花が咲こうと咲くまいと、 生きていることが花なんだ
ハラダさんが貸してくれた『猪木語録』〜元気ですか一日一叫び〜を即日読破した その本にはマーカーでラインがところどころ引いてありました わたし自身も語録と大差ないことを考えられるように成長しているように思います 感謝の気持ちと自分の弱さを認めたら強さにたどりついたんです 5キロの鉄アレイを両手に持って病棟の廊下を毎日歩くハラダさん 同じ病室になってはじめてその意味を知りました ハラダさんは現代の難病と闘っているひとりです そのからだには電流が流れています 首筋に埋められた導線を触らせてくれました 筋力が低下していく恐怖と毎日闘っているんです わたしの想像なんて軽く超えていました 機械を入れられたときのことも話してくださいました 3ヶ月間病院から一歩も外に出ることを許されず、それを守っています 「早く娘と会いたいしね」 日々体調が急変するからだと生きている姿を見てわたしは胸がいっぱいになるばかりです 人は生きているだけでこんなにもすごいんです そんなハラダさんが今日退院します 笑顔で見送るわたしにハラダさんの返事が身に沁みました
「頑張ってください」
「お前もな」
| 2010年02月21日(日) |
「京都妙心寺 禅の至宝と九州・琉球」 |
特別展 開山無相大師六五〇年遠諱記念 京都 妙心寺 禅の至宝と九州・琉球 特別展
禅、いま花開く。
国立博物館に連れて行ってもらいました!
京都花園妙心寺は1337年花園法皇の離宮を禅寺とし、関山慧玄禅師(無相大師)を開山として創められた臨済宗の名刹です。 以来六世紀半にわたり臨済禅の中枢としての歴史を積み重ね、今日では臨済宗諸派の最大規模となる末寺数三四〇〇を越えるなど、まさに『臨済宗の雄』と称することができましょう。 妙心寺創建以来、脈々と伝えられた関山禅の真髄と九州・沖縄の地で花開いた多彩な禅文化の粋を示す一二四件の名宝を展覧した妙心寺の禅文化とその心にふれる好機!近世九州における妙心寺派の展開や琉球王国の仏教美術を概観する初めての機会なのさ!!
そこに、禅がある。
妙心寺(京都)と観世音寺(大宰府)、国宝の二大銅鐘が揃い踏み! 一三〇〇年ぶりに兄弟鐘が共鳴。 飛鳥時代か― 明日香ってすごいな〜 九州にも素晴らしい名宝があるんですよ! 梅ヶ枝餅がうまいんですよ! 直指人参ですよ! 日本最南端にも臭う像が…仁王像があったんですよ! 東大寺の仁王像と比べては失礼ですが、圧倒的なかわいさで沖縄仁王像の勝ちです。 もうめちゃくちゃ癒されましたw こんなに威圧感がない仁王像初めて見た! なかなか見られない貴重なものばかりでした! 梅の花も満開でした! おみくじは中吉でした!
次回の鑑賞は『国宝土偶展』を予定w おたのしみに!
ユキヨ団最年長の大先輩ニギワさん。 大変おっとりした性格。しかしその話し方・物腰に品を感じずにはいられない! 常に雄大な時間が流れており、怒ったりすること皆無。 ただものじゃないんです こんな風に年とりたいよね― っていうかどうやったらそんな風に年とれるの―
人に歴史あり
ある日、洗顔しているニギワさんに遭遇。 そのもっちり泡洗顔に思わず「顔真っ白ですね〜」と話しかけてしまった。 ニギワさんはニコニコしながら 「わたしだってたまには白いのよ!!」 不覚! 言葉って難しい! 一事が万事、紐なしバンジージャンプです! 「タイスケくんも使ってみたら?美しくなるわよ」
お茶石鹸を使わせていただきました(業界初)
おおおおおおおおおおおおおお!!! 安物洗顔料とは雲泥の差じゃないか!違いすぎるぞこれ!! 限りなく肌にやさしいとはこういうことか 頭をよぎるあのCM― 『あなたのお肌、あきらめないで』
わたしはあきらめていた
あきらめちゃダメだ! あきらめちゃダメだ! あきらめ茶ダメだ!! あきらめたらそこで試合終了です
三度目の病床移動。 ここは退院を前提とした暗黙のエデンだとあとから聞いた。 わたしの退院デビューは近い― (※まだ骨は繋がってません) ここでは無尽蔵にテレビを見ることができます。 それがこの病室の特典なのだ☆
っていうかテレビ見ないんですけど―
こんなの特典じゃない嬉しくないなんなんだそれ 人間ってそんなにテレビに依存してるのか??? 本読んだり勉強したり手紙書いたりしないの??? 正直、リハビリだけでわたしの一日は終わります。 時間がいくらあっても足りないんです。 寝ることも大事ですが、わたしにはやりたいこと、そのために費やすことが山ほどあります。
入院生活が長くなると相応に見たくないものも見ることになります。 不治の病と闘う人、意識がない人、手術を繰り返す人、治るのを呑気に待つ人、常に憤っている人… わたしも例外ではなく、人を知ることでわたし自身を知る毎日です。
わたしは毎朝仕事に向かう満員電車を病室から見ます。 自分がまるで世界から外された感じです。 いったい“働く”って何? ユキヨ団長が言いました「家族を養うため」 たしかに真実です。 しかし現実に病気と闘うことに全てを費やしている人もいるんです。
休むことも必要です しかし怠惰でいることはとてももったいないと感じます
わたしに「今」必要なのは骨。 骨が繋がってないんです。 そんなわけで『ラブリーボーン』鑑賞! 前売券は過去のわたしから届いたあたらしいわたしへの遺産☆
【あらすじ】 私の名前はスージー・サーモン。お魚みたいな名前でしょ。 1973年12月6日、学校の帰り道に近所に住むある男に呼び止められた。 そして、私は14歳で殺された― 私がたどり着いた場所は何でも願いが叶う素敵な場所だった。“天国”っていうのかな。 地上の世界でもあるような夢の中でもあるような。 そんな場所で地上にいる大切な家族や友達を見守っている。 でも、天国でも叶えられないことがあった。 それは大切な人たちへ想いを伝えること 私の死をきっかけにバラバラになってしまった家族が心配。 大好きだった初恋の人、レイにもう一度会いたい。 そして私を殺した犯人は捕まっていない、このままでは家族も危ない。 まだやり残したことがある きっと私にも何かできるはず みんなに伝えなきゃ お願い 私の想い、届いて
とにかく主人公スージー役のシアーシャ・ローナン。 かわいすぎるにもほどがある。 ベッキー狂う得るとか全然比じゃないね。 個人的には父親役のマーク・ウォールバーグが良し!
映画はハッピーエンドです。 最初に主人公死んでますけど。
でも死んだあとみんなを幸せにできるのなら悔いはないですね わたしがそんな風に死ぬにはてんで足りませんね
どう生きればいいのか? それから殺されて失った、残された者のはかりしれない思いも考えた
どうしたって生きる痛みはあります わたしたちは必ず死ぬ
天国と地上の狭間の世界は確かに美しかった。でも映像だけで感動するには不十分。 物語がすすまない。主人公の意志決定が物語を左右しているように見えない。 正直、その辺けがれない14歳ってどうなの―? 根本的にスージーはなにもしてません、なんにもできてません。 スージーは生きてる人が考える都合のいい幻影にすぎないと思えます。 理由はどうあれスージーは失うことから解き放たれているはずなんです。 解き放たれていないのであれば、考えられないくらい強い執念のようなものがないと不自然で中途半端だ! “14歳”って難しくないか? 負のエネルギーじゃなく正のエネルギーで満ちているのなら、世界は常に美しいはずです。
しかしあの男の死に様は足りない足りてない足りるものか。 あれはなにごともなさすぎる!! 憤ります だって最悪の犯人です あとから次々に支社が出てくるのにあれはないだろ― こんな映画見たら、娘をもつ親は永遠に娘を外で遊ばせることはないでしょう。 わたしは映画が終わったあと犯人と同じくらいサラサラな髪に微妙な気持ちになってしまい、結んで帰ったくらいだ! そういう意味では犯人役って名演だな… 役を演じてるだけだもんね。 超美人看護師を見学するために病院に来たDancing課長と大差ないよね。 それ、お見舞いじゃねーよ
…とにかく、この映画は生きてる人間が考えだした物語です。 決して支社の視点ではない俗物的な映画だと思います。
同級生ルースのからだを○っとってレイと△×するとかよくよく考えたら勝手すぎやしないか (泣いたけどね) そりゃスージーにも救いをあげたいさ でもこれからレイも生きていかなきゃだろ 残酷だろそれ― (でも泣いたけどね)
見た人すべてに通じる映画だと思います。 14歳ってすごいねw わたしは主人公スージーと同じように突然死んだかもしれない身の上が乗じて映画とアクセスした部分が違うかもしれません。 まず、わたしが死んでいたら心底親不孝者だと知りました
家族がバラバラになる話なんです
病院に運ばれてからのわたしはあまりにも自分のことしか考えていなかったことに今更気付かされた…14歳と大差ない自分自身に嫌気がさした
苦しくても生きていてよかった
この日、ミキさんが一時的に退院しました ユキヨ団の一員 ミキさん ミキさんは難しい病気と戦っています もちろん初めはなにもわかりませんでした 話しているうちに知っていきました ミキさんには明確なタイムリミットがあります わたしには話を聞くことしかできません
わたしなんかよりも“生きたい”と願う切実な祈り
歩きたいのに意識が指先まで通らない こどもたちが成長するのをみていたい
わたしには話を聞くことができます それでもなんとかしたい 生きる力をあげたい 関わっていたいんです
車に乗り込むミキさん 手をふるわたしに窓越しの「がんばってね」 こころが激しく揺れた
ミキさんを心で応援していたわたしが実は応援されていたんです
わたしはこの日初めて人を想って泣きました
| 2010年02月10日(水) |
デパートの陰謀2010 |
久しぶりにバレンタインを意識した。 局地的仏教LOVEなわたしなんですが。 バレンタインに先駆けて、いただいたものがあるからです!
『王室御用達チョコセレクション』
食した瞬間、度肝を抜かれた
おいしすぎる
各国の王室御用達五種類が揃い踏み。 個数も5つのみ。 はじめに食べたものはプレスタ!
プレスタ:1902年ロンドンで創業した老舗チョコレートショップ。英国王室より絶大な信頼と人気を得るチョコレートの数々は故ダイアナも自ら店舗に通ったほど。
そのおいしさは尋常じゃなかった! 人にあげられるものじゃない! ユキヨ団のみんなから白い目で見られながらも毎日一つずつ味わって食べようと決めた。 毎日ユキヨ団からいびられる日々。 それをFナースに話すと王室チョコがどこで買えるのか聞かれた。 そんなことがあり。
わたしはたまたま通院外出の際、デパートに寄ることができた! 〜このとき人生で初めて逆チョコの機運が生まれた〜
人生を楽しくするのは自分自身だ!!
本命に逆チョコは自爆テロ。 しかし本命でさえなければ今のわたしにはできる。 なによりもお世話になっている人が多すぎるのだ。 Fナースと王室御用達話をしたこともあり、ナースなみなさんには王室〜でいくことにした。
【王室御用達販売ブース】 高い。 高すぎやしないか。 もちろんわたしがいただいたものも並んでいた! これは大変なものじゃないか。。 しかしこれもタイミング。 プレスタのみのものも販売されており、その箱で購入を決めた。 金色で王冠があしらわれたその青い箱は誰が見ても王室御用達!!
これ自分が欲しいぞ―
危うく目的を見失うところでした。 詰所に持っていこうとしたとき大問題に気づいた!
数が全然足りないだろこれ―
7個しかないなんて残酷だろそれ― 奪い合いになること間違いなし。 感謝の気持ちで買ってきたものが争いを生んでどうする!! 人を救うナース同士が殴りあう場面を想像するとドキドキが止まらない!
わたしは懺悔した 素直な気持ちが戦争を生むかもしれない なんとおそろしい…
それよりも問題なのはわたしの気持ちそっちのけでチョコのおいしさで争いが起きた場合だ! 気持ちなんて関係ないじゃん!! …いいやそんなことはないはず わたしは気持ちが通じることを信じます。 ダンスの力を信じます。
女子のみなさん、チョコが大事じゃないんです。 くれぐれも気持ちを大事にしてください。 素直な気持ちが大切な人に届きますように
とあるクイズ番組で時間を潰していたユキヨ団w ひとつの問題の答えに以下のものがあった。
一円に笑うものは一円に泣く
ユキヨ団長、正解。 その隣りに座っていたおばさまが言った。
『もし一円が落ちてても私は拾わないわ!だって腰が痛いもの』
わたしはこの一言に唸った。 笑うわけでもなく、泣いたわけでもない。 もっと大事なものがあるのだ!!
なにげない一言はことわざを超えていた
二度目の病床移動初日。 わたしはこの日外出した。 人生最大これ以上ないほど髪は伸びていた。 直ストレートではあったがとても清潔感あるとは言えない。 キリッと結ぶことでしのぐ日々。 しかし、患者の間でもいまだに正体を確認しにくる人が絶えなかった―
わたしは決意した
詰所で偉い人に脱落武者スタイルを宣言。 返事はあっさり「やっと気づいたのね」
わたしは落武者だった
Uスタイリストに訊ねると最後に来店したのは昨年9月だった。 4ヶ月も髪を野放し放置状態にしていたことになる。 不測の事態だ。。 しかしこのときもスタッフに気を遣わせていたことにかわりない。 プロテクターは外せない。 だいたいこんな状態で来店されるほうが困る! それでもなんとかしたかった 身だしなみをととのえることでしか変わらないこともある 久しぶりにUスタイリストたちに会えて得体の知れない気持ちがわきおこる。 もう当たり前が当たり前ではなくなっていた
病院に戻り、夕食を階のロビーで摂っていると人生の大先輩に捕まった。 以前リハビリ室で話しかけられたことがあるおばさまだった。 そのおばさまはとても気さくな上に壁がない人で、まわりにはいつも人がいた。 このとき初めて同じ患者の立場で話しかけられる人ができたんです。
わたしはユキヨ団に入隊した
髪をととのえた日、あたらしい生活の幕が開いた
明日、最上階の個室病床から移動するように命じられた。 ちょうど2週間、ここで過ごしたことでわかったことがたくさんあります。 わたしはこの最上階でみんなに迷惑をかけながら生きていたんです。
しかしそれもお別れです
その夜わたしは手紙を書きました。 思いをまとめるまで2時間半もかかってしまいました。 この断罪〜もそうだけど、文字にしてわかることがたくさんあるんです。 わたしにはどうしても一人でできないことがあります。 しかしできるようになることが少しずつ増えていきました。
一人でドライヤーが使えた 一人でシップが貼れた 一人で入浴できた
当たり前のことができた嬉しさなんて誰にも理解してもらえないかもしれません。 しかし詰所のみんなはこんな他愛ないことを真剣に聞いてくれました。 そのことがどれだけわたしの力になったかわかりません。 聞いてくれるだけで、笑顔を返してくれるだけで、です。
実はこの最上階に来るまで誰とも挨拶すらかわせませんでした。 自分のことで精一杯でした。 初めて自分のからだと向き合ったのは転院したこの病院です。 リハビリを始めた数日間、夜もねむれない失意のどん底でした。 わたしは一刻も早く退院したいと思っていましたがそれが無理だと知りました。 些細なメールにも簡単に心が折れました。 考えれば絶望に追いつかれるので身体をがむしゃらに疲れさせました。 疲れてしまえばねむれるからです。 考えなくてすむからです。 そんな日々でした。 最上階に来てからも同じことを続けていましたが、いつからか気持ちが全く変わっていることに気がついたんです。 それはきっとわたしに影響している何かがあったからです。
絶対にわたしひとりの力じゃない
どんな人にもなにかしらの影響力があります。 それがたとえ好き嫌いであろうとも影響を及ぼすには十分です。 ただそこになにかが感じられるだけでいいんです。 もしそれが心地よい波動だったらどんなに素晴らしいことでしょうか。 事実、わたしは人と顔を合わせるだけで心が穏やかになっていたんです。 もちろん身体の回復もあるでしょう。 でも絶対にそれだけじゃない。
わたしは感謝の手紙を書きました 正直な言葉で最上階のみんなに書きました
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