| 2014年01月30日(木) |
成人女子、メカ仕込む日 |
1/13 星人の日。 街が見慣れない和服姿であふれかえる日のことを忘れてました! 毎年言ってる気がしますが、まるで日本じゃないみたいですよね笑 細菌は和服姿もニューエイジ化してきて“ちょっと違う感”満載です☆ 粧し込み方もなかなかに由々しき事態です。 年々、古式ゆかしい振り袖姿は見れなくなってゆくのでしょう…
さらば日本美意識
そんな日、コンビニ店員さんのネームプレートに釘付けに!!
「ま」
えっ… 意味わからん
わたしは本人に尋ねました。「名前、漢字だとどうなるの??」
「馬」
うまかよッッッ!!! それ呼べない!! 「ま」なんて最初から読めるわけがない!! 文章にすると、かなりあべこべな世界が展開してしまいます!!
「馬!こっち来て」 「馬!前出ししといて」 「馬!レジお願い」
き、厳しすぎるw めちゃくちゃ賢い馬ですね 今年が馬年なだけにタイムリー☆ 実のところまったく笑えません。
自分に置き換えたら即トラウマでしょう
◎さて、そんなわけで去年のNo.1名札女子を発表します◎ それは某スウィーツカフェ店員さん(美人)
「村長」
店間違えたかとおもったw なんか“そういう”店かと(爆) 危なく指鳴らして呼ぶところでしたね。。汗
そんちょ… ※(正)むらおさ
きっと尊重されるべき村長の火刑なんでしょう。 いや、家系でした。 しかし今となっては軽くイジメの原因になりうる名字です! 本人に尋ねたら事実そう言ってたし。。 あまりのデリケートな問題に複雑な気持ちになりました―
名前の大切さにあらためて気づかされる成人の日でしたね☆
◎たくさんの人からうれしいメッセージが届きました◎ いずれも未来の力になります☆ 個人的なものではありますが、理屈抜きに いちダンサーとして 嬉しかったものを紹介させてください!
タイスケさんお誕生日おめでとうございます! またタイスケさんのダンスが見たいです☆ あのダンスの日(Choice)はなんか私の中で革命的な日でした… いつでも変わらないタイスケさんらしい毎日を過ごしてくださいね。
力を尽くして踊ればきっと何か伝わるはずだ 伝わらないはずがない それを信じこれまで踊ってきました 全力というのは実は醜いものです
わたしはその醜さに光をあてたいとおもっています
人に見せるのは失礼だという人もいるでしょう 心の力はかるく肉体を凌駕してしまうからです だからこそ そのカラダを、器を、鍛える必要がある 気持ち、感情、その密度を、よりカラダ全体に伝えるために そしてカラダから放つために
目指すもの 打ち込めば打ち込むほど “力の尽くし方” が問題だと気づきます 人知れず、がんばっている人にわたしは力をもらっていること 崇高なものを見るよりもできないことに抗うこと なりたいものに近づく、近づこうとする意思 意思が身体を突き動かすその姿に惹き付けられてなりません
勇気になるものは憧れよりもリアル
どうやったらそれを分かち合えるんでしょうか 漫然と全力で踊っても醜いだけです その中に光を見出だせなくては見てもらえるものにはならない 見ている人に、見つけてもらえなくちゃならない “ならない” ってとても苦しくてつらい言葉です だけど、この社会で生きていくためには役割があるのが現実です 自分だけで人生を完結できるものなら自分勝手にやれるけど やはり人間は他者がなくては生きていけません そして複雑な様相を帯びている現代社会でどうやって生きるのか 悔いなく生きるために最後にものをいうのは責任じゃない 自分の信念だとおもいます
自分の信念を人に見せるっておそろしく勇気がいる
「革命的な日」わたしにとってこれ以上ない言葉でした! むちゃくちゃうれしかった “なんだかわからない” ものが伝わったんでしょう 答えはわたしにはありません わたしにはわたしの答えがあるように それぞれの中にしか答えが見出だせない何か それにはダンサーに心をひらいてもらうことが前提です 技術のダンスでないのなら テクニックではないものを踊りにしたいのなら 本来、毎日の努力はここにあるべきだと考えています どんな人に対してもオープンであること 心をひらいてもらおうとするなら、先ず自分が心をひらかなければ
ダンスの日からずっとタイスケさんは私の中のヒーローなので 今年も応援しています
一番ヒーローとはほど遠いと知っているのはわたし自身です わたしのダンスは死ぬまで未熟だとおもうのです でも、だからこそ挑戦をやめないでしょう できることにとどまるよりも新しいものを発見していきたい そして、そんなわたしをヒーローとしてくれる人に対し 恥じないダンスを踊っていきたい、そうおもっています
◎誕生日であるこの日、初めて倒立がピタリと安定した◎ クラス後に練習してたら突然できた… 第二の人生初の快挙です! まったく力を使っている感覚はなく、浮かんでるみたいでしたw 完全にバランスの正中線がととのっていたんでしょう!! あまりにも力が抜けている自分に驚きましたw 倒立を目撃した人がかけてくれた声に余裕で返事ができたほどです 〜あの事故から今年で5年目に入りました〜 入院から退院、倒立なんて夢物語でした 実のところダンスに倒立なんて要りませんw あたらしい自分のカラダの可能性をためしてみたい 医師に「できない」と言われていたものに挑戦したがった もとのカラダに戻りたかったのもあったでしょう 過去の自分を超えることで自信を手に入れたかったのかもしれません 長いリハビリを経て練習できるカラダになってからわかったのは―
挑戦できる、それだけでものすごくしあわせだということ
できるようになることよりも挑戦できることがしあわせでした もちろん、できた瞬間のよろこびはたまらないものです
だけど、たぶん “完成” がしあわせじゃない
努力しているときは自分ではしあわせだとおもっていないものです たしかなものは結果であって、その努力は不確かなものだからです
みんなの叫ぶ声がきこえました「おぉ〜☆ タイスケさんすごい!」
これまではk野さんの倒立を歯軋りしながら見ているだけでした。 なんたって倒立は患部直撃です!! できる人を見るだけで歯が磨り減るのもうなずけますw しかしやっと同じ土俵に立てました。 まさか誕生日に完璧な倒立ができるなんて思ってもみなかった きっと何かの贈り物でしょうw
こうして後からblogにしてみると、 “完成” というよろこびは、オマケな気がしました “できること”を見せなければ人から認められないかもしれません でもきっと大事なのは結果じゃない 輝き、それは毎日です “今” なんだとおもいます
| 2014年01月27日(月) |
誕生日を確認する遠回りな方法 |
レッスンが終わってロビーでsくらさんとt福寺さんに遭遇。 ふたりとも尊敬する物凄い人たちです!
sくらさん「タイスケさん誕生日いつ〜?」
「明日ですよ」
sくらさん「あぁそっか〜」
会話終了。 即座に理解できる三つのこと。
この会話での焦点は “わたしの誕生日” じゃあない
先生とわたしが同じ誕生日なのを知ってるからです。 そう、先生の誕生日を確認するためなのだ!! 同じ誕生日って使えるw そしてその憶測が憶測でない決定的な理由。
明日が誕生日だというのに「おめでとう」の一言がないのだw
だって明日、明日ですよ?? 数日後じゃないんだよ?笑 わたしがどのような存在か、たいへんよく理解していただける よくあるエピソードかと存じますw
ダンスの世界に社交辞令はない
尊敬されなければ虫けら以下かもしれぬ。 がんばろう自分
いつか一匹残らず駆逐したいですね
まあ駆逐できなくていいんですけどw
| 2014年01月24日(金) |
トトロヨガ ファイナル |
◎第二次トトロヨガ◎ この日、特に待ち合わせしたわけではありません。 そこへ暗殺者のように現れるk野先輩!! おどろきもせずにわたしは言いました「やっぱりね」 俺は読んでましたよ、必ず来るはずだって笑 いつの時代もヒーローはそういうふうに登場するものです☆ ジブリ・レイアウト展もいよいよ撤収間近。 それに伴いトトロケーションも終了します。 〜チャンスは今日しかない〜 去年、第一次トトロヨガで学んだこと。 それは―
トトロの上では練習できない
なによりも撮影行列がある以上 “キメ”なくてはならぬのだ(爆) つまり、トトロケーションは練習の場じゃあない。
公共の場でありながら、おそろしく“本番”なのである
人の目があるということはそれだけで重圧がかかってきます。 “下手なことはできない” 失敗して“てへぺろ”なんてのは素人のやることです! 前回はいろいろと準備もととのっていなかった。 そして、心のどこかでトトロを舐めていた― 写真で見ればトトロのお腹はふわふわに見えるのだが、 現実はトゥルットゥルなのだ!! 滑 グリップ力は皆無と言ってよかろうw
勝利は自らの手足で掴み取るしかない
トトロはまったく力になってくれないのである 使えねー だが、知らないところでトトロはわたしたちに力を与えていた! 知りもせず、知らされもせず! わたしたちは全ポーズを崇高にキメられるわけではありません 特に上級技においては何度もデスマスクを刻みました やはり行列があるためにどうしても“焦り”が募り迫ってくるのだ! しかしここで奇跡がおきます
まわり人たちからの応援を感じた
おそらく、それはわたしたちの真剣さだけではない何か。 もう一つの力の源は… そう、トトロです!! トトロがそれをつくってくれているのを感じました 正直、わたしたちがポーズをとる間 こう思ってておかしくない。 “はやくしろよ” でも、そんな空気はなかった ほんとうに不思議でした そのとき、わたしはトトロの偉大さをあらためて知ったのです
トトロ、マジでスゴイ
この日、実は2度トトロヨガに挑みます。 消化しきれない、煮え切らない何かがあったからですw “おのれトトロ、おぼえテロ” 物好きだと言われれば、あまんじて受け入れますが、 トトロの上でヨガできる機会はおそらくもう二度とあるまい。 k野先輩とわたしはヒロミヨガで万全に体を整えました。 クラスで体があたたまった後、即座にトトロケーション侵攻。 もう恐れるものはない
◎トトロヨガ ファイナル◎ わたしたちが並んだ前には社会人青年とその超かわいい彼女が。 青年はその前の人たちに撮影を頼まれます。 彼女が横からスマホ画面見て叫びました。
「わぁ〜プロみたい♪」 (※どう考えても被写体がプロには見えない)
ってことは撮影技術のこと?? これはしたり。 最後にものをいうのは撮影センスです。 わたしは青年に撮影を依頼。 「今さぁ、プロみたいって聞いたよ」 照れる青年。 その力、見せてもらおうかw k野さんとわたしは二人してトトロ上でポーズを決めまくりました! 大阪から転勤してきた青年の時間止まりました 「えっ…」 体ができていたからか、のびのびやれましたねw そんな空間が展開しているからか、後ろに並ぶ人はいません。 それも幸いしてかなり集中できました(爆) 当然のようにポーズはエスカレートw なんたって共通点は出来うる挑戦と悔いを残さない人生です!! そのラスト、青年はわたしたちの本気さにのまれたか 角度等の指示まで出しながらシャッターを押し続けます!! 俺たちは俺たちで倒立をしまくりました!! 撮影終わったあとに青年が一言いいました。
「いやぁ最後は疲れてましたね〜」
k野さんとわたしはふたり揃って言いました 「チッ」 そして、世界は変わりました あとに続く人たちみんなが独自の楽しみかたを模索した それぞれ刮目すべきポーズで写真撮ってましたw なんの人間味もないつまらない撮影例なんて誰もしません みんな輝いてました 見ていてすがすがしかった わたしたちがトトロヨガに全力で挑んだ結果、 トトロケーションの雰囲気が一変。 みんなのトトロへの向き合い方が激変したのです!! “恥ずかしい” が抜けたのでしょう
つまり俺たちが相当恥ずかしいことをしてたってことです
“あれに比べればわたしたちはたいしたことない” みんな次々と果敢にトトロを責めました。 トトロが起きたら叫ぶでしょう「なんじゃこりゃあ!!」 永遠に寝てるからそんなこと言うわけないんですけど(爆)
バカにされるかもしれませんが、 ほんとうに世界は変わったんです 誰かの行動がみんなを、こころを、大きく変えることがある それだけの引力がわたしたちにあったのでしょう あれから5年。 生きててよかった☆ 日本にトトロがいてよかった☆ ヨ… 日本の宝です
| 2014年01月23日(木) |
「エンダーのゲーム」 |
エンダー・ウィッギン、禁断の《サード》の少年戦士。 宇宙戦争を終わらせることが、彼の宿命― 伝説の近未来小説、完全映画化! ◎2014年、映画人生をこの映画から始めて本当によかった◎
『エンダーのゲーム』 僕は、戦いたくない…
2XXX年、謎の生命体フォーミックの侵攻からからくも絶滅を免れた人類は、迫りくる第二次侵攻こそ人類存亡を賭けた最終決戦と覚悟を決め、地球の運命を託す新世代/ニューカインドの戦士の育成を急いでいた。 エンダーは優秀な兄姉の存在によってその頂点に立つ<戦争を終わらせる者=Ender>として期待され、政府によって誕生を特別許可された第三子、サードの少年。 その類い稀な戦闘ゲームセンスと出自から周囲に特別視され、妬みといじめの対象になっていた。 来るべき運命の日… 地球防衛組織である宇宙艦隊のグラッフ大佐の命によって、エンダーは地球を離れ究極のエリートのみが選ばれるバトル・スクールへと送られる。 だが、そこでもエンダーは特別な存在だった。 実戦さながらの無重力バトル訓練でも連戦連勝、若干10歳にして自分の隊を率い指揮官となるべく、24時間あらゆるプレッシャーに晒される。 エンダーの才能を妬む者からは、卑劣な手段で攻撃され、命のやりとりさえも、訓練の一環だった。 地球に残された時間はあとわずか― 大佐はついにエンダーに最後の試練を課す。 それは、失敗の許されない艦隊シミュレーション演習。 だが、そこには、エンダーの心を徹底的に破壊しかねない、衝撃の事実が隠されていた―
めちゃくちゃ面白い!! ものすごい完成度です 友情を育むシーンはちょっと足りないとおもうけど! 兄と姉、とくに兄はぜんぜん予備知識足りてないけど! そもそも原作は1977年発表、1985年のものですよ?? SF界の権威、ネビュラ賞とヒューゴー賞をW受賞。 『Ender’s Game』、SF小説の金字塔でした!
このシナリオ、ストーリーは、神すぎる
よくこんなものを映画化できる時代がきたものです!! しかしあらゆる意味で原作者の想像力は凄い。 1977年ですよ?? 主軸は宇宙生物フォーミックとの異星間戦争なんですが、 実のところ人間のほうがおぞましい気がしました。 才あるものを妬み、力あるものに屈する。
人類の世界は汚くて醜い、そう思いました
同時に、これが人間の力なのかもしれないとも思った
エンダーの能力はすさまじく、一歩間違えば危険なものでした。 自己防衛とはいえ襲ってきた先輩を返り討ちにして、 寝たきり生活にしてしまいます。 エンダーの家族はブチギレる兄とやさしさあふれる聡明な姉。 兄はその暴力からのカリスマ性を、 姉は頭脳明晰で人の心を離さないカリスマ性を持ち合わせます。 残虐さから指揮官候補を落とされた兄。 逆に優しすぎる共感力が原因で指揮官候補を落とされた姉。 その両極を行き来するエンダー。 この描かれ方、実は、人間の心の力そのものです。 わたしたちの誰もがもっている心の方向性。 心が揺れ動きすぎる人は付き合いづらいよね。 どんな人にも心のバランスが必要なのだとしたら、 力あるものこそ“バランス”が必要なのではないでしょうか。 突出した才能とはおおよそ叩かれるのが世界の仕組みです。 その才能が世界に必要とされるものならば優遇される。 時代にはそうさせる流れがある。
この物語はバランスが問われるものだといえます 人間にはおそろしいまでの複雑な感情が渦巻いてるからです
エンダーはもともと好戦的ではまったくなく、 「戦いたくない」と考えていました。 ですがその圧倒的な戦闘センスがそれをさせません。 “大人”がそれを利用しにかかってきたからです。 大人には大人の正義がある。 宇宙生物フォーミックの攻撃から地球を守る。 これまでの犠牲や人類のために絶対に負けられない戦争。
大人の最大の弱点は、二元論にしてしまうことです 敵か味方か。 きっと年齢を重ねれば重ねるほど凝り固まっていくもの。 想像力も柔軟性も同じです。 だからこそ主人公は少年なのでしょう。 しかしそれこそたいへんなことです。 大人は子どもを目的のために扱うことになる。 ここはハリソン・フォードが見事に演じています!
「エンダーよ、目覚めるのだ! 地球を救う戦士として!!」 「これは、お前の宿命なのだ!」 「戦え、お前に選択肢はない!」
フォーミックにはフォーミックの事情がありました。 言葉をもたない昆虫型異星生命体フォーミック。 突然襲われた地球という設定は、敵として確定させました。 しかし、フォーミックにはテレパシー能力があった なんとフォーミックは意思伝達方法があったんです! フォーミックの母星は死滅の危機にさらされており、 地球にやってきたのも決死の逃避行だったのだ―
意思伝達できるならなんとかできる可能性があるよね これ人間同士でも同じ 〜できないから戦争になる〜
地球側には対フォーミック秘密兵器が開発されていた。 それはMD-500分子分離装置。 スターシップに装備された、物質を分子レベルで破壊する兵器です! これがまた波動砲を思わせる超弩級兵器でした!! エンダーに課せられたのは敵フォーミックの殲滅。 それは宇宙の一生命体を滅ぼすこと。
命を滅ぼすことです
エンダーは敵の真実を知らされぬまま波動砲を発射。 その指揮でフォーミックの母星ごと破壊してしまいました 最終試験に合格したと思ったエンダー。 しかし実は、その艦隊演習こそが本物の戦闘だったんです ゲームとしてリアル戦争をさせられていた
これが大人のやり方でした―
しかし真実を伝えれば心が動揺する原因となりえます。 大人がもつ知識の使い方だといえるでしょう。 ここは考えさせられる場面でした… だってこれは“戦争”なんです 何がよくて何がわるいかがわからない たとえ意思の伝達ができたとしても脅威には変わりない 滅ぼしてしまった事実はエンダーの本音を引き出しました
「もっと意思を、思考を、知ろうとした!!!」
この台詞には、唸りました この台詞こそが、希望そのものだからです “なにもかも終わってからじゃ遅い” 大切な人を失ったとき誰もが必ず思うことではないでしょうか。 後悔が押し寄せるなら、もっと大事にできたはずなんです 大切な人がおしえてくれること 命がおしえてくれること それは、できることを自分がどれほど億劫にしているか できることに対して自分自身に嘘をついていないか ほんとうに大事なものが何なのか わたしたちは同じ人間でさえわかりあえません 自分のことだってわからなくなるくらいです ですが人間のいいところは、考え続けることができること 人間にはよりよい未来、在り方を考え続けることができるんです! 間違った自分をあらためていける。 それは、自分をあたらしくしていく力ではないでしょうか そして、これは “努力” なんだとおもうのです 何度も言ってきたけれど、努力は生きてるときしかできません ここにシフトしたら、努力は決して苦しいものじゃない 努力を楽しんでやりましょうよ!
あきらめたら終わりじゃない、思考停止こそが終わりです
いつでもなんとかしようとする意思が、選択肢を見出だして、 人間が人間らしい輝きを放つはずです!!
『エンダーのゲーム』は二元論で終わりません。 描かれ方は都合のいいものと見えなくもありませんが、 希望を感じさせるたいへん重要なシーンを残します。 それは、わたしたちに問いかけるラストではないでしょうか―
誰かを真に理解したら情動がわく。 自分の平和の才を見極めねば!!
| 2014年01月18日(土) |
「Dance Museum」 |
手紙が届いてました。 中にはチケット同封。 「よかったら来てね」 ええ、ええ、もちろん行きますとも!
『Dance Museum』 1/18・19 AOKI TAP DANCING
かつてわたしはここでTAP踏んでました。 もう遠い過去だけれどw そういうわけでAOKI TAPには仲間たちが多くいます。 手紙はその仲間、大先輩 南さんからでした―
おばあちゃんと呼んだら絞め殺されるでしょう
そのTAP、とくと見届けねば!! って、え!? どええええええええぇええええええぇぇええええ
南さん忍者?! 忍者TAPですかあああああ!?
にっ、忍者TAP… 半端ねえッッ!!! 忍たま的 超かわいい忍者装束で TAP DANCE キタ― 度肝を抜く忍者姿で登場したのは南さんと奥まゆみさん。 この二人こそはAOKI TAP、人生の大先輩ツートップ。 年齢指数は誰も追い抜けないレベルですw 頭巾に貼られた車運転初心者マーク。 その意図ってなんだ― 後から尋ねてみてわかったことですが、 二人は自分たちで衣装を決めてたし、 初心者マークも自らの意志で貼ってたんです!!! この二人、本気すぎる。 なにが本気か、って…
本番を楽しむその準備にまったく妥協がないこと
一目見ればわかる。 明らかにTAPシューズは自前で製作しています。 だって忍者ですから、草履風or下駄風にチップ釘付けなんですよ! 奥さんのダンス中の笑顔はほんとうになんともいえません!! あの顔を見たら絶対踊りたくなる!! どう見たって“楽しそう”じゃない、“楽しんでいる”んです!!
この人生、あんな忍者にはもう二度と出逢えないでしょう
わたしの中で一発レジェンド認定が下りました with忍者 写メらなきゃ一生後悔する、わたしはそう確信しました 南さんと奥さんはフィナーレに忍者姿では登場しませんでした。 南さんが恥ずかしさから全否定したそうです(爆 まぁラストで忍者姿だったら不真面目さが表立っちゃうよなw そういうわけで忍者と写真撮れるのは明日しかない。 そして出番直前しかないのだ。
全ての予定をキャンセル
これはもはや全力で忍者と写メる人生選択でしょう。 我ながら物凄い選択ですが、それほどの引力がありました。 今から考えても、それ以外の選択肢はなかった。 出演者たちも忍者たちと写真撮りたかったと言ってました。 でも、二人は出番前しか忍者やってませんから、 撮りたくても撮れないのだw みんな自分の出番と役割でいっぱいいっぱいのはずです! 出番直前に記念写真なんてヨユーは絶対に“ない” 初心者マークについて質問すると奥さんが言いました。
「わたしたち、忍者としては初心者だから」
なるほど! 妙に納得してしまいましたw 忍者は初心者でもTAPについてはその正反対ですw アンバランスさがたまらんわw
しかしほんとうに凄かったんです 涙がでた そのTAPはもとより、目を見張ったのはダンスの内容でした。
あんなに堂々とTAP踏むアラ8見たことない あんなにかわいいアラ8忍者見たことない あんなに力強く手裏剣飛ばすアラ8見たことない 本番中に背負った刀の柄に手が届かない南さん見たことない それを見た奥さんが刀を抜いてあげるだなんて見たことない そしてそのすべてが演出だっただなんて信じられない
すべては南さんと奥さんの計画だったのだ― もう涙がでた 刀抜いてあげた瞬間なんてあまりにも自然すぎて涙がでた わたしは間違って忍者に憧れてしまいました
忍者っていいなぁ
あまりにも衝撃的すぎて焦点が忍者になってしまっていますが、 わたしにとってこれこそがダンスです
南さんと奥さん、ふたりのダンスを決して忘れないでしょう
| 2014年01月13日(月) |
誕生!? 一人秘密結社 |
1/11のblog更新忘れてた― きっ記憶がっつ
この日はトモコSpecialクラス(from Cicago)に参加。 面白かった! その後…っていうか、赤紙来てたの忘れてたッ!! ブティック寄ったらその場で捕獲、連行されました!! 面白いのは担当店員が同伴して会場に向かうそのシステムw なんだろ、この会場までの妙なデート感覚。。 もしかしてそれが狙い?狙いなのかッッ?? 会場到着。 階段につけられた鎖を外して昇ります。 関係者ですから(爆
『Paul Smith 受注会』 受注会はフリードリンクとかお菓子とかが出ます。 ワインは出てきませんでした涙
むちゃくちゃあやしいTシャツ発見。 ってか、マジであやしすぎだろ!! これさえあれば、どこからどう見ても秘密結社の一員だ☆ 鷹の爪とかまったく相手にならないデザインです! (全体的に灰色なのがどうにも根暗だけどw) わかりやすくいうとフリーメイソンに近いかな。 それをさらに怪しくした感じね。 これで街中歩いたり、地下街歩いたり、ハタまたヨガで着てたり 絶対避けられるね。
もう話しかけられたりなんかしない
夢はひろがるばかりです☆(ヲイ こんなものをPaul Smithがつくってるだなんてね!! っていうか、ほんとうに紳士さ皆無なんですけど!! もう二度とこんなTシャツは発売されないかもしれない。 これ見たあとじゃ度肝を抜かれるものがない 買うしかない笑
きっと俺しか発注してないんじゃないかなw
街中で品位ある謎の組織風の人がいたら声かけてみてくださいね!
秦の始皇帝 中華統一ファンタジー。
『キングダム2』 色褪せぬ時代
群雄割拠、戦争と支配の物語。 “中華全土に名を轟かす天下の大将軍になる” そんな夢に向かって爆走するちょっと頭足りない主人公 信。 名のある武将を討ち取って(殺して)名を上げていきます。 ある意味でそういう時代だったことも事実でしょう。
◎乱世、その夢と希望はどこからくるんでしょうか◎
その時代に生まれた命をどう使うか― 争いのない世にしたい 力を試したい 支配したい 世界を知りたい 裕福に暮らしたい 戦争、平和、野心… わたしたちの夢の起源ってたいへん興味深いものですよね? 一人一人、最も衝撃的な記憶が深く関わっているはずだからです
そう、“巨人を駆逐してやる” 的なやつが!!
でもこの時代、どう見ても“やらなきゃやられる”でしょう。 やらなきゃ殺られる → やられてたまるか → やってやる 平和なんて考えられる状況じゃあない。 人とは、なによりも自己防衛が先のはず!! この危機感こそが、なまぬるい現代との決定的な違いでしょう!!
夢や希望は、自分の命を守ることの上にある
ヒエラルキー最下層、戦災孤児下僕出身の信。 信には将軍になることを誓い合った下僕親友・漂がいました。 しかし漂は王弟の反乱で王の影武者として命を落とします。 王族と姿かたちが似ていたばっかりに利用された件!! 秦王・政は普遍的正義感の持ち主。 すべてを背負う覚悟を胸に秘めています。 中華統一。 それだけ聞くと偉大なものに聞こえますが、 実は大戦争を引き起こすことであり、 輝かしさとは正反対、悪魔のような所業だと言えます。 しかし、誰かが為さなくてはいつまでも血を流すことになる。 まことの王の資質とは勇気よりも忍耐かもしれません。 秦国は魏国に侵攻します。
廉頗、おぬしが出てきた理由、 それは1年前の王騎が討ち取られたことへの憤りであろうが!! 信(王騎将軍が討ち取られたから!?) ほぼ無名の李牧と崩建に敗れた王騎は結果的に時代の流れに のまれる形となった。 いや、そもそも六大将軍も三大天もおぬしを除いて皆が。 それが許せぬのであろう?廉頗! 抗いようのない、この...
時代の流れが何だと言うのだ!!! 強者は最後まで強者! 老いようが病に伏せようが、 戦場に出たならば勝つのが鉄則!! だが王騎は敗れ、死んだ。 長く戦場から離れていたとはいえ、 あれだけ儂らと激戦を重ね続けた男が、復帰後わずか一戦でな! あやつは六大将軍と三大天の名を汚した愚か者よ!
信「ふざけたこと言ってんじゃねえ!!!」
ふん!わっぱが! 10年はやいぞ。 儂に物申したいのならば名乗れる名を手にしてからにしろ。
信「名乗る名はもってる! 飛信隊の信! あんたの四天王、輪虎をこの手で討ち取った飛信隊の信だ!
輪虎を…討ったじゃとおおおぉおおぉぉおおぉおおおおぉおおお
何してる信! はやく逃げろ!!
信(さすがにこの身体で挑むのは無謀か!? だからって退けるかよ!!! それにやってみてえ やって感じてみてえ 六大将軍と互角だったっつう、元三大天 廉頗の力を!! 馬鹿なのはわかってる でもさっきからそうしろって背中を押されてる気もするんだ 王騎将軍と輪虎の手に!)
圧倒的な力量ある人間に挑めるチャンスなんてまずありません。 チャンス自体がない。 なぜなら、そういう人物は既に名声を得ており、 一般的な場所に姿を現さないからです。 孫子の兵法では、勝てないならば戦いを挑まない。 (これは生死を賭けた戦いの場合です) だって、死んでしまっては元も子もないものね。 しかし自分の進むべき道の先にいる人物なら挑まなければ。 どんなに差があろうとも挑むべきなんです! そうすることで初めてその差を実感することができる。 差を知ることで自分に足りないものがなんなのかがわかる。 へこんだそのあとこそが成長のカギ☆ 差を知ることであきらめてしまうようでは、 それは本物の夢ではないということでしょう。 実感するということはそのまま“生きている”に直結します。 信の「やってみてえ やって感じてみてえ」に わたしはめちゃくちゃ共感しました☆
うわあああああああああああああああああああああああああああ わっぱがあああああああああああああああああああああああああ (廉頗の矛の切っ先をギリギリで耐える信!)
信「やっぱり、ものすげえな... 大将軍の本気の一撃は!!」
儂の一撃を止めたじゃと??なんじゃこの剣は? なんじゃこの小僧(わっぱ)!? ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお ぬああああああああああああああああああああああああああああ (廉頗の剣圧で10mくらい吹き飛ぶ信) いい加減にせぬかあ! 廉頗、もうわかったであろうが!! 時代は確実に次の舞台へと向かっておる。 じゃがそれは決してあの時代を色褪せさせるものではない!
王騎回想(こここここ笑、納得がいきませんか? 貴方には敵いませんねえ、あれだけやりつくしたのに まだ灯をともそうとしておられる。 しかしそれはもういいではありませんか将軍? あの時代はもうあれで “完成” しているのですから)
時代の流れなど知ったことか! 待て廉頗! その者は王騎から矛を受け取った者じゃぞ!! ふん、どおりで… ずっと気になっていたことがある。 小僧、正直に答えよ。 王騎の死に際はどうであった? 敗戦の将となったが武名を汚すほどのものではなかったのか? それとも無念のうちに顔を歪めて死んでいったのか?
信「どっちでもねえ。 将軍は強者が次の強者に討たれ、時代が続いていく。 だから乱世は面白いって笑って言ったんだ。 その姿は誰もが憧れる天下の大将軍の姿! 堂々たる英雄の姿そのものだった!!」
その言葉に偽りはなかろうな? そうか… さすがじゃな、王騎。 口では時代は完成したなどと言いながら、 貴様自身の中でもまだくすぶっている残り火があった。 じゃが半端な思いで貴様が戦場に戻るはずはない。 間違いなく新しい戦いを見出だしたからのはず。 その大事な道を一歩目で踏み外したというのに。 そうか… それでも貴様は全てと折り合いをつけて笑って逝けたんじゃな。 ふっ、まったくどいつもこいつも自分勝手に先に逝きおって!
老いようが病に伏せようが、舞台に上がるならば踊るのが鉄則!! ダンサーは最後までダンサーです☆
k野さんを筆頭株主に、今年も行ってきました宵恵比須☆
『十日恵比須大祭』 あらゆる商売人大集合
去年、割と前のめりな十日恵比須行幸から一年。 k野さんはチャリ、元都民とわたしは別途地下鉄で向かいました。 先行して参拝戦列に投下されていたネイバーヤマーダ。 ネイバーには並んでる時点で“木のポーズ”が課されていました。 やってたらすぐ合流できますから。 かるいイジメのようですが、実は勇気が試される試練系ですw しかしこれには問題がありました。
物凄い行列の中、“木のポーズ”を繰り出しながらどう進むのか
木のポーズは片足バランスのポーズですから基本動けません。 しかし、行列は前へ進みますから、たとえ木のポーズを決めてても 進まないわけにはいきません。
木のポーズにとって、移動は最大の成長といえましょう
人知れずそんなものが課されていたわけですが、 やはりネイバーはわたしたちが現場到着してからしかやる気なかった
「木のポーズやるなら今?今なん??」
メッセージに吹きましたw 勇気が見えなかったわたしは行列を2往復くらいしたね。 k野さんと合流できたらしく、発見したときは二人で木をやってました
次回ゼロ距離するときは崇高な木の役でもやってもらおうかな
元都民も合流、無事全員揃いました! あ〜木のポーズでジリジリ進んでるネイバー見たかったぜ。 そんな木があったらたぶんみんな避けてるだろうねw あまり並んでなかったらジリジリじゃ速度足りないと思うしw
十日恵比須の霊験を凌ぐ木を、林を、森を、目指す
これまでの歴史を超えてこそ人類の謳歌です! 命を心底謳歌するって、そんな簡単なことじゃないですからねw これから木のポーズをやるときにはこれを目標にしよう☆ 来年が楽しみです!! 一人じゃ林には、森にはなれないのだ!!
◎来年も元気だったら大祭、木のポーズで会いましょう◎
遠い未来、十日恵比須でみんなが木のポーズで並んでるといいですね きっと歴史ってそんなもんでしょう(爆) さあ社が近づいてきました! 鳥居前、去年のメンバー全員がおおよそこう思ったでしょう
そろそろポーズ決めるかw
その雰囲気にネイバーだけ気後れしてましたね。 「えっ…」 なにしろネイバーヤマーダは宴会芸の更なる拡張のために ヨガやってるという筋金入りの前のめりです。 k野さんとわたしは崇高なのを目指してる超生真面目人間ですが、 人生を謳歌するという意味ではふざけたことを死ぬ木でできます。 同じ前のめりでもここらへんが大きな違いでしょう。
すぐ後ろに並んでた人に白羽の矢が突き刺さります。 「じゃあポーズするんで〜よろしくお願いしま〜す」 厳かな雰囲気を微妙にぶち壊すお願いです。 並んでるのは厳かですが、おおまかにはお祭りですから。 わたしたちのご無体なポーズは周囲の度肝を抜きました笑
四人そろってかかと落とし(違
わたしの足が一番上がってるのはダンサーとしてのプライドですw さぁ今年も聞こえてきました!! 「ふくふく〜 Xめ〜ん(えびす面) 大当たり〜」 相変わらずの掛け声の中、初めて聴いたことないの聴きました! 「商売繁盛〜 いかんいかん…」 って何がいかんの!? 何か失敗したんだなこの人!! 人間、いい加減なこと言っちゃいけません。 本殿前、荘厳な祈りを捧げます 参拝終了。 狛犬前、鮮烈にヨガを捧げます 隣の参拝行列を尻目に黙々と太陽礼拝はしてませんが、 ヴィラ1とか極楽鳥とかガルーダとか繰り出しました! そんなわたしたちを横目にk野さんはハンドスタンド始めます。 さすがですねw そうして始まる、世界をひらく、より良い角度へのあくなき闘争。 「もうちょっと後屈ッ!指先まで意識ッ!視線だよ視線ッ!」
もうこれ絶対お祭りじゃないよ
そんなわけでヨガ大祭、やりき… いやいや、十日恵比須大祭やりきりました☆
『十日恵比須大祭』 勇気の欠かせない行列アトラクション
来年はどんなポーズを捧げるか、それが問題です。 毎年リスク上げていきたいですね!
勇気のつづく限り わたしたちは成長をつづけることでしょう
| 2014年01月05日(日) |
お正月だよ!ウルトラマン全員集合!! |
◎ウルトラマンと楽しむ日本のお正月◎ 1/2、親友に捕獲されて会場へ爆走したの忘れてたw 『お正月だよ!ウルトラマン全員集合!!』 初シュワッチ!! なんだよ、その8時だよ全員集合!的パクリタイトルッッ!!笑 っていうかこれ“市制50周年記念事業”よ?? マジか― そんな記念事業で“初シュワッチ”か― すごいな市制50周年!! 文章化してたらレベルの高い推測変換に笑っちゃいましたw “全員酒豪!!”ってなん… “姿勢50周年”って、それはまだだよ!! 正月だけに推測しすぎたんでしょう。 さすがはmy文字変換です 市制50執念でつくられた世界は次のようなものでした。 【ウルトラショット】 かっこいいポーズで記念撮影しよう 【ウルトラヒーロー立体絵巻】 ウルトラ戦士が日本のお正月を紹介!伝統の年末年始が学べる! 【ウルトラ年賀状】 特製年賀状をセブンポストに投函してお友達に挨拶をしよう! 【カネゴン神社】 初詣はカネゴン神社に参詣しよう! 【ウルトラ光の広場】 もちつき!書き初め!カルタ! 毎日日替わりでイベント開催! 【ウルトラ屋台村】 美味しい飲食はコチラ! みんなで“食”を楽しもう! 【ウルトラ縁日】 射的!わなげ! 縁日コーナーで景品ゲット! 【ウルトラ角打ち】 (※呼び込み文なしw 子供は知らなくていいからか☆) 【ウルトラアミューズ】 セブンふわふわやウルトラトレインが登場! 元気に遊ぼう! 【ウルトラマンデパート】 おみやげは品揃え豊富なここで決まり!! 【ウルトラマンバトルステージ】 ギンガをはじめ、ウルトラヒーロー大活躍! これを見なけりゃ地球人じゃない! 広大な会場でした… 広すぎてさむい!!(爆) 最終バトルステージに間に合ったわたしたちはさっそく向かいました。 わたしを宇宙人呼ばわりする人たまにいますが、リアル地球人ですw ヒーローショー、実に何年ぶりでしょうか― っていうか、まったく身に覚えがない 笑 両親に連れて行ってもらったことがないのだ
ウルトラ戦士はもちろん、宇宙人や怪獣が次々に客席へ迫ります!! ん? 待てよ??
これ、ところどころ“ゼロ距離”じゃないか―
おもった。この人たち友だちだw(※人じゃないけど) 舞台人の端くれとして、わたしは真剣にステージ設営や音響照明、 パフォーマンス、司会のお姉さんの会場掌握のチェックします。 大事なのはすべて 会場全体を見渡せる二階席。 群舞を見るにはここが一番です! 誰がどこから現れるのか、会場が広いほど綿密なプランが必要のはず。 それを見届けるのだ!! すべては録音台詞でおこなわれており、ステージはアテレコならぬ、 アテ演技で成り立っています。 どこでしゃべる演技をするかなど、位置取りはデリケートでしょう! タイミングは言うまでもありますまい!
お客さんが目の前にいるのですから失敗は絶対に許されません 中盤、ウルトラ戦士たちは全員倒され、宇宙人と怪獣が客席を蹂躙!! 子供たちが怯えて泣き叫ぶ程度にゼロ距離を満喫w いいね〜! これ俺もやりたい。 これこそ舞台人の正月☆ こうやって幼い子どもたちに強烈なトラウ…じゃなかった思い出をw
ここで司会のお姉さんが観客をマインドコントロールにかかります。 「みんな!応援して!!がんばれ〜!!!」 すごいのはイノセント子供たち。 本気でウルトラ戦士を応援するのであるw もう理屈じゃあない。 ウルトラマンは光の戦士なんです! わたしはその光景のすべてを見ました、目撃したんです
そう、ウルトラマンは子供たちの応援なしには決して悪に勝てないのだ 試したいのはヒーロー像の逆転。 もしウルトラマンが悪だったら? あの光の戦士姿で悪だったら?? 外見が動物みたいなのとか明らかに妙な生物とかが正義だったら?? 〜どうやら美しさは正義です〜 みすぼらしかったりだらしなかったりしたらヒーローじゃない なぜかわたしたちは美しさに惹かれてしまいます。 ほんとは美しくなくたって地べたを這っていても正義はあるよね?? なんで人間は目に見えるもので決めてしまうのかな。 どうして中身を見ようとしないのかな。 わたしはそんなものを曝いて世に問いたい、そんな欲動があるようですw
やられる側にだって人権はあるんだ(※人じゃないんだけどね)
巨大怪獣が出現。 全員が光線を放つポーズしますが光線はもちろん出ません。 映像もなし 爆発煙だけで“やられた”を演出。 なんたって巨大な怪獣がリアル爆発するわけにはいきません。 爆発は危険だからです! わたしは見ました、冷静に見ていました 煙が出たあとゆっくり歩いて舞台をハケる巨大怪獣を あぁ、そうだよね… 歩いて去るしかないよね― 物凄い歩幅のない感じで歩いてました… これはつらいなぁ。 あれだけ大きいと歩くのも相当大変でしょう。 その暗黙の了解に、わたしは舞台人としてせつなさを感じるのでした
なんとか演出で歩き去るのを見せなくできないの!? わたしはどうしても考えてしまいます “なんとかできないか” 自分だったらどうするか ステージの仕切りをうまくつかう、とか。 照明でなんとかできないか、とか。 目くらまし、暗転は?とか。 もっともっといいステージにしたい、できるはずだ、 そうおもったのです―
ウルトラマンは人間がつくりだしたヒーローの代名詞。 歴史まである、本当に稀有な存在ですよね! 最終的には相手の存在を消してしまうほどの正義を行使するけどw ある意味で救いようのない結末ですが、 物語の内容は常に正義の所在を探し続けるものです。 正義は時代背景や流れに大きく左右されるふしがあります。 わたしたち自身の正義もその普遍性が問われるのだとおもいます。 人への対し方、立ち振る舞い その一つ一つ、そのすべてが大きく正義に関わっていくのでしょう
ご神体を食った撫子(中学生)が蛇神になった『囮物語』 ”かわいい“についておぞましく学んだ続編ですw 今回も例に漏れず長いたたかいとなりましたが、 まあこれが本当に納得できるたたかいなのでした☆ マジで2014年の最初からおっそろしく煮詰まってます。 それだけ考えるに足る話だというのは幸運に違いない―
『恋物語』 千石撫子を騙しにかかる貝木泥舟。 しかし撫子は意外にもあっさりと貝木の嘘を看破、 大量の白蛇で攻撃してきた。 瀕死の詐欺師が最後に吐露するは、嘘か、まことか―
囮物語では、恋が破れ 出来心から蛇神になってしまった撫子。 今回は10分を超える台詞を撃ち込むだけで完結しうる気がするw
千石撫子がこうもあっさりと俺のウソを看破したのは、そもそも こいつは俺のことをまるっきり信用していなかったということだ。 だから騙すも何もなかったのだ。 俺はもっと心の問題を重視すべきだったんだ。 ここまでこの娘が心を閉ざしていたとは思わなかった。 心の闇ではなく闇の心だった。 誰のことも相手にしていない
「ほんと、もう嘘つき、みんなみんな本当に、嘘ばっかりw ほんとうに嘘ばっかり。ほんとうに嘘ばっかり。 ほんとうに嘘ばっかり! 世の中って、世界って、この世って、 ほんとうに ほんとうに ほんとうに ほんとうに ほんとうに、 嘘 嘘 嘘 嘘 嘘 ばっかりなんだから。 ほんとうにもう嘘つきなんだから―」
あぁ? 誰に言っている? そして何を言っている? まるで自分は嘘をついたことが一度もないかのような言い草だな? オマエだって周囲のすべてを騙してきたくせに!! オマエには誰かの願いを叶えるなんかできないよ! オマエ、神様になったからって、 自分のことを特別な存在だとでも勘違いしてるんじゃないのか?
「嫌いだって言われたんだ、私みたいなかわいいガキは 嫌いだって言われたんだ〜 だけど、それってどうすればいいのかなぁ、 わたしはたしかにかわいいガキだけれど、 けどそれって基本的に私のせいじゃないじゃない? 私だってこんな自分は嫌いだよ。 だけどこれが自分なんだから、 これが私なんだから仕方ないじゃない? それでも、そんな自分でも自分なんだから 好きになるしかないじゃない? 大嫌いな自分でも愛せるような、どんな自分でも愛せるような、 神様みたいな自分になるしかないじゃない?」
これは悟りとは言えない 自己中な自分肯定でしかない 受け容れることはあきらめることじゃない!! “あきらめる” それはある意味で“神様”というのが的を得ています!! 誰からの言葉にも耳を傾けず、自分がすべて。 自分を神様にすれば、まったく他者の干渉を受けずに済む 貝木がそれを晴らしてくれます。
そうじゃ、ないな。 結局、オマエは今に至ってもまだ神様になっても まだ昔と同じように人間だった頃と同じように、 周囲にいいように振り回されているだけなんだよ。 “かわいいかわいい”ともてはやされているように、 “神様神様”と もてはやされているだけなんだ。 オマエがお人形さんなのは今も昔もちっとも変わらねえよ! そういうところ、俺の知っている女は違ったぜ? アイツは神様に救われることを拒否したぜ? 楽になることを、幸せになることを、拒絶したぜ? 俺はな、アイツはそのままのほうがいいと思っていた。 なのに、アイツはあくまで神に頼らない生き方を選んだんだ。 願ったんだ。 なりゆきとか、出会い頭とか、誰かのせいとか、何かのせいとか、 そういう心地良さそうなのを全部否定してきた。 いろいろ気を回してやった俺を逆恨みする有り様だぜ。 なあ、オマエとは大違いだろう? 千石?オマエ、 神様になんかなりたかったわけじゃないって言ったよな? なりたくてなったわけじゃないって。。 じゃあオマエ、漫画家になりたいのか??
「あ、あ、ああああああああああああああああああああ うわああああああああああああぁぁああああぁあああ 何故知ってる 何故知ってる 何故知ってる 何故知ってる!? うわああああああああああああああぁぁぁあああああ さ、さては! み、見たな? 見たな?見たな??見たな???見たなあああ????」
あぁ見たぜ? 10円玉でくるっと回して鍵を開けてなぁ〜
「うわああああああああああああああぁぁああああぁぁ ぜ、絶対に開けちゃダメって言ったのに! 暦お兄ちゃんにだって見られたくなかったのにいいい」
上手いじゃねえか、絵? しかもその内容が凄いって! なんだよあのとろけるようなご都合主義のラブコメは?? 80年代かよ?w あんな男が現実にいるかよ!馬鹿馬鹿しい。 しかも展開的には結構エッチだったりしてな?
「うわあぁぁぁあああぁああぁあああああああああああ」
設定資料集もかなりの分厚さで圧倒されたぜ。 しかしまあ設定盛りすぎだろう? ありゃあもうちょっと スマートにしたほうが万人受けすると思うぜ? 俺は。
「こ、殺す、殺す 殺す 殺す オマエを殺して私も死ぬッッ」
俺を殺しても無駄だぜ? 考えてはみなかったのか? いくらオマエをネコ可愛がりしているオマエの親だって、 行方不明が続けば、いずれはあのクローゼットを開けるぜ? ま、でも今すぐ神様をやめて人間に戻り部屋に戻れば、 問題なく自分の手で処分できるんじゃないのか? 見られるのがそんなに恥ずかしいんだったらー
「ふざけんな!! そんなバカみたいな理由で神様をやめられるわけないだろ!!」
そんな理由で、ねえ。 じゃあオマエ、どんな理由なら神様をやめられるんだ!? 誰に話を聞いてもよお、 オマエがあんな趣味をもっているだなんて情報はなかった。 そこまでオマエは頑なにあれらの恥ずかしい創作物を隠しきったんだ。 オマエは誰にも言わなかった。 それはつまり、オマエにとってそれが本当の夢だからだろ?
本当の願い事は、他人にも、神様にも言うもんじゃないからな
神様になったオマエは幸せなんだろう。 楽しいんだろう。 だけどオマエ、神様になりたかったわけじゃないんだろう?? たった半年待つだけのことでアヤトリに熱中してしまえるほど 暇をもて余しているんだぞ? 阿良々木たちを殺したあと、一体どうするつもりなんだ? どれだけ幸せだろうと、 朽ちるのを見守る番人でしかないぞオマエは。 貧乏クジだ オマエは神様になりたいわけでも幸せになりたいわけでもなかった。 漫画家になりたかったんだろう??
だったら、なんでならないんだ―!?
「バカじゃないの? あんなのただの落書きだよ。 拙くて恥ずかしいから見られたくなかっただけだよ! 夢だなんて、馬鹿馬鹿しいこと言わないでよ!! あんなのゴミだよ!! 棄てたいけど棄てるのも恥ずかしいから、 あそこに隠していただけに決まってるじゃない!!」
自分でつくったものをそんなふうに言うもんじゃないぞ、千石。 創作は恥ずかしいものだし、それに夢も恥ずかしいものだ。 それは仕方がない。 あたりまえのことだ。 だが、少なくともそんなふうに、 自分で卑下していいものじゃないんだぞ? それに上手かったじゃないか。 才能ってやつがあるんじゃないのか オマエ?
「そんなわけないじゃない! それに、なろうと思ってなれるものじゃないでしょう!!」
だが、なろうと思わなきゃなれないものだぜ? 神様とか幸せとかと違って。
それに、神様ではなれないものだ。 人間じゃなければ―
千石!俺は金が好きだ。 何故かといえば金はすべての代わりになるからだ。 物も買える、命も買える、人も買える、心も買える、 幸せも買える、夢も買える。 とても大切なもので、そしてその上で、 かけがえのないものでないから好きだ。 逆に言うと俺はな、かけがえのないものが嫌いだ! これがなきゃ生きていけないとか、あれだけが生きる理由だとか、 それこそは自分が生まれてきた目的だとか。 そういう稀少価値に腹が立って仕方がない! 阿良々木に振られたら、オマエに価値はなくなるのか? オマエのやりたいことはそれだけだったのか? オマエの人生はそれだけだったのか? あのなあ千石!あのなあ千石! 阿良々木とつき合うなんてかったるいことは 代わりにどっかの誰かがやってくれるってよ。 だからオマエはそんなかったるいことは終わりにして、 他のかったるいことをやればいい。 やりたいこともしたいことも他にいくらでもあるだろう? あっただろう? 違うか!? なあ千石? オマエにとって、 阿良々木以外のことはどうでもいいくだらないことだったのか?? 両親の、あの善良な一般市民のことは好きじゃなかったのか!? オマエの中の優先順位で、阿良々木以外は全部ゴミか!?
「…ちがうよ」
ならばどうしてだ? どうして阿良々木だけが特別扱いになる?? アイツはオマエの分身か何かなのか?
「貝木さんに何がわかるの!? 貝木さんは私のことなんか何も知らないでしょう??」
いろいろ調べた、だがそうだ、何も知らない。 重要なことは、何も知らない。 オマエのことはオマエしか知らないんだから。 だからオマエのことは、オマエしか大切にできないんだぜ? そしてオマエの夢も、オマエにしか叶えられない。
「そんな… とっかえひっかえみたいな… あれがダメならこれでいこうみたいな 適当なことしてもいいの人間は?」
いいんだよ、人間なんだから… かけがえのない代わりのないものなんかない、 俺の知ってる女はなぁ、俺のよく知ってる女はなぁ、 今してる恋が常に初恋だって感じだぜ? 本当に人を好きになったのは、今が初めてって感じだぜ? そしてそれでただしい。 そうでなくっちゃダメだ。 唯一の人間なんて、かけがえのない事柄なんてない。 人間は、人間だから、いくらでもやりなおせる。 いくらでも買いなおせる。 とりあえず俺がくれてやった金で本格的な画材でも買いにいけよ…
「だから… 私、べつに、漫画家になりたいなんて思ったこと 一度もないって。 それに、たしかになりたくてなったわけ じゃないけれど、せっかく神様になれた幸運を蹴っちゃうの もったいないってフツーに思うよ? でも、漫画を描いて神様って呼ばれた人もいたよね? もったいないと思うんなら、そうなればいいんだよね?」
ああ、オマエならきっとなれるさ。 騙されたと思ってチャレンジしてみな?
「わかった、騙されてあげる」
ほんとよくできた物語で、実に興味深い内容でした これは、ひとつ熟慮すべき考え方かもしれません なろうと思わなきゃなれないもの。 自分のことは自分しか知らないんだから 自分のことは、自分しか大切にできない。 そして自分の夢も、自分にしか叶えられない。
“本当の願い事は、他人にも、神様にも言うもんじゃないからな”
これは、こないだ幸福論のときの、 “無意識の自分”に通じるものではないでしょうか!? 本当の自分を知る手がかり
意識すると“恥ずかしい”ものになる
極端に人生が捻れると突拍子もない行動に 移してしまうことは事実、よくあることです。 若気の至り― 誰でもその記憶あるんじゃないのかな? すべてが当てはまることではないでしょうが、 撫子のような人間はたあくさんいるでしょう。 痛かったのはこれ。 (創作は恥ずかしいものだし、それに夢も恥ずかしいものだ) (それは仕方がない あたりまえのことだ) 胸に刺さりましたw わたしはそれを人前で踊っている人間だからです ダンスに“これしかない”という気概で取り組んでいるからこそ、 そのときの自分自身が完全に投影されています(特に即興) そのときのリアルを見られているわけですから、 これが恥ずかしくないわけがありません 技術の拙さは置いておくとしても、踊りは相当恥ずかしい 後から見ると“ゴミ”だと思えてしまうことだってある。 人に対するということはほんとうに複雑ですよね それでも“恥ずかしい”が奥底の自分に繋がるkeyだとしたら、 わたしは自分自身を間違っていないとおもうのです
◎最後に、度肝抜かれた貝木の捨台詞を紹介します◎
別に幸せになることが人間の生きる目的じゃあないからな。 幸せになれなくとも、なりたいもんになれりゃあいいんだし。 けどまあ なんにしても、 生きてりゃそのうちいいことあるんじゃねえのかよ?
不意打ちをくらった気がしました
幸せになることを生きる目的から外したら、 物凄く自由になれる気がしたんです
わたしたち一人一人の“幸せになりたい”気持ちが、 わたしたちの心を縛っていると言えかねないからです。 その時代の幸せのイメージ、一般的なそのイメージに。
“生きてりゃそのうちいいことある”
一見投げやりな言葉にも見えますが、これはたしかな真理です もしかしたら、わたしたちの毎日はこれだけでいいのかもしれない 度を超えた絶望とつりあう言葉はこれかもしれません
考えすぎる絶望の反対、希望が楽観的な不確かだったなんて… 思わぬ発見でした―
| 2014年01月03日(金) |
絆、そのほんとうの力は |
撮りためた番組つづくよどこまでも。
前代未聞、世界七連覇へ。 のしかかる七連覇の重圧。 七、七連覇ですよ?? せ、世界ですよー
『絆で攻める』 チアリーディング日本代表女子
世界の頂点、世界の頂点です!! 日本がそんな快進撃していた件ー ◎目指すはノーミス演技◎ ◎史上最高得点での優勝◎ コーチは言いました。 「大会が終わるまで成長し続けるチームであってほしい」 制限時間2分30秒のスポーツ、チアリーディング。
女子ピラミッドはマジですごい
特に“ダブルツイスト”は日本しか成功させたことがない技。 女子一体を4m空に投げ上げるだけでなく、 飛ぶ選手は上昇中に2回ひねりを加えます。 しかも今回は3つ連続で繰り出す演技内容。 まったく一人の力じゃない。
全体の一人
一人一人の力の結束が不可欠。 チーム、それも生身の関わり、絆です!!
その筋力、フィジカルは半端じゃありません。 筋肉の張りを一目みれば明らかですw 腕は明らかに俺よりも太いね(涙
しかし試合当日までの道程は失敗の連続でした。 番組で見られるのはほんのわずか。 きっと成功するまでおそろしく失敗しているでしょう… わたしたち演技者は失敗と試行錯誤の上に成り立っていると言えます。
簡単に人前でなんて踊れない
それまでの時間は第三者には決してわかりません。 ピラミッドトップに立つ選手のインタビュー。 「いつもベース4人で2回転飛んでいたんですけど 今は3人になってやり方が少しわからない」 その1人の存在がどれだけのものか― あたらしい感覚を手に入れるには練習しかありません この“感覚”というのは非常にやっかいです。 しかも個人技じゃない、打ち出してもらっての技 打ち出してもらわなければ練習できない。 何度も失敗すれば迷惑をかけているという思いに縛られる 「2回回らないとと思ったら、早く回ってしまって 高さをもらいきれずに自分だけで回って 前に突っ込んでしまったりして… 自分ができていないっていうのがわかってるんで…」 なんとかして成功させようとするチーム。 その上で決めなきゃいけないのは自分だというプレッシャー。 日本代表を冠するチーム、厳しさは想像以上でしょう 「立つときに何をするか考えすぎて、 考えながらやるから(タイミングが)遅いと思う」 この発言はおそろしく突き刺さりました わたしにも同じものがかかっているからです どうしても難しい種類があり、何度やってもできない それを決定的にしているのはおそらくこれだと思う
感覚がわからない
考えるのはどうやったら出来るか。 感覚がわからないのなら理詰めで成功させる。
そう考えたところでカラダは数学じゃない
時間は待ってくれません。 3ヶ月後わたしは右を捨てます、左に重きを置く。 すこしでもつっかえがないほうを選ぶ。
どこかで右側に危険や恐怖を感じてストップをかけてる
なによりも“やりたくない”意識が奥底にあるのを感じるとき、 出来るようになんて絶対ならない
トップを打ち上げるベースメンバーはトップに言いました。 「考えないでいいように、 動きを絞ってシミュレーションしてきて、 その動きだけをやろう」 言葉、言葉にするのは簡単です やるというのは全然違う 乗り越えなくちゃいけない壁がある 「タイミングはやりやすいけど (上がる)スピードに自分が途中から負けてしまうので 一気に体入れきるようにします!」 「欲しい位置を押せてるよね今日? そこを噛み合わせていくわ」 わたしにとってこれはダンス言語ですw この会話はやってる人じゃなきゃわからない このやりとりを聞くだけでドキドキします 俺も、俺もやってみたい すごい、すごいなぁ 初成功を見たとき泣きそうになりました こんなふうに成功がわかちあえたらどんなにいいだろう うらやましくてなりませんでした
ダンサーおおよそ自己中だもの(爆)
世界選手権まで2ヶ月をきった代表チーム、通しリハ。 大技の連続でミスが続出!! コーチは全員を集めます。 「あのクオリティだったら出せないっていうのはあります。 それはどういうことかというと、 演技構成がみんなの能力をオーバーしていると思うから。 構成を変えざるを得ない」 過去、わたしにも切られていった技や構成がたくさんあります 切られたときのあの屈辱、全力でやっても人に見せられない現実 何度自己嫌悪に陥ったかしれません
興味深かったのはこの後の一喝です
「技を切られていくのが悪いことではなく、 向かう姿勢がないことが悪い。 感じたことないあんまり。 この技をやりたいんだろうなと感じたことは一切ない」
これには唸りました 気持ちがなければ今よりもいいところへは決していけない これが事実です
「チアリーディングがもつ、人を元気づけることとか 笑顔だったりとか自分たちがチャレンジしてきた勇気とか、 そういうの見せるっていうことを忘れない、 最終的には必ずそこが出せるような演技にするっていうことが 重要なので、練習の中でダメになったときに どういうふうに修正していくかっていうことを 技術的にだけじゃなくて気持的、精神的にも そこで逃げたりとか気持ちが退けたりしないように いつでもチャレンジ精神を持って攻められるように」
なにかをするということはどんなこともあまくありませんよね この言葉はどんな人にもあてはまるのではないでしょうか 人はきっとうまくいかないときにこそ成長する うまくいかないときにどう向き合うかで未来が一変します そのときにできる最高の選択が自分を育てていくのでしょう
選手権まであと3週間。 未だにミスが止まらないチーム。 チームは泥沼化 集中力、ノーミスってどれくらい集中力いるんだろう… 何回もいうけど個人技じゃないんです。
「すみませんでした」 「通し終わってすみませんとか本当に意味がわからない、 すみませんとかじゃなくて もっとこうしたいって前向きな方が聞きたい。 なんで謝るのかわからない」
涙ながらに全員がまとまっていく姿に胸を打たれました チーム全員が、一人一人が、一つのものに向かっていくこと そこには本気の中身、内実が問題になるのではないでしょうか 言葉で“本気”だなんて軽くいえてしまいます
本気には度合いがある
世界選手権、ノーミスを果たす日本代表 涙がでた
その密度は第三者には決してわからないものだとおもいます チームにしか共有できないもの
「今は家族よりいる時間も長くて1日中一緒にいて… 家族を超える絆ってなんていうんですかね?? なんていったらいいんですかね?! 戦友じゃないですけど、同士でもない、 もっともっと深くて強いものだと思います」
結成から3ヶ月、日本代表は圧倒的な強さで優勝。 これまでの失敗がウソのようなノーミス。 1位 日本 519点 2位 ドイツ 346点 3位 ロシア 311点 2位以下を170点以上もの得点差で突き放した結果です!! 世界七連覇の偉業達成 すごい、ほんとうにすごい すごいしか言葉がない すごすぎる 今までこんな世界しらなかった
「最高の上をいく最高」
からだをぶつけあう技はなくても、たとえヨガでも、 同じ境地に迫れるんじゃないか、そうおもうのです 自分を超えることができたら必ずまわりに伝播する その力はすくなからずみんなを変えていくはずです 努力すべきは自分のエゴを捨てて意識と空間を拡げていくこと
死ぬまで成長し続ける“人間”でいたいですね!!
| 2014年01月02日(木) |
「100分 de 幸福論」 |
しあわせってなんだろう 文学、経済学、哲学、心理学。 それぞれの分野のエキスパートがとっておきの名著で考える。
100分de名著 新春スペシャル 100分de幸福論
『好色一代男』 徹底的に愚行を追求 『国富論』 経済活動は人間の営み 『精神現象学』 思いを確め合う 『精神分析入門』 自分の知らない自分
『好色一代男』 主人公 世之介は生活することに不自由なし。 親の遺産、今の貨幣価値に換算すると400億を所持。 えええええ!? よ、400億って何?! ◎世之介の選択はその400億を一代で使いきること◎ ざっくり言って、お金も度を超して持つと不幸せ 出来ることは増えるのはたしかだけど、 きっと本物の友だちはいないんじゃないかな
この話、ファンタジーすぎてちっとも面白くない。 現実と離れすぎると学びも浅いと思った。
アダム・スミス『道徳感情論』 人間に具わった大切な能力としての“共感”。 人間がどんなに利己的であったにしても、 我々が他の人の悲しみを想像することによって 自分も悲しくなることがあるのは明らかである。 この心の働きこそが人々の行動を決める。 たとえば人が転んだのを見たとき、 心の中にはどう行動するべきか相手の立場になって考える、 “公平な観察者”が現れます。 この観察者の声に逆らって行動すると、 人は恥ずかしさや自己嫌悪を感じます。 観察者の声に従って行動することで心の平静、満足が得られるのです。 心の平静の条件 1 健康なこと 2 負債がないこと 3 良心にやましい所のないこと “幸福とは、心の平静と楽しみである” もし社会の経済発展の成果が大衆の手に正しく分け与えられないならば、 道義上 人心を得られず それは社会の安定に脅威をもたらすのである。 【番組進行】 経済活動を執り行う生き物は人間しかいないですね。 だからそういう意味では 経済活動は数字が作るものではなく、 実は人間による最も人間的な活動だということを アダム・スミスは考えていたのではないでしょうか。
“観察者”って何者なんでしょうね??w でも、わたし自身の中にも確実に“いる” これって心理学で語られた”超自我“じゃないの― 素直に生きるには観察者をよく知らなくちゃなりません。 少しでもなおざりにするとたちまちウソや言い訳をしてしまうからです
もっともわかりやすくて面白かったのは哲学でした!! ヘーゲル『精神現象学』、こんなものを37才で執筆かよー むちゃくちゃ凄すぎるッッ!!
近代に入ってからの人類は、個人が自由を自覚していく歴史。 しかし、ヘーゲルは自由には危ういところがあるとも思っていた。 自由を追求すると孤独になってしまう。 みんなと一緒という部分が切れて 自分だけの生き方を追求していくとどんどん孤独になったり、 そして孤独になっちゃうと何が起こるかというと、 生きる意味が分からなくなったりする。 本当に孤立化しちゃえば、 生きる意味すらも分かんなくなっちゃいますよね? そうすると自分の好きなように生きられるよ、だけじゃなくて、 もうちょっと更に、 他の人とつながってく道まで含めて発見できないと、 ほんとには幸福にはなれませんよ? だいたいそういうことを考えた人です―
あらためて哲学は凄いとおもいました。 今の自分がどの段階なのか文章でわかるんですよ!
そのときのポイントになるのは何か?っていうと、 人はとことん自由に生きたいって気持ちを持ってますよね? でも、もう一方で人から認められたい、承認欲求をもってる。 で、この自由を求める欲求と、承認を求める欲求は これ残念ながらしばしば矛盾するわけですよね? みんなに合わせていい子になって 空気を読んでいい子いい子にしていればみんなにバカにされない 認められてるかもしんない。 でも、自分の自由はなくなっちゃう。 でも、自分の自由をガシガシ追求すればまわりの人は知らんぷり してしまうかもしれない。 “自由の欲求”と“承認されたい”、 これはね、実はどっちにも共通のものがあるんです。 自由の欲求っていうのも、ただ単に寝たいときに寝たいってのも 自由ですけど、それだけじゃなくて自分のプライドを貫きたいと、 自分の価値を確認したいっていうのも入ってるじゃないですか? で、承認されたいっていうのも他人から自分っていうのを ちゃんとした存在だと認めてほしいというのが入ってるので、 両方とも自分の価値、自分のプライドを追求したい、 そういうものが人間にはある。 承認への欲求と とことん自由になりたいよ、これが矛盾する。 この矛盾をどう解いていったらよいのかっていうのが ヘーゲルの考えの非常に大きなポイントです。
自由を求める欲求と他人に承認されたい欲求、 そのぶつかり合いを人間はいくつかの段階を経て克服していくと ヘーゲルは考えました。 最初にするのは生死をかけた承認への戦い。
子どもが小学校に行くと、初めて知らない子と出会いますよね? 「俺のほうが強いぞ、俺を認めろ」 「いやいや俺のほうが強いぞ、俺を認めろ」 喧嘩する。 つまり自分を認めさせたくて喧嘩する。 喧嘩して勝ったほうが親分になって負けたほうが子分になる。 人間には戦って勝ちたいという競争的な本性があると考えられる。 で、そのカタチで生きてけば素直にスポーツやったり、 お金儲けしようとしたり、名誉を追求すればいいわけですよね? ところがどっこい、人間はそういう風に単純に出来てない、と ヘーゲルはおっしゃるわけですw
戦いに明け暮れた後、人間の意識は次の段階に進みます。 それは“自分だけの価値の追求”。
次の段階はね、「なんか競争 アホらしい」って思うんですよw 富の競争?大学入試の競争?名誉の競争? なんだよそれ、って。 それ、競争の奴隷になってるだけじゃん。 そしたら、次は「俺 競争おーりた」って思うわけね。 人から認められたいと思うから競争のゲームに巻き込まれて 結局奴隷になっちゃうんじゃないか、と。 だから人から認められたいっていうのはナシ。 自分で自分認めればいい。 もう承認要らないんだ。 俺、自由一本でいきます! で、その意識のことをヘーゲルはストア主義って言ってるんですが、 ストア主義っていう哲学の流派は特にローマ時代に流行って、 その人たちは名誉とか出世とかそういうの一切無視するんですね。 世間の競争に巻き込まれず自分たちだけの価値に従って 生きていこうよ。 そういうセンスがストア主義者なんですね。
引き蘢ってばかりはいられない。 意識は最終段階にたどりつきます。 それは“普遍”を求める意識の誕生。
最初は個性第一主義。 つまり自分の個性を実現するんだ。 自分の個性を作品として表現する、そこにこそ幸せがある。 人と比較しない、自分の個性を表現することだけが大事だから。 競争要りません、と思ってるんです。 でも、たとえば砂山つくるでもいいですよ? おぉ、いい砂山作ったなと思って、 でも隣の人のをちょっと見ちゃうとアイツのなんかかっこいいな 工夫があるなと思うし、じゃあどうすればいいかっていったら、 もっといい砂山作りたいな、自分も他人も認めるような本物の 凄い砂山作りたいなっていう意識が出てくる。 で、追求するんですけど、他人はですね、 「オマエちょっとこれなんとかしてよ」と言うわけですよ。 でもそのお互いの批評ですね、ダメだし含めて考えたりしながら やっぱりこれがほんとだよねーっていうのを追求していこうとする。 これがヘーゲルの考えた3番目の一番いいカタチなんですね。 それはどうなってるかというと、自由は追求してるんです。 自分がほんとにいいものを求めようと思ってるから。 でもこれはですね、承認を拒否してないわけです! 自分も他人もほんとに“これっていいよね?”と思えるものを 見つけて追求していこうとする、そうするとその中で自由と承認の 矛盾は完全に消えないかもしれないけど乗り越えられるはずだ― ◎普遍性を諦めない意識◎
魂は次々と段階を遍歴してゆき、それを歩み尽くしたときに 自分の本来の姿を知るのである
わけのわからないものに依存したり祈ったりする前に、 自分自身のことを知っていかなくては。 そう思いました
ヘーゲルは人間の意識がさまざまな段階を経験したのち、 普遍的な価値を目指す“理性”へと成長していくと考えたのです
【番組進行】 人間ってあたりまえですけど一人では生きてけないもので、 そもそも自分っていうのが出来たのは、 独りでには出来ないわけですね? いろんなものを取り入れて人間出来ているので、 そもそも自分は自分で育ったんじゃないわけですね。 ◎他人を必要とする◎ やっぱり人間っていうのは最初から一人ではなくて “集団としての人間”。 で、ヘーゲルも人類ってことで考えるわけですよね? フロイトなんかも非常にそういう発想があって、 人類全体と一人の個人っていうのはパラレルの関係になってる っていうのはヘーゲルとの共通点ではありますね。 【番組進行】 永遠にたった一人で幸せで居続けられるっていうのは 非常に困難ですよね… そこに共有もなければ承認もなければ競争もないというと、 人間はだんだん人間でなくなってしまうかもしれませんね。 そういう意味では、 人間は他者によって人間たらしめられている、と。 【番組進行】 今のところ日本人はまだ気遣いをする空気読むってカタチで つながろうとする。 でも僕はとてもシンプルだと思っているんですけど、 “尋ねればいい”と思ってるわけ。 「これ嫌だよ!」って言ったら、「何で〜? ちょっとおしえてよ。 何で嫌だと思うんだい? ああそう思うんだ〜」っていうね? 尋ねて確めれば人なんかそんな怖くないのに、 それしないとますます怖くなるじゃないですか? 相手の中に入らない方が、相手を尊重してるかのごとく。 相手を邪魔しないで相手を尊重しているかのごとく ちょっと思っちゃってる若い子いますよね? でも、ほんとの尊重ってちゃんと確めることだと思うんですよね。 そういうやり方を少しずつ僕らが学んでいかないと ほんとに孤独な世界ですよね― 【番組進行】 どうしても二元論にしちゃうんですよ。 人と関係してるほうがいいのか、全くしないほうがいいのか どちらかの苦しみを断つ方法をとったほうが楽ですよね。 引き籠り同士というのはつながりうるんですか? 不幸を共有する幸せってないんですか?
ここで伊集院光の度肝を抜く発言がきます
わ、これって心の奥底ではどうなの? 難しいのは、 不幸な者同士が合ってすごく結託することはあるんです。 引き籠り同士とか学校のつまはじき同士で 仲良くなることあるんだけど、そん中に俺どうも、 ちょっとした優越感みたいなものを お互いにもちあっているようなところがあって、 俺はこいつのこと親友だと思ってるけれども、心のどこかで、 こいつよりはちょっとまし、って思ってんじゃないか? そしてその逆も。 アイツはこんな俺と付き合ってくれてるすごい良い友だちだけど、 俺がいることで「ビリじゃねえ」っていう意識あんじゃねえか? って、その先にそういうことって…
これには唸ってしまいました 友情ってほんとうは危ういものなのかもしれません
そこに“愛”っていう概念を持ち込まないと解決しないんじゃないか。 全ての人間関係を解決できるようなものってないんじゃないかと。
ここでさらに唸ってしまいました 人の心は奥が深すぎる この番組の最終兵器は心理学なんですが、 これがほとほと面白いものです。 自我、超自我、前意識、無意識、エス ここではこれらまで文章にする余力がありませんw 組み立てられる哲学をメインに結末へ向かわせます!!(三重苦)
幸せだけでも手に負えないのに愛がくるぞと
ヘーゲルの哲学にはあらためて感心させられました。 しかしこの哲学、その幸せはおおよそ仕事に対して活かせるもの。 幸せのすべてを内包できるわけではありません。
生徒が幸福論という論文をもってきたんです― “どういうときにあなたは幸せだと感じましたか?” その問いに1つだけ共通してたこと。 それは― “自分を本当に大事に思ってくれているのが伝わってきたとき”
みんながいいとおもう、自分もいいとおもう、 本物の価値を追求する仕事人の幸せと、 友人や恋人や子どもとの関係もあるかもしれませんけど、 やっぱ愛が大事なんじゃないか―
幸せは幸せだけで完結できなかった― 人間ってほんとうに面白い わたしは心象をダンスにしている振付家です。 今のところはカラダの神秘性を始まりにしていません。 だからこそ心を知る努力をしているのでしょう そうじゃなかったら個性第一主義で進めていていいはずです!!
あぁやっぱり心理学に言及しないとこのblog終われない― ちくしょう
フロイト『精神分析入門』 幸せっていうのは客観的基準がないわけです。 非常に主観的な話で、心の問題ですね? したがって、幸福について考えるには、まず人間の心について 考えなければいけないのではないか? フロイトの業績を一言で言ってしまえば “無意識の発見” そういうものが心の中でどういう構造になっているかっていうのを 体系的に考えたのはフロイトが初めてだった。 近代哲学は“我”から出発する、言ってみれば自己中の考え方。 自分が中心になって世界を捉えていくという発想をするわけ ですけれども、フロイトはこの“自分”っていうのがどうも そう簡単なものではない。私達がフツー考えてる“自分”ってのは 意識のとこであって、もっといっぱい無意識のところがあって、 それは自分は知らないんですね。 で、これひっくるめて自分なんだ、という考え方です。 自分の知らない自分っていうのが、 どうも自分が知ってる自分の何百倍もあるという考え方ですね。 無意識の部分はわからないけれども、 知ろうとするかどうかで、自分をもっとわかろうとするかで やっぱりわかってくるものなんです。 すべてはわからないんでしょうけれども。 幸せと思っていても無意識の自分はそう思ってないかもしれない
如何に自分について言葉にできるか、っていうことが やはり大事かな、と。
そんな四人の考えは面白いところにいきつきます。 幸せとは―
断念ののちの悟りである ひとの痛みがわかることである ほんとうを確かめあうことである 愛する人の幸せを願うことである
共通点は“自分へのこだわりから解放されている”ところでした― 自分の幸せにしがみつかないで人のことを考えるところに 本当の幸せが見えてくる―
さぁどうでしたか?? たいへん長いblogになってしまいましたが、 自分の幸せについてわたしたちは意外と考えていないものです。 ほとんどの人が毎日に追われていて、 しなければいけないことがあるからです。 でも、時折、今の自分が一番たいせつにしていることを 確認していくことが未来への力に、 後悔しない生き方につながっているはずです!!
わたし自身の幸せを一言でいうなら“感謝”ではないでしょうか 分け与えて減らないものが愛というなら それは感謝だとおもっています
◎2014年 あけましておめでとうございます◎ 今年も当ブログを開いてくださってほんとうにありがとう!! わたしは撮りたまった数々の番組の視聴に入りましたw 年末年始でもなきゃまとまった時間は取れません! その中で、何度も何度も見直した番組があります。 今年はその感想を超えるところから始めたいとおもいます☆ その心意気は、共感はもちろん、見習うべきものであり、 負けられないものだからです。
10年前 私はパリにやって来ました。 一流の“tailor”を目指して。 当初はパリの街が全く好きになれませんでした。 27才で渡ったパリは孤立無縁、勝ち気だけが命綱だったー 平凡な服は作りたいと思いません そんな服は作る意味がありません
現在37才 その手が生みだすスーツはパリジャンを虜にする― その名は、鈴木健次郎。 異例の若さで パリ屈指のtailorとして名を馳せる。 そのスーツはModernDandy、新世代の美学と称されている
“一針の美学” テーラー・鈴木健次郎
それは、これまで見たことのないシルエットでした… 男気あふれる、男らしさの逆三角形!!! わたしのスーツ観を打ち破るシルエットだったんです!! メタボ腹も美しくなるの!? なんてこったー
真面目に作ると 人に何かを伝えることができる
手掛けるものは全てオーダーメイド。 1着50万円〜高いものでは数百万円もする。 1着仕上げるのに100時間。 どんなに頑張っても年間50着が限度らしい。 この番組で最初にお客で現れたのは、PRADAやDiorの広告を 手掛けるフランス屈指のアートディレクター。 客自身が生地やボタンを持ち込んでイメージを伝えるとか、 出来上がりに感激して、 「最高のスーツを持っている」と自覚できる、と言うほどです― す、すごい! この世界はすごい そんな一流のtailorが口にしたのは…
「胃が痛くなります」 「僕もね、不安ですよやってて」 「おっかないですよ、合うんだろうかって」
安心の上で生計を立てているんじゃないと直感しました 挑戦だとおもった
この不安は、生み出す職業の特権ではないかとおもうのです。 条件は“相手がある”こと。 自分だけのために作り出すものじゃないことです。 わたし自身が悩んでいるのもおおよそここです 平凡なダンスは踊りたいと思いません そんなダンスは踊る意味がありません 自己満足で踊っているわけではないので、いつも不安がつきまといます 当日、本番のstageに立つその時まで怖くてたまらない 自分のダンスを見てくれるんだろうか 見てもらわないと、踊らないと、解消できない
自分で「こうだ!」って思ってやってかないと全然合わない服になる 躊躇したりすると服にでてくるからなんだか中途半端な服になるんですよ からだに合ってるようで合ってないし、 キレイなようでキレイじゃないみたいな
興味深いことに、ダンスも驚くほど同じです 躊躇、迷うと瞬時にお客さんに伝わってしまいます ダンスを肯定させることがプロとしての責務だといえます 「こうだ!」という意思は、“生きる”ということではないでしょうか 「こうだ!」を持ち合わせていない人はきっと曖昧です そして、それから先は「こうだ!」の中身が問われてきます 「こうだ!」は世界との向き合い方に他ならないからです
仕事道具 アイロンだけでも知らない世界でした― スーツの芯となる硬い生地を200度の高温で曲げて立体感を出す、とか!
焦げるまでの時間にどれだけアイロンを効かせるかっていうのは アイロンの重さなんです。 だから僕らtailorだったら5kgのアイロン、これ3kgのアイロン、 重たいのを使う。 これで7kg、7は重いですよ? 手が痛くなるくらい
ミリ単位の仕事がどれだけのものか 世界が違いすぎてビリビリきました 世界、世界ってすごい
ある程度やっぱり攻めていって “あれ?なんであなたの服ってこうも違うの?” っていうことになっていくんです
何年たってもね、やっぱり着たい。 体型が変わっても直して着たい。 仮にこれがボロボロになって着れなくなったとしても ずっと頭の中に “最初にケンのとこで頼んだスーツはこんなによかったんだ”って。 いつか他のtailorで頼むことになるかもしれない。 それでも“僕の1着目はかけがえのないものだった”って。 “これを参考にして君も作ってくれ”って他のtailorに頼むかもしれない。 それでもいいんですよ。 ただ何か、その方の記憶っていうか、 大事なものの中に収まって欲しいですよね―
この気持ちは、わたしもまったくおなじです 記憶に残るダンスが踊りたい
そんな鈴木さんにもやっぱり厳しい世界が立ちはだかっていました。 〜本場で服作りを究めてみせる〜 27才、服飾専門学校A.I.C.P.に入学、首席で卒業。 パリ市内のメゾンに就職。 服のdesignを決められる権限をもつカッターになれるのは一握りだけ。 技術は認められるもカッターになれない鈴木さん。 直談判するも驚くべき理由を聞かされます。 「君がカッターに仮になったとしたらフランス人のお客さんは 全員いなくなる。 だからそういうことをするわけにはいかない というのは君も分かるだろう?」 差別されていた 順風満帆じゃなかったのだ。 やはり、どんな世界も簡単じゃない。 しかし、しかしです! 思わぬところで未来は拓けます。 A.I.C.P.校長がいろんなメゾンにかけあってくれていた― 老舗メゾンに東洋人として初めてカッターに。 2013年夏、自分の店を構えた鈴木さんに校長が言いました。 「努力と忍耐とプロ意識の賜物だ」 きっと本気で頑張っていれば誰かが見ている、 目に止まらないはずがない、そう思ったし、 それと同時に、やっぱり一人では世界は動かないとおもいました
僕なんかからすると自分より腕が良い人って もっといっぱいいるって思ってます だからもっともっと自分を高めていきたい もっといいものを作りたい
これだったら納品きちんとできますって状態にもっていくって 簡単じゃないんですよね 僕らもここではただの外国人じゃないですか? 駄目だったらもうそれで終わりですよね? 後がないっていうかね、 そういうそんな短いタームで仕事してるわけじゃないですけど、 やっぱり仕事がいいから評価されるんであって、 駄目な仕事してたらやっぱり…
自分を高める努力と、今の自分にできうる最高のパフォーマンス。 それらを自らに課している人は、共通して物凄い引力をもっています。 ダンスはカタチに残せるものじゃないから その“一回きり”にすべてを賭けないと、二度はないのです。 努力に終わりはありません 人に何かを伝えるツールがありすぎることは、 本当に大事なものを鈍らせます そんな世界で わたしは大事なもののために踊っていきたい そのためにもっと自分を高めていきたい 自分だからこそ踊れるダンスがもっともっとあるはずです 2014年。より深くその可能性を広げていきたいと考えています
常に自分の世界観を持っていて、それを表現したいと思う、 その努力をけっして怠らない人。 技術だったりいろんなことでそれを試行錯誤して表現しようと 最大限の努力をできる人。
わたしは2014年をいろいろな場所で踊っていこうと決めました。 強気ではありますが、野心を秘めて “天下布踊” とします! (天下布舞のほうが語呂はよかったんですけどw) その一つ一つに自分の大事な何かと対峙していきたいとおもっています
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