ぴんよろ日記
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2013年06月28日(金) 白目むいて3日

 今日はまた、ヒコの「町探検」の引率手伝いへ。なんでも「来て〜」と言われるうちが花だと思って、私にしてはかなり積極的に学校に足を運んでいるが、こないだ図書ボランティアの集まりで「えー!お仕事されてるんですか〜!たいへーん!私たちぬるま湯よね〜」と言われて、そうか…世の中の「ママ」は「勤め(勤め的自営業含む)」or「専業主婦」なのか…とあらためてわかった。私みたいに「自宅でひとりぼっちで仕事。締め切りを守ればあとはどうにでも動ける」という生活は、たしかに珍しいのかもしれない。そして仕事の内容を伝えると、こんどは「え〜、すごーい!」とか言われて、また身を細めることに。すごくないし!こういうことしかできないからやってきただけだし!生活超不安定だし!
 そんなことはまぁ、わかってもらいにくいのでいいとして、子どもたちがたくさんいると、いろんな子どもがいて面白い。「みんなちがってみんないい」という詩がちっとも好きじゃないが、「みんなちがう」のは確かだ。でも学校という場所では、やんわりと、そうでない方向に進まされる。静かだけど強い「均質化エネルギー」が充満している気配。「宿題していかなくても、図工の道具が揃ってなくても、名札を3ヶ月忘れっぱなしでも平気」なヒコくらいだとなんとか自分を保っていけるのだろうけど、そういう部分が発達または欠落していない子で、でも「自分エネルギー」が高い子はつらいだろう。さらにそれが意識できればまだしも、「なんとなく合わせつつ、エネルギーも抑えつつ、でもやっぱり抑えきれなくて、でもでも、その出しかたさえもわからない…」というような感じの子が多いんじゃないかな、と思う。
 それに対する有効策は、いろんな生き方をしている大人を見ることだろう。ささやかながら私の暮らしっぷりを見て「ハンモックに揺られて本読むのも仕事なんだ…」って思ってもらえれば、不安定もといフリー稼業冥利に尽きるというものだ。(親からすれば悪影響かもしれないけど!)

 何年かぶりに時計の電池を替えたら、日付の盤をコントロールする部品が弱っているとのこと。「日にちが時々白目むいたりしませんか?」っていう言い方があまりに的確で笑えたが、久しぶりに動かしたのもあってか、今日の午前中だけで3日も進んだ。「日にちが白目むいて半日で3日も進む」なんて、もはやSFである。


2013年06月26日(水) ノープロブレム!

 学校の図書ボランティアで、紙芝居を読む。「ヒコちゃんマンのお母さんです」と自己紹介したらバカ受けした。人前で話して、こんなに受けたのは生まれて初めて。「爆笑って、ほんとに爆発したみたいに笑うことなんだな」と実感するくらい。午後の授業参観でも、私を見た子どもたちが、ひそひそと「ヒコちゃんマンのおかあさんだ」と言ってる声が聞こえたし、フレンドリーな感じで接してくる子もいた。ヒコの人徳に感謝。給食の様子を撮ったビデオで、ヒコが映るたびに(ふざけて映ってるというのもあるんだけど)みんなが楽しそうに笑ってて、「あ〜、多少勉強できなくても、ヒコの人生問題なし」と思った。
 家に帰ったあと、そんなヒコから「おかあさん、読むと上手やったよ」と誉められた。それはそれはどうもありがとう。


2013年06月25日(火) 時代、時間。

 賑橋のそばの「眼銀珈琲店」に、30年近く前の「ザ・ながさき」が何冊もあって、コーヒー1杯飲みながら2冊読んだ。何度も何度も目をみはったり、笑いがこみ上げたり、とにかくいろんな意味であまりにも面白い。そしてたった30年なのに、時代の感覚や密度が、圧倒的にどうしようもなく違っていて、それもまたあまりに面白い。30年でもこうなのだから、親や祖父母さえ生まれていないころの歴史なんていうものを、その時の自分の感覚で考えたり判断したりするのは、まったくもって大間違いなのだとわかる。

 時代だけでなく、いま、この時の時間の感覚にしても、その人のありようひとつで、まったく違う。自分から見たら信じられない質量の仕事をしている人がいるとしたら、能力の問題もあるだろうけど、きっと時間の流れも違うんだと思う。「バイクですっころぶ一瞬がものすごく長くなる」ような感じの時間の伸縮を、自分で作り出せているのだ。

 あー、またヒコがゾロゾロ友だち連れてきた…。


2013年06月21日(金) 「にこにこ」0点

 ヒコが今週から提出を義務づけられている「にこにこカード」。毎日の「おきたじこく」「メディアのじかん(テレビをみたり、メール、インターネット、テレビゲームなどをしたりするじかんのことです)」「ねたじこく」を「◎」か「○」か「×」で評価、それぞれ「2点」「1点」「0点」を付けるわけだが、そりゃ〜もう、どんだけ計算しても見事に0点。もしマイナスがあるのなら、どこまで下がるかわからない。
 しかし私としては、どうしてここまで学校にとやかく言われなくちゃいけないのか、さらには点数まで付けられなくちゃいけないのかも、まったくわからない。悪びれもせず、本質的には正直かつ事実としては適当な時間を書き込み、0点の時間に起きて元気に登校するヒコを頼もしく見つめるだけである。


2013年06月20日(木) さよなら3箱

 段ボール3箱の本が旅立っていった。好きな本も、好きだった本もあったけど、いまはもう旅立ってお行き…というものを詰めた。また誰かがうれしく手に取ってくれたらいいな。私がこないだ嬉々として買った「縄文生活図鑑」みたいに。
 雨、雨、雨。庭の木たちが、雨のプラスされた自分の重さを支えきれなくてうなだれている。こんなに花が咲くなんて!と眺めている木(最初からあった。名前は知らず)も、「こんなに花が」咲いているばっかりに重くて重くて、かなり落ち込んでいる人のよう。もうちょっと剪定しておけばよかったかな。

 雨の日は工事がないので、静か。


2013年06月19日(水) 左手はライダー

 めぐりめぐって、気付いたら大片付け中。自分で「ここ、いつ片付けるんだろう…でも、ここを片付けないと、いろんなことが進まない気がする…でもでも、やる気なし…」と思っていたところが、いつの間にか片付いていた。久しぶりに「自分の中の自分にまかせる」ことをした感じ。しかし、本も売ろうと思って段ボール3箱分詰めたが、これはしかし、本棚の見かけとしてはまったく変化無し。

 身体の記憶って、絶対にあるんだな…と思うのは、バイクに乗っている時。いまはスクーターで、左右のレバーはブレーキだけど、もとはギアチェンジする250に長いこと乗っていたので、左はクラッチだった。ふだんはそれに適応しているのだけど、ちょっと飛ばす必要がある瞬間、無意識の反応として、右でスロットルを開けながら、左でクラッチを切ろうとする。これはもちろん、スクーターでやってしまうと「アクセル回しながらブレーキ」という、かなり危険なことになるので、左手の指がピクッと動いた一瞬、頭が「もう違うだろ!」とツッコミを入れてくれて収まるのだが、「飛ばさなきゃ!」と判断した空白の一瞬だけは、250に乗ってた時の身体がよみがえるのだった。


2013年06月18日(火) ひたひたと

 ガツンと梅雨に逆戻り。昨日、毛布を干したのが夢のよう。夜中の雨の音を聞きながら「ありがたい…水やりはこれでバッチリ」と思う。やっぱり雨のほうがおいしいだろうから。そして起きてみたら、ツユクサジャングルがまたひたひたと…。ちょっと整理しよう。今日は草むしり日和。無心でやろうか、考えごとしようか。


2013年06月17日(月) 試運転中

 庭の一段落、そして先週末の「今を生きる人の集い」以来、時間や気持ちの流れ方がかなり変わり、エンジン積み替えた自分を試運転中という感じ。まだ不慣れで不安定で付いていけてない部分もあるが、きっといいふうになると思う。
 そんなこんなで、今日は久しぶりに昼寝した。そしてコーヒー豆も挽けるようになった。このところ、あまりにいろいろ噛みあわず、いつも挽いているはずの豆を挽く余裕さえなくなって、お店で挽いてもらっていたのだ。別に仕事が忙しかったわけではないが、気持ちに余裕がなくて、いつもの豆さえ挽けなくなってしまったのだろう。おつかれさん。


 


2013年06月05日(水) アナログとデジタル

 今週に入って、いよいよ庭の「土木工事」も峠を越えた。あまりに後先考えない「熱中症」が出てしまい、今朝などは、起きようとしたら立ちくらみがするほどだった。熱中症…自分の熱にやられる熱中症…。
 でも、なんとかざっくり形になって、ひととおり草木も植えて、ふぅ、とひと息ついたら、とたんに鳥や蝶が集まりだしたのにはびっくり。
 こういうことって、すぐスピリチュアルorラブ&ピースな説明が頭をもたげがちだけれど、たぶん、じつはそんなものが入り込む余地もないほど、世界が精妙なだけだと思う。あまりに精妙すぎて、デジタルすぎて、アナログにしか見えないほどに。
 人がいま「アナログ」と呼んでいるもののほうが実際にはデジタルで、世の中で「デジタル」だと得意気な顔をしているものは、単に解像度が低いから「わかりやすい」だけで、「わかる=正しい」と思っている人にはそれがかっこよく思えているだけだ。


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