断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2018年06月30日(土) 「さよなら私」

あれは… たまたま寄ったヨガクラスが発端でした
クラスまでの待ち時間
本棚に並んでいた本の中の薄い1冊
それを、不意に、、開いてしまった―


 『さよなら私』  みうらじゅん

 いいこともあれば、良くないこともある。
 始めがあれば、終わりもある。
 そもそもは何もないところから生まれ、
 何もないところに帰っていくだけのこと。
 「自分」という存在があるなんて
 思っているから、人生は生きづらいんだ。
 自分探しや、ないものねだりはやめよう。
 キープ・オン・バカ
 そもそも答えなんてないんだから。


この本には究極のおそろしさがあります。
それは《手放すことの開放感》
しかし読めば読むほどにこう感じられてきます

 【手放しすぎるのは危険】

「自分なくし」を間違えてしまうと、
あらゆるものを投げ出してもいい気がしてきます☆
これは、これだけは危険じゃないのか
しかし、だからこそ、決定的な突破口が開けます

◎みんながみんな「自分」に囚われているのなら◎

かく言う わたしも過去を救われたひとりです
身動き取れなくなった人にとっては
何よりも《心》が身動き取れなくなった人には
希望の本にもなり得るはずです


 終わりあるはじめに

 いくつになっても、生きることに慣れないのは
 毎日が新しいの連続だからです。
 似たような毎日に退屈を覚えることもありますが
 じつは微妙に違っていることに
 気がつかないだけなのです。
 人間はとかく、大きく変わりたいと
 望みがちですが、それは突然の事故のようなもの
 で自分にとっていい、悪いは関係ありません。
 まず、どう変わりたいのか?
 どうなれば満足するのか? を、
 自分に問う必要があります。
 理想的にはそのとき、
 2人の自分がいると便利です。

 自分A 俺はこう変わりたいんだ
 自分B 何のために?
 自分A そりゃ、自分のために決まってんじゃん
 自分B 自分っていったい、何なんだ?
 自分A …自分は自分だろ!
 自分B マジか
 自分A そりゃマジでしょ
 自分B 自分だと思い込んでんのは結局、
    他人と比較しての自分であって、
    自分なんてそもそもないんじゃないの?
 自分A 自分がないなんてあり得ないでしょ
 自分B マジか
 自分A だっているじゃない、ここに
 自分B 本当にいるのか? ここに

 だいたい、この辺りで頭が痛くなってきます。
 頭が痛くなるということは、もうそれ以上
 考えても仕方がないということ。
 頭が困っているわけです。
 そこまでが自分に考えられる自分ということに
 なります。
 じゃ、そんな自分を踏まえた上でもう一度、
 “オレはこう変わりたい” について
 討論してみましょう。
 「ネバー・ギブアップ!」は言うは易いが
 行うのは大変むずかしい格言の一つ。
 「キープオン・ロケンロール!」も、同様ですね
 人間は激しい言葉に弱く、ついついギブアップや
 ロケンロールに目を奪われがちですが、
 実は重要なのは《ネバー》と《キープオン》の
 地味な方です。
 あなたの脳は
 あなたの今の限界を知り尽くしています。
 才能ではなく、才脳。
 だから、あなたが才脳以上の望みを抱くと、
 “ちょっとそれは無理なんじゃないかなあ”と、
 優しく問いかけてきます。
 頭ごなしに言うとあなたがキレて、
 とんでもないことをし出すかもしれないからです
 “いや、完璧に無理だと言ってんじゃなくて、
 急には無理だってことさ” 脳も必死の説得です。
 そこで出された折衷案が、「徐々に」。
 あきらめないで続けていると、いつか変わるかも
 です。
 それが退屈と感じる日もあるでしょう。
 たいへんだと気づくときもくるでしょう。
 でも、やる。
 これが変わりたいと思う人の生き方です。
  始めがあれば、終わりもある。
 そもそもは何もないところから生まれ、
 何もないところに帰っていくだけのこと。
 そんな変えようもない真理を何度も脳に
 言い聞かせ、生きるって案外楽しいかもって、
 逆に説得しようではありませんか。


ここから始まる著書ですが、読んでいくとこうです
→「変わりたい」を奨励してるわけじゃない
そもそも《私》がないんだから


 脳との最終戦争

 めんどうくさいのは「自分」があるからです。
 それに気づいたのはつい最近のことでした。
 皆さんはずいぶん前から知ってましたか?
 今まで「自分」があると信じてたために、
 めんどうくさいことを引き起こしてました。
 そのつど後悔し、今度こそはうまくやろうと
 反省するのですが、またも同じ繰り返し。
 原因を追求しても我が身かわいく
 「それが自分らしさ」だと開き直っていました。
 こんなことじゃ死ぬまでめんどうくさいことに
 巻き込まれる人生と、嘆いていましたが、
 ようやく答えが見つかりました。
 自分が「自分」だと思いこんでいるものは
 何でしょう? ロマンチックに言えば
 「ハート」ってやつなのですが、
 実際は脳が作り出した幻想にすぎません。
 あのトーフのような白いやつの仕業です。
 うまいもんが食いたいとか、
 素敵な恋人に出会いたいとか、
 楽して生きたいとか、
 アイツが次々に要求してくるものに必死で
 対応しているのが悲しいかな「自分」です。
 言うなれば脳の奴隷が自分なのです。
 それに気づいたとき、脳のほうは少し「まずい」
 と思い、「自分をなくしちゃ人間おしまいよ」と
 ささやきつづけますが、
 聞く耳を持ってはいけません。
 「自分なんて一切しんじないモーン」と、
 言い返してやってください。
 それに対し脳は理由や理屈を要求してきますが、
 誘惑に負けてはいけません。
 そのうち、脳のほうもあきれるでしょう。
 すべての悩みの原因は
 自分があると信じていることなのですから。


ここだけで当時、かなり救われました
何だか妙な説得力がありますよねw
みうらじゅんは仏教の独自解釈がすごい。
ある意味で真を射抜いているかもしれません。
しかし一歩間違えれば「どうせ死ぬんだし」です。
《人生なんて死ぬまでの暇つぶし》
それまで楽しければいいじゃない!
最後はみんな「わかってるでしょ」って
言われるかもしれませんが、
それこそは甘言じゃないのかな?
なぜならわたしたちが本当にそれを知れるのは
《死ぬとき以外にはない》からです
だったら、それは本物の最後にわかればいい
もしかしたら…
(そうじゃないものが見つかるかもしれない)
今はそう思っています
その時がくる、それまでは…やってやる!!
こうして2年前に読んだ本ですが、
2年前に救われたような本ですが、
今はここに挑んでいる自分がいます
全くもって不思議な気分です
立ち向かう準備があるのを感じるからです

「どうせ死んでしまう」

生きて死ぬのは確かに本当でも「どうせ」じゃない
だったら《自分がある》って信じることは
信じられることは、しあわせかもしれない
幻想かもしれません
苦しいかもしれません
でもこれこそが生きている本懐じゃないのか

わたしは幻想を追っていたいだけかもしれません

でもどうやらこっちの方が楽しい気がしています

生きていることは幻想じゃない

それに 自分自身が変われるのも本当です

努力できるのは生きているときだけ

これが本当なら やれるだけやってやる

初めて《自分なくし》から抜け出せました

いいのか悪いのかなんて誰にもわかりゃしません

死ぬのが本当ならそれまでは自分を生きてやるぞ

悩まない方法は《自分なくし》かもしれません
確かに決定的に楽になれました
でも今は《自分がある》と思うことで
はじめて立ち向かっていける気がします

今回は2年前じゃありません
2020年12月22日ですw
読破したのは2年前でした。
でもあの時とは違う自分がいます
ヤバイなこれ…
そんな中でもこのページを開いてしまいました


 不安こそ生きてるあかし

 思い返せば不安でなかった日など
 一日たりともありませんでした。
 何かしら不安の種は転がっているものであり、
 どこかしら不安の風は吹いてくるものです。
 もし、不安じゃなかった時があったりしても、
 それは単に不安を忘れているだけのことで、
 また気がつけば新しい不安はすぐそこに
 待ち構えているのです。
 不安の反意語が「安定」なんて嘘。
 安定なんてそもそもこの世にはなく、
 油断している期間のことを
 そう呼んでいるに過ぎないのです。
 そんな言葉にだまされて、
 さらにそれをキープしようと願う人がいます。
 いつか痛い目に遭うことは確実です。
 生き物の宿命は別離であり、死別であること。
 この最大の不安から逃れることがない限り、
 安定などあるはずがありません。
 すなわち、不安をなくすということは
 生きることを否定することと同じ意味なのです。
  もう、あきらめるしかない が正しい
 しかし、人は不安と真っ向に対峙したとき、
 必ず成長するものです。
 ただ単に年をとれば大人になれるわけでは
 ありません。
 目の前の不安から逃げないで、
 どうにかうまく付き合っていこうとする気持ちが
 人を大人にするのです。
 それには出来る限り他人にやさしくするのが
 いいでしょう。
 他人が喜ぶことだけを考えて、
 それを趣味に生きていけばいいのです。
 偽善だって言われてもかまいません。
 とにかく少しでも自分に興味をなくし、
 自分以外のものに興味を向けるべきなのです。


さあ出ました出ましたよ《人間の成長》!!!
後半の文章はなんとも陰鬱ですけどw
「目の前の不安に逃げないで」って、、
筆者本人が書いてるじゃあないか☆

わたしは今現在、不安に取り憑かれていました

どうにも膝の痛みが取れなくて
どんなにやっても もうダメかも、なんて思って
抜け出せなくなって涙まで
それが生きてる証だと言われて、、
すっと身体が軽くなりました
確かにその通りじゃないか
痛みは生きていることをめちゃくちゃ教えてくれる

何もかも投げ出せるのなら
まったく立ち向かわなくても大丈夫
出来ることしか出来ないわたしたちにとって
出来ないことに挑むなんて挑もうとするなんて
立ち向かうことすらバカバカしくなるはずです
出来なくたっていいんです これは事実です
出来る人間が偉いわけじゃない
だって「どうせ死ぬ」んだもんね☆
(投げ出すことと手放すことは違う)
死ぬのが同じでも、「どうせ」じゃないのなら
人間の成長に人生賭けてみたってわるくない
人を大人にするのは… 努力です!!
決して投げ出すことじゃあない!!

 不安が生きてる証なら、、成長は努力の証

めんどうくさいのは全部ぜーんぶあたりまえです☆

◎だって、生きているんだから◎



2018年06月04日(月) 静かで明るくて何も怖くない

帰国直後の早朝すぎる空港の異次元さ…
2018年1月30日のメモを思い出しました!!
記載はこの2行だけでした―


「この世のものとは思えない静けさ
 静かで明るくて何も怖くないところにいる」


だいたい何のことかは記憶していたものの、
投稿しどころを失っていました(爆)

これは寒さが酷かった日のスポーツクラブです

2018年、スポーツクラブを完全に退会します。
見渡してもスポーツクラブのことをメモしてある
のがこれを境にまったく無くなっています。
つまりこういうことになります。
◎自主トレを卒業 → 踊りに全力シフト◎
イギリスで踊るくらいです やめますよねw
術後これまで、、まるでやる気の出ない退屈な
自主リハビリ&地味トレに挑んできました
それができたのは、選択肢がなかったからです

 できることがない

痛みがある時点でまったく立ち向かえない現実を
これまでずっとたたかってきました
そこから何とか立て直してきて現在です

 できることをするしかない

結果が欲しいのは術部周辺の筋力。
手術後、筋力がスカスカに衰えてしまいます。。
お風呂でそれを見たときの圧倒的絶望感☆
《患側の大腿四頭筋を鍛える》
そのためにプールでひたすらバタ足してきました
以前なんかこのことしか書いてなかった気がしm…
そういうわけで真冬でも泳いでました!!
それもガチで(バタ足だけのヒト)ですw
おそらくこの日も徹底的にバタ足してた
筋持久力は頑張っても頑張っても戻ってきません
バタ足1000mとかざらにしてた日々(遠い目
第三者からすれば《狂ってる》レベルです
なにしろ自分以外にそんな人間、誰もいやしません
負けないくらいのことやってるのは、、
水泳選手か水球選手くらいでした(爆)
4000mとか5000mなんて泳いでますからね!
バタ足じゃないけど明らかにおかしい 笑笑
そんなことをひたすら愚直にやってました
その時代の終わりの日ですw


その日は1月30日。
真冬な上に大雪でパブリック交通機関の運行さえ
滞った日でした。。 今から思えばよく帰れたわ…
自分でも思ったはずです

 そんな日くらい休んでいいじゃない

なんと、、わたしは休んでいなかった!!
メモって偉大ですw  しかし…
スポーツクラブは、、人類が滅んでました
完全にプライベートトレーニングルーム、
プライベートプールです☆
その感じを帰国早朝空港のことで思い出しました―
このタイミング逃したら投稿は未来永劫できないw

 スタッフを入れても
 両の手で数えられる人間しかいなかった
 スタッフでさえも大雪で出社できない者がいた

そんな日でさえ林田さん(80超)いるしッッ
《住んでるレベル》は手に負えない異次元です☆
でも、林田さんでさえ早くに姿を消しました
それくらい寒い日でした

 気がつけば、、自分しか、いなかった

度を超えてるのは… 俺も、か 笑笑
どう考えても異次元2軍ですw
おそらくこの気持ちは実感した者にしか
共感してもらえない気がします。。
気がするからメニークルシンデマス☆
◎なにしろそれを伝えたいのが断罪の時間◎
施設自体はいつもとまったく変わらないのに
人間がマジでいません!!
この時、突然に(わかってしまいます)

 “あれっ なんかちがうな”

この違和感をたどって(わかった)のは―
「スポーツクラブ」が《人がいる》前提で
わたしたちのイメージに《ある》ことです!!
「認識」、、って多分こういうことかも!!
《人がいない》ことで、イメージが《崩れた》
あたりまえがあたりまえじゃなくなった時
わたしたちは不安に襲われるのかもしれません

 今までの場所じゃないからです

わたしが帰ろうとするときは
いつも営業終了時間でした
その時間はもう音楽もかかっていませんw
だから、ただただ電気が明るかった
そして誰もいなかった
それにしてもゾッとしたはずです
しないわけがない状況のはずです
だってシャワー浴びるのもひとりだし
何列もある更衣室ロッカールームでもひとり
物音が立つのはわたしだけです
自分以外の人類が絶滅しています
それでも面白かったのは、、そのメモでした


「この世のものとは思えない静けさ
 静かで明るくて何も怖くないところにいる」


怖くなかった、というのが自分でも不思議です
フツーなら怖いと思うはずじゃないですか?
巨大施設に自分だけ、とか
校舎に自分だけ、とか
ロンドン深夜のウエストミンスター寺院、とか
どう考えてもゾッとするじゃん!?

 それが、、なかったのか
 それって、、すごくないかな

自分でも自分のこと…
まだまだ知らないことだらけなんでしょうね☆



2018年06月03日(日) 帰国は始まり

2018年 5月23日
ついに日本に降り立ちました!はねだ!
それにしても時刻は、、朝5時ですw
飛行機から降り立ったわたしたち以外に、、
人類がまるでいません 笑笑
なんだろうこの帰国初異次元感。。
あまりにも早朝すぎて魔空間ですッッ
日本って、、こんなだったっけ!?
この感じがまた自分の記憶とは別次元です☆

 直行!シャワールーム

地球半周ほども移動する長時間フライト。
兎にも角にもスッキリしたい!
どんなことよりも、求めたいのは清潔感。
お金を出して誰でも利用可能な圧倒的サービス☆
(2020現在コロナ禍では利用不可)

朝1で帰宅できたわたしはレッスンに更に直行。
クラシックです!
長旅でどれだけ鈍ったか確かめなきゃ!!
なにしろこの2週間くらい
クラシックの苦の字もやってません。
早々に先生に帰国と本番の成功を報告。

「おかえり〜 タイスケくん!
 いつ帰ってきたの?」

「さっきです(爆)」

「ええ?大丈夫なの?? 時差ボケとかさ…」

「いや、、時間あったんで来ましたw」

「さすがね!」

そこに地元が同じな女の子が挟んで来た。

「私、大学の講義で次のレッスン出られません」

わたしはつい口を滑らせてしまった
なにしろ その女の子の度を超えて
レッスンに挑んでいる姿を見ているからだった

「ええ!? それはレッスン最優先にしなきゃw
 そうやって自分を鍛えてきたよ?」

さも当たり前のように言ってしまった
だってプロになりたかったのだ
それ以外に方法がなかった
プロは度を超えた人たちしかいないんだからw
本心から全部言えばこうなります。
冗談模様で言ってしまった一言でしたが、
その直後、先生の痛切な言葉が炸裂した

「そうよね!
 私も自分の父親が亡くなった日でさえ
 頭に浮かんだのはレッスンのこと。
 おしえなきゃ!!って思ったのよ☆」

そう。そうなのだ
人前に立つにはこの《何か》がいる
度を超えてる、と思われようが
きっとこれが《当たり前》の世界

それだけのものを賭けられる何かが
舞台芸術にはある

これを信じていなければその行動は決してできない

人間のチカラの根源そのものじゃないかな


 いいや、もしかしたらレッスンには
 舞台芸術以上の何かがあるのかもしれない
 自分を鍛えようとする気持ちの初動なしに
 厳しいレッスンに耐えられるはずがない
 遊び気分では決して踏み込めない場所
 そこにこれから挑むのだ


◎あらためて洗礼を浴びる日になりました◎



2018年06月02日(土) 人生を楽しもうとした -完結編-

(つづきです)



さあ この映画の正体を探そう!
茶番劇を茶番にさせないためには、、考える!!
はじめに直撃させておきましょう☆

 フォースみたいな夢のようなチカラ
 持って生まれた人間にしかわからないチカラです
 実は、わたしたちにそのまま当てはまっています
 人間には自分のチカラがわからない
 そもそもそのチカラがわかって生まれていません
 何ができるのか、なんてわからなかったはずです
 映画みたいに具現化できるチカラならまだしも
 具現化できないのがフツーですからねw
 すごいダンサーたちとは比べようがないほど
 ちっぽけなわたしでさえ
 ここまで来れた奇跡を感じます
 あの時あの人と踊っていなかったら
 あの時あの人と出会っていなかったら
 きっと来れてません
 まだまだ夢には先がありますが
 それでも奇跡的だと思えます
 決してカイロ・レン君のことを笑えないのです
 誰だってここに陥った時間があるはずです
 俺なんか死んでも地球は回る、とか
 俺なんか死んでも誰も悲しんでくれない、とか
 そんな暗黒面の青春が(爆)
 夢は与えられるものじゃないからです
 何かに必死に挑んで はじめて見える

 あの青春には「挑む」が欠落しているのです

わからない力を何に使えるのか使いたいのか、
わからない中で決めるのは《わたし》です
誰にも決めてもらえないやつです
だから、自分で立ち向かうしかありません
カイロ・レン君は間違って暗黒面に挑んでしまいます
まったくもってそんな先人がいたからですよね
現代でさえネオナチがいるくらいです
あの人でさえも英雄にしてしまうのが人間です
何事においても切り拓いた人は
誰にもできなかったことをしてしまったから
誰かの英雄になってしまうのかもしれません
もうほんと、近くに明るい人いなかったのかよ!!
なりたい人いなかったのかよッッ

そして 当てはまらないチカラ
カイロ・レンがわたしたちと完全に違うのは
突然フォースに覚醒したことです
いきなりチカラが降ってきたわけですよね
その血統だか宇宙の総意だかに
それも念力でバンバン殺せちゃうほどのチカラです
背負うものが大きいときっと頭脳破裂でしょう
やっぱり安易にこいつバカだ、なんて言えません

「フォースがあるからいけない」

全力で叫んでしまいそうになりますが、、
これを言っちゃったら思考停止です。
あるものは “ある” んです
なんとかしなくちゃいけないのは永遠の課題。
「核があるからいけない」と同じ
核がない時代にはもう戻せない!!

 『STAR WARS -最後のジェダイ-』

もはやこの物語に求めるのはこれしかない!!
「どうやったら銀河を平和に導けるんですか?」
さあさあ どうなんですか? 教えてくださいよ!
銀河の宇宙人たちが考えてるのも
人類と同じ《宇宙征服》です
宇宙も大したことありませんよね
人間とおなじ野望しか持ってないだなんてさw
これじゃ宇宙人の皮を被った人間です☆
宇宙世紀の戦闘はサイキックチャンバラです☆
STAR WARS 大ファンな親友が言ってました

 「ライトセーバーを落としたら勝ち」

この一言、ファンなら納得でしょうw
その勝ち負けは置いといて、、
つまらない覇権争いは、暴力のパワハラは
どうやったら終わらせられるんでしょうか…
それにしても考えさせられます。
支配したい、とかって人類だけじゃないの?
それもすべてを支配したいレベルなんてのは。。
そんなにさみしいのか!?(爆)
人類じゃなかったら支配欲なくてもいいんじゃね?
だってスターウォーズ、、じゃないですか?!

 もうちょっと宇宙の偉大さを教えてくれよ

人間の考え方だけだったらもうどんづまりだよッッ



そういうわけで -最後のジェダイ- の感想です☆

 「ルーク・スカイウォーカーがわるい」

あー、、ここかよ… ここなのかよ。。
さみしい さみしいなあ
ネタバレ必至ですいません
完結編は未だに見てませんけど
とっくに完結してますし時効でしょう!
フォースに覚醒した情緒不安定危険度MAXの
カイロ・レン君が預けられたのがルークです。
そしてルークはヴィジョンを見てしまいます

 カイロ・レンの未知の力

映画では予知能力のような描かれ方でした。
それは、とてもわるい透視で避けられない未来。
それにしても「ヴィジョン」なだけで、
これを信じるか信じないかは別問題と思えます。

 ここでルークが取った行動こそがすべての元凶

なんと少年カイロ君の寝込みを襲ってしまいます。
それも殺しに猛然と斬りかかっています。
ルークからすると《殺すしかない》がかかってた。
直感で目を覚ましたカイロ・レン。
何が何だかわからないまま応戦します。
その能力がどれほどかはわかりませんが、
おなじフォースの持ち主同士です。
そんな師匠に突然殺されかかっています。
まだ何にもしてないのに…
最初から厨二レベルMAXのカイロ・レンです。
そりゃ厨二超えても当然だろ。。

考えるのはこれです
ここに立ち向かってこそ《人間》なんじゃないか
なんといってもいのちのもんだいです
生きていることが悪いなんてあってたまるかよ
どんな人も生きているからには生きていいはず

ルークもおなじフォースの持ち主なら、、
わかってやれるのお前しかいないだろッッ
一緒に立ち向かっていけるのお前しかいないぞ!!
そして…そもそも信じることに挑んでないだろ!!

 伝説のジェダイ、ルーク・スカイウォーカー
 彼の出現は銀河に何をもたらすのか?

何って、、混沌。   混 沌
結局、ルークは戦うことしかできなかったのだ
ヨーダには全然及んでないジェダイでした
伝説のジェダイにその後の未来は拓けなかった
討ち滅ぼして終わり、なんてのは大変な稚拙です
いつだって平和はその後につくるもの
ルークもいなくなってしまった今、
その全部がレイの双肩にかかってきました
なにしろフォース覚醒してる人が他にいません
もうはっきり言って光とか闇の話じゃありません
どっちも「ある」というのが人間なら
ずっとこれと向き合わざるを得ません。
物語はいつだって度を超えた変人たちのお話です
それも「討ち滅ぼさなきゃいけない」って
思わされるくらいの精神異常者です
それを《悪》とするのかよ

なんてこった

ルーク、、お前なんてことしちまったんだ…
かつての英雄が地に堕ちた瞬間でした

これで良かったのかよジョージ・ルーカス!!





更新にあたって調べてみると、
タイムリーなのがズバッと一瞬で開きましたw


 ジョージ・ルーカス
 『STAR WARS』を手放した理由

 「ディズ◎ーに売却していなければ
  最新3部作の製作に参加していた。
  しかし3部作の完成には10年かかる。
  2012年、私は69歳でした。
  人生の残りの時間をこれに費やしたいのか?
  最終的に、娘を育てること
  その人生を楽しむことに決めた」
 (2020年12月9日)


開かなきゃ… よかったな(爆)

なんか、、完結した気がしますw



2018年06月01日(金) 「STAR WARS -最後のジェダイ-」

渡航時間が何よりも堪えます。
カラダにとって一切。何もできない。
できるなら疲れ果てさせてぐったりいきたいw
そんなわたしたち乗客への最後の切り札は…
機内映画鑑賞です! 映画チャンネル万歳☆


 『STAR WARS -最後のジェダイ-』

  伝説のジェダイ、ルーク・スカイウォーカー。
  彼の出現は銀河に何をもたらすのか?
  眠っていたフォースが覚醒したレイは彼のもと
  で修行を重ね、ダース・ベイダーを継ごうと
  するカイロ・レンとの決戦に挑む。
  二人は“光”と“闇”のせめぎ合いの中で
  揺れ動き、互いに苦悩する。
  そんな中、銀河を二分する戦闘はますます激化
  それぞれの運命に立ち向かいながら、銀河を
  舞台にした壮絶なバトルがいよいよ始まる!


初見です☆
銀河時代をチャンバラで頑張る物語。
突っ込みどころしかないんですが、、 笑笑
時間はあっという間にすぎました!
この《あっという間》というのがまず凄い。
なかなかできるものじゃないぞ。
2時間半もの長編を飽きなく最後まで見られた!!
機内は消灯済みで集中もできた。
中盤までにまず思うこと―
こんな時代だったら…
《はっきり言って人間の出る幕じゃない》
もうAIで生活も戦争も全部やってるとおもう。
肉弾戦とかほんとうに茶番としか思えない。
《フォース》でいいじゃんw
なにしろフォースというやつは人智を超えており、
わけがわからないチカラです。
こんなものがあるから、
この映画シリーズはつづいているわけですが、
そんなチカラあったら強い者に従うしかありません
念じるだけで簡単に殺されちゃいますからね!

 フォースなんてのがあるからいけない

まちがってはいけない認識はひとつ。
フォースとやらは《ひとの思いの結実じゃない》
思いでチカラは覚醒しません
あらかじめチカラに目覚めたひとの話です
ひとじゃないんです
一般人じゃないんですね
スカイウォーカー枠は
スターウォーズ物語の根幹の血統なので
通らないわけにはいきませんが、
よくよく考えてみたら《フォース》という
わけがわからない何かがつかえちゃう生物の話です
そんなものはもっているヤツだけで
勝手にやってほしいのですが、
自分が持つ圧倒的なチカラに呑まれて
わけがわからないチカラを持っているおかげで
「使い方がわかりません」という
持って生まれた人間にしかわからない混沌のお話。
そんなもん持っちゃったら孤独にもなるよね
だって自分しか持ってないんだもんね
そんなの他人にわかるわけがないのだ
どえらいチカラを持った自分を見失いそうな人が
自分だけの寂しさを埋めるために
無関係の一般人を巻き込んでいくわけですね

 カイロ・レン君の精神の未熟さここに極まる

どうして人間は支配したがるんでしょうか
はなはだ疑問です
生きて死ぬからでしょうか
生きてるあいだにできること
生きてるあいだにたしかめたいこと
自分だけじゃさびしいからじゃないのかな
わたしたちが生物を助けようと行動するのは
その種が絶滅しようとしているときだけです
チカラがある「人」にとっては、もしかしたら、、
視覚化しないとわからないのかもしれません☆
見ればわかる、というのが一番手っ取り早い!
視覚だけなら、中身は要らない!!
あっ! そうか…

《チカラがあるからわからない》のかもしれない

なんてこった



つづく。


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