ぴんよろ日記
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2013年08月31日(土) 走れ!見切り列車

 涼しい。窓を開けて、ちょうどいい。タンクトップだと、なんと、時々肌寒いことも!
 長すぎた夏、暑すぎた夏、隣の工事がうるさすぎた夏…それぞれにまだ、名残はあるけれども、きっと終わるのだということが、この涼しさで、じわりとわかる。夏が過酷だったぶん、秋が早いのかも。そもそも秋が大好きなので、とてもうれしい。

 10月から「長崎歳時記」講座を始めることにしたので、否応なく勉強しなくては。「精通しているから教える」ということではぜんぜんなくて、「まだまだ私自身も勉強しながらなんですが、これを絵とかと比べながらじっくり読むとおもしろいってことだけは、一足お先に気付いちゃったので、いちおう、講師ってことで…」という、言い換えれば見切り発車だが、そっちのほうが、双方きっと実りあることになるはず。

 明日は夏休み最終日。どうやら午前中はおすわさんで鯨の練習があるようなので、雨でなければ、それを見たあと月見茶屋でランチといこう。ゴールデンコース!


2013年08月30日(金) 高い壁を

 細長い石が積まれた、垂直の高ーーーーーい壁を登る、という夢を見た。たくさんの人と一緒に、SASUKEみたいなコースに挑戦する、そのひとつめの難関。私はなぜか、おかっぱみたいな頭のへなちょこダメ男で、スタート直後に一度落ち、みんなが乗り越えてしまったあとも、「雨具がない、傘はむしろ持たないほうがいいのか」などと言い訳めいたことをブツブツいいながら、ひとり取り残されている。そしたら兵隊みたいな筋肉マッチョの兄ちゃんが「そこにいても死ぬだけだぞ」と言うので、仕方なく、また登りはじめる。
 と、まぁ、現在の状況がわかりやすく象徴されたような夢のことなど書いてもしょうがないのだが、おもしろかったのは、高い高い壁をだいぶ登ったのはいいが、登ると当然高くて、下を見るとまた落ちそうになって挫折感が襲ってくるのだが、そこで「へなちょこダメ男」が「下は見ないで、自分が壁に吸い付いてることにしよう」と思いついたのだ。すると、腹の下のほうがしっかり落ち着いて、次に自分がどの出っ張りに指をかけるべきかが、スーッとわかり、難なく登ることができた。その一連の感覚があまりにリアルで、起きたあともありありと残っていて、「ひょっとして『丹田を意識する』って、こんな感じ?」と思う。
 その壁を越えると、そこでは6月に参加して衝撃を受けた「今を生きる人の集い」があっていて、それも、できすぎなくらいリアルだった…。

 そして今日、ヒコと過ごす夏休みは最終日!!!(あ、「高い壁」ってこれか?)


2013年08月28日(水) うれしい想定外

 ノウゼンカズラが好きなので、苗を植えていた。明るいオレンジ色の花…が、当然咲くと思っていたら、なんと今朝、とってもきれいな薄いピンクの花が咲いていた!ノウゼンカズラといえばオレンジ色だと思っていたし、買った時のラベルの写真もオレンジ色だったのだが…。でも、かなり好きな色あいなのでうれしい。大好きな花が、思ってもみなかった好きな色で咲いてくれるなんて。
 脇岬の観音寺の天井絵は、石崎融志や川原慶賀が描いた草花が並んでいて、明らかな慶賀さんのサイン入りが5枚くらいあるのだが、その中の1枚がノウゼンカズラだった。10数年前に見た時にはとっても鮮やかだったけれど、ここ数年でだいぶ痛んでいるらしい。

 10月には「長崎歳時記」講座を始めるし、11月には大切な仕事がある。夏休みもあと4日…(涙)。勉強の秋だ。


2013年08月21日(水) ミタさん倒れる

 このところのヒコ疲れに、昨日、強力な追い打ちが来て、ついに崩壊。家政婦のミタさんみたいに笑えなくなった(何日か前にダイジェスト板を見たら、けっこう面白かった…)。登校日の今日は、ミサキンを送って帰ってきたところで頭が割れそう&具合が悪くなり、そのまま一日起き上がれず、変な汗かきながらずっと眠っていた(しかしヤツは容赦なく友だちを連れてきて騒いでいたが)。ヒコとの接しかたというか、とらえかたを、なんか、根本的に間違ってるのかもしれない。とにかく、久しぶりにどうしても体がいうことを聞かなかった一日だった。私の中のミタさん(?)をいつも無理させてるのはわかっているが、今日は「承知しました」と言ってくれなかった。「おひまをいただきます」だった。

 ミタさん、くんちの稽古でも観に行って、一杯飲もうか。
 


2013年08月18日(日) みつえさんは井戸

 ついに完成の「ペコロスの母に会いに行く」を見に行く。原作者の岡野さん本人を知っているし、ほとんどのシーンのもとになっている漫画を全部読んでいるし、ロケ地はうちのすぐ近くだし、うちも山の上にちょびっと映ってたし、出てくる店によく行くし、エキストラに親類縁者がチラついているし…ということで、ニュートラルな状態で観るのがとんでもなく難儀な映画だったけれど、始まってしまえば、普通に楽しみ、何度か泣いた。ヒコとの関係がうまく行っているとは言えなかった今日このごろだっただけに、数十年後のこと…私がボケて、ヒコのことわかんなくなって、それでも時々は思い出して、子どもみたいに頭をなでたりできるのだろうか…などと想像したりしながら、ヒコともっと楽しい時間を過ごしたい…と、しみじみしくしく。
 関係がうまくいかない人について「いなくなる…たとえば死んでしまうと思えば、意識や態度も変わるでしょう」というような諭しがあったりするが、それはやっぱり極端な話で、なかなか想像もつかないし、極端なだけにその時はドキッとするけど、目の前に次々とわき起こるあたふたで忘れられがちになる。でも「変化」はむしろそれだけではなくて、お互いが成長したり病んだり老いたり、限りないグラデーションを描きながら、それでも死ぬまで生きなくてはいけないし、特に、親子であることは、まず、やめることはできない。
 昨日まで元気だった人がパキーンと死んでワンワン泣く、というのでなく、「あれ?なんかちょっと…昨日よりもなんだか…」みたいな感じで、じわじわと衰え、果てしないグレーゾーンを行きつ戻りつしながら、別れへと近づいていく…その上で、その中で、それだからこその喜びや幸せさえ見出していく…という、かなりドラマになりにくい、しかし大多数の人生の現実。それにやっぱり、「死んだ!悲しい!後悔!」じゃなくて、「どんな状態であれ、100のうち30しかできないかもしれないけど、お互い生きながら愛しみ合う」っていうのは、大きなポイントだと思う。ただ、後悔は後悔で、それもまた「こうすれば良かったと後悔できる人がいたという幸せ」があるだろう…などと、思いはグルグル。
 そして、そういう「行きつ戻りつ」感を、長崎の風景が増幅していて、こればっかりは、ほかの街ではうまく表せなかったと思う。長崎を「舞台」にした作品は数多くあるけれど、これほどまでに、その風土…見れば見るほどさまざまな時空がぐだぐだに迷宮螺旋化していつつ、全体的にはポカンとあたたかい…が、物語の本質とわかちがたいものはないのではないだろうか。

 と、ここまで書いたところで、長崎とみつえさん(ペコロスの母)って、とっても似てることに気付いた。「長崎ほど深い井戸はない」…去年の制作発表の時の、森崎東監督の言葉そのままだ…。



2013年08月15日(木) 弔いの債務

 精霊流し。
 どうしたことか、いろいろなことがかみ合わさって、県庁前でひとり、2時間ほど精霊流しをボーッと見ることができた。ここ数年の「まだグニャグニャ赤ん坊のミサキンを片手にさだまさし家の船を必死に見る」「ミサキンおんぶ&ヒコの手を引いて大雨に降られる」ということからすると、「大丈夫かな?実は知らないうちに私だけあの世に来てない?」レベルの静けさ。ありがたくボーッとする。
 長崎の精霊流しは、まず、クレイジーとしか思えないが、じゃぁどうしてこうなのか、こうまでしないといけないのか、という問題がある。「しないといけない」というと、意識的に筋道立ってる感じだが、どちらかというと「気が済まない」ということだと思う。精霊船を出さない年でも、だいたいお墓参りはするわけだが、何カ所もの墓参りを終えたあとの気持ちは、私の場合「あぁ、気が済んだ」というのがもっとも近い。義務感といえばいえなくもないが、もっと心身の奥底の部分の欠乏が満たされる感じ。お墓参りも精霊流しも「対象者」は明らかに「不在」なのだから、無駄も無駄、無意味の極みだ。だけど人は、それをせずには「気が済まない」。動物と人間をわかつもののひとつが葬送儀礼であるともいうが、だとしたら、無意味なことをするからこそ人間で、その行為が無意味であればあるほど人間の人間らしい部分が活性化する、ということで、他県民から見れば「どうかしてる」長崎のお盆は、人間らしさ大爆発である。
 でも、じゃぁ長崎の人は、どうしてこれほどまでに膨大な手間と心とお金をかけて死者を送るのだろう。毎年、当然のように何千もの船が出て、ゾロゾロと流されてゆく光景は、パッと見もびっくりだし、といって、冷静になればなるほど、ますます不可解だ。だからどうしてなんだろう、と、ずっと思ってきた。そして昨日、県庁前のガードレールに座って、缶ビール2本目くらいで、「あぁ、そうか、弔うものが多すぎるんだ」とわかった。一隻の精霊船は、理屈の上では、ある家のある故人を送るってことになってるけど、それプラス、この街で過去に大発生した膨大な「弔いの債務」みたいなものがあって、10年100年じゃとても払いきれない…つまり「気が済まない」から、その後みんなで分担して払い続けているのだと。
 この「債務」は、直接的には禁教や原爆、近いところでは水害というようなことが考えられるだろうけど、でも、それだけかなぁ、と思うと、それにはちょっと違和感が残る。もっと漠然とした「弔いを必要とするもの」も、ゆらゆらしているような気がするので、それはまたなんだろう…と考えてみる。もちろんこれはあくまで「気がする」レベルの話だから、なんの証明もできないのだけど、缶ビール3本目で「こりゃー、中継地点だからだな」と思った。単純ではあるけど、地理的に「西方浄土への中継点」だから、いろんなとこから西方浄土を目指して来た方々が、この世からのホップステップジャ〜ンプ!って飛んでいく踏み切り板のようなもの。あるいは、まさにあの世への船がじゃんじゃん流れているので、相乗りして行けるから「おーい集まれ〜、船が出てるぞ〜、乗ってけ乗ってけ〜」みたいな状態。「『相乗り』ってあり?」って思われるかもしれないが、初盆ではない家のお供えって、小さなゴザみたいな「コモ」でくるくるって丸めて流すけど、近所に精霊船がいたら、一緒に乗せてもらったりするし(見ず知らずの人でも)、それは問題ないだろう。

 そんなこんなで、8月15日の長崎は、人的霊的地理的条件が相まって、「大混雑」なのである。


2013年08月13日(火) 寄り道

 おとといの朝だったか、あれ?秋?という匂いがした。もちろんそれはたちまち暑さに回収されていったけれど、たしかに匂った。そして昨日も、ちらっと匂って、でも昼間があまりに暑くて、「それは嘘だ」といわれれば、かなり弱気になりそうなくらいだったが、今朝はもう、絶対に、7時前の庭には、秋が立っていた。
 そんな庭に、初めて見る若くてきれいな黒猫がいた。シュッと逃げていったけれど、とってもきれいだった。
 いつもゴチャゴチャ物を置いてしまっている窓際の棚を片付けて、直売所で買った小さなお供えセットと盆花を飾る。住みはじめて3年の我が家には、直接帰ってくる仏さまはいないが、ゴルさん(昔飼ってた猫)とか、じいちゃんとか、ちょっと寄り道してくれるかもしれない。


2013年08月12日(月) じゃんじゃんヘロヘロ

 土日は、毎年恒例のキャンプ。しかし、キャンプといいながら、今年は「やすらぎ伊王島」で、バーベキューでさえない、クーラーの効いた部屋でバイキングを食べて温泉に入るという「ノーワイルド」なキャンプ…というより慰安旅行。事実、前日が原爆の日だったので、地元放送局報道関係者およびその家族たちにとっては、完全に慰安旅行。疲労の蓄積から、我を忘れる者、記憶を失う者、口外できない替え歌を熱唱する者、いろいろリバースする者などが出たが、とても楽しかった。
 日曜日は海で泳いだ。浮き輪に乗ったミサキンを押していたら、ミサキンが「のんびりゆこう〜ふたりでゆこう〜」というような歌詞の歌を歌いはじめて、それが、二人で波をゆっくり進むその時の状況にあまりにもぴったりで、泣きそうなくらいだった。しばらくはそうして多幸感に包まれていたが、自分はハンドルの付いた浮き輪に乗ってるだけのミサキンから、沖のいかだまで2往復も命じられた上、もう水がかなりぬるんでイラ(長崎弁で、チクッとする程度のクラゲ的なもののこと)からはじゃんじゃん刺されるし、最後はヘロヘロになって上がった。


2013年08月07日(水) 長いよう…。

 あまりに八方ふさがりな気分なので、ずっと切りたかった髪を切る。パッと見、かわりばえしないのはいつものことだが、すっきりした。そしていつも「シャンプーだけでもずいぶん気分転換になるだろうな。こんど頭が疲れたら、シャンプーだけしに来よう」と思うのだが、結局は、もっさり髪がどうしようもなくなるまで行きやしない。

 隣の工事…いつまで続くのだろうか。もう落ち着くかと思いきや、またガンガン掘ったり積んだり。春からずーっと、月曜から土曜まで朝8時からの恐ろしい騒音と振動と、庭やベランダに出たら工事のおっちゃんたちがすぐそばをウロウロしてるのと、時々はそのへんで用を足してるのを目撃したり、しょっちゅうトラックを止めてる道の通りにくさを我慢し続けているが、正直、疲弊してきた。仕事する環境としては、あまりに過酷すぎる。ここまで我慢しないといけないのかな、小さな小さな菓子折りひとつ(by施主のオバハン)と、薄〜いタオル2枚(by工事業者)で。「仕事できないから、外でやるから、その費用を出して」とか、そういうこと、言ってもいいのかな。

 とにかく夏が長い。いろんな意味で。


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