断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2010年12月31日(金) 全力で大晦日も2010

いきなり「おお!味噌か?」って誤字脱字はいったいどういうことでしょうか―
どんな成長を遂げたんだ? 俺の予測変換って何…? おぞましい成長です。。

今年が終わろうとしている12/31も健気にレッスンへ出航。
初めての年末は怒涛の寒波でリハビリなしでは疼いて疼いて大変なことになった。

 大晦日に死ぬ気でレッスンしたのは人生で初めてです

いつも通りのキツさを自分に課して、バーだけで動けなくなるくらい心底やる。
それができるのも それを課しているのがここにいる全員だから。
ここでは大晦日だろうがなんだろうが、踊りに向かう姿勢になんら影響しない。

 生きてる 生きてる 生きてる!

はっきり言ってめちゃくちゃつらい、それでも笑いが込み上げてきます。
からだの違和感がいつもよりひどくても これくらいは年末効果かもしれませんw

 1年前から今まで“2010年”がどれくらい長かったか

残念ながらセンターができる体調ではありませんでしたが、少しでも踊りに近づきたい
まだリハビリ中だとしても、今のわたしはたしかにあのときの“未来”です。

 全力の自分をあたらしくつくっているその途中です

みんなどうですか?
自分自身がほんとうにしたいこと、ひとつでもやれましたか?
たとえできなくても自分の中にはきっと“ある”はずですよね。
誰も自信があって“はじめる”人はいません。
生きてさえいれば、“選択する”チャンスはいくらでもあります!
わたしにとってこの2010年のblogは動けなかったときにできる唯一のものでした
この1年、このサイトを見てくださった方すべての人へ言わせてください。

 2010年 ほんとうにありがとうございました!!



2010年12月28日(火) 向き合う強さ

まだ今年は終わりません。 このままじゃ終われない。
最後まで通院リハビリはつづきます。

 今年を終わらせたいんじゃない リハビリを終わらせたいんです

からだは人に治してもらえません。 自分の意志ですすむしかない。
そんな中、宮崎から来た男に出会った。 その男は“椎間板ヘルニア”でした。
九州の病院をほとんど巡ったそうです。
野球をやめるように宣告されても、手段を探して、行き着いたのがこの病院です。
彼は宮崎から片道4時間かけて通院しています。
泊りがけで来ているということで、ホテルまでのバスにわたしと一緒にいた。
その男はわたしにこう言った。

 ケガした人間はピンチに強い

その体つきは高校二年生には全く見えなかった。
身長は小学生で既に178cmあったそうです。
大きい人間は小さい人間よりも鍛えなければ同じ俊敏な動きはできない。
「絶対に負けたくなかった」そう言った。
それはダンスでも同じです。 からだを使いこなす筋力がどうしても必要になる。
おそろしいことにそのからだを見れば踊りの質がわかってしまいます。
本物のダンスを引き出すにはいつだって自らを苦しい局面に向けざるを得ません。
そのためのレッスンです。
男は言いました。

 努力すれば小さい人間には100%勝てる

その言葉は誤解を招くかもしれませんが、ひとつの信念には違いありません。
それまでの努力をうかがい知ることができる、そんな強さをもった声でした。
しかしその負けたくない気持ちの先に突然のヘルニア。
ヘルニアを手術するにはまだ 若すぎて 出来ないそうです。
これからもつきあっていかなければならないもの。
その状況は軽く想像を超えます。 「毎日からだは変わるし、動けない日もある」
がんばりたくてもがんばれない、がんばっちゃいけない これがどれだけ辛いことか
わたしが「がむしゃらに筋トレしたかった」と話すと、一瞬で気持ちを理解してくれた

 “通じる”ってこんな感じ

正直に言えば それだけでもう泣きそうになった

 ケガをした人間はピンチに強い
 努力すれば100%勝てる

言葉や文章には簡単にできても、現実にそれを兼ね備えるには揺るがない自分が必要です

その言葉はわたしが支えにしているものと同じです、そう思えたんです
でもこれは遅かれ早かれ大なれ小なれ誰にでもおとずれること。

 違いがあるとすれば、おそれずに向き合う強度の差です



2010年12月25日(土) 既知との遭遇 〜明と暗〜

ダンサーにX'masなどありません!
eveはX'mas会に呼ばれたけど当日すらレッスンです!
その帰り、PARC0に寄りました。
用事を済ませて1Fへ降りると突然肩をつかまれ呼び止められました。
でもその人物が誰なのかわかりません、顔を見てもわからない―
ほんとに俺を知ってるの?? 見覚えが…ない!?
男は語りだします。

 男「わかりませんか〜? ○△病院に研修にきてた―」

むむむ… う〜んう〜ん  記憶を引き出せない! セ…セカンドオピニオン!

 男「清水くんおぼえてます?」

…!! おおお思い出したッッッ 清水くんの時代は長かったからすぐ思い出せるッw
そういえば清水くんの隣にこんな人がリハビリ室にいたよ、いた!!(記憶遅くてすまん!
たしかにわたしが退院する直前にいた!!
白衣じゃないとわからないってw  かわいい彼女連れてりゃなおさら―

 わかりようがない

それほど面と向かって話したことなかったのに呼び止めてくれるなんて光栄です。
しかもこんなところでw  めちゃくちゃうれしかった

さて、ここで“ある事実”すら思い出しました。
自分で出来ることがなくなればなくなるほど、白衣を着た人は聖人や天使に見えます。
(※一部例外あり)

 白衣の力は絶大です

病院生活が長くなるとそんな彼らに別の側面を見るときがいつか来ます。
そのとき、どんな感情が湧くと思いますか???

 空前絶後のがっかり感

もちろん白い人たちに罪などありません。 単に自分の想像力のリバウンドですw
だって人間だもの。 人はプライベートがある俗物なんです!(※一部例外あり)
中にはプライベートを超えて医学理念を天職としている人もいました。
その人当たりの差は歴然。 比べようがない

PARC0へ来たのは、愛用 白ローファーのリペアを依頼するためでした。
そのローファーは救命救急時に履いていたものです。 靴底には血痕も残っています
折りしも、呼び止められたのは依頼した直後のことでした。
“そういう日”だったのかな?  とても不思議な気分です
思い出さなきゃいけない何かがあったのかもしれない。

そのあと地下街を歩いていると1年以上会ってない人が前から歩いてきます。
呼び止めようとしたら俊敏に避けられましたw  気づこうよ…
どういうわけかはわかりませんが、わたしは本当によく人と遭遇します!

 空前絶後のばったり感

ほんとうに驚くほどよくあることなんです。 電車降りたら目の前にいるとか。
そういえば読んだ本に精神レベルが高まるとそういうこともよく起きるって書いてあった。

もし自分にも人を引き寄せる力が巡ってきているんだったら、大事に引き渡していきたい



2010年12月21日(火) 12月21日

この日、救命救急病棟に二度もお見舞いにきてくれた人物と会う約束を果たしました。
マニシア団が終わる時間に待ち合わせ。 マニシアと一緒に階下にいくとA耶はいた。
勢いでマニシアにチェキ写真を撮ってもらった。
話せるチャンスは有効に使わなきゃね。 戻ってこないから。
チョン様灯明ダンスで一緒に踊ったのはもう3年前のこと。
成長が伺えるって面白いね〜 なんだかすごく女子力あがってた気がするw
別の言い方をすれば“お姉さん度”かな…

 ずけずけ言える会話力なんかずいぶん成長してたから見かけだけじゃない

昔の はにかんだ感じで言葉につまるのが無茶苦茶かわいかったのになぁ〜
って冗談はこれくらいにしますw
なんだか笑う感じが以前と全く違う気がした。  笑顔がよかった
そういえば、前は屈託なく笑っていなかったんじゃないか??

 そりゃわたしが寝たきりだったからだ

モルヒネ撃たれては激痛を忘れて寝たきりハイテンションの時代。。
両目はパンダみたいに濃い真っ青な色で堂々とふちどられていました。。
あんなの見られたら恥ずかしくてお婿に行けん―  ある意味、人生の汚点だ…
っていうかこの人にはそれ見られてるひとりなわけで。。 ぬああ思い出したくもない!!
そのときの話は呪詛みたいに心が痛いじゃないか…
孫悟空の金の輪っかみたいな感じです。。 
この先もこの話で永遠に絞めつけられるってこと?!  ぐああぁあぁぁああ(GO WEST

帰宅して、過去に病室で撮ったA耶との写真を見てゾッとした。

 その写真を撮った日付がどちらとも今日“12月21日”だったんです

ちょうど1年後、このタイミングで会えたなんてすごくないか?!
偶然じゃないかもね―  よくわからないけど、なんかゾッとしたw



2010年12月20日(月) 思いっきり

わたしが通うスタジオが某有名ダンス誌1月号 55〜57ページに大きく紹介されました!!
おおお!! ジュニアなみんなが所狭しと誌面で全国に旅立つ!!
先生の写真はとてもいい笑顔で、その笑顔に、その笑顔が―

 自分を戒めるため満を持して購入

だってここに載ってる全員がわたしのライバルです。 負けられない。
そんな記事の最後には先生へのインタビューが!

【生徒のみなさんにメッセージを】
自分の個性を大切にしてほしいと思います。 たとえば体つきでも、人によってぜんぜんちがいますよね。 基本の体の使い方は同じでも、そこから、自分の身体にあった上体の使い方や、きれいに見える腕の角度などを探していってほしい。 表現の面でも、みんなが同じようなダンサーになってはつまらない。 ですから、失敗を恐れて無難に踊ったりはせずに、稽古場では、思いっきり自分を表現してみてください。 そうやって努力していけば、いつかきっと、あなただけの魅力が見つかるはずです。


あたらしいからだになって、一からここで始めることを決意した9月。
医師に踊りを許されたわたしでしたが、ボディーアライメントはボロボロでした。
レッスンに帰ってこれてようやく4ヶ月目になります。
しかしいつだってわたしが足を引っ張っていることはたしかです。
それでもここにいさせてもらえること。 どんなに感謝してもたりません。

 だからこそ踊れるようにならないわけにはいかない

レッスン中は常に厳しい声が飛びますが、その理論はわたしが知りたかった答えです。
クラシックでの踊りに向かう原点を知ったわたしは初めて迷うことがなくなりました。
いつでもつま先・指先に痛みが耐えない毎日。 これが当たり前で自然です。
疲弊しきって、歩くのが変になることも少なくありません。
おかしいと思われるかもしれませんが、わたしはこう考えているふしがあります。

 つらくないと生きている気がしない

楽をしようと思えばいつでもできる でもそれじゃダメだから
つらくするのはあくまでも自分です



2010年12月18日(土) タイスケ危なくGO HEaVEn会

【プロローグ】
わたしが死にかけて一年が経ちました。
みなさまいかがお過ごしでしょうか。
この度、流行の“女子会”に負けない会を開いてもらえることになりました!

 『タイスケ 危なくGO HeAVEn会』 2010/12/18 18:00開演
 〜是非ご参加くださいませ〜

ある人物からお返事がきました。

 「一周忌か〜じゃあ仏壇と線香をサンタコスプレでもってくわ」

どれだけわたしの命って軽いんでしょうか―


【1】
会場は[肉・魚・菜 『海物』(本店)]。 かいぶつ。
このお店は土日はパーフェクトに空いていない予約必須のお店だそうです。
しかし、会を開いてくれた姉さんはこの海物マスターの奥さんと友人なのだ!
そんなわけで入店できましたw  大切なのはそう、人間関係です!
っていうか、このお店には看板がない!!

 外からはここがお店だと誰にもわからない

知っている人間にしかわからない、看板すら出す必要がない、そんなお店でした。
なんだろ、このつくね…もうこれつくねじゃないね、つくね超えてるよ。。
だって、何を食べても信じられないくらいおいしいんです!!

 参加メンバー全員が大満足で一致

これはもう、死ぬような目に遭わなくたって誰もが言ってよし。

 「生きててよかった」


【2】
その全てが“手の施しようがない”そんな絶品でした。
そんなに飲んでもいないのに、からだじゅうにお酒がまわってしまいました。
きっと信じられないくらい楽しかったんだと思います。
計算してもらった金額が書かれた紙は横取りされ、さっさと支払いされてしまった―
こんな会を開いてもらった上に年末の貴重な時間をわたしのために使ってくれたんです。
これほど幸せなことってない。 だからこそ、このままにはしておけない。

 わたしにはダンスしかない

仕返ししなくては。  踊れるものなら今すぐに踊りたい
生かされた命です 今を無駄にできない、したくない
踊れない自分から早く抜け出さなくちゃ何も、何もできない
来年まであとすこし まだチャンスはある、まだ間に合う。

 あけ姉「絶対あなたの人生ツイテるって! 生かされてる分、楽しく行こうねぇ♪」



2010年12月17日(金) 醒めない現実

あのとき、はじめて家に帰ることができた日
あのときの気持ちです

 『赤毛のアン』〜グリーンゲーブルズへの道〜
 楽しもうと決心すれば、たいてい いつでも楽しめるものよ

今年の春、東京でしか劇場公開されなかったのでやむを得ずdvd鑑賞です!

感想は、なにもかもことばじゃたりない気持ちでしょうか…
変に思われる方もあるかもしれませんがウソをついても仕方ありません。

 世界の色がすっかり変わってしまった感覚を思い出すんです

それよりももっと以前、わたしも若さからか生きるのが面倒になったときがあります。
誰にでもあるよね、自分がいなくたって地球は回るし!みたいな。
そのときは『赤毛のアン』がたすけてくれたんです。 命の恩人?ですねw

この作品は、全50話あるテレビシリーズの1〜6話を、演出の高畑勲 自らが監修。
1989年に再編集された当時は正式な公開には至らなかったという幻の劇場版。
アンがカスバート家の一員になるまでの、はじまりの物語。
今見て感じたことは、

 よろこびもかなしみもわすれるわけじゃないってこと

あのときの、家に着いたときの、なにもかもが“あたらしい”感覚が噴き出した
アンが美しいものを美しいと感じるあの感じ
わたしが踊る理由のひとつはこれです。
本当に豊かなダンスはあらゆる人の心を激しく揺さぶることを知っているからです。
ほんとはこんなこと文章にするべきことじゃない。
ダンサーなら踊りでつたえたい、文章じゃ足りないんです。
それができないのが心底つらいことだと誰かわかってくれますか?
はやくやりたいことがありあすぎて、時間は待ってくれなくて、焦燥感が増すばかりです。
そんなときでした、この作品を見たのはそんなときでした。

 どうしたらこんな繊細なものがつたわるのか

踊り続けるかぎり向き合わざるを得ません。
技術を昇華してダンスにしなければなりません。 それが仕事です。
ところがその技術を叩き上げる練習自体が困難になってしまった自分。
自分の意志ではどうにもならない現実をなんとか、なんとかしたい。
“いつかできるようになる”こんな言葉は聞きたくない。 なんの支えにもならない。

脚本・監督の高畑勲インタビューにこんな言葉をみつけました。

「僕は日常が大好きで、一番大事だと思うんです。 “日常をどう楽しむか”ですね。 楽しんでいれば、貧富にかかわりなく、自然は恵んでくれる。太陽も照るし、雨も降る。花も咲き、鳥も歌う。 そういうものを享受して暮らさなかったらつまらないし、そこは大事だと思っています。 でも、じゃあ、そういうものは見たから即楽しめるようになるかというと、それは違う気がしますね。 本当の日常には、そこに自分の意欲や好奇心といった、一種の能動性が必要です。」

そうだ… そのとおりだ! 悩んでもはじまらない。 これだ、人生これでいかなきゃね―

 楽しもうと決心すれば、たいてい いつでも楽しめるものよ



2010年12月14日(火) 能楽堂

今月、わたしは人生で初めて“能”を見ました。

 新作能 『桧原桜』 〜この花かげの物語、語って聞かせ候べし〜

わたしはこれまでいろいろなダンスを学んできました。
なによりも“何がダンスなのか”が知りたかった。
アジア伝統舞踊では、ブータン仮面舞踊やタイ仮面舞踊・インドネシア ケチャ…e.t.c.

 気がつけば日本の舞踊に触れたことがない

それほど日本の伝統芸能は遠かった。
ようやく今日、そのひとつ“能”を体験することができました。
地元の能楽師の方と面識ができ、今日はじめて“能楽堂”に入場に成功!

 いきなりのバックステージツアーです

こんなチャンスに早々とめぐまれ、途方もなくありがたい話でした。
一般人が絶対に立ち入ることができない舞台と舞台裏全域を見せていただきました。
能楽師の方々からすればそこは“聖域”です。
(※白足袋でなければ入れません)
わざわざ注意書きの立て札があるくらいの場所です。
一般的な舞台とは漂う空気が、空間が、全く違う“凛”とした舞台。

 歩いた 歩きました 歩けたよ

歩くだけのことにこんなに神経磨り減らしたたのは久しぶりのことw
“能”に限らずダンスにおいても“歩く”ことは本当にむずかしいのです。
ここでは摺り足でなければなりません。 摺り足とか何年ぶりだよ?!
方向転換も容赦ないしきたりを強いられましたw

 ここでは無知が罪

遠いな、この世界は遠すぎる。
それでも知らないことがいくつか減りました。
どんな芸能社会でもそのことに大差はありません。
ただ、その知識を超えてその探究が終わらない人の世界は別です。
やってみること、体感しなければその扉は決して開かれない。

 久しぶりに身震いしました



2010年12月11日(土) “わいわい騒ごうぜ”みたいな会

選ばれし者しか参加できない会にお誘いを受けました。
なんだか怖かったので会の正式名称を聞いてみた―

 “わいわい騒ごうぜ”みたいな会

アバウトすぎやしないか!? しかし、わたしはその名を聞いて即日参加を決意w
 こんな曖昧な忘年会がこの世にあったとは!!
 行きます行きます、行きますとも☆
この会は、それぞれの病状は違うもののリハビリをたたかう仲間たちの集いです。
老若男女はもちろん問いません。 行ってみたら30名以上の大所帯でした。
その中にはリハビリ年月が5年以上のひとがざらにいた。

 わたしなどひよっこ同然

この会で面白いのは“見た目では絶対にわからない現実”です。
どう見たって全員が健康そうに見えますからw
でも、どこか不自由で人に言えない悩みをそれぞれが抱えています。
いつ終わるのかわからない、終わらないかもしれない、そんなたたかいです。

 どこまで続くんだ
 キリがねえな…
 やりきれないよ
 それがバルトアンデルスの狙いなんです
 ぼくたちを傷つけて追いつめて、心が弱ったところで使命を果たさせる
 心を揺さぶり、操ろうって魂胆か
 考えようによっちゃ、心があるっていうのは人間の最大の弱点かもな
 けれど、最後の武器でもあるんだ

すくなくとも、ここには心を“最後の武器”にしたひとしかいません。
歩くことが困難なひと、座る・立つことが難しいひと、手に力が入らないひと。。
なおるのか、なおらないのか、その病状も日によってよくなったりわるくなったり。

 でもこれは、誰だっていつかわかること

なにもわたしたちだけがわかりあえることじゃない
ちょっと足をひねったくらいで踊れなくなるんだから
放っていても年齢を重ねれば体は動かなくなっていくんです
でもこの会でしか話せないことが現実です なぜか経験がないひとにはひどく通じにくい
それでもわたしたちでさえ想像力でおぎなっているんです
相手の状況がすべてわかるわけじゃないし、その人の痛みを肩代わりできないから

 その想像力は人を思う気持ちに通じているはずです

だから、想像力が豊かであれば簡単に人を全否定するような言動になるはずがないのです
そんな人たちが集まる『“わいわい騒ごうぜ”みたいな会』はおそろしく楽しすぎた!
こんなにわらいながら飲んだのはあたらしくなって初めてだよ―
人が多いだけで眩暈がするわたしが言うんだから間違いありませんw
これってそのまま『“わいわい踊ろうぜ”みたいな公演』にできるんじゃないかな??
おおぉ〜!! いい! それいい!



2010年12月09日(木) バスが来なくても

バスを待っていました
ずっと待ってました

 そこは、わたしが待っていたバスが永遠に来ないバス停でした

空は雲がほとんどない晴天
ところが、そのバス停はビルの影
時間が経つにつれて寒さが増していきました

小説を読みながら30分以上もいました
気がつけばメールが撃てなかった
手がガチガチで動かない

気づくのが遅すぎたんです
バスは来ないこと


いよいよ寒くなりだして、からだが全く思うように動きません。
あれからはじめての冬を経験しています。
病院はいつだって空調が効いていて季節を感じることはなかった。
今年が終わるまでどこまでいけるか。 誰にもたすけを求められない自分とのたたかい。
ところが、どういうわけか意志とは無関係にからだがついてこない。
笑い飛ばすにはほど遠い現実です。

 他の誰に負けようと、すくなくとも自分に負けるわけにはいかない

現実に向き合っているからこそ笑い飛ばせないことがあります。
今、わたしが技術を学んでいるところには男が3人もそろっています。
いつも同じ場所で3人が切磋琢磨している状況はこれまでなかった。
今までできたこともできなくて逃げ出したくてもできなくて
そんなとき、彼らのおかげでまた立ち向かえています
こんなにたすけられているなんて今までなかったよ
女には話せないことがわかちあえるよろこび
どんなに年齢が離れていようと同じ練習で同じキツさに耐えている仲間です
あいつらに負けるわけにはいきませんw

対するのが自分だけじゃないことがそれを苦しみじゃないものに変えてくれるみたいです



2010年12月05日(日) 「武士の家計簿」

 「鯛じゃ、鯛じゃ!鯛じゃ!!」

『武士の家計簿』を家族で鑑賞してきました☆
わたしが家で父に呼ばれる名は“タイ”―
なんだかわかりませんが去年の今日という日に、死んだかもしれなかったわたしです。
いまでこそ言えますが、一周忌になっていたかもしれません。
あの日からようやく1年が経ちました。  この1年、ひたすら長かった
ダンスに向かってはいるものの、現実はまだまだリハビリの途中です。

 「鯛じゃ、たいじゃ!タイじゃ!!」

そのシーンにいろんな感情がわいてきて涙が落ちました
とても、とても あたたかかった

わたしが産まれたときや、救命救急センターに運ばれたとき
親がそのときどんな気持ちだったのか映画が代弁しているように思えたんです

 『武士の家計簿』
 〜刀ではなく、そろばんで 家族を守った武士がいた〜
 幕末から明治。
 実在した家計簿から生まれた、ある家族の物語。
 すべてを売り払い、最後に残ったもの、それは―

その物語は決してすがすがしいものじゃなかった。 それはきっと現実だったから。

 “生きる”ってこういうことだよね

主人公たちは特別じゃない。 みんな、だれもがそうやって生きているんです。
ただ“貫いて”生きたかどうか。 信念まで昇華することは誰にでもできることじゃない。
その生き方はほんとうに“特別”なものでした。

 全体的に暗い映画でしたが、そろばんの音はとても輝いているように感じました

これだよね、そうそうこれだよ
それが幸せなのか不幸なのか、誰にもわかりません
でも、なにか大切なものを感じずにはいられないんです

この映画を家族で見れてほんとうによかった

 わたしは今、ほんとうに生きています!



2010年12月03日(金) 「SPACE BATTLESHIP ヤマト」

『SPACE BATTLESHIP ヤマト』 〜必ず、生きて還る〜

日本人が初めてSF映画で世界に挑む。
いま、日本人の夢と希望を乗せて、ヤマトが宇宙へ飛び立つ!!

 生きて還れませんでした

西暦2194年。
外宇宙に突如現れた正体不明の敵に投下された遊星爆弾により、人類の大半が死滅。
5年後、西暦2199年。
地球は爆弾の放射能によって汚染されてしまったが、生き残った人類は地上を逃れ、地下での生活を強いられていた。
かつてエースパイロットとして活躍した古代進はそこにいた。
あるとき彼はイスカンダル星から放たれた説明書カプセルを発見。
直後に地球防衛軍はその星に放射能除去装置が存在することを発表。
地球防衛軍は最後の宇宙戦艦「ヤマト」を建造し、最後の希望=放射能除去装置を手に入れるため、遥かイスカンダルへ向けて出発する。
地球滅亡までわずか1年。
いま、古代たち乗組員の壮絶な戦いが始まった―

 すごいぞ日本SF最新映画!! すごいぞ放射能除去人間!!

予想以上です。 いろいろつっこみどころも満載ですw
さて古代君の設定ですが、上記の「活躍」程度の言葉じゃまるで足りません…
この実写映画では明らかに「君臨」です。 そうじゃなきゃあれは偉すぎるw

去年12/27、入院していたわたしは病院を抜け出して『宇宙戦艦ヤマト復活篇』をジョー氏と見にいきました。 あのときは波動砲が6連射もできましたね。
今回は1発しか撃てませんから、事実上とんでもなくスケールダウンです。
そんなわけで登場人物実写ヤマトはジョー氏と見にいってきました!!
(※これは宿命です)

わたしたちが人間である以上、人類に肩入れするのは当たり前ですよね。
〜しかし、今回は敵のガミラス君の気持ちになって言及してみます〜
ガミラス君は絶対に“地球”じゃなきゃダメだって話ですよね。
自らの命の問題だとしたらすべからく死活問題ですから。
どうしたって人類が邪魔なら“弱肉強食”話し合う余地などあるはずがない。
だって生きられるかもしれないんだから。  誰だって死に物狂いになる
でもね、実写版ガミラス君は間違いなく話せばわかる人だよ。
人じゃないけどw
だって目的は宇宙征服じゃないんです。
第一、人類は肉体がなきゃ生きられないけどガミラス君は精神体でした。
わざわざ人類と争う必要もない気がビシバシします。

 なによりも古代君に個人的な復讐をするくらいの人間らしいアホさかげんです

そう、要は古代君に“より大きなリスク”を与えるためだけに存在しているからです。
最終的にはただただ人類の自己犠牲の精神、その希望のための敵だからです。
そんなわけで涙はからきし出ませんでした。
だってガミラス君もきっと“生きたい”はずだよね

 いつの日か人智を超えた宇宙人の知性と出会いたいものです

しかしながら、そのCG技術と映画全体の完成度は本当にすばらしかった。
この冬、見るべき映画には違いありません。 是非その目でたしかめてください☆



2010年12月02日(木) 「ウルトラマンネクサス」

いよいよあの日まで、どうにもならなくなったあの日まであと3日。

 「過去は変えられないが、未来なら変えることができるかもしれない」

一度でもほんとうの絶望の淵を味わった自分がこれで心が揺れないわけがなかった

 やっぱり誰かがたすけてくれたから
 今ある自分はひとりの力では立ち直れなかったから

まさかウルトラマンでこんなに涙するとは思っていなかった
入院していたときに親友が見ろとすすめてくれた『ウルトラマンネクサス』
そのときはチャンスがなかったけれど
だいぶよくなった今見てもこんなに勇気がでるんだからその力は本物です

見ているものが違っても、同じ想いじゃなくても、人は影響しあうこと
出会えたひと、そのひとりひとりに信じられない力があることをもう知っています

 「一緒にいた時間がどれだけ大事か どうしてわからないの?!」

ひとの人生は肩代わりできない
家族でも恋人でも友達でも どんなに大切な人間であっても
だからこそ、人はこころをつくすんです

 この作品で明快なのは“ほんとうに大事なもの”が人との間にあるってこと

今度こそわたしは人との間にあるわたしにしかできないダンスを踊りきってみせます

そのために今やるべきこと やれること!


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