断罪の時間 〜Dance!な日常〜

2010年09月28日(火) 人の夢を正夢にしてみる

先日のこと、タイスケ&Dancers Aミンからメールが突然届いた。

 今朝、タイスケ君が踊ってる夢を見たよ
 以前の完璧な状態の踊りじゃなかったけど、
 汗と涙を流しながらのダンスを見ていた夢の中のワタシは
 しみじみ感動してました
 (なぜかバックダンサーとしてDancing課長も踊ってたヨ)

近年稀に見るいい話じゃないか! 力が湧くよ!
だってこれ、意味が逆だったらとんでもなく恐ろしいことだぞ!!
試しに文章にするとこんな感じ??

 今朝、タイスケ君が踊ってる夢を見たよ
 もう全然踊りじゃなかったし、まるで心が動かなかったヨ

もしこんなメールが来たらもう生きていけない―
わたしのリハビリ人生はこんな一文で簡単に粉砕するだろう

しかし、夢であろうともわたしの踊りは感動できるものだった!
それも一瞬じゃない “しみじみ”なんだよ
これは救い、救いです   同時に未来へのプレッシャーです

 …あ、ちょっと待てよ
 バックダンサーのDancing課長っていらなくね?

っていうかあの人、かわいい女の子がいなくちゃ絶対に踊ってくれませんよ??
完全な自己中だし座右の銘は「愛は自分を救う」ですよ??
正夢になるなら、Dancing課長の人間力が果てしなく問われるんじゃないでしょうか。
いい加減に【踊れたらもてる理論】から解脱してほしいねw
いつの日か異常なくらい人間力成長を遂げたDancing課長に期待したいものです!

明日があればきっと正夢にできるよ



2010年09月23日(木) がれきの塔

先週からバレエで自分の可能性を引き出すことにした
これほどない言いようのない毎日
気を抜いたら過去の自分が、それまで鍛錬してきた自分が出てくる

 これくらいのこともできないのか

これまで少しずつやれるようになったことが 全くできなくなっていた
状況はあの頃よりもひどく困難になってしまった
なによりも全力でやれない身体 やりたくても“できない”
がむしゃらにやれたあの頃とは違う 「あたらしいわたし」なのだ

秋分の日の今日、それ以上のどうにもならないものにぶち当たった

わたしは子どもたちと同じレッスンを受けた
ここはプロを目指して全員がまっしぐらにバレエに向かっている
わたしが今やるべき地道な基礎などここではやらない
すべてがバレエでの“踊り”に向かうための応用だ
ただでさえ少ない知識も忘れてしまったわたしには何もできないものの連続でしかない
まずもって自分を支える筋力がなくなっているのだ
なによりもこれがない今、わたしにはなにひとつできることがない 疲れることもない

 死にたい

本気でそう思った
これまで死ぬ気で蓄積してきたものがほんとうに全部なくなったことを自覚した
今のわたしはただの“踊れない人”でしかなかった
あらゆる事情、そのすべてがなんの理由にもならない
このあいだ“自分の”ダンスが踊れたからといってここではなんの意味ももたない

 かなしみは消えるというなら よろこびだってそういうものだろう

好きになった歌の一節、ひとつの事実がそれをたしかなものにした
わたしは今日Yくんとスタジオで再会したことになる
Yくんはわたしが踊れなかった月日と時間で見違えるほど成長していた
まずもって体つきが別人だ
一息で右ピルエット5回とかは以前から知っていた
しかし左、左ピルエットの気質が変わっていることに気づいた
どう見ても以前にはなかったプロがもつべき回転だった
そのときどうにもならない気持ちが 感情がおそった
自分にもその月日、時間があったはずだからだ
その成長力にわたしは固まった…それは絶望に似ていた
誰に祈ったところで救われない  踊りは踊りでしか上達しない

それでも挑戦できることが今のわたしのすべてです

 できないからやるんだ

手に入れたい強さがそこにあるんです
わたしは“がれきの塔”をつくることで自分を苦しいところに向かわせる勇気を絞りだした
たとえ今のわたしが“がれきの塔”でも空っぽの自分がきっと変えてくれるはずです

 消えないかなしみがあるなら 生き続ける意味だってあるだろう

誰からも教わらなかった夢が、今あるんです



2010年09月21日(火) 「KNIGHT AND DAY」

厳正なる抽選の結果、試写会に当選。
◆わたしは試写会参加義務を果たしますw◆

『KNIGHT AND DAY』 ワイルドな誘惑。スイートな衝撃。
トム・クルーズ×キャメロン・ディアス
ハートが近づくたび、危険が加速する―

 10/9より公開、10/6はトムの日で先行上映!(なんだよトムの日って…

平凡な女性ジューンが空港で出会った素敵な男性ロイ。
しかし恋の予感は一瞬にして地獄絵図に!!

 お金を払ってでも異性と見に行くことをお薦めします
 間違ってもわたしみたいに父親と行っちゃダメです。。 夢が!希望が!!
 健闘を祈りますw せいぜい頑張ってください!

 「with me↑ without me↓」

 「with 異性↑ with 父親↓」…トホ

“平凡な女性”というのが極めて重要w
ジューン役がキャメロン・ディアスだということがすなわち商業映画なのである。
もちろんトム・クルーズがパーフェクトヒーローなのが大前提だけどねw
もうめちゃくちゃ面白かった!!
あっという間に映画は終了。
確かにハリウッドの頂点に立つ2大スターがオンリーワンの個性を惜しみなく発揮し、お互いの魅力を最大限に輝かせた映画だった!

 こんなにあとになにも残らなくていいんですね

爽快感しか残らない  頭脳をまったく働かせることもなく映画は終わったのだ
これは凄いこと。 大変に凄い。
ダンスでこれがやりたいと思ったら複雑なことはただひとつ。

 “なにも残らない”こと (※ダンスが残らなくても爽快感が残るものだとします)

きっとダンサーなら自分のダンスを人の記憶に刻みたいと思っているものです。
そこに命を削っているといってもいいかもしれない。 そこに“価値”を見いだしたいんです。

 自分を超えてなにか伝わるか

このスタンスはおそらく誰が見ても明らかなものだと思う
あーこれだよこれ めちゃくちゃに踊りたい ダンスが残らなくてもいい
いつかおど…あ、この映画で「いつか」somedayはタブー、禁忌ですw
 いつか=叶わない
見つけなきゃね、自分のダンスのふるさと



2010年09月16日(木) 本気でゾンビ

【電車移動中のこと】

 ドシャッ

わたしの足をなにかが擦った
きっと手荷物かなにか落ちたんだろう
わたしは慌てなかった
相変わらず現実は想像をはるかに超えていた―

 隣の女の人が倒れたのだ

わたしは音楽を聴いていて気付かなかった
なによりも視界になかった
人がどよめき叫ぶ

 「大丈夫ですか?!」

叫び声にわたしはようやくおそろしい事態に気付いた
わたしは足元を見た かかとすれすれに顔があった
動けなかった  電車は動いているのだ
その場に異様な時間が流れる いや、時間が流れているのかわからない
車掌が近くにいたらしく女の人は助け起こされた

 どうやら大丈夫らしい

その原因はわからないが目の焦点は合っていた  きっと大丈夫
朝からとんでもない出来事に遭遇してしまった
まさか隣の人が倒れるなんて予期できるはずもない
ですが本当のことです  いつだって何が起こるかわからない
わたし自身が身をもって知ったこと

今やりたいこと、そのためにやらなければならないこと
なによりも明日があること

今日もわたしは邁進した その結果、まったく足が前に出なくなっていた
筋肉痛  この痛みは健全です 生きている証拠です
本気でやったらものの2日であっさりやられた

ゾンビのように足を引きずりながら電車に乗車
もうほとんど力が入らなかった
笑いが込み上げてきた  座れなかったらわたしは倒れる
これは楽しい  今までの“地道な”リハビリじゃない
ゾンビのような自分が果てしなく楽しい



2010年09月15日(水) 酷使の天使

あたらしいからだではじめてもいいですか 〜TCレッスン〜

そろそろ踊りのリハビリを! ついにその時が来た。 長かった
わたしは先週、終わりない挑戦に戻る決意をしました。
先週、先生に苦しくも挨拶することができたんです。
なによりもここは“踊りたい意志”が問われる。
生半可なやる気では続けられない、そして成長もない。
挨拶するだけでガタガタ震えた。
先生は「地道にやりなさい」と言ってくれた。
しかし、そもそもここでは“地道”など許されていない。
だからこそ、先生への挨拶は絶対にしておかなければならなかった。

そして今日。先輩によるとバケモノのようなダンサーはいない日のはずでした。

 ってTさんいるじゃんw

なんでだよ!! 最近はいないって言ったじゃ…

 はっ!まさか

瞬間悟った  あのニヤリ顔、間違いない!
先輩本人に問いただしてみた。
R先輩はTさんが来ていることをわたしが知ったら来ないだろうと思ったらしい。 それ正解
嘘、嘘だったのだ バケモノは復帰していたのである。

 や、やられた―

稽古場で彼女の姿を見るなり絶望した
こんなどん底、絶対に見られたくなかったのに
Tさんと同じバーにつく  無理、マジで無理
終わったよ我が人生  死にたい

予想通りわたしはまったくダメだった。
あたらしいからだがどこまでできるのか今現在を知る旅は終わった。
なにもかもうまくいかない。 すべてを忘れてしまったようだ。
一番堪えたのはバランスの位置。 すべて違っていた
わたしはそれなりに“地道”にやりたかった。
しかし最初は全力でやらないとなにもわからない。
どこで痛むのか、今の自分とどう向き合うのか、そしてなにができるのか。
はじめから無理だとわかっているのに目の前にはバケモノがいた。

 ズバーン! ビシィッ!

これで死にたくないダンサーいるのか?!
自分があまりに情けなくて消えてしまいたかった
怒り、憤りが激しく巻き起こった

 T「タイスケさん、すべてを求めすぎですよ!地道にやってください」

わたしは以前からこの人を超えようと全力でやってきた
もちろんそれがどんなに浅はかであるのかも知っている
しかし、そこから力は湧いてくるのだ
そんなTさんの言葉はわたしのこころを一瞬でこなごなにした
もちろんTさんに罪などない
同じダンサーの一言がこんなにつらいものとは知らなかっただけだ
 無理がしたい!! 踊りたいだけだ!!
踊りの立場や性質は全く違うがその圧倒的な技術とからだは求めなければ得られない
生きている今、どうしたって制限時間があるのだ

最初くらいでたらめにやらせてくれたっていいじゃないか踊りの神様!!
目の前であんなの見せられたら“真剣に”できないことをやるしかないじゃないか!
あんまりだよ研さん!! ありがとう研さん!! 研さんの計画はできすぎてるよ!!
“地道”にと思っていたらいきなり“地道じゃ足りない”って突きつけられる。
その最大最強の天使を目の前に置いてくれたんですね―
ぬぬぬ…ありがとうTさん  もうこれ以上の恥はない!!  やるしかない

もう一度踏み出したわたしのLIFE
できるとできないの間に真実はあります



2010年09月14日(火) 「夢をつなぐ」

◆移動中に読破した書籍を紹介します◆
『夢をつなぐ』〜山崎直子の四0八八日〜

 2010年4月5日午前6時21分
 スペースシャトル「ディスカバリー号」打ち上げ成功!!
  私は今、宇宙にいる!
 亡くなった女性宇宙飛行士の夢を女の子は受け継ごうと思った。
 それから24年、ついに夢が叶うときが来た!

“宇宙”その言葉は人をつなぐ力がある。
“宇宙”という言葉には特別な力がある。
なんだろ、この感覚。。 国じゃないから?地球人だから? 不思議だ。
そういうわけで即日購入。 大変読みやすく、3日の移動時間で読み終えた。
宇宙飛行士・山崎直子さんの宇宙への道のりはこんな書籍では語りきれないだろう。
いつだってリアルは想像を超えている。 そのときの現実は文章では量れない。
おそれおおいことだが、宇宙に行けばすべての努力は吹き飛ぶ気がする。
わたしは踊ったときそれまでの時間が吹き飛んでしまった。
立場はまったく違うのだがそれほど感覚が違うものとは思えない。
そんな書籍のエピローグのタイトルはこう書かれていた。

 それでもこの世界は、すべて美しい

「それでも」という言葉はそれまでの努力やつらいことすべて内包している。
現実はやさしくない。
しかしわたしも「そうだ、その通りだ」と思っている。
どんな素晴らしい経験もおそろしい経験も自分を知ることに帰結する。
今自分が生きていることが、父が母が友人が、どんなにけなげで、私にとってどんなに大切な宝石なのか、今ほど心から思えるときはない。
わたしは宇宙に行ったことはないけれど、その感情はまったく同じものだと感じるのだ。

どうしても避けて通れない言葉があった。

 ◎「腹をくくる」ということ
 私はもう、腹をくくっていた。
 仕事のことも、彼の辛い立場も、娘のこともいろいろ考えた。
 世の中の最大の壁は自分の感情である、と書いてあるのをどこかで読んだことがある。
 その通りだと思った。
 腹をくくるということは、その感情の壁を越えることなのかもしれない。

踊りのことを言えば、感情があればあるほどダンスは醜くなる。
その力は制御できないのだ。
想いが強ければ素晴らしいダンスになるのか― 答えは否。
特に日本やアメリカでは面白い動きや圧倒的な技術しか世の人の多くは興味を示さない。
しかし、アジアの踊りを見ればそんなもの通り越している。
感情を超えているのだ。 空っぽなのだ。 そのダンスはまったく体自慢ではない。
その空っぽというのはエネルギーを通す道だと、ある人から聞いた。
神事・豊穣・祈り、そのダンスは感情ではないんです。
わたしも感情を超えたいと思っています。
しかし、複雑な感情・生々しいものにもうすこし光をあてたい。
“自分”を踊るとき、大切なのはこの複雑な感情しかない。
それでもその感情は制御できない。
そのほとんどが単純に踊りにならない。 結果いちいち見せ方を考える必要がある。

今のわたしが踊りたいものは、感情を踊りにして、踊るとき その感情の壁を越えることかもしれない。

決して無感情になるということじゃなく、ただひたすら“踊り”に向かいたい

今のわたしは“自分”を踊ることをしなければなりません
それでも“自分”を踊らないダンスを想っています



2010年09月11日(土) 「広康&佳織 結婚披露宴」

ついにあたらしく踊る日がやってきた。
昨日はスタジオに引きこもって伝えるをギリギリまでダンスにつめこんだ。
今わたしにできること。 5分、その5分に伝えるを吹き込むのだ。
今までもそうだったけど想いが強すぎると空回りする現実。
踊り、ダンスは難しい。  集中力・技術・会場、その場の空気
しかし今のわたしの5分ではどれだけ全力で踊っても伝わる気がするものではない。
自然体でいかに伝えられるか、果てしない挑戦だろう。

早朝8:50、誰よりも早く会場入り
結婚式にヨガマット持参でガラゴロ引きながら到着。 どこからどう見ても変。
わたし専用に用意されていた部屋に入室しすぐにストレッチ開始。
9:30、ほどなくストレッチを終えて音響・照明の打ち合わせ。
会場はセッティングに追われていたがステージをすぐに組んでくれた。
やはり狭い、しかしダンスを調整するのはわたしの仕事である。
すぐさまどう動くか取り掛かった。
できない振付は変更しなければならない。
ジャンプ技も試したが、狭くてケガにつながる恐れがあり意識が散りすぎる。
断念した、危険すぎた…わたしの技術の足りないところだ。
一度外に出てイメージを決めた。
11:00、最終リハーサル。 わたしのダンスは決まった。

 ステージに立つ  照明が当たる  わたしは戻ってきた!!

その感覚はあたらしくておそろしてうれしかった
会場をセッティングしていた男性に声をかけられた。

 「本格的ですね!」 ←的ってなんだw

披露宴がはじまる 食事はまったくのどを通らない プレッシャーは高まるばかり
想像以上に緊張で奪われていく体力―  そうそう!これこれ!!w
新婦の両親から注がれるビール これは親族として飲まないわけにはいかない
わたしは酔った  酔いはおそろしく回った

新婦2度目のお色直し退出のあと、わたしも準備に部屋に戻った。
いよいよだ。 からだの調子は今までで最高だ。 本番の力かもしれない。 酔ってるけど!
踊るからだ最終チェック。
二人の前で、披露宴で踊ることが決まってからもリハビリで、痛みと真剣にたたかった。
そして今日、わたしは踊る。 自分でも信じられないほど踊れるようになっていた
 きっかけがわたしに力を与えてくれた、そんな気がするんです
アンジェラ「母なる大地」を聴きながらこれまでの人たちを想った。
どんな人もわたしの力になっていた  旅立ち 今日そこから旅立つのだ
 ありがとうわたしのふるさとたち
踊るよろこびに満ちて涙があふれた  これもみんなのおかげです ありがとう
わたしはそれを踊りで返したい、そう思っています

 わたしの場所に帰れるきっかけをくれた広康・佳織さん
 ほんとうにほんとうに感謝しています

紹介をいただきながら暗転板付き  静まる会場  わたしは踊った
力みも失敗もあったけれど全力を出し切った  痛みも忘れていた  悔いはありません
からだがそれを知っています  伝わっただろうか

直後に始まった新婦・佳織さんの両親への言葉。
そして披露宴の終わりを告げる新郎・広康。

 ふたりの旅立ちの日はわたしの旅立ちの日でもあります
 もっともっと幸せになってくださいね

わたしの紹介をしてくれた司会のお姉さん、会場STAFFさんから言葉をもらえてほっとした。
披露宴が終わって、わたしは女の子から花をもらった。 突然だった

 「とっても情感こもっててよかったです」

 うれしかった ほんとうにうれしかった

9/11はもう“グラウンド・ゼロ”じゃありません
わたしの“再生・そして新生”の日です



2010年09月09日(木) 「LIFE」

こんどは発売日に買えたよ 買いに行けたんだよ
もう発売日に買えない日はない ないんだよ
明後日、わたしは輝く人になるから

 ここだ ここで『LIFE』だ―

わたしはCDを購入したその日、実はすぐに聴かなかった
歌を聴いたら感情がどうわきあがるか怖くて不安で聴けなかった
ほんとうに個人的な問題です

〜勝手にアンジェラとわたしのStory〜 ※本当に勝手です
(※LIVEの勝手に英語でしゃべらナイトみたいな感覚ねw)

あ〜こんな笑って言えるのがほんとにウソみたいだよ
いよいよ踊る直前で心底がけっぷちなわたしですが今日は休養日…ではなく!
 今日はリハビリに懸ける日なのだ
そして、明日、明日、明日、ギリギリまで伝えるを踊りにします
そう今日はなにも考えない【最後の追い込みと一回休み】の日!!

ついにCDを回すときがきた 経験のない3曲目にあわせ―

 出だしからいきなり涙があふれた

おかしいな…変かな?  でもほんとうのこと
単に大ファンだからとかじゃない  今こうしてblog書きながらそのときを思った

 今、ダンスに向かっている“今”またアンジェラの歌が聴けること

きっとこれじゃないかな  複雑だけど うれしかった気がする、残ってる
わたしは女ではないが「Every Woman's Song」にいきなりやられてしまった
確実に最後はヤバいと予感した

 そして予感は的中する

11「Bop Bop Bop(Colors Of Your Soul)」
 ↓
12「母なる大地」
 ↓
13「LIFE」

 もうダメだった 

今回は英歌詞が割と占める  そう、歌詞に dance が度々来る!
これだけでもわたしには特別な意味をもつ
母なる大地では、どうしてもわたしをたすけてくれたミキさんの顔が浮かぶ!
あんなに「ありがとう」と伝えたかった“母”はいません  11日は天まで届くように踊りたい
LIFE…もうこれは。。  “間に真実があるから”  “動けなくても 歩けなくても”
それは、言葉にならないくらい うれしい歌だった   心が揺れた 揺れすぎた

 ありがとうアンジェラ・アキ

もうライブticketは偉い人に頼んであるから目の前にいるよ!
まだまだよくなって、あたらしいからだで絶対にLIFEを応援に行くから!
届くといいね、わたしの気持ちも



2010年09月08日(水) 究極の眠れるCD

わたしは9/11、ついにあたらしく踊ります。
相手は新郎新婦、結婚式披露宴!!(※親族、えらい社会人含む)

 失敗は許されない

ついに踊るときがやってきた!!
チャンス、これはチャンスです。
いつもなら、からだの力・想いの力を第一に考えるわたしですが状況が状況。
わたしたちが繰り出す“ダンス”は一般的にダンスだと思われない最先端のものw
ここは曲の力を借りなくては! 曲はめでたく、そして明るく!
リハビリ室でかかっていた曲にあっさり決める。 元気が出るいい歌だった。
わたし自身のリハビリにも大変効果があったものだ。
その曲名はmy担当・黒PTから聞き出した。
しかし踊ることを未来の新郎新婦に申し出た時期は、まだまだ“激痛”とたたかっていた。
正直、どうなるか本人すらわからない状態だった。
ところが未来の新郎新婦はこころよく「踊ってほしい」と言ってくれた。
わたしにとってあたらしい踊りに向かう場所をつくってくれたのだ。
それから誠心誠意 伝える、伝えたいものを想った。
イメージは割とすぐたどり着くことが出来た!…が

 からだがイメージに全く追いつかない

そのイメージを示せないのだ。。 致命的だった。
悶絶しては踊りが止まる、そんな日の連続。 地獄だった。
もちろん毎日リハビリに出かけた。
しかしながらリハビリを真剣にやれば帰宅したところで体力は残っていない。
おそろしいくらい体力も踊る力もなかった。 なにもかも悪循環だった…
結婚式3日前の今日、わたしは会場へ向かった。
どうすれば今できうる最高の状態をつくれるか、時間の確認である。
わたしは3日前にもかかわらずまだ迷っていた。
どうしてもこれで伝わるかどうか不安なのだ。
だからといってこれは終わるまで消えるものじゃない。
そこにこそ踊る意味があるのだ。
今のわたしはそれがどれだけおそろしいことかわかっている。
逃げ出したいほど怖いのだ。
きっとこれから先もこの気持ちと対峙していかなくてはならない。
どうしたって逃げられないこと。
そして、ブライダルフロアでわたしの出番、順番がどこなのか知る。

 披露宴の終わり、まさに寸前だった

それを知ったとき、信じられないくらいうれしい気持ちと同時に、
これまでで最大最高のプレッシャーを感じた   絶対に失敗できない
わたしたち踊りの世界 それは、いくらやっても“足りない”世界です
その上 今の自分自身が持ちうる力を全力で発揮できるからだには程遠かった
わたしは甘かった  リアルはいつだって想像を超えている
こうしてわたしの感情を解放した“即興”は完全に封じられた
あまりにもリスクが高すぎる
実のところ わたし自身の達成感はきっと即興を踊ることでしか得られないと思う
しかしそれは単なる自己満足になるに違いないのだ
なぜなら今まで踊れなかった自分自身が“今”めちゃくちゃに踊りたいと思っているから
どう考えてもそれこそ人に向き合っていない最悪の踊りだと思うのだ
そういうわけで、自分が踊りたい気持ちと人に伝えたい気持ちの狭間に陥っていた
たとえ自分が踊りたいものでもそれを踊っちゃいけない
これ以上ないくらい苦しい
それでも踊りたい
あたらしいからだで初めて踊りに向かったとき、気がついたら泣いていた
踊れるよろこび、自分がどれだけ踊りを求めていたのか
 即興で人に伝えられる力がほしい
自分の力のなさを痛感した  今、即興は踊れない

わたしは夜が眠れなくなっていた
朝5時くらいにやっとダウンしても、不安ですぐに起きてしまう
いくらやってもたどり着けない気がした
これ以上やったらきっとおかしくなる気がした
わたしは披露宴に向けて体内時間を踊りに向けることを誓った
途方もなくあたりまえのこと
とにかく踊りを考え、リハビリに行ってこれでもかと疲れて帰って夜を寝るのだ
そんなとき病院で知り合った子がわたしにCDを貸してくれた
それは売店のお姉さんが数日前に預かってくれていた

 『究極の眠れるCD』

こんなこと最近やけに多くないか???
ってことは、もうこれは偶然じゃない。 必然だ。
このCDで今日は究極に眠るのだ―

※そんなCDには注意書きがぎっしり
 ●眠りのメカニズム
 ●試聴前のアンケート調査
 ●試聴後の集計データ
 ●自律神経系の生理学的検査による検証
 ●「究極の眠れるCD」の効果と免疫機能の検証

目を見張った注意書きはコレ↓↓↓
 ●このCDの効果的な利用法

 ◎このCDは、もし最後まで聴くことなく眠ってしまっても、問題ありません。

えっ?! 聴かなくても効くの??? それって本当に凄いじゃないか!!!

これでわたしのダンスもきっと問題ありませんw



2010年09月03日(金) 父作品、県展入選

わたしの父は版画家です。
しかし、実は親子でリハビリに通っています。
ある意味 わたしよりも症状は悪かった。
わたしの症状とはちがいます。 神経の話。
診察結果は手術寸前でした 骨を削る手術
成功しても痛みが完全にとれるかどうかはわかりません。
術後にもリスク、リスクがありました。
それからの父は物凄い気合いでリハビリに向かっていた。

 “絶対になおす”

わたしの人生、たぶん二度と同じ病院に親子で通院することはないでしょう。
リハビリ室で名字を呼ばれては二人が同時に立ち上がったものです。
呼ばれているのはどちらかひとりw  大変恥ずかしかったことを憶えていますww
たしか父はわたしが重体で運ばれる少し前から作品に向かっていた。
今日、本人が言った。

 「お前が入院してあんな精神状態でよくできたと思う」

わたしはその作品が好きじゃなかった。
なんとも異様で、とてもおぞましいものに見えた。
当の本人ですら明らかに納得がいってない作品。
リアル腕が使えない以上あれが限界だったらしい。
昨年末から痛みを訴えており、気がつけば左手で食事をとっていた。

 父は箸を左手で扱えるようになっていたんです

もちろん困難なものもありましたが、そのほとんどを左手で捌いていた。
見た目まったく利き腕と変わらないんですよ?!
わたしの父がどんな人物か、大変わかりやすいかと思います…
そんな父の目標は県知事賞。
しかし、今回の作品はそれ以前に通らないだろうと家族全員が予想していた。。
その結果は、なんと“入選”―

冗談でわたしたちは叫んだ!!

 「なにか呪いでもかかってたんじゃないの?!」

最初はそんな会話で盛り上がっていたのだが、見方を変えてみた。
もしかしたらその話、まんざらでもないのではないか
わたしは突然あのときの父がどんな気持ちだったのかを悟った
どう見ても好きになれない作品です
その色の異様さからは父の気持ちの場所が定まっていたとは到底思えない
あんな台詞を聞いて、初めて気づいた

 そうか、そうかもしれない

審査員にはそれがわかったのではないだろうか。
8月、ついに主治医に「手術しなくてよい」とまで言わしめた父。
しかし実際、完治することはないその右肩。
調子がよくても気をつけなくてはなりません。 自己責任です。
今では版画をつくることを半ばあきらめています。
少なくとも今、大きな作品をつくることはできないようです。
 そんなときの『入選』
その作品がどんな作品であろうともこれは揺るがない事実。

いつかまた版画に向かってほしいです


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