断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2016年08月29日(月) 一族のおぞましい秘密

夏の終わり
両親と《うなぎ》を食べにいきました!
有名店 『吉塚うなぎ』。
1年に2度くらいは行ってるかもw
柳川とかまで遠出することを考えたら、
値は張りますが究極のお店です☆
今日は3階の座敷に通されました。
座敷といってもテーブルに椅子の4席。

 うなぎを待っている間
 これまで考えもしなかった、
 一族の実態が明らかになりました
 とつぜん知ってしまう衝撃の真実

テーブルについてしばらくしてわかったのですが、
わたしたちだけ周囲と世界ちがってた
父。母。そして自分も含め、

 全員が厳かに読書していたのだ!!

ここだけ、この一角だけ、圧倒的 静けさです。。
ふと本から我に返ってしまったがために、、
わかったことでした(超実話
雑談なんてまったくなし!
世間話なんていっさいしません!
ほんとうに《うなぎ》食べるだけじゃないか―

 そんな家族、他にはいないよッッ(爆)

何この読書ZONE、、おかしい。おかしいぞ
何この魔空間ッッッ 空気の流れが違いすぎるよ

 異次元だよーーーーーッッッ

い、、異常だ。。 うちは異常だーーーーーーーー
こ、これが一族のあたりまえだったか。。
今まで本に集中しすぎてて考えたことなかったよw
“ふと” がなかったら知らずに帰ってんでしょう!
気づき おそるべし… これが、、悟りかw
って、、“悟り” って こんな気分なの!?

◎つぎから本は単独行動のときだけ開こう◎



2016年08月23日(火) 才能に挑め!

テレビ番組をたまたま見ました。
たしか、南アフリカ某国の少年サッカークラブ。
そのクラブは貧困層の少年たちで構成されていた。
クラブは学校付属。 文武両道を掲げています。
監督は貧困層の子どもたちをサッカーでなんとか
したい、そんな素晴らしい大人勇者でした。

 学校の校長が国からの教育資金を持って夜逃げ

腰が、、抜けた―
日本でこんなの絶対ありえない!!!
しかし。 マジでほんとうでした…
校長は子どもたちの奨学金までも持って逃げた
チームはたいへんな崖っぷちに追いやられました。
しかし何とか。何とかギリギリで運営。。
勇者の情熱はすごかった
その監督が練習や試合で必ずかけた言葉があります
いつも円陣になってこう叫んでた

 「鍛錬!才能に挑め!!」

才能に挑め、これまで聞いたことがなかった
子どものときにこんな言葉を知っていたら…
すごい大人になれる気がしました
だって、なによりも先ず
他人よりも自分だからです
自分自身に挑むこと。
これって物凄いことですよね??
考えてみたらすごい。

 自分の才能に挑める人が
 この世にどれくらいいるんでしょうか

こんな幸せなことはないとおもったのです。
他人と競うまえに自分自身とのたたかい。
それがこの台詞の大前提!!
子どものときは
《自分の才能に挑んでいる》なんて
考えてもいないものです!
それを最初から《知っている》というのでは、
大変な違いだとおもいました

 自分なんて大人になってから知りましたw

まわりの人間に競い勝つことを目的として
しまうと確実にこの土台が抜け落ちています。

才能って一体何なのでしょうか…
たぶん、、これかな…

 才能=やめられないくらい好きなもの

そんな気がします。
なにしろやめられないくらいなので強度が違う。
それに出逢うことがいいことなのかわるいこと
なのかはわかりません。
思いの強さはことのほか残酷なのもたしかです。
でも、きっと “いいもの” なんだと信じたい!

◎好きなものがある、って可能性そのもの◎

すくなくともこれがなかったら、
この世は退屈で仕方ない気がします☆
そんな才能を信じられない子どもたちもいます
すべてを投げ出したような性格
どうやったら才能を信じられるんでしょうね。。
明るさは、自分にできることが土台なのでしょう。
嫌なこと、うまくいかないこと、全否定されるよう
な事件が重なるとわたしたちは簡単に陥ります。
それをわすれさせてくれるのは好きなこと。
時間をわすれてしまうくらいの熱中です!
明るさは素直さに。
素直さは夢に、きっと直結しています。

自分もまだまだ才能に挑まねば☆



2016年08月20日(土) オリンピック2016

テニス 日本 96年ぶりのメダル獲得―
錦織圭がッッ やってくれました!!
錦織がいなかったら300年はなかったかもしれん
というか、オリンピックですw
オリンピックって、、こんなに記憶なくなるの!?
当時の手記がなかったら完全に忘れてるよ(爆)
憶えてますか?? 憶えて、、ナイスよね??
そういうわけで。
オリンピックを一過性にしないblogですww

試合はナダルとの一騎打ち。
個人戦だから当然一騎打ちです。
試合はフルセットまでいきました。
観戦もまったく楽じゃなくなりました。
ファーストセットはナダルを圧倒。
かるく、早寝できる!
そう、、おもってました―

 あまくない
 まったくあまくない

なにしろ日本からすると地球の裏側です!
対角線的な裏側です!!

 ねむい
 フルセットとかまるでねむい

セカンドセットもナダルのサーブを早期ブレイク
するも、最後の最後で逆転を許してしまいます。
これが96年ぶりの呪いとやらでしょう。
勝ってたのに負ける怪☆
よく言いますよね?
「甲子園には魔物がいる」

その魔物の正体はおおよそ “自分” です

勝てるそのときに襲い来るプレッシャー!!
これはもう本人にしかわかりません。
こっちはただただ思ってます。
「こりゃ勝てる」

これが見てる者と当事者の違いでしょう

ダンスでも、踊っている人間の疲弊を
見てる人には測れないものです。

かるくその場に倒れて立てなくなるくらいです

もしかしたら、、そんなプレッシャーこそが
人生で究極の《生きている》かもしれません!
決して後戻りできず、避けることもできない☆
◎最高のリアル人生劇場◎
ちなみにこの種類の劇場は、
《乗り越えようと》しない人には絶対にそこに
立つことができない場所です。
臆病者には絶対に無理。

 必要なのはやっぱり勇気

失敗を怖れずに立ち向かう
どんなことも受け容れる姿勢
そして何よりも成功させる努力

錦織の試合にそんなものを感じました
“すごい” の裏にはわたしたちの想像もつかない
努力があるはずです
同じ人間。
できることをする一生懸命さ
どんなに地味でもそれは
とんでもない輝きだとおもいます☆



2016年08月19日(金) 夏の怪談

スポーツクラブ。
そこにはさまざまな健康器具がやってきます。
最新マッサージマシンや、腹筋電流とか、水。
いろんなものを体験してもらって、
あわよくば購入していただく営業なのだ!
夏も終わりに近づいていく昨今。
超すごいシャワーが来てました!!
なんでもプール後に効き目 超わかるらしい☆
しかし。。
毎日自分が出るころにはどこかの誰かが使ってたw
そういうわけで、、
これまで一度も使ったことがありません。。
いつか使ってみたい―
そう思って今日も地味にバタ足リハビリ。
ライフガードのA木くんにそんな話をしました。
A木くんは言った。
「使ってみてくださいよ!すごいですから!!」
期待は膨らみます。
そんな今日。
ついに “そのとき” がきました!!

 うおー あいてるーーー

そのエリアに誰もいない!!
いつも営業終了ギリギリまで泳いでるわたしです。
もうね、この時間にしかならないんですw
早速、、水力全開だ☆
ルンルンでしばらく使っていて気がついた。
ちょっと待て。。 “どこが凄いの!?”
これ、、いつも使ってるのと変わらなくね…
見渡すとそのエリアに貼られてた広告が、、
広告が、、ぜんぶ、なくなってるーーーーーー





 キャンペーンは 終わっていた





知らずにめっちゃ笑顔で全裸でした。。
どう見てもいつもと同じシャワーヘッド。。
ピエロだわ。めっちゃピエロだわーーー
とつぜん襲った悲劇でした
絶望的なスポットライトが当たった気分です
脳裏に浮かぶのはA木くんでした
この流れではどうやってもA木くん悪者(爆)
陥れやがったなA木ィィィィィィーーーーっっっ

(※A木くんは圧倒的無実です)

ちなみにその “物凄い” シャワーヘッドは、
女子には2つ、男子には1つあてがわれていた。
これさ、、差別でしょ?差別だよね??(爆)

 期待がそっくり憎しみに変わる

これが人間です
これが人間なのです

たまにこういう人いますよね?
「期待しなければいい」
そんなものにお金を投じますか―
期待しなくてなんで見に行ったりするんですか―
舞台は常にそんな期待に直面している場所です

本番はいつも全身がふるえます



2016年08月05日(金) NIT トレーニング終了

聖典とか聖典とか聖典の更新ばかりでしたが、、
現実はリハビリとトレーニングの毎日です―

8/4
NIT トレーナートレーニング終了。
マンツーマンでの圧倒的地味トレ。
つかえていなかった筋力とその連動性を強化。
これが、、もうほんとうに地味でww
そんなに動くトレーニングじゃなかったのに、
カラダの奥に対する意識と集中で
その時間を挑むと、、
帰宅直後の爆睡が避けられません(超実話)
トレーナー内藤くん(偉い人)は言った。

「次は公演おわったあとですかね!」

合格です☆
3ヶ月間週1の集中で今年に入ってからの違和感を
ようやく踏襲。 開脚からの体側右ストレッチに
も問題がなくなりました!!

 って、、3ヶ月かよッッ

ここまで時間がかかるとは。。
ちくしょう!!!
簡単なことなんて、、ひとつもないッッ
ですが、すべてはここからです!
公演のイメージがいくらできていても、
自身が十分に発揮できなければなんにも、、、
始められないッッ!!
みなさまに見ていただくための最初の土台です。
正直、えも言われぬ苦痛でした。。
なによりも自分のカラダのこと。
自分で行う公演です。
すべてのことを同時進行しなければなりません。
公演の内容は?
出演者は?
会場は?
公演スタッフは?
公演の告知は?
毎回思いますが、自主公演はほんとうに大変です!
大変じゃないことが何一つないッッ

 これが生きることの正体です

自身を歩む者にとっての圧倒的フツー。
自分のカラダが発揮できなかったことで、
何一つすすめられませんでした。
できあがっているのは全体像イメージのみ。

2016年 8月
ほんとうの意味での再再起はここからでした―



2016年08月03日(水) いつもたたかいです

『バガヴァッド・ギーター』
 Bhagavadgita

聖典です。 戦いに出向いたアルジュナが
これから始まろうとする “一族を滅ぼす” 戦いの
意味をとつぜん悩みだし、戦車の座席に座り込み、
弓と矢を投げ捨てて悲しみに―(略)
そんなアルジュナに懇切丁寧に戦場のド真ん中で、
真理の講義をしてくれる神さまw
読めば読むほど、こんな気がしてきました

神さまが教えてくれるなんて
こんなに楽なことはない

だって神さまですよ?? 従えばいいじゃない☆

真理を追求することって実際、
まるで楽じゃないとおもいます。
自分にとっての真理。
でもそんな真理をもっている人はとても毅然として
いて、魅力があるのだとおもうのです。
だって その真理は “どうやって生きていたいか”
そのものなんだものね!
舞台に立つ、人前に立つには
ここをまったく避けられません。
自分自身がわかっていないものを
人様に提示なんてできやしないからです。
だからこそ苦労があるのは “あたりまえ” 。
なにしろ、それを提示できたとしても
受け取ってもらえない、なんていくらでもあります
全否定だってされるかもしれません
そんな恐怖を常に背負っています
結局《勇気》しかない

「ダンスはその《心意気》よ」

そうおしえてくださった先生がいます
あぁーーーほんとそうです、そのとおりッッ
自分にとって毎回その経過がもっともたいせつです
どこをどうやってそれにたどりついたのか
それを実感すること
実感だけは他人からおしえられるわけにいきません
おしえられたところでまるで空虚です
◎出どころが別なものは自分からは出てこない◎
実感することに立ち向かう勇気
誰かにおしえてもらわずに自分で歯軋りしながら
すすもうとする勇気

響くものがあるのは自分が努力しているからです

そういうわけで、この聖典を読んでおもうのは、
“自分で考えないわけにはいかない” です。
誰かの言う通り、じゃなく
自分でかんがえて自分のものにすること。


アルジュナはたずねた。
「クリシュナよ、智慧が確立し、
 三昧に住する人の特徴はいかなるものか。
 叡知が確立した人は、どのように語り、
 どのように坐し、どのように歩むのか」

聖バガヴァットは告げた。
「アルジュナよ、意にあるすべての欲望を捨て、
 自ら自己においてのみ満足する時、
 その人は智慧が確立したと言われる。
 不幸において悩まず、幸福を切望することなく、
 愛執、恐怖、怒りを離れた人は、
 叡知が確立した聖者と言われる」


自分をつくっていくことはとてもたいへんな
ことだとおもいます

さて、本書はそんな問答をずーーーーーーっと
戦場のド真ん中で繰り広げながら、
『バガヴァッド・ギーター』は終わります(爆)
第一章から第十八章、いつ戦いが始まるのか
ドキドキしながら… 読んでたんですけど、、

始まりませんでした―  完



2016年08月02日(火) 「バガヴァッド・ギーター」

『ヨーガ・スートラ』更新の終焉から数日後。
blog手記目録を見て気絶しそうになりました―
リアル7月中に読み終えていた本。
それは、、『バガヴァッド・ギーター』(爆)
スートラで述べられた真理の膨大な知識により
当blogの2016年7月すべてを失いましたw
頭がねじりきれそうになりながら、
更新してきたのです。。
って、、また聖典かよッッッ
ここでまたインドかよッッッ
これは輪廻です。輪廻に違いない!!!

 『バガヴァッド・ギーター』
 インド古典中もっとも有名な本書は
 ヒンドゥー教が世界に誇る珠玉の聖典であり、
 古来 宗派を超えて愛誦されてきた。
 表題は「神の歌」の意。
 ひとは社会人たることを放棄することなく
 現世の義務を果たしつつも
 窮極の境地に達することが可能である、と説く。
 サンスクリット原典による読みやすい新釈に
 懇切な注と解説を加えた。

この本のうしろ半分は《訳注》と《解説》です。
半分が、ですよ?? 半分ッッ
もうね、これだけでも吐きそうになれますw
どう考えても難解としか。。
なんでそんなに訳注とか解説があるんだよ!!
やめてくれよ!!
そんな聖典。読みました 笑笑
けっこうおもしろかったです☆
まえがきから既におもしろいです。

 パーンチャーラ国王ドルパダは、
 娘のドラウパディーのために婿選式を行った。
 ドルパダは号泣を、、いや 剛弓を作らせ、
 空中に金の的を作り、その弓で的を射抜いた者に
 娘を与えると告げた。
 諸王が挑戦したが、
 誰もその弓を引くことができなかった。
 その時、バラモンに変装していたアルジュナが
 登場、弓を引き絞って的を射抜いた。
 アルジュナたちはドラウパディーを得て母の
 もとに帰り、「この施物を得ました」と告げた。
 母は見ないで、「皆で分けなさい」と命じた。
 こうして、
 ドラウパディーは5王子共通の妻となった。

現代通念からするとたいへんな神話です!!
☆THAT’S INDIA☆
もうね、最初からすごく複雑な気分になれますw

共通って、、何??(爆)

 アルジュナがシヴァを探していた時、
 巨大な猪が走って来た。
 アルジュナが猪を射ろうとすると、
 キラータ(山岳民)が現れて、
 「自分が最初に猪を見つけたから、
  これは自分の獲物である」と告げた。
 アルジュナはかまわずに射た。

えっ??
なんか、なんかさ、、
サラッと感すごいよね。。

少し…かまったほうがいいんじゃないかな(爆)

さて、バガヴァッド・ギーター(神の歌)は、
十八巻よりなる大叙事詩『マハーバーラタ』に
編入されているものらしいです。
まえがきにも叙述されたアルジュナが、同族との
戦争に赴き、戦場のド真ん中でとつぜん繊維を喪失
いいや、戦意を喪失。
戦いに出向いておきながら同族を滅ぼす戦いの
意義に疑念を抱き、、って、え??
戦場のド真ん中ですよ??
そこにクリシュナがアルジュナにヨーガの秘説を
説き、アルジュナを鼓舞。
これがバガヴァッド・ギーターです☆
戦争ド真ん中でアルジュナにガチ講義!!
いや、長いよ!講義!!
敵いるよ!!目の前なんだよ!!
☆THAT’S INDIA☆

 聖バガヴァットは告げた。
 あなたは嘆くべきでない人々について嘆く。
 しかも分別くさく語る。
 賢者は死者についても聖者についても
 嘆かぬものだ。
 私は決して存在しなかったことはない。
 あなたも、ここにいる王たちも…。
 また我々はすべて、これから先、
 存在しなくなることもない。
 主体はこの身体において、少年期、青年期、
 老年期を経る。
 そしてまた、他の身体を得る。
 賢者はここにおいて迷うことはない。
 しかしクンティーの子よ、物質との接触は、
 寒暑、苦楽をもたらし、来たりては去り、
 無常である。
 それに耐えよ、アルジュナ

この「耐えよ」というのはグッときました!
なにしろ神さまが言ってるものなので、
これはもうね、受け容れやすさがねw
ヤバイです(爆)

 それらの接触に苦しめられない人、
 苦楽を同一のものと見る賢者は、
 不死となることができる。
 身体には存在はない。
 個我には非存在はない。
 真理を見る人々は、この両者の分かれ目を見る。
 この全世界を遍く満たすものを不滅であると知れ
 この不滅のものを滅ぼすことは誰もできない。
 常住で滅びることなく、計り難い個我に属する
 身体は、有限であると言われる。
 それ故、戦え。アルジュナ
 彼が殺すと思う者、また彼が殺されると思う者、
 その両者はよく理解していない。
 彼は殺さず、殺されもしない。
 彼は決して生まれず、死ぬこともない。
 彼は生じたこともなく、また存在しなくなること
 もない。
 不生、常住、永遠であり、太古より存する。
 身体が殺されても、彼は殺されることがない。

☆THAT’S INDIA☆
毎回この一言で全部おわらせそうになりますw
がんばろう、自分ッッ 笑笑
聖バガヴァットは神さまなのでどうやら《時間》の
観点は飛び越えているらしいんです。
人間の個我が不生不滅、人の身体に宿る主体は常に
殺されることがないから、万物について嘆く必要は
ない、と説いているようです。
そういうわけで、戦え!アルジュナ!!  完

その不生不滅っていうのをわたしたちが最初から
知っていたらいいのにねw
悩みがすごく減るじゃありませんか
かといってそれで戦争しろ!ってどうなの??
解説はこんな記述でした。

 クリシュナは、行為の結果を考慮せず、
 行為そのものを目的とせよと勧めている。

「あなたの職務は行為そのものにある。
 決してその結果にはない。
 行為の結果を動機としてはいけない。
 また無為に執着してはならぬ。
 アルジュナよ、執着を捨て、
 成功と不成功を平等(同一)のものと見て、
 ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ」

ここでのヨーガは “実践” のことらしいです。
行為の結果を動機としない知性の確立。
すっごいこと言ってるのでのまれそうになりますw
でも、書いてあるのはたぶん

《行為をせよ》

ってことでしょうか。
この世では行為をしろ、ということな気がします。
なにしろ不生不滅ってことを知ってしまったら、
意味を感じようとしなくてもいいじゃありませんか
生きていること、
大事にしなくていいじゃないですか
たぶん聖バガヴァットが言いたいのって、、
そういうことじゃないか とおもうのです☆

「知性をそなえた人は、この世で、
 善業と悪業をともに捨てる。
 それ故、ヨーガを修めよ。
 ヨーガは諸行為における巧妙さである」

巧妙、、ですかw
なんか、ムズムズしてきますね(爆)
こんどヨガしてるときに心で叫んでみるか!
「これが巧妙だ!!」
待てよ? この “巧妙さ” って、、
ダンスのほうが巧妙な気がしてきました!
だってダンスって諸行為そのものじゃん??
ぜんぶだよ ぜんぶ!!


アルジュナはたずねた。
「それでは、クリシュナ。
 人間は何に命じられて悪を行うのか。
 望みもしないのに。
 まるで力ずくで駆り立てられたように」

聖バガヴァットは告げた。
「それは欲望である。それは怒りである。
 激質という要素から生じたものである。
 それは大食で非常に邪悪である。
 この世で、それが敵であると知れ」


つづく(涙



2016年08月01日(月) ほんとうは怖い話

そのとき。
自分のお腹がMax鳴り響いたのを感じました―
場所:地下鉄車内
状態:吊り革につかまっている
目の前には美人がすわってました。
なんでこういうときに美人なんでしょうか。
そのときまで気づきもしなかったんですけどw
なにしろ《すごく鳴った》気がしたもので☆

◎この “気がした” というのが今日の問題です◎

外出移動中は たいてい音楽をイヤホンで聴いて
いて、このイヤホンはノイズカット機能を装備。
これがまた高性能でw

 お腹が派手に鳴ったのも完全ノイズカット

そういうわけでお腹がどれくらい鳴ったのかまるで
まるでわかりません(爆)
しかし体感では《ド派手に鳴った》と思われる!
このとき自身に奇妙なことがおきました。
なにしろ自分ではどれくらいも鳴っていませんw

 心はすっごく穏やか(爆)

どんだけ穏やかなのって自分を疑ったほどです!
聞こえない、、って超ものすごい効果ッッ!?
これは大きな気づきでした。

 聞こえていない、と思えば恥ずかしさは《ない》

まったく恥ずかしさがない人たちって、、
もしかしたらこういう感覚かもしれません!!!
なにしろ、心はこんなに穏やかです☆(ヲイ

知らんかったーーーーーーーーーッッッ

さて、おそらく真実は車両内に鳴り響いたグー。
隣人に突然襲った笑劇です。
にもかかわらず本人は完全無欠の悟りの境地 笑笑
世界と共有しなければ、なかったのと同じ☆
実情はそんな明鏡止水とは裏腹の世界w(腹だけに

◎知らないってしあわせは確実にある◎


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