| 2015年12月26日(土) |
2015年 最後の戦い |
年末になってもやることは同じw リハビリ筋トレ! 圧倒的退屈ッッ
NFL アメリカンフットボール中継 観戦中。 プレイオフ進出のかかったゲーム。 円陣の中、ヘッドコーチが選手に叫びました―
「俺達は みんな人間だが、やればできる!」
その言葉に度肝を抜かれました だってこれ、人間=ダメ 前提じゃないかッッ アメフトの選手、それもNFL選手なんてもうね、、
どこからどう見ても特別な人間です
タックルひとつで一般人 死ぬとおもいます(爆)
鍛え抜かれた筋肉フィジカル2mとかですよ?? 絶対、死ぬ。 そんな選手に向かっての台詞とは思えませんでした その一声でフィールドに戻ったチームは、 劇的な逆転勝利を成し遂げてしまいます!!!
わたしは おそろしく勇気が湧きました これは真実だと直感したのです
完璧な人間がいないのなら、 どこかでわたしたちは怠惰な性質を帯びています そう、だからこそ!
それを《知っている》からこそできる
たとえ年末でも一気にやりました 毎日したくもない面白くもなんともないこと トレーニング!! 疲れ果てて帰りの電車。 脇目もふらず空いてた座席に座ります 笑笑 そして本をとりだs… 目の前に座っている女の子は生足です! しかもピンヒールのおかげで太ももの奥まで 見えるほどの角度ッッ どうりでこの席だけ空いてたわけだよッッ
◎目の前に突如出現した《圧倒的迷惑》◎
2015年、簡単に締めくくれそうにない そう思った瞬間でした 自分が手にしている本は― k野さんに課されたインドの聖典!!
『現代人のためのヨーガ・スートラ』
たいへんな真理の書かれた古代聖典です(爆) 入院中に課された代物でしたが、とても入院中には 読む気力の出なかった逸品です☆
いや、、これ、ほんとうに真理の連続すぎて ヤヴァイからね―
課されたからには読破せねばなりません。 もし読めなかったりしちゃえば地獄確定です! すこしずつではありましたが前進あるのみでしたw そんな本を手に。
眼前にはきわどすぎる生足 手元にはインド古代聖典 そして自分自身
こころの中でおぞましい葛藤が巻き起こりましたw 何この三すくみッッ 前代未聞じゃん☆
本に目を向けても文章がぜんぜん入ってきません! ほっとけば確実に生理現象には勝てない― そう思ったとき、あの言葉が燦然と輝いてたんです
「俺達は みんな人間だが、やればできる!」
こうして2015年 最後の戦いは幕を閉じました☆ 締めくくるなんて簡単なことだったのだ!! 笑笑
だってすべては自分で選び取るものだからですw そう、すべては《Choice》!! ってかこれ… 自分の復帰公演2013年タイトルそのままです! とんでもないものを踊ってるんですよw 過去の自分は偉大でしたッッ
苦しい1年でしたが、自分に負けることはなかった ◎これだけが わたしの2015年の誇りです◎
| 2015年12月14日(月) |
紐なしバンジーな未来 |
ズギャーン タイスケは下校中の小学生一行に出くわした! こどもたちの会話がきこえてくる。
「わぁ〜女子に暴力ふりよる〜いかんっちゃが〜」
「ちがうよ?この人 女子じゃなくて黒鬼よ?」
日本の未来が著しく心配になりましたw
そしてしばらくしておもったのです。
そういえば《白鬼》とは聞いたことがない
「やーい 白鬼、白鬼〜」 ない。 ないねw
黒鬼がいるのなら白鬼がいてもいいじゃない!! 黒が揶揄されやすいのは一体どういうわけだ― だが、白鬼というのはほとんど稀少である。 白すぎるって実際になかなかいないし、 それに 人間は黒になるほうが簡単なのだw
日中お外であそべばいいだけだものね
だけど黒。 黒ってどうして悪いほうの印象が生まれるんだろう これは謎です。 色としての黒になんにも罪はありません!! わたしたちの心にどんな力がはたらいてるんだ―
邪悪。 邪がつくってやっぱり《暗い》イメージ。 暗くてドロドロしてて陰鬱〜な印象。 影がついてるあの感じ… 対して神聖。 穢れなく尊いこと。 今にも消え入りそうなあの感じは― 白とか透明!
むむむ これはダンスにも大いにつながります! 本番会場の質というものだったりもするのです。 ダンスは踊る場所にもひどく影響を受けます。 舞台であればほぼほぼ同じ印象になりますが、 いろんな場所で踊ってみるとそうはいきません。
場所が、ステージがダンスをそだてるのです
もし暗い印象であればそれを打ち払うダンスにして いかなければなりません。 照明や演出にもたすけてもらって! そういうわけで、舞台というのはいつでも 直前まで試行錯誤がつづくものです。 まったく簡単じゃない件w
なぜならダンスは見てくれる人みんなのイメージに 訴えかけなければ《ただの動き》なだけです!
すごい動きとか面白い動きがしたいんじゃないんだ
いろいろ考えが飛びましたが、 小学生一行はまだまだイジメなんていうのには 程遠い下校でしたw 未遂です未遂。笑笑 みんなが笑って帰っているのなら、 そんな揶揄もただの揶揄! ああ、なんて繊細な世界なんでしょうかww 一歩間違えればアビスゲートですw
日本の未来は安泰ッッ(爆)
| 2015年12月11日(金) |
「お祖母ちゃんのプリン」 |
第1話、その驚異的な推理演出にドン引きして しまいました― 幻想的すぎだろッッ 笑笑
『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』
北海道 旭川に暮らす平凡な高校生 館脇正太郎には一風変わった知り合いがいる。 九条櫻子さんだ! 古い屋敷に婆やと暮らし、一見 非の打ち所の ないお嬢様に見える櫻子さんだが、 その実体は… 三度の飯より《骨》が好き! 趣味が高じて標本士になってしまったという 残念美人である。 そんな残念美人があらゆる難事件を推理解決。 そういった主旨であった―
◎しかし第9話はおそろしく秀逸でした◎ せっかくですのでいきます(爆) わたし自身のダンスに通じる、まさに そのものだと言い切れるものだったんです
事故死で亡くなった祖母の月命日に御供物をする 百合子に連れられ祖母の家に向かう櫻子と正太郎。 その過去、百合子の祖母は百合子に言いました。 「ゆりちゃんがお嫁に行くときは―」 その絵が一体どれなのか、祖母亡きいま 櫻子に推理してもらおうとした百合子。 百合子が祖母に書いた過去の手紙から それを読み解こうとする櫻子。 その最後に櫻子はこう言った。
「百合子、私は君を欺きたくない。 だからはっきり言おう。 私にその絵は見つけられない。 君が祖母へ送った手紙の中にクリスマスプレ ゼントの感謝と喜びを綴ったものがあった。 祖母からの贈り物、それは着せ替え人形だ」
「それは、中学1年のときの―」
「だが正直に答えてくれ。 君は人形をもらって本当にうれしかったのか? 真実、君がほしい物だったのか?」
「それは おばあちゃんのくれたものだから、、」
「つまり祖母からの贈り物でなければ 嬉しくなかった、ということだな? 当然だ。 いまどき中学生に着せ替え人形もないだろう。 だが手紙には不満らしい事は 微塵も書いていなかった。 あるのは喜びと感謝の言葉だけ。 わかっていたんだよ、君は。 自分の喜ぶ姿が祖母にとってのしあわせであり、 また祖母の喜びが自分の喜びであること。 それは、共に互いを思い 時を重ねた者にしか わからない優しい感情だ。 そういうものを世間では愛情と呼ぶのだろう? だから私にはできない。 これは君と君の祖母の秘密の約束だ。 この謎は君にしか解けないし、 君にならそれができると私は信じている」
正太郎「櫻子さんにも解けない謎 あるんですね」
「愛情などというものは実に非合理的だからな。 私に言わせればくだらない感傷だ」
「くだらないから価値がある、 っていうこともあるじゃないですか」
この会話には気付かされました こういった気持ちのすれ違い。 実のところ罪悪感とも言えるような気持ち。 でも、その罪悪感と呼べるものが《愛情》と 呼べるものだとは考えたことがなかったのです そのときのちょっとした罪悪感はもしかしたら そのまま愛情と呼ぶことができるかもしれない、 そう思いました
小さな罪悪感と愛情が、 まさか同じものだなんて 思いもよらなかったのです
これはものすごい発見でしたw なぜなら、これは 第三者を通してでしか 知ることができないからです!!
後半、正太郎少年の祖母の話へ進みます。 祖母のお墓にプリンを供えた少年。
「プリンは僕の大好物で、祖母はどちらかというと 和食派でした。 母方の祖父はホテルのシェフを していたので僕が行くと、おやつによくプリンを つくってくれたんです。 だけどそのときも僕が 食べているのを隣でニコニコ見ているだけで…」
「では、君の祖母は さほどプリンが好きでは なかった、ということだな」
「だと思いますw でも癌が見つかり入院して、 骨まで転移した末期だと診断されたとき お見舞いに行く、って言うとなぜか必ずここの プリンをリクエストされたんです。 食べるといってももうほとんど食べられなくて… それでもプリンを2つ買って、病室で一緒に 食べるのが僕とおばあちゃんのお決まりでした― 今思えば不思議なんです。 どうして急に好みが変わったのか。。 それに他の店のプリンは嫌だ、って言うんですよ。 ここのでなければ、って」
櫻子「病気で味覚が変わるのはよくある話だがね」
◎櫻子の婆やがその答えを照らした◎
婆や「いいえ、お祖母様がこちらのプリンを ご所望になったのには深い理由がお有りに なったのだと思いますよ?」
「理由ですか!?」
「はい。 その疑問に婆やはお答えできると思います。 それではいくつかお伺いさせてください。 お祖母様はいつお亡くなりに?」
「僕が小学4年のときです」
「入院先の病院は?」
「旭川医大です。 いちばん家に近くて通いやすかったので」
「では、坊ちゃんは南方の御自宅から病院までは いつも自転車で? そのまま向かえばおよそ10分か15分といった ところでしょうか? お出かけになる前に病院に連絡は?」
「必ずしました! そうしてほしい、っておばあちゃんが。 検査とかで病室にいないと気の毒だから、って」
「つまり、お見舞いの日時はまちまちで 決まってなかったということですね? おそらく。それが理由だと思われます」
櫻子「まだわからないのか? 婆やが言ってるのは時間のことだ。 10分や15分では間に合わなかったんだよ」
婆や「ご明察です、お嬢さま」
少年「話が見えないんですけど、、」
櫻子「君は本当に愚かだな。 君の祖母は癌で入院していたのだろう? それもかなり進行していた。 骨にまで転移するというのが どういうことかわかるか? 骨の内側から破壊されるということだ。。 その痛みは耐えがたいものだよ」
婆や「深刻なご病状に反し、坊ちゃんがお話になる お祖母様のご様子はとっても穏やかなものに 感じました。 ですからわかったのです。 お祖母様は坊ちゃんがいらっしゃる前に 必ず痛み止めを打っていたのだと」
櫻子「だが薬が効くのには時間がかかる。 だから君にプリンを買わせ、 わざと病院まで遠回りするようにしたんだ。 しかもたくさんの種類からたった二つを 選ぶとなれば君のことだ、 毎回あれこれと迷っただろう?」
少年「じゃあ、、おばあちゃんは 時間稼ぎのためにプリンを、、」
婆や「はい。 お祖母様はご自分が苦しむ姿を なんとしても坊ちゃんに お見せしたくなかったのです」
「そんな、、ただでさえつらいのに、 僕が無理をさせていたなんて、、」
「坊ちゃんのお見舞いが、お祖母様にとっては 何よりの薬だったのですよ?」
「でも、、僕がしたことなんて 一緒にプリンを食べて話を、、 今日なにがあったかとか昨日見たテレビの話とか そんな当たり前のくだらない話をするだけで―」
櫻子「くだらないから価値があるのだろう?」
婆や「わたくしにはお祖母様のお気持ちがわかる ような気がします。 死に際してあの世に持っていけるものは お金や物ではありません。 誰かを大切に思い、思われた記憶。 それ以上に価値あるものがあるでしょうか? 共に過ごした数々の時間。 そんな当たり前のことが この歳になりますとね、 ありがたく思えるのですよ? 最後にもうひとつ。 お祖母様がプリンを選ばれた理由ですが、 それは、お祖母様は坊ちゃんの その笑顔をご覧になりたかったんですよ」
折しもわたしはちょうど祖母を亡くしたとき。 あらためて自分の後悔の在処を直視しました
くだらない毎日が どれだけのしあわせを秘めているか
他人事ならそれを認められるのに、 自分の事となると途端に認められなくなります これは、やはりわたしが《欲張り》だからだと 直感したのです 自分のことになると心の働きが違う現実。 自分が《できた》ことを疑うからです もっとできた あのときできたのにしなかった 日常こそが大事なのだとわたしたちはいつ気付くの でしょうか 想像ではなく現実に感じられるとき それはやはり命をおもうときだとおもうのです 目の前の人がいなくなってしまう その喪失感がもっともおしえてくれるもの かなしみを知っているぶんだけ毎日を毎日に できなくなります 一日一日を精一杯に生きられるからです 生きようと努力できるのです ほんとうはそれだけでいいのではないでしょうか 人間ってとっても欲張りなのだとおもいます 欲張りだからこそ見えなくなるのです
無欲になると途端に解決できてしまうことが ほとんどではないでしょうか
わたしたちは無意識に周りを窺います。 自分がどうおもわれているのか不安だからです 今こそ それを取り払って、 自分の素直な気持ちをおそれずにぶつけたい そんなダンスがおどりたい そうおもったのです
| 2015年12月06日(日) |
「Yoshikuni Ichinomiya 展」 |
そのときは 突然おとずれた―
「もしかして… タイスケさん!?」
この日、わたしは画家の瞳さんと某ギャラリーに お邪魔したのです! それも、おもいきりの成り行きです!!
『Yoshikuni Ichinomiya Solo Exhibition』 11/9 〜 12/6
折しも展示会最終日ッッ その作品は《Stripe》シリーズと呼ばれてました! 線と面、色と色の境界が描かれた、 ストライプの世界☆ それは初めての世界じゃなかった…
見覚えが、、、あるッッ
そう… こないだおもいきり瞳さんの作品と 同じ展示会で見ていたのです!!(爆)
これから先は、そのときの印象を避けるわけには いかないので勇気をもっていきます!
先日は瞳さんをはじめ、 ほかの画家たちとの共同展示会。 《Stripe》作品の様相は他作品とは明らかに 一線を画しておりました。 そのうえ《Stripe》の作品は特に薄暗い壁に掲げ られており、どうにも難しい感じだったのです! そして なんだかその一角だけ妙な風の音まで していた!(超実話
夏は終わってたけど、なんか怖かったんです―
そういうわけで あのときはかなり。 かなりむずかしかったッッ
実は、その作品。わたしが初めてバレエの舞台に 立ったとき、ヒロインの女の子のお父さんの作品 だったのです!!! 最初のおどろきの声は その子のお母さんッッ
当時のわたしはバレエの舞台で踊ったこと… ありませんでした 踊ったこと、、なかったのに主役でした(爆)
先生の娘には 「誰の為のミューズだよッッ」とも言われたほどw 今思い出しても鼻血でるくらいの配役ですッッ 正直言ってなぜあのときあの舞台に立っていたのか MY人生、七不思議のひとつですw とにかくみんなの足を引っ張らぬよう、 全力で練習した。スタジオ合宿にも参加してw 演目は『ジゼル』 心臓が弱いものの踊りの大好きな村娘ジゼルに アルブレヒトは貴族という身分を隠して近づく。 ふたりは想いを通わせるが ジゼルに恋するヒラリオンにより身分が暴かれて しまいます。 夢を砕かれ錯乱状態となり息絶えるジゼル。 結婚を前に亡くなった処女の精霊ウィリが集まる 森の沼のほとり。 精霊の女王ミルタにより仲間に迎え入れられた ジゼル。 ジゼルの墓に許しを請いにやってきたヒラリオンは 鬼火に追い立てられます。 ウィリたちは森に迷いこんできた人間や裏切った男 を死ぬまで踊らせる精霊。 ウィリたちがヒラリオンと遊んでいる間、ジゼルを 失った悔恨にくれるアルブレヒトは見事彼女のお墓 にたどり着きます。 漁夫の利です! 亡霊となったジゼルと再会するアルブレヒト。 しかしミルタに捕獲されてしまうアルブレヒト! 力尽き 死に至るまで踊らせるミルタ!! ジゼルはミルタにアルブレヒトの命乞いをします― 心優しいジゼルは命を賭して踊ります。 いや、もう死んでます 死んでました!! 死んでるのにッッ
つまりわたしは最低の男の権化のような役回り!! そしてそんな最低の男の命乞いをしてくれた女の子 のリアルお父さんとお母さん!!!
なんだかわかりませんが 心の中で叫ぶほど謝っていた気がします
「貴族ですみませんでしたッッッ」
そんなわたしの心境とは裏腹に、 たいへん明るく迎えられた展示会w こんな気持ちは人生はじめてですッッ☆
そして… 以前見た感じとはまったく異なる印象が訪れます! まず、以前とは違って明るい会場!! そしてひとつではない《Stripe》の作品群ッッ まったく空間が違いました!!! おそらく先日は、他作品との次元の違いに 違和感を感じていたのだとおもいます― なにしろその直線は圧倒的に “直線” でどう見ても 機械的な印象を受けてしまうのです! あらためてその作品を見てみると、、 均質に塗られた色面と定規で引いたようなシャープ な線の組み合わせは、一見 幾何学的でありながら 豊かな情感と繊細なニュアンスをたたえています! 解説を聞いて唸ったのは、、 システマティックかつ精密に描かれた線は、定規や マスキングテープも使わず、フリーハンドで塗られ た圧倒的手仕事ッッ!!! マジかーーーー これは、これは聞かないとわからないよ 絶対。 ここで感じたのは “正確無比すぎる” ですw だって何度も繰り返し色を重ねての作品ですよ?? 薄く溶いた絵具を綿布の上から刷毛で染み込ませて 一つの色が沸き立つまで何度も繰り返し重ねていく 地味な作業…って、えええぇぇええぇえッッ!?
気の遠くなるような何かを感じました そう、これが “芸術” です 負けられない。 そうおもったのです
某サイトに仕事コメントの記載を見つけました!
「根底には、 “色で人間はうそをつけない” という 漠然とした確信があるからなのかもしれません」
唸りました!! わたしも “ダンスで人はウソをつけない” と感じて います。 きっと、真剣にしていることは すべてにつうじています。 どんなことにも真実があらわれてしまうのだと おもうのです。
そしてもう一つわかったこと。 それは、芸術は見方・その空間によって こんなにも感じ方がちがってくるのか、 という現実です。 ◎やはりこればかりは一事が万事と言えそうです◎
おばあちゃんが12/3、亡くなりました いつもわたしのことを心配していた祖母。 最後まで心配させていたかもしれません 父、母、そして わたしは12/4のお通夜から 会場に泊まりがけで祖母の遺体のそばにいました
あわてて身支度をしたために靴下が色物だったの も忘れていたくらいです
その夜はたいへんな静けさでした
寝静まった頃、実は何度も祖母の顔を見ました ばあちゃんは方言がすごくて たぶん、全部聞き取れたことはほぼなかったw でも とにかくやさしかったのです それも、果てしなくやさしかった もうそんな言葉をかけてくれないのだと知ると いつも いつでも 涙がとまらなくなりました
わたしはおばあちゃんにダンスを一度も 見てもらったことがありません
復帰公演をしたときには、 祖母の身体はもうおおおよそ悪かった 何度も何度も入院していました 困難はいつだってどんなときもあります 導き出せるのはただひとつです
やってない
やろうと思えばどこでも踊れたはずです でもいろんな困難のために踊らなかった お客さんが、とか、公演で、とかでなければ 本気で踊れない なんてことはありません ただただ “やってない” 見てもらうチャンスなんていつでも “つくれた” 困難をつくっていたのは自分自身です そうおもったら、、、自分の未熟さに 情けなくてたまらなくなりました
ダンスはいつだって全力で踊れるもののはずです
“しなければならない” ことじゃないからです
わたしが前十字靭帯断裂から再建手術、 そしてリハビリ中の今、最も学んだことは、
どんなことも、どれだけでも 《大切にできる》ということです
たいせつにできるというのは際限がないのです それは、わたしたちのこころ次第だからです!! 時間をつかうのも、人と会うのも、 そこにどれだけ意識を傾けられるか。 意識を傾け “よう” とすればいくらでもできる!! これがこの一年でいちばん悟ったことでした
わかったところでつかえなければ宝の持ち腐れ
この日 それを痛感したのです
葬儀会場のすぐ近くには遊園地があり、点滅しな がら回る観覧車をしばらく呆然と眺めました わたしたちは確実にしにます
そのときまで、できることを精一杯やりたい
骨になった祖母に誓ったのです
| 2015年12月01日(火) |
毎日のスタートライン |
いよいよ12月。 大晦日は近い!! そんな12月の1日。 人生で一度も聞いたことのない問いがキタ!
「なんでそんな毎日頑張れるんですか!?」
度肝が抜けました!! だってマンガでしか見たことない台詞ですww そんな台詞が自分に向かって飛んでくるなんて、 人生レベルで考えたことがなかったのだw
一瞬、気を失った気がします(爆)
わたしのまわりには《頑張ってない人がいない》 からです!!!
“頑張る” って “フツー” じゃないの??
ダンスを踊り始めて、ほんとうに。 ほんとうに “頑張ってる人” しかいない!! すくなくとも頑張ってない “友だち” はいません! わたしはそんな “フツー” を超えてる人たちも 眼前で見てきました。 【実力の違いが根こそぎ明らかになる現実】 そんな人たちの “フツー” は、はっきり言って “頑張る” なんてのをかるく超えています。 わたしの踊るダンスは失敗も成功に変えられる 可能性を秘めていますが、失敗できない種類の ダンスになるとその考えはまるでつうじません。
毎日、絶対に失敗しない練習をしているのです
どんなに体調がわるくとも失敗しない修正力。 これは競技にしても、ダンスでも、仕事でも、 あらゆるプロフェッショナルに通じる力では ないでしょうか?
“状況に左右されない自分自身の力” を積み上げる そのやり方を自らが知っているのです
これは物凄い技術といえます。 なにしろ知らないうちに知っているんですからね。 おそらく “毎日” を続ける人だけのリアルです。 わたしは頭で理解しないと続かないタイプですから ここまでくるのにどんだけ時間かかったか― しかし知っているというのはいいことです!
やみくもに練習するのではなく、 目的のための取捨選択ができる
わたしが突き抜けた人を見てそう感じたように わたし自身の毎日がそう見えたというのは、 その差はあれど、自分を見失わない糧になります あらためて最初の問いをかんがえました。 どうして今こんな毎日になってんのか― 実のところいつだってこれが原点。 朝、目が覚めてその最初。
おどりたいダンスがあるッッ
もどりたい場所があるッッ
これを抜きにしたらいつでも毎日は崩れます 今の自分はこれで出来てるのでしょう
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