かつてわたしはいいました―
「面白い話は自虐が最も尊い」
自虐こそが誰も傷つけない話題なのだ☆
しかしながら、、 自虐ネタというのを続けていると 無意識のうちに自身が傷ついていきます(爆)
無自覚にその傷が深まるのだ
そういうわけで! わたしはいつも。いつでも。 誰かの話を聞きたがっています。 身売りすると 擦り切れてしまうのを知っているからです これも自分を守るため、、 生きるための防衛本能なのかもしれませんね
その友人は語ってくれた
「ドラマでこんな台詞あったのよ。
「同一人物の犯行です」
それを、一緒にいた友だちが、
「またドイツ人かよ…」って。。
さすがに吹いたわw」
癒されましたw
一歩間違えば差別用語です 意地でも気をつけてください。
別の友が、さらにもうひとつ投下してくれました
その友人は語ってくれた
「美容室に施術料金が貼られていたのよ。 それを見た娘が言ったわ。
「お母さん!ここ、、小人もくるんだあ」
超癒されましたww
なんて素晴らしいお話なのでしょう☆ 自分が語らない それは、、とても とても楽でした
《楽にしてくれた》のです
自分で自分を楽しくする
それは、、毎日が苦しいからです
変わりばえのない日々 ほんとうにしたいことができない日々
自分の行動なしに事件は起きません
いいこともわるいことも起きません
自分の場合は、、《行動自体》が制限されています
楽しいことが痛みで出来ない
それでも
この世には自分にしか踏み出せない一歩がある!!
編み出したのは苦しさを乗り切る技術
「楽しもうとすれば大抵のことは楽しめるものよ」
しかし
その技術に擦り切れる日があります
この技術は苦しさから生まれているからです
そんな自分を解き放ってくれるのは
自分がひとりではないこと
お話を聞かせてくれる誰かです
たったそれだけで
たったそれだけで
すくわれることがあるッッ!!!
ふたつの話が今日を楽にしてくれました
わたしはそんな友人がいることを誇りにしています
わたしたちは忘れます
今日は、最も好きなメジャーリーガーの 名前を忘れていた―
気がついたら忘れていたのです 何とか思い出そうとしました (あの選手あの選手あの選手あの選手あのッッ) 狂おしいほど記憶をたどりましたが… ダメだった
BOSTON RED SOX ペドロイア
暴風フルスイング選手です☆ 当てにいくようなバッティングをしないw スイングの軸がブレない無駄な軌道が一切ない!! 日本プロ野球では「当てる」が多いが、 アメリカメジャーは断固「打つ」なのだ。 バットコントロールって何?当てるって何?なのだ 身長は175cmとメジャーでは小柄だが、 そのスイングは、、度肝です☆ あんなに気持ちのいいスイング見たことがない。 オールスターに選出されたとき、 たしか、、家族を優先して辞退したほどの選手w とにかくすべてにおいてすがすがしかった
まったくあのフルスイングどおりだ
そんな選手のことを「あの人」にしたくない!!
記憶って怖い こんな風にいつの間にか忘れていくのか あの人のことも? あの人のことも忘れるのか!? 俺は、、俺は、憶えていたい
憶えていることは 記憶は 自分が生きてきた豊かさ
どんなに嫌なことも 苦しかったことも俺は憶えているぞ それをどうにかやってきた努力が自分だ あの時があったから今の自分になったのだ
忘れていくことが止められないものだとしても それが《生きている》ことの真実だとしても 俺は憶えていようとしてやる
嫌なこと、自分に不都合なことは、無自覚に、 無意識に忘れていこうとしている気がします 忘れることで自分を守るためかもしれません わたしたちが明日を生きていこうとするチカラです
わたしは事故の記憶が一切残っていません 気がついたら救急救命病棟で寝たきりでした 搬送された自分を対応した看護師さんが 退院直前にその日のことを話してくれました 「喋っていましたよ」と
それは無意識に備わった生物のチカラかもしれない 何かに囚われていたらとても生きづらいからです ケガをしてきた自分には、ひとつの確信があります
身体的な痛みは、カラダが忘れようとする
激痛を憶えていたらカラダが動かないからです 激痛の記憶、、感覚は度を超えています 特に、術後は鈍痛と冷や汗で悶絶の日々です いろんな友だちに本をいただいていましたが ぜんぜん読めないくらいでした 「読もうと」できなかった… その後、リハビリ&自主トレを続けていくと 今まで激痛が走っていたはずの動作が、、 いつの間にか通せるようになります!! (通せないときは、、激痛が来る) 激痛を忘れたときはじめてカラダは動いてくれる リハビリで調子が上がっていけばいくほど、 不思議なくらい痛覚を忘れています
カラダが整ったら《不安がない》
整ってはじめて《イメージができる》
このことは発見でした わたしたちには忘れることが必要なのでしょう 「憶えている」というのは いいことなのかわるいことなのかわかりません 心が囚われてしまうこともあるからです だからこそ ここに抗いたい
憶えていても囚われることなく生きられるはずだ
どんなに無駄と思えるようなことも 自分にとって嫌なことも 不都合なことでも わたしの時間においてそれは無駄じゃないからです
それは、再入会初日。 帰りの地下鉄に乗り込んだ時だった。
シャワーも浴びたし あとは寝るだけだ―
余力ゼロの足取りで地下鉄に乗車 閉まった自動ドアの外に目をやったら…
ずっと昔、一緒に踊った女が立っていた
もう何年も顔を合わせていない
そんな人間と地下鉄車内と外で鉢合わせていた
奇妙なのは《同時にお互いの目が合った》こと
自分だけが(発見)しても事件にはならない
この状況で「お互いに存在を認めた」のは奇跡だ
その時の、瞬間の、、同時リアクション― 双方向からの勢いは明らかに度を超えている!! リアクションは、単独時とはあからさまに違う。 自分だけが、気付いただけなら、 おそらく それほど心には響くまい。 もしかしたら記憶にも残らない出来事かもしれない
それがどうだ 3年後でも思い出せるじゃないか
この瞬間というのが《感動》に他ならないのだ
地下鉄本体に阻まれながら、二人は叫んでいた 二人はお互いに指を差しながらこう叫んでいた
「ああぁあああああぁあああーーーー」
その声がお互いに聞こえたくらいだった(超実話) なんなんだ… あの目が合った瞬間ってのはww どう考えてもあの叫びは恋じゃあない 笑笑 なにしろその表情が馬鹿面すぎる!!
純粋な驚きと叫び声はセットなのか!?
なにしろ考えるよりも先に叫んでいる☆
しかし、ふたりの間には強烈に流れた何かがある 一瞬で「何か」の密度が急激に上がったのは確かだ 突然に水が沸騰するような…?? どう思い返しても、沸点までの時間が1秒もない 気持ちになるよりも圧倒的に速い
その「何か」って何!?
不思議だ
自分だけならこんなことにはならないのだ
10/8の本番を終えたあと、至った 苦渋の決断に、、至ってしまった
【スポーツクラブ再入会】
スポーツクラブ再入会×∞ まとめ クラシックでは、レッスン中 自らに出来る最高の5番を目指した。 5番というのはクラシックのポジションのこと。 それは人類の、非日常の堂々たる立ち姿。 究極の5番を目指したその先に、、
膝の痛みがついに抜けなくなった
そもそもソロも踊ろうとしていたくらいだ。 それほどやろうと思っていたのに 頑張れば頑張るほど痛みがやってくる ダンスに向かえるようになって 全力で取り戻そうとしてきた技術。 それでも無理はしないように、、 そう気をつけていたはずだった
無限列車かよ
考えたら止まらなくなる。 頭で考えても痛みはおさまらない。 それどころか不安と恐怖感に塗り潰されてしまう。 だから出来ることをやる。 そうと決めれば、行動あるのみだ
数日後
そのスタッフは同スポーツクラブで バイトしていた頃から知っている女の子。 なんとミッキーマウスと誕生日が同じだw わたしが地味トレしかしていないことを 数年間に渡って見続けてきた女の子は 驚いたような口調でわたしに言った。
ミ「また入会されたんですか?!」
た「そうそう 一昨日に、、
ミ「知ってますw」
こちらが言い切る前にかさねてきやがった― 知られていた いいや待て そりゃそうだ、もうバイトじゃない職員なのだ。 個人情報も、もう全て注視できるじゃないか☆ ちくしょう。。 知っていたのなら 驚いたようなそぶりは演技だ
そうだ。この女は狡猾なのだ 笑笑
そう、それこそ わたしはとっくに知っていた。 数年間に渡ってその性格を見切っている。 そう思った時に、思い出した時に、実感した
ああ、また戻ってきてしまったんだな…
でも。すぐにでもやめてやる。 カラダさえ、調子が戻りさえすればいい
ここに初めて来た時からその決意は変わっていない
| 2018年10月16日(火) |
いつもいるひとたちは |
自主トレーニング&自主リハビリのために 4年通っていたスポーツクラブ。 ダンスに専念できる状態になって退会しました。 すっぱりやめました。 スポーツクラブ… 正直に言えば苦痛でした 楽しむために通っていなかったからです 2ヶ月 or 3ヶ月の目標期限を自らに課して その目標さえ達成できれば、すぐさまやめる。 そう心に決めて入会日に退会手続きまで済ませて 毎回目標が達成できずに退会… そして再入会をループしていたのです(超実話) 何度 再入会したのか本気で覚えていません。 それくらい再入会しました すっごく迷惑に思われていたはずですw
長く通うつもりはまったくありませんでした
いつもやめるために通っていました
そんなわたしが4年間通い続けたのも本当です
それだけ術後が厳しかった
話せる人たちは数名いましたが、 お友だちになれたのは指で数えられる人数です 友人をつくるために通っていませんでした そして友人をつくる場所じゃなかった
とにかく楽しくない
選択肢が他になかったし、避けられません。 やるしかなかった… それでも自分で褒めたいのは
楽しくしようとした
もうそれしか自分を保てるすべがなかった やむを得ない状況を身を切る思いで修得した技術 元をたどれば寝たきりだった絶望感です あのどん底をどうにかして振り切ろうとした日々 それをこのスポーツクラブでも応用できました あのときに比べればまったく生きてる気持ちです なにしろ身体が動きます あのときとは違う そう思えば少しだけ前を向く勇気が出ました それでもその勇気はいつだって小さかった それくらいダンスに向かえないのが苦痛でした 救ってくれたのは毎日話せる人がいたこと わたしが友達になったのは毎日いた人です それ以外にはいません
そんな友人にスポーツクラブ招待券をいただいた☆
友人たちはみんな下手すれば住んでるレベルw 毎日コツコツとポイントがたまっている人たちです よって、特典が得られるのも至って当たり前ッッ! その優待券は友人同伴できる代物だったため、 k野さんを召喚しました。 ふたりして久しぶりに泳ぎました!! 手記によると1350m泳いでいます。 いや、ちょっと待て。 それ、、泳ぎ過ぎだろ。。
バタ足のみ、です(爆)
相変わらず過剰にやりきってました!!
のちに、それが仇となることも知らずに…
さあそんな泳ぎ切るぜんぜん以前。 水着姿のレジェンド林田さんに更衣室で いきなり遭遇しました! わたしのダンス公演も見にきてくれた林田さん☆
「いやあ〜タイスケくん! 久しぶりやなぁ〜また入会したとな?」
「いや、していませんよ!招待券無料入場です」
「そうかそうかw わはははは!! それが俺な… ゴルフと卓球のしすぎでヒザを痛めてな、、 もう1ヶ月半くらい泳いでないよ。 歩けんでな。。」
「えええええ!? 大丈夫なんですか?!」 (でもここにいますよね?) (っていうか今水着着てますよね??)
「でもなんか回復してきてなあ! 一昨日から泳ぎはじめたよw 300くらい」
ななななな?! か、回復う!? (このひとほんとにバケモノだろうな) (80超えた回復力ってどんだけだよ?)
そういうわけで、今は300mだそうです 異次元なのは水泳は最後のシメだからです 泳ぎに来ただけのわたしたちとは違う 前回が前回だけに、 距離だけは毎回確認しておきたい。 林田さんは基礎体力が上がってくると すっぱり目標距離を伸ばしやがりますw 毎日300と思ったら大間違いです 笑笑
なにしろ泳ぎたくて泳いでいるのだから
通いたくて通っていなかったわたしとは、、 わたしとは《天と地ほどの差》があります
ああ、、俺も 俺もそんなふうに踊っていたい おどっていられたらなあ
林田さんはいつだってそれを教えてくれます
| 2018年10月15日(月) |
人生初 3面Rホリゾント撮影に挑む |
サイボーグの語源を知った翌日です。 せっかく知ったので披露しておくとしよう☆
サイボーグとは… 「サイバネティック オーガニズム」の略称
これでまたひとつ墓場に近づきましたw 近づこうとしなくていい気がしますが、、 さあ進めましょう今日という日ッッ!!
この日はフォトスタジオ入りしました
理由は、次回公演の宣材を撮ってもらうため!! 宣材とは宣伝材料の略称ですw またひとt 今日の日のために打ち合わせを重ねて来ました。 一発勝負です☆ しかし、、今回のスタジオはすごかった… 自らがお願いしていた件でありながら、、 テンションめちゃくちゃ上がりましたw
◎3面Rホリゾントスタジオ◎
外光を遮断して床と壁面のつなぎ目が緩やかな曲面 でつながっているスタジオのことです! Rはその曲面の半径を意味する「Radius」 床と壁のつなぎ目に影が出来にくいことで 広い空間を現実のものにすることができるのだ―
さあ行ったことありますか?? ありませんよね? わたしは、撮影スタジオは東京が初めてでした。 靭帯断裂して出演できなくなった幻の本番。。 東京 青山 スパイラルホール 最高のステージになったはずです 出演する、という最低限のことができなくなった 人生で最大級の黒歴史に相当します 空白の2014年です… 本番のチラシをつくるため出演メンバー全員で、 フォトスタジオが乱立するあの土地に行きました! 芸能人たちの表紙なんかの撮影スタジオ群 今となっても貴重な体験です。 実のところ、、あの時の小さなスタジオよりも スタジオだけで言えば、断然今日の方がすごい!! とにかく広さが桁違いです。 な、なんてこった― さあそういうわけで3面ホワイトホリゾントです
床と壁の境界部分がアールになっていて 継ぎ目がまったくない
継ぎ目が視認できないから どこから曲面になっているのかわからない 異次元感 半端ないッッ 完全なる現実のホワイトアウトです☆
この感じは以前京都で踊った時のあれに近い。 そのスタジオ内部すべてがブラックだった― ステージも客席も全部 BLACK☆ 舞台すべてが黒の空間で踊ったあの感覚!! 壁がどこにあるのか、、 照明効果次第ではまったくわからなくなりました 宇宙空間とも思えるくらいの本番でした 自分がどこを踏んでいるのかさえ どこが踏めるのかさえわからなくなるほどでした ある意味、むちゃくちゃ危なかった気もします あの感覚が(観客にはどう見えたんだろうか) 今でも気になるところです
撮影タイムテーブル 19:00 スタジオ入り モノクローム指定 19:30 撮影開始予定 22:00 終了予定
わたしたちはクリエーション開始段階ですが、 身も震える本番を見据えて 着実な一歩を踏み出したい そんな大きな意味を持つ日です
わたしたちは盛大に盛り上がりました みんな、人生で初体験の3面R撮影ですッッ 盛り上がらないはずがない!! そしてこの改装スタジオで撮るアーティストは わたしたちが初めてになるらしい 運命か? 運命なのかーーー 笑笑
数年後にわかることですが、 動きがある宣材を求めていたわたしは 本番さながらにやりました ですが、写真家からすれば、、 我々は異端者だったかもしれませんw スタジオで動きながら― なんてのは 《まず、ない》 らしい☆ そんなこんなで無茶なお願いをしていたのだ 知らないというのは恥ずべき罪かもしれない 今だからこそ、断罪のときです(爆)
どんな写真が撮れたのか いい写真がたくさん撮れていたらいいなあ
乞い願う この楽しさが本番まで ずうっと増していけますように
| 2018年10月08日(月) |
「リトル・サーカス」 |
いよいよその日は来た。 前日から二日間に渡っての連日の本番。 第12回 オータムバレエコンサート わたしの出番はその二日目となる。
『リトル・サーカス』
役名は スチュワード さあどうですか? さあさあどうですか? すぐに日本語にできますかな? 笑笑 英語スペルにすると(Steward)
古来の封建制度における執事(執政)。 宮宰・家宰・家令に相当する役職。 のちにバトラーと兼任することが多くなり、 名称としてはあまり用いられなくなった。
そう。わたしはサーカス団の進行現場監督☆ これから繰り広げられる数々の催しの進行!! わたしの合図なしには、、
始まらないし、終わらない
全員が揃うのは本番当日しかなかった。 ちなみに通し稽古も数回しかなかった。 頭には叩き込んだが何よりも体に染み付いてない。 なんとも心もとないが、以前の記載のとおり、 全先生にとっては、記憶に染み付きすぎており、 おおよそ《放っておいてもできる》想像だろう。 決してわるい意味ではない。 このスタジオであたりまえが過ぎる演目なのだ。 なにしろ舞台道具の【バーベル】を、 全先生が【ダンベル】と呼んでいたくらいだw バーベルとダンベルじゃ、、大違いである。 バーベルは重量上げに使うやつで、 ダンベルは鉄アレイのことだ。 見た目の大きさからまるで違う。 この呼び方にはもちろん訂正を試みた。 重ねて言うが、 全先生がダンベルと呼んでいたのだ(超実話)
いや、確かにダンベルよりも軽いんだけどw
思い返しても面白い。 舞台道具としてのバーベルはこの作品の都合上、 本物のバーベルには程遠い軽量に作られたものだ。 それもそのはずで劇中で小さな子供が、わたしに (重いはずのバーベル)を投げつける、 ご無体なオチのためである☆
もちろん出演者たちは大いに練習を積んでいる。 そういうわけで最も危険なのはわたしなのだ。 会場ではシューティングが早巻きで行われていた。
到着するとリトル・サーカスの番が来ていた
そそそそそ…そんなバカなーーーーーーーーー!? 冷や汗なのか本物の汗だかわからない とにかく駆け込んだ 場面の照明確認なのでドンドン進んだ 本番前シューティングは一刻も早く終わらせたい。 裏方には申し訳ないのだがこれは全先生の総意。 出来るだけ重要なシーンを練習したいからである。 もちろん「照明も合わせて」のゲネプロだからだ。 そういうわけで、 リトル・サーカスは瞬間で最終局面までいったw そうして終わりのところだけ通すことになった ここでとんでもないことをおこしてしまう
突然始まった最終局面の流れ
本気で言い訳なのだが、それまでの飛ばし飛ばしが 瞬間すぎて進ませた各場面への整理が追いつかず…
ラストシーンを完全に間違えてしまった!!
これが鼻血を出すくらいのミスだった 相当落ち込んでしまった 本番当日だぞ リトル・サーカスのゲネプロは行われない もう次は観客がいる正真正銘、、本番だ―
ここで切り替えた 文章にしているから書いているが どんな本番でも同じだ
本番じゃなくてよかった
それにしても出演者たちは不安を覚えたはず。。 大先生もきっとそうだったはずだ… シューティングだったとはいえ 完全に間違えてしまったのだ いいや、引きずっちゃダメだ 切り替えた
本番直前。 わたしは大先生に直接言葉をかけられます。 どんな言葉だったか今では正確には思い出せない きっと先生も不安だったからだろう
「タイスケくん! 何をやってきてもいいわ!! 堂々とね」
本気で直前に投げかけられた言葉で、 正確な台詞じゃない気がするけれど、 記憶する限り上記だ。
そんな言葉をかけてもらえるほどのミスだった
何よりも 他の何よりも 先生がやさしいのが怖い
ダンサーとしてその言葉は聞いちゃいけない そんな言葉を先生に言わせてしまった そう痛切に感じた 言葉がやさしければやさしいほど 己の未熟さに大炎上している自分がいる もちろん先生に罪はない ほんとうにやさしいのだ これはあくまで自分の、自分だけのものだ
この悔しさも最初で最後だ
本番はパーフェクトにやりきった 膝は痛んだが自分にできる限りの5番を振り絞った 踊りを踊らせてくれる場面もあったけど、基本、 自分にできるのは最高の立ち姿でいることだけだ
大先生「本番は出来たじゃない!」
あたりまえですw 最初から最後まで通してもらえさえすればッッ すべてを頭に叩き込んでいます☆(爆)
立ち姿がよかった、そう言われるのが嬉しかった これまではもっと踊りを踊りたいと思っていた ダンサーでいる以上は 踊りたいと思っていない、なんてことはないが それでもそれよりもみんなの何かの役に立ちたい 立ち姿にこれほど真剣になれたのも、、 ◎リトル・サーカスのおかげだ◎
生きているからには いのちを感じていたい
元をたどればそれだけかもしれません
そう思うのも、、身をもって いのちを感じてしまったからだとおもいます
自分が失われるかもしれなかったのを 自ら体験してしまった そして自分を救ってくれた美樹さんも ダンスをほんとうの意味で教えてくれた美香さんも この世を去ってしまった 自分をはじめいずれみんなすべて消えゆくものなら いつも感じていたい 感じていたいのは 自分自身 みんな すべてです
生きているのを!!
そのためにはどうすればいいか それを一所懸命に考えました 確実にできるのは自分のことだけです 人の《生きている》を見たいなんて、 何よりもまず自分が《生きてなきゃ》言えない 考えて考えてひとつずつ答えを精査しながら束ねて 重ね合わせた答えの一歩先を見出してきました 答えの一歩先は頭で考えるだけじゃダメです 自分の経験からじゃなきゃ見出せない そんな途方も無い連続からたどりついたのは、、
【自分を忘れるほどの時間をつくる】
自分を忘れるくらいです 自分の力ではこれ以上のことができない領域 ただし、相手があるなら諸刃の剣 なにしろこれ以上のことができません それを自らに掲げたが最後、、 いいこともわるいことも度を超えてきます いいこともわるいことも同じく(最高) これ以上ない振れ幅で来ます 実際にやってみるとわかります そこは後悔しない底力が常に問われる場所です なぜならこれ以上できることがないからです 「いまを一生懸命にいきていたい」 そんな言葉のものとは 文面とは違う 願いとか希望じゃない、実践 そしてその実践は、自身で確かめることができる
自分を忘れたかどうか
これはダンスを踊ってきたからわかったことです 人は自分が生きる意味をもとめてしまいますよね 掴んだ意味もふとしたときに見失ってしまいます その意味が永遠じゃないからでしょう 《意味》が《今》と並走しているものなら、 今を見つめ続けないと掴めないのが道理です ダンスが誰かの前で踊るものなら 相手がいるなら 自分勝手には踊れません そして、誰かがいる世界で その誰かに想いをつたえようとしても うけとってもらえないかもしれない現実 恐怖で身が竦んだとしても わたしたちには行動することしかできません 行動をしなくて人生終えるのもありですが それを(生きている)と思えません どちらにしても生きるには食べなきゃいけません 嫌々ながら食べるのと 食べたくて食べるの違いです どちらにしても生きるには呼吸しなきゃいけません ただ呼吸してるのか 自分で呼吸するのかの違いです たったそれだけで世界は変わります やってみたから言ってます
自分にしかない自発的な力は (いきいきと)どんな人にもそう見える根源です その力は、いつもいつでも自分で選べるものとして 自身の中に内在しています
与えられるものじゃない☆
とはいえ…自分を忘れるほどの自発的な力、なんて 日常で出来ちゃったら白昼夢ですw だから、自分にあるのは 《一挙手一投足すべて取り返しがつかない》 どんな人と話しても振舞っても最初で最後 すべて取り返しがつかないダンス もう二度と踊れないダンスを それを毎日いつも踊っています
相手がいるのなら いつだって恐怖を乗り越える小さな勇気の連続です
思っているだけじゃ伝わったりしません 思いを伝えるには、本物の何かが必要です
自分がつたえたいこと それがその人の勇気になれるのかわかりません 拒絶されてしまうことのほうが多いかもしれません それでも いずれ何もかも消え去ってしまうなら 自分が選んで決めたその行動は常に一筋の輝きです その行動は 生きているうちにしかできない、 《自身にしか引き出せない光》に他なりません
その時の自分がどんなに惨めな姿でも どんなに恥ずかしい思いに苛まれようとも それが いきている正体
◎生きてるうちは、胸が張れる◎
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