断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2017年10月31日(火) 「く…そして生活はつづく」

(き…のうのつづきです)

やっぱりどう考えても、、一般的に考えれば、、
知らないってだけで変人な気がしてきました!
星野源w
俺、、凡人じゃねーな(爆)

 目がよく見えるようになったら堂々とした人間に
 なってしまうのではないか。
 様々なストレスがなくなりスッキリとしてしまう
 のではないか。
 そうすると自分の屈折した部分がなくなって
 まっさらな人間になってしまうのではないか。
 そんな恐怖。
 なぜそこに恐怖を感じるのか。
 それは、私自身が自分の屈折した部分に
 《食わせて》もらっているからだ。
 今まで自分が受けてきた嫌なことや、ストレス、
 怒り、不満などによって私はいつしか屈折した
 考え方をするようになった。
 しかし、そこから生まれたアイディアを原動力に
 ものを作ってお金を稼ぎ、ご飯を食べている
 という部分もあるにはある。
 考え方だけでなく、体調だってそうだ。
 自分がおなかの弱い人間でなかったら、
 小学校のときにうんこを漏らして
 いじめられていなかったら、
 この仕事ではなくもっと真っ当な職業に
 就いていたかもしれない。
 たとえば私がいま何をしていても気持ちよく、
 健康で、お金もあって、不自由なことなど
 一つもない暮らしをしているのならば、
 表現なんてしなくても全然いい。
 生きづらさを緩和するために表現をするのだし、
 マイナスがあるからプラスが生まれるわけだし、
 陰があるから光が美しく見えるのである。
 不満がなくなり、全てのことに満足したら
 何もしなくなってしまうだろうなと
 いつも思う。

この本でいちばん共感した部分です。
《何か》を現出しなきゃならない職業において
下手すると最も大事なものかもしれません。

提起提案、共有したい何か

でも今ではそこまで最もなんて思ってない。
最近いつも思うのは、、
そんな取り出しやすいところからじゃない!
そんな目先のものが踊りたいんじゃない!!
踊りたいのは、、
きっとみんながみんな持っているような
《言葉にできない何か》
得体の知れない、一言にするなら、、
《何が何だかわからない》
かるくそんな言葉になってしまいそうなもの
ですが、、その《何が何だかわからない》に
挑んでいる者です☆

言葉に出来るんだったら踊ってません

ひとのこと人間のこと、
その人のこと、、一言でなんか終われない!!

踊りは本当に苦しいです難しいです
でもだからこそ楽しい
ムムム、、、楽しいのかな?
わかりませんw
でも、とにかく、果てがないのは確かです
どこまでいってもやりきったがない
裏を返せばどこまでもやれる世界です
それをどう受け止めるか
◎苦しいも楽しいも自分次第◎
この世界はきっとそんなものだとおもいます

いつも考えることのひとつですが、、
《何もしなくなったときに生まれた何か》
の方が凄いことなんじゃないの!?
だって目先のことや事件じゃない、自分自身。
自分自身に触れたとき。
突き動かされる《衝動》
マイナスじゃないところから
そこからじゃなきゃ生まれないものが、、
必ずあるはずだ!!!

誰にでも
誰だってあるもの

わたしは《それを見たい!》と
思っているのかもしれません

それが、それこそが、、
わたしたち人間なんじゃないか
そう感じるのです



2017年10月30日(月) 「そして生活はつづく」

誕生日。
今年においてずいぶん前のことになりますw
一冊の本をプレゼントでいただいてました!
その著者はわたしと同じ誕生日でした―

 「そして生活はつづく」   星野源

  携帯電話の料金を払い忘れても、
  部屋が荒れ放題でも、
  人付き合いが苦手でも、
  誰にでも朝日は昇り、
  何があっても生活はつづいていく。
  ならば、そんな素晴らしくない日常を、
  つまらない生活をおもしろがろう!

はっきり申し上げますと、、、
「星野源って、、誰?!」
本を手に取ったところで、、、
著者のこと何にも知らなかった―(爆)
テレビ。全然見てませんからね。。
もちろん今2019現在は知っていますww
しかし当時はリアル知りませんでした(超実話
注:「恋ダンス」も当然のように知りません!
動画ですら見てません。。

さて、わたしと同じ誕生日の人。
すでにわたしのバレエの先生がそうです。
すでにわたしのヨガの先生がそうです。
二人とも突き抜けてる天才です。
変人級ですw
そう思った瞬間に気付いてしまいます。

 もしかしたら俺もそうかも…

誕生日が《同じ》というだけで襲う不安w
いやいやいや、、、俺は変人じゃあない、はず!
あの辺に比べたら絶対 凡人ッッ(爆)

そういえば、、再復帰公演終えた後。
ジョー勇二郎氏にはこう呼ばれました。
「アルプスの少女 廃人」って。。
でも、少女じゃあないですw
そこは綺麗さっぱり否定させてください 笑笑
自分のしたいこと本気で踊ったら廃人にもなります
本題に戻そう!

 無意識に人を傷つけてしまうことがある。
 悪気もなく、自分は全くそんなこと思っても
 いないのに、相手にとってはトラウマになるほど
 のショックを与えるような発言をしたり
 態度をとってしまったりする。
 以前、昔組んでいたバンドのメンバーと久しぶり
 に再開したとき、活動していた当時の話をして
 いたらこんなことを言われた。
「バンド練習の最中に俺が《こうしたらいいんじゃ
 ない?》って意見したことがあってね、
 そしたら星野くんが鼻で笑って無視したんだよ。
 それがもうすごい傷ついてさあ。
 あれから、俺バンドの中で意見できなくなっちゃ
 ったんだよ。覚えてる?」

 覚えてない。

 ていうかそんなひどい態度をとった記憶は全く
 ないし、そのメンバーはとてもセンスのある人
 だったので、その人の意見を否定する意味も
 わからない。 鼻で笑うなんて昼ドラの悪役が
 するようなこと、恥ずかしくてとてもじゃない
 けどできないし、おそらくこれは全くの誤解で
 ただ鼻をふんふんやりながらボーッとして話を
 聞いていなかっただけじゃないだろうか。
 まあそれもどうかと思うけど。
 しかし意識的ではないとはいえ、彼に深い傷を
 残してしまったことには変わりない。
 彼はたまたま傷つけられたことを告白してくれた
 けど、普通はそんなこと言ってくれない人が
 ほとんどだろう。
 今まで気づいていないだけで、
 私に傷つけれたという人は
 実はもっとたくさんいるのかもしれない。
 そしてその人たちが夜な夜な、私が無意識に発し
 てしまったであろうひどい言葉を思い出して激し
 く落ち込んだりしていると思うとゾッとする。
 人間の無意識というものは、場合によっては
 その人の人生を狂わす可能性のある、
 とても恐ろしいものなのだ。

 しかし、悪い部分ばかりというわけでもない。
 例えば仕事先から家まで帰るときに、本や漫画を
 読みながら電車に乗り、階段を使い、乗り換えの
 移動をする間も読むのに夢中で一度も顔を上げず
 気がついたら家だったということがたまにある。
 いつの間にか目の前に現れた自宅を見ていると、
 無意識も捨てたもんじゃないなあと思ってしまう

読んでて気づく。
割と自分に似てる。
少々似てるのは感じたが、
実はどうにも好きになれる《感じ》じゃない
それはそれで不思議だ
たぶんこうだ

自分に似てるのを感じると
自分の嫌いな部分が透けてしまうため
好きになれない

そんな気が、する
相手というのはどんなときも鏡だからです

自分も無意識に人を傷つけてしまうタイプだと思う
いつも感じたままを発言してしまうのです
自分の場合は、どうしてそうなの?
どうしてそうなの??
という不思議を終始ぶつけてしまう。
その人に向かって直線的にぶつけてしまう。
いつもいつでもそんな風である。

なぜなら “本当に不思議” だから

そして後からグルグルしてしまう。
あんなこと言っちまった!!
激しく落ち込んでるのは言った自分だけの時も
きっとあるとおもう。
でも、とにかく発言する、文章にもしてみる。
それを繰り返すことにしています。

押しとどめるといいことがない

傷つかない人生の方が綺麗事じゃないか!!

傷つくことも大切だと知っていることが
もしかしたら傲慢さにつながっているかもしれない
そうも感じました
それを自重しつつも、、

傷つくことを恐れず歩きたい

闇雲に傷つけちゃただの困ったちゃんですが、、
それを出来る限り食い止めつつも
傷つかないことよりも傷つくことを
どうしても選択してしまうようです。。

だってそれでしか気づけないことが、、ある!

嫌われることも、誤解されることも、、あろう!
それでも「お前それは浅はかだよ」って
教えてくれた先輩達のおかげで今があります!
教えてくれる、ってすごいことです
ほとんどの場合そんなの面倒で教えたりしない。

だから、先輩達に負けないよう踏ん張りたい!!
そう肝っています☆



2017年10月22日(日) 「コッペリア」

通っているクラスの公演へ出向きました!

 『コッペリア』

主役はエストニアでプロとなる女の子。
全幕公演でトップを張るなんていうのはもう、、
《一般人》には決してできないことです。
技術と体力、そして何よりも情熱!!
これほどまでに女の子が全力の舞台芸術は、、
他にないんじゃないでしょうか。。
しかしながら、その受ける光の度を超えて
全てに対し責任がつきまといます―

年を重ねれば重ねるほどその尋常でない姿に
感動をおぼえずにいられない

わたしはこれまでその凄すぎるクラシックの技術に
対して目を奪われてきましたが、
今日の「コッペリア」にはそうではないところに
たどり着いていました―

 とにかく終始。
 終始 あたたかさ が漏れだしていた

このことは発見でした
バレエ全幕を見てそんな気持ちになったことがない
語弊のないように書きたいのですが、
ほとんどの場合、凄すぎる技術やカラダ自慢が
まず目に来ます。
とにかく舞台というのは最高に輝ける場所。

 全体的なものの前に《個》

わたし自身もそう見ていたはず、でした
ところが、ところがです!
そのうちじわじわと押し寄せました
寄せてくるスピードは踊りとは正反対です!!!

 ステージ全体からくる あたたかさ

この感じは、、間違いない
そのようにみんなが先生から学んできたもの
これは、、ものすごいことです
そんなものが目に見えてしまうだなんて!!

ある意味で、自分の出番さえ終わってしまえば
本番なんてそこで終了です
ですが、その一人一人に、その全員に
言葉にできないようなものを、、

舞台ってすごい

今というときに 自分がここにいること
ここにいられることで初めてわかる
「今」じゃなければ感じられないもの
わたしたちはそのために踊っていると言っても
過言じゃない、そう実感したのです



2017年10月19日(木) 何を食べたいか、じゃないものもある

何の番組か忘れてしまいましたが、
プロフェッショナル的な
栄養士とか調理師だった気がします!
その人が番組中にこう言います。

「何を食べたいか
 それは生きる意欲

 何でもいい、はありえない

 何を食べたいか言える子は
 将来何をしたいかが明快」

その一言は度肝でした
意外に的を得ているかも、そう思ったのです
わたしの母は仕事人間であったため
ほとんど調理に興味がありません。
興味がないというよりも、
そんな時間自体がなかったのかもしれない。。
したがってレパートリーも極めて貧相です。
子供の頃からあきらめていました。
わたしは、疲れて帰ってくる母に
何が食べたいとか言ったことがありません。
そういった注文をしたことがないのです。
《なんだかできない》
そうおもっていた気がします
逆に「何が食べたい?」と聞かれたことも
ありません
だから上の「ありえない」というのが
どうにもあてはまらないのです
何が食べたいか言えるというのは
たいへんなしあわせです
なにしろ《選べる》んです☆
選べるというのはすごいことですよね!
決断も《選択肢があるから》できること。
選択肢があることを毎日していれば、
自ずと決意がはやくできるようになるはずです。
わたしの場合、、
ここにいくと《友だちと何かを食べにいく》ことに
関して自分はほとんど選べません。
自分が食べたいと思うものがとくにないからです。
こんなこと考えていたら
代わりに別の気持ちがあるのに気づきました―

 一緒にいる人が食べたいものを食べたい

どんなときもわたしは概ねこれです☆
友だちがおいしく食べてるのを見ればたのしいし
何よりも美味しい。
なので、わたしの場合は相手に委ねる!

基本的には丸投げです(爆)

そういうわけで、、
わたしは明快ではありませんでした!!爆
なんでしょうね。。この感じは、、

自分が食べるものよりもたいせつなものがある

自分のことがちょっとわかった気がします



2017年10月18日(水) 「エルメスの手しごと展」

しらなかった
いや、知りもしなかった
目の前にしなければ
わからないリアル

それってぜんぶ《感動》なんじゃないかな


 『エルメスの手しごと展』
 〜アトリエがやってきた〜

 エルメスの「ものづくり」に不可欠なもの。
 それは時間、素材、道具、才能、感性、知性、
 そして熟練した手。

 すべての「仕上げ」の裏側には、
 起点となるべきものがあります。
 寸分の狂いもない所作の裏側には
 ふさわしい道具があり、
 その道具には歴史があり、
 独自の名前を持っています。
 どのようなささやかなディテールにも、
 その裏側には、注意深いまなざしを持ち、
 完璧な仕事への誇りを抱く
 ひとりの人間の存在があります。

 エルメスのアトリエの中で働く職人たちは、
 オブジェに命を与え、日々の暮らしをより
 美しく変えています。
 今回、職人たちはアトリエを出て、みなさま
 にその情熱、伝統の技の数々をご紹介するた
 めにやってきました。
 みなさまのあらゆる質問にもお答えしたいと
 願っております。

 素材が姿を変え、オブジェとして生まれ変わ
 っていくさまをじっくりとご覧ください。
 好奇心を研ぎ澄まし、「職人」という言葉の
 裏にかくれた知られざる一面を発見して下さい


エルメス職人が、、目の前で仕事をしてくれる!
すごい展覧会でした―
宝石を埋め込んだり、それを解説してくれたり!
クリスタル職人 手袋職人 皮革職人 鞍職人
石留め職人 ネクタイ縫製職人 縁かがり職人
磁器絵付け職人 時計職人
シルクスクリーン製版職人
シルクスクリーンプリント職人
1ブースかるく20分w
本当に何人もの職人が休憩を挟みながらも
わたしたちの目の前で御技を披露しています☆
オブジェによってはわたしたちに触らせても
くれました!宝石とか!
とんでもない技でした。。

 おもわず拝んでしまった

この知られざる一面というのは、、
どうにもわたしたちにも当てはまります。
舞台に、本番に、出るまでの時間。
根本的には叩き上げる時間です。
失敗の連続。 構想からの構築。
正直、ひとさまには決して見せられないやつ。
わたしたちはその商品や本番しか
まず目にすることがありません。

 その商品や本番でのみ判断が下される

これが世界です。
そこにどんな技術や苦悩があっても。

ただし、それが《本物》であったとしたら
どうにも見た目を超えてしまいます
どうやったらそうなるのか
知りたくなってしまうのです
ここにこそ感動があるようにおもいます
どうしても想像が、想像力がそこには
ある気がしてならないのです

エルメスなどの、世界にその名が轟くお店では
基本的に《使い捨て》のものは置いていません
1度着たらダメになってしまうようなものは
置いていない気がします
これこそは職人の誇りと思えるのです
セレブ御用達のブティックには、
それ用のインパクト商品があります。
1度着たら役目が終わってしまうような商品が
本当にたくさんある。
《お金がないとそんなもの買えない》
これがある意味でセレブの証明なのです
単なるファッションと、ものづくりの本質
その起源には完全な相違があるのかもしれません

わたしも職人でありたい、そう思ったのです


 < 過去  INDEX  未来 >


Taisuke [HOMEPAGE]