ぴんよろ日記
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2013年09月22日(日) すばらしいすっころび

 ミサキンの運動会。たしかおなじ年のころのヒコは、私らと離れて保育園のテントに行くのをいやがって泣きわめいたり、走って戻ってこようとしたりしていたけれど、ミサキンはそんなことはない。ちょっとだけぶすくれて、しばらくして遠くから見てみると、親なんてはじめからいなかったかのように、友だちと楽しそうに笑っている。かけっこは2番。ダンスはニコニコモジモジしたまま、あまり踊らず。

 今日は暑いけれど、だんだん秋の匂いが濃くなるほどに、ふと、ヒコを産む前の静かな時間を思い出す。大きいおなかで、なんでも「いまのうち」と思って、散歩したり、お茶を飲んだりした、あの「とってもひとりだけど、腹ん中にいつもだれかいる。いまは静かなだけど、すぐにまったく違う生活がやってくる」不思議な時間。毎年こうなのだけど、バアさんになってもそうなのだろうか。たとえば、ボケてしまっても。…うん、そうかもしれない。「ペコロスの母に会いにいく」のように、秋風に吹かれた瞬間、誰にも気付かれないまま、ひょっとしたら自分でもそれが何に由来するのか思い出せないまま、ひどくうれしいようななつかしいような誇らしいような気持ちになってボーッとしていたら、それを見た孫から「バアちゃん、またどっか行っとる」なんて言われるのだろう。

 そんなヒコも、保育園はとっくの昔に卒園して「卒園児かけっこ」に息巻いていたけれど、息巻きすぎてすっころんで、一等賞は取れなかった。でも、その「すっころび」かたが、さすが空手を2年半もやっているだけあって、ちゃんと受けを取っていて見事で、美しいとさえ思った。私としては、一等賞を取るよりも、よほど感動してしまった。ゴール直後、へこんで戻ってきたけれど、「すばらしいすっころびだった!さすがだ!ダメージは最小限だ!他の人だったら骨折っててもおかしくない!」などと何度も力説したら、持ち直してくれた。ころんでこんなにほめられるとは思ってなかっただろうから…。


2013年09月21日(土) 月とひねもの

 昨日は中華街の中秋節に行って、おとといは諏訪神社にお月見に行った。気持ちのいい夕暮れから夜に、なにかちょっとしたものをつまみながら、外でビールを飲んだり、子どもらがのびのび遊んだりしているのを見ていると、心底、これ以上なにがいるんだろうと思う。いろいろ考えたり、書いたり、作ったりすることがとても好きだけれど、結局は、昨日やおとといの夕暮れのような瞬間を、よりよい気持ちで迎えるためにやっているのかもしれない。

 「おすわさんの長坂でお月見」が、江戸時代の長崎人のスタンダードだったらしいが、たしかにいい月だった。いわゆる「彦山の月」に関しては、大田蜀山人が「こがん月はえっとなかばい」とかなんとか歌ったということがよく言われるのだけど、よそから来た偉い文化人役人がほめたことを拠り所にしてるってのが、ひねものとしては「長崎弁使ってウケ狙ったんでしょ?よそでもおなじようなことやってチヤホヤされてたんでしょ?」などと、うっかり思ってしまう。本人は純粋に楽しい気持ちで言ったのかもしれないけど、こうしてずーっと、200年経っても、彦山の月をほめるのに蜀山人の詩を引き合いに出さないと気が済まない風潮が、どうも悲しいのであった。


2013年09月18日(水) これはもう、いるってことで

 気付いたら、ずいぶん日記を書いていなかった。自分でもびっくりしたほど。

 こないだ…だいぶ前だけど…おすわさんで御朱印船の練習を見ていたら、「あぁ、こういうふうにして、御朱印船は、そしてほかの船とかなんとかも、その時だけは『本当にいる』ってことでいいんじゃないかな…」と思った。くんちの奉納踊りであることは確かなんだけれども、その姿を借りて、何百年か前にこの街に実体として存在した船やら船乗りやら豪商やら、そういうものたちが踊りの間だけは「現れている」ということでもあるんじゃないかと。そして、そういうものが「現れる」ためには、実際にやってる人たちが「やってる」と思わないレベルにまで踊りを高める必要があるはずで、ずいぶん前に見た御朱印船は、時期が浅かったので、まだ意識的に「やってる」レベルだったのだけど、こないだ見た時には、だいぶ別のものに変容していたので、そんなふうに思わされたのだろう。いわゆる「存在するのとは別の仕方で存在する」ものが、ひととき、本当によみがえって姿を見せている…と思えば、踊りも船も鯨も、なんというありがたさだろうか。
 
(だからこそ、日常レベルの「感動」なんていう次元に落とし込まれることに、とっても違和感を覚えてしまうのだな…)



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