断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2016年10月31日(月) あえてイタズラを選びたい

数年前。 まさにハロウィンな夜。
ロンドン チャイナタウン歩いてました。
ギラギラのドレス着た女の子がドッといたよ!!

 でも、そんな女子全員がゾンビだった

誰一人ゾンビじゃなかった女子はいません(爆)
あれは… ほんとうに夢も希望もなかった。。
後ろ姿はどこからどう見ても美人なのにね☆
顔はゾンビメイクな上に剣が頭から刺さってたね☆
誰一人 美女だと確認できる女子はいなかったw
この時期がくると どうしてもよぎります 笑笑
こういうのを走馬灯と言うんでしょう

◎そういうわけでハロウィンが大嫌いです◎

そんなハロウィンで思い出した!!
今年のバレンタイン思い出した!!

あれも、、事件でありました(遠い目

今年ほどチョコにそそられない年はなかった。
おもしろくなかったからです。チョコに。
ほぼ世界中のチョコを網羅してしまった!!
そんな日にも休まずスポーツクラブ行きますw
ええ、ええ、今でも同じですとも!
半分ヤケになってわたしは受付でこう叫びました

 「ハッピーバレンタイン!」

超精一杯アホみたいに元気に叫びましたッッ
すると、、どうしたことでしょうか??
受付のあやしげちゃんが無表情とともに
無言で《とある小箱》をスッと差し出してきた―

 ゾッとしたw

あやしげちゃんは眉ひとつ動いてません。
今でもかるく思い出せます(爆)
フツーならほら!笑顔とかでしょ??
どこからどう見てもいい感じじゃなかったww
その小箱に目を移すと―
こんな言葉が書いてあったんです

【合い言葉は「ハッピーバレンタイン!」】
 粗品:パイナップル味の飴を進呈します

えーっと、、そんな合い言葉があったとか…
ぜんっぜん知らなかったんですけどw

知らなくて盛大に叫んでたんですかね(爆)

飴の入った小箱が自動的に差し出される。
それはまるで魔法のようでした―

 テキトーに叫んだ言葉が、、
 そのまま《合い言葉》だったなんてね

あやしげちゃんにとってはおそらく。
おそらくは通常業務のうちだったのだね。。
なんという悲劇
こんなこと、これまでの人生で一度もなかったw
半ヤケだったのはたしかですが、、
元気は出したんだよ!!頑張ってさ!! 笑笑


さ、これでバレンタインの話はおしまいです☆
ここまで思い出せるのも、、
もはや呪われてる気さえしますw
「Trick or treat!」
お菓子くれないと悪戯するよ!
今のわたしなら万感こめてこう言うでしょう☆
「Do it if you can do it!」
やれるもんならやってみろッッ 笑笑



2016年10月28日(金) 痛いほどの生命力

◎再復帰公演に向けて邁進しています◎

ある意味でダンスは時間を凝縮する職業です
本番までの練習やそれまでの気持ち
その密度をどれだけ詰められるか
わたしの場合は過去の経験から
《生きていたい》とおもっています
その中身は、
《生きようとしたい》という思いです
それは圧倒的に生きようとした人から教わったこと
できないことよりもできることをする
それを積み重ねていく
一日一日を丁寧に
どうやったら踊る空間をそんな思いで充たせるか
いつもいつでも悩んでいます
とにかく、自分にはこれしかない
それを感じとってもらえる空間を目指したい
そんなことを考えに考えていたときでした―
ふと気がついたんです
《生きてる》を全力で突き抜けたら、
突き抜け切ったらどうなるか
今の自分が持ちうるすべての力を、
全力を超えて もし発揮できたりしたら...

 死んでしまう!!

久しぶりに行き着いた到達点でした
毎日なんてとても考えられません
たぶん あたまが ねじり切れるッッ

生きようとしたら死んでしまうだなんて
とんだ矛盾じゃないかッッ
それでも不思議でした
“生きる” ってそんなものだとおもったのです

人に何かを本気で受け渡そうとしたら
そうならないはずがないとおもいました

これまでいろんなダンスを見てきましたが
命を感じるとき、そのほとんどが
“痛い” ときや “苦しい” とき
それでも立っているときです
苦しいときこそ《生きている》のを感じるんです

そしてそれは楽しいときの “生きる” よりも
ほとほとリアル現実でした

だからこそ、たのしさを見出したいのは
苦しいときだとおもっています
これが実は《日常》にあてはまってしまいます
おもしろくないと思っていたら、
ほんとうに毎日はおもしろくないからです
今日は一体どんなことがおこるんだろう
そんなささやかな期待を
わたしたちはしてもいい、そうおもうのです
舞台でもまるで同じです
ほんとうは特別な場所でもなんでもありません
舞台人はとかく舞台を神聖視してしまう傾向が
ありますが、何かを注ぎ込むのはいつだって
わたしたち自身です☆
◎どんな想いでそこにいるのかがすべて◎
なによりもわたしたち自身が《特別》です!
なんたって世界中にひとりしかいませんッッ
そんな特別な人たちが集まれば、、
どうしたって何かがおこるはずじゃないですか☆

 わたしたちには突き刺さるほどの
 生命力があります

それをどうにかしてぶつけたい
今はそんな気持ちです



2016年10月27日(木) 人生の向こう側

この日、テレビで対談番組を見ました!

 新海誠 × 川上未映子

小説家 川上未映子と、2016年を席巻した映画
『君の名は。』の監督 新海誠の対談。
こんな番組に当たるのもかなりの偶然w
曲がりなりにも新海誠作品はぜんぶ見ていましたし
(最新作『君の名は。』以外) 実は以前も以前、
川上未映子の小説の感想もblogにした過去です!
あれは北海道で踊るときの飛行機の機内で
ほぼ読み終わりに近づき、札幌につくまでの電車
車内で完結したときのこと。

 『ヘヴン』  川上未映子

当時の感性でいくと、、
かるく人間不信になるくらいの小説でした。。
とにかく描写が突き刺さったのです

読み終わって最高に気分がわるかった

あんなに気分がわるくなった本は人生で初めてです
ところが、今あらためて本を手に取ると別の意味を
見出だせる気がしました

これはたいへんな発見です

なんたってあのときの自分はこの本をもう二度と
手に取りたくない、そう思っていたんです!
当時の感想も甚だ全否定気味だとおもいます(爆)
ここで良いも悪いも飛び越えて同じなのは、、
《読んだインパクトが度を超えていた》
あのときの感じが今でも呼び起こせるッッ
これはある意味で感動とも呼べます!
感動という言葉も包容力が甚大ですw
慟哭も感動と呼べるかもしれません。
決していいことだけではない。
表は苦しくても、裏にはその逆がある
そんな裏腹な問題をこの小説は扱っていました
自分もこの主人公と同じような問題を抱えている
からこそキツかった
時間がたって、、わかることがある

ようやくこの小説が文部科学大臣新人賞とか
紫式部賞を受賞しているのがのみこめました

ながかったねw

でも苦しかったんです!!
読んでる最中が度肝を抜くくらいキツかった!!
今でも開きたくないくらいです(超実話
そんな作家本人が出演していた番組。
どんな人物なのか、、避けられないたたかいです

一目みて、“やっぱ変人だわ” って思ったw

「ギリギリまで追い詰め追い詰められ、
 ってのが好きなんです」

「書かなければ
 自分の非力さに直面することもない」

突然自分がこの人に似ている、と思いました(爆)

番組中、面白い話がありました。
川上未映子の子供時代。
川上未映子は誕生日を祝うことに
疑問を感じていたらしいのです。
たしかこんな風でした

「なんで死ぬことに近づくのを祝うの??」

徹底的な逆でしたw
わたしなんかは母からこう教わっています。

「アンタを生んだのは私だから
 母親をお祝いする日よ」

わかんないままプレゼントを毎年用意していた―
こりゃまた別の話ですw

このことからも子供の頃から多面性があったと
いうのは事実でしょう。
みんながしているからする、といったものではなく
まず自分がどう考えているか、です。
よくよく考えたら、いろんなことが説明つかないw

ゾッとします

わたしはダンスが大好きです。
でも踊ってぜーんぶたのしいなんて自分自身だけが
たのしく踊ってるときだけです。
誰からも見られることなければ何を踊ってもいい!
でも “何かを感じてもらいたい” と思ったら、
まるでそうはいきません。
ここから踊ろうとすると、、
自分の非力さを感じずにはいられないのです。
誰かに対するというのはそういうことなのでしょう
決して自分の思い通りにはいかない。
相手との距離感、自分のバランス。
これが如何にたいせつか思い知るのです

川上未映子はこうも言ってた

「ほんとうに感じてもらおうと思ったら
 こんな文章じゃ足りない!!」

「どれだけ書いたってわかってもらえないでしょ」

この発言には驚くほど共感してしまいました
そのときわかったんです
《ここまで書かなくていいだろ》と思っていた、
あのとき読んだ文章の理由
それは、、自分がダンスに盛り込んでいるものと
同じ気がした
わたし自身がみんなが《見たくないであろう》もの
を踊ることを選んでいます
それは、わかってもらいたいためではなくその本質
をどうしても間違ってもらいたくないからです。
ここを通るとおそろしいことに突き刺さる何か、
暴力的な何かになってしまわざるを得ないのです―
わたしを知っている人たちにはここを指摘されます
「痛々しい自虐的な踊りを見たくないのよ」
「もっと自分をたいせつにして」
でも、ここを通さないと気づきもしない人たちの
ほうがいっぱいです。
だって生きてることは苦しくてつらいことばっかり
だもんね! でも、、だからこそ、
生きてることはすばらしいんですッッ!!!
ここに気づいてもらうには甚大なショックを当てる
しかない。
当てなければ受けとってももらえません。
これはたいへんな勇気がいることです。
全否定されるくらいのものだからです。
(そう、まさにわたしもヘヴン全否定気味だった)
それがいつのまにか「そうかもなあ」ってw
ここにこそ希望を見出だしています
そのときは移り変わっていきます
今はつねに流れています
そういったことに気づけるようになったのも
その一助になったのも実は『ヘヴン』かもしれない
わたし自身もそんなダンスがおどりたい
◎気づく前からわたしもそうだったんです◎

あらためて『ヘヴン』を1ページだけ開きましたw
そこには文章が引用されています

 それに第一、これはだれにだってできることだ。
 目を閉じさえすればよい。
 すると人生の向こう側だ。
         ―セリーヌ『夜の果てへの旅』

ハッとしました
この引用だけですべてが完結していたんです
でもそれまでの過程はぜんぜん簡単じゃないw
痛くて苦しくて、複雑なところを通って
それからはじめてその3行にいける、
人間ってきっとそんなものなんでしょうね
自身で重ねた実感や経験だけが、
そこへ連れて行ってくれる、そんな気がします☆

いつも、いつでも、
自分の感性を信用して踊っていきたいです



2016年10月22日(土) 作品展案内状撮影日

実は、、去る2016年3月9日。
わたしはダンス依頼をされていました―
以下 テキスタイル作家 清水まゆみさんより

「市内で2人展の開催にあたり、
 私たちが作ったものを着て、ダンス!という
 アイデアがあるのですが、如何でしょうか?」

◎本番当日は2016年12月3日◎

まゆみさんは復帰公演のときに空間美術として
参加していただいた御方です!
ことわる理由は… ないッッ☆
包み隠さず申し上げると、夏までに自分自身の
《再復帰公演》を終わらせている予定でした…
夏までには!!!
がッッツ
カラダのことで現在に至ってしまっています。。

最大の障害は自分の心構えでした

誰かのお役に立てる仕事をさせていただく前に、
自分の再復帰が何よりも先です。
“自分がこの先どんなふうに人と向き合うのか”
自分のしたいことが何なのか
それを踊っておかないと、、
社会に対して明快でないからです。
“できることをやっておく”
それが自分を信じられる唯一のこと
この順番は一大事です…

それを踏まえた上で、引き受けていました

がッッツ
再復帰、、間に合いませんでした―
したがって順番は真逆に!!
しかし、引き受けたことは本気です。
順序だけはたいへんな不本意でしたが、
あくまでもわたし個人の問題。
精一杯むきあうことが明日への一番の近道☆
自分の気持ちは、、切り替えたッッ

《その時間とその空間を最高のものにする》

これこそがすべての命題です!
引き返す理由は、、ないッッ

さて、そういうわけで撮影日となりました―
作品展の案内状に使用されるイメージ撮影。
写真家さんのロケハンにより北九州に決定。
バンゴハン前まで北九州です☆

「モデルとして長崎から
 神田さんがやって来てくれます」

うおう!神田さんッッ なつかしい!!
以前に一度だけまゆみさんの作品展でお会いして
自分の奇跡的にたすかった命に泣いて感動して
くださった、ダンスのお仕事をされている御方☆
モデルは神田さんとわたしの二人。

がんばろう

天候はあいにくの小雨模様。
撮影場所は屋外です。
肌寒い中、2人の作品を着まくります☆
反射板のあるリアル撮影会場ですw
なんども歩いたりしてきました―
しかし神田さんはかっこいい。
女性で手足が長いというだけでとんだ才能です!
わたしも負けてはいられないw
道ゆくおばちゃんに撮影のこと聞かれたり、
「はぁ〜スタイルいいわねぇ〜」とか
「すごく鮮やかないい色ねぇ〜」服のこととか☆
ちょっとした芸能人気分を久しぶりに味わ…

手術してから、人前に立つというのは
事実上できていません

いつでも、人前に立つのには血反吐でるくらいの
勇気が必要でした
勇気と同時にそれを楽しむこと
これは、、いつもいつでも困難なものです
失敗したらどうしよう
見てもらえなかったらどうしよう
なにしろ目の前に人がいます
まったく避けられません
ここで自力が問われるわけです
スタイルいいわねぇ〜も不屈の努力の結果
最初からこんなじゃあなかった

撮影が終わる頃には肌寒いをとおりこしていたw

体調に異常をきたすのは近い(爆)

どんなことも。仕事はたいへんなのです☆



2016年10月19日(水) 生きる意欲

何の番組だったか忘れてしまいましたが、
すごい栄養士か調理師だった気がしますw
その人が番組中にこう言ったんです

 何を食べたいか
 それは生きる意欲

 何でもいい、はありえない

 何を食べたいか言える子は
 将来 何をしたいかが明快

度肝を抜く一言でした
そしておもいました 的を得ているかもしれない
自分のこと思い返してみたらゾッとしたw

「◎◎が食べたい!」と言ったことがない

わたしの母は仕事人間であったため、
ほとんど自宅にいることがありませんでした。
初の女性なんとかになったくらいの人です。
反して調理にはまるで興味がないような人。
「何が食べたい?」と聞かれたことがないw
したがってレパートリーは極めて貧相です。
そんなことよりも深夜までずっと仕事をしていた。
わたしは、毎日大量に仕事を持って帰ってくる母に
そういった注文をしたことがありません。
なんだか《できない》 そうおもっていました
だから上の「ありえない」というのが
どうにもあてはまらないのです

食べたいものを言えるというのは
たいへんなしあわせのようにおもいます

なにしろ《選べる》んです☆
選べるというのはすごいことですよね☆
おそらく決断は、、選択肢があるからできること!
選択肢があることを毎日していれば、
自ずと決断がはやくできるようになるはずです。
わたしは《友だちと何かを食べにいく》とき、
ほとんど選びません。
自分が食べたいとおもうものがとくにないんですw
イメージが出てきにくいのかもしれません!
ですが、、代わりに別の気持ちがあります。
《その人が食べたいものを食べたい》
どんなときも概ねこれです☆
友だちがおいしく食べてるのを見ればたのしいし
何よりも美味しく感じるのです。
なので、基本的に全力丸投げ投球なのだ 笑笑

そういうわけで、、
わたしは明快ではありませんでした!!(爆)
なんでしょうね。。
この感じ、、
しかしながら、文章にしてきたことで
意外な真実も明らかになりました

自分がたいせつにしてたこと



2016年10月17日(月) 毒はまわるよ地球のように

最近とくに度肝を抜いた呼び名を聞きました!
いつものスポーツクラブでw
ちなみに、その子の仕事は受付嬢です―

 「あやしげ」

おいおいおいおおおおーーーい!!
いくらなんでもその呼称は、、
ちょっとないんじゃないのーーー?!
この呼び名システムはあれか?
姓名の短縮系かな??
…た、たしかに、、

たしかに「あやしげ」ですッッ(爆)

自分だったら取り下げるまで抵抗するぞ!!
徹底光線です!!抗戦か。。
それも仕事は受付だよ??
あやしげな人なんて絶対に置けないセクションよ☆

 「あやしげさ〜ん」

どこをどうかんがえても…
圧倒的な矛盾を感じますw
違和感が、、ヤバいッッ

この感じを踊りにしたらどうなるか
想像したらねじりきれそうになりました

それにしても、そんな呼び名で呼んでるのは
あやしげちゃんの後輩たちなのであったw
どんだけなめられて、、
いや、どんだけ親しまれ、、

どっちだーーーーーーーーッッ 笑笑


ま、「あやしげ」を受け容れてる時点で
凄いですよね この女w
生きていればいろんなことに出逢うものです☆
可能性は伸ばそう 笑笑

でもね、、
いつもこんなふうに呼ばれていたら、おそらくは。
おそらくはいつのまにかホンモノの「あやしげ」に
なってしまう気がします☆
結果として自分の中でどんどん受け容れてしまうと
我が身のあやしげを助長しかねないリスクがある!
できるなら、できるなら、、
◎あたらしい名前を手に入れてくれ◎



2016年10月12日(水) 轢かんであげて!

久しぶりにリハビリ通院です。
病院にはできるだけ行きたくありませんが、
定期的に足を運ばざるを得ません。
◎再復帰公演の準備は始まっています◎
行ったら行ったで見知った人たちに遭遇確実w
この病院に来て、最もはじめから知っている
もえちゃんとその家族に会いました!
もえちゃん、妹のふうちゃん、そしてお母さん、
なんとその全員が現在も通院しています。
以前から知ってはいるものの、
やはり病院で毎回は会いたくないものです。
って、、今では妹のふうちゃんが女子高生?!
如何に自分が病院ですごしていたか嫌でも実感せざ
るを得ませんッッ

 そんなふうちゃんは車に轢かれていた

お母さんの話によると下校中に轢かれたらしい。
命に別状はなかったものの現状リハビリ通院。
ドキッとしましたが直前にふうちゃんの元気な
姿を目の前で見ていたのでよかったw

ここでとんでもない話が聞けました

大事故にはならなかったものの、事故の激痛を
味わったふうちゃんは人が大勢いるような通りを
運転中のお母さんにしきりに
この台詞を叫ぶようになったらしいのです

 「ママ!轢かんであげてッッ」

この台詞には度肝を抜かれました!!
だって、、その台詞って―

  轢くの前提じゃないの!?(爆)

でも、よーく考えたらたしかに運転してる人間に
してみれば 簡単に轢けてしまいます☆
選択権はどこの誰よりもまえに、、運転手ッッ
何!? もしかしてそこまで考えての台詞?!
すごいぞ ふうちゃんッッッ
早速ふうちゃん本人にたずねてみると―

 そこまではかんがえてなかったw

安心しましたね(爆)
ここでさらにお母さんはたたみかけてきました!
お母さんの話によるとそのときのふうちゃんの
声がなんともかわいいらしいんですw
せっかくなのでわたしにも叫んでもらえましたww
素直な女子高生って絶滅危惧種ですよね☆

 「タイスケさん!轢かんであげてッッ」

わたしはおもいました
おもわず手元が狂ってしまいかねな…

さて、そういうわけでこの台詞は頂きです!!
誰かの車に搭載させてもらえるときがあったら、
迷わず使っていきたいとおもいます(ヲイ
使うにあたってかわいく言える修行必須でしょう☆
運転手が白目剥いたらこちらの命が危険です☆
◎がんばろう自分◎



2016年10月04日(火) 感性の結実

今日もスポーツクラブです。
いろんな感想を投稿してきましたが、、
現実は毎日トレーニング&リハビリです…
わたしは基本的に名前を呼びかけて挨拶します。
しばらく顔を見てなかったらわすれますw
スポーツクラブ。
スタッフの女の子の前で時が止まりました!
そう。ミキちゃんは―
しばらくスタッフやってなかったのだw
唸るわたしの前で名札を隠してるミキちゃん。。
行動は読まれていた…
◎ミキちゃんは狡猾な女の子です◎
これまでその所作や行動を見てきて断言できる 笑
そんなミキちゃんと《名前》の話になりましたw

「親がミッキー大好きでミキになったんですよ」

すべてが一瞬で納得できる内容でした(爆)
もうね、何も言うことありませんw
しかし ここで度肝を抜く事件がおきたのです!!
話をしていたのはこの3人。
→ ミキ、タイスケ、ミホ
ミキちゃんは言った。

「私、ミキになる前はカホだったんですよ」

「俺はケンジよ?」

「私はマリコ!」

これまで生きてきた人生で、これほどすんなりと
何の滞りもない流れは一度もありませんでした―
なにしろこの会話は「かもしれなかった名前」ッッ
おどろいたのは、、
誰一人 “かんがえて発言していなかった” こと
まるであたりまえでした(超実話)
わたしはその瞬間おもったんです

 異常だわw
 この会話、、異常ッッ

どうしてみんな自分がなるかもしれなかった名前を
瞬時に言えちゃったの?? 笑笑
それも3人全員がよーーー!?
わたしはほんとうに衝撃をうけました
この話は、まずそれぞれが名前の秘密を知ろうと
両親に尋ねることをしていなければありえません。
自分の名前に疑問をもったことがある人でなかった
ら最初の一声「えっ!?」GAME OVERですw
その瞬間はこれ以上ないくらいの直球でした
そしてそれぞれが、
同じタイミングで受け止めた気がします

この日からしばらくの間、
3人の呼び名がそうなります 笑笑

「カホちゃん おっはよー!」

「ああケンジさん、おはようございます☆」

こんな感じです 笑笑
ニックネームはあの一瞬で完成w
知らない人はみんな口々に言いました。

「なんで名前がちがうの?!」

わたしたちはなぜかドヤ顔でこう言ったのです

「秘密で〜す」 笑笑

わたしたちには絆がうまれたw
この感じはすごく不思議です。
共通する何かがみんなの心をつないだのでしょう!
何気ない一言でしたが、

あのとき風のようなものがたしかに流れたんです

それは決して大それたものでなく、
重くもなければ軽くもありません。
はっとするような感覚と
それでいて心地いいあたたかい風でした
こんな風をおどってみたい
そうおもいました
たとえその人にとどかないものだとしても
いつもそこらじゅうに流れてる風のようなダンス

意味のないように見えるものでも
だれかのなにかになれる可能性を秘めています
自分自身がなにかになれなくても
誰かがうけとってくれるかもしれません
すべては一瞬につまっています
ああ大事なのはこれだ
いつだって今このときだ

感覚は再復帰公演につながっていきました


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