まろやかな日々
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2004年10月31日(日) 前祝

彼の誕生日は11/21ですが
前祝いとして、日光のステーキ屋さんに行きました。

最高級和牛のコース料理です。


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でも、結局頼んだのは
¥15,000と¥10,000のコースでした。

予約の時に、「誕生日祝いで・・・」と言っていたので
とてもいいオモテナシをしてもらいました。
ゆるやかに、おだやかに
気持ちいい時間を過ごせました。

残念なのは、2人で一緒にお酒を飲めないこと。
クルマだからね。

泊まりもやっているみたいなので
今度は泊まりできっとね。

そして。
誕生日当日には、念願の鶏から。
約束です。


あの頃私は。。。

2004年10月28日(木) やり切れない

昼休みに、母からメールがありました。
『朝から心臓爆発。』

驚いて電話すると
早朝、祖母から電話があったコトを話してくれました。

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祖母が言うおとうさんとは
私の父の兄のコトです。
祖母は、父の兄夫婦の顔色を伺いながら生活しています。
その人たちも、それを知っているから
自らは手を汚さず、祖母を使って私たち一家を攻撃するのです。
祖母は、あの家しかないと思っているから。
「死ぬまでいびり続けてやる」って言われても
当てにされているのはお金だけって解り切っていても
あの家しかないと思っているから。
だから、私たちがどんなに嫌な思いをするかなんて少しも考えずに
伯父夫婦が私たちを罵り、金品を求める言葉をそのまま伝え続けています。

もともとは、私の友だちの子どもが
伯父の孫と幼稚園で同じクラスになったことがきっかけでした。
友だちと従姉が母親として初めて会いました。
半月くらい前のコトです。
その時に、友だちは私が結婚したことなどを話したらしいのです。
話を聞いて、私は冷静じゃいられなくなりました。
友だちの子どもが生まれた時、一番心配したことだったからです。
私の家のコトは以前から友だちには話していたハズだったけれど
聞き流していたのかもしれません。
私はすぐに、自分のコトを話すのはやめてほしいと訴えました。
でも、その言い方がキツかったのか
まもなく出産予定の彼女の体調が優れないのか
その後、全く返事がありません。

恐れていたことが起きた。
愕然となりました。
ここでも一番最初の頃に書いたけれど
この件について、私が決めたことは間違っていないと
今でも、断言出来ます。
でも、その結果
家族を巻き込んでしまったコトが本当に辛い。

母は、今朝の電話がショックで
しばらく動悸が治まらなかったと言います。
祖母の話はほとんど聞かずに、忙しいからと電話を切ってしまったと。
その時ちょうど夜勤帰りだった父も
激怒したそうです。

でも、祖母があの家での居場所を確保するためにしていることだから
何も言えない。

やり切れない。

もう2年も経つのに。

地元を離れた本当の理由。
時々、逃げたみたいで申し訳なくなる時もある。。。
私は、このやり切れない気持ちから
解放されたかった。



あの頃私は。。。
2004年10月27日(水) 目が点


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待ち望んでいたけれど
次こそは自分だと思っていたけれど
まさか今回とは思っていませんでした。
多少11月にあるらしいとは聞いていたけれど。

事実が飲み込めなくて、しばらくポカンとしてしまいました。

でも、衝撃を受けているのは私だけではなく。
私と組んでいた人たちも、呆然としていました。
「引き取り手がない」とか
「退職までいれば」とか
ずっと言われ続けて泣いたりもしたけれど
ちょっとは、私も必要とされていたんだなと思いました。

明日はシゴトを休むので
準備は金曜日の1日だけになります。
今夜は、彼がお祝いしてくれました。
慌ただしく、新しいスタートを切ることになりそうです。

あの頃私は。。。
2003年10月27日(月) 予想外の人
2004年10月26日(火) 結婚2周年

今日は特別な日なので、シゴトを一緒に休んで出かけました。

2周年。

5周年とか10周年とかに比べると
2周年って、先々印象が薄くなるのかもしれないね。

でも、今日は特別な日。
せめて、ここに残しておこう。

今日は、雨。
私たちが結婚した日のように。

昼間は、彼にタップシューズを買ってもらい
夜は、emmeセンセイのコンサートに吉祥寺へ。
コンサートの前に、吉祥寺の
予約しておいたフランス料理屋さんでディナー。
式を挙げたレストランでの食事は、クリスマスまでお預け。

emmeセンセイのコンサートは、CDの発売記念のもので
並々ならぬ想いが感じられました。
なんだか、その想いの中に
私たちヘの気持ちも入っている気がして、ココロにしみました。

いろんなコトがあった。
でも、彼を想う気持ちは変わらない。
これからもずっと。

来年も、幸せな2人で
この日を迎えようね。

出来たら、3人で。



あの頃私は。。。
2003年10月26日(日) 1年
2002年10月26日(土) きぬ@門出
2004年10月23日(土) うれしかったり、心配だったり


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ライバルなのに。
同じスポンサーだからなんでしょうね。
でも・・・ちょっとくらい、違うようにしてもいいと思うんだけど。

今日は、vivarsでお出かけ。
御招待された、マンドリンの演奏会に行きました。
途中で、大きな地震が3回もあって。。。
こちらは震度3〜5くらいだったけれど
震源地の新潟は震度6強が2時間の間に4回もあったらしいです。
本当に心配です。怖いです。
今週は台風もあったし。
ココロからお見舞い申し上げます。
心配してメールしてくれたお友だち、本当にありがとう。

演奏会の帰りに、通りかかったイタリア料理のお店に寄ってみました。
コースメニューで頼んだのに、コックさんの勘違いで
アラカルトメニューのボリュームでお料理が出てきてビックリ!
でも、美味しく完食しました。
その間に、vivars10周年企画で
流氷ツアーに行こう!って話が浮上しました。
念願です。
去年は断念したけど。
無理矢理でも行きます。絶対。
来月の会は、その打ち合わせ。

そして。
帰り際に、結婚2周年を祝って
プレゼントをもらっちゃいました♪
憶えていてくれるだけで、本当にうれしいです。
ありがとう。
これからも、みんなで楽しく遊ぼうね。


あの頃私は。。。
2002年10月23日(水) きぬ@心配事
2004年10月22日(金) 依頼








あの頃私は。。。
2002年10月22日(火) きぬ@1枚だけ。
2004年10月21日(木) 千袖

残業している彼の帰りを待ちながら
ずっと上陸した台風23号関連のニュースを見ていたけれど
0時を回った途端に、手を合わせました。

今日は、ただ1日
その存在を確認出来た日。

明日は、私の中から
いなくなってしまった日。

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いつの間にか、5年経っていました。
あんなに、絶望した日から。

生きていく資格なんてないとさえ思ったのに
彼に守られて、生きている。


あの頃私は。。。
2003年10月21日(火) 献杯
2002年10月21日(月) きぬ@同居人
2004年10月20日(水) さりげないこと

ある時、彼がふと言った。

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そういえば。。。

付きあいだして、1年半で結婚したんだった。

そういうことに、さりげなく気が付く
彼はとても素敵。

記念日の日
2人で未来を誓ったレストランで
毎年ディナーしようねって話していたけれど
なんだか難しそうです。
先方から、連絡が来ない。
思いあまって電話してみたら
今は休業しているとの話で。。。
担当さんがいなかったので
近々説明してもらうように頼んだけれど
どうなるんだろう。



あの頃私は。。。
2002年10月20日(日) きぬ@彼のつぶやき
2004年10月07日(木) 最低


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彼は、朝食も食べずに飛び出していきました。

自分が休みだからって、最低。

布団を暖かく替えたことも
連日、帰りが遅くて疲れていたことも
言い訳にしかなりません。

本当に、ごめんなさい。

妻失格です。



あの頃私は。。。
2002年10月07日(月) きぬ@搬入
2004年10月06日(水) バカだな。・・・くっ☆

研修の打ち合せをサボって出かけた

小松亮太プロデュース
2004 タンゴ・スピリット3

本当に、打ちのめされました。

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御年、76歳。

でも、彼が演奏している時は確実に
彼が主役でした。

私の目は、彼に釘付けになりました。
感動して、涙が出てしまった。
オーラが出ていました。

なのに。

我が彼は、最初の4曲を聴くことが出来なかったのです。
シゴト忙しいからねぇ。
ホントによかったのに。

バカだな。・・・くっ☆



あの頃私は。。。
2002年10月06日(日) きぬ@レンタサイクル
2004年10月03日(日) 相性

今日の「あるある」によると

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それは則ち、彼と私。

何だか、勝ち誇ったように
2人で喜びました。

みんなに認めてもらったみたいで、うれしい。

そんな、小さな幸せを積み重ねる毎日。

もうすぐ、丸2年になる。


あの頃私は。。。
2002年10月03日(木) きぬ@席次表
2004年10月01日(金) 害のない人

今日、研修で組んでいる仲間で
もめ事がありました。

どうにか落着したけれど、そのコトを彼に報告している時に
私が時々言う、「害のない人」の話になりました。

仲がよくても、大切な友だちでも
時には不用意な言葉で態度で無意識のうちに傷ついたり、傷つけたりする。
そういう危うさを全く感じさせない人のコトを
そのように定義するならば


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1人は、彼。
もう1人は、地元の友だちです。

今日のコトがあって
私はますます彼を大切だと思ったし
地元の友だちのコトを、とても貴重な存在なのだと再認識しました。

でも、私はたぶん
周りの人たちにとっての「害のない人」には
きっと、なりきれないでしょう。
なんとなく、そう思います。

ごめんなさい。


あの頃私は。。。
2002年10月01日(火) きぬ@異動

華泉 |MAIL
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