| 2010年10月31日(日) |
SAGA ADVENT CHILDREN |
わたしが通院する病院に術後入院中のノッチ生誕の地―
それは佐賀
寄ってきましたよ〜ノッチ's実家に!! 本人は入院中。 だのに、だのになぜ入院患者の実家に行くのか? そんなつまらないことが頭に浮かぶ人のために一言。
人生を楽しく生きるため
どうせ一人じゃ生きていけないんです! 迷惑なんてかかって当然なんです! もう二度と行くことないかもしれないんですよ!? 事実、通院中つまらない会話ができる貴重な人物の一人なので大変たすかってます。 人の力って凄いですから。 これがわからない人はこの世にいないはずです。 さて、本人から住所は聞いてました。 レッドキャベツ周辺、多布施です。 あとは番地番号から探さなくては。
歩く!行き過ぎた!こっちか!
よくわからないけど間違いなく冒険ADVENTUREでしたね。 だって観光客なんて誰一人いません。 ガラゴロ牽きながら歩いてる人なんて見渡す限りわたししかいない! なんかいちゃいけない感じ?! もうこの近辺のはずだ。 探しまくったけど表札はまったく見当たらない。 ご近所に聞いてみたのだがわからない。 どうやら迷ったらしい レッドキャベツあたりでノッチに電話したのだがリハビリ中だったらしく通話できず。 こうなると意地でも一人で探してやる! 楽しみが生まれたw しかし、リアルは楽しさを軽く超えた。。
完全に迷ってしまった―
途方に暮れそうになったとき、ノッチから電話がかかった! たすかった!!
「タイスケさん、テレビ電話できますか?」
おおお〜頭いい! まわりを映して実家まで誘導してくれるのだな!! その手があったか! さっそくテレビ電話がかかってきた。 受信。 そのとき、感情のない淡白な一言がわたしを襲った!!
「…タイスケさん、ミッフィー消してもらえますか?」
わたしの携帯画面ではなぜかミッフィーが暴れていた― (※初期設定)
なんじゃこりゃーーーーッ
だってテレビ電話とか使ったことないしw まぁかわいいんだから許せよ… はいはい、消しますよ、消せばいいんでしょ?
「あ、この家です」
うわ〜これでかい!でかいなあああああああああああああ そんなノッチの玄関にはこんな立て札がw
【うちの犬にかまわないでください】
超実話ですリアルです。。 いったいどんな凄い犬…じゃない!人が住んでるんだ!? 謎が謎を呼ぶ展開ですよこれは! ドキドキが止まらない!
ピーンポーン♪
留守
お土産を両手に抱えたまましばらく立ち尽くしました。 家の中ではかまえない犬が吠えまくってます。 かまいようがないw 人に迷惑だけかけちゃいけません、そうですわたしは不安からお土産を買いすぎました! 玄関にある大きな壷の中にお土産を置いて帰るわたし… 最高にせつない。 うわ〜これさみしい!さみしいぞッッッ!! わたしはノッチを未来永劫許しませんw これじゃ星痕が消えないじゃないか― 俺はまだ踊れないのかよ… 踊らせてくれよ… つらいんだよ…
そんなわけで、今回の旅で“一人旅”がいかに寂しいものか満喫できました☆
ひとってひとりですね
あなたも一人で佐賀に行ってみませんか?? きっとあたらしい孤独が待っているはずです!
牛。 牛です。 牛ですよね。 あ、むつごろうもいますね!
季楽本店へ突撃。 友人患者から「1,500円くらいで大満足ですよ!」って聞いたんですw 入店してびっくり。
値段、単品で5,000円からなんですけど…
季楽って“気楽に”入れるところじゃなかった―
ランチなら「ランチで大満足」って言っとけよ!!今夕方だよ!大問題だよ!! (※もう脱出は不可能) こうなったら単品佐賀牛ステーキで勝負だ!!
財布中の現金すべてを肉へ
貧乏だったのはATMが近くになかったからです。それにそんなに… ええ、ええ、もちろん聞かれましたよ…
「お客様、このメニューではごはんもなにもついてませんが」
「かまいません」 (※正しくは“かまえません”)
ものすごく分厚いロースが運ばれてきました☆ 焼きます。 わたしは不自由なのでトングを持ってきてもらいましたw トングで優雅に肉だけ焼いてるのなんて世界中見渡してもわたしひとりです!
なんか王様気分?!(勘違
しかしトング最高。 焼くのがかなり楽でした。 わたしは店員さんに言いました。
「友人から気楽に行けって言われてたんですけど気楽にはこれませんねw」
「いえいえ、気楽にお越しくださいw」
そういうわけで、ただひたすら“佐賀牛”を食べました。 モーモーモー、めちゃくちゃ美味しかったです。 ある意味、単品でたのんで大正解でしたw モー二度と肉だけ食べる人生なんてないかもしれません!
明日、亘人くん(中2)が退院する。 話すようになってからすぐわかった、亘人は年齢差をまったく感じない。
その言葉、声が堂々としすぎていて何歳としゃべっているのかわからなくなる
売店のお姉さんとの会話からその一例をあげてみようw
姉「のぶちゃ〜ん、彼女とかおらんと〜?」
亘「いらん!っていうかめんどくさいやろ?」
姉「なんで〜?」
亘「だってお金かかるやろ?」
この会話、単純そうで深くないか?! (※わたしは隣で笑い転げていた) いつも胸にプロテクターつけてるのぶちゃん。 俺もそうだったな〜 プロテクター…なつかしいな〜 亘人父はイタリア料理人らしく、亘人はおそろしいほど食べる技術を知っていた。 (あれにこれを混ぜると美味しいってやつねw) そういえば亘人はわたしが通院をはじめたころに一度遭遇している。 そのときも入院していたから、わたしが知るかぎりでは二度目の入院だ。 しかしこのblogを見てくれている屈強な皆さんならもうおわかりでしょう… そう、現実はいつだって想像を超えているんです!!
亘人は11回も事故に遭遇していた
その数字、あなたは信じられますか??? 11回って…生きてること自体にどれほどの奇跡つかったんだ?!
亘人は3回くらい宙を舞っています
はぁ?! どれだけタイミング悪いんだお前ッ!? トリプルじゃありません、あくまでも宙に舞えるのは一度に一回です!! ダンサーならいつだって安全に宙を舞ってみ… とにか〜く、誰に対しても変わらない同じスタンス。 悪く言えばふてぶてしい…が、その性格はまったく憎めないw その経験から、年齢で人を区別することがなくなったのかもしれない。 そんな亘人はリハビリ室でも禁忌を侵すことができる数少ない人物のひとり。
あなたは施術している人に気軽に話しかけることができますか
すくなくとも“大人”には決してできないこと。 なぜなら施術は本当に大事なことだから。 なんのためにリハビリに来ているのか、その根幹に関わることだからです。
のぶちゃんはなんのためらいもなく禁じられたコミュニケーションをしかけてきます
施術してる最中に話しかけるな!! こちょこちょするな!! 腹筋にパンチするな!! っていうか先生に対して失礼だろ!!
そんなのぶちゃん明日退院します。 二週間に一度の通院は定められてるけどね。 あ〜またリハビリが楽しくなくなるなぁ…w
| 2010年10月27日(水) |
展望台に行ってみないか |
リハビリから帰る途中、父が突然切り出した。
「展望台に行ってみないか」
ほんとにいきなりで驚いた。 父もタイミングの人間なのだ! 実はわたしの実家は有名な夜景スポットの山の麓にあります。 それなのに、これまで一度も夜景を見たことはなかった。 地元の人間ほど行かないものですよね、〜スポットとか…w (※山の麓といっても拓けています、全然拓けているところです) そうと決めたら父は一気に山を登りはじめた。 まずは頂の近くまで車で登りつめます。 しかし、父の車はまったく山を登るような車じゃない! 高級セダンですから! う〜ん、ぜんぜんイメージわかない。。 横幅あるから危険が危ない! 離合が厳しい! っていうか崖!
そうです、この危機感を乗り越えないと夜景を見ることはできない! 夢を叶えるときにはリスクがいつだって立ちはだかるんですw
これから先は車を降りて向かうことに。 ふたりとも地元の人間なのに展望台には行ったことがない。 親子で突然の大冒険です!! っていうか暗すぎてなにも見えない― 携帯で足元を照らしてすすんだ。 携帯は圏外。 あ〜圏外って響き、いいね〜☆
そこにはただただ夜景がひろがっていました
ここ凄い、地元って凄い、凄いじゃないか!!! 言葉は要らない! これが父とじゃなかったらどんなにロマンチッ… いいや、違う! 今日という日は父とだからいいのだ! 誰が好き好んで親子で展望台に行くというのだ!?
凄いだろうちは!!ww
| 2010年10月26日(火) |
「アイルトン・セナ 音速の彼方へ」 |
『アイルトン・セナ ―音速の彼方へ―』 アイルトン・セナ財団公認 生誕50年記念ドキュメンタリー映画
彼は車とダンスできる その性能を超えた次元で
34歳の若さで突如この世を去ったカリスマドライバー 自らの命を犠牲にしてまで音速の世界に何を求めたのか―
「本当の努力とはもうダメだと思った瞬間から始まる」
死んだあとにその人を理解しようとするのは不幸なことかもしれません 誰もが「自分が死ぬ」なんて思って毎日を生きていないから あのとき話した言葉が最後の言葉になるかもしれないんです 死んでからではおそい 今と向きあうことがおそい
この映画でわかること、それは“犠牲に”じゃないってこと。 その言葉とは違う。 命を“賭けて”いたこと。 世界最速 フォーミュラー・ワン F1 今のわたしにはそのスピードがおそろしいとしか感じられなかった。 きっとひとりでしかこの映画を見ることはできなかったと思います。 他の選手が事故で命を落とし、誰もがその意味を見失いそうになったときセナは言った。
「逃げることはできない」
きっとセナも“これしかない”“これしかできない”人間だったはずです。 この映画が行き着くところはここでした。
「叶うなら'78か'79に戻りたい 何の制約もない 純粋にレースをしていた頃に」
映画館を出て、わたしも純粋にダンスを踊っていたあのときのことを思った。 研さんのレッスンに通っていた“あのとき”です。 わたしは、セナのスピードの1/4で死ぬ一歩手前までいきました ほんとうに死ぬところでした でも、こうして生きています
今、わたしはあのころに戻れることに何の疑いもありません
もちろんそれは簡単にはいかない、とても苦しくて難しいことだと思います しかし 生きているからこそ迷いはありません 人に出会って、こころも成長して、世の中を知りながら年月を重ねてきました あのときよりも今が大きいはずだからきっと“戻る”を超えられるよね
| 2010年10月25日(月) |
「茄子 スーツケースの渡り鳥」 |
『茄子 アンダルシアの夏』から3年― 奴らがまた帰ってきた 今度の舞台は日本!! 走れ疾れ!! お前という人間がいることを世界に教えてやれ!!
「ビンゴビンゴビンゴ!!」 「ビンゴビンゴビンゴビンゴビンゴ!!」 なんか頭に強烈に残光が!!(備後って言ってるのが正しいかはわかりませんw
ひかるちゃんがライトニングだということを世界に教えてやれ!!
いるいる!ザンコーニみたいな、とんでもないオーラ抱えた人間!! なぜかわからないけれどそういう人って“無口”だよね。 なんでだろ…
しかしそれはあくまでもひとりの力だった
とにかく手に汗にぎる接戦 自分も自転車に乗っている気がする 内包しているものは意外にも深い。 けれどもそんなものあっさり吹き飛ばす力がある。 よくわからないが、人間はとんでもない力をもっているのだ!!
バケモノのようなオーラをもっていなくとも力をあわせればそれすら超えられる
チョッチのインタビューがすべてを語っていた
これは続編とは思えないくらいの名作です。 『茄子 アンダルシアの夏』を見てからとても年月が経っていたけど全然大丈夫でした! レンタルで見つけたときはマイナーすぎて心が踊ったねw このblogは、映像を3回見直して感想を整理しなおした超実話です。
じゃあやめちまうか? そのほうが楽だぜ
チョッチ「楽してるよな、タイスケ」 (スピードを上げるチョッチ)
タイスケ「そうこなくっちゃ!!」 (まだまだやれるぜ)
| 2010年10月24日(日) |
NHK杯フィギュア 2010 |
風邪ひきました。 呼吸困難です… 土日は完全にまるつぶれ。。 たぶん次動くとき信じられないくらいカラダ鈍ってんだろうなぁ…
「呼吸が止まる」のと「呼吸を止める」ってこんなに違うのか!
呼吸を止めて1秒あなた真剣な目をしたから〜♪ …って歌がありましたねw 呼吸が止まって、の1秒はきっと長いよ〜
◎村上佳菜子ショート『ジャンピング・ジャック』 今回初めて村上選手のスケートを見たけど、これは凄い! ショートかわいすぎw 稀に見る“踊れる”選手だと思った。 たぶんなんでも踊れるだろうな。 資質はパワーダンサー。 優雅とか妖精みたい、とかじゃない。 等身大でとてもよかった。 その年齢からは考えられないくらい体鍛えてるね… これからが楽しみです!
◎高橋大輔フリー『ブエノスアイレスの冬』 高橋4回転トウループがこんなに見事に決まったの初めて見た!! その演技は貫禄。 見ていてすがすがしいものを感じる。 それだけに後半3ルッツ2ループでの転倒が残念でなりませんw しかしそんなのも関係ないね。 文句ないや。
二人に共通する空間はスケートが好きってこと
迷いがないこと
きっとそれが“ダンス”にしているんだなって、そんな気がするんです。
入院していたあの日、わたしは高橋大輔のバンクーバー冬季オリンピックを見た。 そのスケートは競技だが“ダンス”だったことをはっきり憶えています。 タイトルは半月板の手術を終え入院中のノッチが貸してくれた本から。
『be SOUL』 高橋大輔 いつも何かが足りない。 だから僕はスケートを続けている。
気がつけば一気に読み終わっていた。 でも2時間くらいかなw 高橋大輔もノッチやあけ姉と同じで前十字靭帯・半月板を手術した人物。 ケガのあと、どんな思考なのかその興味が読む速度を上げた。
自分はこの試合に出ていたはずなのに。 他人の試合を見たとき、少しの羨ましさと悔しさ、 そして、スケートをやりたい、という思いがかすめた。 スケートをやりたい、というより、正確には、やっぱり自分にはスケートしかない。 これしかない。これしかできない。他になにもできない。 結局は、この気持ちが自分の背中を押したんだと思う。
同じだ
そういえばノッチが本貸してくれるときにこんなこと言ってたっけ。
「タイスケさんはダンスだからこんな感じかなって」
すくなくともわたしは高橋大輔みたいな“オレファースト”じゃないなw 基本、頑張っているとき以外まったく自分を好きになれない。 しかし読んでいて意外と似たところを発見した。
もうやめたい
先月から始めたバレエは今までで最高につらい。 右半身が落ちている以上、まずはアライメントを正したい。 主治医から「踊りながらからだと向き合うしかない」と言われたのは8月。 リハビリでだいぶ動かせるようになった、でもまだ舞台には立てない。 いつまでこれを続けなきゃいけないのか… 激痛が、にぶい痛みが、違和感がなくならない。 完璧主義の性分のわたしは手を抜いちゃいけないと根を詰めすぎる。 ペース配分が下手なのはこの人と同じかもしれない。 セーブが効かなくなる。 テンションが上がるとどこまでもやってしまい、ケガさえ厭わない。 テンションが下がるとどこまでも落ちてしまい、投げ出したくなる。 高橋大輔みたいに“体の面ではケガによって得たものはとても大きい”とはまだ言えない。 本当に心底そう思えるのはもっと先だと思う。 最後は自分自身で立ち上がるしかない。 今、自分に必要なのはきっとこれ。
一度覚えてしまった古いやり方を忘れること
まだやめるわけにはいかない
| 2010年10月16日(土) |
「アンジェラ・アキ TOUR 2010」 |
◆アンジェライブでアンジェライフ◆ デビュー5周年記念ライブ第2弾 全国ツアー アンジェラ・アキ MY KEYS PLUS+ TOUR 2010 LIFE
1階 18列 37番
今回も最強の席で観戦できました!! Yさんに死ぬほど感謝 ピアノ上手(かみて)にアンジェラさんが鎮座する都合上、やや客席右側が素敵です☆ 動けなかったあの時、ふたたびアンジェライブに行けるなんて想像すらできなかった。 ここまで、アンジェラCDがまったく聴けなくなった時期が現実にありました。
突き刺さる歌詞が突き抜けた
もうあれからずいぶん経ってしまった。 そして今日、歌う本人が目の前にいる。 今までの自分を超えてあたらしくなりつつあるわたしが本物のアンジェラに耐えられるか。 過去のライブを思い出せばこんな感じ。
泣くぞ、すぐ泣くぞ、ほら泣くぞ
今日わたし自身、なにがおこっても不思議じゃない。 自分自身が予測不能だった。 孤独のカケラ 母なる大地 LIFE
でたらめに泣いていた…
心底孤独で 過去を断たれて それでも“自分”を取り戻すことができた 涙で前が見えなかった
いつもアンジェラが言うこと。 「ステージからの物理的な距離はみんな違うけど、こころの距離は同じだから」 わたしはこの台詞が大好きです。 わたしもダンサーとしてまったく同じ気持ちだから。
わたしが流した涙の種類は―
“でたらめ”
まったく美しくない かなしくない うれしいとも違う 言葉はまずいが「垂れ流し」に限りなく近い 複雑すぎてよくわからないが一瞬でこんな状態に何度も陥った。 強引にあのときの感覚・感情が呼び起こされてしまったんだと思う。 きっとその度合いがこれまでと比較にならなかったのだ。 わたしのまわりにいた人はこう思ったかもしれない。
異常だ
これを“異常”だと思いますか? わたしなんかよりももっと困難なものをかかえている人もいるはずです。 感情の起伏が制御できない、たったそれだけでそんなこと思われたくない。
わたしはなんとなくまわりと違う自分を感じてしまった
きっとこんなこと話してもほとんど通じないんじゃないか、って 共有できないものがあることを強烈に感じた せつない、せつないぞこれ 決して悲劇を言いたいわけじゃない。 簡単には話せないし、話したところでどうにかなるものでもない。
でもわたしは信じています それをみんなでわかちあえることを
だって満席の会場にいた全員がスタンディングオベーションしたんだから。 アンジェラ・アキがライブの最後、客席に向かって深くおじぎしたまま動かなかったとき、 武道館で聴いた『ONE』をもう一度聴きたい、そう思った。
アンジェラ・アキはこれからもわたしの最高のライバルの一人です
わたしは、あるダンサーの作品クリエーション現場にいた。 助言を求められたんです。 たいへんありがたい。 動けなくても踊りの手伝いができるんだよ! わくわくだよ! こんな動けない人間にとって、イマジネーションだけがわたしを支える唯一のもの。
できるかぎりのことをしよう
わたしが出演する案もいただいたのですが作品のためには今のわたしでは足りない。 本音を言えばすこしでも踊りたかった。 やっぱりダンサーは踊ってこそダンサーだから。 しかしこれを今言ったところでどうにもならない。 作品はわたしのものではないのであくまでも助言「自分だったらこうする」そんな話です。
気がついたら0時まわってた
こうしたらどうか、照明はどうか、花はどうか、めまぐるしくイメージがわくのだ。 もしここでこうしたらこんな効果が得られるのではないか。 踊りだけは本人次第だけれど、とにかくイメージはやってきた。 わたしのようなコンテンポラリーダンサーの話をすごく聞いてくれたんです。 イメージがつかわれようがつかわれなかろうがそれだけでうれしかった。 どんなにイメージができてもそれを舞台でつくるのはたったひとりのダンサーです。 わたしにできることは祈るだけ。 翌日、メールが届いた。
たいすけさ〜ん 昨夜はどうもありがとうございました。 おかげさまで出来ました! 後はなんとか頑張りますb またダメになりそうになったら連絡させてください。
おぉ〜!!! 連絡がくることをお待ちし…(違ッ すごいなぁ翌日にはもうできてるって。 いや待て。 …っていうか0時過ぎてたから今日できたってことじゃないか。 そのスピード、凄すぎやしないか!! でも“できる”ってこういうこと できないときにいくら頑張っても“できない”
とつぜん降りてくる
きっと素晴らしい作品になることでしょう。 なるに決まってますw
わたしは31に向かっていた。 根に持っていた人物がいたからである。 たしかこうだった― 去年、「31に行きましょう」と言われるもさらりと流したあの日。 その日は季節限定アイスを食べることができる最終日だった。 どうやらそのときの因縁が呪いへと変わったのかもしれない。
食べ物の恨みほど怖いものはない
今更、入院以前の話を持ち出されたのである。 その怨念は相当深かったのだとわたしは悟った。 あのときの因縁を絶つべくわたしは31へと向かった。 「20時までしか営業していない」と言われたわたしは急いだ。 リハビリ終えたあとで疲れていたがわたしは急いだ。
営業時間、それはウソだった
とにかく間に合った。全然間に合った。 閉店しなかったのだ。 スペシャル的なものを注文するも「食べきれない」とのたまった。 大人であれば少しくらいわけてくれるもの。
まったくわけてくれなかった
そう、そういう人物だった。 あらためて理解したw わたしは敢えて言いたい。
もうちょっと大きなこころを育てようよ…
リハビリ仲間からいただいた手編みストールのお礼につくっているものがある、と話すと突然「“笠地蔵”ですね」と言った。 瞬間どうしてその話になったのか理解に苦しんだb
ある吹雪の日、野ざらしになっていた6体のお地蔵さんに持っていた5つの笠をお地蔵さんにつけて最後の一体には自分の手ぬぐいをつけてあげた。 その夜、笠をお地蔵さんにあげた人物の家の外には食料や財宝がつまれていた。 気配を感じて外の様子を伺うと手ぬぐいをかぶった地蔵を先頭に6体の地蔵が去っていった。
わたしはその話を聞いて、こう切り出した。 もしわたしが手ぬぐいをもっていず、5つしか笠も持っていなかったなら。 最後の地蔵にはなにもつけてあげられない、これじゃダメなのかな? 返事はたちどころにかえってきた。
「ダメです」
わたしは誠実なこころで足りなかった笠だとしたらどうなのか知りたかった。 なんでダメなの???
「最後の地蔵がリーダーだからです」
そうか… リーダーね、なるほど。 じゃあ5つも笠をつかわず、最後のお地蔵さんだけにつかえばいいじゃないか。 事実上、リーダーにしか実権がないってことだよね。
「全員につけてあげなきゃダメです」
なんで?! できること全部してもダメ、他の地蔵に人権がなくてもダメなのかよ!! いよいよ納得できなくなってきた。 そう、これは自己犠牲と精神の問題です。
命に危険が迫っても血の通っていない地蔵にどこまでできるのか
見返りが約束されていると知っていれば誰だってやります。 わたしは今できることを誠実にしても足りない、その“あと一歩”を思い知った。 つまり、時をいくら戻したところでわたしが食べるアイスはなかった。
そう、これが『リアル笠地蔵』です
“今できること”じゃ足りなかった その一歩先なんだよ!! 今やれるリハビリじゃ足りないのかよ?! これでも必死なんだぞ!! この人、自分が如何に残酷なこと喋っているのかまったくわかってない。 最後にこの人はこう言いました。
「“さるかにがっせん”こんど読んでみようかな〜」
どうせやったとしてもせいぜい携帯電話であらすじ読むくらいでしょう… わたしはすかさずこう言った「今度ちゃんと聞かせてもらうから」
「え゛〜?! じゃあ自分で読んでください」
この世界はこんなにも“どうでもいい”が蔓延しています
本物の笠地蔵がいたらわたしたちになんと言ってくれるのでしょうか?
今日はザムド本編を自分に重ねてみたいと思います 複雑だったけど とても、とてもいい作品だったんです 自身のことを今でも見失うわたしに見つめなおすきっかけをくれました
その坂道は家から車でしばらく走ったところにあった あの日、舞台を約束した俺はその日を待ちきれなかった いや、みんなが踊っていたのがとてもうれしかっただけかもしれない わたしは生まれてはじめてその長い坂道をこえてしまった どれくらいの速さで坂を上れるか でもそのころのわたしは人のためと思っても自分のためにしかならなくて ずっと先まで続いていく道は無限に思えていた 気がついたらぼくはいつしか知らない場所に産み落とされていた 真っ白な部屋を満たす色とりどりの袋と管 記憶は欠けていた 数日後、怒りが湧き上がってそれは突如不安へと裏返った 心臓が頭の中に引越してきたみたいに耳元で鼓動を打ち鳴らす そしてふと気づいた ぼくは迷子になってしまった そっか ぼくがここを知らないんじゃない この場所がぼくを知らないんだ ぽっかりと こころの中に大きな穴があいた
知っていたか わたしが自分自身と向き合えたのは あの場所のおかげだ
人はみんな何かを遠くに残しては 必ずあとから探しに来る わたしのはささやかな苦しみだった ささやかすぎた 出口にはほど遠かった だいじょうぶ これくらいなら何度でも乗り越えてみせる きっとまえよりもずっとあたたかいたましいを育めるはずだ
魂込めて踊ってりゃ 気持ちは伝わるもんさ
届かない踊りはない
本気の“バンド感”映画 『BECK』 意外にも、めちゃくちゃよく“出来ていた” 独りでは見にいかなかっただろうと思います。 見にいけてよかった!
『BECK』 奇跡の出会いによって生まれたバンド、ベック。 青春のすべてが、ここにある。
出会ったのは、音楽と仲間と、ありえない自分。 夢に向かって突き進む5人の成長と友情を描く、感動のストーリー。 累計発行部数1500万部を超える大ヒットコミック実写映画化!
たぶん水嶋ヒ□を映画館で見るのは最初で最後かもしれない。 現在最強のイケメンと呼ばれる人物。 きっと“売れてる”ってこういうこと。
映画は本当によく出来ていた。 おそろしいほどまとまっていたのだ。 そういえばライバルバンドのギタリストの名前をすっかり忘れてしまった。 後半、一度だって名前が呼ばれることはなかった。 扱いが極端に変わったのだ。 かわいそうに。
わたしは生身で踊るダンサーです。 いつだってどうしようもなく不安でおそろしい。 それをすこしでも取り払うために今日もリハビリとレッスンに向かいます。 その先に楽しさがあるのかもしれない。
音楽も生身だと思うから
映画、映像は生身じゃない。 “本物”じゃないんです。 つくりものの世界はやっぱりつくりもの、そう思った。 でもあえて言います。これは秀作商業映画です! だってじゅうぶん満足したんですよ!
いらついた
帰り道、落ち着かず複雑な気分になっていた。
| 2010年10月05日(火) |
「劇場版 ガンダム00」 |
『劇場版 機動戦士ガンダムOO』 ―A wakening of the Trailblazer―
今更またガンダムか…ってわたし自身がそう思ってましたw しかし満をGして映画館へ向かいましたよ! Tvシリーズから世界をどう平和に導くのか大変興味がありましたからw
なんだか知らないが泣けた
強大な力での解決、矛盾した平和。 突然の人類存亡の危機―
異星体の襲来です(※非ヒト型生命)
ガンダムって“人の革新”が命題のひとつ!! この劇場版は「ガンダムってかっこいい」がまったくあてはまりません。 ちょっとかっこいいなって思ったのはラファエル君だけでしたw そもそもガンダムじゃなくていいような作品です。 マジでパニック映画とか怪獣映画に近い。 こういうの見たことないって人、いないと思うよ。 ところがそれを“ガンダム”でやってることがすべてな気がするのです。 正直なところ、わたしの見解はこうです。
対異星体よりも対人間のほうがはるかに醜い
感情がありすぎて、シンプルになりえないよね。 美しいとかおそらく奇跡的だよ。 それに未知のものならどうしたって人間は団結するよね?? 一方的に殺されてたまるか、って。 人間同士だったらいきなり利害関係になる気がする。 劇中で唸る台詞があった。
「余計なものは流せ 本音だけに集中しろ」
ティエリア君のこんな台詞だったっけ。 考えたのはわたしたちの会話そのほとんどが“余計なもの”だということ。 しかしその余計なものの中に本音があります。 複雑さは人間の一部だと思うのです。 本音だけ言ってる人がこの世にどれだけいるのかな。。 この映画ではこうも言ってくれました。
知識は正しくつかいましょう
その知識がかえって“わかりあえる”邪魔をしている事実。 どうしても“区別”したがる。 その区別にどれだけの意味があるんでしょうか。 たとえば、好き嫌いで決めていることがその可能性を著しく奪っているんです。 じゃあこれはどうでしょう??
生きてさえいればいい
あなたはこれがどれだけの人に通じると思いますか? もちろんわかってくれる人も多いと思います、しかしすべては経済的な問題に帰結します。 世の中の価値基準がそうなっているからです。
人間の進化を妨げているのは人間自身です
それでも生きていかなければなりません。 この世界に迎合するのか、それでもなにかに向かうのか。
わたしはダンスを信じます ダンスの力を信じています
リハビリに間に合わなかったので見に行けました、奇跡です!
Dancing課長出演、オペラ『愛の妙薬』 全2幕 原語イタリア語上演 字幕スーパー
今回は踊りじゃなくオペラです。 よってオペラ課長と呼称します。 コアラ課長に似てますね。 オーケストラです! 生オケです!! 生演奏は本当に素晴らしいね〜 おおお!幕が開いた、オペラ課長(カチョリーノ)が出てきた― こッこれは!! いきなり“気分は16歳モード”で現れやがった☆ オペラ課長ッ…いきなり使い切るつもりかトランザム!! しかし必殺技“気分は16歳”を使うタイミングに間違いはなかった。 理由。 町人課長は俄然目立てるチャンスがあったが、その後の軍人課長は全くいけない。 軍隊の一員なだけにひとりだけ突出した動きは許されない。 ひとりのミスで部隊が全滅しかねない戦争。 軍規、規律は“絶対”なのだ!! 結果として課長のよさをこれでもかと発揮できない役どころであった。 そんなわけで軍人課長はまったくいただけない。 おもしろくもなんともない。 よって“気分は16歳モード”は町人課長で発動して大正解w なんとカチョリーノには他の出演者、ソリストの存在さえも凌駕する最大の見せ場があった。
舞台中央で無呼吸症候群にかかり泡吹きながら突如命を落とす
「ドサッ」いきなり倒れたDancing課長! かっこわり…E!! どよめく客席!! 合掌。 しかし、命は落ちなかった。 死ななきゃダメじゃん… 痙攣してる場合じゃねーよ課長! この農村に救急車は存在しない! なにより勧善懲悪なんだから死なないとw
(※このオペラに悪者は一人もいません)
そんなわけでその舞台人才能のほとんどを軍人には使えないDancing課長でした。 大変にもったいない。 あの人に軍人とか絶対やらせちゃいけません。 いつものアクシデントが起きないじゃないですか!! どうしてくれるんですか?! しかしながらさすがに歌は客席まで通っていたように存じます。 元々グリークラブ出身ですしね、このくらいはやってくれなきゃね。 今回はイタリア語だし、いつも練習が面倒とかゆってる割に練習した足跡がうかがえますw あくまでもカチョリーノに焦点をあてればこんな感じですね。 倒れるまでが面白かった!!
しかしオペラはやはり異国の文化です。 原語が違う以上、歌の力ですべてを肯定するしかない。 まずもって物語に驚きが全くない。 これが現実です。 ダンスでいうならクラシックバレエがこれにあたりましょう。 踊りですべてを肯定するしかない。 日本人がやることに違和感を感じる人であればその場で終わる話かもしれません。 しかし日本人はなんでもやる不思議で特殊な民族。 やはり西洋文化に大変な憧れがあるに違いありません。 それに対してなんと自国の文化が知られていないことか。 能や歌舞伎、日本舞踊をいったいどれだけの人が“知っている”のだろうか。 これは大変な問題だと思うんです。 もともと西洋のものよりも前に、わたしたちは日本を学ぶべきではないのか。 わたしは留学していたとき、自分の国を説明できないことがどんなに恥ずべきことかを知りました。 あなたは国としての日本に誇りをもっていますか?? 話を戻せば、自分たちの国の文化はなぜだかとんでもなく狭い。 そこには世襲的な問題も潜んでいるのかもしれない。 そのほとんどの芸術文化がおそろしいほど開かれていないのである。 ある種それが日本の文化芸術が広がらない原因のひとつである気がしてなりません。
翌日、どっぷり疲れているDancing課長に会いました。 とても“気分は16歳”を発動できる人物とは思えなかったw そこのところを追求してみるとこんな返答がいただけました!
「“気分は16歳”にどれだけ力使うと思ってんだ!!」
なるほど。 妙に納得しちゃいましたよw いつも“気分は16歳”ではいられないんですね。 ある種それがDancing課長の人間力が開花しない原因のひとつである気がしてなりません。 いつも気分は16歳だったらめちゃくちゃ凄いと思うんですよ、きっとw
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