ぴんよろ日記
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2013年10月23日(水) 明日は本番。

 昨日、(自分としては)大々的に庭を整理したら、妙に心が落ち着いた。いつもだったら腹立つことも、にっこりスルー。こりゃ、イライラしたら草むしりだな。ここ数ヶ月、日曜以外は朝っぱらから工事の人がいたので庭に出られなかったのは、思っていたよりも大きなストレスだったかもしれない。庭はいいなぁ。庭は。家を建てる時にお知恵拝借しまくったバラガンさんも「庭は、日々の生活に欠かせないパンのようなものです。」とおっしゃっている。日本の住宅事情では、庭って贅沢っぽく扱われているけれど、どうせ使いもしない部屋やゴミためになるばかりの収納スペースを躍起になって確保するのをやめれば、小さな庭くらいすぐできるはず。…狭い土地の3分の1を庭にするのを良しとするかは、まぁ、その人次第だが。

 明日は図書ボランティアのパネルシアター本番だ。1冊の絵本を、そっくりそのまま大きく再現して、子どもたちの前で上演するのだが、思っていたよりもはるかに…なんというか、贅沢なのだ。人の手で絵を描いて、セットを作って動かして、ちょっとした演出も考えたりして、少しずつ知恵を出し合って、練習して、作り上げていく。お金を取るわけでもないし、もちろん、もらえるわけではない。でも、だからこその、贅沢さ。子どもたちも、自分のお母さんひとりだったら、そんなもの絶対に作りっこないものを、たくさんのお母さんが集まることで、自分のお母さん込みで(ここ重要)、見たこともないようなものを見られる。
 そしてつい、読み手を担当してしまっているが、のどの調子が今ひとつ。でも、それじゃみなさんのがんばりが台無しになっちゃうので、明日は万全の体勢で望みたい。




2013年10月22日(火) それは150%

 土日は、山口へ。行ってみたかった山口情報芸術センターに寄ったら、なんと翌日に坂本龍一氏のイベントが…。「くーっ。1日違い!くやしいから会場の神社だけでも見に行ってやる〜!」そしたらちょうどプレス発表の真っ最中で、目の前にご本人様が現れた!!!歩きながらインタビューされていたのだが、ミサキンを見て、にっこり!あまりのことにオロオロ…。ヒコ「どうしたと?」「か、かあさんが小学生のころから好きだった人が!」「え!じゃぁ言ってきてやるよ。『好きでした〜』って」「やめて〜〜〜!」さすがにそれは阻止したが、いきなりの登場をやりすごし、遠目に拝んでいたら、離れていたところにいて坂本さんに気付いたダンナから、知らせの電話が!や〜め〜て〜!着メロ、東風〜!幸いにして誰にも気がつかれなかった(はず)だが、関係者だらけのあの状況で、YMOの名曲が流れるのは、かなりまずい。子連れをいいことに偶然を装った熱いファンだと思われる率150%!

 …ということを筆頭に、かなりいろいろ面白い旅だった。

 そして夜は萩のちょっと外れに泊まったのだが、萩の町中には寄らなかった。行ったことあるというのもあるけれど、城下町というものが、どうも肌に合わない。でも、山口の土地の感じは大好き。角島の浜は、あいかわらずの聖地だった。


2013年10月15日(火) 扉が

 ヒコ8歳。毎年思うが、人間が8歳になるには、8年かかる。
 そんな朝、3歳半のミサキンは、初めてのパンツ登園。最近だいぶパンツの時間が延びた。脱おむつ中。
 そして隣の土地の工事が終了した模様。これから家の工事が待っているが、そんなものは、ノイローゼ寸前まで悩まされた、夏の巨大重機の音と振動に比べたらかわいいもの…のはず。

 先週の木曜日には、初めての「いまを楽しむ『長崎歳時記』」講座だった。これまでも人前で話したことがないわけではないけれど、これほど密度の高いものではなかった。講座が近づいてテキストなど作り込むにつれ、いったいこれは、自分以外の人にも面白いと思えるものなんだろうかと不安まみれになってきて、3日くらい前から講座の夢ばっかり見た。そして実際に話している間も、とにかく自分にはこんなふうにおもしろい…と、息継ぎもしない感じでぶっ飛ばして酸欠寸前で話し続けるしかなかったが、結果としては、なんとか楽しんでもらえたようで、ホッとした。数少ない受講生のひとりは、これまで数々の公民館講座などを受けまくってきた父だったが「娘だからというのではなく、いちばん面白かった」と言ってくれたので、これはもう、ますます自分がやりたいようにやっていこう、と、なんかひとつ、あれやこれやもあわせ、たしかに扉が開いた秋の空である。


2013年10月02日(水) 教習所はこちらでございます

 長崎の、ぎゅーっといろんなものが濃縮されて存在している感じ…ずっとなにかに似てると思っていた。見渡せるくらいの土地の中に、ほかのところだったらもっと拡散して存在するはずのものが、見本市のように詰め込まれている、箱庭みたいなこの感じ。
 教習所だ!
 車の教習所。敷地の中に、まっすぐもカーブも信号も坂道も踏み切りも、それぞれは小さいながらも、あらゆる要素がぜんぶある。それが、長崎のたたずまいとよく似ている。さまざまな時代の、毛色の違う歴史が畳み込まれているこの街。寺だったところに教会が建ち、それがまた寺になり、あるいは学校になり、役所になり…上書きに上書き、重ね塗りを繰り返したコッテリ感。とりわけ宗教的なものに関しては、こればかりはほかの街に追随を許さない。高くはないけれど目を引く山々に囲まれ、和洋中の聖地が、時に重なり合いながら、ふつふつと湧いている。神、仏、デウス、修験者、僧侶、宣教師、媽祖、土神、稲荷…ありとあらゆるものが、うろうろしている。あるいは「アースダイバー」的なもの。それを意識して歩くと、別次元へのアンテナがじわじわ伸びる。「霊感なし」と断定された私にも、市役所通りがスペシャルな道だということが、通るたびに感じられる。この街自体がホットスポットだということが。

 長崎聖地教習所。インストラクターにでもなろうかな。


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