断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2016年09月28日(水) 運命が揺らぐなら

2016年 秋。
すごいキャッチフレーズ広告が眼前に出現!

「新天町ワゴンセール
 運命を揺るがす出会い。
 目を疑うお得。」

たちまちmy頭脳で変換がおこなわれました

「運命を揺るがすワゴン」

ワゴン。ワゴンですw
心の中でなんだかわかりませんが、
なぜかひしひしと頷いてしまいました
運命を揺るがす、ってすごい衝撃ですよね!
だって《運命》だよ?《運命》ッッ 笑笑
でも、、その相手はワゴン―
人じゃないです。
ぜんぜん。
キャッチフレーズって大概が言いすぎw

運命が揺らぐなんてそうそう起きやしませんよ?

あのワゴンセールに群がる感覚を、
わたしはいつも不思議に思っていました。
みんなどんな気持ちでいるんでしょうか??
◎想像するのは《バランス》◎
自分にとっての理想とお得、その両方を満たして
くれるものを探しているんじゃないのかな??
理想を追うとお得ではなくなりますし、
お得すぎてもなんだか気が滅入ります。。
自分の思いと合致したときの満足感!充実感!!
おそらくこれでしょう☆
それを得るためにみんながんばってる気がします☆
もみくちゃになってまでがんばってる気がします☆
人間はいつだって欲張りなんだよねww
とりあえずここまで考えて落ち着きましたw
そして現実に、ワゴンセールに突撃してる女子を
遠目に見ながら思いを馳せるのでした―

「おつかれさまです☆」

そんなわたしもワゴンセールのために
キャッチフレーズをつくってみましたよ!!

「新天町ワゴンセール
 心臓が止まるほどの出会い!
 まばたきできないほどのお得!」

…これじゃ確実に白目剥いてますねw
こんなワゴンセール怖いよッッ(爆)

そして、、っていうか、
運命が揺らぐなら《人》がいいよッッ!!!



2016年09月27日(火) 「セッション」

サンダンス映画祭でのグランプリと観客賞受賞を
筆頭に、さまざまな映画賞で旋風を巻き起こし―
アカデミー賞 3部門受賞へ☆☆☆

 『セッション』(2014)
 名門音楽学校へと入学し、世界に通用する
 ジャズドラマーになる決意のニーマンを
 待ち受けていたのは、鬼教師として名を馳せる
 フレッチャーだった!
 ひたすら罵声を浴びせ、完璧な演奏を引き出す
 ためには暴力も辞さない彼におののきながらも
 その指導に必死に食らいつくニーマン。
 だが、、フレッチャーのレッスンは次第に狂気
 じみたものに…

これは、、とんでもない問題作でした。
気が遠くなりました―
以前から友人知人に「とにかくみろ」と言われつづ
けてはや幾とせ… たったの2年かw
率直な感想は、、

気分がわるい

あまりにも陰険すぎて吐きそうになりました
果たしてこんなのが《最高の音楽》と呼べるのか
憤りをおぼえました

しかし、すごかった

「すごい」としか言いようがない。。
人間はサイテーだとおもいますw
それを圧してもラストは本当にすごい
すごいと気持ち悪いの混沌です!!
音楽を追求する
最高の音をつくるための最高の罵声と陰険すぎる罠
とても “いい物語” とはおもえません。
だってさ、、結局は

フレッチャーの趣味でしょ???(爆)

ぜんぶアイツの計画通りなんでしょ??
そこで潰れてもなんの支障もないでしょ??
ニーマンのことなんてなんとも思ってないでしょ?
とんだ人でなしです
そう、コイツは人ではなく音楽だけなのだ。
たぶん。
そのためにはなんだってできちゃうのだ!
突き抜けた天才とやらはいつだってこんなです!!
わたし自身もそんな天才先生のレッスンを
受けてましたw

ほんとうに罵声しかなかった…

でも、そこで技術はうなぎのぼりに上がります
ニーマン同様に必死に食らいつくからです
ここで言えるのは《習うなら天才》がいい、ですw
了見が極めて狭いほどまでに極めた先生に習うほど
上達する “速度” が悲劇的に違う!!!
その速度は迅速を超えます。
習う側の情熱がそのまま乗算するからです。
※代償に生半可な情熱ではかるくへし折られます
これは厳然たる事実です。
やさしいところでは積み上がらないものがある!!
事実です。
ただし、ジャンル分けできる種類に限ります。
自分のダンスは自分にしか踊れないからです。
話もどします☆

そんな映画に共通点を見出だそうとすると
何かに対する圧倒的な《熱意》《情熱》
これは絶対でしょう。
だけど、、この映画は行き過ぎてるからね??
熱意が行き過ぎて狂気ッッ
その到達点はフツーじゃ決してたどりつけない
この映画はそういった主題です。
どんなことも取り沙汰される第一人者には
そんな《妄執》を感じます
どう見ても “この人おかしいんじゃないか” って
おもってしまう何かを感じずにいられません。
そんな《異常なまでの妄執》を引き出す、
フレッチャーのやり方もまた異常です。
何がよくて何がわるいのかまるでわかりません。
ですが、それによって命の爆発のようなラストです
もしかしたら、
人間の最高のチカラは《怒り》かもしれません。
一瞬の激情がいいものとは到底おもえませんが、
爆発するようなエネルギー量はこれが最大最高の
ものだとおもえます。
それを引き出すという点においてだけは、
この映画がものすごい作品だと言わざるを得ません

爆発的な怒りを原動力に尋常でない何かを引き出す

それは “情熱と絆” の真逆でした

これもまた “ひとのもつチカラ” です。
ですが、、まったく健全じゃあない。
勢いで人を殺してしまいそうなくらいのチカラです
自分の妄執から行き着いた壮絶なエゴに見えた。
そのラストは観客から大歓声を浴びますが、
その流れからいってどう見ても引き金は
「ふざけるな!」です
仕打ちに対しての 突き抜けた怒りや憎悪
こんなのが最高の音楽なの??
たしかに、その方面では《最高の音楽》かもしれん
でもそれは《怒りや憎悪》でしょ!?
出どころがそんなところのものに、
人がほんとうに感動するんでしょうか―
わたしは甚だ疑問です
そんなことは音から絶対感じられるはずだからです
もし感動できる 共感できるとしたら、
そんなものを乗り越えたときのはず!!
個人的に映画ではそれを乗り越えたすがすがしさは
感じませんでした。
もし、もしも、それが見えていたら、、

号泣しないわけがない

一線を踏み越えた人間だけが見出だす悦楽
それはたしかに最高のものかもしれません
ですが 何かが、決定的な何かが、、
抜け落ちているようにおもえます

その悦楽は自分だけのものじゃないのかね
人さまに見せなくていいんじゃないのかね

常軌を逸した異常さだけが最高のものじゃないこと
それをおどりたい、そう強くおもいました



2016年09月26日(月) 輝きの正体

マンガ原作のサッカーアニメ『DAYS』
主人公つくしの台詞にグッときました―

『DAYS』 第11話
 この輝くような日々を明日に繋げるために

「5歳の時、なついていたネコは
 ある日とつぜんいなくなった…
 いつも一緒だったんだ
 ネコは死ぬとき ひとりで死ぬらしいよ、って
 父さんは言ってた
 父さんが交通事故で死んだのは
 それから間もなくだった
 人生ってそういうものだとおもってた
 けど、もしかしたら…
 日々をいきるということは
 失うことを数えていくことではなくて、
 それ以上に大切なものを増やしていくことだ、
 って思うんだ!
 それをおしえてくれた人たちがいる。
 たいせつな仲間たちと、大好きなサッカー
 この輝くような日々を 明日につなげるため!
 今日ここで勝つんだ!!今日があるんだ!!」

つくしはしっていました。
ひとがしぬってこと。
わたしたちは 死ぬのを知っているからこそ、
光が見えるのだとおもうのです。
毎日がどれほどたいせつか
そして、明日がどんなものなのか
それを知ってしまうと《一生懸命》が前提なんだと
、無理をするとかそういうものではない、
《あたりまえ》のことなんだと気づきます。
なにしろ自分次第で、、
◎いつも、いつでも輝いていられるからです◎
生きている “今” がもったいなさすぎて、
いつのまにかオートマティックになってしまいます
だから、どんなに今日いやなことがあっても、
明日にそれを引きずるわけにはいかないのです。
毎日を、自分自身を輝かそうとすると
自発的にならざるを得ません。
もったいないお化けがでます!!!
自分から光が取り出せるというのはたぶん
そういう人なんじゃないかとおもいます。
深く考えようと考えまいと、
目の前のことに一生懸命になれる人。
とんでもない光が見えますよね!

やらされてるんじゃないからです☆

光が見えるというのは上手や下手じゃありません
どう見ても何らかがカラダを通ってきているんです
これがダンスの秘密だとおもいます
歌を歌う直前の歌手の全身や
ピアニストの鍵盤を弾きだす一瞬前の指先に
すさまじいほどの “ダンス” を感じるんです

どんなことよりもまっすぐに見えるもの

わたしたちが何かを “する” 前からすでに見えます
いつも、いつでも自分自身でいられたら、、
きっと そのすべてがダンスです☆



2016年09月25日(日) そこらじゅうの次元の狭間

ダッシュで電車に間に合って。
その後にわかる悲劇。

 トレーニングウェア全部わすれたw

仕方がないので全部買いました。。涙
そして着替えた後スタッフに一言。

「今日さ、ウェアぜんぶ忘れてね、、
 さっき全部買ってきたよ〜」

「わあ、そのネックレス綺麗ですね!」

えーっと、、ネックレスは買ってないよw
どこをどう聞いてもとつぜんの別次元☆
あきらかに発言の返答じゃあない!!
おかしいよね?女子って…(爆)
まだ使えるのかな《KY》って…w
でもこういうところにトキメキを感じてしまう!
むかしはたぶん、、キレてました 笑笑

◎“おもしろい” は正義◎

ジャスティスです!ジャスティス!! 笑笑
しかし、複雑なのもありました。。
同じ日に出くわすとか、、こりゃ奇跡かも?!
デンジャラスです!デンジャラス!!

美容室。 隣の席の女の子の話が聞こえます。
それは、凶悪な誤解をまねく台詞でした―

「私、、性格わるくてですね〜
 たぶん 兄ふたりに相当もまれたからだと
 おもうんですよ!」

異性だともうね、この発言は別次元だよ!!
あきらかに地獄絵図だぞッッ
すぐ隣でおもわず吹き出しそうになりましたw
性格よりも前に発言をなんとかしてね☆
“安易な発言は危険” もっと自覚すべきです

◎一概に “おもしろい” で済まない◎

この話にはつづきがあります。
男女では捉え方が違うという研究です!
わたしは当blogを更新するにあたって、
文章にはおぞましいほどの気配りをします。
何度よみかえしているかわかりません!
それでも誤字脱字あったりする現実。。
言葉あそびもずいぶん探求していますが、
たいせつなことを間違って受けとってほしくない、
という一心からです。
そういうわけで、言葉に対してはダンスと同じくら
いのアンテナを張っています。
なのでやっぱりフツーじゃないかもしれないw
だって、その女の子のスタイリスト(女性)は
一切そんな誤解をうけとっていなかったのだ!

言われてみて初めてその可能性に気づくんです

この気づきの時間差は頭の回転力かもしれません。
頭がいいとかわるいじゃないやつです。
いろんな気づきがある、というのは
意外なところでオーバーワークなのかもしれない。
そして今回は避けられない生理現象からきてるから
かもしれません。
想像力がどこをかすめているのか
かんがえてみたらゾッとしてしまいました―

日常にはとんでもない次元がいたるところに
ひそんでいますw
気をつけましょう☆



2016年09月24日(土) 異次元の扉

問題です!

 次の◎にそれぞれ漢字1文字を埋めて
 4文字熟語を完成させよ。

 「品◎方◎」

この問いには焼肉定食と同様に、
異次元の答えが存在しますw
「焼肉定食」、、、
一度 聞いちゃうとそもそもの問題の性質を
完全に忘れてしまうくらいの衝撃ですよね☆
《弱肉強食》わすれちゃいけません!
話もどしますw
昨日たずねてみた人たちはなんとことごとく、
一般正解が言えました! すばらしい☆
そしてそこから発動するパラダイムシフトッッ
異次元の扉は意外にも身近にあるんだよ!
みんな笑ってくれますww

ああ、しあわせだなあ

このしあわせをもう一度!
これはおおよそ自己満足かもしれない(爆)
今日は別の場所で同じ問題をしてみました!!

ところが、、ところがですッッ

みんな、全員、、答えが言えません!!
なんだ… どうしたんだ今日は???
そんなに難しいのこれ―
こうなったら、、答えいえる人に会うまで
つづけてやる!!!(爆)
就活中の女の子は真剣にこたえます

「品川方面ッッ」

わたしはその場に崩れ落ちました…
なぜならそれこそが異次元回答だったからw
見た目は賢そうな女の子なのに!!
なんで答えられちゃったかな。。

やるじゃんw

「ついこないだ東京にいってきたので☆」

敵は就活でした(爆)
畜生め!!

昨日うまくいったこと。
今日うまくいくとはかぎりません。
それは悪夢のようでした。
いや、悪夢です。
ささやかな夢は簡単に潰えるものなのですw

そう。
この問題でその人を笑顔にする条件は、
「品行方正」と言える人だけでした―

そうか。。
わたしは無自覚でした。
みんな笑顔にできると思っていたんです。
これはダンスにも応用が利きます!!
どこかに。どこかに落とし穴が隠れてるッッ

落とし穴の正体は《自分の思い込み》

いつもいつでも大いに疑うべきでしょう



2016年09月23日(金) 一瞬のデュオダンス

今日もJRです☆
対面する四人掛けのシートに座れました!
窓側は埋まってたので通路側です。
同じ駅から乗った女の子がその正面に座って満席。
発車して二駅目。
窓側に座っていた二人が揃って下車。
自分が窓側に移動した刹那、事件はおきました!!
同じ瞬間、目の前の女の子も窓側に!?

タイミングが《完璧に》揃っちゃったよッッ(爆)

一瞬。この一瞬はものすごいダンスだと思いました
生きてたらときどきおこる奇跡のようなやつ☆

すがすがしかった!

あらためて思い返すと、この窓側への移動は
座れる人を増やすテクニックです。
もし通路側に座ってる人がいて窓側に座ろうと
すると、足にぶつかるのは避けられません。
そういうわけで移動は《思いやり》の一部w
まったく動かない人が今は多い気がしますよね。
なので、この状況はいよいよ貴重かもしれません!
思いがけない《思いやりダンスデュオ》w

◎こんなのは踊りたくても… 踊れんよッッ◎



2016年09月22日(木) 本物の大人のチカラは

本日は、8日間にわたるなんて思ってもなかった
『人生ノート』の感想更新によって、
押し出されていた 9/15 のお話です。

JR車両内。 偶然でした。
わたしが入院していた時期、同じく入院していた
男の子とばったり遭遇してしまったんです☆
そう、あれは忘れもしない。
入院病棟で無差別エアー乱射で、その最後
(※エアー乱射:空想上の銃で撃ちまくってくる)
わたしを執拗に狙撃してきた男の子ッッ 笑笑
とにかく擬声語で撃ってきやがります!!
わたしは大人のチカラでもって、その空想の弾丸を
すべて、そのすべてを避けきった人間です(爆)
タイミングでは確実に命中していますが、
わたしは時間を止めて、あるいは空間をねじ曲げて
飛んでくる弾丸のすべてを回避w
当たっているはずなのに余裕でよけるわたしを見て
さらに乱射してくる男の子ッッ

 人としてサイテーです 笑笑

女子供も無差別に撃ちまくってましたからねw
わたしは男の子の未来を案じて、
仕舞いには銃弾をつまんでたべましたw

 圧倒的無敵☆

想像のチカラで負けるはずもありません。
なにしろこっちはプロですからねッッ
そんな男の子でしたから わたしを見つけるなり、
瞬間移動してきていろんなことを言い始めました―

「俺、身長伸びたよ!」

わたしは大人のチカラで返します。
「そうそう、あの頃はこんなだったね〜」

男の子
「それじゃ幼稚園だよッッ」

さすがの純粋さです☆
そんな子が小学6年生になったのだ。

「俺が、みんなから
 何て言われてるか教えちゃろうか?」

「いや結構です」

エネルギー有り余ってる小学6年生。
聞きゃーしませんw さすがの年齢です☆

「お前が大人になったらフツーに
 覚せい剤やってそう〜、ってさ」

「あ〜 たしかn…」

ってヲイッッ!!
すぐ隣には男の子のお母さんいるよッッ
こらえろ俺ッッッ!!!
これが… 真の大人のチカラです(爆)

男の子も膝を手術しています。
俺たちは同じ病院を退院した固い絆がある。
なんだろうね、この絆w

不思議だわ〜
\(^o^)/

男の子は次々と話題をかえて襲ってきました。
その1つにこんな問いがあったのです。

「いま何か欲しいものある?」

わたしは瞬間、何も。何もでてきませんでした
いつもならかるく冗談がいえるのに。。
「健康!」とか…
実はこのとき、
答えられない自分に怒りを覚えました
まだ舞台に戻れていない今
自分の為すべきことがなんなのか
見失っているんじゃないか

リハビリは…
強烈な意志なしにできることじゃありません
毎日が同じことの繰り返しすぎて、、
なんのためにやってるのかもわからなくなる
そんな闇が何度も何度もおしよせてきます

男の子に会って気づきました
男の子の笑顔を見て気づいたんです
毎日を埋没させているんじゃないか
毎日を “同じ” にしてはいないか
なによりも、
その意志の所在をあいまいにしてやしないか

男の子はラグビーをしていました。
それも遠くまで出向いてやってるようです。
術部はもう何も痛くないらしい。
わたしは未だにリハビリをつづけているリアル
男の子には まるで先を行かれていました
わたしには痛みがあります。
だけどその痛みをあたりまえのものとしました。
そうしないと前に進めないからです。
完治がほんとうにあるのかわかりません。
自分で決めるしかないのです。
男の子とは退院した時期もほぼ同じ。
あれから同じ “時間” がわたしたちにありました

男の子と比べて、
その成長の差に漠然と腹が立ったのです



2016年09月21日(水) 灰皿を超えてゆけ

◎オマケです◎

 『人生ノート』   美輪明宏

 《転生輪廻のしかけ》

 生まれかわりの回数のすくない人は、
 経験がないから思いやりがないわけです。
 思いやりのない人を見たときに、
 「この人は生まれ変わりの回数がすくないんだな
  前世はきっと灰皿か何かだったんだろうな」
 と思えばいいわけ。
 人間はそのために生まれてくるわけです。
 あらゆる人種、
 あらゆるタイプの人間に生まれかわってくる。
 それが転生輪廻というもののしかけなんです。
 一人で何十回、何百回と生まれかわっている人は
 ゴマンといるはずなんだけど、みんなうまい具合
 に生まれてからしばらくすると、そのことを忘れ
 るようにできているんです。
 覚えていたらたいへんですよ、頭がパニックに
 なる。 だから忘れるようなしかけになっている
 んだけれども、でも潜在的な意識下ではどこかに
 それを覚えているんです。
 それから、たとえばAさんという人がこの世に
 生まれてきたら、理屈からいえばAさんはあの世
 にはいないはずでしょう?
 でも、そうじゃないんです。核分裂するのです。
 Aの二乗ということになるわけ。
 Aさんという人の魂、つまり素子の核が核分裂を
 して生まれ変わってきたのがAの二乗になるわけ
 そしてAさんがあの世に帰ると、
 1つのエネルギー体として合体するわけです。

あぁ、、あの人は灰皿だったんだろうなw
そんなふうに思えるひと、これまでに数人います。
思いやりがない。
自分のことにしか興味がない。
話し合いもせず、罵声を浴びせるだけ浴びせる。
こうして考えると「思いやりがない」というよりも
明らかに「自分本位なだけ」でした☆

話し合いもできない、というのは
ほんとうにありますよね

どうして話し合いができないのか
今でも甚だ疑問です

これまでも同じ話題をとりあつかっていますが、
「灰皿と思えばいい」というのは最新です(爆)
1998年に発行された本なのにねw
だって灰皿と思うだけで完結ですよ???
圧倒的に他人事ッッ
たぶん美輪さん的には《考えるだけ無駄》
なんでしょうね。。
いや、《無駄》というよりもここでは
【心にダメージをうけない方法】でしょう!
それでもわたしはかんがえます。
だってやっぱりさみしいもんね。
同じ人間だよ??
これじゃ戦争はおわらないでしょ??
こんなのに刺されたくはないわけですw

思い当たるのは《決めつけが度を超えてる》

別の意見を話そうとするとたいてい話をかぶせて
きます。 圧し潰そうとする感じでしょうか…
どうして別の考えが受け容れられないのかは
わかりません。
しかし、何が何でも受け容れられないようですw
◎この了見の狭さには底が見えません◎
話し合いができない以上、
わたしたちにできることはないのか!?
まずは本人の気づきや経験で、話し合いが
できるようになってもらうしかないよね―
これはある意味で戦争にも置き換えられます。
なにしろ相手に聞く耳がない。
聞く耳があったらなんとかなるはずです!!
やっぱり灰皿と思うだけじゃどうにも足りません。
相手を見下すことではなく、待っていられる余裕を
もつことがわたしたちにできることだと思います。
なにしろすぐには解決できませんッッ
それにしても忍耐力です。忍耐力。
耐えられるのも限度がある!!
なんたって、、度を超えていますからね☆
しかーし!! あらためてインドの聖典
『バガヴァッド・ギーター』を引用しておきましょう

 聖バガヴァットは告げた
 物質との接触は、寒暑、苦楽をもたらし、
 来たりては去り、無常である。
 それに耐えよ、アルジュナ

わたしは無知じゃありません☆
耐えるよ!!
◎そして灰皿を超えていこう◎



2016年09月20日(火) できることから逃げない

◎最終回です◎

 『人生ノート』  美輪明宏

何を為すにもすべて勇気が問われます。
某バレエマンガにさえこんな台詞がありました―

愛子先生
「あなたは自信があって何かをする人間なんて
 この世にいると思っているの?
 だれだって 恐怖をのりこえて挑むんです」

左膝 前十字靭帯再建手術を経て
何ヶ月も病院で過ごし、
退院したときのことをおもいだしました

《生きてさえいればなんでもできる》

自分の足で歩くことができたとき、
理屈ではなく、全身でそう感じました
いまでも鮮明にそのときの感覚があります
自分に起きた大きな事故は2度目ですが、
経験はぜんぜん同じものじゃありません
役に立ったこともありましたが、
やはりその都度、
“今” の自分に挑まざるを得ませんでした
突き詰めれば、そのままわたしたちの毎日です
今の自分に挑むこと
挑まない選択もありはしますが、
毎日を輝かせようとすると、
気持ちを正さないわけにはいきません
なにしろ二度と戻ってこない “毎日” です
あのとき、なんとかしようとしてきた日々が
自分に気づかせてくれたことです
こう見えても後遺症があります
そして、目にはみえない機能障害もあります
現実的にできないことがたくさんある
そんなこころにそびえ立つのは―
《生きてさえいればなんでもできる》
超あべこべリアル☆ 笑笑
わたしにとって「できる」というのは挑戦です。
やってみるということに対して
わたしたちは徹底的にひらかれています。
できないことは増えましたが、
今はそれに挑まない選択肢はありません。
そのことがどれだけしあわせなことか
しっているからです

 《人にあげれば、パワーはもっと湧いてくる》

 「人間は卑しいもの、神は尊いものである」と
 はっきり切り離して考えているのがキリスト教
 です。 人間はあくまでも卑しいものである、
 おのれの罪を悔いなさい、神の許しを乞いなさい
 ということで、神と人間とを切り離しているわけ
 です。 それを釈迦がはじめて「神も人間も仏も
 同じですよ」といったわけです。
 「人間も神と同じなんだから、あなたも尊い神の
 一人である、自分の中の神の清らかな部分、仏の
 慈悲にあふれたやさしい愛の強く正しく明るい
 部分を増幅するように心がけなさい」といってる
 のが釈迦の教えです。
 どれをとるかは各自の自由ですけれども、切り離
 すのだったら、「どうせ私は卑しい人間だから」
 って思ってると、また悪いことをしてしまう。
 ところが「私は神である、仏である」と思ってい
 ると、仏が悪いことをしてはおかしいでしょう。
 神でありながらそういうことをしてはみっともな
 いし、そぐわないからいけない。 だから、
 自分で自分を律するようになるわけなのです。
 よくね、「握手してください、パワーを下さい」
 という人がいるでしょう? 一時的にパワーを
 もらっても、またパワーがなくなったら、また
 もらいにこなきゃいけない。
 一生もらい乞食でなきゃいけないでしょう?
 だから、「私はパワーはあげません」ときっぱり
 言います。 そして、なぜ 人に
 「パワーをあげましょう」と言わないのですか?
 と言います。
 人からパワーをもらうのではなくて、人にパワー
 をあげようと思うと、泉のようにだんだん湧いて
 くるものなんです。
 そうすると自信がついてくる。
 人にあげなきゃいけないと思うと。 だから、
 人にどうすればパワーをあげられるだろう?と
 思えばいいんですよ。
 そうすると、パワーは自然と泉のようにふつふつ
 と湧いて出てくるものです。
 そうすると、自前でパワーを調達できるから、
 よそにもらい歩く必要がなくなります。
 それを「パワーを下さい、下さい」って、
 あちこち拝みたおして歩いてる人がいるけれども
 そういう人は一生貧しいまんまで終わるのです。

できることを丁寧に、できるだけ丁寧にしていけば
自ずと他者に影響を パワーをあたえます。
それが “どんなに小さなことでも” です。
病院にいたとき、それを学びました。
患者仲間のなんとかして “生きよう” とする姿を
今でもわすれられません。
できることがあたりまえじゃなくなったとき、
確実に自分を見失います。
気持ちが整うまでにどれだけ時間がかかったか
しれません。
ですが、整いさえすればあとは明快です。
《できることをするしかない》
できないものはできないからです。
カラダが見た目だけでもわるいところが見えなく
なったとき、とつぜんやってくる “恥ずかしさ”
みんなが《できる》ことが《できない》!!
これに遭遇したとき、物凄い矛盾を感じました―
「恥ずかしい」って、、何??
これはあたりまえを土台にした感情です。
みんなと同じことができないから。
わたしは「恥ずかしい」を克服したはずでした!
ところが、興味深いことにみんなと変わらない
スタンスがとれるまでにリハビリをして追いついて
きたとき、突然フツーになってたことに気づいた

たぶん何かをやめたり、あきらめたりするのは
「恥ずかしさ」のせいです

恥ずかしさをとっぱらったら圧倒的自由ッッ
恥ずかしさって、実は「できる」「できない」から
かんがえたらぜんっぜん前段階。
がんばってもない。 臆病者なだけだ!!
わたしは手術をして小学生でもできることがかるく
できなくなりました。
子どもたちの前ではいい大人でありたい、そんな
気持ちがあるのもたしかですが、すくなくとも
踊りたい気持ちは子どもには負けません。
わたしには “上手” ができません。
だからこそ “立ち向かっていく” ことには全てを
賭しています。
上手とか下手ではない、生きること。

どんなことを思われても、どこかであんな人いた、
と思い出してもらえるような、それくらいの
「できること」を全力でやっています



2016年09月19日(月) あの世は変わる 変えられる

佳境の佳境の佳境ですw

 『人生ノート』  美輪明宏

死んでしまったら損得勘定できない気がします☆
死んだら骨だからw
だとしたら―
生きてたら、、骨折りもうけ!?

 《自殺は死ぬだけ骨折り損》

 よく、疲れたからって自殺する人がいるけれども
 これは人生の職場放棄で、人生の中途退学です。
 ということは、また生まれかわっても1から
 やり直さなきゃならない。
 つらい思いをして死んだという1つの経験は
 積んでも、また同じコースを生まれ変わってきて
 やらなきゃいけない仕組みになっているんです。
 だから死んだだけ骨折り損なのです。
 しかもほかの波動を持った、主と呼ばれる、
 そこに住んでいる精霊がいるところ、たとえば
 神社で自殺するでしょう?
 そうしたら、知らない人の家のお座敷で血だらけ
 になって死んだのと同じで、その家の人は怒るで
 しょう? 迷惑でしょう?
 そうしたら、罰として幽閉されちゃうわけ。
 それが呪縛霊ということです。
 だから、許しが出るまで、刑期をまっとうするま
 でそこから動けない。 だから、呪縛霊を成仏さ
 せるには、そのケガをした家の家主さんにきちっ
 とお詫びを入れて、それから呪縛霊になっている
 ものに対して不心得をただして、想念を切り返さ
 せる作業から始めるわけです。
 昔のお坊さんが、成仏させて霊に説法するという
 でしょう? つまり理屈をいうわけです。
 真理を説いて、そのしかけを順々と説いて聞かせ
 る。 そうすると「なるほど、そうですか」と
 納得して、心を入れかえることになる。
 それで仏様のような平安な心になっていく。
 それを “仏に成る” と書いて「成仏する」と
 いうわけです。
 人間は死ぬときに、情念や想念や思いが
 ストップモーションになる可能性があるのです。
 そうすると、前向きの発想をしないで
 過去ばっかり振り返る。
 「私は交通事故で死んだから足が痛い」とかね。
 肉体がないんだから、痛いわけないのです。
 霊体だけになっているんだから。 ですから
 「おまえ、痛いわけないよ。
  りっぱな足があるじゃないか」というと、
 「あれっ、いつのまにはえたんだろう」と
 霊がいいます。

 《地獄極楽は胸三寸にあり》

 あの世というのは、その人の想念がそのまま
 住んでいる世界になるんです。
 明るくて美しくて清らかな心の人は、まわりが
 明るくて美しくて清らかなんです。
 真っ暗で汚くて、恨みつらみ憎しみで想念が
 固まってストップしている人は、その心の状態が
 即そのまま住んでる状態になるんです。
 それこそヘビやトカゲがうじゃうじゃいるような
 真っ暗闇で、くさいにおいがする。
 それはその人の心がそうだから、そのまま
 住んでいる場所に投影されているわけです。
 心象風景がそのまま住んでいる場所になる。
 その霊に1つずつ不心得をいってきかせて
 納得させてやると、
 「ああ、自分が悪かったんだな」とか
 いろいろ反省するでしょう。 そうすると、
 住んでる場所がパーッと明るくなって、
 光が射してきて変わってくるんです。そうすると
 「光が射してきた、どうしたんだろう」と
 いいだすのです。
 心象風景がそのまま住んでる場所になるって
 おもしろいでしょう?
 「地獄極楽は胸三寸にあり」というのは
 そういうことなのです。
 そういう変な霊が来たときには、真理をいって
 きかせることです。 そうすると、マイナスの
 エネルギーだったのがプラスのエネルギーに
 かわっていくことになるのです。
 キリスト教では、
 人が死ぬときに懺悔させるでしょう?
 懺悔させるというのは、ストップモーションに
 ならないように、思っている想念を吐きださせて
 透明にするためにやってるわけです。
 思い残すことはこれでありません、と
 いわせるために。
 過去にこだわって後ろ向きの発想になっている
 ものを、前向きの発想に切り替えさせるのです。
 仏教の場合は坊さんが引導を渡す。
 「おまえはもう死んだんだよ。死んだのだから
  もうこの世のことは全部忘れて、あの世へ
  行って、これから功徳を積んで、いろんな人の
  ためにつくすように。 神仏の気持ちになって
  出発なさい。 これからすることが
  山ほどあるのだから」といって引導を渡す。
 世の東西を問わず、方法は同じなのです。
 その地球とあの世の仕組みを明快に理解して
 いれば、楽じゃないまでも、
 とにかく驚きあわてて嘆かないで
 地球上で存在できるということです。

わたしは骨折りもうけです☆
この章でも かなりもうけてしまいましたw
だって、、《あの世=自分の想念》ですよ??
これは ものすごい知見だよッッ
そうか、なるほど!!
そういうわけか!! 笑笑
なんだかわかりませんが ひどく納得できました☆
けっきょく生み出しているのは自分自身です。
想念って、、感じるものですよね。
その人の風☆
いい風が吹いている人には人があつまってきます
そしてそんな “いい風” があつまれば、
かんがえなくても何かすごいことができてしまう!
自分のこと。客観的に見るときは、
これが一番わかりやすい気がします。
自身にいい風が吹いていれば、
かならず人は聞いてくれます。
嫌な顔をされることは まずありません。
自分の状態はまわりでわかることいっぱいですw
わたしたちが相手を一目みればわかること。
元気なのか そうでないのか
明るいのか 暗いのか
それに気づくことができたら、自分も同じです。
舞台に立つまでに鍛えているのはおおよそ
ここだとおもうのです。
舞台に立つ自分自身を最高の状態にすること。
かんがえてみるとゾッとしますが、
すべての土台は圧倒的日常に潜んでいますw
先生はいつもいってました。
「日常でできてないことを
 舞台でできるはずがない」

突然できるようにはならないということです

これは そのまま《あの世》にも通じている、
そんな気がしますw
なにしろ誰もが、すべての人がッッ
自らの人生の舞台に立っているんです!!
通じているのはわたしたちの日常の努力☆

いつもいつでも、ほんのちょっとの意識で
《あの世》はかわっていくのかもしれませんねw



2016年09月18日(日) 光のありか

佳境の佳境ですw

 『人生ノート』  美輪明宏

美輪明宏は霊的なの見えるらしいです。
で、わたしはそういうのを考えませんw
見えないからです☆
見えないもののこと考えても時間の無駄です。
やらなきゃいけないのは筋トレなんです!
リハビリは、、考えるものじゃない。
とにかくひたすらやるしかないのです☆

 《その道を選ぶのは自分しかない》

 じゃあだれが自分を救ってくれるのか。
 自分が自分を救うよりほかしようがないんです。
 「天はみずからを助くるものを助く」でね、
 自分自身が自分自身を助けるもの。
 ものごころついてから人間は、自分を育てる親は
 自分、育てられる子供も自分、教えてくれる先生
 も自分なら、教えられる生徒も自分。
 よく、人のせいにするじゃありませんか。
 不良になったのは親のせいだとか、
 先生のせいだとか、友達のせいだとかね。
 でも、親なり何なりの正論を聞いて、それを
 受け入れて、まともな道を歩むのも自分なんだし
 いうことを聞かないでまちがった道を歩いて不良
 になるのも自分自身です。
 選んだのは自分なんです。
 結婚したときに、
 「親にいわれて結婚して失敗した」とか
 「親にいわれなければ私はこの人と結婚しな
  かった」というでしょう?
 じゃあ逃げればよかったわけでしょう?
 セックスだって、入れるか入れないかですもの、
 ちょっと体をはずせばセックスなんかできません
 よ。でもちゃんとセックスはしてるんだから。
 自分で選んでいるんですよ。
 ところが、選んだのは自分じゃないような言い方
 をする。 これは卑怯だし、自分で自分自身に
 ウソをついている。 認めるのが怖いから、
 誰かのせいにしようとする。
 誰かのせいにしようとすると恨みや何かが
 残るから、ますますつらくなるんです。
 一生後悔しなきゃいけない。
 「これは私が選んだのだから、
  みんな私が悪いんだわ。
  私が選んだ道ですもの、しようがない」
 と思えばあきらめがつくんです。

 《自分を救うのは “自分” 》

 人間は、自分を救うのは自分しかいないという
 ことを、くれぐれも頭から離さないことです。
 よくね、「あなたのうちで不幸が続くのは
 こういう因縁のせいだ」とかいうでしょう。
 霊的なものでそういうものが起こることも
 たまにはあります。
 でも、それは非常にすくないんです。
 30%ぐらいでしょうか。
 霊的なもののことは、ほとんどが自分のせい
 なんですよ。
 胃ガンになっちゃって、誰かのたたりじゃないか
 といって、うちは先祖の供養が足りないんじゃ
 ないか、霊のせいじゃないか、なんていうでしょ
 う。 そりゃごちそうを食べたからだよ。
 ガブガブ大酒飲んだからだよ。
 ただそれだけのせいだというの。
 食い物が悪かったんだよ、食い物が、というの。
 口から毒を入れれば病気になって死ぬに決まって
 る。 悪い霊はおまえ自身だよ、ということ。
 だってね、終戦後まではガンなんてよほど
 贅沢な人の病気で、日本にはなかったんだもの。
 みんな粗食だったから肺病はあったけど。
 お肉を食べるなんていったら、一年に一度
 食べられればいいほうで
 「あのうちはすきやき食べたんだって」
 「わあ、ぜいたく」なんていってたんですもの。
 お肉なんて食べることがなかったんです。
 食べてもせいぜい鶏肉だったのね。
 いまは鶏肉だろうと豚肉だろうと、すきやき、
 しゃぶしゃぶ、ステーキだろうと、スーパーで
 売ってますからね。 だけど昔はそういうものを
 「わあ、なんてぜいたく」と言ってたでしょう。
 みんな和食で、しかもヘルシーなものを食べて
 いたのよ。
 だからガンだとか糖尿病なんてなかったですよ。
 ところがいまはみんながぜいたくになって、
 糖尿病やガンになりたくてそういうものを
 食べちゃったんだから、しようがない。
 結果が出ている。
 だから楽あれば苦あり。「正負の法則」なの。
 そういうものを食べればそういう結果が出ると
 いうこと。
 因縁や悪霊のせいじゃないんです。

わたしは思いました。 30%でかい 笑笑
それ「非常にすくない」ではない(爆)
だってその3倍は90%だよ―
さて、誰かのせいにする技は一番かんたんですw
わたしだって大きな事故のときには考えました。
なんでこんなことになったのか
何度も何度も反芻してきやがります。
だけどそれを考えているうちは何もすすみませんで
した。
誰かのせいにしてしまうと自分に毒がまわります。
そして突然、光がとりだせないことに気づきます。
すすみたい方向が明るくないんです。
明るくいるためには、ここじゃなかった。
なりたい自分はそれじゃない!
それに気づいてからは、陥りそうになり次第、
行動にうつしました 笑笑
とにかくカラダを動かすことをします。
そうすればアイツはやってきませんww
こうしてわたしは毎日を乗り切ってきました。
文章にすると数行でおわってしまいますが、
実際にやってきた年月は7年です

美輪さんの上記「あきらめがつくんです」の
“あきらめ” は、一見ネガティヴに見えますが
実は《光そのもの》だとわたしはおもいます

霊的ななんとか。
そんなものは “今” のわたしたち次第です。
わたしたち自身の力でかるく乗り越えていける。
乗り越えていけないわけがない。
わたしはそう信じています。
受け容れることはたいへんな苦痛を伴いますが、
その先は 光しか見えません☆
受け容れることでなにもかも明快になるからです!

それまでの自分は変えられなくても
“今” の自分は自由そのものじゃないですか☆

◎いつもいつでも、気づいたときが勝負です◎



2016年09月17日(土) 黄金の孤独

佳境ですw

 『人生ノート』  美輪明宏

踊るうえでとても。
とてもだいじなこと。
自分自身をどれくらい知ってるか
今の自分をどのくらい知ってるか

 《みんな孤独だからこそ》

 自分でもよくわかっていない自分を、
 別の人に理解してもらおうというのは、
 理屈に合わないことじゃありませんか?
 虫がよすぎますし、甘ったれているのです。
 別の人にそんなことをいう前に、
 まず自分が自分をよく理解してやるように
 努力するのが先決問題です。
 そしてそれができたあとで、
 理解してもらおうと努力するのが道すじです。
 その結果、理解しあえなくてもなげくことは
 ありません。 神通力があるならともかく、
 ただの別々の人間同士ですもの、
 完全理解できないのが当然なのですから。
 人間はみな孤独なのがあたりまえですが、
 その中でもとくにひどく孤独で、
 いつも一人ぼっちで寂しい人がいます。
 そういう人はかならず他人がいやがって、
 寄ってもこない条件をいくつか持っています。
 冷たい人、傲慢な人、無礼な人、陰気な人、
 自分本位でわがまま、無責任な人、
 他人の気持ちなど全然考えない人、
 口から出るのはいやらしいことばかり、
 蛇やガマ蛙のような、
 つまり耳ざわりなことばかりいう人、
 他人の悪口、愚痴、不満、泣き言、
 眉間にしわを寄せ、口は不満気にとんがって、
 目尻は垂れ下がっているか、つり上がって三白眼
 以上の条件をいくつか常に持っている人は、
 かならず孤独な人です。
 でもそれは自業自得なのです。
 しかたがありません。
 人々はだれもが、いやなことを見たり聞いたり
 したいために、わざわざそんな人のところへ
 行きたいなどとは思いませんから。
 こういうのは悪い孤独です。
 孤独にも良いのと悪いのとがあるのです。
 どうせ孤独であるならば、良いほう、
 良い意味の孤独になりたいものですね。
 人間はほんとうに孤独なものです。
 自分のよき理解者は自分だけなのです。
 でも、がっかりしないでください。
 孤独なのはあなた一人ではないのです。
 みなそれぞれ誰もがそうなのです。
 孤独だけれど強く生きているのです。
 他の人にできるものですもの、
 同じ人間のあなたにもできてあたりまえです。
 かならずできます。強く生きられます。
 孤独とは、ただ悲しいだけ寂しいだけと、
 先入観で思い込んでいたのではありませんか?
 いいえ、孤独にもいいところはたくさんあるの
 です。 気楽で、のんびりできて、
 自由に行動できる大らかさです。
 そうです。自由。これほど素晴らしいものは、
 この世にはないのです。

《孤独》はネガティヴなイメージが伴いがちです。
わたしはそうおもっていました。
でも《孤独》の意味はそうではないのだと、
ヨーガスートラの解説でどっさり書かれていたw
束縛や精神的服従の反対を示すため、
解脱を意味しています。
そこに書かれていたのは《卓越した孤独》
これには孤独のイメージをひっくり返されました!
卓越ですよ?! 卓越ッッ 笑笑
《孤独》にはまだまだ先があったんです☆
孤独が突然豊かなものになるだなんてねーーー

無知がなくなることで、見る者と見られるものとの
混同は止む。 この状態は独存。
見られるものからの独立と呼ばれる―

行き着く先はZONE☆

って、ゾーンの話がしたいんじゃありません(爆)
ダンスでゾーンに入るのは大事ですけどね☆
ここで問題にしたいのはその前の段階です!
一人で勝手にゾーンに入ってもどうしようもないw
相手がいる場合は絶対です。
自分勝手な話を続けるようなゾーンでは
会話がなりたたないように。
問題なのはたぶん、相手の話を聞く、聞けること。
世界をひらくというのはなによりも
自分自身をひらいていることが先だとおもいます☆
たいせつにしたいのはここです!!
どっちにしてもダンスを踊るには
《自分自身》でいなければなりません。
借り物の自分ではおそらく違和感でます。
そういうわけで自己を踊らざるを得ません。
そういった状況だからこそ、相手や空間に対して

“自らをひらいている”

これが相手に「見えている」ことが必要なのでは
ないかとおもうのです。
わたしたちは自分本位の人を見分けます。
自分勝手な人だと感じたらたぶん話は続きません。
わざわざそんな人の話を聞きたくないからです。
これはダンスも同じ。

いつもすべてに対して “ひらいて” いながらも
自分自身は自分自身でつみあげる、
そんな努力が必要ではないかとおもっています



2016年09月16日(金) 人間ダンス論

つづきますw

 『人生ノート』  美輪明宏

今日は著しく引用長いです(爆)
いろいろ考えましたが、避けられませんでした!
なぜなら、、、わたしが常日頃 見ている、、
見つけてしまうオーラ的なあれだからです―

 《人間保護色論》

 これはいちばん言いたいことの1つですけれども
 トカゲやヒラメとか、そういうものだけが保護色
 の動物だと思われてるでしょう?
 それはまちがいです。
 なぜなら、人間もまた保護色の動物なんです。
 それにはみんな気がついてないみたいですね。
 でも、なんとなくそんな感じの人っているじゃ
 ありませんか。
 カメレオンやヒラメは住んでる場所によって
 色を変えるでしょう?
 そういう保護色の動物ってたくさんいますよ。
 昆虫や海の中の動物にいっぱいいます。
  人間もそうなんです
 たとえばお屋敷町に住んでる親子が買物に来てる
 とするでしょう?
 なんとなく品がいいなあという感じがするじゃ
 ないですか。
 それはその人の住んでる家のインテリアとか、
 身のまわりに置いて、しょっちゅう使っている
 小物とか読んでる本とか、しゃべってる話の内容
 とか聴いてる音楽、それが全部そのまま出ている
 んです。
 それがそのまま見えない膜になって、その人を
 包んでいる。
 見えない十二単(ひとえ)のように包んで、
 その人を囲んでいるんです。
 わかりやすくいうと、最近はボーダーレスの時代
 で、水商売も素人も区別がつかなくなってるけれ
 ども、でも水商売の女の人がノーメイクで、セー
 ターでサンダルばきでスーパーに買物に来てても
 なんとなく「あの人、水っぽいな」となるでしょ
 う。 それはなぜかというと、その人がそういう
 場所にずーっといるから。 後ろにボトルが並ん
 でいて、「いらっしゃいませ」といって、演歌が
 かかっていて、いろんなウソをついたりつかれた
 りする。 そういうところにいて、毎日色恋の話
 をしたりお世辞を言ったり、酒を飲んだり飲ませ
 たりしているわけです。
 それが全部その人を包んでいるわけ。
 ヤクザ屋さんがパンチパーマじゃなくて、背広に
 ネクタイで普通の格好をしてい歩いてても、なん
 となく「この人、そのスジの人じゃないかな」と
 いう感じがするのはそういうことなのです。
 歌い手でも、オペラ歌手と演歌歌手とシャンソン
 歌手、ジャズ歌手、ロック歌手とか、歌手はたく
 さんいます。
 歌い手だから変わらないと思うでしょう?
 でも、みんなに同じ背広を着せて、ずらっと
 並ばせてごらんなさい?
 まったく違いますから。
 たとえば演歌歌手が、アルマーニやヴァレンチノ
 を着て舞台に出てきても、その人をとり巻く5m
 四方がド演歌という雰囲気ですよ。
 それは歌っている歌とか、日常の会話とか発想
 とか、読んでる本とか住んでる場所とか、
 そういうものが全部ひとくくりになって出てくる
 わけなのです。
 だから、値段の安い高いじゃなくて、品のいい
 きれいなものをまわりに置いて、いい本を読んで
 質のいい音楽を聴く。 そして美術館に行ったり
 博物館に行って、いい文化を普段から仕入れてい
 ると、その人となりがそのまま出てくるんです。

 《その人となり》ということ

 きたないオバさんでも、俳句を詠んだり書道をや
 ったりする人は、どこか居ずまいがきちっとして
 いて、何か違うんですよ。
 話をしてみると、だいたいそういう芸術的なこと
 をやってる人なんです。
 同じきたないオバさんでも、そういうことと一切
 無縁でただ人糞製造機で、ぼうっと無知性無教養
 で生きてるだけで、近所で井戸端会議でもして、
 テレビを見ながらせんべいでもかじって、それで
 一生を終わる人もいる。
 それはそれでいいんだろうけど、そういう人は
 やっぱりそのまんまですよ。
 何かあの人は雰囲気に気品があるとか、品がない
 感じね、というのは原因はそういうところから
 来ているのです。
 学校の先生が背広にネクタイで、サラリーマンも
 背広にネクタイですけど、一緒に並ぶと違います
 よ。 先生の場合には、後ろに黒板があって教員
 室があるわけだから、やっぱりそういう雰囲気が
 出てくるわけです。
 同じ銀行員でも、マホガニーの机で下が大理石で
 という本店にずーっといるのと、プレハブの支店
 にずっといるのとでは二、三年も経つと同じ新入
 社員でも風格が、人品骨柄が違ってくるんです。
 ですから、人間は保護色の動物なのです。
 それは、私がはっきり説明しないとみんなわから
 ないのです。
 「えーっ、人間がどうして保護色ですか?」と。
 「美輪さんは何かほかの人と違いますね。向こう
  から歩いてきても違うんですよね。ふわあっと
  何かドラマチックな感じがするのはなぜでしょ
  うか」と言われますけど、私はそういう本を読
 んでいるし、モーツァルトとかショパンの音楽と
 かオペラとか、そういうものでしょっちゅう身の
 回りを包んで聞いてるわけです。
 それが細胞の中にしみこんでいるわけです。
 「美輪さんと話していると、外国のオペラ歌手と
  しゃべっているような雰囲気がするんです」
 その答えは私の日常生活の方法にあるわけです。
 まわりのお友達もそういう人ばかりだったのです
 ほとんどが天才だった。
 だから、そういう話題が多い。
 そういうものがひとまとめになって、
 「その人となり」になるわけです。
 「人間保護色論」というのは、そういう結果です

これは 自分が観客としてダンスを見ているとき、
何をダンスとおもっているか、そのすべてです
その人が何を感じておどっているのか
その人のことがわかってくる何か
洋舞についてはなかなかそういったものが
ありませんが、わたしがおどっているものに
関しては 最初はここからです。
その人となり、が見えてこないものには
違和感が生じます。
やらされていたり、すること。
下手を打つとやらされてるのが丸見えです。
きちんと《ダンス》にするというのは、
いつも《最高の自分でいること》です。
したがってこれは練習しなきゃいけません。
何事もオートマティックにするまでが、
吐きそうになるくらいに、、キツイ。

なりたい自分になる

なりたい自分には簡単にはなれません
掘りたてのイモじゃないからです☆
その人の得体のしれないオーラはきっと、、

“なりたい自分” から生まれるのだとおもいます



2016年09月15日(木) 脱!掘りたてのイモ

予想通り、、のつづきですw

 『人生ノート』 美輪明宏

やっぱり一日程度じゃ完結無理ッッ(爆)
下手すると真理でガッチガチなスートラよりも
手強い☆
だって。なにしろ読みやすいからねこっちは!!
美輪明宏の気づきそして洞察は半端じゃないのだ☆
わたしにもこれまで生きてきて得たちから、
一目見てその人の表情や所作で《わかること》が
めちゃくちゃあります!
特に… むずかしい感じ、とかw

《なんとなくわかる》

これまで一生懸命ダンスを踊ってきたからかも
しれません。
人間や人生を一生懸命かんがえてきたからかも。
おおよそ美輪明宏ともなると そういのが、もう
すべて《見えて》いるんでしょうね。。
つつぬけだと思ったら本気でゾッとします、が!

実は この “つつぬけ” こそダンスそのものです

ダンスは隠すことができません。
たとえウソをついてもその人はその人です!
これがダンス最大の特徴ともいえましょう☆
◎すべてが明るみになる◎


 《言葉は文化なり》

 言葉は文化です。
 外側のファッションばかりT.P.Oでも、
 言葉だけはワンパターンじゃまったくイモです。
 衣服のT.P.Oがあるように、
 言葉にもT.P.Oがあるのです。
 それを自在に操るのが粋なのです。
 タキシードにはタキシードの言葉。
 イヴニングドレスにはイヴニングドレスの言葉が
 あるのです。
 とくに日本語は、世界の中でも複雑です。
 ということは文化度が高いということです。
 かりに「私」という自分を表す言葉だけでも、
 それはそれは驚くほど多種多様です。
 英語では「I」「my」「me」、仏語では
 「Je」「moi」「mon」「ma」「mes」
 というぐあいに、格変化だけしかありません。
 それが日本語となると、、
 「私・アタクシ・アタシ・アタイ・ウチ・俺・
  僕・自分・手前・小生・我輩」等、
 ざっと上げてもこのとおりで、この他、方言や
 昔の言葉まで入れたら、それこそびっくりする
 ほどたくさんあります。
 「朕・麿・予・わらわ・みずから・この身・
  ここもと・それがし・拙者」etc。
 粋な和服のときは歯切れのよい下町言葉で、
 御殿風な和服のときは山の手言葉で、遊び着の
 ときにはさまざまなおもしろいユーモラスな
 言葉で、仕事場ではきっちりしたオーソドックス
 な言葉で、あらたまった場所では敬語で、と
 次々と使いわけられたらそれこそ楽しいでしょう
 し、男の側からしても、一人の女に何人分かの
 女を見るような気がして飽きがこないで、
 一生べったりになるでしょう。
 「そんなのどうでもいいや、めんどくさい」
 という女性は、ただ生まれっぱなしの自分を
 受け入れてくれない男ならいらねえや、と
 ダダをこねている悪ガキと同じです。
 永久に掘りたてのイモを押し売りしている
 軽犯罪法違反者です。


掘りたてイモの押し売りキターーーーーwww
すごいこと言っちゃってますね(爆)
でも、こんなイモいっぱいいますよ(爆)
年を重ねてきて常々おもうのですが、
「めんどくさい」こそわたしたち最大の敵です。
この言葉を発してしまったらさいご、
ぜんぶそうなってしまうからです。
はっきり言ってこの世のほとんどがめんどくさい。
行き過ぎると、、サイテーですw
呼吸するのがめんどくさい。
生きるのがめんどくさい。
しかし一歩間違えば確実に辿り着いてしまう!
その前にッッ、、発想を転換しよう!!
「めんどくさい」=「たのしい」
実際、やってみるとかなり変わります。
ほんとうにたのしいからです☆
言葉を変えられるというのはやはり文化度が高いと
言えるのでしょう。
その空間にもっともふさわしい言葉をえらぶこと。
えらぶということには常に自由を感じます。
その人に対してわたしたちは知らずにえらんでいる
こと、めちゃくちゃありますw
言葉はもちろん態度や仕草、そのすべてです。
この選択、えらぶということはその人そのもの。
もっともふさわしい自分をえらぶこと。
選択はダンスです☆

◎そのすべてでその人がわかるからです◎


さて、驚くべきは言葉に焦点をあてた美輪明宏!
これはやはり日本だけでなく異国の歌を歌ってきた
からこその視点でなきゃ気づきようがない。
そこからあらためて日本語のすばらしさを見つけだ
して「それをどうして使わないのかしら?」と
投げかける。
たのしむ姿勢ともいうべきかもしれません。
わたしたちは意外にもたのしめることを自ずから
手放している可能性があります。
生きているうちから死んでちゃいけませんッッ
肉体は衰えようとも、精神は、こころは違う。
ちょっとしたことでわたしたちの毎日は
もっともっとゆたかにできる!!

◎そう。敵は、いつもの「めんどくさい」です◎



2016年09月14日(水) 「人生ノート」

もう、、何冊目かなw
美輪明宏☆

 『人生ノート』 美輪明宏

次々に課してくれるU井さんの心には確実に。
確実に刻まれているであろう “美輪明宏” w
一体何冊もってらっしゃるのだーーーーー 笑笑
あっ、たぶんこれは愚問です!愚問でした!!
全部でしょ。 絶対全部だよ きっとww
美輪さんの見識は甚だすごいものです。
これ実践できちゃったら確実に “生きやすい” 。
そうおもいます。うん、まちがいない。
でも達観しすぎると人間を超えてしまいます☆
それだけは、、注意ッッ 笑笑
ここまで読んできて一番内容が濃かったのは
『正負の法則』です。
美輪さんの考え方のほとんどはここに帰結します。
他の著書はその同じものやその延長上です。
ここまで読んできたからこそ、わかるッッ
そういうわけでさすがU井さん。
最初に課していただいたのは『正負の法則』☆
さすがですよ。うなりますよw
そして『人生ノート』へ―
さて、読み始めてすぐこれまでになかった叙述!

 《日常の呼吸法》

度肝キターーーーッッ 笑笑
まさかの《呼吸法》です!!
自分もヨガを始めてから呼吸法はずっとしてます。
深呼吸。 深呼吸です、どんなときも。
この本は1998年のものなのでヨガが流行るずっと
前なのですw
こんなところでもわかる美輪明宏のすごみ。
あらゆるすべてを試している。
そんな気がいたしました―
特に驚いたのは美輪さんのイメージ力。
たんなる呼吸法ではなくイメージがあることです!
その丁寧な説明に、、ビックリしましたッッ
だって、このイメージは自分のダンスの練習にも
ぜんぜんあてはまるのです!!

 真っ赤な太陽を思い描きます。
 ドロドロの真っ赤な太陽を。
 その太陽を足の裏かかとのほうから
 意識で吸い上げていく。
 吸いあげながら鼻から息をしていきます。
 足の裏から膝、お尻、腰、背中、首の後ろ、
 頭のてっぺんまで吸いあげていく。
 頭のてっぺんに来たときに、
 しばらくストップさせます。
 そこで太陽のエネルギーを充填させて、
 今度は口からでも鼻からでもいいから、
 息を薄く吐いていきます。
 そのときに太陽のエネルギーを、
 今度は人間の体の正面から、つまり眉から目、
 頬、口、あご、胸、おなか、そして局部、
 膝へとおろして、最後につま先からすーっと
 出していく。 そして完全に吐ききります。
 その時、太陽だけではなく、地球のエネルギー、
 空気のエネルギー、いろんな星、地球、
 太陽と月、樹木、川、海、
 そういうありとあらゆる宇宙のエネルギーを
 全部意識の中で吸いとっていくのです。
 そのメインになるのが太陽。
 それをかかとから背中を通って頭のてっぺんまで
 持っていって、それから時間をかけてつま先から
 出してやる。

もうこれヨガそして瞑想そのものじゃないのか―

 それを三分でも五分でもいいから、
 起きたときと寝る前にやる。
 それは嵐の日であろうと吹雪の日であろうと
 関係ありません。
 想念の世界だから、ほんとうの晴天の日じゃ
 なくてもいいんです。
 土砂降りの日でも、灼熱の太陽を頭に思い浮かべ
 るのです。
 それは朝日でも日中の太陽でもいい。
 夕陽だけはやめたほうがいいと思います。
 そして地球の波動も自分の体の中に入れる。
 そうすると意識が宇宙と自分がとけ合って一体に
 なるんです。
 それをやると、ぐあいの悪いこととか、
 躁うつ病なんかすぐ治ってしまいます。

 私はそれで何度か救われたことがあるのです

 エネルギーがなくなったなと思ったら、
 とにかくゆっくりやるのです。
 すこしずつ吐いて出す。
 そうすると自分の元来持っている自然のリズム、
 脈拍に戻ってきます。

はい。美輪さんヨガ要らずww
この調子じゃ、、
知る前からやってることばかりな気がします☆
「あたしそれとっくにしてたわよ」
どんなこともかるくこの台詞がきそうですww
そこでおもったのはひとつ。
たぶん、おそらく、美輪さんには
それを極めてしまうほどの、ものすごい苦労が
あったのだろう、ということです。

そうでなかったら、こんな実践はできやしません

そして 実践以前に、
自分の力で《なんとかしよう》と一生懸命に
生きておられたのだとおもうのです



2016年09月11日(日) 芸術のありか

街歩き番組をたまたま視聴してしまいましたw
そこはストラディバリの出身地。
名器 ストラディバリウス をつくった人!
現在では12億円で取り引きされるような楽器☆
12億とか、、人間何人分なんでしょうか…
そんな人が誕生した街にはヴァイオリン工房が
たくさんありました。
そのひとつの工房におじゃました番組。
ここでとんでもない一言が炸裂した―

「正確なものに芸術はない」

これは、、たいへんな台詞ですッッ
芸術性、そのありか
みんなどこにその答えをもっているんでしょうか―
答えはそれぞれの内です。
そして その内でじっくり熟慮しなければ、
決して答えられない種類!!
なにしろ “芸術” は “わけがわからないもの” だと
かんたんに言えてしまえるものだからですw
存分に感じなければ、言葉にはできやしません。
“感じる” ということが “芸術” には、
問われるものなのでしょう。
そう考えると、この芸術という言葉は、
“感動” に置き換えられる気がします☆

「完璧なものに感動はない」

自分の内ではそう言ってましたw
これもまたひとつの感じ方だとおもいます
そもそも人間そのものが不完全。圧倒的混沌です!
たすけあいもすればころしあいさえもする
ここで、ふと考えがとびました…
そんな “人間” だからこそ、
ARTが可能なのかもしれない!

創造性は完全なものからはうまれない

そんな気がしました
もし自分が完全なのだとしたら、
【試すこと】しなくていいとおもうのです。
《完全》だったら最初から《完全》なんだもんねw
完全なら、自分のこと何もかも知ってる気がする。
できることできないこと全部知ってる気がします。
そう考えたら、塵ひとつ悩むことがありません!

《自分が何者なのか知らない、わからない》

これが芸術の根源ではないでしょうか―
もしかしたら、これこそが人間最大の可能性とも
言える気がします!!
芸術の土台は、、不安や恐怖ッッ
知らないことには不安がつきまといますよね。。
だから、不安を解消するには勇気が必要です!

知らないことを確かめようとする勇気

この《勇気》が《芸術》ではないでしょうか??
勇気をもって何かに立ち向かう姿。そこに
わたしたちは《感動》を見る気がします☆

 ◎不完全だからこそ可能性がある◎

そうおもったら、ちょっとスッキリいきました!
何かを求める理由がわたしたちにはあるんです☆



2016年09月07日(水) ゴッド 林田さん

スポーツクラブにいつも。
いつもいつもいらっしゃる林田さんw
林田さんには膨大な逸話があります。
友だちになってからは、
いろんなことを話してくださいました☆
昨日のblogにも書いていますが、
このスポーツクラブで圧倒的な存在のひとり!
ここにも かみさま いるよッッ
年は80歳超えてんですからねッッ
個人的には もはや あらひとがみ です

 わたしはまず、そこまで生きられるかどうかw

今日はそんな林田さんが同世代の人たちに、
「あそびにいこう」と誘ったときのお話を
遺しておこうとおもいます。
林田さんのお友だちは口々にこう答えたそうです。

 「お前とあそんだらころされる!」

度肝抜かれました(爆)
あそんでころされるなんてかんがえたことがない!
よーく考えてみてわかる林田さんのおそろしさ…

【第一】
わたしたちが生きてるかわからないくらいの年ッッ

【第二】
どう見てもそんな年には見えないッッ

【第三】
毎日。毎日 運動されているその体力ッッ

問題なのは、想像を超えている年齢です。
わたしたちが考えられるのは所詮《現在の自分》。
80歳を超えてみなければその実態は決して。
決してわかりゃしないのだ!!!

そういうわけで。お友だちの返事は笑い話じゃ、、
ありません!! たぶんッッッ(爆)

 これは甚だものすごい台詞です
 もしかしたら圧倒的リアルかもしれない

自分も出来る限り、がんばりたいです。
その年になってそんな台詞を聞いてみたいもん☆



2016年09月06日(火) ふしぎないきもの

スポーツクラブ。
毎日 相変わらずここにいます。。
いつものように林田さんもいます。

 住んでる系です☆ 笑笑

しかし。
林田さんとわたしには明快な違いがある。
自分の場合は、、
《行かなくていいのなら行きたくない》
林田さんの場合は、、
《圧倒的な運動好き》
スポーツ全般が好きで好きでたまらないのだ―
ゴルフ撃ちっぱなし、卓球、エアロビ、筋トレ
やってないものが、ほとんど、、ないッッ
どこからどう見てもおか、、すごいんですよ!!
そんな林田さんが今日はこんなこと言ったw

「今日はほら、ソフトバンク戦(プロ野球)
 見に行って 飲んどるけん もう帰るわ〜 笑」
(※いつもの最後のシメ300mを泳いだあと)

飲んでても来てましたw
飲んでても来るんですねw
フツー来ませんよww

どんだけだよ―

いやいやいや、、ちょっと待て!!
その前に、御年80超えてるんですよ!?
それ飲酒運転レベルじゃないのか???
今日はホラ、、じゃないだろ!

むしろホラーだよ!!

いろんな問題がわたしたちにはありますねw
自分も前十字靭帯断裂しててなお、隠して
某スタジオにこっそり行ってましたしねww
人のこと言えやしません(爆)

◎方向性は違えどもやってること同じ◎

人間ってふしぎです 笑笑


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