断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2018年03月31日(土) ギロチン

ロリコンの話を聞いた頃。
わたしにも同じような事態がおきました。
文字数も、、同じとは!
なんだか怨念…じゃないや、因縁を感じますw
結構こわいな

その日、スタジオで若い子たちに聞いてみた。
問いは、、これ。 ジャーン!(死語かw

 「ギロチンって知ってる?」

さあ今日びの子どもたちは知っているのか!?
それにしても西洋芸術文化は太陽王ルイ14世。
洋舞やってる子たちなら知ってて当然では??
さあどうでしょう―

 「何ですか? それ??」

試合終了でした☆ 笑笑
バ、そ、そ、そ、、ウソだろッッッ
度肝ですw
大人たちが雷に撃たれて唖然となるさなか、
さらに小さな子どもたちが集まってきました!

 小「なにー? ギロチンって何ー??」

 た「えっとね、、ギロチンはね。。
   悪いことした人の首を… 」

い、い、い、、言えない。。
そんなまん丸な目でこっちを見ないでくれ(爆)
悪いことしなくても断頭台に送られた人います。
マリー アントワネットとか!
「パンがなければケーキ食べればいいじゃない」
時代が殺した人もたくさんいるはずです。
決して “悪い人” だけじゃないのだw
悪い人くくりで教えていいのだけれど、
どうしても《本当》を伝えたくなってしまう!
そんなこと考えたら一言で終われないぞッッ
なにしろ相手は、、子どもだもの!!
「えーギロチンも知らないのーーー???」
なんてかるく笑い話にできたはずだったのに、、
いつの間にかわたしは断頭台の上でした

 どうしてこうなったーーー



さて、わたしはギロチンについて少し知ってます
リアルギロチンがあった場所
世界遺産となったロンドン塔にそれはあった
そこには断頭台は実際にないものの、
謎の物体が設置されていました
それは―

 《ガラスのまくら》

かつてそこで何人の首が落とされたか知れません
大罪人もいただろうし、
政治的に殺された者もいたでしょう
もしかしたら何の罪もない者もいたかもしれない

 落とされた無数の首のためにそれはあった

日本だったら仏堂とか慰霊碑みたいの建つはず
それにしてもそのガラスの枕は透明です
これが太陽に照らされて何とも言えない輝きでした
それは固いはずですが、とにかく透明でした
陰りが一切ない透明のまくら
その透明さに空気のような柔らかさを感じます
とても不思議な場所でした



2018年03月30日(金) ロリコン

今日は、ななな南斗!
面白い話が聞けましたッッ
自分自身で見つけなくていいだなんて
もう ほんとうに すばらしい☆
棚からb… 天の救いです!


 (上司に問われた新人女子の会話より)

 上「お前 “ロリコン” って知っとうや?」

 新「知ってますよ!
   “ロンリーコンプレックス” でしょ☆」


度肝ですw  もはや意味別次元☆
なんでも… これ以上ないドヤ顔だったらしい!
想像するだけでご飯三倍いけます!!
その場に居たらさらに倍いける自信あります!!
いつもいつでも近くにいてほしい存在
いつもいつでもそんな話が直に聞けたら、、
聞けたら、、
聞けt、、、ら?

 なんだか複雑な気持ちになってきました(爆)

この種類の一言はバランスが重大です。
聞きすぎるとかなり厳しい気持ちが予想されます。
一日一善くらいのバランスが吉。

 その話題は《なおちゃんネタ》と呼称されていた

みんなが轟くその一言。
意識して出来る技じゃありません。
もはや神域に到達しています!
そのぶんだけリスクMAXなのも現実ですが、、
わたしは愛でたい大いに愛でたい気持ちです☆

わたしたちには、
どこかずれた一瞬が必要だと思います
真面目すぎると、どういうわけか
知らず知らずに追い詰められていたりするものです
自分ではないからこそ笑えるのも事実ですが、
実のところ、決して自分には出来ないことです

笑いは自分で作れても、自分では本気で笑えません
自分だけでは “笑い” を回せないのです



2018年03月24日(土) 必然の遭遇

(前日のつづき譚です)
LIVEの帰り道。
地下街を人を縫うように歩いていると、、
突然声をかけられた

 「タイスケさんですよね??」

顔を見ると《江藤くん》だった
同じ時期に入院していた江藤くん!!
指折り数えてみたら4年ぶりの再会でした―
そんなんなのに… よくわかったよね?!
ていうか、、サングラスまでしてるよ俺!?
そんな簡単にはわからないはず。

 え「すぐわかりましたよーーー 笑笑」

バ… そんなバカなーーーーーッッ
江藤くんは野球人。
現在では、、スーツ姿のガチ会社員だ!!
そりゃそうだよな。。この年月じゃ…
そんな姿で、しかも薄暗い地下街の雑踏で、、
わたしは間違いなく気付くまい。。
すまん江藤くん…
ピッチャー江藤のイメージしか出んよッッ
めっちゃ地味トレしてた君しかわからんよ!!
もしくは美人彼女と一緒の写メアイコン(爆)
江藤くんの当時は大学野球時代。
ときを同じくして入院していたのは、、
ホークスの福田選手☆(2020現ロッテ)
わたしにも同じ時間がありました
あのときまるで歩けなかったわたしです
松葉杖上等、もしくは車椅子で爆走していました

 江藤くんにとっちゃ、、、
《見たこともない歩き》のはずだろ!!

それが、、一体どうしてわかってしまったんだ―
そりゃうれしかったよ!
うれしかったけど、このぶんじゃ、、
知らない人でも確実に記憶されてることになります
まともに歩けなかった時期でさえこのザマです
絶対わるいことできないね!
出来るなら… 悪いことしたかったぜw
それでも舞台人としては、
記憶されていること それ自体が最高の勲章です☆

 ああ、ダンスで憶えられたかったわ…

こんな4年みたいな事実は、早々起きやしませんが
ほとほと気をつけるべきでしょうw

生きることを☆



2018年03月23日(金) 「偶然の音楽」

iimaのLIVEに出かけました!
Vocalのマキちゃんは友人の友人でしたw
そんなこんなでいつのまにか友だちです

 iima(イーマ)永山マキ&イシイタカユキ
 「日常がちょっと違った景色に見えてくる」
 そんな言葉と音を追求している音楽ユニット

マキちゃんには… 今日の会場はせますぎる!
まず、何よりもはじめにそうおもiimaした!
カルテットも加わってしまったら、、
その音のすべてを受け取れる空間が小さすぎる!!
そうおもえるのも、
《マキちゃんの実力》を感じるからです☆
それを見たいとおもってしまったんでしょう…
どうやったらそれが見れるのか―
ライブ中 無意識にそれをかんがえてしまってた
もしかしたらいつもそれを考えてるのかもしれない
(いつもいつでもその人の最高の姿を見たい)
なにしろどう見ても力が余っています
人にはそれぞれ輝く、輝ける場所が違いますよね
“最高”はそのどれもが重なっているからです
どれか一つでも違えば“印象”が変わってしまう
自らの手札「技術」と仲間たち「人」
それを発揮する「空間」
もうほんと思いますが同じことすればOK…
なんてことには、、到底なりえません
どうやったらそこに手が届くのか
いつもいつでも少しでも
そんなたたかいをしているのかもしれません
わたしは《ゼロ距離》で踊りをしています
ステージと客席を分けないスリルは
ステージだけで踊るのとは訳が違います
完成したものを踊って終われないからです
そんな場所でどうしたらもっと良くなるか
どうしたらもっと受け取ってもらえるか
どうしたらもっと楽しく踊れるか
どうしたら踊りになるのか
いつもかんがえています

 狭いからこその可能性
「その逆」に目を向けることはほとんどなかった

可能性。可能性です。その人の可能性!
マキちゃんは東京で大活躍していた人だもの☆
お客さんに気を遣わなくていい場所をあげたい!
(良い意味です)
だって感じるんです
きっともっとシャウトしたいんじゃないか、ってさ
それを受け取るための、、響く空間が足りない!!
最新アルバムには号泣してしまいました
どうしても涙が出ないわけにいかない
たいせつなひとを思い出さないわけにいかない
今をだいじにしていないとこんな曲書けっこない!

 iima 1stアルバム『最終回のうた』
 収録曲
 1.「最終回のうた」
 2.「未完成の絵」
 3.「線香花火」
 4.「蓮根」
 5.「おっぱいぺったんこ」
 6.「はじめはひとりで座っていた」
 7.「おやすみのギター」

一瞬で動画でますので是非☆
わたしの再々復帰公演『The3rdBD』では
「グランドウォーカー」を使わせてもらっています
(永山マキ歌詞集I「花」より)
すごく伸びやかで素直な気持ちになるうた
あらためて感謝を記しておこう☆
マキちゃんありがとうッッ

聴いたことのなかったそれ以前の曲
そこに衝撃が走ることになります
こんな曲を歌ってきたのか!!!
それまでの伸びやかで心に響く感じとは別の、
一方通行のような力の曲。
これがカッコよくて!!
とにかく押し寄せる波のようでした!
その時 ふと合点がいったのです
マキちゃんの感覚、、のようなもの
マキちゃんがどんな人なのか
その正体のような

言葉にするのが本当に難しいのですが
これはもう目の前で感じるしか、、ない!
わたしはこれこそが「舞台」の「今」の
「この瞬間」の醍醐味だと思っています☆
良いとか悪い、そんな物差しじゃない感動!!

 《その人の感じ》

その時に受け取った、その人の何か
それがどんなに勘違いだったとしても、、
自分が感じとった《確信》
わたしにとっての《本物》

わたしは、知っている歌なら無意識に
口ずさんで歌ってしまう人間です

その客席には 歌っていない人がいなかった

大人から子どもたちまで
そんな空間は本当に久しぶりでした

わたしは歌手の友人が、、
めちゃくちゃ増えましたw
これまでの人生でなかったことです



2018年03月22日(木) アイスあるよ?

ワールドニュースでそれは取り上げられた。
放送で流れていたのは、流行麻薬《アイス》
中毒になってしまった息子の母だった―

「覚醒剤のせいで、、大変な目にあった。。
 あんなものが この世になければ!!」

涙ながらに叫んでいました…
その表情が現実を映し出しているはずです。
そんなインタビュー直後、
わたしのリアル母が言いました

「アイスあるよ!」

ゾッとしました
頭脳に巻き起こるとんでもない混乱
あんなインタビューの矢先です。。

《実家にもあるの?流行麻薬ッッ》

1秒もない刹那だった気がします
こういう時の思考って光よりも絶対速いw
どう転んでも「今」は麻薬が優先思考だろ!
一体何をかんがえているんだこの人は!!
まずその声が軽すぎるのがおかしいぞ!!
なんでそんな軽く言えちゃうんだ??
今泣き叫んでた人、、見たよね??
だが読めない…

 冗談で言ってるのか
 本気で言ってるのか

母が怖い、というよりもそれが怖いのだ。
おそらく直感でアイス食べたくなったんだろうな…
そんな血を受け継いでいるというのか 俺は―

 道理でおかしいはずだわ☆

「アイスのおかげで今日を豊かにできました…
 こんなものが この世にあるだなんて!!」

チョコアイス…
めちゃくちゃ美味しかったなあw



2018年03月20日(火) 「サン◎オ男子」

マイメロディスタンプ使いの友だちができました。
一文節ごとにマイメロ一体な感じです☆
そんな時に、、期せずして始まった―

 『サ◎リオ男子』 全12話

友だちいなかったら見なかったろうなぁ…
なんとなく見てて、、
まともに全話視聴してしまいました(爆)

 わたしはミッ◎ィー派です

ただマイメロは、、友だちな気がします…
そんなこと言ってたらポムポムプリンも
友だちな気がしてきましたw
さらにシナモロールも友だちな気がしてき…
これ、もう、、あかんやんか―

2次元イケメン男子高校生5人による、
全サンリオキャラ大好きたちに送られた、
男子友情の物語。
(※禁断の物語ではありません)
ここ重要。テストに出ます。

最終局面。まさにあと1話で完結の第11話。
とんでもない事実が視聴者に示されます。
それは、、、
主人公である康太が、、
他4人と違って
圧倒的に《地味キャラ》である事実を
突きつけられてしまいます!!

なにしろ他4人がこんなだもの…
1帰宅部 超イケメン 一体。
2サッカー部 新主将 一体。
3どこからどう見てもかわいげな後輩 一体。
4生徒会長 一体。。
もう、、ねw
そもそも康太… はじめから完敗なのだ☆
なのだが、物語ではこんな展開で諭されます。
とある事情で音楽室に向かった先。
女子たちが主人公たちによる自作自演の
ミュージカルのことを噂していた。
上記の男子たちも揶揄されますが、
康太だけは「地味」と断言されてしまいます
康太は名前でさえ呼ばれません
これは、、ひどい
ひどすぎる。。
予想できるような未来でしたが それでも酷でした
しかし、これまでも康太は、、はっきり言って
主人公とはまるで思えないほどの地味さでした…
マジで地味だったんですッッ
どこからどう見てもシュシュが主人公じゃないのか
これまで常に中心にいたのお前じゃん!!
最初から本当にうだつの上がらなかった男子康太…
4人に完敗だと自分で決めつけていた康太。
わかっていながらの女子の噂。。

地獄だろ、、男なら

誰よりも地味に。 地味にがんばってきた康太。
でしたが、ほんとのほんとうに地味だった。。
しかしよくよく考えれば、、
これが「現実」に違いない。
いくら頑張っても外に漏れだす魅力がないのだ―
魅力が見えてこない、というのは悲劇です
そもそもこの作品では、
故意に《魅力がない男子》として描かれているのだ
これまで真面目に見てきたわたしです
全話通してここまで主人公らしからなかった主人公
なんて、、滅多にいませんよ!!

自分を見失った康太は4人から強襲されます。
そして諭されるのです
「お前こそが、一番懸命だった人間なんだ」
「胸を張れ!」

 そうです 康太は…
 女として見た瞬間に完成します

いつも、描かれてきた場面じゃないですか!!
女の子が自分の力だけでは解決できない姿!
そこにカッコイイ男子が「それでいいんだよ」
みたいな…全肯定してくれるシーン!
それを男だけでやっているんです―


敢えて。
もう敢えて言わせてもらいますね。

 こんな友情、男には ない☆

たしかに素晴らしい友情に見えますが、、
完全に度を超えた幻想です!!
二次創作の果てが見えないほどのレベル(爆)
百歩譲っても小学生高学年まで☆
女子目線で理想の男子ってこうなの!?
女の子目線でいったらこうなるの??どうなの??
「男」が見たらきっと思うでしょう
《気持ち悪い》
それはサンリオキャラの問題じゃありません。
サンリオキャラはマジで可愛いですからね!
その気持ち悪さは「友情」です
女子ターゲットならあり、、なのかもしれません
しれませんが、、素直に同意できない!!
正直言って康太の外見はどう見てもイケメンです
まったくもって2次元のイケメンそのものです!
それで「地味」って言われても。。
この作品を見て「現実にイケメンじゃなくても
勇気が出るのか」と問われたら疑ってしまいます。
イケメンじゃないのにサンリオ大好きとか
女子にはかるく言われるのが常じゃないですか!!
《気持ち悪い》

 現実の過酷さったら…

だからこそ この辺が限界なのかもしれませんね



2018年03月10日(土) 「PEOPLE ART PERFORMANCE」

乱れ咲く混沌のような舞台でした


 『PEOPLE ART PERFORMANCE』
  人とアートを巡る
  100通りアートプロジェクト

  私たちの中に潜むスター性を
  生きている間に何度も感じたい。
  それが明日へのチカラをつくるから。

  赤ちゃんから大先輩まで!
  子育て中のパパやママも、車椅子だって!
  元気いっぱい舞台から輝きを放ちます。

  生きている証がアートとなる瞬間。


それぞれの想いを最優先にしたような演目がつづく
それも、、怒涛の演目名でした―

「おやつの時間」からの

「終わりの春」そして「千年の恋」

その名のとおり もう…ほんとうに怒涛w
特に義務教育時代の女の子たちのダンスには
毎回度肝を抜かれてしまう

 バレエ衣装で禁断の床ころがり
 側転も健在

クラシックでは《絶対にありえない》振付です
いつもいつでも最初に見たら心臓が飛び出そうです
なにしろ《絶対にありえない》
さあしかし!
その《絶対にありえない》が崩れたその先に、、
フリーダムが現出します☆
クラシックにおいては《なくても》
ダンスにおいては《あり》なのだから!!
子供たちのソロは勇敢です
おもしろいおもしろくないに関わらず
舞台上で数分間たった一人で踊り切るんです
恥ずかしさを決定的に超えていなければ
立っていられない場所です
最高の自分になれる
最高の自分をみんなに見てもらえる
それを受け取ってもらえるか
受け取ってもらえないか
日常とは比較にならない恐怖があります
したがって恐怖も超えていかなければ
立っていられない場所です
そんなものに立ち向かっている子供たち
《自分だけ》で乗り切れる子もいれば、
《情熱》がかるく上回っている子もいます
ここだけはダンスが上手いとか下手とか
じゃない、自分自身が引き出せるかどうか
《混沌》の舞台では、
それを何よりも大事にしていなければ、
この日は決して訪れないはずです

言葉を悪くすると
エゴイズムの連続を見続けることになります
「芸術は、、爆発だ!!」
みたいなことが言えるのは、
突き抜けた者だけです。
爆発を納得させられるほどの《何か》
アーティストは
自らの力でそれを現出させている者のことです!
問題は《何の爆発なのか》
爆発すれば芸術か? 否!
それはただの爆発ですw

今回の演目中で最も見やすかったのは
なんと『パパダンス』でした―

なんだかすごく妙な気分でした
群を抜いて見やすく明快だったんです
世のパパが、踊りも拙い彼らだからこそ
虚栄がなくて一生懸命で☆



生きている証

証って自分が欲するものですよね
求めなくて、努力しなくて、
証が手に入れられるのか
今、何かをしようと、したいと思わずに
いつも証が自分自身にあるものだとするなら
それはどんな感じなのか
常に光り輝いていて
誰もが振り返ってしまうような…
それとは逆に 自然体
何者にも動じない風のような存在か…
求めなくて、努力しなくて、
そこにたどり着けるのか
世の中には「天才」がいます
だからどんなこともありえます
ですが、自身が見つける種類のものなら―
努力なしにはたどり着けないはず
「生きている証」はそんなものじゃないのかな
あくまでも自分本位のもの
自分が感じていられたらそれだけでいい
なにしろ自分にしか見つけられない!
誰かの証を見つけてあげることはできない!

 証はきっと、誰かに何かを伝える以前のもの

舞台に立つ
誰かと向き合う
そのための《あたりまえ》ではないでしょうか

舞台はどうしても
出演者たちの想いの一方通行の体になります
だからこそ爆発の仕方を考えないわけにいきません
舞台は決して自分だけのものじゃない!
受け取ってもらいたいものがあるのなら
感じてもらいたいものがあるのなら…
何をやってもいいことにはならない
ここにこそ「芸術」が隠れている気がするのです



2018年03月07日(水) 短縮したらダメなヤツ

いつも “それ” は突然やってくる―
揶揄です。
一度も言われたことがない揶揄。


 「男性に比べたら、、あまりないですよ」


一瞬で凍てついた
何のことかはあえて記しませんが…(爆)
そこ短縮したらダメだろッッ!!


 「《一般の》男性、ね!!」


その最初から別枠にしてるのがわかるような発言、
今後一切やめてもら痛い
自動変換誤爆してますが たしかに、、痛い。。
わざわざ塩を塗りに来てくれる感じが非常にナイス

しかし、この《ちょっとした語彙不足》って
心のダメージ返還率が尋常じゃないよなあ。。
なにしろ元の意味がぶっ飛んで
別モノに変容してしまう種類です!
その人がわたしのことをどう思っているんだか…
後からじわじわ来やがります
そう、今回はこれですね

 俺、男じゃないんかい!!

性格を鑑みて本心を炙りだ…

「見るからに 天然だったら 悩まない」

いきなり五七五できました☆



2018年03月05日(月) わからない、はフツーのこと

『聖の青春』 泥酔した聖の発言
これを言ってしまったら、、
どうしても避けられませんでした

「僕はいつも苦しみながら将棋を指している。

 自分のそんな気持ちは
 元気な人たちに永遠にわからないでしょうね」

この台詞に何も感じない人いないんじゃないかな。
自らの想いで切り拓いていこうとする人なら、
誰もみな、似た台詞があるのではないでしょうか。
生きている痛みのような超個人的な裏事情。
ただ、この裏事情の実態はきっとこうです―

 わかってほしいけど わかってほしくない

 わかってほしいけど わかるわけがない

その苦しみが(本物の苦痛)だとしたら、、
きっと自分以外の人には味わってほしくない、に
至る気がするのです
そんな苦痛は知らない方が絶対に幸せです!
手術の痛みなんてのも、、
正直言って想像をかるく超えてきます
問題なのは自分のことは自分にしかわからないこと
その苦痛がこころのものだったとしても同じ

苦痛自体は比較できない

苦痛の大きさは量れません
《直面している今》は現実そのものだからです

わたし自身の経験ではありますが、
この苦痛を解消できないまでも、何とかできるのは
やはり自分自身でした
何とかできるのは同情からじゃ無理です
誰かに抱かれて「わかるよよしよし」じゃあない
誠に歩いていけるのは、自力で歩いていけるのは
自分よりも誰かの方が厳しいはずだ、って
確信したときです
これは、そんな誰かがいたからわかったことです
わかってもらえたとしても
それはきっと自力で歩く力にはなりません
その場にとどまってしまうような安らぎはあるかも
しれませんが、一歩まではどうかな。。
自分だけであれば一生悲劇のヒロインでいられます
ですが、、そうじゃないから
自分じゃない他人がいる世界だから

比較することで自分がわかる

誰かがいるから自分がわかる

苦痛は量れませんが、人なら見ればわかります

さて、ここまで来たら答えはあと少しです。
誰もが言えてしまう「自分の気持ちはわからない」
こんなのはみんな同じです
わかってもらいたい人は永遠に叫びましょう☆
ただし。これを叫んでいるうちは、、
わたしたちは豊かになれません
それを、、どうにかして超えていかなくては!!
歩いていけるまで
それまでは本物の苦痛だと思います
この苦痛には《時間》が不可避かもしれません
ですが、だからこそ自分だけにならず
誰かがいる場所にいること
その場所は光そのものなんじゃないでしょうか
不思議に感じるのは、、
「自分の気持ちはわからない」そんな人間がいる
場所が光そのものだということです

自分ひとりだけで勇気が湧く、勇気を引き出せる、
そんな天才ナルシストもいるかもしれません
しれませんが、、どうにも考えにくい
待ってくれている誰かのために、のほうが
がんばっている誰かがいるから、のほうが
俄然 人間の根源を感じます

 がんばっているだけで誰かの光になれる!

ああ、自分も昔は わかってほしくて踊ってた
とても恥ずかしい気持ちになります
これがわかるのはちょっとは成長したからだと
そう思えるんです

踊りも、自分を
自分自身を 超えていくことなのかもしれません



2018年03月04日(日) 「聖の青春」

課してくださった方へ大いなる感謝を―
将棋界に轟く藤井君新風!!(2020)
2018年3月4日読破して2年。。
ついに、いや、今こそ記しておかなくては!!


 『聖の青春』  大崎善生

 羽生善治を追い詰めた棋士 村山聖
 病と闘いながら全力で駆け抜けた、
 わずか29年の生涯

 重い腎臓病を抱え、命懸けで将棋を指す弟子の
 ために、師匠は彼のパンツをも洗った。
 弟子の名前は村山聖。 享年29。
 将棋界最高峰A級に在籍したままの逝去だった。
 名人への夢半ばで倒れた “怪童” の一生を、
 師弟愛、家族愛、ライバルたちとの友情を通して
 描く感動ノンフィクション。


感想なんて野暮なものは要らないじゃないか―


 村山は私にこう言った。
 「雪ってすごいですね」
 「ああ、また北海道に行ってたんだって?」
 「はあ」
 「そんなに、すごい雪だったの?」と私は聞いた
 「いえ、あの、すごい雪というのではなくて」
 村山は少し口ごもり
 そして意を決したように続けた。
 「雪は何もかもを、
  真っ白に消し去ってしまうんですね。
  それが、すごいなと… 」
 村山の言葉はしばらく脳裏を離れなかった。
 平成4年2月、
 部屋の片隅に村山のメモ書きを見つけた。
 《何のために生きる。
  今の俺は昨日の俺に勝てるか。
  勝つも地獄 負けるも地獄。
  99の悲しみも1つの喜びで忘れられる。
  人間の本質はそうなのか?
  人間は悲しみ苦しむために生まれたのだろうか
  人間は必ず死ぬ。必ず。
  何もかも一夜の夢》


 平成4年10月、事件が起こる。
 加藤昌彦はその日の奨励会で命がけの対局をして
 いた。10月23日生まれの加藤は、その日が
 くれば年齢制限で退会になる。 当時の奨励会に
 は満26歳までに三段という鉄の規則があった。
 そして、その日加藤は負ければ退会、勝てば31
 歳まで5年間寿命が延びるという、血を吐くよう
 な対局をしていた。 奨励会に入会して、12年
 の月日が流れていた。 13歳から25歳まで、
 青春のすべてを賭け、全エネルギーを傾けてきた
 奨励会。 そこに居残りなおも棋士を目指せるか
 あるいは自分が行ってきたことのすべてを否定さ
 れ、水泡に帰すのか、文字通りの瀬戸際の一日で
 ある。 そして、加藤は負けた。
 「死んだ」
 口には出さないが、加藤は心の中で何度もそう叫
 びながら棋士室で茫然としていた。
 「死んだ。俺の将棋生活は死んだ。
  もう、これでおしまいだ… 」
 悔しいけれど、なぜか涙も流れない。
 自分の人間としての機能のどこかが
 停止しているような感覚だった。
 暑いのか寒いのかもわからない。
 ただ感じるのは、自分の生活のいちばん大きな
 部分が死んでしまったという、その事実だけで
 ある。
 飲み友達の本間博がどこからともなく現れた。
 気のやさしい本間は加藤を気遣って、将棋会館で
 加藤の最後にして最大の戦いのようすを
 それとなく見守っていたのである。
 「飲みにいこか」
 本間は茫然とたたずむ加藤に声をかけた。
 今日は朝まで徹底的につきあったるでえ、
 口には出さないが本間の目がそういっていた。
 加藤も12年間すごした奨励会最後の日を、
 本間と飲み明かそうと決意した。
 そこに村山が現れた。
 村山も村山で、奨励会のつらい日々をともに
 すごし、棋士になってからも10秒将棋の
 ぶつかり稽古という形で応援してきた加藤の
 最後の日が気になっていたのだろう。
 「僕も行っていいですか?」と村山が言った。
 もちろん、本間にも加藤にも
 その申し出を断る理由はなかった。
 加藤は黙々と自分の奨励会時代を回想していた。
 《そういえば、自分も村山君のように命がけで
  将棋を指していた頃もあったなあ。
  でも、もうこれからは、そんな熱い気持ちで
  将棋を指すことは二度とできなくなる。
  同年代の人間は学校へ通い、勉強をして
  ばりばりと働いているというのに、自分は
  宙ぶらりんの状態で一銭にもならない将棋を
  指してきた、それはつらかったなあ》
 多くは語らないが、しかし三人のグラスを傾ける
 ピッチの速さは尋常ではなかった。
 飲み出して1時間もたった頃だろうか、
 村山の様子がおかしくなってきた。
 本間や加藤にしきりにつっかかってくるのである
 いつもの加藤であれば「村山君そんな言い方は
 ないぞ」とか言って軽くたしなめるのだが、
 その日はそんな余裕もなく、
 ひたすら落ち込んでいくばかりであった。
 そんな加藤を気遣って、
 本間が次はカラオケへ行こうと言い出した。
 歌でも歌えば少しは気がまぎれるやろう。
 そして3軒目。 その店も三人でよく行った、
 梅田の阪急東通商店街のスナックだった。
 三人はカウンターに座りしたたかに飲んだ。
 前にも増して村山の様子がおかしくなっていった
 「本間さんはええなあ、
  気楽に将棋指してお金がもらえて」
 そんなことを村山がしきりに言い始めた。
 「それはないぞ」と加藤は言った。
 「誰がどんな気持ちで将棋を指そうと、村山君に
  とがめる理由はないはずや。それに誰がどんな
  将棋を指したって自由やないか」
 その加藤の言葉で空気が一瞬凍りついた。
 その日の村山はずいぶん落ち込んでいるように
 見えた。 それが半分以上は自分に責任があるこ
 とは加藤にはわかっていた。 しかし、何も言わ
 ずに黙々とグラスを重ね、自分の奨励会最後の日
 につきあってくれている本間を悪く言われること
 はつらかった。
 加藤の苦しみに二人が共鳴しはじめたのかも
 しれない。
 「僕はいつも苦しみながら将棋を指している。
  自分のそんな気持ちは元気な人たちに
  永遠にわからないでしょうね」
 村山が言った。 村山の顔が土気色に見えた。
 「本間さんは気楽でいいなあ」
 加藤の中で何かが切れた。
 「あんまり変なこと言うな。
  君の言うことは合っていることは合ってるけど
  今は間違っているで」
 店はいつも通りにそこそこに賑わっていて、
 陽気な笑い声がボックス席から響いてきた。
 村山はなおもブツブツと、誰に向かってかも
 わからない文句をたれている。
 限度に近いほどに酔っ払っていた。
 「とにかくここを出よう」
 あまりの雰囲気の異常さに本間が提案した。
 そして本間が勘定を済まし、店を出た。
 午前2時。
 梅田の街は静まることを忘れたように、原色の
 ネオンに囲まれていた。 それは、まるで繁華街
 の太陽のようだな と加藤は思った。
 店の前に出て、代表して支払いを済ませた人に
 お金を払うのが三人のルールだった。
 「いくらですか」 加藤は本間に聞いた。
 そのときである。
 酔いにふらついていた村山が、財布から一万円札
 を五、六枚取り出してビリビリと破りはじめた―
 そして 言い放った
 「こんなもん、何の意味もない。
  何の意味もないんじゃ」
 そして、新しい一万円札を取り出し、
 また破りはじめた
 「僕が出します。払いますよ」
 そう言いながらビリビリと破るのである。
 足元はふらふらと覚束ない。
 「お前、何すんねん」 加藤は叫んだ
 加藤は村山が四段になってすぐの頃から、
 寄付活動を続けていることを知っている、
 ほんのわずかな人間の一人だった。
 だから、加藤は村山がお金を人一倍大切にして
 いることは知っているつもりだった。
 しかし、どんな状況であれ、お金を破るという
 行為は加藤にはあまりにも違和感があった。
 それに自分は26歳になりながら、まったくの
 無収入で一銭にもならない将棋を指してきた、
 その道すらも今日閉ざされてしまったという
 憤りがあった。 村山に自分とは桁違いの将棋の
 才能があることは認める、だけど今日の自分の前
 で好きな将棋で稼いだお金をビリビリと破ること
 はないやないか。
 「生きている人間には要るけれど、死んでしまう
  人間にはこんなもの何の意味もない」
 村山は夢遊病者のような足取りでそう言った。
 村山が破った一万円札を本間が拾い集めそして
 「今日はもう帰れ」と言った。
 「いやだ」と村山は言った。
 「次もいく、もう一軒いく」
 そして加藤に向かってこう叫んだ
 「加藤さんは負け犬ですよ。
  でも僕は負け犬じゃない」
 その一言が、加藤の怒りを爆発させた
 「俺だって、命かけてたんだ。
  もういっぺん言ってみろ」加藤は怒鳴りつけた
 村山は暗い瞳で加藤を見据え、
 何の躊躇もなく言い放った
 「加藤さんは負け犬です。
  僕は負け犬にはならない」
 加藤の渾身のパンチが飛んだ。
 肉体と精神を鍛えるためにボクシングをやって
 いた加藤の右拳が村山の顔面を捕らえた。
 ぐしゃっ、といやな音がした
 村山は1mも吹っ飛び、ゴミ捨て場の青い
 ポリバケツをなぎ倒しながら倒れ込んだ。
 鼻血が流れ出し、村山の顔はみるみるうちに
 鮮血に染まっていった。
 しかし、村山はよろよろと立ち上がってきた。
 その村山に向かって加藤は言った。
 「いいか、自分が体が弱いなんて思っているうち
  は谷川や羽生に絶対に勝てへんぞ!
  お前より苦しんでいる人間はようけおるんや」
 村山は服を血に染めて右手で鼻を押さえながら
 加藤に近づいてきた。 目ははっきりしていた。
 そして、立ち尽くす加藤に言った。
 「僕には時間がないんだ。勝ちたい。
  そして早く名人になりたい」
 村山は泣いていた
 「早く、名人になりたいんじゃ」
 泣きじゃくりながらもう一度そう叫んだ
 それは、血に染まった村山の魂の叫びだった
 加藤も泣いていた
 流しても流しても新しい涙が頬をこぼれ落ち
 どうにもならなかった
 加藤は村山との日々を思った。
 更科食堂でサンマをうまそうに食べながら
 「うちの師匠は親以上ですから」といつも自慢し
 ていた村山。 自分の将棋が不調になると必ず
 現れて「10秒将棋しましょうか」と誘って
 くれた村山。 映画に喫茶店に、それなりに
 慰めあい楽しんできた慎ましい青春の日々…
 それもこれも、すべてが今日で終わる。
 加藤の前に立って村山は泣きながら言った。
 「加藤さん、僕、殴り返してもいいですか」
 「お前、俺を殴る自信があるんか」
 加藤がそう言い返すと村山の目がきらりと光った
 「お前、名人になるつもりだったら俺を殴れ」
 そう言った瞬間に、何の躊躇もない村山のパンチ
 がいきなり加藤の顔面を襲った。
 避けようと思えば避けられたが、
 そうはせずに加藤はもろにパンチを浴びた。
 びっくりするような、何の容赦もない一撃だった
 それは村山の中にあるどうしようもない苛立ちや
 怒りをすべてぶつけたような重いパンチだった
 加藤の口の中が一瞬にしてぐちゃぐちゃになった
 気が遠くなりかけた。 よだれと共にだらだらと
 アスファルトの上に血が流れて滴り落ちた。
 「先輩を殴る奴がいるか」
 加藤はそう叫んで、もう一発村山を殴った。
 今度は左頬。 村山の素人離れした強烈なパンチ
 を食い、頭が真っ白になっていた加藤だったが、
 テンプルと顎だけは避けた。
 加藤の拳がヒットした。
 加藤は全力で、そして気持ちを込めて殴りつけた
 しかし、今度は村山は倒れなかった。
 そのままの姿勢で仁王立ちしている。
 もう言葉は出てこなかった
 二人で睨み合ったまま動けなかった
 ただ、止めどもなく涙が溢れ、
 二人の頬を伝わった
 「加藤君、先に例の店に行っとれ。
  わしは村山君を送ってからそこに行くから」
 本間がそう言った。
 その言葉に我にかえり加藤はその場をよろよろと
 離れた。 口の中がヒリヒリと痛んだ。
 それは、挫折の痛みのようにも思えた。
 まったくあの野郎、なんてパンチなんだ。
 加藤の姿が見えなくなったのを確かめるように
 して、村山はその場に崩れ落ちた。
 そしてピクリとも動かなくなった。
 本間がいくら名前を呼んでも何の反応もない。
 本間は慌てて店に舞い戻り、救急車を呼んだ。
 救急車の中で村山は付き添う本間に泣きながら
 言った。
 「このまま加藤さんとは終わりにしたくない」
 村山にとっても、加藤は奨励会時代から心を
 許した数少ない友達だった。
 「また、一緒に飲みにいったりしたいんです」

 翌日、加藤は森の部屋を訪ねた。
 そして弟子を殴ったことを謝った。
 奨励会員が棋士を殴るなど
 将棋界ではあってはならない大罪である。
 森は加藤から大体のようすを聞いた。
 「あんなあ、暴力はいかんけど、
  まあよう殴ってくれた。
  それで、ええんやないの」
 その言葉に加藤は救われる思いがした。
 畳に手を突き必死に涙をこらえた。
 「森先生 申し訳ありません」
 森は考えた。
 なぜ、村山は一万円札を破いたりしたんやろう。
 なぜ奨励会退会が決まったその日に、負け犬だ
 などと言ったりしたんやろう。
 森にはわからないことだらけだった。
 ただ、何となくわかるとすれば、
 時間がないという村山の焦りと、そしてやっぱり
 友達が去っていくことの寂しさがそうさせたのか
 なあということであった。
 「冴えんなあ」と森はつぶやいた。
 しかし、その言葉とは裏腹に、人間に対して
 ここまでストレートに自我をぶつける村山に
 ある種の羨望を覚えずにはいられなかった。
 殴られて倒れるまで、いやピクリとも動けなく
 なっても自分を信じる強さ。頑固さ、意地の悪さ
 それは森にとってまるで鮮烈な青春の一コマを
 見せつけられているような思いがした。
 おそらくは生まれてから一度も人を殴ったことも
 殴られたこともないはずの村山がその両方の痛み
 を知っただろうことは、森にとってはむしろ
 喜ばしいことに思えるのだった。

 「加藤君に殴られたんやってな」
 「はあ」
 「お金をビリビリ破いたんやってな」
 「はあ」
 村山は面目なさそうに目を伏せた。
 「なぜそんなことしたんや」
 「わかりません」
 「あんなあ」森は言った。そして続けた。
 「わしがその場におっても
  村山君と同じことをしたかもしれん」
 黒く輝く理知的な瞳で村山は森を見た。
 そこにみるみるうちに涙が溜まっていく。
 森は言った。
 「わからんけど、説明できない悔しさや誰にも
  言えない怒りというものはわしにもある。
  人生や運命に対する無力感はきっと誰にでも
  ある。 それはきっと村山君がしたようにしか
  表現できないのかもしれん。
  少なくともわしにはそれ以外思いつかんねえ」


 いつの間にか季節は流れ、村山が死んでから
 早くも1年以上が過ぎようとしている。
 加藤昌彦は奨励会を退会した後、
 俳優の付き人を1年間やって役者を目指した。
 しかし、2年後には
 将棋界にライターとして戻ってきた。
 今は新聞や雑誌に原稿を書く毎日である。
 「このまま終わりにしたくない」と村山が泣きな
 がら本間に言った通り、二人は殴り合った2年後
 のある日、対局室で再会した。
 そして、二人で飲み屋に繰り出し
 《あの時のこと》を語りあった。
 「名人になったらもう一発殴れ」と叫んだ自分の
 言葉が耳から離れない。
 いつか、その約束を果たしてもらいたかった。
 それが、加藤にとっても夢だったのである。
 「加藤さんは負け犬です」と言い放った村山の
 言葉が今も加藤の胸の中に響いている。
 いつからか加藤はその言葉に支えられ
 励まされている自分に気がついていた。
 谷川浩司と羽生善治は今日も戦っている。
 多くの子供たちが今も彼らを夢見て
 プロを目指している。
 その子たちのためにも自分自身のためにも、
 簡単には倒れるわけにも倒されるわけにも
 いかないのだ。
 それが、トップに与えられた宿命である。


正直、読みながら心臓を締め付けられる感じが
絶えませんでした
その熱意は「情熱」じゃない。
そんな何かを、、感じずにいられなくなります
自らの病気と向き合うその文章も記したい気持ち
ですが、もうこれは是非とも本書を買ってください
生きていることと生きることは決定的に違う、
それを思い知らされる本です


 将棋は勝ちか負けの世界。
 そこは誰も入りこめない神の世界だ。
 そう村山は書いている。
 村山にとって将棋とは
 芸術でもゲームでもなかった。
 それは、将棋というルールを介在させた
 純粋な勝負であった。
 村山はいつも徹底的に将棋を純粋化させ、
 あらゆる無駄なものを省いて考えた。
 残る結論は一つ。
  白か黒か
  生きるか死ぬか
 それが、村山にとっての将棋の正体であり
 意味であった。
 定跡の学習や、終盤力の強化はもちろん必要。
 しかし、それは将棋の本質からは二義的なもので
 ある。 では一義は何か。
 それは生きるか死ぬか、殺すか殺されるか。
 村山はその勝負としての将棋の本質を、
 常に直視していた。
 自分の中にある、あらゆる感覚を使って生き抜く
 それが村山の将棋観であり、その単純さと純粋さ
 が本質となり村山将棋を支えていたのだ。
 手術の痛みも体につなげられた点滴の管も、
 自分の体の一部を失った喪失感も生への渇望も、
 もう村山には何も関係なかった。
 真っ白になって、自分をも消し去って
 盤の中に没していく
 ただただ、村山はそれだけを望んでいた


将棋に限らず きっとあらゆることが
ここに行き着くのではないでしょうか
芸術なんて言っているうちは、
もしかしたら踊りではないかもしれません
たった一度の踊りを踊りたい
一度きりの踊りをいつも踊っていたい
何を踊ったのか
なにも憶えていないくらいの踊りを踊るためには
考えないところに
考えが及ばない場所にたどり着かなきゃ


 羽生善治
 「村山さんはいつも全力を尽くして、
  いい将棋を指したと思います。
  言葉だけじゃなく、ほんとうに
  命がけで指していると
  いつも感じていました」


その感じられる姿、これこそは
わたしにとってダンスそのものです
その人がその人であること
それを感じずにいられなくなってしまう様子
踊りは、ダンスは、、
決して踊りを踊ればいいわけじゃない!!


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