| 2013年09月30日(月) |
いつかくるその日まで、なので! |
2013リアル年末に、blog更新してるのまだ9月― 初めて見た人なんかは“止まってる”って絶対思うよねw
生きてます
3ヶ月遅れで地味に進退窮まってるけど(爆) 試しにぶっ飛ばしてリアル更新したら反感のメッセージが来る来るw 視聴者needsにこたえるのはほんとに大変なのだ!! こんな長い長文を読んでくれる人なんてコアなファンしかいない!!
ありがとうございます
大切な本番前には何も手がつかず、これからも大きく遅れていくでしょう 大目自体を、多めに見てやってください なんたってわたしの毎日は大事になっていくばかりです☆
『たまゆら 〜もあぐれっしぶ〜』
あまりにも気付くこと多すぎて終われない― なんてこった 実は、わたしたちの日常で“なんでもないこと”なんて一つもないんです
わたし、写真を撮るのも好きだけど、人の写真見るのも好きだから。 自分が撮るのとは違う写真、どうやって撮ったのかな、とか、 どうしてこの景色を撮りたいと思ったのかな、とか、そういうことを 話したり一緒に写真を撮ったりできたらいいな〜 と思って写真部を つくった。 だから、頑張ってみたい。
わたしも同じでした。 ダンスを踊るのも好きだけど、人のダンスを見るのも好き。 だけど、面白いことにそういうこと話したりできる人はほとんどいません これまで会ってきた同世代のダンサーには他者の踊りについて どう感じたのか自分の考えを言える人はほとんどいなかった。 あの場面がよかった、あのダンスにはこんな気持ちになった 感受性を話し合える人ってなんでこんなにいないの?? わたしたちはそんなものを踊っているんじゃないの?? ダンサー自身がそれを言えないってまったく理解できません。 ダンスは理解するものじゃない、感じるものじゃないですか
どの写真もいいな、って思った。 私が見るのとは違う、竹原の風景が新鮮だなぁって。 そしたらその作者が、私が思わず撮影したあの女の子で、 話がしてみたいって そう思ったの。 わたしも、わたしも同じです! そういう仲間がほしくて写真部をつくったんです! じゃあ私たち同じだね? でも、一人で写真部をつくった沢渡さんは やっぱりすごいと思う。 私いつもこうなの。 写真部をつくろうと したときも、この前も、考えすぎちゃって何もできなくなっちゃう。 コンテストもたまたまだし、沢渡さんの写真のほうがずっといいよ… そんなことないです! 一緒に、一緒にやりましょう! わたし、三谷さんの写真をもっと見たい。 どんなふうに撮るのか知りたい。 私がどう撮るのかも知ってもらいたい。 それから、それから… だから、一緒に写真部をやりましょう!
「一緒にやりましょう!」って本当にいい台詞だなぁって思うんです。 一緒にやりたくなかったら絶対声になんてできないよw ソロ公演に向けて、わたしも手伝ってくれる人を探しました。 一緒にやりたくないなんて人は一人もいません!
お父さんが言っていたとおり、写真が心をつないでくれた。 私ひとりだった写真部が、私たちの写真部になって、やっと始まる! 思い切って開けた扉の向こう側には、たくさんの不安と いくつもの失敗、そして、あたらしい出会いがあったので!!
本番までつづく抱えきれない不安、そしていくつもの失敗。 あたらしい出会いがわたしをたすけてくれました
私、お父さんの見た景色を、お父さんと見た景色を、 もっとこのカメラで撮りたい。 大切な思い出の場所も、これからできる新しい思い出も、 全部全部このカメラと一緒に見て、一緒に感じたい。 そして、たくさん写真に撮って 宝物にしたい。 みんなと一緒に汐入に来て、ちひろちゃんやともちゃんに会って、 そう思えたので! 今日はお父さんと暮らしたこの町で、 お父さんのこと、たくさん思い出せた! 思い切って来てよかった! みんな、ありがとう… ち、ちひろちゃんどうしたの? うれしい。 ほんとはずっと心配だったの。 もう大丈夫だよね? ふうにょんのお父さんのおかげだね!
文章にしてるわたしはおかしな男だと思われるかもしれません。 でも、この場面にどうしても涙が止まらないんです 『たまゆら〜もあぐれっしぶ〜』はわたしが踊りたいもの、そのものです わたしはきっと同じ方向を向いています この作品に特別なものなんてない。 そもそも 全てが特別だからです
木のポーズからの〜ニワトリ! バニーたんからの〜巨乳! まったくバカだな… 高校生だってのに。 バカは俺たちもだったが。 旭山まで走って一番遅いヤツが二重焼きおごるとか、 食いきれないくらいの食い物を担いで裏山で花火を見たり、 服のまま冬の海に入って朝陽を見たり、そんなことばかりだ… 仲良しだったんですね? 俺は卒業の頃には写真を撮らなくなった。 でもアイツはどこにでもカメラを持っていって写真を撮った。 撮りたいものをど真ん中にした写真ばかりをな… もっと視点や構図を変えて撮らないと誰にも注目されないぞ、と 言ったんだが、アイツにとって大切なことは、 人に見せるための写真を撮ることじゃなかったんだ。 大切なこと… アイツ、言ったんだ。 「自分が撮りたいのは、好きな風景や好きな友だち、 いつか好きな女の子ができたらその子を撮る。 その子と一緒に見た風景を撮る。 そして、できればその子と結婚して、かわいい子供ができたら、 子供も一緒にいろいろなところに行ってたくさん思い出をつくって その子が大きくなっていく姿を撮る。 撮り続けたい 」ってな… それを聞いてバカな高校生だった俺は言ったんだ。 「つまらない」と。 さっきカフェで見たアイツの写真は 相変わらず撮りたいものが ど真ん中で、でもアイツの好きという思いが溢れんばかりに写ってた。 この竹灯りもな。 まぶしい光じゃないが、この町を好きだという思いだ。 どっちもどうしようもなく心に響く…
今「つまらない」と思っているものでも、明日は違うかもしれません。 わたしたちの視点や考え方は時とともに移り変わっていきます。 だから、大切なものも同じです 若いときにはわからなかったものが、大人になると途端に輝き出す。 わたしたちが捉える方向がみんな一つでないことを知っていくからです。 正しいと感じるものでさえ、実は不確かなものであるということも。 それを知れば、物事を良い悪いで安易に決められなくなります。
その人がそのときをどんな考え方でどう選んでいるのか それはその人が生きてきた経験則によるものでしょう
突き詰めると実体験に基づく経験に行き着きます 安全か危険か、わたしたちはその経験で察知して進んでいるのでしょう 楓の父の友人、夏目の台詞にはそんなものを感じさせてくれました。 そんな台詞でも楓の父が亡くなったあとに気付くというのは… なんとも言えないものがあります 気付くことは案外簡単にはいきません。 自分の考え方でない方向を知らなければ見方は変わるはずがないからです わたしたちはその方向を否定ではなく受け容れなければ。 そうすると不思議なことに優しくなっているはずです。 受け容れることは聞くことから始まるからです
ダンスで言えば、見てもらうことから始まります。 まずは見てもらえなければ、受け取ってもらえるわけがありません。
わたしがどんな人間であるか 今をどう生きて、何を大事にしているのか
常にここが中心です。 これを抜きにダンスなんて踊れない その中心からわたし自身が変化していくことがダンスなのかもしれません
舞台上で今の自分を超えていきたい
気付いてもらえるダンスが踊れたら どんなに幸せかわかりません もしそれができたら みんなみんな変わっていける、そうおもうのです
| 2013年09月29日(日) |
「たまゆら 〜もあぐれっしぶ〜」 |
【沢渡楓】 身長145cmのミクロ系。 高校生になったのをきっかけに瀬戸内海の竹原市に引越してきた女の子。 ぽってぽって…という音が聞こえるような歩き方をする癖があり、 危険への注意力が足りないせいでときどきポテッとこける事がある。 そんなところから“ぽって”というあだ名で呼ばれている。 写真を撮ることで“しあわせ”を形にし、まわりの人達と心をつなげて いきたいと思っている。 使用カメラは父親の形見“Rollei35S”。
『たまゆら 〜もあぐれっしぶ〜』 あなたの笑顔が一番のありがとうなので
最初は退屈だなぁ〜っておもってました… 刺激がなく抑揚ゼロ作品に見えたからです。 まったく慌ただしくない 劇的展開は皆無で時間の流れがあからさまにゆるいのだw でも違いました―
時間の速度が違うことで、何を大切にしたいのかがはっきりわかる
これは秀作です なによりも、気持ちとしっかり向き合うことに主軸がありました
写真部、きっとうまくいくよ! うん、部員とかはどうするの? う、えーっと。。 やっぱ集めるんでしょ? だよね? 演説とかするんじゃないの? ええーっ 頑張るので。。 やっぱり、ぽってはアグレッシブだ! ええーっ それはみんなの方なので… 去年一年の間にみんながどんどん前に進んでいくのを見て、 私も頑張らなきゃって、何か始めなくちゃって思ったので。。 ワタシタチ展ってさ、ぽってがいなかったらやってなかったとおもう。 私、わかってるんだ… ぽってが悲しくて止まっちゃった時間を、 動かすためにこっちに来たんだってこと… みんなも感じてるでしょ? そんな大きな壁をさ、一生懸命に越えようとしているぽってを応援して るうちに、みんな自分も何かしたいって思うようになったんだよ… だから私、まだまだぽってのこと応援するんだ! かおちゃん... 私も! もし部員がいなかったら私たちがなればいいんじゃない? 私も参加するよ? みんな、ありがとう でも大丈夫。 一人でやってみたいから! いいんじゃない? うん、いいと思う。 目指せ、全員アグレッシブ!
わたしは“みんな自分も何かしたい”って思うことだけでいいんだと、 それだけでいいんだとおもっています。 みんな変わっていく、変化していくこと それは凄い力です 世界が変わっていく物凄い力なんです 欲や自意識が過剰になれば、どんな人でも何故かそれが“わかる” 不思議ですよねw 完成されたものには“よかった”としか感想は出てこず、 それだけで終わってしまいかねません! こんなにみんなが“ぽって”を受け容れてるのは、かるく奇跡です 高校生で“好き”を共有できるだなんて本当に奇跡としか思えません!
若さとは、独占することじゃないですか??
大人とは、好き嫌いではなく受容することです (※“大人”が独占することほど醜いものはありません)
この作品ですごいのは対立が全くないこと。 足りないものは分けあって、誰かが補完するのです。 その流れはアクシデントをアクシデントのままにしませんでした。 認め合う姿勢が、いいものを伴って返ってくるんです! 何かあったの? 嬉しそうよ? ええーっ? そう?? あのねお母さん、私、写真部をつくろうかなと思ってるの。 みんなにもそう言ったら、かおちゃんものりえちゃんもまおんちゃんも 応援してくれるって! 今までね、写真を通していろいろな人と出会えたでしょ? だから、写真部をつくってまた新しい出会いがあったらいいなぁって。 うん、素敵ね! お父さんのこのカメラがなかったら今まで出会った大切な人たちとも 出会えてなかったかもしれない。 だからわたし、頑張ってみる。 お母さんもふうを応援する! お父さんも応援してる! ふうたちを応援するのが趣味なんだ、っていつも言ってたから、 力一杯応援してると思う。 お父さん... お父さんがずっと私たちを撮り続けてくれたこのカメラで 私、写真部をつくることにしたよ? 大切な思い出をたくさんたくさん 残してくれたこのカメラと一緒に頑張ってみる。 うまく出来るかどうかわからないけど、みんなにも心配かけまくりで お父さんにも心配かけちゃうかもしれないけど、やってみたいので! そのカメラ、ふうの手にピッタリになった。 小さいカメラだけど、 それでもふうの手には大きいねえ、って言ってたのに。 いつの間にかピッタリになった。 うん。 この一年、私はたくさんの人に応援してもらってやってこられた このカメラにもほんとうにほんとうにありがとう。 新しい年もよろしくお願いします。
この台詞の“カメラ”を“ダンス”に置き換えればそのままわたしですw 感謝と、前へ進む意志がダンスに向かわせてくれています
ふうのお母さんの声はなんと緒方恵美!! 碇シンジくんですよ― しかしここでは“お母さん”そのものでしたw
踊ることでは、写真みたいに“しあわせ”を形にはできない 写真は“時間を切り取る”ことで思いを起こすことができます 写真を見て泣くことはできても“ダンスの写真”では泣けない 写真は写真でしかない 映像は映像でしかない じゃあダンスは? ダンスはどうやって“しあわせ”を!?
見た人のこころに、記憶に、ダンスを焼きつけるしかない
まわりの人達とこころをつなげていきたい そのためには“焼きつくほど踊らなければならない”そう考えています 本番まで、自分自身そのままではたりません 身を削って本番までどこまでやれるか 人のこころに残るのは決して見かけの激しさじゃない どこまでも真摯にダンスに向き合うこと ダンサーにとってそれは“あたりまえ”なのではないでしょうか
ダンスに向き合うことは見てくれる人に向き合うことです
| 2013年09月28日(土) |
阿蘇 家族旅行二日目 |
早朝、旅館テレビつけたら『あまちゃん』最終回―
最終回だけ見たw
突然の大団円! もう全然意味わかりませんでしたね笑 T町さんをはじめ、みんなから物凄く推されたんですけども。 わたしは、主人公の親友?のあの子がどうにも苦手です。 心のない能面みたいな顔にどうしても好感がもてない… あの子には何の罪もないんですけどね。。 その時点でわたしの『あまちゃん』は終了していたのが事実ですw
【大観峰】へ出発。 見渡すかぎり高原、すごい高原です!! ひゃ〜 いいね! 涅槃像に例えられる阿蘇五岳がッッ Five Peaks of Mt.Aso☆ 大観峰の崖っぷち、微妙に危険が及ぶ感じで三点倒立決めました。 地面の小石が頭に刺さって痛かったのですが、これで阿蘇六岳です。 とても高価そうなカメラを持ってる人にmyスマホ撮影を依頼w
撮影センスこそが画像でわたしを輝かせてくれる唯一の希望です
おかげさまで大変素晴らしい記念写真になりました☆ わたしの、見た目でセンスを見極める術もだいぶ上達したのでしょうw 大観峰の景色は心を拡げてくれる場所でした! 行けばわかるさ
【鍋ヶ滝】へ出発。 “お〜いお茶”や“生茶”のCMロケーションで有名になった滝です! 妙に生きてるっぽい案山子群の先にそれはありました。 釣りしてる案山子は特にリアルでした!! あの案山子はイイ!(爆) ここに画像を添付できないのが残念です。。 ぜひ想像してくださいw 滝専用駐車場到着。 その新しさから観光客が増えたことが伺えます。 “注意!マムシがいるかもしれないよ”看板が架かった階段を降りると… あったあったありました!
◎鍋ヶ滝◎ 落差約10m 幅約20m 水が流れ落ちる様子はまるで水のカーテン。 滝の裏側は侵食されており、滝を裏側から見ることができます。
すごい、なんだかわからないけどすごい。 行けばわかるさ 鍋ヶ滝のあまりの清清しさにアラベスク決めたくなりました! てか決めました!! バランス崩したらそのまま入水ですw 自然、自然の神秘を感じましたね… マムシ、マムシは出ませんでした。。残念でしたね… 郷土史には48もの滝が小国にはあると記されているようです。 安全面を考慮して、観光できる滝は決められてるみたい。 そしてなんと、まだ確認できていない滝もあるとのこと。 行かなくても、そのうちストリートビューで確認できるでしょう!
滝へ向かう小道に入る入口の神社にも寄りました。 そこには“夫婦杉”が奉ってありました!
物凄い巨木です
樹齢推定700年。 周囲・男杉6.4米、女杉5.7米。 米じゃわかりませんw わたしは巨木に負けないパダングシュタアーサナを繰り出します! オマケ人生推定4年。 樹齢で負けても気合いでは負けんw
【日田鮎やな場】へ出発。 わたしが通う病院仲間には、日田に住むセレブさまがいます。 その方は以前から知っているのですが、近年体調を悪くされており、 現在は病院付近に家を借りて生活しています。 そんな人に電話して日田観光名所を尋ねてみました! 「ないわよ」 完。 って完結させちゃいけません。 強引にでも聞きださねば ソバが有名みたいですね? 「蕎麦処で育ったわたしには通用しなかったわ」 完。 この調子じゃ振った話題すべてが一瞬で完結してしまいそうでした。。 「そうだ、鮎はどうかしら? 観光する人はよく行ってるみたいよ?」 ってことは、行ったことないんですね―
体験してない“オススメ”って何!?
そういうわけで未完の鮎に決まりましたw(超実話) 鮎、わたしはたぶん鮎にかぶりついたことがない。 人生初体験か― 妙な感じで初体験が確定してしまった怪w 日田鮎やな場には鮎を捕らえる仕掛けが組まれていました!! やな漁とは、川を下る鮎を獲る漁法。 水郷日田の鮎漁獲量は全国的にも有名なようです! 初めて見た!! 見てびっくり。
あぁ… この罠にひっかかる鮎ってほんとうにかわいそう
上から見ればどう見ても“頭わるい鮎”しかひっかかりそうにないのだw ってことは、わたしたちは頭わるい鮎しか食べていないことになる。。 むちゃくちゃ複雑な気持ちでしたが、鮎はおいしかったです☆
こうして阿蘇旅行から無事に帰ってきたのでした! いよいよ11/3まで休まることのないimageと算段が押し寄せます。 わたしはどこへ向かうのでしょうか お楽しみに…
今日から一泊二日、阿蘇旅行出発です☆ 11/3を控える今、正直そんな余裕はないんですが… 以前から計画されていたものなので行かないわけにはいきません。 家族で遠出するなんてのはタイスケ家ではほぼ皆無w 実のところかるく10年は家族で泊りがけの旅行なんてしたことないよ― そんな家族です。
それがフツーなんです
そういうわけでどれだけspecialなことかわかっていただけるでしょうw ある意味でなんとも残念な家族だともいえます!
おおよそ罵りあって生きてきてますから
罵りあうといってもいろんな罵り方がありますよね。 両親の場合、いや、父の場合は完全にイニシアティヴをとる言い回し。 当然のように母とわたしは現在もめちゃくちゃ気を遣って接していますw
いつどこで大声を張り上げられるかわからない恐怖
たとえば時事ニュースとか。 「おまえそんなことも知らんとか?!」 つまらないミスをしてしまうと、かるく全否定されてしまいます! 政治や世界動向、ものの見方、一般的見解との比較まで。 幅が広すぎる 父が知ってるものを知らないことが罪っぽいw 父は、正義の名において家族をぶった斬るヒーローです
わたしはもはや大人ですから言えるところでは反抗します。 オマケ人生となってからはいろんなものが見えるようになりました。 物理的に見えなくなったものもありますがw
心眼開いたおかげで父の太刀筋が今ではかなり読めます
読めるとはいっても、避けられないので致命傷は変わりませんけどね! 振り下ろされるのは神剣ならぬ親権ですから(爆) そういうわけでどれだけ大変な旅になるかわかっていただけるでしょうw
新型Hybridクラウンでご機嫌なのがせめてもの救いです
阿蘇の景観は雄大で、雄大で、雄大でした☆ どこを撮っても雄大ですから単に風景を撮るのは一瞬で飽きましたね。 広大な青空と緑と牛たちw なんとものんびりすぎる!! しかし【阿蘇山火口】は危険レベル2で登頂できず。。 仕方がないので馬に乗ろうとしたら、父に怒られました―
「馬とか乗らんでよかろうが!!」
乗りましたw 馬の血を吸う蝿を追い払うため、ハエ叩きをもったタズナSTAFFが 馬をベシベシ叩きながらすすみます。 わたしは馬上でおもいます。
うわ〜 ぜんぜん風情ないね〜 台無しだね〜
気がつくと父がシャッター押しまくってましたw さっきまで全否定してたくせに。 とにかく母とわたしが楽しもうとしたら必ず横槍が入りますw 自分も楽しめばいいのに、絶対にしないのだ!
この人、超おもしろい
この日は草千里で乗馬、テキトーな丘陵と米塚でアーサナ決めました。 その後は【いまきん食堂】へ。 過去、Dancing課長に連れてってもらった大変有名な食堂です。 あか牛丼です☆ あか牛丼は以前食べたので今回はチャンポンに挑戦w チャンポンこそが地元の人たちの薦める逸品なのだ。
でもやっぱりあか牛丼が美味しかった―
とにかく物凄い田舎なのにこのお店だけ行列がonly半端じゃあない!! 明らかにおかしな光景です!! 行列に並ぶ機会があれば是非あか牛丼食べてみてくださいw ほっぺた落ちるどころか貫通します。 勢いはそんな感じだね メニュー裏にはナイスなご案内がありました。
1. 定休日 毎週水曜日 2. 旧コアラ前は駐車できません 3. お忘れ物について 4. 独身がいます。 声をお掛け下さい。
さて、阿蘇神社に寄りました! 孝霊天皇9年の創建、肥後国一の宮、旧官幣大社。 阿蘇の開拓祖、健磐龍命(たけいわたつのみこと)をはじめ 十二神をまつる由緒ある神社で、末社は全国500社を超えるらしい。 全国的にも珍しい横参道で、境内には願いごとを叶えてくれる「願かけの 石」や縁結びにご利益がある「高砂の松」、西本清樹の歌碑が。 一の神殿・二の神殿・三の神殿・楼門・神幸門・還御門の6棟は国の重要 文化財に指定されており、楼門は日本三大楼門の一つに数えられています。
横参道はほんとに珍しいとおもいました。 横ですよ?? 縦じゃないんですよ?? 意味わからん!まではいきませんが、めっちゃ不思議な感じです! 楼門ではウルドアハスタアーサナをがっつり決めてきました!!
さすが日本三大楼門です☆
参道名物は天然水ラムネ。 いたるところで湧き出してる水!! 飲んでみると、たしかにフツーのラムネじゃなかった…
口当たりがなんともやわらかいんです☆
シソ味とチョコ味まである!! お土産にはチョコ味を大量購入。 後日、なぜか渡した人みんなに怪しまれてしまいます… なんで?? ラムネってそんなに怪しい飲み物かな?? きっとラムネに罪はありません。 おそらくは“わたしのお土産”だからでしょうね。。 タイスケ=怪しいひと、この構図じゃなきゃただのラムネのはずで笑 わたしは何か密商売でもしているんでしょうか?? 意味わからん! そういうわけで、これもまた残念な結果といえましょうw
つづく。
リハビリでたびたび話をした富石さん、毎日病院で会う挨拶仲間です。 早朝通院、売店のお姉さんから聞かされる衝撃の事実。
「タイちゃん… 富石さん亡くなったよ」
えっ
わたしは動けませんでした
つい3日前まで毎日その姿を見ていたんです…
そんなバカな、、元気だったじゃな…
いや、たしかに先週いきなり体調を崩してた あからさまに「具合がわるい」って言ってた
84歳のおばあちゃんでした
年齢からすれば安易に納得してしまいそうになりますが、 ほんとうにハキハキした方だったんです 信じられませんでした
わたしはお姉さんと話しました。 家族に準備させずに死んでしまうことのつらさ 自分自身が死んでしまうこともわからなかったんじゃないか なによりも自分が死ぬことに対して準備できていなかったはずです 何がよくて何がわるいのか、わたしにはわかりません だけど、わたしたちにもおこりうることです
時間は二度ともどってきません 毎日は繰り返しじゃないんです ゴニョゴニョした毎日は絶対におくりたくない わたしたちは必ず死んでしまいます それを踏まえれば胸の奥にしまっておくなんてこと、 わたしはあまり重要じゃない気がするんです 耐えること、隠すことはけっして美徳じゃない 日本人は特に耐え忍ぶことをよしとするところがあります もちろんバランスは最も大事なことではあるけれど、 いつもオープンでいることが日々あたらしくいられる秘訣です!
明るくいられたらそれだけ“生きてた”って言えそうですよね
隠し事なんてものを放棄すれば突然自由になれたりするものです だってそれは他人に言えないくらい重いはずですからねw 言った上で、明るくなれることがあるはずです 言ったからこそもっと明るくなれるチャンスがあるはずです
わたしはそんなダンスが踊りたいとおもっています
彼の余命は、あと5日―。 戦争も病気もな存在しない、富裕層のみに開かれたその理想郷で、 彼を待ち受けていた切なすぎる運命とは?
『エリジウム』 なぜ、そこに行くのか? そこには何があるのか?
2154年。 人類はスペースコロニー“エリジウム”に住む富裕層と、 荒廃した地球に住む貧困層とに二分されていた。 エリジウムには どんな不治の病も一瞬で完治する特殊な再生装置が存在。 人々は 死の恐怖と無縁の人生を謳歌していた。 地球に住む人々の頭上の 空には、そんなエリジウムが幽かに浮かんでいた。 手を伸ばせば 届きそうなのに、決して辿り着けない場所。 エリジウム防衛長官 デラコートはエリジウムの完璧なまでに美しい生活を維持するため に、地球からの移民を禁じ、密入国者の一切を排除していたのだ。 地球に住むマックスは、過酷な工場労働に従事していたが、事故で 大量の照射線を浴びてしまい、余命5日という非情な宣告を受ける。 “生きたい!”その強い思いからエリジウム行きを決断。 だが、エリジウムへ行ける唯一の手段は、レジスタンス軍の兵士と して、ある任務を遂行することが条件だった。 その結果、成り行きで自らの身体にエリジウムを制御支配できる データをダウンロードしてしまったマックス。 知らずに世界の命運を課されたマックスが択ぶ最後の選択は―
永遠の命を求めて、強化外骨格を肉体に埋め込み自らを強行改造! 荒廃した地球から“エリジウム”に向かった男が見たものは!? “偽りのパラダイス”で待っていたのは、残酷で哀しい結末だった―
期待したほどおもしろくはなかった― かなり残念です だって『第9地区』の監督最新作ですよ?? 期待しないほうがおかしい しかし、その映像は物凄い出来映えでした☆ コロニーデザインはシド・ミード。 『∀ガンダム』のMSデザインの人w 医療ポッドのデザインはヴェルサーチ! マジで?! ジョディ・フォスターが着てるスーツはジョルジオ・アルマーニ! これはフツーか…(爆 汚染地球脱出スペースコロニー時代。 なんと今作宇宙ステーションには“成層圏”がある!! 度肝抜かれました… 大気が宇宙とつながってるんだものね 宇宙で密閉空間じゃないんですよ!? シャトルそのまま離着陸だよ― こんな未来を人間はリアル化できるんでしょうか?? 問題は、空気を、大気をとどめる重力制御ですw 人間の想像力はマジですごい! 自分のカラダでさえ、思い描くことで整っていくんですからね。
わたしたちがもつその想像力こそが生命最大の力かもしれません
やってみようとする力の原動力です☆ さて、主役はマット・デイモン演じるマックス。 相変わらずヒーロー単独爆走態勢w 対峙するのはキモすぎ犯罪者傭兵・狂うガー… クルーガー! 不法侵入者からエリジウムを守るは重犯罪者のエージェントなのだ。 かるく精神異常行動が認められますw マジで嫌だ
この映画でもっとも興味深かったのは完全再生治療機械です
人類史上最大最凶の夢。 なんたって、年もとらない絶大な威力w デコラート防衛長官なんて180歳ですから(爆) こんなものがあること自体が禁忌といえます☆
そりゃ争いも絶対おこるね
まああんなパーフェクトな医療機械があったら天国でしょう。 白血病も一瞬で完治、ぐちゃぐちゃになった身体も一瞬で再生。 あー なんだかなーーーw ジョディ・フォスターが演じる防衛長官なんて、 マックスと出会うこともなくあっさり殺害されてしまいますw 死んだら再生できません。 驚きです
どんなに権力をもったところでやっぱり人は支配できない
この映画ではどの選択肢がほんとうに正しいものなのか計りかねました これも『ハル』と同じく近未来時代背景が曖昧だからです。 いきなりエリジウムがあるところから始まっているし、 エリジウムが地球から脱出した人たちの楽園設定はわかりますが、 でも実のところ、その楽園自体の出来上がり方が問題です! 地上の人間がどれほどエリジウムに行きたいのか、 その度合いの描き方が足りてません。 これが見る側の立ち位置を決めかねさせました。 そういうわけでかなり他人事に見えてしまった結論です… 物語は1つのほころびから大惨事に。 すべてシステム管理統括されているエリジウム。 おそらく時代背景からの秩序はあったはずですが、 マックスの制御データであっという間に塗り替えられてしまいます。 ギャング風情があっという間に希望の戦士に! なんだそりゃ なにしろこれまでテロ行為しかやってません。 理念がないんです マンデラとは違うんですよ!! ところがその終盤は人が変わったみたいに正義感あふれる青年にw なんてこった
大逆転したら人ってこんなに変わるのね 笑
そもそもマックスはこいつのせいでムショ送りになった過去です。 まあどう見ても社会が悪そうなんですけどね。 どんなに安定した社会ができたとしても追い詰められる人はでてくる。
独占する世界では同じことを繰り返すばかりです
そう考えればマックスは時代に選ばれた解放者といえます。 いきすぎた秩序をぶっ壊す役割でした― 良くも悪くも未来は混沌ですが、 人の叡智を分け与えるきっかけをつくったのは事実です。
さすがはマンデラが生まれ育った南アフリカ出身の監督。 さぁこの映画でこころに残った台詞をいっときましょう! 「誰にでもひとつ才能があるわ。それは天から与えられた役割」 理不尽、この世から理不尽がなくなる日はないでしょう だからこそ、理不尽をなくそうとする努力が必要なのだとおもいます
| 2013年09月21日(土) |
「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」 |
300万人の心を掴んだ ちょっと不思議なひと夏の感動の物語。
『劇場版 あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。』 前を向けばきっと会える。
ある日、彼女は突然現れた いつも一緒にいた仲良し6人組。 あの頃の俺は、何でもできると思っていた。 怖いものなんて無いって思っていた。 でも、それは起こってしまった。 何気なく言った言葉。 傷つけるつもりなんてなかった。 明日謝ればいい、そう思ってた。 でも… その<明日>は永遠に来なかった…。 そして、時は流れ、5年後のある夏の日 奇跡が起こった。 子供時代の事故をきっかけに 心を閉ざし離れてしまった少年達。 夏のある日、事故で死んでしまった彼女が彼らの前に現れる。 しかし、彼女は戻ってきた理由を覚えていなかった。 彼らはその<理由>を探すためにもう一度集まり、 止まっていた時間が少しずつ動き始める。 彼女は何故戻って来たのか? それは彼女がくれた、ひと夏の奇跡の物語。
泣いてしまいました 駄々泣きです…
素直さは生きにくい
宿海仁太を見てておもった ほんとは見えてる人間が一番つらい 見えてない人間も、つらいことは同じでも“すべてが同じ”じゃない 仁太があそこまで本心から“ひとり”では、無理だと踏んだ めんまがあれだけ行動を起こせるならもっともっとやりようはあった 芽衣子(めんま)の存在を、早くから共有できたはずなんです 作り手が都合上 ラストまでそこらへんを曖昧に押し通しているのだ!
それずるいぞ
ほんとによくつくられている作品です。 ちくしょー 仁太は子供の頃とは打って変わって5年で真性NEETに変貌を遂げます。 みんなを引っ張る精神的リーダーは真逆の臆病者に一変。 取り返しのつかなくなった一言が、 めんまに叫んだあの一言が人との接し方・関わりを迷走させたんでしょう 時間はもどってこないし、やりとりは永遠に取り消せません 目の前の人に対してどれだけの恐怖があるかわかってしまったんでしょう 仁太は、再起動におっそろしく時間を費やしてしまいますw
芽衣子を自らがつくりだした幻影なのかリアルなのかわからない仁太
実のところ、この物語はこの世で一番つらいことの一つです。 “大切な人が死んでしまう痛み” 自分が死なないかぎり、誰もが味わう痛みでしょう。 大切な人の死は、生きているわたしたちを大きく変えてしまいます。 視聴者の目にはめんまの死から始まりますが、 実はその前に仁太のお母さんが死んでいます。 仁太からすれば大切な人が“二人も”目の前からいなくなっています。
めんまは“自分の願い”を叶えたかったんじゃなかった
“仁太のおかあさんとの約束”を果たすためだったんです
そこにいくまでには解消しなくちゃならないことだらけでした… ラストは仁太が現実をえらぶことで前を向く物語。 めんまを失った5人それぞれの、負の感情が消える瞬間でもありました この世界は、しあわせとかなしみがセットです しあわせだけには決してできません そんなかなしくもしあわせなラストでした
仁太にはほとほとイライラさせられてしまいましたが秀作です☆ 300万人とかってのはウソじゃないとおもったw
わたしは“見える”人を数人知ってます。 その話し方や理論を鑑みると、相当な差異が伺えるものです。 “見える”にも善と悪があったり、妄想と現実の所在が不明だったり。 その伝え方の方向がどこを向いているのか。 主観で言ってるのか、俯瞰で言ってるのか。 おおよそ自分の都合が引き金で見えたり見えなかったり。 導いてくれるものだったり、混乱を撒き散らしたり。 仁太には“見える”特有の苦しみがあります。 この作品中では“正しく見えちゃっている”んですからねw だって5人共通の人間、不慮の事故で命を落とした友だちなんです!! それぞれに想いがあるからこそ、一人の想いだけでは足りません。 自分勝手に語っちゃったりしたら単なる変質者だ― 他人に見えないものを軽はずみになんて言えっこない。
そういうわけで苦悩がない人は信用できません
海のものとも山のものともどう受け取られるか実際わからないはずです。 肯定して言えちゃえる人ほど疑わしい。 力がある人はその力の使い方が問われるものなんですよね。 導ける人と突きつける人。 最もつらかったのは友だちを悪く言われたこと。 これまでそんなこと思ったこともなかったはずなのに、 一言に惑わされて、友だちを疑ってしまう自分をサイテーだとおもった。
悪者をつくってしまったら、自身の成長はない
全ての元凶をその悪者のせいにしてしまえるからです。 “わたしのせいじゃない” そんなわけあるか― わたしはすべてを受け容れる準備があります。 いいこともわるいことも 今の自分を生かしていくためには苦しくても一歩踏み出すしかない 相手を変えられなくても、自分は変えられるんです
誰かのせいじゃなく、どうにかする方法を考えたい
今を、今をよくしていきたいんです
そんなわたしですが、 自分の思いを叶えようとしてうまくいったことはほとんどありません うまくいかないのは相手があることだからです みんなと仲良くやる自信はある でも、自分のこととなると自分がわからなくなってまわりが見えなくなる それをとても息苦しく感じます 自分のことを考えずにいられたら、いつも幸せでいられる自信がある 幸せで“いる”というよりも、幸せを“見つけられる” だから今悩んでることでさえ“悩める幸せ”に行き着いてしまいます
だって生きているんだものね
こうあってほしい、と願うことがとても足を重くするんです 力を見せたい、よく見せたいと考えた瞬間にダンスは離れてしまいます ほんとうに伝えたいものを押しのけて、偽りが覆うからです
「そうだよ、めんま抜きで話したって意味ない!! だって… 私達6人で“超平和バスターズ”なんだものね 」
この台詞は相手があることすべてにいえる一言ではないでしょうか。 相手の本心は他人には量れないからです。 よくわからない理論に囚われている人にはそれ相応の心の傷がある。 話が通じない時に、それが“わかって”しまうんです。 トラウマを解消できなくて逃げ込む場所を完成させてしまうのでしょう。 自分を肯定して自分を変えずにいられる場所 聞く耳をもたなくていい場所です いい大人ならそんなところもすくなからず経験してきているはずです。 それこそ同じとはいきませんが、わたしには命を教えてくれた人がいます 世界を遮断していては、いつまでたってもあたらしい風は吹いてきません
「わっけわかんねぇ… オマエには秘密基地があるじゃん!? 超平和バスターズの秘密基地、みんながいつでも帰れる場所!!」
こんな仁太の台詞をわたしたちは待っているのではないでしょうか “秘密基地”は大切なものに置き換えることができるんですよ☆
わたしたちがしあわせになれるのは、ひとりでいられる場所よりも、 みんなと一緒にいられる場所ではないでしょうか
| 2013年09月20日(金) |
診察はi-phone5発売日 |
今朝の行列は鮮烈すぎました… ◎オマケ人生“通院史上初”最長蛇混沌◎ いつも凄いけど、病院はいつもと全く違う様相でした。 なんで?? まったく理由がわから… はっ!(閃)
「新型i-phoneの発売日だからですか―!?」
「お前 バカか?」
先輩の突っ込みが即座に入りました。。 突っ込み無視でわたしはこの早朝混沌を写メ激写。 先輩「やめろw」 早速ふacebookに画像投稿― 気の利いたひとことも入れました笑
「i-phone 余裕で買えそう☆」
さぁ何人くらいが“いいね!”押してくれるのかなw 続々やってくる“いいね!”。 早朝からゾクゾクしましたね わたしの中でガンガン人格整理されていきます☆
この人たち “テキトー”
画像をよく見れば明らかにi-phone買うような年齢層じゃないのだ(爆) 写ってるのはおじいちゃんおばあちゃんが8割強だからねw この画像、実のところ“いいね!”なんてのは別次元です― ◎“いいね!”でもなんでもないものに“いいね!”が押される怪奇◎ これがふacebookの正体です。 そもそもふacebookなんてのは暇潰し8割強ですからね! こんなものが揉める原因になるなんておおよそ人間観狭すぎでしょう そんな中、気がつく人間が現れました!! 新人類?
「なんか、お年を召した方が多いね。」
コメントがイカス(死語か...) さすがは広島のダンサー ヒサシくんw 見所あるなぁ 別区分の人間初めてだよ(爆) 広島いいね!
さて、冗談はこれくらいにして、今日は未来への診察日です。 この日のために毎日リハビリしてきたんです! この一ヶ月でかかとは電磁波治療でまったく痛みがなくなりました。 右足の治療は卒業でしょう。 問題はすこしでも倒立できるようになっているか、です。 Dr.院長はあっさり言いやがりました。
「きみの骨格は倒立できるように出来てない。 この状態でいくらやっても無駄だ。 一度いい位置で倒立できても二度目はない」
気が遠くなりました わたしは食い下がります。「練習できないんですか!?」
「練習はダメ。 ダンスで1日2回までならいいけどね」
なんだそれ― 練習はダメで1日2回までって何??? “踊りの最中で2度やるくらいならいい”ってことでした。。 瞬間芸みたいなもんか… とにかく11/3まで、すこしでもなんとかしたい!
“やれない”ではないことが救いでした
倒立が未だ止められている現実に呆然としながら診察室を出ました ちくしょう この一ヶ月地味トレを真剣にやってきたのに… 結果がこれかよ 約2年、自己分析と自己開発で良くなってきたとおもっていたんです あまかった 2年を一ヶ月でなんとかしようと思うほうが傲慢だ
この一ヶ月、倒立したいイメージは捨てました。 他者から見れば何をやってるかわからないような地味トレ。 そんなものを歯を食いしばってやってきました。 午前中は課された全行程を一心不乱にやってきたんです。 地味トレはおもしろくない ちっともやる気がおきません 正直、一生懸命やればやるほど汗が嫌なものに感じました こんなのでじっとり汗かいてる自分が情けなくてたまらなかった でも“やらないわけにはいかない” ダンスを見に来てくれる人にあやまるわけにはいかないんです 病院を出ると毎日猛烈な眠気におそわれました 地味トレをこれほどやったのはカラダが動くようになって初めてです
その日、わたしの心に不思議な変化がおきました 1日に2回だなんて回数。
そんな制限をかけられたことは“人生で一度もなかった”
まるで学生時代にやってた2D格闘ゲームの超必殺技みたいです☆ 必殺技… 回数制限ってなんだかカッコイイなぁ(爆) バカにされるかもしれませんがテンションが上がったんです 奥底から笑いがこみあげてきました
1日に2回もできる
1日2回公演なら、それぞれで1回ずつか― 必殺技をどこで繰り出すかは自分次第です☆
つい先日、帰りの電車内で初恋の人に遭遇w 目の前にいた(爆) そんな人が今現在、友だちだというのはある意味奇跡でしょう。 わたしの友だちの中でも国宝級だといえます。 その貴重さは、告白もせずに終わったことも加味してよいでしょうw その人は日本史の高校教諭で、想像に難しくない大の仏像ファン!! そんな人とまさかの面白遭遇は『阿修羅像展』の会場でした。 しかも、限定販売される阿修羅像フィギュアの行列で、ですw(超実話 そのときの模様は既にblog化に成功しているので割愛します笑 手元にはちょうど物凄い仏像好き女子から課された本がありました。
『壊れても仏像』 飯泉太子宗 文化財修復のはなし
その本を見せると。 「あぁ、それわたしも読んだわ!」 やっぱり読んでたか―w ピンポイントすぎて恐怖すらおぼえます(爆 今日はそんな本の感想デモw
〜修復作業の現場から〜 仏像に関するさまざまな疑問にお答えします 修理過程の写真とイラストを使って立体的に解説!
読めば読むほどとんでもない世界でした―w 仏像には細かく規定されたマニュアル書「三十二相八十種好」があるとか! ただしそこにはいろいろな矛盾も存在するらしい… たとえば「手足柔らかで色が紅赤である」と書かれてある一方、 「身体手足すべて黄金色に輝いている」とも書いてあるというw そもそもマニュアルと呼ぶには抽象的すぎる表現が多すぎです!! 1 足の裏が平らで、地を歩くとき足裏と地面とが密着して、 その間に髪の毛ほどの隙もない → へん平足?? 5 手足の各指の間に、鳥の水かきのような金色の膜がある → 河童系?? 9 直立時、両手が膝に届き、手足が膝をなでるくらい長い → 宇宙人?? 12 体のすべての毛の先端が上になびき、右に巻く 色は紺青で柔軟 22 四十本の歯が生え、それらは雪のように白く清潔(常人は三十二歯) 24 四十歯以外に四本の牙が生えている 26 何を食べても食物のその最上の味を味わえる → それって仏像?? 27 舌が軟薄で広く長く、口から出すと髪の生え際にまで届く → !? 32 眉間に右巻きの白毛があり、光明を放つ 伸びると一丈五尺(4.5m)ある → これが眉間ボタンの正体?? 読めば読むほど仏像がわからなくなりましたw ガルーダを「チキン!チキン!」と外国人が連呼するのはわかる気がします
興味深かったのは “お寺の仏像と神社の仏像はどこが違う?” もともと日本には神仏習合という、神と仏は同体である考え方があった。 それが明治政府により神仏分離令で現在の様相になったということである。
お寺にある仏像を見たことがあっても、神社にある御神体は見たことがない
今さらだけど、そんなことに注意することはなかった… だってそれはわたしたちにとってあまりにも“あたりまえ”だからです! この本にあるとおり「あぁ、見てはいけないものなんだ」と。
神は慣れ親しむというより、基本的に畏れ敬うもの
地方のお堂などに行くと、今でも見たら目が潰れるといわれる仏像や、 触るとたたりがあるといわれるような仏像がある。 そういったものは怖すぎて、慈悲をモットーとする仏像には 似つかわしくないのだが、こういった仏像は、やはり古い時代に 神仏習合していたときの神の要素を受け継いでいる。 神には、自然のように、良い面ばかりではなくて怖い面がある。 恵みと同時に破壊という二面性を持っているのだ。
この本には修復のことに関わらずいろいろな知識が書かれています。 仏像がネズミマンションになってるとかw それ考えたらミッキーも頑張れば国宝に住めるかもしれません☆
仏像がなぜ仏像なのかといえば、実は仏像の中には仏が宿っているから なのだ。 この点がかなり重要で、仏具屋さんなどに並んでいる仏像は 仏像の姿をした彫刻品であって、まだ仏像にはなっていない。 お坊さんに開眼供養をしてもらう― つまり仏の魂を仏像に入れてもらって、初めて仏像になるのである。 だから、逆に魂を抜いてしまえば、それは仏像からただの彫刻品になっ てしまうことを意味する。 これを、一般には「魂抜き」とか「御霊抜き」という。 不思議といえば不思議なものではある。 ちなみに、博物館や美術館に並んでいる仏像も、魂抜きをした後の ただの彫刻品である。
博物館や美術館の仏像に祈ってもなんの意味もないことを知りました… 博物館に来た阿修羅像の前にいた息の根が止まるまで祈ってそうな人たち わたしは複雑な気持ちになりました 知っていれば教えてあげたのに! 「意味ありませんよ笑」 阿修羅像の御霊もきっちり抜かれてきてるはずですからね☆ さて、この本でもっとも興味深い文脈は以下でした。
仏像が時を越えていくのは、その仏像を残していきたいという想いの故 であり、古い像はそれだけ人の想いが長く途切れずに続いた結晶のよう なものだ。 途中で想いが切れてしまったり途絶えてしまえば、残念で はあるが、その仏像は壊れても修理されずに捨てられたり燃やされたり して、消えていくのが運命だ。 どこに古い仏像の価値を置くかは人それぞれであろうが、 私は、人の想いの連鎖にこそ、古い仏像の価値があると考えている。 その前では、制作者や途中の修理者の考えは些末なことにすぎない。 無数の古い仏像や建築物が今後もなくならずに残っていくかどうかは 人の想いの連鎖がつながっていくかにかかっているといってよい。 私は修理者という立場で、仏像を次の時代に残していくことを手伝って いるわけだが、願わくば、多くの仏像、あるいは文化遺産が人の想いの 連鎖から外れることなく、末永く残っていってほしい。
読みながら思った。 “人は仏像に対して、こんなにも想いがあるのか” それと同時に思いました― じゃあ人には!? 他者にはどうして想いをむけられないの?? 赤の他人が死んだのをみたところでどれだけ哀しみがありますか? 血の通っていない仏像にできて、生身の人間になぜできないの?? 仏像に祈るよりも前に、わたしたちは目を向けなくちゃならないものがある もしくは、仏像に祈るからこそ 目を向けなくちゃならないことがある わたしはそうおもうのです 仏像にも“人々をどうやって救おうか”とあまりにも長く考えていた結果 髪の毛が伸びてしまいアフロ仏になった逸話があるくらいです。
考えたって、祈ったって、わたしたちの現世はなんにも変わりません
そのやさしい気持ち、慈悲のこころはいつ使えばいいの? 今でしょ!! 仏像に祈ってるときだけじゃない 実生活に活かせなきゃ現実は動きません わたしは、人の想いの向かう方向に不安を感じたのでした
ヒトは仏像のようなモノでひとつになれる。 象徴?アイコンのようなものでしょうか… これは歴史が証明しています。 じゃあ、そういうモノがなければひとつになれないの??
そんなはずないよね
救われるのは祈っているその人だけです。
| 2013年09月18日(水) |
人生の大逆転 〜世界は変わるよ突然に〜 |
辻さんとの終わらないたたかいはこの日ターニングポイントを迎えます☆ めずらしく売店でいらついている辻さんを発見。
「ぜんぜん呼ばれんっちゃんね〜(理学療法士に)」
わたしはすかさず辻さんに駆け寄ります!
「天国からですか?」
わたしは今日も杖で殴られますw 辻さんは相変わらず元気です☆ そんなことを繰り返すわたしに襲いかかる災厄。
リハビリ施術されてるときに足の裏こちょこちょされる件
犯人は… 辻さんですw 左腕を温水に浸す姿はまるで養生中のマフィアボスみたいでした…
ちくしょう、子供みたいな復讐しやがって!!
そのコチョコチョは、辻さんが攻撃に転じやがった瞬間でした― ◎こんなことされたのは二年前に入院してた小学生・亘人以来だ◎ 実のところ、リハビリに慣れすぎている人物にしかできない禁忌ですw 施術のために通院しているわけで、その最中こそが目的だからです! ここまでくれば患者間のコミュニケーションはゾーン突入。 もはや“なんでもあり”の無法会話となる 右足かかとの電磁波治療で機材を確認していると辻さんが囁きます。
「おまえは脳みそに電磁波当てたほうがいいっちゃないか?」
そのとおりですw わたしが一番“わるい”のは“あたま”なのだ―
さすがは辻さん! 甚大な入院を経験すればわかること。 初対面の人に「どこがわるいんですか?」と尋ねられる際の返事を、 「いや、あたまがね…」なんて深刻な顔で冗談をかます先輩たちw これが基本応答となるのはいちいち説明するのが面倒だからです!! そんな患者たちの定義は“大丈夫なひと”w
自分のわるいところを笑いでぶっとばすのだ
わたしはそんな人たちにオマケ人生を育てられていたのですw 気がついたら修得している自分が怖い― なんてこった
| 2013年09月17日(火) |
見解 〜生きるスタンス〜 |
早朝、わたしの通う病院受付には奇想天外な暗黙の了解がある― 行列の大いなる意思 “リハビリを早く終わらせたい” 本日のblogは早く終わらせたい症候群の患者たち、情熱の物語ですw わたしの病院到着時間は毎日一貫して8:15前後。
この時間では絶対にロビー備え付けの椅子に座れることはない
わたしは施術してもらいに通院しているわけですが、 実のところ筋トレをしにきているようなものです。 施術よりも地味トレしているのがほとんどですからw (※右足かかとの電極治療はつづいてます)
病院が開店する時間は8:00。 受付開始時刻は8:30。 この日は連休明けで、待ち行列はおぞましい進化を遂げていた― かるくどこが最後尾かわかりませんw なんてこった どこからともなく先輩通院患者の叫び声、「ここが一番最後だよ〜」 病院待合室で大先輩患者が行列を誘導整理しているリアル笑 受付嬢が患者に呼びかけることは初診以外、一切ありません(超実話
病院のことを知ってる先輩がなんと自主的に会場整理をするのだ笑
◎これが先輩患者に課せられた暗黙のルールです◎ 病院に不慣れな初心者を自主的に教育するんですよw わたしは先輩に声をかけます。 その先輩は知ってるひとでしたからw 「すごい行列ですね…」 大先輩「連休明けやけんね!」 連休明けは調子のわるくなった人たちの巣窟となるのだ。 わたしは続けました。
「俺の人生でロビーの椅子に座れることはないでしょうね…」
先輩は笑いながら言いました。「早く来ればいいじゃないか♪」
「いや、別に座らなくていいですw」
「どうせ施術を待ってる間は筋トレしてますから。 しなきゃ治りませんから」
早く並んで施術が最速で終わったとしてもわたしにはやることがある。 課せられたトレーニングがあるんです! 納得する先輩たちw ここで、大先輩はわたしのストレッチについて言及しました。
「カラダものすご柔らかいよね?? 俺めちゃくちゃ固いもん…」
わたしは言いました。「誰でも柔らかくなりますよ! 努力です♪」
「いや、俺そこまで柔らかくなくていいよw」
ピンポイントすぎて大爆笑してしまいました!! わたしの「いや、座らなくていいですw」と全く同種類発言だよ☆笑
そう、“自分の生きるスタンスそれ以上のことは必要ない”
努力するところはみんな違う。 人にはそれぞれの領分があるのだと、あらためて学びましたw
たまたま『あまちゃん』でこんな台詞を聞きました。
「わたしはアイドルになりたかった!!」
えっアイドルになりたいって“ちやほやされたい”ってことじゃないの? その感じは、ちやほやされる商売だと勘違いしてるんじゃないの??
だいたいアイドルって何だとおもいますか? そもそもアイドルって何なんでしょうか?
現在は“選ばれなくちゃなれない職業”みたいです。 アイドルの役割って何でしょう?? わたしは考えます。 かわいくて目が離せなくなる、キレイで目が離せなくなる。 こんなのは不十分です。
ちやほやされるのが先か、みんなを元気づけるのが先か…
そりゃ“元気づける”だろ!! 決して“どっちも”じゃないよw みんなを元気にするだなんて、誰にでもできることじゃない。 実のところアイドルは専門職ではないでしょうか。 今は養成機関まであるくらいです。
本当はえらいひとに見出されなければなれない職業じゃないはずだ
わたしは憤りすらおぼえます。 みんなの“夢”を喰い物にしている人たちがいる。 それを“商売”にしている人たちがいるんですからね。 メディアの出現がアイドルの意味を大きくねじ曲げました つくりあげたアイコンを利用する商売。 本物のアイドルなら自分がやりたい仕事を選んでいいはずです。 誰かの企画に従っている自体が変なんじゃないの??
プライドを切り売りするアイドルなんて本物のアイドルじゃない
外部から貼り付けられた力なんて実力とは言えない 自主性の伴わない仕事はやらされてるにすぎません 今の社会がそうなっているのはわかりますがおおよそねじ曲がってます 社会に認められなければならない努力がおかしい 自分のやりたいことでその相手にどう向き合うかが本物の努力です
認められることが“先”じゃない
歴史上で突出したとんでも人物、ジャンヌ・ダルク。 いつか殺されるかもしれない恐怖を抱えながら信念を貫いた女性です。 その信念がどんなものだとしても、恐れず進んだ気概が伝説なんです!
まわりに媚を売らないとすすめないのは 現代社会が平和すぎるからかもしれません
つくりあげられた人には“誰でもなれない”のが真実です
わたしはつくられるんじゃなく、あくまでも自分で歩いていたい それがどんなに小さな一歩でも。 人から求められるものになるよりも、 自分が目指すものになりたいと思っています
リハビリ室に辻さんが杖つきながらやってきました。
あまり勢いのない足どり
この病院の者で辻さんを知らない人はいません。 わたしが通院していた2年前から見知っている大先輩です。 リハビリPT(理学療法士)が辻さんに声をかけました。
「あまり無理をなさらないようにしてくださいね」
わたしはすかさず辻さんに駆け寄ります!
「辻さん、無理はするためにあるんですよ」
わたしは杖で殴られましたw 補助道具で攻撃してくるあたりぜんぜん元気です☆ 大丈夫、だねw その後 売店にいた辻さんに遭遇。 お姉さんと話してました。
「杖の先っぽの止め具がすぐ外れるんだよなぁ」
わたしはすかさず辻さんに駆け寄ります!
「ツバつけとけば治りますよ」
わたしはまた杖で殴られましたw ぜんぜん元気でしたね☆
| 2013年09月09日(月) |
「犬とハサミは使いよう」 |
“読まずに死ねるか!”… 生き返ると、俺は犬になっていた…。 読者犬×ドS作家が繰り広げるミステリ系不条理コメディ! マグロイーター起動!(何?w
『犬とハサミは使いよう』 喜劇は小説よりも奇なり
ある日突然、強盗に殺された春海和人。 だが本バカゆえの執念で奇跡の生還を果たした。 ダックスフントの姿で― “こんな姿じゃ本読めないじゃん!!” 悶える和人の前に現れたのは、ハサミが凶器のサド女・夏野霧姫。 犬である和人の声で言葉が解る夏野。 しかも夏野の正体は和人の大ファン作家。 そんな犬生(人生?)、一体どうなるの!?
個性的すぎるヒロイン達が次々と襲いかかる作品でしたが、 なかなか興味深い台詞もあったので紹介しますw
「人間ってどうして茶番が好きなのかしらね… 生きてるだけでもうお芝居でしょうに。」
生きてるのを“お芝居”と思ってる人ってどれくらいいるのかなw 相手によってどれくらい自分を演じていますか?? “演じる”って意外にマイナスの言葉ですよね。 「演じていますか?」を言い換えたら「偽っていますか?」じゃないの? だって演技はつまるところウソ。 演じることは“自分”じゃない ちょっと考えてみたら自分が疑わしくなりませんか?? そうなると、突然他者が信じられなくなりませんか?? 自分が偽ってるなら他人だって同じくらい偽ってるはずじゃないですかw 考えれば考えるほどわからなくなっていきますが、実は全部自分です。 ウソもホントもない、どちらにしてもその行動は全部自分なんです笑
真剣にその人と向き合おうとしたら変化しないわけがない
相手をおもえば、対応・振る舞いが変わるのはあたりまえです。 相手と自分の距離をどうとりたいか、だからです。 ただ、自分の変化を偽りだと感じたら“違う”のではないでしょうか 変化は自分を装うことじゃない。 わたしは嘘をついた自分を感知できます。 偽りをなくす努力をしているからです。 あとで後悔することを知っていますから。 この世界はゲームじゃない、リアルなんです
「作家にニセモノもホンモノもない。 ただ書きたいから書く、それしかないわ! 人は誰でもね、書くことで作家になれるの。 敢えて必要なものを挙げるとすれば、 それは書く意志と読者の存在。 “読みたい”そう思ってくれる読者がいるからこそ、 作家も書くことができる。」
これは作家にとどまる台詞じゃない。 本気で何かを伝えようとすれば、するなら、必ず通る道です 独りよがりでなく相手があることなら心意気が必要なんだとおもいます
ダンサーにニセモノもホンモノもない。 ただ踊りたいから踊る、それしかない! 人は誰でも、踊ることでダンサーになれる。 敢えて必要なものを挙げるとすれば、それは踊る意志と見てくれる存在。 “見たい”そう思ってくれるオーディエンスがいるからこそ、 踊ることができるのだとおもいます。
「自信を持てよ! お前の小説を楽しみにしてるヤツだっているんだからさ!」 「誰? 誰なの??」 「そりゃ俺だよ、俺!」 「オレオレ詐欺!?」
| 2013年09月07日(土) |
「TIME IS ON MY SIDE」 |
今年もやってきましたダンスカンパニー・コンドルズ☆ これを見なくちゃ年越せないw でも最近は全国メグったあとに来ますから出来上がって来ます。 なんだかパッケージ化してる感が超つまんない笑 全国ツアー最初のどうなるかわからない黒箱公演見すぎてますからね! ※黒箱=ブラックボックス 顕作さんの力押しで笑いを抽出する公演がいいんです(爆)
『TIME IS ON MY SIDE』 コンドルズ 日本縦断超時空ツアー2013
みなさま、また暑い季節がやってきました! いかがお過ごしでしょうか 今年のタイトルは「タイムイズオンマイサイド」 直訳すると「時間は自分の味方さ」みたいな感じです そういえば先日、地球上の最も北の村を訪ねました。 そこはまさしく完全なる白夜で今の時期は、全く太陽が沈みません。 そうなると「夜」は全くなく 目を閉じた時だけ うっすら「夜の時間」なのです。 時間を味方にするのも工夫が必要なのです。 僕達は好きなものに対しては「時間」を惜しみません。 好きな曲は何度聞いても好きだし 好きな料理は何度でも食べたいものです。 好きな人とはいくら時間を割いてもずっと一緒にいたいですよね。 そんな素敵な時間を過ごすと幸せになれます。 そんな時「時間は自分の味方さ」と思えるのでしょう。 僕達は遥か昔から時間を少しずつ積み重ねて今日、今を、迎えています。 そして、少しずつ時間を積み重ねて未来へと向かって行きます。 そんな悠久の流れの中でこの夏に繰り広げるこの作品 「タイムイズオンマイサイド」が幸せの記憶のひとつとして 皆様の時間に刻まれるよう奮闘します。 さあ、楽しんでいきましょう。 花火のような「一瞬の時間」でさえ我々は、永遠にできます。 (コンドルズ主宰・近藤良平)
公演中、何より驚いたのは―
ぎっちゃんがおそろしくダンス踊れるようになってることw
〜カラダがすごくつかえるようになっているんですよ〜 ぎたろー(新人)とは過去同じステージを踏んだ古い仲間。 わたしは目を疑いました!! コンドルズのみんながダンス“巧く”なっちゃダメだろ!! なによりも上手さを見せるダンスカンパニーじゃないのだ
技術よりもハート
“衝動”です その衝動は“生きる”そのもののように感じます そう、わたしは彼らが上達していくその“ダンス”が不安でなりませんw
お芝居では、店の看板が【TIME IS ON MY SIDE】。 顕作さんがその店名の由来をママに訊ねたばっかりに異世界突入です! まったく突拍子もない展開で地味〜に謎が解かれてゆきます。 1.ママが狂ってる 2.北斗の拳の世界観 3.(3つめは忘れましたw) 物凄く長い堂々巡りを経て最後に到達する「意味なんてない」 これまで見てきた中で一番不条理劇w (ぜんぶ不条理だけどッ!! これまで見てきた中で一番ラストがしまらない感じでしたね♪ あぶなく集中力切れそうな自分に気づいて戒めましたw
体側長く 肩うしろ 尾骨入れる
ソロ公演を控えているわたしです。 研究は怠れません!! コンドルズはほんとうに息もつかせぬ展開でお客を休ませない。 いつだってユーモアにあふれ、つまらないことを本気でやってます。 コンドルズを見て仕事やめちゃう人が現実にいるほどですからね!! 人の人生にどれだけ影響をあたえちゃってるんでしょうかw さて、その愚かしくも堂々とした“パフォーマンス”は置いといて、 ダンス、ダンスですw コンドルズを長いこと見てきたわたしです。 おおよそコンドルズのダンスがどういったものか見知っています。 全員の総踊りから、入り乱れるコンタクトダンス。 見ていてあっと驚くようなストーリーダンス。 実のところ“理屈でない”ダンスが見れるのは良平さんソロしかない。 他は極めてエンターテイメントに仕上がっているからです。 中でも目を瞠るのは照明効果。 コンドルズは毎年 ものすごい照明を使ってきます。 派手に切り替わっていく照明だけでもキレイでカッコイイんですよ!! そんな中ではどんなことをしてもカッコよく見えてしまいます☆ わたしはおもいました…
ずるいよね
俺だってできることなら度肝を抜く照明や映像をつかってみたい☆ 楽しんでもらえる意味では、どれだけ楽になるかしれません!! 踊り手としてはダンス以外でたすけてくれるのは音と空間演出しかない。
でもそれでいいのかな
結局行き着く先は自問自答でした。 決してコンドルズをわるくいう話じゃありません。 なんといっても見てもらう方向が違うからです。 “何を見てもらいたいのか” わたしの場合、真剣に考えれば考えるほど派手な照明は無意味です だって目に見えるもので満足してもらいたいんじゃない わたしにとってダンスは表面的なものじゃないんです
照明で見え方を限定してしまうとあらゆる可能性を摘んでしまいます
目に見えない想像力にアクセスする仕事 これはおおよそ楽しく見えない、楽しそうに見えないものです だけど、人前で踊るからにはたとえ力押しでも目が離せないところに もっていかなくてはなりません 力量が試されるといえます 見向きもされないということはダンサーの責任です それを圧して見えてくるsimple 好き嫌い、楽しい楽しくない、が わたしの立つべき舞台じゃない
わたしはあらためて自分の立ち位置を確認できました
さて、今回は自宅で寝てて公演を見に来なかったお友だちがいます! いつまでたっても来ないのでだいぶ心配しましたね。。 チケット持ってるわたしのこともちょっとは心配してほしいものです。 でもこれこそが忙しい“大人”なのでしょうw
| 2013年09月05日(木) |
「MAN OF STEEL」 |
スーパーマンがその力を人々のために使うのは、復讐でも償いのためでもなく、彼が“善人”だからである。 困っている人に手を差し伸べる力が人一倍あるからに過ぎないのだ―
『MAN OF STEEL』 どれだけ速いんだ どれだけ凄いんだ どれだけ熱いんだ 新スーパーマン、始動
“マン・オブ・スティール = 鋼の男”の異名で知られる地球最強の男。 惑星クリプトンの科学者ジョー・エルの息子として生まれるも、惑星崩壊の危機に、ひとり地球へと送り出される。 カンザス州の農夫ジョナサンとマーサのケント夫妻に拾われた赤ん坊は、成長するにつれ、様々な超能力を発揮していく。 自分の力に戸惑いながらも、自分が地球に送られた意味を探し出せという亡き父ジョナサンの言葉に従い、放浪の旅に出た彼は、太古の地球に飛来したクリプトンの探査船を発見し、自分の出生の秘密を知る。 こうして彼は、ジョーが託した夢と希望のシンボルとして、地球の人々を導いていくことを心に誓った。 人間の力をはるかに超えたこの奇跡の男を、人々はこう呼んだ― スーパーマン、と。
まず驚かされたのはリアル父と育ての父。 ラッセル苦労とケビン・コスナーだよ2大俳優だよ!! どれだけ凄いんだこのキャスティングw ケビンの説得力なくして、新スーパーマンの存在はないね。 さて、吹き出したのは新聞社編集長。 『マトリックス』のモーフィアスだよ!! なんてこった 格闘シーンもないのにどれだけ編集長に威厳もたせたいんだw ヒロイン、ロイス・レインに配役されたのはエイミー・アダムス。 見かけの可愛さや美人度で選ばれてないのは“明白”ですw 非常に難しい役どころを得意とする演技派女優ですから。 従って、エイミー・アダムスで見に行こうとはあまりおもえません!! 女の美貌とかで映画に呼び込もうとしない作り手の男気を感じますねw ネイサン・ハーディ大佐も外せません。 対異星人作戦の指揮を執る空軍大佐です。 生身の人間でありながら、ナイフひとつで侵略者と対峙しますw “絶対勝てない相手”に挑戦する姿はわら… 感動をおぼえました どんなに無意味でもその意志は揺るがない、これが人間です。 そして新スーパーマン、ヘンリー・カビル。 新スーパーマンは30代。 10代でも20代でもないw “大人”なのだ よってその思考は子供じみてません。 いいね! クラーク君は幼少期からその年齢まで悩み続けてきたんです! ヘンリー・カビル、おそろしく鍛え上げた現実は間違いありません。 肉体はもとより、その表情はさすが“超人”に選ばれた存在です。 Sスーツ着なくても強さと凛々しさが伺えるその姿。 かっこいいね!
ゾッド将軍との一騎打ち、空中肉弾戦には度肝抜かれました
スーパーマンは目から焔光線出せてもカメハメ波は撃てません。 かるく撃てそうですけどねw あくまでもリアル格闘の殴り合いです!! その闘いは圧倒的にドラゴンボールを超えてました。 なぜかというと、戦ってる場所に理由があります。 ドラゴンボールの世界観では暗黙のルールが存在します。 それは1対1で相手と向き合ったとき。
“闘いに集中できるように障害物のない原っぱでたたかうこと”
『MAN OF STEEL』は違います。 リングは都会のど真ん中!! ゾッド将軍との殴り合いで次々と打ち倒される超高層ビル群!! どれだけ壊すんだw あの調子じゃ、一般人が何人巻き添えくらったかわかりません!! よくわからない異星人のせいで人間社会は大惨事です!!
鳥山●は惑星は壊せても、都会は壊せまいw これは技術、描写技術の問題です(爆)
その闘いは、まるで都市の破壊作業のようでした ある意味、クラーク君が地球に来ちゃったから起きた事件です。 しかしそんなクラーク君は地球を、そして人類を守ろうと尽力。 社会の損害どころか地球の地核さえも揺るがされる非常事態で、 ドサクサに紛れて英雄になってしまいました―
人間ってどれだけ寛大なんだw
しかし面白かった!! むちゃくちゃ面白かったんです!! よくこの現代にスーパーマンを甦らせれたものだとおもいました☆ 特に、クラーク・ケントが自分の存在理由を知る場面。 初めて空を飛んだとき、涙がボロボロ出た 自分の為すべきことがわかって、一気に未来が拓ける そんなシーンだったからだとおもいます わたし自身、今年オックスフォードで踊ったことで 自分が自由になったのを感じました その感覚がなかったらソロ公演に踏み切ることはなかったかもしれません そんな気持ちが空を飛ぶスーパーマンに重なったのだとおもいます
さて、裏話です☆ 11/3『Choice』公演では『MAN OF STEEL』音源を2曲も使用。 もう絶対これしかない、そうおもいました。 どれだけ感動したんだ俺― w
| 2013年09月02日(月) |
「弱くても勝てます」 |
父の一声からすべては始まった。 「これ読んでみろ、面白いぞ」 渡されたのは一冊の本。
『弱くても勝てます』 高橋秀実 開成高校野球部のセオリー
その帯には夥しい売り文句がッッ!!!
各紙誌で紹介 話題沸騰!! 最近、一番、笑った本。 今、ビジネス街でもひそかなブーム! 人に薦められ、“私も”人に薦めました。
裏帯、本文中からの監督の発言抜粋にぶっとびましたw
「打つのは球じゃない。 物体なんだよ」 「一番いいのは15-0とかですね。 負けたとしても15-12とか。 いずれにしても大量得点。 勝ったとしても2-1や2-0では喜べませんね」
度肝抜かれました… 抜かれるなら度肝がいいよね… さすがに話題沸騰書籍、たしかに面白いッッッ 開成高校とは、毎年200人近くが東京大学に合格する日本一の進学校。 “本校ハ専ラ他日東京大学予備門ニ入ラント欲スル者ノ為メニ必要ナル 学科ヲ教授スル所トス”と記されているくらいの創立規則!! 元来、マジで東京大学進学のための学校らしい… これはそんな超進学校硬式野球部の可能性と期待の書籍なのだ― 週1回しかグラウンドを使えない部活がどんな野球を目指しているのか? 読めば読むほど“甲子園を目指す”という言葉があてはまらない!!
開成野球部の“甲子園”とは“結果”なのだ
勝っていけば甲子園にいきつく。 “目指す”じゃないのだ そのうち、自分でもレッスンのとき思い当たる文章に当たりました。 おそらく誰にだって思い当たるふしがあるはずですw
「だって気にすると、それを引きずって、 別の場面で失敗しちゃうじゃないですか」
これは開成の抱える問題点だった。 選手のほとんどが監督に言われた ことをそのまますべてやろうとする。 監督が「もっと下半身で打て」 と言うと、下半身ばかり気にして上半身がおろそかになり、 「もっと上半身で打て」と言うと、今度は下半身がおろそかになる。 監督は状況に応じてヒントを与えているのだが、 それを正解だと信じるかのようについてゆき、 常についていくからいつも出遅れる形になるのである。
「勉強と違って、野球の試合は真面目に一生懸命やろうとすると、 それだけ緊張しちゃうんで、 むしろ不真面目がいいんじゃないでしょうか」
彼らは、なまじ練習時間がないために体が特化する条件がたりていません。 毎日の練習だけで自動的にそろっていく条件、筋力や判断力、連動性。 そんな反復練習をこえて各自導き出される足りないもの。 それこそ自主練習で補うべき課題でしょう。 しかしはじめから自主性で組み立てる開成野球には“自動的”が伴わない。 そもそも読むところ開成野球のセオリーは【特化せずに勝つ】、これです。 この本では、特化しないことが“弱い”ということでしょう。
じゃあダンスは?? ダンスならどうこれを捉える?? まず野球と明らかに違うのは、スポーツじゃないこと。 争う相手があることと相手のないこと。 スーパーダンサーになるのが目標なら他者との勝負になります。 となれば、まず最初は“踊れるフィジカル”から。 これが大前提だと考える人が多いと思いますがわたしの考えは違います。 踊れるフィジカルでも踊りにならない人はいくらでもいるからです。
そう、まずもって“ダンス”の定義がない
それは“頭がいい”って一概に言うことに似ています。 頭がいいってオールマイティに使えるようですが実は違うよね?? その人の全てに対して“頭いいね”とは誰も言ってないはず。 時と場合によって、何についてなのかはっきり区別しているからです。
いい学歴があれば世の中を楽に生きていけるなんてウソ
フィジカルが整えばイイ踊りができるなんてウソ
人生、そんな簡単にはいかないんです! 人生は数学じゃあない 中盤まで笑いながら読んでたら、終盤に突入する頃には複雑な心境に― 自分の考え方が彼ら部員と似ていることに気づいてしまいます(爆
彼らの理屈には理屈で応じるしかなかったが、彼らはその理屈も 取り込んで日頃の理詰めをさらに濃縮させている印象もあり、挙句に、 「バッティングの難しい点は、球が前から来ることです」 などという、いかんともしがたい根源的な問題に導いてしまったので はないだろうか。
この一節にショックを受けずにはいられませんでした― わたしは最近こんなことを考えていたからです… 「自宅を出るとき、右足から出るか、左足から出るか、それが問題だ」 など、ダンスはもとより日常でもいかんともしがたい選択肢に悩んでいる 自分は、さほど彼らと差はないのではないでしょうか― なんてこった おそらく、考え方と頭の回転数では負けてない気がしますw 実際の学歴には天地の差があるけどね☆
「俺たちは小賢しい野球、ちょっと上手いとかそんな野球はしない。 自分たちのやりたいことを仕掛けて、そのやり方に相手を引っ張 り込んでやっつける。 俺たちは失敗するかもしれない。 勝つ こともあれば負けることもあるけど、勝つという可能性を高める んだ! これなら国士舘や帝京にも通用するんだよ!」
この下手の矜持にはたいへん勇気づけられました!! どんなお客さんにも通用するダンスが踊りたい。 これは大いに変換できそうです!
わたしは上手いとか下手とかそんなダンスは踊らない 自分の信じるものを踊って、そのダンスを見てもらうんだ 失敗するかもしれない どんな人にも好き嫌いがあるけど、見てもらえる可能性を高めるんだ!
ダンスを踊る以上は、ダンスという可能性を高める生き方がしたい
| 2013年09月01日(日) |
「投げ銭ダンスvol.7」 |
『投げ銭ダンスvol.7』 ―あつさにまけず―
初秋です、芸術の秋です! ダンスを見に行こうw 今日は DANCE REBELLION に過去出演してもらった仲間たちが踊ります。 あれからみんなどんな成長をしたのかこの目で見極めてやる!!
「もう秋か」 和田充子 私は 眠り 夢みる 生きることが よろこびだったらと… (タゴール)
充子さん、いきなりのトップバッターw わたしはその成長に驚きました!! その年齢からのキャミソール、生身を見せてる時点で本気さが判った 己の肉体に恥じらいがあっては“踊り”になんて向かえません。 恐怖を乗り越えてこのstageにいる、それだけで身震いしました。 そして踊りも過去の気分的なものではなく、より真摯なものでした― その堂々さに胸を打たれたのです
「HITAKURENAI NO.X」 王丸せい子
せい子さんの踊りでまたも号泣してしまいました 強烈なダンスでした― こんなダンスが踊れる人はそうそういるものじゃない!!! 展開されたのはおおよそ見苦しいダンスです 外観で見れば美しいとは到底おもえません
だけどそれは“どう見てもリアルそのもの”でした
これはダンスだとおもった 気がつけば見苦しさは美しいものに昇華していたんです 試行錯誤、何度つまづいて転んでも、それでもまた起き上がる これは人間です 美しいとおもいました 美しくて涙がでた
岡本太郎の言葉でいくとこの一節がわかりやすいかもしれません。
ぼくはつくづく思うのだが、好奇心というのは、そのように生命を 賭けて挑む行動に裏打ちされなければ、生きる感動としてひらかない のではないか。 だから、それはただの“お遊び”では駄目なのだ。 全生命、全存在を賭けて、真剣に、猛烈に遊ぶのでなければ、生命は 燃えあがらない。 いのちがけの“遊び”と、甘えた“お遊び”とは、 まったく違うのである。 今日は余暇社会などともいわれ、管理された日常の外に生きがいを 求めようとする人が多くなっている。 農作業でも、コンピューター の操作でも、強制された労働としてやれば苦役だが、自由な“遊び” として創造的に取り組む限り、それはよろこびだ。 言いかえれば、人生、即、芸術。 誰もが好奇心を大いに発揮して、真剣に無条件に人生をひらいてほしい
せい子さんの踊りは即興。 そしてその即興は好奇心におきかえられるものです! どんなものにも驚きと興味を発見していくダンス。 せい子さんには踊る理由があります。 そして生来の画家として身を立ててきた本物の芸術家なんです。
そんな人が本気で“踊り”を掴みにいっているのです
わたしは涙が止まらなくなりました
ダンスはすごい。 こんなに心揺さぶられるリアルは他にはない ダンスは決して技術なんかじゃない だけどそんな踊りが踊れるのはほんの一握りです
どんなに無様に見えようとも、それをさらけ出して踊ること さらけ出して踊ることで見えてくる真実 見えてくるのはわたし自身です
充子さんとせい子さんの“今”が見れてほんとうによかった
次はわたしの番ですね☆
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