断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2018年01月29日(月) チーズ玉ちいさめ

お好み焼き屋にて。
その店でのわたしの注文は ほぼほぼ、、

 《チーズ玉ちいさめ》

チーズと玉子の度肝なハーモニー☆
お好み焼きがあっという間にイタリアン!!
完全なる反則技でしょう!!
高校時からお世話になっているお店で、
今や各店舗の調理スタッフとも挨拶できますw
いやあ成長しました。
成長っていうか、、単に年月です。。
広島出身の友だちを連れていったらこんな感じ
チーズ玉であろうがなかろうがこんな感じ

「これはお好み焼きじゃない」

広島お好み焼きをご当地で食べたことがあれば
その発言も不思議ありません!
広島は聖地です。
完膚無きまでのお好み焼きの聖地。
広島で踊ったあの日から揺るぎません(爆)
あの見た目と味で判断するのなら、
たしかに、、ここのは
特殊なお好み焼き、なのかもしれない―

そしてその名称の原点に立ち返る。
お好みで焼いてんだからお好み焼きなんじゃ…
人間の思い込みほど不思議なものはありません!

さて、今日つくってくれた人は、、覚えている。
顔を見て思い出した、今こそ賛辞を述べるときだ!

「そういえば あのとき食べたチーズ玉
 去年中の最優秀賞だったよ」

あの時の注文も顔パスだったw
「チーズ玉ちいさめですよね」「ザッツライト」
レッスン後は昼ドキなんて徹底的に超えている。
そういうわけでペコペコのペコペコだったのが
相まってその年の究極のお好み焼きに変貌を遂げた

「おぉ、、それは… ありがとうございますッッ」

すごい笑顔で応えてくれたそのスタッフはその後
わたしの来店にプレッシャー来ます、と発言した。
そう。彼らもプロなのだ。
常に今の美味しさを勝負している者たち。
その感動を上回りたい、そんな気概がなかったら
プレッシャーを感じることもないはずだ。
別の言い方にすれば、、
《常に最高のものをつくっている自負》に至る。
社会とは、常にその志が問われる場所なのだ―

 プレッシャーのないところにいい仕事なし

自分だけで終わらない、というのが
ひとのしあわせの在処ではないでしょうか
わたしたち人間は、誰かがいて初めて完結できる
馴れ合いではない真剣勝負
わたしたちはいつもいつでも一時が万事です

いつもの明日なんて1日たりとも来やしません

わたしは色々誤解される性分かもしれません
それでも それを圧してでも
嗾けるスタイルを貫きます なぜなら
誰一人例外のない、今を生きているプロだからです
一生懸命に生きていれば必ず相乗効果になります☆
ならないはずがない、その確信があるんです

 「がんばれよ!」 「お前もな!」



2018年01月27日(土) 「血界戦線&BEYOND」

先日1/3の『血界戦線』の続編です。
2017年末に録画したままだった(超実話
たぶん超忙しかったんでしょう その時期。。
そして、、かるく2年半が過ぎていた―

 『血界戦線&BEYOND』 全12話

本来なら2020年にblog化すべきところですが、
前作の感想を投稿した手前ですw
今しかない

 そうじゃなかったら何年かか―



第9話
レオは超虚弱体質の友人・リールと街を歩いていた
するとチンピラに絡まれ、金を巻き上げられてなお
ボコボコにされるレオを横目に、、
リールは逃げ出してしまった
そんなリールに怪しげな影が忍び寄る。
「結局、世の中は力だ」
その甘言にリールは乗せられてしまう…

これまでの負の感情を糧に、リールは膨張。
まさに天を衝く巨人に成り果ててしまった。

「すげえなああぁ お前。
 まるで限界まで引き絞られた弓だぜ。
 たまりに溜めた負の感情と俺の術式のシナジー。
 予想を上回る結果を出したぞ!
 ほおら その目で見てみろよ!
 頂上の風景を!!
 いい眺めだろ。
 さすがの馬鹿連中ももう遠巻きに逃げ散ったぜ。
 お前を踏みつけ、気にもしてなかった中途半端な
 強さのクソどもより、
 お前はいまやその、上の上の上の上だ。
 一歩踏み出すだけですりつぶしてやれるぞ!」

「ちがう! ぼくはこんなこと望んじゃいない!
 何が頂点の風景だよ…?
 誰も見えない!声も聞こえない!
 ひとりぼっちの世界じゃないか!!」

「お前、、さびしいのか
 てっぺんが孤独なのはあたりまえなんだよ
 同じ風景見てるヤツなんか存在しねえからな」

「もとにもどしてくれ」

「嫌だね。
 こんなにでかくなったのは奇跡中の奇跡だ!
 お前を選んだ俺の天才ぶりに総毛立つぜ!
 このままとことんまでなりゆきを見てみてえ!
 どうなんだよ一体よ??
 お前は、、
 お前の身の丈から見える世界を放棄したんだ
 でもいいじゃねえか!
 そんだけつらかったんだろ??
 戻ろうなんて小せえこと言ってないで、
 ぱーーーっと暴れて終わろうや!!」

「意気地なしのぼくの代わりに
 誰よりも先に怒ってくれたレオ君。
 ぼくの大事な友だち。
 あのとき君を置いて逃げてしまった自分が、、
 心底 許せなくて、許せなくて、
 許せなかっただけなのに、、、、、
 ごめんよ こんなことしてるなんて
 ぼくはなんて大バカなんだ。。
 ここからはもう見えないけど
 いま君はケガをしたりしてないかい??

 たすけてレオ君!たすけてよ!!」


てっぺんが孤独。。
てっぺんが孤独なのは当たり前
鋭く、、刺さりました
この話では自分の努力じゃないところで
突然てっぺんに行ってしまったリール

 てっぺんには自分の力で行かないと
 そのてっぺんに耐えられない

わたしたちはその生きてきた年月とともに
少なからず知ることになります。
自分の足で、自力で歩んできた人ではなく、
誰かの力で大きな力を得た人たち。
そんな人たちの顛末を

この《自力》というやつは、、
本物の苦しさを伴うものです
どうにもならないことをどうにかしたい
そういった割り切れない自分と
たたかわなくちゃならないからです
もしかしなくても割り切ることの方が
ずっとずっと楽かもしれない
言葉では簡単に「自力で歩む」なんて言えますが
これこそ言葉ではまったく足りません
だから踊りたい、踊るしかない
と思っているのかも、、しれない!



最終話
レオはこれまでの事件を経て、最初のあの台詞、
クラウスの台詞を自分で言えるようになっていた!
「光に向かって一歩でも進もうとしている限り、
 人間の魂が真に敗北することなど、断じてない」
ここではバカにする人もあるかもしれません。
あるかもしれませんが、
こんな大それた台詞、現実には叫べません!!
わたしたちの心の中で掴み取るものだからです
それを代弁できるのが《物語》です

レオの妹 ミシェーラ
「知っていますか?
 カメはその構造上、
 後ろに下がることができないんだそうです。
 私、それを聞いたとき
 真っ先に兄を思い浮かべました!
 足がすくんで動けなかったり
 途方に暮れて立ちつくしても、
 この人は絶対に逃げない。
 うずくまってじっと耐えて いつかまた歩き出す
 私のトータスナイト」

クラウス
「おぼえているか?
 我々が初めて会った日のことを。
 あのとき君は自分を卑怯者だと言った。
 無理もない。
 件の事件が
 君に落とした暗き影を思うと胸が痛む。
 だが、こう考えることはできないだろうか?
 絶望的な負い目が己を支える礎となり、
 痛切極まる悔恨が不退転の爪となるなら、
 今の君をつくったのはあのときの挫折だ。
 その強さが妹さんを、果ては人類を救った。
 これは厳然たる事実であり、
 卑怯者からもっとも遠い行いだ。
 よくやった!
 これからもよろしくたのむ レオナルド」


この作品2SEASON通して一貫していたのは、
《見方、その角度は、変えることができる》
それを伝えたかったんじゃないか

クラウス最後の台詞は
まるっきり先日1/1のblogのお話と同じ
『君たちはどう生きるか』
わたしたちが人類を救うことはないでしょう
現実にはないでしょう ないでしょうが、、
自分を救えるのは自分だけです

物語を読むのはわたしたちの主観です
阻んでしまえばそれまで
それまでですが、
最後まで読むことでわかることもある
わたしは思います
最後まで読んでもらう、
見てもらうことができるのが、プロのわざ
ダンサーの場合であれば、
その見た目だけで終わってしまいかねない主観です
好き嫌いを圧してなお 見てもらえるすべ
どうやったらそのすべにたどりつけるのか
いまなお頭を抱えています リアル底なし沼w
終わりのない場所なのかもしれません

だからこそ踊りたいのかもしれない!



2018年01月26日(金) 面白い話は自虐が最も尊い

聞ける人にしか聞けない。
それは… 面白い話!
面白い話ができるのは勇気です。

 笑いの中で自虐が最も尊い

なぜなら、誰も傷つけることがないから☆
わたしは藪から棒に聞き出したいのだ。
自分の話じゃないのをw
毎日がつらくて厳しいからこそ いつも 常に
誰かの楽しい話が聞きたい。
まずは先制攻撃を仕掛けます。
尋ねる前に自分が面白い話をする。
これが避けさせないためのセオリー!! 笑笑


こないだボーダーセーターを着て練習に行くと
受付の女の子がわたしの靴下に目を見張った。

 受「なんで靴下が緑なんですか!?」

 た「ボーダーの色と合わせてみ… 」

なんだかいつのまにか女子群になっていた。
そして群が口を揃えて言い放つ!

 軍「しませんよ〜
   なんかウォー◯ーみたーい」

軍勢が高らかに嘲笑してましたw
まるでマンガみたいです☆
もし言い返したりしちゃったら、、
飛ぶしかない断崖が待っていそうです☆
言い返せない あの空気… 何なの?? 笑笑
面白い話、終了。
言ったあとに気付くわけですが
面白くは、、ないね 笑笑
ただ、ひとつの事実を明るみにできます。
ああいう時の出現団結力おかしいだろ女子。。
いつのまにか軍、っておそろしすぎるだろ!!
確殺☆ 瞬間女子・数の圧ッッ(爆)


初めて聞いてみた女の子は立ち上がった

「こないだ振られたんですよ!
 3日前です。。
 面白くないですね☆」



2018年01月12日(金) 「あの頃ペニー・レインと」

映画館で昔みたあの映画が深夜放送されていた☆

 『あの頃ペニー・レインと』(2000)

 ウィリアムは15歳。
 弁護士を目指すほどの秀才だったが、
 4年前に家出した姉が残したレコードが
 きっかけとなり、ロックの世界にのめり込む!
 伝説的ロック・ライターのレスターに自らを
 売り込んで取材の仕事を得たウィリアムは、
 ライブ楽屋を訪ね、売り出し中のバンド
 “スティルウォーター” に取材を試みる。
 バンドへの熱い想いを語ってメンバーに
 気に入られ、楽屋へのフリーパスを得た彼は
 バンドのグルーピーの中でも一際目立つ女
 ペニー・レインに一目惚れしてしまう―

見ようとして視聴していたわけじゃないのに、
つい、、見入ってしまった!
いつの間にやら最後までw
この映画は青春映画の傑作とされています。
たしか、、blog投稿した記憶がある。
そうだ!どうせなら
過去の自分の感想と比較をこころみてみよう。
そこに至るまで自分のblogに目がはいr、、、

 鼻血出た

「あの頃自分の文章と」、、と、と、
とんでもなさすぎるの「と」ッッ!!!
探す最中の過去の自分自身との遭遇が、、、
こんなにもキツいとは…

 全削除したい気分です(爆)

ただ、これも罪挙げてきた自らの歴史です。。
何故その罪挙げ、、変換になるんでしょうかww
相変わらずの自傷変換に涙がデマす(超自動
この作業でタイトルが《断罪の時間》なのを、、
あらためて思い出させられましたw
結論から申し上げますと、、
過去の感想は残っていませんでした。
ただし、感想は投稿した記憶があります。
このblogアカウント最初のが2001年11月。
映画上映は2001年1月。
復帰ソロ公演Choiceが2013年。
再復帰公演The 3rd BIRTHDAYが2017年。
息を吹き返す2度も前かよ…
要するに、、投稿したのは全然前世でした―

 その「全然」じゃない!




あながち間違いでもないんですがw
あの頃は
それほどでもなかった映画の印象です
いま見返して、、
とんでもない秀作だと感じています
完成度の高い映画とは思っていましたが
涙が出るような響きが残っていません
おそらく《あの頃は》リアル《若かった》
年月を重ねて見返したいま
ほんとうに涙が出るような映画です
その最後が、、美して儚くてさびしかった
青春を感じずにはいられなくなります

 こんなにも印象が違うのか

それはきっと 今も変化している
変化し続けている自分自身
けっしてあのときのままではないことが
この気持ちのおかげで容易に判断がつきます

 あの頃の自分がどこにいたのか

どの辺にいたのか
ここに至れるのも元来のチカラがあってこそ
この映画自体に備わったチカラだと思うのです。
なんたって、偶然だったのに《最後まで見る》
ことをしてしまっているんです!
つまらなければ、最後までなんて絶対見ません。
そして最後。
そうして最後にわかるのは、、

 今の自分のこころの所在です

いいものを見るといつも自分がわかる
「所在」は「豊かさ」とも言える気がします

その “実感” が 感動の正体かもしれません☆



2018年01月11日(木) 出来ることをする

前日のblogを経て
少なくない自分の持つ平和への知識を鑑みた時、
甚大な焦点に気づきます。
よくもまあ凄い言葉になったもんですよw
まったく他人事じゃないじゃん。。
投げかけるだけで終われる問題じゃなかった―

 《ほんとうは出来る》ことを《やってない》

単純なその事実はおそらくみんなに当てはまる!
大衆やイデオロギーに呑み込まれない自分自身。

 自分に《出来る》ことを《やっているか》

どんなこともここを通っているかどうか
考えれば考えるほどここに行き当たってしまいます
まず何よりもブレない自分
ここにたどり着くには
どうしたって経験と実体験が必要かもしれません
誰かの言葉ではなく自分自身になるために!!
これまでの失敗と挑戦の数だけ自分に近づく!!
そうして改めて眼前にします

 《出来る》ことを《やっているか》

これが、、本当に痛い。
いつもいつでもこれが自分にのしかかっています。
気を抜けばいつもいつでもやらないことを選べる。
だからこそ、
どんなこともここが出発点だと思います。
先生も言ってました。
「舞台に立つには《フツーじゃダメでしょ》
 レッスンの時だけじゃなくて、日常よ」
趣味や遊びでないのなら 決して目を反らせない!
そうやって備わってくるもの、、
きっとそれが《自分自身》です☆

今から振り返ってみれば、
ここにたどり着くまでが一番キツかった

 出来ることをやれるのはよろこびです

あの時の地獄がそれを教えてくれました
歯が磨けるとか食べたいものを噛めるとか
歩けるとか走れるとか一人で風呂に入れるとか
腕が上げられるとか寝返りうてるとか!!!!!
出来ることを奪われたあのとき
やりたいことの一切ができなくなったあのとき
あたりまえのことがあたりまえじゃなくなった
あの時期を乗り越えられたからこそ
ここに立ち向かえるようになった、と心底感じます

思いだけではなくカラダが立ち向かえる状態
ただそれだけで凄いことです
だって “立ち向かえる” んですよ!!!
どんなに小さなことだとしても
動く動けることがどんなに素晴らしいことか
なりたい自分になろうとできることが
失ってはじめてわかった

その努力は、、苦痛じゃない!!

深くすれば 平和 は安易に口にできない言葉です
生きることに真剣に向き合うのと同じくらいの強度
は最低限の礼儀じゃないでしょうか

 《ほんとうは出来る》ことを《やってない》

人間社会の正体、というよりも前に、、
不平不満や怒りのずっと以前に
自分自身の正体と向き合うことが
変わらない今を 変わらない世界を変えていく
力無き者の最大の力だと思います



2018年01月10日(水) 「まおゆう魔王勇者」

「この我のものとなれ」

「断る!」

最初の台詞で低俗路線だと思ってました!
一転、、、土下座気分です!!
こりゃ異世界ファンタジーの皮を被った、
人間社会の有り様を学ばせる作品!
こんな様相をよくもつくったものですよ。。
学校に行くよりもこの作品見たほうが早いw
平和学習にして全然いい☆
だがな…
進み具合は童貞勇者の完全なハーレム
どうしてこうなるの―
ここだけは男子の妄想を完全に叶えている。
そう。これこそが現世における商売の正体w
両方を兼ね備えたウィンウィン、、って
これ何のウィンウィンだよ?! 笑笑

 『まおゆう魔王勇者』 全12章(2013)

魔王の外見はツノも生えていないフツーの美人。
その上、胸は手の施しようがないほど大きい。
まるっきり外見が《女》
そもそもこの設定自体がなあ。。
人間の都合を感じずにはいられませんw
たぶん魔王が異形のモンスターだったら、、
平和は永遠に訪れまい。
人間にそれでも平和を求めるこころあるの?
そういうわけで。
もしかしたらそんな完全無欠の女じゃなかったら
この世に永遠の平和は訪れません☆
パンダに人間を超えた平和力があってくれたら
どんなにいいだろう(爆)

 パンダ神


魔王「私はこの世界において教育が最も大きな力を
   持つようになると思う。 本当の世界の広さ
   は誰にもわからないほど広いのだ。
   それなのに誰もが己の常識や知識に当てはめ
   て、知ったつもりになる。
   しかも教育がより重要である理由は、
   《教育が重要である》という事実も、
   教育がないと理解されないという点にある。
   一人の人間が持つ知識を誰かに伝えるのは
   莫大な時間がかかる。
   多くに伝えようとすればなおさらだ」

誰でも思い描けるような筋道だとしても、
本当に実行するには―
己を捨てて 世界のために身投げするくらいの、、
そのくらいの力が要るはず

なぜなら
そんな平和を考えられる人間が、
そんな人類こそが、世界で一番よこしまなのだ

平和は安易な幻想かもしれません。
それでも だからこそ忘れちゃいけない
その真実をそばに置いておくべきでしょう!!

 《ほんとうは出来る》ことを《やってない》

もしかしたらこれが人間社会の正体かもしれません



2018年01月09日(火) 初動負荷トレーニング

入院中、病棟で友だちになった中村くん。
当時、独立リーグ チームキャプテンだった―
プロを目指すたたかいのド真ん中。
その調整とリハビリ?で入院していた中村くんは
食べる寝る以外 病室にいなかった。
食べる寝る以外 常にトレーニングしていた。
日が落ちるまで屋上で素振りしていた。
雨が降っていても素振りしていた。
みんな誰もが、自分が、
自らのフィールドに立てないことを焦っている。
わたし自身も動かせない膝に激痛を抱えていた。
ただただ寝て回復を待つ日々。。

これが、、心の底から苦しい

なんにも出来ない=ライバルに永遠に勝てない
そんな気がした
語弊がないように言えば勝ち負けじゃありません。
みんなと同じ時間が自分にはない。
レッスンすれば上達するというのも幻想ですが、
それでもレッスンで自らを叩き上げようとする
その自分自身から湧き上がる気概が、
なによりも気概こそが上達には不可欠です。

 その集中と意志の、、やりようがない

ここに圧倒的な無力を覚えるのです
もちろん地道に出来ることをやってきました。
しかしどうしても言葉にならない無力感が、、
正直、思い出したくないほどです
あれほど努力を重ねた、重ねていた中村くん。
中村くんは就職した

 初動負荷トレーニング

この正月を終えた短期間トレーナーとして赴任。
そういうわけで「是非とも一度試してほしい」と
メッセージが来たのだ☆
その後はすぐ新宿勤務だと言っていた!
現在では全国に施設が開設されています。
きっと各地に飛んでいるんだろうなあ。
ほんとすごいw
知りあってどれくらいの時間が過ぎたか
思い出せないのだけど、、
そのフィジカルは入院していたときよりも
まったくと言っていいほど変容していた。
どう見てもあの頃より伸びやかで生き生きしてた

 そのマシンが、、尋常でない

こんなマシン群は今まで見たことが、、なかった。
見た目は筋トレマシンの姿だけど、、違う!
内実が一線を画している!
そのマシンはメジャーリーガーイチローが
球場に持ち込んでいたほどのものなのだ(超実話

 イチローと共同開発っていうだけで神

そう。このマシン群は自分自身の出来うる
最高のパフォーマンスを行使できるようにするため
のマシンなのだ!!
可動域が広がり、動かしておくことで怪我も防ぐ。
カラダの使い方がスムーズになって
身体能力が、その感覚が、、一変する。
マシンの使い方を教えてくれる中村くんの笑顔が
ものすごく生き生きしていた
彼ほど鍛えていた、努力してきた人間だからこそ
その説得力を感じずにいられない!!
中村くん自身、入院中には動かなかった肩の領域が
今では痛みもなく使えるようになったらしい。

 最高のパフォーマンスに余計な筋力は要らない

問題は常時 自らの潜在力を使えるか、なのだ―
これまでのものとは観点が違う画期的な発見です!
場所が遠過ぎて気楽に通えない都合で
入会はできませんでしたが、
実際にはすぐ入会しそうでした(爆)

初動負荷トレーニンングおそるべし

レッスン直前これをすれば、きっと力になります。
わたしが言うよりもイチローですw
もうお判りですね?
気になった方は入会あるのみ☆

最後に中村くんの座右の銘で締めましょう。
年月を経て本人に同じことを尋ねてみました。
そして入院時とやっぱり同じだった 笑笑
座右の銘がない野球人はきっと存在しませんw
俺にはわかる☆

「人生の財は、友なり」



2018年01月03日(水) 「血界戦線」

 『血界戦線』 全12話

 紐育と呼ばれた街はたった一晩で消滅した―
 一夜にして構築された霧烟る都市
 《ヘルサレムズ・ロット》
 空想上の産物として描かれていた《異世界》を
 現実に繋げている街。
 その全貌は、未だ人知の及ばぬ向こう側であり
 霧の深淵を見ることは叶わない。
 人では起こしえない奇跡を実現するこの地は
 今後千年の世界の覇権を握る場所とも例えられ
 様々な思惑を持つ者達が跳梁跋扈する街となる。
 そんな世界の均衡を保つために
 暗躍する組織があった。
 その名は《秘密結社・ライブラ》
 少年・レオは、ふとしたきっかけから
 ライブラの一員となるのだが…

2015年もの…(爆)
そうです、これもすっかり忘却の彼方でした…
たしか最終話が特番になっちゃって
放送日が唐突に離れてしまった記憶があります。
なので、わたしのせいでは、、ない☆(はず)
2018年になったことだし今こそ補完しよう!
今こそ補完でごめんなさい
リアル2020年で世界中にごめんなさい

人間。人間はおそらく
誇張してつくられているからこそ
虚構の世界だからこそ 受けとれるものがある
リアルじゃないことがそれを引き出せる
毎日がキツければキツイほど
現実の人間からその真理を聞きたくないのだ
それほどわたしたちは弱いのかもしれない
だって日々、誰かの何かを糧にしているのだ
そしてその《何か》が《私》です
誰かの笑顔かもしれないし 感動かもしれないし
笑い話かも 動画かも それこそ不幸かもしれない
きっと遠くない将来 そんな顔になるはずです



この作品では主人公たちが属する秘密結社が
勇気のよりどころでした。
とにかく正義感の権化のようなリーダー。
クラウスの台詞が正論すぎて直撃した

「それと、一つだけ認識を改めたまえ!
 君は卑怯者ではない。
 なぜなら、君はあきらめきれずに
 そこに立っているからだ。
 光に向かって一歩でも進もうとしている限り、
 人間の魂が真に敗北することなど、
 断じてない!!」

上記は当時の手記のひとつ。
ここに感服したに違いありませんw
言い回しは厨二路線ですが、
その実は 思い込みを払拭する、
もしくは 見方の角度を変えるものだからです!
レオは足を前に踏み出せず、自らを卑怯者だと認識
そこに活を入れる一言。
足がすくんで前に踏み出せなかったとしても
それでも立っていることには、、
胸を張れるのかもしれません!
だって《敗北した姿ではない》からです!!
これにはかなり勇気きたと思います

 立っている限り 負けてない



第3話
クラウスは強力な麻薬の出所を突き止めるため
モンスターのような異形の者(ゲーム愛好家)と
チェスで勝負をすることになった。
異形の者が勝てば対局者の命が奪われ
異形の者に勝てば対局者の願いが叶えられる。

「私の推測だと最低でもここから
 たっぷり36時間はこちらの攻勢が続く。
 折れるなよ? クラウス君」

「承知した! 全力で、臨ませて頂くッッ」

 やはり面白いな この男...
 命の懸かる取引を控えて
 何の逡巡もなく奴を庇った。
 聞けば、自らの求める情報も
 世界の命運を左右しかねない重要案件。
 なぜリスクをそうやすやすと上乗せする?
 実に不合理だ。 わからん。 人間とは...

「後悔はないのかね?」

「一度も。。」

「何故だ?」

「そのように決めているから、としか」

「むう… 」

「全ては熟慮済み」

「クラウス君、君が今こうして命を懸けて
 救おうとしているウルツェンコ君だが。
 先の対局で彼は顔色変えずにこう言ったんだ。
 (君を消せ)ってね。
 馬鹿馬鹿しいと思わないか?
 なあ? クラウス・V・ラインヘルツ?
 君は本当にアレを救おうと思うのかね??」

「人は弱い。
 その弱さゆえ、ときに矜持を捨てた行動を
 取ることもあるだろう!
 だが、それが何だというのだ??
 御老体!
 たとえ千の挫折を突き付けられようとも、
 私が生き方を曲げる理由には… ならない!!」


この達観がほんとにすごい
それは《そう決めている》ことです
この決定の密度が、、尋常じゃない
これを言えちゃう段階というのがすごい
言えるくらいに自分自身を知っていなければ、
発言は絶対にできないと思います

「そう決めてるからさ!」

はぁ…この台詞、死ぬ前に完成させたいw
だいぶいいところまできてるはずなんですが
自分のこと どんなに知ってると思っていても
誰かの一言で簡単に崩れたりするじゃないですか
そして、正しいことも言えない場面があるはずです
周りの人たちの態度だったりパワハラだったり
年齢を重ねれば重ねるほど言えなくなったりします
そんなものに負けない強度がありますか?!
そんな問題です

 強い=どれだけ自分のことを知っているか

何かができる、とか
人よりもできる、とかじゃないんですよね☆

はぁ… かっこよくなりたいですw



2018年01月02日(火) 知性の質

2015年10月。
それは、手記の日付です…
唸りを上げたページだったんでしょう。
だって、、今見ても 唸ってしまう!!
そして投稿を避けられなくなるのでした―
一体何年前じゃーーーーい(爆)


 推論には、理論と正確な論理が用いられる。
 推論の有効性は、知性の質によって決まる。

 『ヨーガ・スートラ』より


◎誤った認識とは、対象への誤った像(イメージ)
 を投影することである。
 誤った認識とは、私たちが対象を知覚した後、
 心が感覚の入力したものと過去に集めたデータを
 対比し、対象を誤って認定することである。
 多くの場合、状況に関して最初に下した判断に
 満足してしまうが、それは似たような状況で起こ
 った過去の経験に基づく先入観であることが多い


《知性の質》どうやってこの言葉になったのか
ほんとうにこれは研究の成果でしょうね
すごい言葉です そんなもの考えたことなかったよ
知性に「質」があるとは!!

はぁ… いつも思いがとびますが、
この手のお題はついていけない人がどれだけ多いか
という、とてつもなく大きな壁。
話が一瞬で終わるあの言葉が…つきまとう!
「それが何なの?」
ええ、ええ、わかります わかりますよw
でもね、これを考えられるのは人間しかいません。
正直、これはダンスでも同じ文言でます。
だからこそ。
あらゆる創造性創造力は、そのこころの壁に
立ち向かう人たちの永遠の課題なのです。

こころを豊かにする

わたしたちのような誰かの前に立つ、
人前に立つ仕事をしていれば、
その《こころ》を研究しないわけにはいきません
今の自分が何を考えているのか 何を伝えたいのか
何よりもこれが土台だからです
目の前にあるもの 見えるものだけしか見えない、
というのはとてもさみしいです
だってそんなものを踊っていないからです
そういうわけであの文言来ます!
「それが何なの?」
これを打破するのは課せられた使命でしょう

【この言葉がいらっしゃる = 実力不足】

 がんばろう自分


さあ、話を戻そう! 笑笑

これまですごくたくさんの人たちと関わりながら
ダンスを、踊りを、踊ってきました。
そしていろんな人の顔をその踊りを知りました。
そうして「あの人のこの感じ」っていうのが
印象として残っていたりします。
それで、人と会った瞬間に 笑顔に 行動に
立ち振る舞いに その印象が
想起されることが意外にも多いのです!
 あの人の感じにすごく似てるなあ〜
 性格もきっと似ているんだろうなあ〜
みんなありますよね?ね??
ここで最初の真理がぶっ刺さります☆

 推論には、理論と正確な論理が用いられる。

似てる、は “同じ” じゃない!
わたしはもしかしなくてもカテゴリー分類を
無意識にしていたのかもしれません。
そらおそろしいことです

 推論の有効性は、知性の質によって決まる。

大事なのは《誤った先入観》にしない努力!!
きちんと話す機会をちゃんとつくる!!
一見しただけで絶対に決めつけない!!
そう思い出させてくれる強烈なスートラでした

似てると思う根拠
それはおそらく、、《距離感》かもしれない
その人にどこまで踏み込めるのか
意外にも壁はすぐに肌で感じます
それ以上踏み込めないアレです
考えれば考えるほど不思議になります
なぜならその人の雰囲気やその周りの空気で、、
壁の在り処が《わかっちゃう》んだもんねw

その人のことを知ろうとわかろうとする
これって本気で勇気がいることです
だって踏み込まなきゃいけないからです
いつ拒絶されてもおかしくありません
この辺りでしょうね、、
「嫌われる勇気」とかそういうやつ
この言葉が適切なのかどうか
いや、どう考えても足りませんよね
断固。嫌われるための勇気じゃないからです
振り絞っているのはその勇気じゃないからです
ここはもう臆病者にならない一択
正直言っていつでもギリギリのたたかいです
相手のこと知ろうとするわかりたいそんな力は。
ダンスはさらけ出すよりも引き出すこと
自分のことじゃなく相手のこころを

一方からだけでは足りない

考えれば考えるほど不思議になります
相手のこころを開いてもらうために
自分のこころを、、
同じくらい開かなきゃいけないなんてw
ここは踊っていて心底苦しくて厳しいところです
きっと苦しくて厳しいと思うのは
まだまだな証拠でしょう(爆)
自分に出来る最大限の勇気
それは、相手のこころまでの
最大限の一方通行かもしれませんね

一刻も早く気分よくこころを解き放ちたいです☆



2018年01月01日(月) 「君たちはどう生きるか」

ついにカウンター100000を超えましたッッ
10万、、とか、感謝しか、、ないッッ!!
独断と偏見ではありますが、、こんな数字にまで
到達するなんて考えてもみませんでした
ささやかで誰もしらないような、
さらに地道すぎるBlogではありますが、、
どうにか何かを という思いでやってきたのは、
踊りとまったく同じ気持ちです
感謝とともに 2018年、入ります☆



大絶賛の漫画を課していただきました!

 『君たちはどう生きるか』

もう、、ほんとうに、、何も言うことがない
みんな一冊持っておくべきものですこれは!!

読んでない人は絶対読もう

わたしは寝たきりを味わってから読書するように
なりました  何もできなかった季節です
そしていろんな本を読みました
その中でも特に厳しいたたかいを強いられたのは
『ヨガスートラ』
千年以上も前から心の探求 魂の探求
これこそ文章を超えて体感なしにはただの文章です
日常にまるで応用できない
例えば、《印象を捨て去れたらすなわち自由》
毎日を常にあたらしく新鮮にいるすべです
毎日が繰り返しではないこと
そしてもう二度と戻ってこないこと
これが真実である以上、毎日は毎日じゃありません
印象、は思い込みとも言えます
こんなもんだろう、という思い込みが
可能性を鈍らせます
こんなもん なんて世界はないからです


この《印象》に逆の可能性について書かれていた


コペルくんのお母さん
「こうして編み物をしていると
 よく思い出すことがあるの
 その話をしてもいい?
 それはね
 お母さんがまだ女学校に行っていた頃
 あれから20年も経つのに
 ずっとはっきり覚えていて
 いままで何度も何度も思い出している
 湯島天神下の石段の思い出…
 次おばあさんが立ち止まったら…
 “荷物を持ちましょうか” って声をかけよう
 そう思ってお母さんはあとからついていったん
 だけど… いま声をかけたら
 “どうしてもっと早く言ってっくれなかったの
 かしら” …って
 おばあさん そう思うかしら…
 ううん… そんなこと考えても仕方ない…
 次こそ声かけなきゃ…
 あっ… もう
 止まってくれない…
 結局 階段を登りきってしまうまで
 言い出せずにおわってしまった…
 どうして思ったことを行動に移せなかったん
 だろうって
 なんだか情けないような気持ちになったの…
 些細なことだけどね…
 ずっと時間が経った今でも
 あのときぐずぐずしてしまった自分は
 心の中ではっきりと残っているの」

「それを忘れられなくていやな気持ちになる…?」

「ううん
 そんな自分にお礼を言いたいくらいなのよ
 自分の中に少しでもきれいな心がわいてきたら
 “今度こそ それを生かさなきゃ” って
 背中を押してくれることがあるから…
 もしかしたら潤一さん(コペルくん)にも
 もっともっと大きなことで
 やるべきことをできずに後悔することが
 あるかもしれない…
 でもね
 たとえそのときは苦しくても…
 その経験を忘れてはいけないの
 これからの長い道のりの中で…
 きっとなんども背中を押してくれるから…」


これは、、捨て去るのとは逆の《可能性》ですよね
いつまでも心に残っていながら力になってくれる
その人自身です
なりたい自分になるための選択
そのすべての選択がその人になるための血肉なら
どんな些細なことも些細なことではないこと
それを感じないわけにいきません
2018年をはじめるのにこれ以上ない!!
長くなりますが、是非とも見ていってください☆
そして全編カットなしは購入して読んでください!



 人間の悩みと、過ちと、偉大さについて

「人間は、自分自身をあわれなものだと認めること
 によってその偉大さがあらわれるほど、
 それほど偉大である。
 樹木は、自分をあわれだとは認めない。
 なるほど、《自分をあわれだと認めることが、
 とりもなおさず、あわれであるということだ》と
 いうのは真理だが、しかしまた、ひとが自分自身
 をあわれだと認める場合、それがすなわち偉大で
 あるということだというのも、同様に真理だ。
 …それは王位を奪われた国王のあわれさである」
「王位を奪われた国王以外に、誰が、
 国王でないことを不幸に感じる者があろう。
 …ただ一つしか口がないからといって、
 自分を不幸だと感じるものがあるだろうか。
 誰にせよ、眼が三つないから悲しいと思ったこと
 はないだろうが、眼が一つしかなければ、
 慰めようのない思いをするものである」
本来王位にあるべき人が、王位を奪われていれば、
自分を不幸だと思い、自分の現在を悲しく思う。
彼が、現在の自分を悲しく思うのは、
本来王位にあるべき身が、王位にいないからだ。
 同様に、片目の人が自分を不幸だと感じるのも、
本来 人間が二つの目を備えているはずなのに、
それを欠いているからだ。 人間というものが、
もともと目を一つしか持っていないものだったら、
片目のことを悲しむ者はないに違いない。
いや、むしろ二つ目をもって生まれたら、
とんだ片輪に生まれたものだと考えて、
それを悲しむに相違ない。
 コペル君。このことを、
僕たちは深く考えてみなければいけない。
それは僕たちに、大切な真理を教えてくれる。
人間の悲しみや苦しみというものに、
どんな意味があるか、ということを教えてくれる。

 僕たちは人間として生きてゆく途中で、子供は子
供なりに、また大人は大人なりに、いろいろ悲しい
ことや、つらいことや、苦しいことに出会う。
 もちろん、それは誰にとっても、決して望ましい
ことではない。 しかし、こうして悲しいことや、
つらいことや、苦しいことに出会うおかげで、
僕たちは、本来人間がどういうものであるか、
ということを知るんだ。
 心に感じる苦しみや痛さだけではない。
からだに直に感じる痛さや苦しさというものが、
やはり、同じような意味をもっている。
 健康で、からだに何の故障も感じなければ、僕た
ちは、心臓とか胃とか腸とか、いろいろな内臓が
からだの中にあって、常時大事な役割を務めていて
くれるのに、それをほとんど忘れて暮らしている。
 ところが、からだに故障ができて、動悸が激しく
なるとか、お腹が痛み出すとかすると、はじめて僕
たちは、自分の内臓のことを考え、からだに故障の
できたことを知る。 からだに痛みを感じたり、
苦しくなったりするのは、故障ができたからだけれ
ど、逆に、僕たちがそれに気づくのは、
苦痛のおかげなのだ。
 苦痛を感じ、それによってからだの故障を
知るということは、からだが正常の状態にいないと
いうことを、苦痛が僕たちに知らせてくれるという
ことだ。
もし、からだに故障ができているのに、
なんにも苦痛がないとしたら、
僕たちはそのことに気づかないで、
場合によっては命をも失ってしまうかもしれない。
 実際、虫歯なんかでも、少しも痛まないでどんど
んとウロが大きくなってゆくものは、痛むものより
も、つい手当てが遅れがちになるではないか。
 だから、からだの痛みは、誰だって御免こうむり
たいものに相違ないけれど、
この意味では、僕たちにとってありがたいもの、
なくてはならないものなんだ。
 ―それによって僕たちは、自分のからだが、本来
どういう状態にあるのが本当か、そのことをも
はっきりと知る。
 同じように、心に感じる苦しみやつらさは人間が
人間として正常な状態にいないことから生じて、
そのことを僕たちに知らせてくれるものだ。
そして僕たちは、その苦痛のおかげで、人間が本来
どういうものであるべきかということを、しっかり
心に捕えることができる。
 人間が本来、人間同志調和して生きてゆくべきも
のでないならば、どうして人間は自分たちの不調和
を苦しいものと感じることができよう。
お互いに愛しあい、お互いに好意をつくしあって生
きてゆくべきものなのに、憎みあったり、敵対しあ
ったりしなければいられないから、人間はそのこと
を不幸と感じ、そのために苦しむのだ。
 また、人間である以上、誰だって自分の才能を伸
ばし、その才能に応じて働いてゆけるのが本当なの
に、そうでない場合があるから、人間はそれを苦し
いと感じ、やり切れなく思うのだ。
 人間が、こういう不幸を感じたり、こういう苦痛
を覚えたりするということは、人間がもともと、憎
みあったり敵対しあったりすべきものではないから
だ。 また元来、もって生まれた才能を自由にのば
してゆけなくてはウソだからだ。
 およそ人間が自分をみじめだと思い、それをつら
く感じるということは、人間が本来そんなみじめな
ものであってはならないからなんだ。
 コペル君。僕たちは、自分の苦しみや悲しみから
いつでも、こういう知識を
汲み出してこなければいけないんだよ。
 もちろん、自分勝手な欲望が満たされないからと
いって、自分を不幸だと考えているような人もある
また、つまらない見栄にこだわって、いろいろ
苦労している人もある。
 しかし、こういう人たちの苦しみや不幸は、
実は、自分勝手な欲望を抱いたり、つまらない虚栄
心が捨てられないということから起こっているので
あって、そういう欲望や虚栄心を捨てれば、
それと同時になくなるものなんだ。
 その場合にも、人間は、そんな自分勝手の欲望を
抱いたり、つまらない見栄を張るべきものではない
という真理が、
この不幸や苦痛のうしろにひそんでいる。
 もっとも、ただ苦痛を感じるというだけならば、
それは無論、人間に限ったことではない。
犬や猫でも、怪我をすれば涙をこぼすし、
寂しくなると悲しそうに鳴く。
からだの痛みや、飢えや、のどの渇きにかけては、
人間も他の動物も、たしかに変わりない。
だからこそ僕たちは、犬や猫や馬や牛に向かっても
同じくこの地上に生まれてきた仲間として、
しみじみとした同感を覚えたり、深い愛情を感じた
りするのだけれど、しかし、ただそれだけなら、
人間の本当の人間らしさはあらわれない。
 人間の本当の人間らしさを僕たちに知らせてくれ
るものは、同じ苦痛の中でも、人間だけが感じる
人間らしい苦痛なんだ。
 では、人間だけが感じる人間らしい苦痛とは、
どんなものだろうか。
 からだが傷ついているのでもなく、
からだが飢えているのでもなく、
しかも傷つき飢え渇くということが人間にはある。
 一筋に希望をつないでいたことが無残に打ち砕かれ
れば、僕たちの心は目に見えない血を流して傷つく。
やさしい愛情を受けることなしに暮らしていれば、
僕たちの心は、やがて堪えがたい渇きを覚えてくる。
 しかし、そういう苦しみの中でも、一番深く僕たち
の心に突き入り、僕たちの目から一番つらい涙をしぼ
り出すものは、―自分が取りかえしのつかない過ちを
犯してしまったという意識だ。
自分の行動を振り返ってみて、損得からではなく、
道義の心から、《しまった》と考えるほどつらいこと
は、おそらく他にはないだろうと思う。
 そうだ。自分自身そう認めることは、ほんとうに
つらい。 だから、たいていの人は、なんとか
言い訳を考えて、自分でそう認めまいとする。
 しかし、コペル君、自分が過っていた場合にそれを
男らしく認め、そのために苦しむということは、
それこそ、天地の間で、
ただ人間だけができることなんだよ。
 人間が、元来、何が正しいかを知り、それに基づい
て自分の行動を自分で決定する力を持っているのでな
かったら、自分のしてしまったことについて反省し、
誤りを悔いるということは、
およそ無意味なことではないか。
 僕たちが、悔恨の思いに打たれるというのは、
自分はそうでなく行動することもできたのに―、と
考えるからだ。
正しい理性の声に従って行動するだけの力が、
もし僕たちにないのだったら、
なんで悔恨の苦しみなんか味わうことがあろう。
 自分の過ちを認めることはつらい。
しかし過ちをつらく感じるということの中に、
人間の立派さもあるんだ。
「王位を失った国王でなかったら、
 誰が、王位にいないことを悲しむものがあろう」
正しい道義に従って行動する能力を備えたもので
なければ、自分の過ちを思って、
つらい涙を流しはしないのだ。
 人間である限り、過ちは誰にだってある。
そして、良心がしびれてしまわない以上、
過ちを犯したという意識は、
僕たちに苦しい思いをなめさせずにはいない。
しかし、コペル君、お互いに、
この苦しい思いの中から、
いつも新たな自信を汲み出してゆこうではないか!
―正しい道に従ってゆく力があるから、
こんな苦しみもなめるのだと。

「誤りは真理に対して、ちょうど
 睡眠が目醒めに対すると、同じ関係にある。
 人が誤りから覚めて、
 よみがえったように再び真理に向かうのを、
 わたしは見たことがある」
これはゲーテの言葉だ。
僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
だから、誤りを犯すこともある。
しかし―
僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
だから、誤りから立ち直ることもできるのだ。
 そして、コペル君、君のいう《人間分子》の運動
が、ほかの物質の分子の運動と異なるところも、
また、この点にあるのだよ。




なんども言葉にされていたのは、
《僕たちは自分で自分を決定する力をもっている》

それは、自分が自分自身になろうとする力、とも
言い換えられる気がします。
行動・振る舞いの選択がその人そのものになる。
復帰公演タイトル『Choice』
そのタイトルはここに由来していました
いつまでもそれを忘れずにいたいと思っています


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