100分でde名著 『孫子』 リーダー必読書
紀元前500年のものです(汗) そんな時代のものが今でも俄然読まれてるって何だ―
国民全体を巻き込む激しい戦争を目の当たりにした孫武。 孫武はひとつの信念をもつようになります。
戦争は個人の勇気や腕力で勝つものではない 組織の力と計算に基づいた知恵で勝つものだ
これを人生に応用できないか いや、人生でなくてもいい 自分に打ち克つことにつなげたい
兵とは国の大事なり 死生の地 存亡の道 察せざるべからざるなり
戦争とは国家の一大事。 人の生き死にを決める分岐点であり、 国家の存亡を左右する道ですから、 これを深く洞察しないわけにはいかない。 漫然とかまえていては国は亡びる― 《負けない》兵法
勝兵は先ず勝ちてしかる後に戦いを求め、 敗兵は先ず戦いてしかる後に勝ちと求む。
なんの計画もなく動いても敗けるだけ。 勝てないときは戦争をしない。 (※死んでしまったら終わりだから) 精神論で戦争は絶対にしてはならない。
百戦百勝は善の善なる者にあらざるなり 戦わず人の兵を屈するは、善の善なる者なり
◎主観・怒り・恨み で戦争を初めてはいけない◎
【リーダー論】 春秋戦国時代に呉起という将軍がいました。 彼は傷を受けて腫れ物を病んだ兵士がいると、 膿を口で吸ってやったというんですよ。 これ、非常に “愛” を感じますね。 すると、その兵士のお母さんが泣いたというんですよ。 なぜ泣いたとおもいますか?? これは、決して愛に感動したからじゃないんですね。 つまり、その兵士は将軍からそんなことをしてもらった、 ということに対して後日 必死の覚悟で奮闘します。 そのことを予見したお母さんが、 「ああ、この子はもう死んでしまう」と思って泣いたという…
道徳論じゃないですよね テクニック論ですよね―
リーダーには冷徹な眼が必要で、 自ら膿を吸い出してやるという行為がみんなにどう見えるか、 相手にどう伝わるか、ということをCOOLに判断しているんですね
〜これはダンスにも存在するテクニックです〜 この体勢でこの角度とか、そういうもので見る人の心が動く。 ほんとうにそう自分が思っていなくても “そう見える” ダンスにはそんな高等技術があります。 だから ほんとうに技術がある人は、たぶん心は偽れる! かんがえたくないですけどねw
進んで名を求めず
将軍というのは中間管理職。 哀愁ただよう存在なんですね。 なぜかというと仮に成功してもそれはすべて君主のもの。 失敗したら自分がすべての責任を負う。 そういう悲哀に満ちた存在なんですよ。
【勝つための知略】 兵とは詭道なり (詭道:いつわり。人をだますこと)
この詭道こそが実は勝敗を決める、と。 勝ち続けるには馬鹿正直ではダメなんです!! 知恵が勝敗を決める 勝つための知恵
彼を知り己を知れば百戦をして殆からず
つまり情報収集と自己分析、両方があればピンチはおとずれない 先に戦場に入って余裕をもって敵を待つ者は楽だよ、 しかし逆に遅れて戦場に到達し、 慌てて戦争に突入するような軍隊、これは疲れてしまう。 いくさ上手な者というのは相手を支配するのであって、 相手にコントロールされるようなことはない。
どんなことも己を知ることがきっと大事なのでしょう そして、戦いに向かう準備です
全員が同じ情報を共有する必要はない。 もし士卒に同じ情報を提供してしまったら、 ある人は怯えて逃げてしまうかもしれない。 あるいは、その情報を持って敵に内通する人が出てくるかも。 ◎情報はそれぞれの立場に応じて持っていればよい◎ 道徳論ではないんですよ。 人間の本性が善か悪かという話をしてるんではなくて、 “人間というのは利害で動く” ということを冷徹に観察してるんですね。 これにも、その相手にとって何が利なのか ということを きちんと押さえておかなければダメです
孫子は負けたときどうしたらよいか書いてない。 千年のあとに孫子エッセンスをまとめた書にこうあります。 “三十六計 逃げるが勝ち” 三十五計で勝てなかったら逃げて勝てるチャンスを待つ
【勢いをつくりだせ】 善く戦うものは之を勢に求めて人に責めず
いくさ上手は集団のエネルギーを大切にし、 個人の奮闘には期待しない、というのです では、集団のエネルギーを保つにはどうすればよいのか? 野営にはジメジメした土地を避けよ。 土地が高く陽が当たる場所に陣を張れ。 丘陵や高台が右後方にくるように布陣せよ。 (※武器をもつ利き手が右手だから位置エネルギーを得やすい) 上下欲を同じくする者は勝つ。 全員がバラバラの方向を向いていると組織のエネルギーが出ない リーダーはチームに火をつける側 自分が燃えてはいけない
わたしはだいたい全身火だるまです リーダーにはほど遠いのかもしれん
孫子で説かれた理想は《水》のような軍隊 自分を取り巻く環境・職業によって言動や思考が固まってしまう それを打破するのが《水》の思想です
孫子の兵法は “哲学書” 戦争の経験を 思想のレベル にまで昇華させているんです そこに、思想としての自由がうまれるんですね だからその自由な思想を今度は我々読者が自分の体験や 現状に引きつけて自由に応用することができる だから孫子というのは単なる兵法家・戦争請負人ではなくて、 やはり《哲学者》だったんだとおもいますね〜
兵法を極めたら《哲学》にいきついた―
もんのすごい書物です。。 なんたって紀元前500年ですよ?? そんなものが現代にも応用が利くとか…
わたしたちってどれだけ成長してないの??(爆)
もう2014年だぞ〜 おそらく、人間とはそういう生き物なのでしょう ちょっとさみしくなりましたw そして思想です!!
《思想》とはどんな時代にも応用が利くということ
それほど孫子の書が人の真理を突いているということでしょう すなわち孫武が見てきた戦争がどれだけ悲惨なものだったか 残念ですが、結果としてそれが推し量れてしまいます そんな時代を生き残るために見出だされたものなのでしょう
| 2014年03月30日(日) |
「サムライフラメンコ」 |
『サムライフラメンコ』 大人になりたくない “大人たち” へ―
大人になれないスタッフが、 大人になりたくない “大人たち” へ贈る、愛と正義の物語。
安っぽい内容とおもったら、映像はそんな感じでした笑 ところが、物語はかなり深い真理を突いてきました!! 実のところ前回の『それでも夜は明ける』が衝撃的すぎて、 身動きとれないほどふさぎ込んでしまいました そんな中でこれくらい浅いながらも どぎつい台詞が埋め込まれてることに焦点をあてていきますw
羽佐間 正義(はざま まさよし) その名のとおり、正義の狭間を彷徨うことに(爆) ヒーローに課せられた宿命でしょう☆ イケメンモデルでありながらヒーローを実践していきます
この話は、なんとヒーローを問う物語です。 ヒーローとはなんたるか。 勧善懲悪のヒーロー番組を見て育った人間に対して贈る、 正義と悪の分け隔て方の怪w
【1st:キング・トーチャー編】 キング・トーチャー編では怪人がヒーローと戦いながらも そのノルマを果たし、自爆して果てる話がつづきます。 (それも超浅い感じで) 悪の巣窟に足を踏み入れるサムライフラメンコ。
ようこそサムライフラメンコ。 トーチャーか!? ボーイズはどうした? ノルマを果たしているさ、僕の仲間とな! もうこの中には私たちしかいない。決着をつけよう。 一体、なぜ お前たちはこんなことをしている? 君と同じだよ。 サムライフラメンコ、君は何のためにこんなことをしている? 決まっている。 平和のためだ! 人々の笑顔のためだ!! 我々もそうだ。 平和と笑顔のために “こんなこと” をしているのだ。 どういう意味だ? おしえてやろう。 入りたまえ。 君が倒した怪人たちだ。 みな愉快で頼もしい仲間たちだった。 仲間だと!? ああ、こんな私のもとに集い志願して改造手術を受け、 怪人となった者たち。 命を賭けて君と戦った かけがえのない仲間だ。 みな笑って死んでいったよ! 我々は悪という共通の夢のもと強く結ばれている。 君たち正義の味方とは違うのだ! 君らは正義正義と口にするが、何千年たっても戦争を無くせない いい加減に気がつくがいい! 正義などとっくの昔に賞味期限切れなのだ。 真の人類統一は、世界の安定は、 みなが悪になることでしかありえない! そんな理屈があるかあっ!! では直接会って語ろう。 私たちは同じだ。 言ったろ? 君と同じ正義の味方を、ヒーローを見て育った。 同じものを見て、同じように泣いた。 同じものを見て同じように夢を見た。 だが、私が心を奪われたのは “悪” だった!! 私は悪に目覚めたときから君と同じように、いや、 君よりもずっと周到に計画を進めていたのだよ。 しかし最初の一歩を踏み出すことがどうしても出来なかった。 君という、尊敬すべき大馬鹿者が現れるまではな! なぜだ? どうして悪なんかに!? ヒーローから何も教わらなかったのか?? 教わったとも。 ヒーローなど孤独でつらいことばかり。 命を賭けて守った平和もほんの些細なことで崩れてしまう。 まったくの無意味だ。 それに比べて、悪のなんと自由なことか!楽しいことか!! 正義に走る君たちこそ、どうかしている!!!
これには度肝抜かれました― ヒーローになりたいと思うなら、その逆もあるのだ 意外にも納得させられてしまいました!! なんてこった モンスターとか怪人のほうが好きな人、実際にいるしッッ 悔しいが、興味深い!! 羽佐間くんは叫びました。
お前は間違っている。 ヒーローは孤独じゃない。 ヒーローにだって信じられる仲間はいる! いや、その仲間こそ本当のヒーローかもしれない 普段から街の人を助け、支え、 日常の中の笑顔を守りつづける人たち。 彼らは僕よりずっとずっと強い! だから僕は安心してお前なんかの相手をしてられるんだッ
【2nd :フロム・ビヨンド編】 今度も妙な理屈が展開しました!! よく聞かないと押し切られてしまうその内容に唸りました(爆) vs インターフェース
お前たちはなぜこんなことを!? さあな、知らんよ。 そんなわけが!! ほんとに知らない! っていうかわからないんだ。 冷静に考えてみろよ? 世界なんて征服してどうする? どうやって統治する? たった六万そこらで60億人なんて相手にできるわけがない。 世界平和だって同じだ。 人間が人間であるかぎり、どんな理由でも戦いは起きる。 聞き飽きた台詞だろう? そんな手に入らないモノのために戦うのは無意味だ。 俺はそう思った。 その瞬間こうなってしまった… 俺もお前も、あいつらもやってることに意味なんかない。 全体がただ同じものだ。 違いは何に狂っているか、どれだけ狂っているか、それだけだ! どのみち、このフェーズはすぐ終わる。 俺はこの世界をあきらめた。 お前もいずれ誰かに敗れるだろう。 悪いことは言わない、今のうちにあきらめろ お前の言うことはさっぱりわからない。 ただ一つだけ言えるのは、 とりあえず僕は自分がやりたいからみんなを守る! 自分がやりたいから日本を守る! 意味はそのあと考える! OK。 こんなバカげた戦いにはそのぐらいの理由がちょうどいい。 “やりたいからやる” 結局、俺達が現れた理由もそうさ! 話せてよかった
これまた度肝抜かれてしまいました― “やりたいからやる” がこんなにも恐ろしい台詞だったとは!! 意外にも納得させられてしまいました!! なんてこった それが自己中からの結論だったら明らかにとんでもない世界です やりたいからやる、が許されている世界とはいっても、 他者とのバランスがなければただの暴力です
長くなりますが、ここは一度に終わらせます 笑 ここまできたからには是非とも付き合ってください(爆) 【3rd :澤田灰二編】
おしえてください師匠。 ヒーローがピンチになったとき、 誰に助けてもらえばいいんですか?! ヒーローは誰にも助けてもらえない。 どんなに苦しいときも、どんな理不尽な目に遭っても、 自らで受け容れなければならない。 孤独こそが我々の真の敵なのだ!! そんな… つらいだろう、苦しいだろう、 だからこそ人は時に悪へと誘われるのだよ。 だが、だからこそ我々には絶対無敵の切り札がある! 君はまだそれを身につけていないようだね… 何ですかそれは!? それは、 “愛” だよ あ、愛… 師匠、冗談はやめてください! 冗談ではない。 愛は無限にして最強の力であり、人を何倍も強くする。 正義に愛が味方すれば恐れるものなど何もない。 愛を掴みたまえ! 羽佐間 正義!! わかりません、わかりません、師匠! どうして愛で強くなれるんですか?? そもそもどうすれば愛を掴むことができるんですか!? それは自分で考えたまえ。 師匠! はぐらかさないでください!! いや、おしえることが本当にできないんだ。。 なぜなら愛のかたちも、その掴み方も、人それぞれだからね な… 私が君におしえてあげられるのは、これだけだ。
あなた、女の子を好きになったことがないの? ないです。 今まで? 一度も?? ありません。 ヒーローの訓練で忙しくて。 石原さん! 愛って何ですか!? 愛はね、すばらしいものよ? もう少し詳しく! かけがえのないものよ! もう少し具体的に! 具体的って言われても… 愛にはいろんなかたちがあるから こうだ、ってわかりやすく説明できないの。。 師匠もそう言ってました。 だから自分で掴むしかない、って… 人は子供の頃、お父さんやお母さんに育てられるでしょう? あなたの場合はおじいちゃんだけど。 あなたを守ろうっていうおじいちゃんの気持ち、 それが一つの愛。 その前にご両親が出逢って一緒にいたいって思った、それも愛。 ファンの人たちが「頑張れ!」って応援してくれる、それも愛。 この世は愛で満ちてるの。 でも、気付かない人は全然気付かない それは愛が人によって簡単に他の感情に変わるからよ? あなたがヒーローに向けてる感情、それもきっと愛。 その澤田くんがあなたに向けてる感情も根っこにあるのは 愛かもしれない。 そんなッッ!? たとえばの話よ。 愛はそれを知らない人にとってはこだわりだったり 執着だったり、時に怒りや憎しみだったりするの。 私があなたの面倒をみたいっていうのも、ある意味では 愛かもしれない。 愛はすばらしいものだけど、おそろしいものでもあるの。 だからみんな振り回されるし、 それでも愛を求めるんだとおもうの。 僕、なくても全然平気ですけど… だから!それは、気付いてないかもしれないってこと!! 自分の中の “愛” に!!!
まさかこの番組がこれほど愛について語ってくれようとは― 度肝抜かれましたッッ なんてこった 今年は愛についてむちゃくちゃ自習してる気がします(爆) さて、 “気付く” ってほんとうにむずかしいことですよね? 特に自分自身のこと気付くには、 客観視しないとなかなかできることじゃありません。 誰だってそんな面倒なことしたくないものです! 自分がかわいいし、自分さえよければいいですからねw そんな中でも、自分がなりたいものがあれば、あるんだったら 自分に問うことになるでしょう そして、なりたいものは信念につながってきます その信念こそがわたしたちを律し成長させてくれる源泉です
なりたいものがない人ってたぶんすっごく曖昧だとおもいます
さて、平和の話になると複雑にならざるを得ません!! わたしたちはそのなりたいものが違うからこそ、 争いがおきるとも言えますよね? 人としての在り方に絶対がないからです なりたいものは唯一のものですから物凄い力になります そんな力が争うから戦争が絶えないのでしょう そこで、わたしたちの一番奥深くにある愛です どんな人も生きているというのは否定できません 生きてちゃいけない、とは言えない そうなれば、 相手を受け容れることがまず先なんじゃないでしょうか 相手を受け容れようとしない姿勢が対立を生みます 受け容れようとしない人がいる現実があるから、 手が届かなくてもやりつづけることに意味がある 気付かなくては人は変わっていけないからです
平和を手に入れることよりも手に入れようと努力しつづけること 何が本当に正しいのか考えること 相手だけでなく自分自身にも常に成長が必要だということ
そんなスタンスでいつづける わたしたちがヒーローになるとはそういうことなのでしょう
| 2014年03月29日(土) |
「それでも夜は明ける」 |
世界が絶賛! 第86回アカデミー賞作品賞受賞☆ 助演女優賞ルピタ・ニョンゴ!!
『それでも夜は明ける』 あきらめない。
ニューヨークで音楽家として生活していた一人の男。 家族との幸せな時間は 永遠に続くはずだった… 「私はソロモン・ノーサップ これは一体!?」 突然の誘拐。 そして 「今日から お前は奴隷だ」 今まで誰も描けなかった衝撃の実話。 「主人に逆らう奴隷は― 鞭打ちの刑とする」 「これ以上 気の晴れる遊びはない」 生き延びるには黙って従うしかない 「俺は生き延びる 人間として」 何が、世界を騒がせるのか。 何が、人々を魅了するのか。 すべてが奪われた12年間を、男が唯一失わなかったものとは― 「俺は生きる 希望は捨てない」 「妻と子供達に…また会いたいんです」 自由こそ すべてだ
めちゃくちゃ苦しい映画でした 不条理、不条理です こんな、こんな時代があったのか
「感傷的になっても金はもうからん」
未来がまったく見えない 歌うしかないだなんて… わたしたちが軽はずみに言う「それ最悪」 その最悪がどれほど軽いものか思い知らされました。。
エンドロールで気付いた【音楽:ハンス・ジマー】 『Choice』公演、この人の曲でダンスに向かっています 驚きとともになんとも言えない、複雑な気持ちになりました だってこの映画、歌だけだもん 音楽なんて領主が奴隷に「踊れ!」って命令するときだけだ この映画はリアル、リアルでしか表現しようがないと思った 鞭で叩かれる音が、背中の皮膚が、肉がちぎれ飛ぶ 理不尽、生き地獄、自由も尊重も承認もない 友情すらない
恐怖で塗り固められた毎日しかない
ブラッド・ピットが現れただけで安心してしまったくらいです だってどこからどう見ても “いいひと” なんだものね
内容は “あたりまえでない時代” で、終始ストレスしか感じず、 客席では、ため息しか聞こえないほど強烈なものでした まったく希望がない
今の世界が “あたりまえ” すぎて まったく理解できない 理解したくない
正義。 あたりまえの正義がないんです 下手すればファンタジーにも見えるくらいに!! 人間はどこまで残酷になれるのか 人権。 生きる上での一人一人の権利 わたしたちはなんて素晴らしい時代に生きてるんでしょうか それを考えたら ここにしかたどりつけませんでした
奴隷が “あたりまえ” だった時代から見れば、 わたしたちの “今” こそがファンタジーでしょう
こんな世の中、現代を、誰がそのときに描けたでしょうか こんな世の中、現代になったのは彼らが戦ったからです どうにもならない時代を、希望がまったく見えなくても、 生きてきた人がいたからです 対して、悪態ついてる現代のわたしたちのレベルって何??
恥ずかしいよね
やりたいことができる世界で、あきらめすぎてることが 努力できるその状況に泣き言を言ってる自分が
《ソロモンとパッツィーの別れ》 わたしは、これこそが最悪のstoryだと思いました 信頼できる人間が誰一人いない状況で、 「殺してほしい」 泣きながら懇願してきた仲間です まず本心を絶対に他人に漏らせないことが土台にあります 領主に告げ口される危険を冒してソロモンの誠意を見抜いた その告白を聞いたときソロモンの心は揺れ動きました しかしソロモンは彼女を楽にはしてやれません ソロモンの信念がそうさせなかった でもパッツィーの視点だったらどうなのか?? わたしにはどちらが正義なのかわからなくなりました この問題は過去見てきた映画にもあります。 『ミリオンダラー・ベイビー』 無理に生きろということが正しいのか ほんとうにどうにもならないことをつづけることに 希望がないのに未来に向かって生きろということが 果たして正しいのでしょうか パッツィーの毎日はいったい何なのか 救いとはなんなのでしょうか パッツィーももちろん言いました 「自分でやろうとしたけれど勇気がないのよ」
もし自分だったら、どうした? どうできた??
これはもう映画を見てくれとしか言いようがありません 苦しくてたまりません 今の自分が軽すぎてたまらないんです そのラスト、ソロモンは救われます。 救われます、が! ソロモンを見送るパッツィーの表情が!!!
自分がもし奴隷から抜け出せるとわかっていたなら わたしはパッツィーを解き放ってやるかもしれない
だけど他者に目が向けられる余裕なんかあるはずがない 自分自身を守るだけで手一杯の毎日
選択肢を見出だせるのは、自由があるからです
ソロモンはパッツィーをまともに見れません 見れるわけがない 自分だけが救われるその事実に パッツィーが自分の秘密を言えた唯一の人物ソロモン そのソロモンが去る様子をどう思ったのか
希望がいなくなるのと同じなのではないでしょうか
この場面は、言葉では言い表せません パッツィーは心が砕けてまったくおかしくないとおもった その絶望はソロモンだけが救われても全然解決にならない ソロモンにもそれが大きく圧しかかっているのを感じました
わたしたちが歴史を背負っているというなら、 今を、この時代を、死ぬ気で謳歌しなければいけない それが責務だとおもえるのです なぜなら、努力できることは希望そのものだからです わたしたちの自由には重さがあるんだとおもいました
入浴時はラジオを聴いてたりします。 興味深い話やってました!
『雑草について』
雑草に詳しい先生の発言。 「雑草は強い植物ではないんです」 森の奥に雑草はない。 雑草は森に居場所がない。
弱いから、生き残る道を探した
その結果 こんなことが言えるそうです
困難な場所を “選んで” 生きている
マジかッッ 唸ってしまいました― 成長に困難な場所で生き残ることができるようになった植物 「だから何でも雑草とは呼ばない、呼ばれない」
雑草は選ばれし植物だったのだ!!
人間の職業で言ったら、勇者!?(爆) し… 知らんかった― 困難な場所を選んで生きてただなんて 生きるためにその困難をあたりまえにしただなんて 雑草すごい、すごすぎるぞ雑草!!!
その番組では最後に驚愕の事実までおしえてくれました
「 “雑草” を良い意味で使うのは世界で日本だけかも」
雑草力、雑草魂… たましいまで付けちゃってるぞJAPANESE!! たしかに雑草の生命力からきてるのは間違いありません。。
雑草にも魂がつくくらいです 野良犬にも意地があるのだ!
振り返ってみると、踊るには困難な場所で踊ってきました 1m×1mとか 積雪50〜60cmのstageで裸足とか 高さ5mから8mのアトリエ屋外L路外周柵なしとか 後者に至っては間違いが起れば確実に死傷レベルです よくもまあ… おかげさまで凄まじく生きてることを実感しながら踊れました そんな場所で踊って、恐れに直面してきたことが自信です わたしもある意味で冒険家の端くれではありそうですね
問題はほんとうに踊りになったのかどうか
stageに立つことはできてもダンスになったかどうか 雑草のように生きる、簡単にことばにはできますが それはおそろしい困難を克服してゆくということでしょう 克服する、と言えば苦しいもののように思いますが 実際は “挑戦する” をつづけているだけです 挑戦することには恐怖もあるけれど楽しさがあります☆ 楽しさが一歩を踏み出させてくれる 自分自身がどこにいくのか、どこまでいけるか そのstageで踊ったらどんなダンスになるのか
わたしはこれからも困難な場所を選んで踊っていくのでしょうw
| 2014年03月22日(土) |
チップス課長ふたたび |
身内狩られゆく数年が過ぎた頃、手元に届く一枚のDVD。 戦闘準備! イエッサー 諸君、私は新任のチッピング。 チップスとも呼ばれている。 私の授業は現代文学、得意は現代詩。 言葉をとおして人間の心のひだを表現する。 題は “Colors of the wind” 終わりまで読んで、 風の色が見えたら最高だ〜
『チップス先生さようなら』 ミュージカルクリエーション2006
今日、何度 “Santa Fe (Reprise)” を聴いたかわかりません… それほど繰り返し聴いてしまいました―
ひとり黄昏にたたずみ思う 過ぎてきた私のとき こころ熱く燃え輝いていた 若く望み満ちた日々 いつも絶えず消え去ることなく 胸に残る思い出よ わたしの心に熱く波打ち 今も炎燃やす愛 風のように自由に羽ばたき 永遠を感じ生きる 時が立ち止まり微笑みかけた 戻れあの夏の日々 時の流れを渡って 長い旅をつづけた 立ちはだかる岩山 渦を巻く濁流 襲う不安に眠れぬ夜 広がる闇の中に 心の糧求め彷徨い出す私に勇気を与えたのは 君は聴いてくれているだろうか 私の熱い想いを 長い年月が姿変えても 僕は今もあなた求め生きる 絶えず 君を ひとり黄昏にたたずみ思う 過ぎたあなたとの日々を
どうしてもこの曲を聴いたら泣いてしまう 何度見ても泣いてしまうんです どう考えてもこれほどこころに響いたミュージカルはありません わたしの中にそびえる大いなる金字塔 もうあんな感動はないかもしれないんじゃないか 彼らがプロの団体ではないところに希望があります こんなにも心に刻まれているからです 決して消えることのない感動 もう理屈じゃない わたしたちには 想像を超えた感動を引き起こせる力がある DVDが止まらないことがそれを証明しています
わたしの中でこのミュージカルを超えるものは 未来永劫ないでしょう
あわよくばわたし自身もメンバーに狩られる寸前です。 なんといっても身内が狩られすぎてますからねw ですが、Santa Fe を聴くたびに歌えないとおもうのです 歌いながら絶対、間違いなく泣いてしまうでしょう よくみんな歌えるなあと尊敬します わたしは自分の感情を抑えられる気がまったくしません 自分が歌に向いていないことをはっきり自覚するのです
しかし主役はDancing課長なのでした わたしはいつまでも言うでしょうね「だまされた」と。 それがまた直前の台詞がいいんですよ!!
「私も先生方も年をとる、だが諸君は今のままで年をとらない。 その大勢の顔が 私の老後を、 私のこれからの人生をたすけましょう! そういうわけで、私たちに別れはないのです」
なぜあのDancing課長からそんな威厳が生まれているのでしょうか これは世界の七不思議です だって、ぜっったいにそんなこと微塵も考えてはいないはず☆ 長年Dancing課長を研究したわたしが言うんですからねw ところが、真にわけのわからない自信に満ちています。 わけのわからない自信って何??
これがミュージカルがもつ力なのかもしれぬ ぬぬぬ… そして、その力が発揮できるというのは、 天賦の才と言えるのかもしれぬ ぬぬぬ…
うわーーー 良い宅ないなあああああああ 良い他意のはこれじゃないやい っていうか良い宅って。。 my変換さえも拒絶反応すごすぎるぜ!!
とにかくDancing課長は自分LOVEでしかない存在ですから☆
なぜかコート着用でエンディングに現れるチップス課長! アンコールでそのコートを舞台脇に脱ぎ捨てるチップス課長! すべてはかっこつけるためなのだ― そういう人間の演技で泣くなどしたくないわけですよ(爆) だからこそ、この謎は深まっていくわけですよ。 ちくしょー
こうしてわたしも観客として狩られているのでしょう いつか彼らがチップスを超えてくれることを期待して
チップス先生、さようなら☆
3 2 1… GO!!!
『弱虫ペダル』 競技自転車青春story☆
『ちはやふる』につづいて、唸る台詞群の押収w その台詞は、もはや人生の指針になりうる強度です。 この二作品に於いてはこれから先もお世話になりますw 今日はそのひとつを紹介しましょう! 主人公たちを率いる競技自転車部キャプテン、金城の台詞より
「ロードレースでのすべての勝敗は路の上で決まる。 そしてその結果はゴールするまで誰にもわからない。 だったら走るさ! 路の上に走り出さなきゃそれは負けと同じことだ! 踏み出した一歩は小さくとも必ず積み重なる。 たとえ今日 勝ちがなくとも、 そのとき出した一歩は一ヶ月後か二ヶ月後か、 かならず形になる。 だから俺はあきらめない!! たとえどれだけ時間がかかろうと、 それが一年後であっても。 俺は総北を優勝させるつもりだ―」
ものすごくいい台詞です!! その気概はいろんなところで応用が利くでしょう。 しかしこれは競技ですから、勝敗が、結果がすべて。 ある意味、自分たちのやってきたことを勝敗で確認する話。 そしてここで言うゴールは、競技でのゴールです! さあ生きましょう。 見方を変えてみたらどうなるんでしょうか?
人生のゴールを何だとおもいますか??
きっとみんなそれぞれ違うものがでてくるはずです! そこでさらに考えたのはこれでした
人生のゴールを “死ぬこと” に設定したら―
かなり興味深いことになりはしませんか?? なぜなら、わたしたちは “いつ死ぬかわからない” でも、確実におとずれる未来です!! まず完全な相違点。 いのちに勝敗なんかない
他者との関わりの一切を排除したら、生きて死ぬこと
生きて死ぬことに良いも悪いもありません どんなことをしていても必ずここに至るのではないでしょうか では、人生のゴールに向かって何をすればいいのか?? どんな物差しで、尺度で、ゴールに向かいますか?? 自分の命に責任をとれるのは自分しかいません そして、納得させられるのも自分自身しかいません いろいろ考えましたが今のわたしにはこれしか出てこない
生きてきたことに後悔しないこと
責任で人生をまっとうするよりも挑戦です でも、実はその瞬間がきたらそうは思わないことも知っています
“そのとき” が来ないとわからない
自分がいつ、どこで、どうやって死んでいくのか 事故で死んでるかもしれません 寝たら死んでるかもしれません そもそも考える時間なんてものがないかもしれません 満足だの後悔だの超えているかもしれないんです! そう考えたら、行き着く先はやっぱりここしか残っていません
毎日がゴール
救急救命病棟で目覚めたとき 朦朧とした意識が回復して生きていることを自覚したとき かんじたのは感謝でした 感謝しかなかった 今、じぶんが生きていること あれほどふかく感謝したのは たいせつな人が亡くなってしまったとき以外にはありません ですがそれは外部から受けとるもの 自分の内側からあふれてきたのは初めてのことでした
今もあのときの感覚をおもいだすことができます
そして絶対にわすれてはいけないものだと感じています
未来のことは誰にもわかりません 考えることができるのは意識できるときだけです 生きてることを噛み締められるのは “今” しかないんです
今のわたしにとって、ここがゼロ地点です
できることを精一杯やること
形にならなくたっていいんです 信念に負けない自分でいられれば!!
結果、その毎日は輝きとして積み重なっていくでしょう そして誰かがきっとそれを受け取ってくれている そう信じています
| 2014年03月19日(水) |
言葉を超えて、人をつなぐ |
日本を支えてきた、通訳。 世界のVIPから指名殺到!! “同時通訳”の超一流 過去40年。その女性の通訳は日本と世界をつないできたー 世界サミット 貿易交渉 軍縮会議 2020東京オリンピック招致活動まで
『言葉を超えて、人をつなぐ』 会議通訳者・長井鞠子(70)
物凄い仕事でした 物凄い人でした
同時通訳=“格闘技”
「真剣勝負みたいなところがありますよね。 聞いて 理解して 分析して 翻訳して 発声する そういうプロセスが1〜2秒の間に おこなわれるということだと思います。 その時 その場で出たものに スパッと答えなきゃいけないっていう意味では 格闘技だっていうことにつながるわけです。 その言ってることは ちゃんと受け止めて、 あたしがちゃんと聞き手に渡してあげるわよ! だからどんといらっしゃいと思っているっていうだけです」
対するは、話すスピード、独特のアクセント!! 選べない相手スタンスの通訳という仕事が、 あんなに汗だらだらでやってるだなんて思いもしませんでした
すごい
「負けないぞ!ってやってましたから 彼女はものすごいパワフルだったから それにつぶされないぞ!っていう気持ちでやってると 自分もこう、乗らざるを得ないですよ 疲れました。。へろへろです」
そんな長井さんがこころがけてること。
英語力×日本語力
日本語の力をより研ぎ澄ますため、 月一回、銀閣寺に通って和歌を詠んでいた― 和歌をつくることで日本語らしいやわらかい表現を身につけたい
「もっと極めるためには もっと英語の勉強をした方が いいかもしれないけれども、 私にとっては一番 “やまとことば” というか 日本語の中でもあんまり漢語ではない言葉を もうちょっと極めたいなという想いが強いんですよね。 例えば“増える”っていう言い方をするときに、 増加するとか 増大するとかいうんじゃなくて、 ふえるとか 大きくなるとか そういう言い方をした方が 本来は伝わりやすいはずなんですよね。 もうちょっとわかりやすく すんなりと耳に入り すとんと心に落ちるような、 そういう訳ってないものかなあ〜と常に私は探したい。 改善しようがないなんて そんなのないですよ。 言葉っていうのは際限ないです」
涙が出そうになりました わたしもたぶん同じものをダンスで見つけたい 技術でなく、どうやったら心に落ちてくれるのか どうやったらダンスに心を開いてくれるのか そういうダンスをいつも探しています
準備と努力は、裏切らない
「通訳の仕事は同じことの繰り返しは一度たりともないわけですよ そのときに発言される人は毎回違いますし、話す内容も違うし もちろん時間は24時間ですから限りはありますけど、 できる限りの準備はして臨みたいですよ。 自分はもっと準備できたかもしれないのに まあ80%だからいいやって思うのは 私は嫌です」
わたしにも “本番” があります。 ダンスも同じことの繰り返しなんて一度もありません! そのために練習を80%でいいや、っていうのは “ない” 今日はこのあたりで、なんて考えたことありません 80%でいこうとしたってひとりでにあげてしまいます 本番は自分のイメージを超える場所にしなくちゃなりません ものさしで測れるようなものにしたくないんです
長井さんには挫折がありました。 35歳で先進国首脳会議の仕事に抜擢。 以後、長井さんは歴代首相の通訳を担当。 40代で人生の試練に直面。 夫との離婚 仕事も家庭も子供の世話もすべて完璧にこなしたいと願ってきた なぜそれを叶えられなかったのか
長井さんは初めて準備を怠ります
それは致命的な結果を招きました。 訳がまったく浮かばない 「もうあなたはこなくていい」
「自分はもう価値がないんじゃないか 自分は、こういう状態の自分っていうのは この世に存在しちゃいけないんじゃないか みたいにまで思うわけですよ… 意味がないんじゃないか、と」
長井さんは母からの手紙に救われたそうです 以来、準備を欠かしたことはない
アメリカ元副大統領ダン・クエール 「長井さんは相手の言った言葉の本当のニュアンスや 人柄まで伝えてくれる」
長井さんは言い切りました。
「この人たちが思っていることは 絶対に正しい言葉で 細大漏らさず伝えたいっていう思いがあって、 それ以上でもないし、それ以下でもないと思ってます」
これはダンスにも置き換えられるとおもった 自分が感じていること “今” を絶対に正しいダンスで踊りたい ここにこそ本当の意味で力をつかいたい
もしかしたら、ひとつのダンスのかたちとは 自分のハートをカラダで通訳をしている関係かもしれません
最後、プロフェッショナルについての発言にも唸りました―
「一心にこの道に邁進するという意味での、 わがままな力をもってる人だとおもいます。 でも、これで私は極めた トップにいった と思ってしまったら もうそれは終わりだと思います。 常に来る仕事にちゃんと向き合って準備を怠らない それもプロの条件だと思います」
その表情と声の強さに、圧倒的な信念を感じました その体に輝きを感じるんです もう理屈じゃあない この人 “ダンスだ” って思ったんです 力が湧いてきましたね!!
P’s inner child『L』本番当日まであと1ヶ月すこし。 ◎P's 13th Anniversary◎ 4/29(火祝) 『L』2nd stage “Line” Drawing / UMITSUKI Dance / TAISUKE 迫り来る本番を前に、ロケ撮影に向かいました!! 執行さんの一言で決まったロケーションw
「海いきたい 海!!」
with執行さん&美香さん。 電車で行く虹ノ松原 ◎虹ノ松原ロケ撮影敢行◎ 日本三大松原です 特別名勝です 国定公園です 無人駅下車ですw って猫駅長いた〜 笑 執行さん「じゃあタイスケさんここらへんからお願いします」 いざ、眼前に広がる松原を出発侵攻! 裸足は痛かったけど皮膚こそがリアルを感じさせてくれます 痛いことが生きていることを実感させてくれる
落ちてる松が刺さりまくったけど、 めちゃくちゃ楽しかったです☆
なんたってつまらないことを全力でしたがる性格ですから笑 これもつまらないことを本気でしてこなかった代償です(爆) 拾った命ですから全力余生なんですね これ、まったく冗談ではないことを足しときますw
執行さん「いやぁタイスケさんといると楽しいわ!!」
当然です
だってできるなら好きなことしかやりたくないんですよw って、執行さんもそれ同じだろッッ(爆) 好き放題やりながら海岸線へ その途中、好きにやりすぎて車に轢かれそうになりました(殴
Stop buying stuff , Love is the Answer !!!
まさかこんなところでこの台詞使うことになるとは… すべてはアイツのせいですっttp://youtu.be/ULLbBaU3NDM 気を取り直して春の海、サイコーの天気、もう言うことなし 砂浜にくると絶対にしたくなる全力ダッシュ。 もちろんトレーニ… じゃないや、青春時代の粉砕が目的です
執行さん&美香さんには笑えるだけ笑ってもらおう
あっという間に時間は過ぎました 日が落ちて magic hour は本当に美しかったです―
【後日】 この撮影が本番“Line”opening映像になりました 〜執行さんの編集でおっそろしく崇高な映像が誕生〜 なんと、わたしのつまらない性格は微塵も感じません!! タイスケ’s inner child 完全に抹殺されてたッッ Yeah さすがは執行さんです☆ 俺つかえね〜 もしかしたら使える写真ほとんどなかったかもしれん 爆 こんな人を崇高にするのにどれだけ骨が折れたか わたしの折れた骨全部が疼きだしました 執行さんマジでごめんなさい 世界中にごめんなさい!! ttp://youtu.be/G6DMhteAFJU
その映像を見たときは泣きそうになりました
自分が映像作品になるなんて考えたこともなかったんです 生きててよかった つらいこと、乗り越えてきたから今があります それをどうやったらつたえられるのか ダンスに向かっていく心の準備ができました
| 2014年03月14日(金) |
「中二病でも恋がしたい!戀」 |
『中二病でも恋がしたい!戀』
富樫勇太は、元 “中二病”。 中学卒業と共に “中二病” を卒業したものの、 彼にとって闇に葬り去りたいほどの忌まわしい記憶となった。 「闇の炎に抱かれて消えろッ!」 その時の決め台詞も悶え死にしそうに恥ずかしい。 順風満帆な高校生活が過ごせるよう、 入学初日「生涯封印!」 中二病との決別を誓った。 その矢先。 一人の少女と出会ってしまう。 少女は小鳥遊六花、現在進行形の中二病だった―
いろいろな手違いから住む場所を失ってしまった六花は 家探しを始めるものの、なかなか上手くいかず、結局 勇太の家に転がり込むことに。 だが勇太の家族は 勇太を残してジャカルタに行ってしまっていた。 これから始まる同棲生活!?とドキドキしていた二人。 だが、そんなところに受験を控えた妹が帰ってきたのだった。 ほっとしたような残念なような中、奇妙な共同生活が始まる。 一方、新しく引っ越してきた女の子。 それは、昔 勇太が憧れていた自称魔法魔王少女。 “ソフィアリング・SP・サターン7世” こと、七宮智音だった― こうしてまったく普通じゃないまま勇太の高校二年が始まった
こんなところで真性中二病を楽しく学んでしまいましたw っていうか中二病って頭よくないと発症できないよね?? おそろしいほどまで言語化できるし!!(爆) 次から次に出てくる単語にはほとほと感心しました 笑 とにかく、凸守のかわいさは半端じゃあないw さて、中身がなかったらblog化なんてしやしません。
◎誰しも通じる興味深い秘密を発見させられたからです◎
まさか “中二病” って観点から気付かされるとは思ってなかった これ作った人、超あたまいいね! 《過去、七宮は勇太に恋心を抱いたときがあった》 その自らの経験で、六花に七宮が問います。
ごめんね、こんなところに呼び出して。
安心して。 一人で来た。 他に邪魔は入らない。
そっか。
先に断っておく。 邪王真眼は最強。 最高位に属するどのような光魔法を使っても、 倒すことは不可能。 やめておくなら今のうち。 それに、この世界に現出している肉体の反応速度は絶大。 見切ることは不可能。
に〜っはっはっはっはっは〜! なら魔法魔王少女の力がどの程度のものか、 そのカラダで確かめてみるといいよ!! …って言いたいところだけど、ここに来てもらったのは 戦争じゃなくて話を聞いてほしかったからだよ。 勇者と私のこと、誤解させちゃったかなって思って…
勇者じゃなく勇太。
私はずっと “勇者” って呼んできたから勇者は勇者なんだよ。 許してよ。
許す。
ありがとう。 それでね? 勇者と邪王真眼は恋人の契約を結んでいるわけだよね?
え、あ、そ、それがなにか??
私もね、あったんだよ。 勇者のことを考えるとドキドキしてきて、 一緒にいたいって思うようになって。 でもね、そしたらいろんなことが変わってきたんだよ…
【回想】 勇太「間違いない。魔族反応が完全に見えている」 「うん… ゆ、勇者!」 勇太「なんだソフィア?」 「ううん、なんでもない…」
力がね、どんどん失くなっていくんだよ
なんか自分は魔法魔王少女じゃないかも、って。。 そんなこと、どうでもよくなっていくのを感じた
それで?
だから、わたしはずっとこのままでいようと思ったんだよ 世界の理、連環天則にのっとって、魔法魔王少女として、 私は私でいようと思ったんだよ!! 私は “ソフィアリング・SP・サターン7世” !! すべてを棄てて、この力と共に、 その生涯をまっとうするんだよ!! だから、勇者のパートナーは邪王真眼なんだよ。 揺るぎなく。 ねえ、邪王真眼。 君はずっと邪王真眼でいるつもり?? 本当に暗炎竜を甦らせるの??
バカバカしい話と思う人もいるでしょう。 が。 七宮の選択肢は、私たちにもまったく当てはまります。 決断しなくちゃ進めなくなるときが来る。 力が失くなっていくのを自覚するからです 七宮は恋心よりも自分がやりたいことを選びました。 そのときの自分を、自分自身にしている理由。根拠。 人を好きな気持ちは無尽蔵に湧いてきます その気持ちは、やらなくちゃいけないことまで忘れさせる 自分が好きなことでさえ投げ出せてしまう その他すべてを無意味なものに変えてしまいます 人を好きになるって…むちゃくちゃおそろしいことですよね 自分の気持ちを押し殺してすすまなくてはならないときが わたしたちにはありますよね?? でも、相手があることには思い込みがつきまといます 嫌われるんじゃないか 傷つきたくない 物語の流れはなんとそれを乗り越えるお話です
中二病は現実逃避が原因w この物語は現実と虚構にバランスを見つけ出す話です
片方を捨てず、どちらかを選ばずに、前進しようとする話
主人公・勇太は人間力あるなあって そう思ったw だって好きな人のこと、すべてを受け入れる準備がある それはきっと自分も中二病だったからでしょう そうじゃなかったら、そういう人たちのこと考えもせず、 一蹴してしまうはずです
経験が人を成長させるとはよく聞きますが、 経験が人を受容するといってもいいかもしれません
実のところ、第二話で既に勇太は答えを出しています。 その姿勢は私たち男子がもつべき度量でしょう!
さすが邪王真眼。 このダークフレイムマスターが見込んだだけのことはある! 我々が結んだ契約は俗世間でいわれる恋人契約ではない。 邪王真眼恋人契約だッッ ゆえに、穢れた常識に囚われ、 一般人の因襲に振り回される必要などない!! 我々は我々だけの関係を築いていけばいいのだ! 心配せずとも必ず成し遂げられる。 このダークフレイムマスターと邪王真眼ならな―
これだけのこと言ってくれる相手に、代わりは絶対いませんw 願わくば、その言葉に応えてくれる誠実さを祈りたいですね☆
| 2014年03月13日(木) |
なこそながれて なほきこえけれ |
競技かるた個人戦、綿谷新と肉まんくんが対戦。 この回は、めちゃくちゃ面白かった!! 肉まんくんの台詞が痛すぎて―
『ちはやふる2』
対戦中、肉まんくんを前に 新はこころで唱えます。
すごい… 思想がある。 指導が見える。 先生がいる。 すごいな… 千早の高校は! タイプの違うかるたがあるんや!! すごいな!!
この “見える” というのは物凄い力です 見えるほどの努力の結果だからです
しかしその直後、新は圧倒的な力を発揮。 手も足も出ない肉まんくん― 抗いようのないその差に肉まんくんがこころで叫びます。
なんで、なんでこんなに実力に差があるんだ!? 俺だって子供の頃からかるたやってんのに… 何が違うんだ…
ホンモノの実力を体感したときの底知れない絶望感 その差は練習の内実です 練習をただやるだけじゃホンモノの力は手に入らない
肉まんくんは己に問いかけます。 これもまた、その時がこなければ自身には問わないでしょう。 決して本気では問わないはずです 普段ではない、試合や本番でしか気付けないこと。
綾瀬。 俺が利き手を怪我してたら試合は棄権していた。 昨日の団体戦決勝のときだって相当痛かったはずなのに。 なのに、団体戦で勝つことしか考えてなかった。 机くんと花野。 チームのために対戦相手の情報を必死に集めてくれた。 かなちゃんは大事な準決勝で、俺が負けたあとすぐに その一敗が軽くなる一勝を上げてくれた。 筑波は試合に出たくて必死に俺たちにアピールし続けた。 真島が最後まであきらめなかったから、俺達は優勝できた。
俺は何をやってきた???
せめて、せめて最後まで諦めるな!! あきらめるな!あきらめるな!あきらめるな!!
本番の密度は半端なものじゃありません 自分に足りないものが一瞬のうちにわかってしまうんです こんなにおそろしいことはありません ところがお客さんを前にしてそれを自覚してる場合じゃない 可能性は踊ったあとの未来です ひとつひとつの本番が自分の可能性を突きつける 「俺は何をやってきた??」 これはもう理屈じゃありません 本気で挑まなくちゃ、その台詞には決してたどりつけない
試合を終えて、新は肉まんくんに声をかけました。
「瑞沢高校の人はみんなそうか? 昨日も5試合あったのに、 こんなに一生懸命なかるたをとるんか??」
肉まんくんは答えます。
「あたりまえだ!! 俺なんか一番一生懸命じゃないほうだ… 真島も机くんもかなちゃんも綾瀬も一年も!! もっと一生懸命だ!!!」
(何度見てもここで泣いてしまいます…)
忘れるな。 自陣下段からの自陣右上段のあの渡り方! くそっ くそっ!! 忘れるな。 敵陣左上段から敵陣右下段のあの渡り方! だから嫌いなんだ、強いヤツ!! 勝ちたくなるから! 頑張んなきゃいけなくなるから!!
気付くのは自分のあまさ
自分自身の力や技術はまさにここから培われるものです どんなに厳しく自分と向き合うかが問われる問題です ここに向かい合っている人は、顔を見れば一目でわかる。 その表情に曖昧さがないからです
どんなことを大切にしながら毎日をおくれるか 大切にしている、そう思っていてもきっと足りません 無意識に、怠惰にテキトーになっているからです 大切な人を失ったとき考えてしまったりしませんか?
(もっと大切にできた)
わたしたちのこころの力はほんとうにすごいとおもいます どこまでも想いの力は尽きることがないからです 地球の裏側にだって、あの世にだって届くんですからね! できると思いさえすれば、できる ところが現実には後悔がつきまといます 特に、自分と、相手と、本気で向き合っていなかったとき
わたしたちは後悔をどれほど無くすことができると思いますか?
ここまでくると終わりがなくなります 逃げ場がなくなるからです でも、毎日とは実はそんなものではないでしょうか
逃げ場なんてほんとはどこにもない 毎日は決して戻ってこないからです
わたし自身、どれだけ逃げているものがあるか。。 考えただけでゾッとします… たどりつくリアルはひとつ
“わかってるのにやってない”
脱原発が叫ばれる時代、脱XP!いよいよMacへ― 超弩級のプラットホーム総入れ替えです 笑 Win か Mac か? その操作、憶えなおすのなら!! 買ったあとでわかったこと。
Blu-ray 見れない
なんの意味もなかったHDMI接続ケーブル(爆) 今のPCって “繋いだらなんとかなる” って思ってました!! だって、だいたいなんとかなるじゃないですかw DVDしか映せないって何??
とんだ退化の春です
CPU自体は物凄く進化してるんですけどね 笑 おかげさまで、驚くべきスピードがもたらされました☆ XP時は立ち上がるまで10分は要してましたからねw 驚いたのは速度だけじゃありません。 昔は接続するのにおそろしい打ち込みしてましたよね?
今はプラグ差せば終わり
あまりの設定作業のなさにかえって不安になりました!! PC購入するだけで完結する世界はとっっくに訪れてたw
◎ここから始まるiMac27ストーリー◎
新 Web Site への移行、更新はいつになるのか☆ ただでさえblogに追われてるリアル☆ でも、構築ソフトは買ってます☆
無駄にならないことにご期待ください 涙
| 2014年03月11日(火) |
とあるジンクスの究明 |
◎小学生だったときのこと、ふと思い出しました◎
【短距離走】 こんなことを言った友だちがいた。 「こうすれば速く走れるよ」
両手 中指を薬指の上に架ける
今でも憶えてるって実はすごいことなんじゃないの!? ちょっとそう思うところがありますねw 当時、おまじないのようにやっていた気がします。 その友だち、リアルに短距離めちゃくちゃ速かったからね!! そうだ、今さらだけど その効果の真偽を問いただしてみよう☆ 導き出した答え―
あながち間違いじゃない
興味深い事実を見つけ出しましたw 実際に試して気付くこと。 “指を架けることで、指先まで意識できる” 意識できる=力を込められる
そう、指先から強く腕が振れるんです!!
おおぉ…そうか、そうだったのくわあああぁああぁぁあああああ 小学生時代の謎を解き明かした瞬間でした(爆) 究明できるってすごくないですか?? 笑 あの頃はなんにも確かめずにそんなことをやっていたのだw
年を重ねてわかることがある
意識なしに、カラダの力が引き出せることはないのです
| 2014年03月09日(日) |
「ホビット 竜に奪われた王国」 |
放映中にトイレに行かない勇気。
『ホビット 竜に奪われた王国』 邪悪な竜、目覚める。
竜・スマウグから王国を取り戻す、壮大な冒険の旅が始まる― 小さくて臆病なホビット族のビルボ・バギンズ。 ある日ひょんなことから、勇敢なるドワーフの一行と共に、彼らの王国を取り戻すため危険な旅に乗り出すことになる。 王国を奪ったのは、一頭の竜。 行く手にあるものはすべて炎を吹きかけて破壊する、恐るべきスマウグだ。 ビルボたちの旅を阻むものたちが次々と現れる。 森では獰猛な巨大クモの群れ、エルフの牢獄に閉じ込められ、激流を下りながらもオークと死闘を繰り広げ、たどり着いた湖の街では人間から追われてしまう。 しかしついに、はなれ山にたどり着く一同。 果たして彼らは王国を取り戻すことが出来るのか―!?
ものすごい冒険でした。 3時間とか長すぎるぜ 『竜に奪われた王国』でも観客数人が討たれてしまいました! とにかく物凄い映像に圧倒されましたが3時間はキツイw 前回『思いがけない冒険』では、 15人で対3万とかから逃げ切った奇跡を演じました。 そんな逃げ足最速の彼らが今回ついにスマウグと対峙します。
冒険っちゃあ冒険なんですけど、ほとんど逃げてるよね
手足短いドワーフ精鋭も絶対に死にません。逃げ切ります! いや、ほんとうに竜討伐って感じじゃないよね― 逃げないと殺される局面の連続なんですよ 笑 こんなんで竜に立ち向かおうってんだから感心しますよね☆ さぁて いよいよオーランド・ブルームの登場です。 そういうわけでこの映画の見所はここでしょう!
レゴラスが放つ矢が百発百中すぎる件
まぁあれですよ、天使すぎるとか言うのと大差ない感じw 言ってみれば全部ウソですから(爆) しかし、矢が当たるんですよ!! 絶対命中。 宝くじ買ってもきっと当たるよ、あれは!! その衝撃もビームライフルくらいはあるね。 それも連射に次ぐ連射で。 とにかく腕力なさそうなエルフなのに全然威力に衰えがない。 明らかにフィジカルを度外視した能力だぞ 笑
これが “映画” です
こんな映画みたいに結果が伴うんだったら絶対に鍛えたりしない 筋力はざっと主人公たちの5倍はありそうなオーク。 貧弱な主人公たちの剣にやすやすと殺られていくオーク。 あの筋力、どう見ても剣なんか通りそうにないんですけどね。 紙切れみたいにやられていくオークを見てわたしは悟りました。
この世はかっこいいほうが勝つ
特にエルフがすごい。 あれはもう美の力でしょう… 美しければ “強い” んです! どれだけ筋トレしてもオークに勝ち目はありません。 なんともひどい話じゃありませんか
それに比べるとドワーフたちは泥まみれの戦闘。 そうそう、これがフツーの殺し合いですよね。
対比されるレゴラスと女子エルフ他売り得るの芸術のような殺戮。
女子エルフ・タウリエルとドワーフ・キーリの色恋は加速。
禁断の異種族間恋愛。 それよくある〜 まずタウリエルがドワーフに先入観なさすぎないかw 最初からオープンマインドを実施。 天賦の才です そして、どう見てもキーリはイケメン。 ドワーフなのに手足も長い! ちょっと待て。 それじゃフツーの恋愛だろッッ 美女とイケメンが惹かれ合うなんてなんの希望もありません。 ありきたりすぎる! エルフはキレイすぎるんだから中身を見てほしいものですよねw
灰色のガンダルフは途中でいきなり冒険を離脱。 「ちょっと用事ができたんで」的に(爆) その用事で本人殺されかけるんですけどね。 なんとも勝手な人ですよねw 重要なときにいないんですから、まったく使えません。 こんな人に騙されないようにしよっと。
さて、最後に、スマウグ、スマウグです!! こんなにかっこいいドラゴンの映画は初めてみましたッッ むちゃくちゃかっこいいぞこの人ッッ 竜だけどッ こんなに夢と希望にあふれるドラゴン見たことない!! おそらくわたしたちが頭に描く西洋ドラゴンの本懐です。
中身はほっといてもドラゴンは見るべきでしょう!!
既に【黒い矢】死亡フラグ立ってるけどね! ドキドキの都合いいストーリー。 度肝を抜く映像クオリティー。 一度見たらもう十分です☆
| 2014年03月07日(金) |
IMS PREMIUM NIGHT OUT PARTY |
招待状が届いていながら当日なのを忘れてました―
◎IMS PREMIUM NIGHT OUT PARTY◎ イムズ25執念の感謝を込めた、 一夜限りのないと会うとパーティ! 各ショップこの日だけのスペシャル得点をご用意。 さらにウェルカムドリンク・フードサービス、音楽ライブ! パーティを盛り上げる演出盛りだくさん。 特別な夜をお見逃しなく!!
フツーに見逃してたッッ(爆) たまたまPaulに行ったからよかったけど! STAFFには人でなしと呼ばれました… チッとか舌打ちしながらmy担当・k本ちゃんが言いました。
「シャンパンタワーくらい見に行ったらどうですか?」
そういうわけで赤紙を再度いただきまして。 パーティ時間に出直すことになり。 親友を呼び出し。 一様にフード食して。 シャンパンタワー前でシャンパン飲みながら悦w
シャンパンタワー 初めて見た!! あんまりキレイだったから破壊衝動に狩られましたね☆ 理性と気合いで save the earth 笑
しかし、残酷なのはそのシャンパンタワーの末路です。 シャンパンタワーの完成で拍手喝采が巻き起こり、 シャンパンが行列に振る舞われたのですがッッ津 シャンパン尽きたらタワーには誰も近寄らない(爆) その間 about 1 hour ☆
まるで最初からなかったみたいでした
こんな簡単に人の興味って冷めるのか― わたしはその一部始終を見てましたw たぶん俺たちだけだよ、あんなに写真撮ってたのは(超実話
人の心変わりの速度を知ったPARTYでしたね
| 2014年03月05日(水) |
「踊りに行くぜ!! II vol.4」 |
理屈抜きでおもしろかったDuo 「4....soku」 その真摯さは圧倒的で、フィジカルの威力も桁違いでした。 あのくらい踊られたらもう考えてなんかいられない。 踊りたい、そうおもったw
わたしのダンス観がねじれた源泉・黒沢美香さんの作品も。 「渚の風」 演出・構成・振付:黒沢美香 さすが美香さんと言わざるを得ないダンスでした。 なんといっても先ずは出演ダンサー。 3人のリアル慶應義塾大学教授です!! ロボット工学、詩人作曲家、英文学者。 その肩書きだけでも、目を疑いましたねw 50歳を過ぎてから踊ることになった異色のユニット!! 美香さんのダンス言語はすさまじく、いつもカーンと頭を撃つ 【ルール】 空いている部屋で稽古する。 これがなににつながるのか疑問でも歩む。 恥ずかしさを力に変える。 【モットー】 緻密な頭脳は呪われた祝福と開き直る。 真理の到達不可能性を知りながら、 脳天気にそれを追求してしまうお目出度さが憲法。 謝罪を口にする傲慢さは捨てる。 その作品を見れば、誰もがこう思うでしょう
ダンスって何??
そう思ってくれるだけで勝利なんじゃないか、 わたしはそう思いました ダンスはプロフェッショナルのものなんかじゃない ダンスは訓練しなくても踊れる 美香さんはそんなものを全力で意識させてくれます この人がいなかったらわたしは踊っていないでしょう
| 2014年03月04日(火) |
愛するには勇気が必要 |
『愛するということ』 エーリッヒ・フロム 最終回 愛するには勇気が必要である
最終回はリアル引用でいきます。 もう自分の意見とか差し挟めないレベルなんですw 語られることが そのまますぎて!! ◎是非、愛することを考えてみてください◎ がんばって落とし込みましたのでッッ では、ラストで会いましょう(爆)
自分のことだけのために生きていくと おそらく社会は崩壊すると思うんですよね。 そのために最低限、 人をどこかでつないでいるものが愛なんだ、と。 もし愛がなくなると、人類に未来がないかもしれない。 そして、その愛は本当の愛でないといけない、 そうフロムは言うわけですね。 そこで、本当の愛を手に入れる、 あるいは自分が愛することができるようになるには、 どうしたらいいのか? まずこれをご覧ください。 フロムが書いている愛の技術を修得する前提条件です。
1規律 2集中 3忍耐
この本の一番の特徴は、技術であって、 この技術を修得しないと愛することができるようにならない、 と言うんですね。 いよいよ具体的に愛する技術を身につけていくには どうしたらよいか、と。 なんでもいいんですけど、ピアノを弾く、テニスをする、 なんでもやりたいときには練習しなくちゃできませんよね? で、これはすべての何かを修得したいと思ったときに必要な 原則だと思うんですよ。 で、それはみなさん納得すると思うんですけれども ところが愛になると、 「練習必要ない」 「俺は生まれつき出来るんだ」 と思ってる人がほとんどなわけです。 それが愛にも必要である、というのが フロムの言いたいところです。 そして、テニスと違ってSchoolはないんです。 ほったらかしといて出来るようになるわけじゃない。 自分で身につけるしかないんですね。 いわゆる【自習】です。 一番最初に大事なことはですね、なぜテニスSchoolに行くか。 それはテニスがやりたいからですね? ですから、愛を学ぶためにはまず、 “どうしても出来るようになりたい” と思わなかったらダメですよね? これが一歩です。 この一歩を超えないと誰もやろうと思わないですねえ。
人を愛するのに必要なこと。 それは、信じることです。 信じるって宗教みたいな感じですか? んーにゃ違う。 言い換えれば、信念をもつことだ。 他の多数の意見や権威に左右されることのない、 自分だけがもった独立した信念のことだ。
愛にかんしていえば、 重要なのは自分自身の愛に対する信念である。 つまり、自分の愛は信頼に値するものであり、 「他人のなかに愛を生むことができる」と「信じる」こと
そして、さらに必要なのは勇気。 人を愛するには勇気が必要です。 愛するということは、何の保証もないのに こちらが愛すればきっと相手の心に愛が生まれるだろうという 希望に自分を委ねることなのです。 愛するには “信念” と “勇気”。
心理学的にいうと、 人間は自分の知らない部分の自分っていうのがあって、 自分で自分に嘘をつくということも結構あるわけですね。 自分が人を愛している、と、 この愛がホンモノだと自分では信じているんだけど、 もっと底のほうでは自分で自分を信じてないかもしれない。 これは偽りの愛だ― 無意識のうちで気がついていても 自分で気がつかないということも結構あるんですね。
まずウソがないこと。 自分に正直になる、っていうのかな。 それを信念というふうにフロムは言ってるんだと思いますね。 で、信念っていうのは毎日変わっちゃいけないわけです。 やっぱり信じつづけなくちゃいけない。 信じつづけるためには努力を続けなければ信念とはいえない。 そういうことを愛にかんしてもやりなさい、 そう言ってるわけですね、フロムは。
そういう努力の先にあるものでしょうね。 始めなければ到達しない。 愛することは、学ばないとできないものであって、 誰もができるものじゃない。 これは99%の人が誤解している。 それともう一つは、 与えられるものではなくて与えることなんだ、と。 これを本当に納得できるかどうか。 これによって、愛に向かって一歩踏み出せるかどうかが 決まってくると思うんですね。
小さな子どもっていうのは固い信念は持てないわけです。 影響を受ければ変わってしまう。 成熟しないと信念は持てない。 愛に関して何が難しいかというと、 ある悟りの境地に達するほうがむしろ易しいんじゃないか?と。 一人でできるから。 愛は、一人ではできない。 相手がいるわけでしょ? そうすると自分がどんなに信念を持ってても 否定されちゃうかもしれないですよね。 相手に通じないんじゃないか? ひどい目にあわされるんじゃないか? やっぱり私たちはそれを恐れていますよね?? 傷つけられたくない。 傷つけられるくらいだったらやらないほうがいい、って 思っちゃうと最初の一歩がどうしても出ないわけですよね? ですから、愛って簡単に言いますけど、 裏で傷つくことと表裏一体になっていて、 一歩間違えば痛い目にあうものでもある。
フロムの『愛するということ』を熟読したからといって 愛することがマスターできるものではなくて、 これはあくまで実際に経験しないと深まっていかないもの なんですね。 愛を経験して、失恋を経験してとか、うまくいかなかった、 そういう実際の経験があった上で読むと、 何が問題だったのか見えてくる。 そういう意味で繰り返し読める本だという気がしています。
愛は、絶え間ない挑戦である。 それは安らぎの場ではなく、 活動であり、成長であり、共同作業である。 二人の人間がそれぞれの存在の本質において自分自身を経験し 自分自身から逃避するのではなく、 自分自身と一体化することによって、 相手と一体化するということである。 愛があることを証明するものはただ一つ。 すなわち二人の結びつきの深さ。 それぞれの生命力と強さである。 これが実ったところにのみ 愛が認められる。
さあどうでしたか?? 『愛するということ』は1950年代に書かれた本ですが、 今読んでもぜんぜん物凄いものだと確信できますね… ◎愛する技術は全力で学ばなくちゃできない◎ そんなこと、考えたことありませんでした。 なんとなくしかやってなかった 自分でもいろんな経験からだいたいこんなもの、って 言えると思っていましたが、この番組で気付かされたのは、 その考えをきちんと整理する時間をつくってなかったこと。 自分の想像以上にあやふやなものだったことです!! 番組で紹介されたものをここまで引用してしまうくらいです。 最後に語られたものは、とても納得がいくものでした―
【愛は絶え間ない挑戦】
これはきっと生きることと同じだとおもいます。 “愛” ではなく “愛する” こと 愛していくこと “生活” ではなく “生きる” こと 生きようとすること
おかげさまで とんでもない自習ができてしまいましたw こんな機会ができたことに感謝したいです! これからもわたしは愛することに向き合っていくでしょう そして、その経験がダンスになっていくのだと信じます
『愛するということ』 エーリッヒ・フロム 第3回 愛とは与えること
愛の能動的な性格を、 わかりやすい言い方で表現すれば、 愛はなによりも与えることであり、 もらうことではない、と言うことができよう。
何を与えるのか? それは自分の一番大切なもの “生命” を与えること。 その生命とは、自分の喜び、興味、理解、 知識、ユーモア、悲しみなど、 自分のなかに息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。
これってダンスそのものじゃないか― そうおもいました
与えることによって かならず人の中に何かが生まれ、 その生まれたものは 自分に跳ね返ってくる。
本当の意味で与えれば、必ず何かを受け取ることになるのだ。 与えるという行為の中で何かが生まれ、 与えた者も与えられた者も たがいのために生まれた生命に感謝するのだ。
全力で挑んでも、ダンスは肯定も否定もされます いいこともわるいことも 好き嫌いも それでも、跳ね返ってくることがすべてです 跳ね返ってこないのは死んでるのと同じ ダンスを踊るにはいつだって恐怖があります “受け取ってもらえなかったらどうしよう” ダンスが上手とか凄いとか そういうものを受け取ってもらいたいわけじゃない そのためには、自分に息づいているものを知らなくちゃ それを知らなくてダンスになるわけがない これは人間関係に大きくかかわってきます。 自分を知らない人は自分のことを説明できません。 わたしたちは、どういう人間かわからない人を 当然、どう扱っていいのかわからないはずです。 生きて死ぬだけなら自分をもっていなくてもいいかもしれない。 自分が自分であろうとするなら 人と向き合おうとするなら わからない、というのは最大の欠落です 自分というものをもっていなければ曖昧なダンスになるだけ 与えるとか、共有するとか、そんな段階じゃない 人に見せるものになりえません! この回にはおそろしくダンスを感じました
与えるということを言い換えると、 共有するっていうことですよね? 与えたからなくなっちゃうものではなくて、分け合う
もらうところからは始まらない 与えるところから始まる
与えるというのは本当に勇気がいることです。 “与える”って強い言葉すぎて、上から目線な気がしませんか? 「与える」って言葉には本当に壁があるなあ… 大事なのは「与える」というよりも「毎日」です。 だから、その時々の“与える”ではなく“与えつづける”こと。
なくならない “与える”
考えたいのは、与えても失わないもの。 与えつづける人を想像してみたら、明るい人がでてきませんか? 明るくないと もらいたくないよね― 暗い人が与えてるって怖くないですか?? そもそも受け取ってくれないでしょうw そう考えたら、与えられる人、与えることができる人には、 明るさが伴っているということではないでしょうか
与えつづけることがあたりまえにできたら 与えることを特別なものにしなかったら 与えることが頑張ることじゃなかったら これにも語弊がでてくるなあ… 頑張ってる人が「頑張る」って言うのは頑張り過ぎですよね? 頑張ることがあたりまえだったら苦じゃありません。 フツーだからです。 それから考えるに、 与えることがフツーだったら 与えつづけることもできるんじゃないか 簡単に言えはしても実践するのは困難の極みです(爆) たとえば、美しさは自分を律すること。 怠惰にしてる人を美しいと思うことはないでしょう。 (ここでの美しさは見た目を言ってません) でも生活時間のすべてを律することは甚だ困難です!! どこかで気を抜かなくちゃ破裂しそ… でも、律することができる人がいたらどうですか? 律することがあたりまえの人だったら? 律することをあたりまえにできたら―
できるかもしれない
できるようになるというのは練習です できないものはできないからです
精神的にケチになってはいけない。 特に自分が大事、自分がかわいいって人 ナルシシズム・自己愛をある程度克服しないと、 与えることはできない。
簡単に言ってしまうと、 快・不快で物事を決めるのは非常に幼児的である。 成長がないということですね。
自分を大切にしない人っていうのは努力もしない。 (こういう自分でいいや)みたいになっちゃう。 ですから向上心もなくなってきますよね? 客観性っていうか 人から見て自分がどう見えるかな、 っていうのをそういう人は考えないわけです。 大抵の人はダメなヤツだとか思われたくないから 努力するわけです。 人間っていうのは理性がないと成熟できない。 つまり感情だけで、気分だけで決めるとか 好き嫌いとか そういう単純なレベルで考えてるうちは なかなか自己愛が克服できない。
成熟した人間だけが人を愛することができる。 では、【成熟した人間】とは?? 1配慮 2尊重 3責任 4理解 を身につけた人物のこと。
これがフロムの説く【愛の4要素】です!! 対人関係いついかなるときも使える究極のチェックリスト。 何事も、あたりまえにするまでが大変なんです☆
現代社会を一口で言うわけにはいきませんが、 目立つ側面は、人間関係がすごく増えた。 昔は狭い人間関係の中で生きていた。 インターネットで爆発的に人間関係が増えた。 人間関係が広がったら薄くなった。 顔が見えない、そういう関係を続けていると―
直に会うのは近すぎると感じている人が増えているかもしれない
インターネットに代表されますけど、 間接的な人間関係の特徴は、 ナルシシズムみたいなものを割と全開にできちゃう。 もう一つは、一方的にやめられちゃう。 何かをきっかけに人が去っていくかもしれない。 何よりも、愛が生まれるにはちょっと遠すぎる。薄すぎる。
愛がないとわたしたちは生きられない。 だとしたら愛はあるということなのでしょう。 なぜなら、わたしたちが“今”こうして生きているからです。 ですが、【愛すること】は簡単にはできません。 意識的にとらえようとするととても複雑になってしまいます。 実際、何度も整理するのをあきらめかけました。 でもここまでこれたんです! 自分自身の “愛すること” をダンスに投じたい 相手がいることに全力で向かっていきたい そうおもっています
| 2014年03月02日(日) |
シャレトンシュワッ!春 |
前日、元都民から有益な情報がもたらされました。
◎ウルトラの母 撮影会◎ 11:00 / 17:00 博多駅構内ファッションエリアAMUのリニューアル記念 あのウルトラの母とピグモンが登場! アミュリニューアルCMモデル、ウルトラの母とピグモンが なんとアミュエストに訪れます! 撮影参加者にはオリジナルウルトラグッズもプレゼント! (※数に限りがあります)
まさかリアル母の日にこのblogを最終稿ってるなんてね― (※たぶんDestinyです) ウルトラの母の日か〜 ウルトラな人が身近に来たとき、リベンジがはじまりました。 幼少期にヒーローと写真撮ったことないのが引き金です。 そんで、ウルトラなのはマニアな親友の影響です 笑 わたしにも大好きなヒーローたちがいたはず。 でも、誰も連れてってくれる人はいなかった― もう連れてってもらえなくても自らの力で行ける☆
大事なのは後悔よりも復讐です
あ、間違い間違いw
大事なのは過去よりも未来です(爆)
〜今に後悔を残さない〜 朝行こうと思ったけど不覚にも寝坊。 待ち合わせの恐怖! もう絶対マニアいようがありませんw なんと、友だちは唐揚げの試食して帰っていた(超実話 さっそく罪を犯してしまいました!! そういうわけで17:00の回しかない。 断罪を兼ね、決死の覚悟で20分前にとうちゃ…
ものすごい行列だッッ
悦子んなに!?!? (※神変換:えっこんなに!?) 経験では30分前行動しないと撮影は締め切りです。 これは、タロウの失敗で学んだこと 笑 もう二度と失敗しない! 寝坊したけどッ
ウルトラの母に対抗するため、同丈のスプリングコートを着用。 黒だったけど俄然人目を引きました。 〜サングラスしてないと身がもたん〜 毎回言ってますが一人で並ぶのはめちゃくちゃ勇気が必要です☆ 震えながら並んでる自分に言い聞かせるのはただ一つ。
ウルトラの母と写真撮るなんて機会は二度とない だって “母” だぞ母!! 戦士じゃないんだよ(爆)
〜勇気を振り絞るなら今〜 まぁこれも毎回言ってますけど余生を楽しむ技術ですw 臆病者にはできない技術ともいえましょう。 あ、ウルトラ母が駅構内を歩いてきました―
まわりにSPを引き連れての参勤交代は鮮烈なものでした
はっきり言いますが母、むちゃくちゃカッコよかったです 笑 ピグモンに全然目がいかなかったw さぁ撮影会が始まります。 その場所は駅構内ではなく外でした! 外にはささやかなお立ち台が立てられています! って盛大な野次馬だかりがッッ 恥ずかしいぞこれッッ しかしここまで来て怖じ気づくわけにはいきません! 勇気、勇気です。 だがここで問題はおきました。 流れ作業のように撮影は終わっていきます。 度肝を抜くポーズするための時間的余裕がまったくない― 並んで撮るだけか。。 つまらん さすがに無茶できそうにありませんでした。 だって後ろめちゃくちゃ並んでるもん…
キャッチフレーズは「シャレトンシュワッ!」 博多弁による「しゃれとんしゃー」の応用です 笑 「洒落てるね」とウルトラ言語を掛けての横暴w
ウルトラの母出演CMを見てわたしを思い出した人がいます。 一体どういうことでしょうか?? 撮影画像を見て気付かされました。
俺、全然ウルトラの母に負けてないな!!!(超実話)
まるでわたしもゲストの一人みたいでしたw 自分で言うのもなんですが、いい仕事してますね☆
こんなときでもないと“愛”について考えることはないw これも一つのきっかけ、整理するタイミングです。 考えれば考えるほどほんとうにわからなくなってくる! blog進行は遅れるばかりです!! 『愛するということ』 エーリッヒ・フロム 第2回の冒頭はこう始まります。
人は一つの独立した存在であり 人生は短い。 人は自分の意志とはかかわりなく生まれ、 自分の意志に反して死んでゆく。(中略) 人間は孤独で、自然や社会の力の前では無力だ、と こうしたことすべてのために人間の、 統一ない孤立した生活は耐えがたい牢獄と化す。 この牢獄から抜け出して外界にいるほかの人々と なんらかの形で接触しないかぎり人は発狂してしまうだろう。
孤独こそがあらゆる不安の源。 人間のもっとも強い要求とは、 孤独の牢獄から抜け出したいという切実な思い―
人間は本能が壊れている (からだに悪いと知っていても徹夜したり飲み食いしたり) ↓ 自我が必要 ↓ 自我を支えるには他者が必要
孤独でいると自我の支えようがない。 人間は孤独から抜け出す方法を考えて、実践してきた。
【人間が孤独から逃れるための3つの方法】 1 祝祭的興奮状態 気を紛らわすこと アルコール、麻薬、愛のないセックスなど 2 集団への同調 集団に同調することによって個人の自我はほとんど消え、 集団の一員になりきることが目的となる。 思想や感情をもたず習慣においても服装においても 集団全体に同調すれば私は救われる。 … サッカーをみんなで応援したりすることがこれにあたります。 一人でも応援はできるが、わざわざみんなと声を合わせて、 ワーワー応援。 これで人と一体化した気分になる。 3 創造的活動 芸術的なものもあれば職人的なものもある。 どんな種類の創造的活動の場合も 創造する人間は素材と一体化する。 絵画や小説、音楽をつくりだすこと、 大工さんがテーブルをつくる、農家が野菜をつくる。 創造的活動に没頭すれば、 人とのつながりなんて忘れて自分だけの世界に浸れる。
※しかし、これらはすべて一時的なものでもある。
LineやTwitter、これも一時的に孤独が紛れるだけ。 直接 相手に会うわけじゃないから 繋がっているようで繋がっていない。 メールとかでやり取りされていることに例外はあるとしても、 一般にはあまり内容のないことが多い。
【コミュニケーションが目的のコミュニケーション】
ここで伊集院光の鋭い一言が炸裂。 「僕もネットやりますけど、一時的には救われますよ? でも逆にそれが孤独を際立たせることもある。 たまたま返ってくる数が少ないとか返ってこないとか、 何かわからないけど、期待してたそれ以上のことなんて おきないってことがわかったりしたときに。 むしろ軽くつながったぶんだけ、より孤独みたいな―」
先生は答えます。 「反応があるかどうか、あるいは どういう反応が来るのかってのをすごく気にしたら、 やらないほうがマシじゃないかというくらい かえって孤独が深まることになっちゃいますね。 もう一つは、直に会ってないわけですね? 非常にまわりくどい形でつながっていることに 満足しているので、ある意味では、 近寄らない近寄らせない、 距離を保ってるようなところがありますよね?」
これには唸りました… つながっていながら孤独が増幅することがたしかにある。 なんともおかしな話じゃないですか!? SNSやっててそれを感じない人なんていないと思います。 誰かの反応を願わずにSNSやってる人なんていない。 ここから導きだされるのは、
自分がどれだけ大事にされているか、無意識に求めている
まわりくどい形だとわかっているのに、です!! そこに期待してること自体があやうい “反応が返ってくることで安心したい” 自分にもそういうところがある めちゃくちゃ気持ち悪くなりました
話が折れたので戻しますw ここで戻したいのは“創造的活動”です。 わたしはダンスを踊っていますが、 ダンスはたぶんここに分類されそうですよね? ですが、孤独から逃れるために踊ってなんかいやしません!
断じて現実から逃避するためなんかじゃない
むしろ現実と向き合うために踊っていると思ってるくらいです わたしのダンスはファンタジーを踊っていません カラダを感じてもらうために踊っています 生きていることを踊りたい、そう願って踊っています
第2回の最後は以下のようにしめくくられました。
そんな方法を取ってほぼ解消されていても やはり埋められない孤独というのがどこかにある。 フロムはそのために愛が大事だと言うわけです。
完全な答えは、人間同士の一体化、他者との融合、 すなわち愛にある。(中略) この世に愛がなければ、 人類は一日たりとも生き延びることはできない。
愛を大事だと思わない限り、技術を身につけようとは思わない。
つづくw
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