ぴんよろ日記
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2014年11月19日(水) 3歳

 ばあちゃんから電話。

 「お誕生日おめでとう。私には、ずーっと3歳のまんまけどねー」

 もはや44歳。娘だってすでに4歳。でも、私が「3歳のまんま」というのは、理屈抜きによくわかる。私も、ばあちゃんと話す時はいつも、3〜4歳くらいの自分が現れている。そのころがいちばん、ばあちゃんと一緒に過ごす時間が多かったからかもしれないし、あるいは物心ついてばあちゃんを認識できた最初のころだったからかもしれない。一緒に新大工に買い物に行って、帰りに甘酒をねだったり、おんぶしてもらったり。いま思えば、そのころばあちゃんはまだ50前。でも、ずっと、ばあちゃんはばあちゃん。(…いや、そういえば「とよこおばちゃん」と呼ばされていたような気もする…。50前だったから無理もないか…。)

 人の魂同士は、実際の年齢とは違うところで接しているんだろうな。


2014年11月17日(月) 見つけにくいが

 こないだのナガサキリンネで、二十六聖人記念館ができるまでのビデオを見た。建設会社の記録映像なのだけど、番組みたいにちゃんと作ってあって、ミサキンをなだめながら、数十分ぜんぶ見た。
 二十六聖人記念館と隣の教会、二十六聖人のレリーフは、生まれたときからあそこにあるし、そんなに楽しいところというわけではないし、なんとなく「濡れたコンクリートのかたまり」みたいな印象を持って暮らしてきた。でも、ビデオの中の記念館と教会、レリーフは、すべての古い建物がそうであるように、もとはなんにもなく、そこに基礎ができ、建築中の時間があって、完成していた。二十六聖人がたどった道のりを、道すがらの窯元の器で表現したモザイクも、熱い夏の陽射しの中、職人さんたちがひとつひとつ組み合わせていたし、聖人たちの像も「分割」で作られていて、「ひとりひとり」が今ある場所につり上げられ、はめ込まれていた。たしかにあの大きさのものを「一枚」で作るわけはないのだろうけど、そんなこと、まったく考えたこともなかったのだ。建物の意匠も、隅々まで建築家の思いと意味が込められていて、そう思って見れば、五島や外海にあるような「貧しい信徒がレンガをひとつひとつ積み上げた」天主堂にも劣らないほどの「密度」で建てられていた。
 そして「二十六聖人」についても、おなじようなことが言える。
 長崎にあるものは、私にとってはどうしても「はじめからあるもの」なので、なかなか見つけにくい。でも、だからこそ、それを見つけたときの驚きは、初めて見てびっくりした人よりも大きいか、違った形をしているはずだ。これまでも結局はその「驚き」に導かれていたのだろうけど、ますますいろいろ見つけていきたいと思う。


2014年11月12日(水) 風邪さまさま

 久々の風邪。お約束のノド痛。
 ここ1年、思い起こ…したくないけど、いまとなってはいつも目の前にある隣家の問題などがあり、心身がまったくゆるめられず、満足な風邪もひけなかった。それがもう、さすがに1年経って、あきらめたわけでもないが、「いつかこの家が1ミリも見えないテラスを作るんだ!」という目標が設定できたり、そのほかの問題や課題についてもちょっとひと息ついたところで、がっつりマッサージにかかったら、あれよあれよと絵に描いたように風邪。「風邪の効用」ファンとしては、いつだってウエルカムなので、嬉々として布団かぶって寝た。
 汗かいて眠って起きてみたら、ノドはだいぶ良くなっていて(昨日は火であぶられているみたいだった)、気持ちも軽く、子どもがかわいい。なにかが抜けていった感じ。やっぱりたまには引きたいものだ。風邪さまさま。
 


2014年11月08日(土) どんなブームだ。

 最近、ひき肉ばかり練ってる気がする。餃子や鍋の団子、つみれバーグはまだしも、ついにソーセージを作りたくなってしまって、お肉屋さんに腸の塩漬けを頼んでしまった。「ラップでも代用可」というサルシッチャ(イタリアかどっかの生ソーセージ)のレシピを見て「中身」を作って食べたのだが、思ったよりおいしくて、つまりそれは「これにパリッとした皮があったら…」という気持ちが高まるだけのことだった。
 おいしいソーセージやベーコンは、それなりの値段がする。だからといって安いのを買うと、確実においしくない。おいしいソーセージやベーコンのおいしさは、やはりなにものにも換えがたい。そして練り練り…。

 冷蔵庫にサルシッチャの「中身」を寝かせているというのに、餃子欲がむくむく湧いてきて、またひき肉を買ってしまった。空前のひき肉ブーム。

 いつものお肉屋さんで腸の塩漬けはいつでも頼めることがわかったので、当面の目標は、するするヒョイヒョイくるくるっと腸詰めができるようになること。


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