして合わせているのが凄い。 いいや、突き抜けたら合わせようとしなくても 合うのかもしれない―
一糸乱れぬ群舞は息がとまる
どんな世界も一事が万事になりえます 発言でさえ同じで 取り返しがつかなくなるときがままあります 考えたらゾッとして身動きできなくなる… 《先生》につまらない質問はできない 質問にも、それ相応のレベルが必要となる
そんな日の一言でした ほとんど話したことのなかった先輩に
「意外と真面目なんですね」
わたしはここでは最下層の存在です 一体今までどう思われていたんでしょうかw とても複雑な気持ちになりました。。 なにしろ、、
わたしから真面目をとったら 不真面目しかのこりません(爆)
わたしはいつでもたのしくいたいと願っています だって苦しいことを毎日しているんだもんね 人に伝えるって そんな簡単なことじゃないよ 友だちならまだしも、、いや、友だちでさえ、、 いいや、会ったこともない人にどれだけのことが 伝えられる渡せるというんでしょうか― 甚だ困難です 甚だ困難なことをしようとしているのです 届かないかもしれない現実に立ち向かうために 苦しい練習に立ち向かっているわけです
ただ、もしかしたら、、もしかしたら たのしくしようとしていることが、その雰囲気が、 《不真面目》と思われているかもしれない 《不真面目》に「見えて」いるかもしれない
ここは避けられない 間違えられたくない
いったいどうすれば すべてをつたえられるんだろう これまでもずっと考えてきました 考えてきましたが、行き着くところは (自分だけでは解決できない)ということです
相手がいること
受け取ってくれる相手がいること 自分一人では決して完結できないこと
答えのないものに挑んでいたいのは
それを《生きている》としているからかも しれません
| 2018年11月10日(土) |
ウサギ2体 お取置放置の果てに |
某ブティックの受注会に行ってきました! 受注会は常連の接待も兼ねられていますよね。 もれなくお茶菓子が出ます。 それに粗品まで進呈してくれちゃいます☆ この粗品が凝っていてバカにできない。 この辺がブティックの格付けなのだろう。 上に行けば行くほど心遣いが違う。 わたしはセレブリティじゃないので 気に入ったものしか購入しません。 ですが、受注会はファッションショーでの コレクションが降臨してきます。
おもしろいものを求めれば自ずとここしかない
これまでも度々書いていますが、、 入院の長かったわたしは ファッションが如何に 心を救ってくれるか知っています それを知ってから、大阪のオバちゃんみたいな 突き抜けたキワモノでさえ見ていられるように なりました。 微笑ましささえ感じます(爆) 本当に気分を、気持ちを、変えてくれるからです 好きなものを着れば自分自身を救えます 病衣を着ていると、、心底 心底やる気勇気希望がありません湧いてきません (何ヶ月も着たらきっとみんな頷いてくれます) これも自らの経験の導きです☆
どんなことも自分が好きなことを 好きなものを その先にわたしたちの活力があります
嫌々ながらいることで活力は湧きません 嫌なことを好きなことに転換して はじめてわたしたちのいきいきが発露します!!
その帰り、ついに「その時」がきた。
受注会が開催された階違いのお店に、 購入して取り置いていた商品があった―
取り置いたのは 6/12 なんと5ヶ月も前のことなのである!!
プレゼントとして購入したものだが、 それを渡したい人のひとりが日本を出国したため 渡せる機会を逸してしまい、、 そのまま何の連絡もなしに…
《取り置きのまま5ヶ月が過ぎた》
お店の人はさぞ困ったことだろう。。 だが、わたしはほったらかしにしていた 完全に5ヶ月放置していたのだ
慢心はあったが罪悪感もあった
そういうわけで心の壁を用意した 受注会で対応してくれたT永くんを同伴したのだ T永くんはブティックの店長(超えらい)なので
「いや〜 早く取りに行ってくださいよ 絶対困ってますよお なんなら私が一緒に行ったげますよ」
その申し出をそのまま受けて矢面に立たせる。 なんとも壮大な保身ロマンだ。 まあ、、T永くんが楽しんでいることが前提だがw
【緊急クエスト(5ヶ月で緊急!?】 取り置きの置物ウサギ2体を受け取る
ウサギ2体。 置物のw それはロンドン店でも売っていたウサギである。 このウサギは以前から売ってあった置物だが、、 日本では完売してしまっていたはずのもの。 そのひとつの外観は全身PINKのスパンコールで 覆われた“ような感じの” どこから見ても輝きを放つ異形のウサギだw ギラギラでめちゃくちゃカッコイイ☆
入店するやいなや大声で叫ばれました
「あああああぁああーーーー!!!」(超実話
女子店員の叫び声なんて人生はじめて聞けましたw 髪形もあの頃からだいぶ変わっているはずですが、 瞬間的に叫ばれていたことから かなり罪があったことを自覚しました(爆) しかし、、瞬間的に叫ばれるレベルなら、 5ヶ月前に応対してくれた店員に間違いない。 なんてタイミングだ… 罪が、、ヤバイ
「ちょうど話してたところだったんですよ! (今日あたり来るかも!)って―」
そんな馬鹿な!! それ、、絶対ウソだろ!! ご、ごごごごご 5ヶ月だぞ!? 5ヶ月で(ちょうど)とか(今日あたり)って、、 何だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「これですっきり今年を終われそうです」
それは、、よかったです 笑笑
回数がわからないほどの再入会を超えて― バタ足リハビリ自主トレ1000mを、、
33分で泳破!!
術後リハビリ全盛期の記録は忘却の彼方ですが 現時点の自分の、、世界最速です☆ 痛みを かかえていても… 我ながら、やってみればできるもんです!! しかし、事実はこっちです。。
◎やろうとなんて思ってもいなかった◎
思ってもいなかったのにやれた原因、、
営業時間が残り35分だったのだ―(爆)
自分の可能性… 追われることでしか、やろうとしなかったw
35分しかないことではじめて発揮できた実力
やれるだけやってやる
それ ほんとうは最初から発揮できたんじゃない?
このロジックで怠惰に気付かされてしまいました
できることをする… やれてないじゃないか
人間、目標がなかったら力は発揮できない!!
(できること)には(内実)があります
できることには限界があっても、、
内実には限界がないのだ
なにしろ 泳ぎたくてやってません それもバタ足だけとか究極の退屈です 遅いし、隣の人たちにはかるく抜かれるしww 場内スピーカーも壊れていてまったくの無音です 気を紛らわせられる娯楽なんてのは皆無です!! なにこのスポーツクラブ!? ストイックすぎる人じゃないと通えないだろッッ あそび気分じゃ絶対に無理☆
度々問われるときもあります
「なんでバタ足しかしないの?」
ヒザのリハビリだからです。 筋持久力 自分にはそれ以外にプールに入る理由がない。 そういうわけで不本意ながらも、、やるしかない
はっきり言えばたのしいことなんてない
そんなわたしですが なんとかたのしみをこれまでも見出してきました 溺れるように泳ぐおばちゃんたちを 怒涛のようなバタ足で追い抜いていく チャプチャプな人たちには目もくれず ひたバタ足を繰り返して地味に猛烈に進みます 水泳の人たちの適当さにも負けてしまいますが、
その他の人には負けない
とても小さな闘志ではありますが これがなければ、、毎日1000mなんておそらく おそらく続かないとおもいます いつも「一体なにやってんだ」 「どうしてここにいるんだろう」 そんな気持ちとの葛藤ですが、 自分が居たい場所には、力を発揮するためには 選択肢はありません
いいおどりがおどりたいんです
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