| 2002年03月27日(水) |
発表会への道 その3〜選曲(おちび達2) |
昨日の日記からは遡ることになるが、木曜日(いつもは土曜日。先週のみ振替)のおちびは、9月から始めた小1のはーちゃんと、1月から始めた小2のはやくん。
はーちゃんは少し指先のそりが気になるものの、安定した音を出し、リズム感がよい。もういきなりなかなか難しい曲でも、やる気に繋がるだろう、と、バルトークの「遊び」を弾いて見せたところ、「うん!いいよ!楽しい!!」と即決。さっそく最初のテーマを譜読みしたら、レッスン後、ドレミで歌いながら帰っていった。
はやくんは始めたばかりで、本人もまさか見開き2ページの楽譜を自分が弾くとは思ってなかったと、私が候補の曲を広げただけで、椅子から降りて椅子の後ろに隠れてしまった。 が、1曲目、キャサリン・ロリンの「よちよちペンギン」弾いたら、椅子に戻ってきて、「ソファ(シャープ)ソラソ!」と、みようみまねで弾き出した・・・かわいいなぁ。そして、やはりめでたく決定。
もう少し前に決まっていたが書いてなかったはーちゃんのお姉さんの小5のさやちゃん、モーツァルトのロンド。かなり苦戦中。
あとはこの日お休みした中1のまさくん。メンデルスゾーンの狩を1ヶ月かからず暗譜で弾きこなしていたので、先先週もう一曲、やはり無言歌の中のプレストアジタートを弾くことに。彼は始めてまだ3年だが、練習曲、ソナチネ、ショパンのワルツも弾きつつ、あっという間に狩を弾いてしまった・・・。
さらに一旦はグリーグの「妖精」に決まり、練習をはじめていたわっちゃん。少し前からはじめていた久石譲の「イノセンス」と両方練習するはずだったのに、両方進まず、仕方ないので、グリーグはあきらめた。しかしだからといって、イノセンスの進み具合がよくなるというわけではないタイプで、ちょっと困っている。
以上が普段は土曜日の皆さんの、選曲こぼれ話。
そして、火、水曜日のおちび達。 年中で、始めて半年ほどのりっちゃんは、分散和音の伴奏形もこなすようになり、グルリットの「かわいいきょく」に決まる。でも、せっせと練習するりっちゃん、2、3週で弾けてしまいそうなので、「すぐ弾ければ、グルリットの曲、もう1つやろうかな?」と言ったら「ええええ〜!」と叫びつつ、目はやる気に燃えていた!
小3のみーちゃんは2回目の発表会。暗い曲(?)がいい、と本人の希望があり、用意していったチャイコフスキーの「フランスの古い歌」を弾いたら、「いい、暗い感じがいい」と気に入った様子。しかし、これだけでは暗すぎるから、と、「新しいお人形」も頑張ることになる。 なぜとっても元気でボーイッシュなみーちゃんは暗い曲が好みなのか・・・。短調でいい曲は多いので、うれしい感覚では、あるのだが。 そして、小2のあみちゃん。2年ほど習っているが、病気で入院したり、外に出られなかったりと、今まで途切れ途切れにレッスンをしてきた。このところからだの調子がいいので、初めて発表会に出られることとなった。 歌うことが好きで、「この曲はね、心の中で、こういう歌を歌ったの」といって歌ってみせてくれたり、「お友達が転校した時の気持ちで弾いたの」と、こちらが何も言わないのに、イメージを膨らませて表現してくれる。 そんなあみちゃんはカバレフスキーの「はりねずみ・小さな歌」をいたく気に入り、その前に紹介した日本の作曲家の曲を、「こっちはね、音は楽しいけど、自分のイメージが湧かないの」と却下。なにやらすごい子だ。
ということで、これで全員決定。何日にも分けて書いてきたので、近いうちにちゃんと並べて書きたいと思う。そのままプログラムに使えるしね!
| 2002年03月26日(火) |
発表会への道 その3〜選曲(おちび達1) |
まだ決定ではないのだが、どうやら当初の5月にはできなそう・・・ということで、おちび達の選曲が遅れている。しかし生徒達には延期をふせ、もう少し焦らせたいという作戦を通す以上、さすがにいまだ曲を決めてない生徒がいることはまずいので、一応選曲だけはすませた。
金曜日に補講に呼んだ、始めてもうすぐ1年のあきちゃん。脱力、姿勢、視点など、かなりてこずっている小2の生徒だ。 歩く姿勢から悪く、眼鏡もかけないと楽譜が見えないのに、クラスの子に「眼鏡をかけるとえらそう」といわれたことで、いくらかわいいとほめてもかけたがらない。 いきおい、楽譜に顔を近づけ読譜、背中を丸めて指を見て弾く、と、同時に進行してほしいことが分割されてしまう。 かなりおさなく、私の話を遮って、「あきなぁ、今日学校で・・・」と話し出したり、“ぶんぶんぶん”を弾き出したり。また未だにシをチ、と発音する。お友達からも、おとなしいと思われ、あまりお付き合いがないようだ。 頑固で、結果的にいいことを想像できず、その時のいやなことをとりあえず避けてしまうタイプで、たいていの生徒が2、3週でクリアする関門、片方の同音の連打につられないでもう片方は音をつなげること、ドとソを押さえて安定した状態を作り、ミを加えること、スタッカートの手首の脱力、など、すべての関門で時間を必要とし、クリアしても、曲が変わると戻ってしまうのだ。 私が今までお付き合いしてきた生徒達は、なんて手がかからなかったんだろう、とあきちゃんのレッスンのたび思い、あきちゃん専用の練習曲を書きながらため息が出てしまう。
しかし引き受けた以上、何とかピアノが友達になってほしいし、そういった子だからこそ、コツコツ頑張ればある程度は弾けるようになるピアノで、自信や楽しみを持ってほしいとも思う。
あきちゃんは弟・妹が下にいるので、せめて1ヶ月に1、2回は弟妹を預け、おうちの方に見学に来るようお願いしているのだが、先日お母さんに来てもらい、いろいろお話したり説明をして、眼鏡をかけて練習すること、姿勢をいつも気をつけること、の協力を頼んだ。
そして選曲、3曲ほど弾いて見せたところ、キャサリン・ロリンの「動物園のミレニアム」を気に入り、決定。これは左右の連打が交互に出ること、和音も5度の2音で、三和音は弾かなくてすむこと、ドッペルもでてくるので、ドラマティックに盛り上がる感じがすることなど、あきちゃん向きな曲だ。日頃直すことが多く、辛いこともあるあきちゃん、発表会の曲はあまり気にせず、ばんばん弾けるほうがよいと思う。
それからこの日のもう一人の生徒、まほちゃん。小1の女の子だ。 2回目の発表会で、度胸もあるので、ちょっと難しいが、バッハのメヌエットト長調、「ソシレソラファ ソーソーソー」の方、に決まった。 3曲弾いても首をかしげ、消去法で決めたあきちゃんとは違い、私が弾いて見せたら目がキラキラ!「えー、弾けるかなー?難しそう・・・でも頑張れば弾けるよね?」と自問自答しながら、お母さんをちらちら。「先生は弾けない曲はどう?って言わないよ」とお母さんに経中を押され、決定。 バーナムのアルペジオで、手首の揺れと5の方に手の重心が落っこちることをちょうど直しているところなので、その成果をこの曲で出せるといいな・・・。
| 2002年03月24日(日) |
子沢山は子沢山を呼ぶ!? |
小1と小2の女の子の補講をした。めったなことではしないのだが、2人ともインフルエンザや風邪、肺炎、溶連菌(字、自信ありません)感染症などで、2、3月お休みが多く、あまりに進歩がないので、お母さんと一緒に、普段は30分レッスンのところを50分に延長してのレッスンだった。
2人とも下に弟や妹が2人いる、3人兄弟姉妹のお姉さんだ。自分が持ってきた風邪、兄弟の持ってきた病気で、そのたびに皆が具合が悪くなる。まるで我が家と同じだ。
ふと、そんなような話が私の生徒には多いなあ、と気づく。 Aちゃんの家は個室が寝室とピアノの部屋しかなく、ほかの姉妹に移さないようピアノの部屋にインフルエンザのおねえちゃんを寝かせてるから、今週は練習できなかったとか、Mくんの家は子ども達から親にうつり、子どもたちはおじいちゃんちで面倒を見てもらっていたから練習できなかったとか、本人が具合が悪くて休んだりする前後にも、違う理由で練習に差し支えたり、休んだりが多かった。
私の教えている子どもたちの家族の、兄弟姉妹の数を数えてみる。 兄弟姉妹で習っている子が多いので、家庭数は17。そのうち、兄弟姉妹が3人の家庭はなんと12!! 17分の12が3人子どものいる家庭なんて、全国平均と比べたらすごい数字ではないか!?
私が3人子どもがいるからということは関係ないし、面接をして子ども数を聞いているわけでもない。しかし、なぜ?
どうりで、兄弟関係での困ったことが多いはずだ。
ピアノを習うのに、兄弟姉妹の多いことがプラスになることも、少しはある。兄弟連弾なんてとってもいいものだ。 でも、家庭での練習はなかなか大変だ。遊びたい時間も、見たいテレビも一緒なのに、練習時間はずらして確保しないといけない。 それがなかなか難しく、どっちが先に練習するか、3人の場合は誰が朝練にまわるかなど、しょっちゅうバトルが繰り広げられるとか・・・。
今日補講した2人は、下に園児、そして乳幼児がいる。おねえちゃんは1番手がかからないため、おうちでの練習をお母さんに見てあげて欲しいと言っても、なかなか難しいようだ。 「昨日の練習の最後、お母さんに聴いてもらった?」と尋ねても、そうお母さんにお願いしてあるのにもかかわらず、「お母さん、○○ちゃんの面倒見てて、聴いてもらえなかったー」と言われることもよくある。 それで、今日はお母さんにもしっかり聴いてもらって、最近進歩したこと、今後の目標などをしっかり説明し、低学年までは自分の喜びは2割、おうちの方に聴いてもらう喜びが8割なんだから、おうちで子どもの弾くのを聴いてほしい、聴いて誉めて欲しいと念を押した。
お母さん方も、4、3、0歳児を抱える私の説得力に、神妙に反省し、子どものピアノにもっと関わる、と約束してくれる。しかもこうようをおんぶしての補講だったため、迫力負けしてくれたようだ。 1人のお母さんは「誰かが風邪ひいているとこの子のことは放りっぱなしで・・・でも、かわいそうなことしました」と涙ぐんでいた。 もう一人のお母さんも、練習記録の保護者記入欄が2週間未記入だったため、「反省します。来週、見ててください」と決意を示してくれた。
実はこの2、3月この2人以外も進歩のない生徒が多く、発表会の曲がまともに進んでいない。6月に延期することを考えなければ・・・。
チャペルでの結婚式のオルガン弾きをしているが、私達式場側は大勢の中の一組なので、新郎新婦の顔はそうそう記憶には残らない。新郎新婦も私達の顔を記憶することも、式の時にはないだろう。
しかし、実は私達はビデオに少し写ってしまうため、式後何度も見たりしていれば、私達の顔を憶えることもあるかもしれない。 狭い地区なので、ばったりスーパーで再会し、あちらは「オルガンの人だ」と私に気付くかもしれないが、私といえば適当な格好で頭もぼさぼさ、ということもありうる。 実際一度声をかけてくれたカップルがいて、たまたま式直後ということも、そして式の始まりを待つ時間に話が盛り上がったということもあり、記憶が新しかったせいであろう。でも、びっくりした。
また、新郎新婦が私の知り合い、ということもある。友人、とまではいかなくても、中学や高校の同年、上下で、顔だけ知っている場合は、とりあえず全く知らない振りをして通すようにしている。かつて交友があってお互いすぐわかる場合は、もちろん名乗って祝福するが。 そしてそんなときのお式はとっても緊張する。「一オルガニスト」でなく「akiyo」の演奏、と思われて聴かれているかもしれないのだ。その場ではそんな余裕はないとしても、あとでビデオを見た時に意識されることがあるかもしれない。 もちろん、一オルガニストとしても、いつもいい仕事をしたい、演奏を通して、祝福の気持ちを表したいと思っているし、ビデオに残る以上、音を外したり、タイミングを外したりできない。 しかし、知り合いへの演奏での緊張感は全く異なる。これが仕事でなく、お友達に頼まれて演奏、なら気楽だが、この場合は、お金を払って式に臨んだら、オルガニストは知り合いだったということなので、いい仕事をしないと立場がない。
ところで今日のお式は、家族皆でお世話になっている病院の医師&看護婦カップルだった。また微妙な関係だ。 過去の患者の顔は憶えてなくても、自分の式でオルガンを弾き、ビデオに残っている人間が患者として今後来院したら、「どうも・・・」という可能性はある。それにお世話になっている病院の関係のお客さんも多いだろう。 緊張感を感じつつ、入場のワーグナーを弾き始める。新郎が入場。ゆっくりな歩みで、3回くらい繰り返す。続いて新婦とその父入場。ドレスが広がっているタイプのもので、ベールも長く、本人も、その横のお父様も歩きにくそう。ひたすらワーグナーを弾き続ける・・・この入場、私の経験した中で最長と言えるほどのんびりとしたものだった。おかげで、私の緊張感は和らいだ。
その後も、クリスチャンがお客様にいたせいか賛美歌もしっかりと歌ってもらえ、いい感じで式は進み、終わった。 失敗はなく、ビデオにも滞りない式の模様が記録されたことだろう。賛美歌リーダーの方が靴を忘れ、普段履きのどた靴を履いていたが、足まで写ってないだろう。(そういえばこの方、先先週のお式のときはストッキングが思いっきり伝線していて気にしていたが、それも写ってはないだろう。)
それにしても、生え際から5センチは真っ黒、その下は茶色で、パーマもかかってるんだかかかっていないんだかのような髪。一応顔は、少しは化粧しているのだが、しばらく美容院へ行っていないこの頭はごまかせない。 もしかしてあとでビデオを見る皆さんは、オルガンの音なんて気にせず、「このオルガニスト、もうちょっときれいにして来てほしいよね」なんて言っているかも。 ・・・いや、それは自意識過剰だ。多分自分達やお客さんの姿しか目に入らず、入ったとしても、お嫁さんのを引き立て役だろう。
そう考えると、上記のような心配は必要ないことで、格好うんぬん気にすることもないのだが、やはりハレの場、ビデオに残るからなんて関係なく、姿ももう少し配慮し、音楽もいいものを提供したい、いい仕事をいつもしたい、なんて思う。
| 2002年03月22日(金) |
アンティム2クール目突入!? |
以前このページに、休止、と書いたアンティムもどうやらなくなることなく、2クール目が新たに始まりそうです。
支えあう仲間、共有しあい、高めあう仲間の存在は、何にでも必要だ。アンティムは、ピアノ弾きが多いので、オケ仲間、吹奏楽仲間、合唱仲間などとは少し違ったスタンスの音楽仲間だ。 この4年間、個々に活動することが多いこのピアノ弾き仲間といろんな活動をし、考え方の相違、個性のぶつかり合い、逆に、傍で遠巻きに見ている人とのジレンマなど、事務局も気苦労が耐えなかったと思う。が、そのおかげで、学んだことも多く、それを生かした、おだやかで密で、皆が主体的にアンティムの活動を考えられる仲間と、2クール目を楽しめそう・・・。
集えば問題も起きるし、パワーも生まれる。冷静に問題を処理し、いいパワーを得て、無理のない範囲でいい活動をしていきたいな!
日曜日、斉藤先生が来飯され、レッスンをうけた。
最初、今取り組んでいるブラーヴェのソナタ、アダージオを1回通して吹いている途中、「あ、違う、違う」と思っているうちにあごががくがく、口がプルプルと震えだし・・・最悪に・・・。
そして先生としばし、どうして緊張するのか、震えるのか、という話。 とりあえずの結論としては、この部分はこう吹こう、この音はこう鳴らそうと考えすぎること(そこまでは言われなかったが、きっと、そういうことは考えなくても自然にできるほどに吹き込んであるべき、はっきり言って足りなかったと思われる)が1つの原因。それは邪念とまではいかないが、そのために、もっと大切な大前提を思うことがおろそかになる。もちろん、思いっきり邪念・・失敗、それを先生に聴かれた、後悔、そういった邪念もいっぱいあった。 息の支え。息の道の確保。テンポ感。拍子感。 これをいつも意識し保つよう努力していれば、邪念に気持ちが惑わされるような暇はないはずだ。
そして曲のレッスン。 私のもっとも悪い癖として、雅楽をやっていたことでついた、「後押しの癖」があげられる。日本音楽は音になり始めてから息を増やし、音を厚くしていく習慣がある。しかし西洋音楽は、拍頭でもっとも安定した厚い音を鳴らす。ピアノは一見減衰する特性があるため、管とはまた違った音の残り方をするが、西洋音楽のそういった捉え方から見れば同じなのだ。 頭でぽんとのるために、その前の準備はもちろんのこと、乗った後息を減らすことも大切なのに、私の場合、恐る恐る(特に高音でピアノとくると)のり、ああ、よかった、のったと思い気が緩んで無駄に息を使う。そのせいで、次に跳躍して低い音域の音が現れると、息が増えてしまっているために不安定な音になってしまうのだ。 1つの音は頭から安定→その音の後半は次の音への準備。この正しいサイクルが、頭からのれないで後半安定、調子に乗って必要以上に安定させたがる、よって準備がたりない→そのまま次の音へ。当然不安定。 こんな間違ったサイクルで吹いているため、テンポはあっているのだが、後ろへどっこいしょ、どっこいしょ、としりもちをつきながら曲が進む感じに聴こえてしまうのだ。 さらにその感じは、息のスピードがいまいち遅いせいが原因でもある。決して多く使わないが、スピードはいつも確保。そして通り道は確実に。
と、曲のレッスンも、当然息の入れ方のレッスンが中心になる。
が、おやさしい先生、基礎と曲は切り離すべきではない、曲の中で学ぶほうがいい、とおっしゃり、こんな私にも、曲のレッスンをつけてくださる。
前回注意されたことが、まだまだ、ということが多い。 前打音に息をいれ、次の音では引くことも、ちゃんとできていない。 息を取るタイミング(小さいフレーズの切れ目)に休符があっても、大きいフレーズの途中であるなら、休符として大切にとらえる。決して息取りで休符を音楽的でないものにしないように。逆に大きいフレーズの最後は、休符が書かれていなくても、しっかり息を取り、フレーズ感を際立たせる。 そしてその大きいフレーズの最後が終止形であるなら、記譜されてなくても終始に向かう音にはトリラーを自分の判断でつけるべきだ。 ・・・などなど、それこそ山のように課題が残っている。 それにしても、確かに楽譜としては実際に演奏されるようには完全にかかれていない時代のものなので、トリル一つとっても悩んでしまうのだが、先生はいろんなところに、すばらしく魅力的に、さりげなく効果的にトリルや前打音を加えて吹いてくださる。即興で。私が持ち込んだ楽譜で、先生がこれをやりましょうと準備してあったものではない曲なのに、ぱっとすばらしく演奏なさるのだ。そしてまた違う次元の話だが、前回コピーを取ってお渡ししたものを、ちゃんと持参してくださっている。「伴奏譜はないの?」と聞かれ、持参しなかった自分に反省。次回はコピーして、製本してお渡ししなければ。
たーくさん反省と課題を抱え、また決意を新たにしたのであった。次回、少しでも進歩した状態で先生とお会いしたなぁ。
| 2002年03月16日(土) |
楽しいレッスンにするために・・・ |
昨日、アンティム主催で、竹内由紀子先生の「ハーモニー指導」の講座があった。 てきぱきした方で、あっという間に2時間がすぎてしまった。てきぱきってすごい!大学でのーんびり習った和声の講義、数時間分を、ぎゅぎゅっと濃縮して復習できてしまった。きっと日頃の時間の使い方もお上手な方なんだろうな。 この講座を受講して、しなければ!と強く思ったこと。
まずは私が憧れつつも、なかなかできずにいる、「確信をもって様々な和音を操ること」。即興でも伴奏付けでも、冒険できずにいるのは、その和音を使い慣れていないから、なのだが、時間をかけて「和音で遊ぶ」こと。毎日、遊んでピアノを弾く時間、捻出したい!! こういう事できる人って、コツ、とか才能、とかより何より、時間をかけて、頭使って、何度もやって、憶えて、という地道な作業を、「遊び」ととらえて楽しくできる人なんだと思う。 以前療法で、すごい和音や音階をどんどん自分のものにして即興に取り入れていく先輩を、さすが!と思い、自分には無理、とも思っていたが、それだけのことをピアノに向かってやっていたからできること。しかも楽しんで。 曲に向かう時間を生むのが精一杯、と思い込んでいたけれど、最後の5分、毎日積み重ねていけば・・・。
次に、新しい曲の魅力を、即座に確信をもって生徒との出会いに提示できるようになること。どんな練習曲でも。 好みをはっきり言う生徒には、選曲も工夫したり、一見好みでないだろうなと思う曲は、好みと思える材料をその曲の中に探しておいたりと準備することが多いのに対し、従順に、出てくる順番にしたがって1曲1曲弾く生徒に対しては、気遣いが足りなかったと反省。どんな素直な生徒だって、譜読みの段階での意欲が違うと思う。 そしてそのために、初歩的な曲も自分でしょっちゅう弾き、新たな魅力との出会いを求めること。慣れてしまうと、この曲は、はじめにこれとこれを言っておく、あれを憶えているか、この曲のこの記号をテストする、ここで皆つかえる、ここが弾きにくい、ここの和音の説明をする、など、もちろん個人差には対応していながらも、基本的には習慣のように、機械的に、ベルトコンベアに乗せたレッスンになりやすいのだ。 それよりなにより、魅力いっぱい!を前面にもっとアピールしたレッスンをしたい。
そして、生徒と自分は、音楽を楽しむ仲間であり、教える、のではなく、一緒に楽しむ時間を共有するレッスンをする、ということ。自分は音楽的な経験が多いため、提示できることは自分が持っているけれど、音楽を楽しむ、という点では、まったく同じ、楽しませ、楽しませてもらうレッスンをすること。 いつも生徒に楽しませてもらっているなー、とは思う。しかし、すべての生徒とそういうやり取りができているのだろうか。 思うに、ストレスを感じるレッスンは、相手の生徒と楽しさをやり取りができていない。こちらから楽しさ、魅力をアピールしても、それをそうと感じてもらえないのだ。もしくは、そのときは感じあえても、家での練習にその気持ちを持続させてもらえず、次回のレッスンにテンションが下がってしまっているのだ。
また別な日に書こうと思うが、先日それができなくなってしまった生徒との別れがあった。まだ傷が深くてまとめられずにいるのだが、二度とそんな経験をしないためにも、自分の問題点を熟考する手がかりを教えてもらったように思う。
以前も登場した、兄弟の弟、小3のMくん。 左手の分散和音の「ドラミラ」という伴奏を、「ドラファラ」と弾いたので、とっさに「ドラミ!」と私がいったのに大受けして、その後はレッスンになりませんでした。 椅子から床に落っこちて、笑い転げていました。・・・ドラミラまで言えばよかった・・・。レッスンの最後の曲でよかった・・・。
そして今日の作曲は「ドラミ」を使った3拍子の曲にしたいと本人がリクエスト。それでも「題はそのまんまドラミがいい。副題は(よく私が副題をつけるので、流暢にこの言葉が出てきました)『笑い!』にする!」と言うので、せめて明るく、ドシャープで、A durにして、ラで終わろう、と決め、コード進行もない、なんともおぽんちな、しかし何気にA durのまろやかな響きのあるワルツができました。 そしてドラえもんは結構上手にかける私(自慢)、ドラミはいまいち下手なので、来週までに挿絵の練習しておく約束・・・。
そういえば先週も、ねじで動く小さいトーマスをピアノの下に置いてあったのを見つけ、「こんなところにトーマスがぁ!!」と笑い転げていたなあ。で、気にならないようにと、私が後ろにおいて、ピアノに戻ったら、しばらく弾いた後、「トーマスが後ろから見てるー!ピアノにうつってる!」と椅子から落っこちて、なかなか戻れなかったなあ。毎週、こんなレッスンで、いいんかい!?
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